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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第二部・追う二人
73/85

第七十一話 「そんなつもりじゃなかった」

 空が茜色から藍色に変わる中、リデルは宿へ戻る道を歩いていた。


 今日も町での情報収集は、予想通り何の成果も得られなかった。

 むしろ昨日よりも酷い。警戒する視線は昨日よりも強くなったが、何か話そうと見回すと誰もが逃げていくのだ。

 流石に打つ手がない。なので、昨日と同じように人目が消えた隙を狙ってまた路地裏で休んだ後、『川向こう』へと足を伸ばした。


 『旧市街』の話が聞けるかは怪しかったが、同じ町に住む以上噂くらいは耳にしたことがあるだろう。そう思って、ノーヴィの屋敷に顔を出した。

 手がかりになる話を聞けたか、と言われると微妙である。


 ダメイアの宿は、元々旦那が主人だったらしい。宿を畳まないのは旦那の意向で、ダメイアはそれを継いだとのことだ。

 旦那が死んだのは二十年程前。まだ幼い息子とダメイアを残し、病死した。

 それから、ダメイアは旦那が残した宿を守るべく奮闘したようだ。稼ぎも大して見込めないから酒場のような真似を始めて、食事処としても開放したらしい。それ故、息子に手をかける暇が取れず、放任してしまっていた。


 ダメイアの息子――名をグラッジ、という――は町でも有名な悪ガキの大将で、旧市街は勿論『川向こう』でも散々暴れまわっていた。

 手を焼いた人達が何とかしようとするも、ビエホを始めとした旧市街の人々が庇うせいでどうにもならなかったらしい。


 グラッジはそのまま大きくなり、四年半程前に「騎士になる」と言って町から出て行った。体格もそれなりにいいし腕も立つが、あれでは騎士にはなれないだろう、というのが『川向こう』の住人の大方の意見だ。

 それから、グラッジは戻ってきていない。


 『旧市街』と『川向こう』の根深い対立に、グラッジが一枚噛んでいるのは事実だ。悪ガキをのさばらせたビエホ達をノーヴィ達は嫌っているし、ビエホ達もグラッジを捕まえようとしたノーヴィ達を嫌っているだろう。

 グラッジ一人の問題ならまだしも、グラッジの手下には『旧市街』の人達の子供が多く含まれている。話はもう悪ガキ一人の問題に留まらない。


 ビエホ達にしてみれば『川向こう』の人々は、勝手に住みついて子供の悪戯に目くじらを立てる、煩わしい迷惑者といったところだろうか。

 心情的に、そう思うことを否定はしない。

 だが、騎士としてはノーヴィ達の味方をせざるを得ない。

 子供だろうがなんだろうが、どんな事情があろうが、やってはいけないことはある。


 こういう所がクーアやビエホ達に反感を持たれる原因なのだろうとは思うが、それでも認めるわけにはいかないものもあるのだ。

 ともあれ、手に入れた情報はそのくらいだ。役に立つかといえば、微妙な所だった。


 妄想の類でいいのなら、例えば野盗の首領がグラッジである、と考えることはできる。

 野盗団そのものが悪ガキ集団が大きくなったもので、だからダメイアは首領の母として下手に扱えないし、旧市街の人々は彼らを庇って口を開かない。

 町の人間だから今もどこかに潜んでいるかもしれないし、通報があったのだってすぐさま誰かから教えられて逃げることも出来る。


 騎士団が出動する前から準備して逃げられたのなら、流石にどうすることもできない。この部分は、今の騎士団の仕組みが抱える致命的欠陥でもある。

 人員が絶対的に不足しているせいで、巡回隊以外に先手を打てる手段がないのだ。


 巡回隊にしてもルートは大体決まっているし、日程も緊急時を除き厳守される。長年同じ場所に住んでいれば、巡回隊がいつ頃くるかも簡単に予想できるだろう。

 そうして先んじて退散されれば、騎士団が先回りをすることはできなくなる。


 三回も通報されたのだ。巡回だって強化しただろう。だが、それは相手とてわかりきっている。

 事前に察知し対策を練れるなら、何とか逃げるだけなら出来てしまうだろう。


 もう少し人手さえあれば、打てる手もある。あるが、騎士団が対処すべき問題はここの野盗団だけではない。出るかどうかもわからない野盗を待って張り込むなんて贅沢な真似は、それこそ王命でもなければできなかった。

 だとしても、やはり問題だ。騎士団の運用はもう少し考え直す必要がある。現に今こうして、二年近くも苦しんでいる人達がいるのだ。


 軽々しく人員を増やすことはできないが、対処の優先順位を考え直すなどで取れる選択肢は広がるだろう。王都に戻ったら、団長に報告しなければ。

 考えている内に、ダメイアの宿が見えてきた。


 騎士団の運用法の再検討についてはいいとして、やはり野盗団の首領がグラッジというのは考えすぎではないか。

 可能性としてなくはないが、確証をとれるだけの情報がどこにもない。

 もしかしたら、首領が何かしらダメイアの旦那と関係があった人物、というだけかもしれない。同じ程度の可能性の話でいいなら、いくらでも思いつく。


 通報などの情報が筒抜けで先手を打たれて逃げられている、というのは間違いないだろうが、その内部の事情に関してはまだ不透明なことが多い。何か一つに絞るのは危険だろう。

 これ以上は、直接ダメイアに揺さぶりをかけたほうがいい。そう思って、ノーヴィの屋敷での話はある程度で切り上げた。


 空が藍色に染まり切る前に、宿に帰り着く。

 既にクーアがいるかもしれない。それならそれで都合がいい、ダメイアも自分一人相手よりはクーアと一緒の方が喋り易いだろう。


 彼女は嫌な顔をするかもしれないが。

 想像して少しだけ溜息を吐き、扉を開けた。



 程々の賑わいを見せる店の中で、ダメイアが音に反応してこちらに振り向いた。



 リデルの顔を見ると、すぐさま落胆した表情で視線をそらす。

 微かに引っかかりを覚えて、ダメイアのいるカウンターまで周囲を見回しながら歩く。

 この二日で見た顔が並んでいる。代わり映えはしない。


 クーアの姿は、なかった。

 カウンター席に腰を下ろして、グラスを拭くダメイアを見やる。


「クーアさんは、まだ?」

「戻ってないよ……随分遅くまで頑張るもんだよね」


 皮肉気に嘲笑う女店主の顔には、どこか焦りが滲んでいた。

 昨日リデルが戻ってきたのは、もう少し遅い時間だった。クーアが戻ってきたのは少なくともその前。ダメイアの口ぶりからすれば、もう戻ってきてもいいはずだ。

 嫌な予感が胸をよぎる。


「お客さんに、今日クーアさんと会った人はいないか聞いてみてもいいですか?」


 リデルが尋ねると、ダメイアは苦みばしった顔をした。

 普通ならこんなこと、店主に許可を取る必要はない。だが、リデルは町の人間から嫌われている。

 ダメイアの許可があるかないかでは、相手の反応だって変わってくるだろう。


 リデルの問いへの返答は、小さな首振りだった。


「さっき私が聞いたさ。今日はこの店に来てる連中とは会ってないみたいだね」

「町中で見かけたりも?」

「……してない、ってさ」


 じっと見つめるリデルに、ダメイアは一度として視線を合わせようとはしなかった。

 嘘は、ついてない。リデルはそう判断した。

 こんなことで嘘を吐く必要もないだろう。それに、口では嘘をつけても反応はそうはいかない。


 さっき、自分が店に入った時、何かを確認するように素早くこちらを見てきた。あれは多分、クーアが戻ってきたのかと思ったのだろう。

 自分はともかく、クーアとは随分仲が良いようだ。帰りが遅いことを心配してもおかしくない。それも、お客から「今日一度も見ていない」と言われれば尚更だ。


 ジェローアはそれなりに広いが、人口が少ない。人に話を聞きに町を散策しているであろうクーアを、ここに来ている全員が一度も見ていないなんて殆どありえないことだ。

 心配げな顔も、焦ったような態度も、全てが演技だとすれば王都に居を構える劇団員も真っ青だ。そこまで余裕があるようには見えない。

 何かを隠しているのは間違いないが、少なくとも言った事は真実だろう。


 つまり、この店に来ている客の全員が、今日一度もクーアを見ていない。

 彼女の目的を考えれば、ほぼ有り得ない話だ。

 席を立つリデルを、ダメイアが呼び止める。


「騎士様、どこいくんだい?」

「クーアさんを探してきます」

「心配しなくても、もうすぐ帰ってくるさ」

「……本当に、そう思いますか?」


 見つめ返すリデルの目に気圧され、ダメイアが息を呑む。

 少し帰りが遅くなっているだけ。そういう可能性も、勿論あるだろう。


 だが。

 現状を鑑みた時、それは余りにも楽観的な考えだと言わざるを得ない。

 野盗団に攫われた可能性がある。

 それでなくとも、町中のダメイア以外の協力者に捕まったかもしれない。

 様子を見る限り、ダメイアはクーアに関しては何も知らないようだ。だから、本当にただ何かあって帰りが遅いだけかもしれない。


 何事も、最悪の可能性を考えたほうがいい。

 それなら、最悪以外だった場合どうとでも対処できるから。

 一番最初に潰すべきは、一番有り得てほしくない可能性だ。


 視線を切って、リデルは扉に向けて歩き出す。店中の視線が集まっているのを感じるが、構っている余裕はない。

 どこから探すべきか考えながら扉を開け、



 扉の目と鼻の先で佇む中年男性にぶつかりかけて、つんのめるように足を止めた。



 リデルには見覚えのないその男性は、真っ青な顔をして宿を見つめていた。

 生気の抜けた顔に驚いて声をかけようと、


「先生!? なに、一体どうしたのさ!?」


 後ろからダメイアが叫び、先生と呼ばれた中年男性はびくっと体を震わせる。

 足に錘でもついているような遅さで宿へと一歩一歩進み、呻き声を上げながら顔を覆う。


「ちょっと、何だってのさ!? 騎士様、どういうことだい!?」

「私にもわかりません。すみません、お話を伺っても宜しいですか?」


 困惑して声を飛ばすダメイアに、リデルも事態を掴めないまま男性に声をかける。

 その全てを無視して、先生と呼ばれた男性は小さく漏らした。


「こんなつもりじゃなかった……違うんだ、わしは本当にそんなつもりじゃ……」

「先生、しっかりしなよ! 何があったんだい!?」


 近づいてきたダメイアに肩を捕まれ、男性はようやく顔を上げた。

 後悔と罪悪感に囚われた真っ青な顔で、懺悔のように口にする。


「ダメイア……わしは、お前の息子が哀れで、だから……本当に、お嬢ちゃんをあんな目に合わせるつもりなんて……!」


 漏らした言葉に、思い当たる節があった。

 帰りの遅いクーア、野盗団に協力していたダメイア、何かを守るように口を噤む旧市街の人々。


 全てが一本に繋がって、リデルはダメイアを見る。

 同じように思い当たる節があったのか、ダメイアはリデルと一瞬だけ視線を交わらせ、唇を噛む。

 崩れ落ちる中年男性は、再び呻き声とともに「すまない」「そんなつもりじゃなかった」と繰り返す。


 宿の中は、既に静まり返っていた。



 空は、茜色を駆逐して藍色に染まりきっていた。



  ※            ※               ※


 気がつくと、身動き一つ取れないままでどこか洞窟の中に放り込まれていた。


 一瞬混乱する頭を歯を食いしばって落ち着かせ、クーアは自分の状況を確認する。

 両手は後ろ手に縛られ、足には枷がついている。ご丁寧に足枷には錘までついていて、とてもではないが自由に動けそうにない。

 状況を確認するほどに恐慌状態に陥りそうになって、その度に深呼吸して落ち着け、落ち着けと繰り返す。


 恐ろしさが困惑を助長し、叫びだしたい衝動を必死に抑え込む。叫んだって何にもならない。ここがどこかわからないが、ろくでもない場所には違いないのだ。落ち着いて対処しなければ何が起こってもおかしくない。

 記憶を掘り起こす。確か、医者のおじさんに呼ばれて診療所まで行って、そこで柄の悪い連中が待ち構えていて、口を塞がれ羽交い絞めにされ抵抗したら殴られて、


 攫われたのだ、私は。


 おじさんは一体どうしたのだろうか。連中の仲間だとは思うが、抑え込まれている時に「やめろ!」と叫んでいたのを覚えている。約束が違う、とか何とか。

 一先ず、今はどうでもいい。状況を理解するのが先決だ。


 見える範囲には自分以外誰もいない。起き上がろうとしてみると、なんとか立ち上がることはできた。

 首筋と頭が痛い。多分、気絶した時に殴られたのだと思う。一体、どのくらい気を失っていたのだろうか。


 暗すぎて外がどっちかも分からない。耳に入るのは自分の呼吸音だけ。泣きたくなるのを噛み殺し、適当に歩いてみた。

 黙って待っていたって何も変わらない。何もせずじっと助けを待つなんて性に合わない。


 一歩歩くごとに鎖が音を立て、錘が地面を擦る。足が思うように動かせず、体だけが勢い余って先に出て転んでしまう。

 受身の取りようもなく地面に突っ込んで、全身が痛む。

 歯を食いしばって痛みを押し殺し、もう一度立ち上がる。今度は慎重に、ゆっくりと。


 暫く歩くと人の声が聞こえてきた。どうやら、ちゃんと出口に向かって歩けていたらしい。

 耳を済ませて、声が聞こえる方に向かって歩く。



「ぎぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁっ!?」



 突然聞こえた絶叫に、恐怖で立ち竦んだ。

 痛みの余りに発する悲鳴。傷口に染みる薬を塗りこんだ時とは比べ物にならない叫び。

 命の危機に喉が反射的に発する声だ。


 分かっていたはずだ。攫ったのが、野盗団であることくらい。多分、リデルへの人質にする為に。

 そんな人質を、目の届かないところにおいておくはずがないのだ。近くに連中がいることは、簡単に想定できたはずだ。


 それでも、直接耳に聞こえた悲鳴に足が震える。

 乱れる呼吸を落ち着けようとして、到底無理だと悟る。せめて足だけは動かすが、鎖が立てる音が神経に障って仕方ない。奴等に気づかれたら何をされてしまうのか。


 だったら、大人しく元の場所で震えて助けを待つか。

 そんな後悔しか残らない選択は、御免被るのだ。


 洞窟の中よりは明るい出口を見つけ、慎重に近づく。ぽっかり開いた出口からは、外にいる連中が良く見えた。

 大きめの座りやすそうな石の前にいるのが、おそらく首領だろう。一番偉そうだし、一番汚い顔をしている。少し離れた場所に並んでいるのは、部下か。攫われた時にいた奴が何人か見えるから、多分間違いない。

 首領だろう男は地面に転がった自分の部下を蹴りつけ、悲鳴を上げる口を踏みつけて居並ぶ部下達に向けて声を張り上げた。


「馬鹿と間抜けは死ね! 何回も言わすな、クソ共が!」

「はい! ボス!」


 並んだ部下達が一斉に唱和する。気味の悪い風景。

 ボスの不興を買わぬよう必死な様は、クーアにはどうにも滑稽に見えた。

 まるで悪ガキの大将と子分達のようだ。騎士団の捜査をかわす『幽霊野盗団』にはとても見えない。


 出口近くの壁に張り付いて、連中の様子を窺う。流石に外に出ればバレてしまうだろう。

 今は、奴等の話を聞いて少しでも情報が欲しい。どうにかして逃げる為にも。


「ビビってんじゃねぇぞクソが! 女連れなんてイチモツ晒すのと変わりねぇバカ貴族のボンボン如き、どうとでもなる! 何の為に女攫わせたか分かってんのか、オイ!」

「はい! ボス!」

「じゃあ何の為か言ってみろてめぇ!」


 指名された部下が慌てふためきながら周囲に助けを求め、どうにもならないことを覚悟して息を呑んだ。

 険しくなるボスの顔が限界を超える前に、ヤケクソ気味に声をあげる。


「ひ、人質にする為っす!」

「おぅ、じゃあ何の為の人質だ?」

「騎士の奴を逆らえなくする為――」


 言い終わるより早く、ボスの拳が部下の顔面に叩き込まれた。

 鼻血を流しながら部下は転がり、容赦なくボスは腹を踏みつける。


「てめぇ俺をバカにしてんのか!? 人質とらなきゃ勝てねぇとでも、えぇ!?」

「ち、ちがっ、」

「違わねぇだろクソが! 殺すぞ!」


 手に持ったナイフを振り上げるボスを、周囲の部下達が飛びついて抑える。


「ボス! ボス、勘弁して下さい!」

「んだてめぇら、全員殺されてぇのか!?」

「ボス、もうその辺で! これから騎士相手にするってのに、仲間減らすのはまずいですよ!」


 部下の必死に説得に耳を傾けたのか、それとも流石に数人がかりでは身動きがとれなかったせいか。

 ボスは鼻を鳴らして縋り付く部下を振り落とし、ナイフを収めて石に座った。

 鼻血を垂らした部下は仲間に助け起こされ、両肩を支えられてどこかに連れて行かれた。おそらく、アジトで治療されるのだろう。


 ということはつまり、クーアがいる洞窟はアジトではないことになる。動いてよかった、と心底思う。

 石に座ったまま、ボスは不機嫌そうに残った部下に話を振る。


「おぅ、ちゃんとあのクソ騎士を招待したんだろうな?」

「先生に伝言頼んでますんで、大丈夫です。あの女を攫う手助けしたことを随分後悔してたみたいですから、まず間違いなく伝えるでしょう」


 ボスは部下の報告に満足そうに鼻を鳴らし、じろりと部下達を見回した。


「いいか? 騎士は俺が嬲り殺す。あの女の前でな。それはそれは悔しかろうよ。お前ら、しっかり目に焼き付けとけよ。この世で本当に強いのは貴族なんかじゃねぇ、俺様だとな」

「はい! ボス!」


 唱和する部下達に満足し、ボスは腰を上げる。


「どちらへ?」

「ちょっと女の様子を見てくる。お前らも、クソ騎士をぶち殺すまでは手ぇ出すんじゃねぇぞ」

「分かりやした。あぁ、それと……」


 口ごもる部下に、ボスは器用に片眉だけ顰めて不愉快さを示す。

 部下は慌てた様に続きを口にした。


「間違いなく伝わるように、先生を宿に向かわせましたが。女将に全部知られちゃいますけど、良かったんですかい?」

「良かったって、何が?」

「いえ、女将はほら、逃げるように強く薦めてたんで……今後に差しさわりがなければなぁ、と」


 愛想笑いを浮かべながら腰低く進言する部下に、ボスは深く深く溜息を吐いた。


「お袋が何を言おうが知ったことか。ガキの使いじゃねぇんだ、クソみたいな事気にしてんじゃねぇよ」

「……はい、すんません」

「情報は頂戴するが、それだけだ。別にお袋だけが情報源ってわけでもねぇ。何の為にたまにお前らを町に戻してるんだ、えぇ?」

「そっすね。いや、積極的に情報くれるのって女将だけなんで。面倒にならなきゃいいなぁって、そんだけっす」

「あのクソみたいな終わった町にしがみつく連中がいる限り、そんなゴミみてぇなこと心配する必要はねぇんだよ。分かったら失せろ」

「うっす」


 部下は頭を下げて、どこかへと去っていく。

 ボスだけがこちらに歩いてくるのを見て、クーアは周囲を見回した。

 逃げることは無理だ。走ったって追いつかれる。じゃあ、奥へと戻るか。どの道、行き止まりにあたるまでの時間稼ぎにしかならない。


 そんなことより、頭の中を占拠するものがあった。

 お袋、とは誰のことだろうか。騎士は間違いなくリデルのことだ。それはいい、別に。今更どうでも。

 クソみたいな終わった町にしがみつく連中。多分、『旧市街』の人達のことだろう。それで、お袋というのは誰なのか。


 先生は宿に向かわせた。女将。お袋というのは、宿を経営している人。

 考えなくたってすぐ辿り着くはずの答えを、否定している自分がいた。


 力が入らなくなって、壁から背中がずり落ちて尻をつく。聞くんじゃなかった。本当に後悔しないように生きるのは難しい。

 お袋とは、ダメイアのことだ。野盗団に協力していたのは、ダメイアなのだ。



 そして、ダメイアをお袋と言えるのは唯一人。騎士になると町を出たはずの息子――グラッジだけなのだ。



 なんてことだ。なんということだ。

 ナイトに似ていると、少しでも思ったはずの相手が野盗団のボスだなんて。


 いや、もしかしたら。

 もしかしたら、何かの事情で野盗団をするしかなくなったのかもしれない。だから、ダメイアもそれを慮って協力しているのかも。


 さっきの光景を見ていればそんな可能性なんて殆ど有り得ないのに、クーアはそんな僅かな可能性にしがみついた。

 事情があってほしい、と思った。ナイトと似た経緯を持つ人物が、ダメイアの息子が、悪人であって欲しくはなかったから。

 もしそうじゃなければ、きっと後悔してしまうから。



「よぉ」



 突然間近で声がして、跳ねるように顔を上げれば先程のボスが目の前にいた。

 厭らしい笑みを浮かべ、獲物を嬲るように見下ろしてくる。


 考え事に夢中になっているうちに、近づかれていたらしい。

 どの道逃げられはしなかったのだ。怯えを悟られないように仕舞い込んで、ボスを睨みつけた。


「人を攫ってこんなとこに放置するなんて、随分いい趣味してるのね」

「いい趣味してんのは俺だけじゃねぇぞ?」


 にやりと笑って、ボスは屈みこんでクーアの足に繋がれた鎖を引っ張った。

 錘が地面に擦れて音を立て、枷が引っ張られて足が痛む。

 その顔を実に楽しそうに見ながら、ボスは語った。


「こいつは、どこぞの行商人が持ってたやつさ。一体何に使うんだろうな、これ。いやぁ、世の中怖ぇことが沢山あるぜ」


 人を小馬鹿にしたようなボスの笑みに、クーアは生理的嫌悪感を抱く。まるで悪党は自分だけじゃない、なんて言い訳をされているようで耳が腐る。

 例えそうだとして、悪事が許されるわけじゃない。

 内心の腹立ちを隠そうともせず、クーアはボスにつっかかった。


「それで? 私を攫って、騎士様を嬲り殺しにしようとでも? 残念、そんな甘い相手じゃないわよ」

「口が減らねぇ女だな。まぁいいや、どの道クソ騎士はお前を見捨てねぇだろう。なら、それだけで上等だ」


 ボスは詰まらなそうに鎖を投げ捨て、屈みこんだまま薄笑いでクーアを見やる。

 言いたい事は山ほどあった。それより先に、絶対に確認すべきことも。

 浅い呼吸を繰り返しながら、次に言う言葉を探す。


「私を餌にして彼をおびき出して、あんたら全員で囲んで叩くつもり? 随分上等な戦術ね」

「数で勝る。戦いにおける最も重要な要素だ。第一、騎士共だって数を揃えて襲うじゃねぇか。俺たちと変わりゃしねぇよ」


 嘲笑しながら見下ろしてくるボスに、嫌な感覚が胸の中で膨らんでくる。

 話せば話すほど、口から漏れる腐った臭いが鼻につく。性根が腐っている、とはこういうことを言うのだろうか。


 自分は何も悪くない、とでも言うような。

 ただ一点の要素だけ取り出して、誰かの為に頑張る人と自分を同じと言う様な。


 もうほとんど分かったも同然だけれど、聞かなければいけないことがある。

 核心を、口にした。


「……あんたの名前、グラッジって言わない?」

「……なんでてめぇが俺の名前……あぁ、お袋か。あの口から生まれたお喋りクソ婆め」


 ブチン、と。

 頭の中で、何かが切れる音がした。


「あんた、何言ってんの?」

「名前知られたらまずいことくらいわかんねぇのか、あのボケ。まぁいいや、どの道お前は処分する予定だったしな」


 処分、という言葉にも今は怯えなかった。

 それよりも怒りが全てに優先した。


 何を言ってるんだこいつは? 騎士団を欺いてまで自分を守ろうとした母に向かって? あんな寂しい顔をさせておいて?


 正真正銘のクズだと、ようやく理解した。


「あんた、騎士になるって出たんでしょ。なんで野盗なんかやってんの」

「あの婆、そんなことまで喋くりやがったのか……使えねぇなぁ、ホント」


 怒りで腸が煮えくり返る。

 それでも、今はまだ耐える時だ。爆発するときは今じゃない。

 聞きたいことがあったのだ。騎士になろうとして町を出て、野盗に落ちぶれた経緯を。


 それさえ聞ければ、はっきり答えが出る。

 断言する為にも、聞いておかねばならなかった。


 ボスは顔を顰めた後、思い直したように口の端だけをあげる嘲笑を浮かべた。


「まぁいい、教えてやるよ。俺は、騎士にはなれなかった。貴族どもの汚い選別の所為でな」


 見下される視線に耐えながら、なるべくボスの顔を見ないようにして耳をそばだてる。

 浅い呼吸を繰り返す。熱を逃がすように。

 そんなクーアの様子にも気付かず、ボスは昔語りを始めた。


「四年半くらい前、騎士団試験を受けた。俺は強かった。間違いなく、その場にきていた連中の中でも上だっただろう。それなのに落ちた。理由は明かされなかった。実技試験じゃ相手に勝ったが、卑劣にも無効にされた。仲間を一人忍ばせて手伝わせたのがバレて問題視された。勝つ為に手段を選ばねぇのは当然で、それに対応できない方がクソだろうが!」


 勝つ為に事前に行った工作が全て露見して問題視され、受験資格さえ剥奪されたらしい。

 当然だろう。ごちゃごちゃ言う世迷言はおいといて、騎士として上官の命令に従わなければならない。

 言ってしまえば、彼は試験官という上官達が出した条件という命令を無視したのだ。まして、人々を守る騎士が何でもありじゃあ野盗と変わりない。


 人々の信頼を勝ち取り治安を維持するのが役目なのに、自ら治安を乱していたのでは意味がない。

 そんなことすら分からない奴は、受験資格を剥奪されて当然だ。しかし、グラッジはどうにもそれが不服だったようだ。


「クソが! あの貴族共は、平民である俺を騎士にしたくなかっただけだ! 既得権益にしがみつき、それを脅かす俺を恐れて排斥した! 強い奴が上に行く! 弱い奴を支配する! それはこの世の理で、連中はだから弱い平民を支配している! だというのに、あいつらはその理を曲げやがった!」


 熱の篭るボスの演説と反対に、クーアはどんどん冷めていった。

 心は冷め切っているのに、怒りだけはぐつぐつと腹の底で煮えたぎっている。


 こんな奴の為に。

 こんな奴の所為で。


 吐き出し口を求めて、マグマのようにうねる。


「だから俺は連中に支配されない生き方を選んだ! 俺の方が強いのは、連中が俺を排斥したことからも明白だ! よって、俺は自由に生きる! 理を曲げる連中の下につくつもりはねぇ! 強い奴が弱い奴を支配する、理通りに正しく生きているのは俺の方だ!」


 演説の終わりとともに、クーアは確信と後悔を得た。


 どうして、こんな奴と一緒にしてしまったのだろうか。

 こんな奴を一瞬でも『彼』と同じだと思ってしまったことを激しく後悔している。


 後悔しないように生きるのは難しい。

 だから、気付いたときに修正していくことが大事なのだ。



 こいつとナイトは――まるで違う!



 ナイトはこんな無様な言い訳を口にしない。誰かの所為にしたりもしない。自分に都合のいい妄想をしたりしない。

 その果てに、野盗なんかに落ちぶれて他人を害したりなんか決してしない。

 卑劣なだけの勘違い男を、クーアは遠慮なく睨みつけた。


「言いたい事はそれだけ?」

「あ?」


 グラッジは興奮冷めやらぬ様子でクーアを見下ろす。

 恨みつらみの篭った目に晒され、普段ならきっと怯えてしまっていたことだろう。


 けれど、今はこっちも引けない事情がある。

 ナイトと被らせてしまった分を、ダメイアに同情した分を、こいつから引っぺがす必要があるのだ。



「バッッッッッッッッッッッッッッッッッッッカじゃない!?」



 腹の底に溜め込んだものを解き放つ。

 余りの大きさに外にいる手下達にまで聞こえたかもしれないが、どうでもいい。

 目の前のバカに思い知らせる方が先だ。

 睨みつけた視線の先に、呆気にとられるグラッジがいた。


「あんたが言った事全部、ガキの頭悪い言い訳じゃない! あんたが試験に落ちたのは私が聞いたって道理だわ! おまけにそれでやさぐれて野盗? どうしようもなさすぎて言葉もないわよ!」


 グラッジの顔から熱が消え、徐々に冷めた瞳になっていく。

 まずい、と言うことは理解していた。それでも口が止まらない。

 言いたいことを全部ぶちまけないと気がすまない。


「あんたと同じ境遇で、それでもまっすぐ生きた人を私は知ってる! あんたみたいな言い訳もせず、ずっと剣を振ってきた人を知ってる! 今も、きっと誰も恨んでなんかいやしない! 自分の力が足りないだけだってずっと頑張ってる! そいつに比べたらね、あんたのそれはガキの甘えよ! 思い通りにならないからって駄々こねて玩具を買ってもらおうとするガキと同じ! みっともないと思わないの!?」


 精一杯の力をこめて睨みつける。

 グラッジの目は冷め切っていて、次に何をされるかと体が恐怖を訴える。


 知ったことか。何をされたって、引いたりするもんか。

 後悔は、後で悔いるから後悔と言う。先んじてそんなものに怯えてたまるか。


「あんたみたいなのの為にダメイアが罪を犯してるかと思うと、泣けてくるわ! その年で母親に甘えてるんじゃないわよ!」



 無言で喉を掴まれて壁に叩きつけられた。



 息が苦しい。頭が痛い。どこからか血が出ている気もする。

 それでも睨む目つきは緩めない。負けてたまるか。ここで引いたら、自分の心に嘘をつくことになる。

 ナイトと比べた後悔が、それ以下だと証明することになる。


 そんなこと、できるはずもなかった。

 グラッジは冷め切った瞳で見下ろしながら、クーアの喉を掴む手に力をこめて引き上げる。


「なめた口を叩くな、クソアマ。今すぐ殺してもいいんだぞ」


 言葉を発する余裕もない。口は息をしようと金魚のように開閉を繰り返すだけだ。

 言ってやりたいことはあった。ただ、物理的にどうしようもなく言葉にならない。

 だからせめて、精一杯睨みつけてやる。


 それが癪に障ったのか、グラッジはもう一度クーアの頭を壁に叩きつける。

 強すぎる衝撃が、クーアの意識を刈り取っていく。

 ぐったりとしたクーアを放り投げ、グラッジは洞窟から出た。


「おい! 誰かいねぇか!」

「はい、ボス! 何か御用っすか?」


 その声の不機嫌さを聞きつけ、手下がすっ飛んでくる。こういうときに遅れると、ボスは怒りの余り周囲に当り散らすのだ。

 手下を睨みつけ、噛み付かんばかりの勢いで命令する。


「あのクソアマを見張っとけ。起きて何か喋ったら殴れ。口を開かなくなるまでだ」

「え? あの、人質だから手を出しちゃまずいんじゃ――」



「――殺されてぇか?」



 立ち上る怒りに気圧され、手下は直立不動で頷く。

 グラッジは視線を切り、アジトに向かって荒々しく足を踏み鳴らす。


 不愉快極まりない。どうしようもない怒りが収まらない。

 この分は、あの騎士に責任を取ってもらうことにしよう。ただでは済まさない。こっちの気が済むまで殴り倒して、処刑するのはそれからだ。


 恐れ戦く手下達を睥睨し、グラッジはナイフに手を伸ばす。

 事が終わったら、あの女も殺そう。バラバラに切り刻んで、野犬の餌にでもしてやる。

 そう考えると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。


 今からもう騎士がくるのが待ち遠しい。

 仕掛けも何もいらない、そんなことをしてさっさと死なれても困る。数の絶対的優位は覆らないのだ、囲んで嬲り殺せばいい。

 絶望する顔を想像するだけで、ささくれだった気持ちが喜びに変わる。


 強い奴が弱い奴を支配する。

 貴族や騎士などより強い自分は、だから好き放題していいのだ。


 グラッジはほくそ笑みながら、アジトへ戻った。



 空は、ようやく藍色に移り変わろうとしていた。

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