第七十話 「旧市街」
――サラダを腹に詰め込んで、紅茶を断った後。
リデルが町長であるビエホに話を聞いている頃、クーアは当て所なく旧市街の町並みを眺めながら歩いていた。
町の人達から話を聞こうにも、どこから手をつけていいのか分からない。
こういう時は町長から話を聞くのが定番だが、そちらにはリデルが向かっているだろう。鉢合わせるのは勘弁願いたい。
話を聞く、というだけならダメイアでもよかったかもしれないが、なんとなく彼女に聞くのは躊躇われた。他に出来る事をやってからでも、彼女に聞くのは遅くない。
そう思うことの意味を、クーアは深く考えないことにした。
石畳なんてない道を、雑草を踏みながら歩く。同じジェローアの町のはずなのに、『川向こう』とこちらはまるで違っていた。
旧市街、と呼ばれるだけあって、古さが滲み出ている。『川向こう』では所々石畳で整備されているところもあったが、こちらには全くない。
剥き出しの土に、伸びきった雑草。手入れされているのは家の周りと大通りくらいのもので、少し脇に外れれば我が物顔で名前も知らない草が道端を占拠している。
ろくな栄養も何もないのに、しぶとく生き残る。そういう所は嫌いではなかった。
逞しく育つ雑草を見ながら脇道を突き進んで、一つ隣の通りに出る。
ダメイアの宿から出てすぐの大通りから脇道を挟んだ反対側。少しだけ傾斜しているような土の道。右には一応石造りの階段、左は緩く曲がった一本道。
左を道なりに行けば、多分大通りと合流して町の中心部に出る。町長の家は確かその近くだと聞いた気がするし、広場もあったはずだ。
右に進もう。そう決めた。
左側、町の中心部に背を向けて、石造りの階段に足をかける。
町を構成する木造の家々は古ぼけていて、所々ささくれのような何かが飛び出している。
繁盛した宿場町だけあってか、石造りの建物だってある。表面が剥げていて、欠けている箇所も幾つかあった。
主街道から外れたのは、確か三十年か四十年前だったはずだ。それだけ経てば、老朽化もするだろう。特に、手入れする人がいなくなれば。
石造りの階段を上りながら、ふと後ろを振り返る。
日は昇って、とっくに誰もが仕事をする時間。『旧市街』と呼ばれる町並みには、人の姿はまばらにしかなかった。
正面に向き直って、階段を上りきる。
当然だ。宿場町は、人が来るから繁盛する。街道沿いという好条件で、旅人や行商人が休もうとひっきりなしに訪れるから騒がしいのだ。
宿場町に住む人自体はそう多くない。加えて、もう何十年も前に主街道からは外れた。残る人もいるだろうが、同じくらい出て行く人だっている。
誰だって自分の生活と家族が大事だ。
町と心中しようと思う人はそう多くない。
ジェローアの町は、大きさに比して人の数が少ない。代わりに、空き家の数が多い。使われなくなった施設の数も。
ダメイアはふざけて言っていたが、本業である宿なんて真っ先に潰れる業種だ。訪れる人が多いからこそ宿というものはやっていける。主街道から外れた段階で、死に体になる。
それでも、酒場でなく宿屋であるという看板を下ろさないのは、
きっと、大事なものがそこにあるのだろう。
旦那さんとの思い出かもしれないし、ご両親の生きた証かもしれない。そこのところはわからないし、聞くだけ野暮だとも思う。
階段を上りきった場所にあったのも、階段下と変わらないジェローアの町並みだった。
主のいなくなった家と、倉庫か何かと思しき欠けた石造りの建物。人の姿はまばらにしかなく、その人達もクーアを見ては警戒と好機と不安と疑念を抱いた視線を遠巻きに投げつける。
話を聞くのも骨が折れそうだ、とクーアは思う。
階段を上った先を暫く歩くと、カン、カン、という特徴的な音が聞こえてきた。
何か硬いものを加工するような音。村ではそう聞く機会のない、木材を削る音だ。
音に足が引き寄せられていく。村では所謂大工という人はいない。言ってしまえば、皆が大工だ。
家の修繕は必要な時に男手を使ってやるものだし、新しい家だって村総出で作る。あえて言うなら水車小屋の番人でもあった川漁師のモリーノさんとか、あちこち手伝ってたナイトが大工代わりだろうか。ナイトは不器用だったけれど。
そのせいか、木材を加工する規則的な音はなんとなく好きだ。皆が集まっている証だし、何か新しいことが始まる予感がする。
音がだんだん近くなる。木の皮を削る、シュッ、シュッ、という音。あれをやらないと木材として使えないのだと聞いた。凸凹が残った状態だとうまく組み合わさらなくて強度が確保できないとか何とか。乾燥させて内部の水を蒸発させるのは、樹皮を剥ぐ前だったか剥いだ後だったか。そういう力仕事はやらないので忘れてしまった。
専門の大工がいるなんて、村とはやはり違うのだと思う。寂れてもやはり町は町だ。
年季の入った立派な木造の家の隣、屋根と柱だけがある開け放たれた場所から音はしていた。
屋根以外何もないから、視線を動かすだけで何をしているか見えてしまう。
そこには、実に気難しそうな顔をした中年男性と、もっと奥の方で木材を運ぶ年若い青年が数人いた。
大工の働く様など、村育ちの身ではそうお目にかかることはない。
興味深そうに眺めていると、中年男性がクーアに気づいたようにふと顔を上げた。
「嬢ちゃん、何してんだ?」
「あ、いえ。あの、ちょっと珍しかったもので」
眉を顰めて尋ねられ、思わず口ごもりながら応える。
何も悪いことをしていないはずなのに、どこか悪戯が見つかったような心地になってしまうのはどうしてだろうか。
働く手を止めて、中年男性がのっそりと近づいてきた。
「大工仕事が珍しいかい?」
「えぇ、まぁ、その。田舎出身で、あんまり見たことなかったんです」
嘘をついても仕方がない。恥ずかしい気持ちを堪えて正直に答えると、厳しい顔をした中年男性は微かに顔を綻ばせた。
笑うと、四角形の顔に少しだけ笑窪ができる。なんとなく可愛らしく思えて、頬が緩んだ。
「何なら見学してくか? 可愛いお嬢ちゃんに見られた方が若いモンも働き甲斐があるだろう」
「親方ァ! それは親方のことじゃないんですかい?」
「奥さんに言いつけますよ、親方ぁ~」
顎で奥を示す中年男性に、木材を運んでいた若い衆が野次り返す。
その顔は親しげな笑みに満ちていて、職場の仲の良さを窺わせた。
「うるせぇ! ガタガタ言わねぇと仕事しろい! 全く、最近の若い連中は口ばっかり達者でいけねぇや」
「図星突かれたからってそれはないっすよぉ」
「横暴すよ、横暴~」
「うるせぇっつってんだろ! ったぁく、本当にしょうがねぇ連中だ。で、どうするね、お嬢ちゃん?」
不満をあげる若い衆に怒鳴り返し、手を振って仕事に戻らせてから中年男性は振り向く。
小さく笑い声を零してしまう。
村でもどこでも、こういうところは変わらないらしい。年寄りと若者が仲良く喧嘩する様は、どこへ行っても同じなようだ。
自分が笑ったのをどう受け止めたのか、親方と呼ばれた中年男性は少し恥ずかしげに頬を掻く。
その様が良く知る人物に似ていて、自然と笑みが深まった。
「じゃあ、少し見せてもらっていいですか?」
「あぁ、構わんよ。適当に見てってくれ」
皺の刻まれた顔を苦い笑みの形に歪め、親方は仕事に戻る。
許可を貰ったので、言われた通り適当に加工場内を見て回ることにした。
親方が木材を削っている場所は、一応床が作られている。石造りで丈夫さが売り、といった具合だ。工具を落としても大丈夫なようにだろうか、と問うと、親方は笑いながら、そうだ、と答えてくれた。
奥に行けば、綺麗に四角く整えられた木材が幾つも並べられていた。若い衆はその木材が並べられている場所の隣にある小屋へと、まだ樹皮のついた木材を運び込んでいる。
聞けば、そこが乾燥させる場所ということらしい。切り倒してきた木は適度な大きさに切り分けられ、適当な場所に数日放置する。その後、その乾燥小屋へと運び入れて最後の仕上げをするとのことだ。
親方はそうして乾燥した木材を加工している。自分達も早く工具を使いこなせるようになりたい、と若い衆は意気込んでいた。
小屋の中の木材を入れ替えて、乾燥し終えたものは加工場に運ぶ。地味な作業だが、いい木材を作るには大事なことだと語られた。
自分の仕事に誇りを持っているのだろう。それは、実に良く分かる。
私だって、親から受け継いだ仕事には誇りがある。それは、親の名と意思を継ぐようなものだから。
自分が下手な仕事をすれば、親の名が傷つく。そう思えば、半端なことはできない。それが、親の仕事を継ぐということだ。
ふと思う。
もしかしたら、リデルもそうなのだろうか。
貴族だって、親の仕事を継ぐことに変わりはないだろう。リデルの親も騎士のはずだ。平民じゃないのだから、そうなると思う。
リデルもまた、同じように誇りをもっているから、ああしているのだろうか。半端な真似をしないように、きっちりと仕事を果たす為に。
誰に嫌われたって、職責を果たそうとして。
頭を振って同情的な考えを追いやる。それにしたって、やり方というものはあるはずだ。
治安維持が騎士の最優先事項だとして、町の問題を放置していいはずもない。いや、だからといって何が出来るわけでもないが。
皮肉にも、リデルのことを考えたお陰で尋ねる事を思い出した。
親方の仕事が一段落したところで、声をかける。
「あの、ちょっとお尋ねしてもいいですか?」
「あぁ、なんだ?」
首にかけた布で汗を拭き、厳しい顔のまま親方がこちらを向く。多分、真顔が険しいのだ。本人は特に睨んでいるつもりもないだろうが、きっと色んな人から怯えられたことだろう。
似たような人を知っているからか、引け腰になることもなかった。
ナイトの父も、同じように真顔が険しい人だったから。
「『川向こう』とこっちって、どうして仲が悪いんですか?」
そう口にした途端、空気が変わった。
親方の顔の皺がはっきりと深くなり、奥で木材を運んでいた若い衆が固まる。
汗を拭いていた布から手を放し、親方が厳しい目つきで睨んできた。
「……そうか。お嬢ちゃんが例の、騎士の連れか」
今度はこちらが固まる番だった。
例の騎士、とは間違いなくリデルのことだろう。こんなところにまで噂が及んでいたとは。
いや、これはどちらかというと意図的に情報が共有されている、というべきだ。
ダメイアに最初に話しかけられた時に感じたとおり、自分達はもう厄介事に巻き込まれているらしい。
そうでなければ、さっきまで普通に話してくれていた人達がこんな反応をするはずがない。
「……そうです。でも、彼は別に関係なくて、」
「分かってる。嬢ちゃんは悪い子じゃねぇさ。でも悪い、俺達からは何も言えねぇ」
弁明する口を塞がれ、何も言えなくなる。
無理に聞き出そうとすることはできたかもしれない。けれど、それをしてしまえば人の気持ちを無視するリデルと変わらない。
言いたくない、という人に無理に口を割らせるのは、果たして正しいか否か。
答えが出せなくて、口を噤むしかなかった。
「……まぁな。俺は別に、そこまで貴族を恨んじゃいねぇよ。世の中色んなことがある。何事も始まりがあれば終わりがある。木を相手にしてるとな、そういうのが分かるってもんだ」
さっきまで使っていた工具に手を置いて、親方が視線を木材に向ける。
そういえば、猟師のカサドルさんから聞いたことがある。森では木が道を教えてくれることがある、と。
木は生きている。そう言っていた。
親方の目に見えているのは、ただの木材か、命が果てた後の姿なのか。
「けど、そう思えない奴もいる。そういう奴が、俺の仲間にもいる。連中か仲間か、どっちか選べと言われたら……分かるだろ?」
そう言って振り向いた親方の目には、長年の苦労と寂寥感が滲み出ていた。
分かる。分かるから黙るしかなくなる。
仲間か他人か。言い方は酷いが、要はそういうことだ。『川向こう』の人達は、こっちの人達にとっては『仲間』じゃないのだ。
死に体の町に残った人達の絆は、多分自分が思うよりも深い。
人の心まではどうすることもできない。
仲間と思え、なんて人に言われて思うようなら世の中から争いなんてなくなっている。
自分だってきっと、村の人達か外の人達かと言われたら、村の方を選ぶ。
ナイトかリデルかならナイトだし、マギサかリデルかならやっぱりマギサだ。
ナイトかマギサなら――考えないことにした。
だから、親方の言うことは良く分かった。分かってしまった。
「……ごめんなさい」
「お嬢ちゃんが謝ることじゃねぇさ。こっちこそ悪いな」
親方は苦味の深い笑みを浮かべ、ぐっと伸びをした。
話は終わりの合図だと、言われなくても分かった。
「んじゃ、仕事に戻るわ。気が散るといけねぇから、見学はここまでだ」
「……はい。あの、」
どうにもならないんですか、と聞こうとしたのだ。
分かってる。
人の心はどうにもならないし、自分だって他人より仲間を選ぶ。
けれど、それでも。
きっとナイトなら、それでもどうにかならないかと足掻くだろうから。
彼の真似事をすると、決めたのだから。
親方に機先を制されて、その続きは言葉にできなかった。
「お嬢ちゃんは、早いとここんな町からはでてった方がいい。この辺にゃ野盗だって出て物騒だ。騎士様と一緒に、旅に戻んな」
きっとそれは、親方の精一杯の優しさだったのだろう。
突き放した物言いは、せめて未練を残さないようにとの配慮か。
「……はい」
それがなんとなく分かるから、頷くことしかできなかった。
再び木材を削る規則的な音を立てる加工場を後にして、当て所ない散策に戻る。
親方の言うことは尤もで、きっとそれがどこも波風立たない方法で、
後悔ばかりを残すやり方だ。
せめて納得はしたい。何もできないとして。
ダメイアがあんな寂しげな表情をすることに、納得したい。
仕方ないんだと、思わせてほしい。
せめてそれができるまでは、諦めたりするもんか。
そう誓って、歩く足に力を込めた。
後悔を、ずっとしてきた。ナイトが帰ってきたあの雨の夜からずっと。
だから、せめて。
せめて、今後悔しないようには生きたい。
自分勝手といわれたって構わない。誰かの為じゃない、自分が後悔したくないだけだ。
納得できるまで、諦めない。
他にも話が聞けそうな人がいないか、探す気力を奮い立たせた。
それから、何人かに話を聞いてみた。
街角のふくよかなパン屋さん。威勢のいい青果店の店主。井戸端会議中の主婦や、町外れで畑を耕す農家。他にも沢山。
誰もが、親方と同じような反応をした。
露骨にこちらを嫌ってくる人もいたし、最初から無視してくる人だっていた。
町で一丸となって、何かを守っている。私に言えば騎士に通じると、誰もが口を噤む。
ふと、どこかで似たような状態に思い当たるような気がした。
どうせやることもないし暇だから考えてみたら、すぐに出てきた。
私の村だ。
マギサとナイトが出て行った後の、村の中の光景。
リデル達騎士団相手に、全員でマギサとナイトの擁護をしていた。
私なんか思い切り敵対してビンタまでした。
覚えがある。町の人達から向けられた目は、かつて自分が向けた目と似ている。
リデルもあの時、自分と同じように途方に暮れていたのだろうか。
こんな、切ないような虚しいような気持ちを抱えていたのだろうか。
そんなことない、あのリデルがそんな殊勝なもんか。
そう思うけれど、一度考えしまったことはなかったことにできない。
ビンタしたことを後悔したことなんて今まで一度もなかった。
けれど、今少しだけ後悔に似た気持ちを抱いている。そこまでしなくてもよかったかな、なんて。
後悔したくないと思っていても、本当に難しい。
溜息を吐きながら、夕暮れに染まる町中を歩く。
何にもならない一日は、そうして暮れていった――
※ ※ ※
葉の隙間から漏れる月明かりは、足元を照らすにも心許なかった。
時折吹く風が木々の枝を揺らし、葉が擦れて音を立てる。闇の中にあって突如として鳴るそれは、人によっては恐怖の対象となるに十分だろう。
そんなものを何も気にせず足早に歩くダメイアの後を、リデルが静かに尾けていた。
本業に勝るとも劣らぬ尾行に、急いでいるダメイアが気づくはずもない。音を殺し、なるべく草を避けながら距離を取ってついていく。
腰に下げた剣を手で押さえて、リデルはじっとダメイアを見逃さぬよう見つめる。
予想はあたった。当たってしまった。
昼に休んだおかげで体力的にも問題ない。気を張り巡らせて尾行しても、まだ考える余裕さえある。
怪しいのは分かっていた。だから、尻尾を出さないかと部屋に戻った振りをして宿の裏手に身を隠したのだ。
松明を持ったダメイアが出てきたとき、あたりだと思った。どこかで誰かと密会するのだろうと予想してついてきたが、まさか森に来るとは。
てっきり、町の人間と落ち合うのだとばかり思っていたのに。
疑いようもない。こんな夜中に森の中に用事など、一つしか考えられない。
野盗に協力していた町の人間とは、ダメイアだったのだ。
ダメイア一人とも限らない。が、今はまだそれ以上は分からない。
ただ、ダメイアが協力者であることは確実だ。
森の中の尾行は身を隠す場所が多い分容易いが、音が鳴りやすい分困難である。だが、周囲を気にする様子もなく進むダメイアを尾けるのはそう難しくはなかった。
念の為、ダメイアの姿を見失わない程度に距離は開けてある。万が一にも気づかれる心配はない。
それはダメイアにではなく、
今まさに木々の奥から姿を現した、粗暴な男たちに対する警戒であった。
何事か話しているようだが、リデルの位置からは良く聞こえない。しかし、これ以上近づけば気づかれる危険性が高くなる。本業でもないリデルに、それほどの自信はない。
予想通り出てきた野盗団と思しき男達は、予想に反して周囲への警戒が雑だった。
少し拍子抜けしながら、それでもリデルは距離を詰めない。万が一にも気づかれたら厄介だ。重要なのは、ここから先なのだから。
少し焦っている様子のダメイアに、野盗達が妙に戸惑っている。
声が聞こえなくとも、読み取れるものはある。彼らの反応は、単なる『町の協力者』に対するものとは思えなかった。
どこかしらダメイアに遠慮するような空気がある。何を言われているのか知らないが、困惑しているのに邪険にする素振りもない。
つまり、ダメイアは彼らにとってある種の『賓客』であるということだ。
情報をくれる協力者だから、という理由は考えられなくはないが、二年近くも人を襲ってきた連中がそんなに殊勝だとも思えない。それに、それだけ一緒にやっていれば連帯感や仲間意識が芽生えてもいいだろう。
ダメイアに対する態度は、そういう馴れ馴れしいものは特になかった。それどころか、なるべく丁寧に扱おうとしているように見える。
予想していた通り、この件にはまだ自分が知らない何かがある。
それを無視して捕まえてもいいが、少なくとも今はまだ駄目だ。野盗団の全体像が掴めない以上、取り逃してしまう恐れがある。
出来れば一網打尽にしたい。その為には、もう少し情報が必要だ。
話し終えたのか、野盗達が森の奥へと戻ろうとしている。
腰の剣を掴む。
このまま奴等の後を尾ければ、おそらくアジトに辿り着ける。
こんな夜中だ、外に出ている奴もいないだろう。いたとして、アジトを制圧すれば戻ってきた所で叩けばいい。
尾行も問題ない。何を話したかは知らないがかなり気が散漫になっているし、見つかることもないだろう。距離を取りさえすれば、確実に尾けられる。
進もうとして、ダメイアがこちらに向かって戻ってくるのに気づいた。どうやら、一緒にアジトへは行かないらしい。
迷う。どうするべきか。
戻ったダメイアは、もしかしたら部屋を確認するかもしれない。
荷物を使ってベッドで寝ているように偽装はしたが、近づかれれば流石にバレる。
果たしてそこまでするかは分からないが、もしもそうなれば自分の行動を察されてしまう可能性が高い。
強引に決着をつけるしか、方法がなくなる。
ダメイアには何かしらの事情がある。それは、見ていれば分かることだ。
その全てを無視して、野盗団を捕まえるだけしかできなくなる。
それでいい、それで正しいはずだ。
人々の悩みを解決するのも騎士の務めとはいえ、まずは治安を維持することが先決だ。
野盗団を捕まえることが最優先。事情については、後程フォローすればいい。
野盗達にアジトに案内してもらって、その場の全員を取り押さえる。
それが、問題解決に一番近い道のはずだ。
深呼吸を繰り返し、
リデルは身を翻した。
機会はまだある。それに、アジトへ行くとも決まっていないし、そこが唯一のアジトだと決まった話でもない。
野盗団についてはまだ何も情報がないも同然だ。今攻めるのは早すぎる。
そもそも後手に回っているのはこちらの方だ。焦って先んじても、連中に逃げられる可能性を高めるだけだ。
今夜は十分な情報を手に入れた。野盗団についての情報は見込めなくとも、ダメイアについての情報なら聞けるかもしれない。
何かしらダメイアが彼らにとって特殊な存在であることは違いないのだ。そこから分かることもあるだろう。
今夜は、それでいい。幽霊野盗団とまで呼ばれた相手だ、もう少し慎重に攻めよう。
そう決めて、リデルはなるべく音を立てずに森から抜け出る。
周囲を警戒しながらダメイアの宿に戻り、壁をよじ登って二階の自室の窓に張り付く。
窓が閉まりきらないよう挟んで置いた棒を引き抜き、木枠の窓を押し開けて中に滑り込む。
まるで盗人みたいな真似だ。出来れば二度とはしたくない。
荷物を元の場所に戻して、ブランケットをかぶってベッドに横になる。
明日も昼の調査が振るわなければすぐに切り上げて、夜に向けて体調を整えよう。
心の中で呟いて、目を閉じる。
眠れるかどうかは、微妙なところだった。
結局眠りにつけたのは、予想通りダメイアが確認しに部屋を訪れてからだった。
※ ※ ※
クーアが起きて階下に向かうと、すでにリデルが起きて食事を摂っていた。
これで二日連続だ。今日も起きるのが少し遅かった自覚はクーアにもある。
寝る前に思い返していたことが原因だろうか。やたら疲労感が襲い掛かってきて、意識をもっていったことは覚えている。
「おはようございます」
「……おはよう」
素知らぬ顔で挨拶してくるリデルに返し、クーアは一つ分席を空けて座る。
昨日より一つ分近い位置。それに気づいているのかいないのか、リデルは何の反応も示さなかった。
クーアは横目でリデルの顔を盗み見る。何か考えているのか、真顔でじっと虚空を見つめている。
何か話そう、と思う。思うのがいいが、話すことが思いつかない。
昨日自分が何をしたかとか、絶対話したくない。かといって、別にリデルが何をしたかも興味がない。
聞いても多分、不愉快になるだけだろうと思う。いい話題が思いつかない。
どうしたものかと悩んでいる内に、カウンターの奥からダメイアが食後の紅茶を持って出てきた。
「お待ちどうさん。あら、おはようさん。今日も良く眠れたみたいで嬉しいよ」
「……お陰さまで。サラダ下さい」
リデルに紅茶を配膳して、ダメイアはクーアを見て小さく笑う。
皮肉にも取れる言葉を聞き流し、クーアは昨日と同じメニューを注文した。
「あいよ、御代は騎士様もちで?」
ふざけた様子で尋ねてくるダメイアに、クーアは即答できなかった。
揺れる視界にリデルを捉え、どうするべきか尋ねるような目線を向ける。
リデルは、クーアの方を見向きもしなかった。
「はい、それで! あと、なんか適当なスープもつけてください!」
「まいどあり~」
喉奥だけで笑って、ダメイアがカウンターの奥、厨房へと引っ込んでいく。
ようやっとリデルがクーアの方を振り向いて、
「昨日より量が多いですが、大丈夫ですか?」
「昨日沢山歩いたからおなか減ってんの! 悪い!?」
「いえ、ならいいです」
特に興味もなさそうに話が打ち切られ、またもクーアは苛立ちを重ねる羽目になった。
席一つ分。昨日よりもリデルの顔が良く見えて、それが腹立たしい。
どうしてこう、こいつは悉く人の思いを外してくるのか。
鈍感なのか、それとも何も気にしてないのか。多分両方だと思う。何故なら、よく似た人物を知っているから。
ナイト。
あいつのそういう子供のころからの嫌な所と、実によく似ている。
他人に気を使うくせに、他人が自分を気にしてることには気づかない。肝心な所で気づいてくれないくせに、人を思いやることだけは一丁前。
何を言われてもされても黙って受け入れて、自分がどれだけ嫌な目にあっても仕方ないで済ます。
そういうところが、昔っから苛々するところだったのだ。
そういうところに助けられてきた自分が言えることではないかもしれない。が、それはそれ、これはこれだ。
何か話してやろうと思った自分が馬鹿らしく思えてくる。
知ったことか、何も話してやるもんか。
そう決めた所で、リデルから話しかけられた。
「少し、いいですか?」
「……何?」
出来る限り不愉快だと主張する声音で返し、じろりと隣を睨む。
椅子一つ分向こうにいるリデルが、どこか遠慮するように口を動かしていた。
珍しい、と思う。
リデルが話しかけてくる時は、用事がある時だ。だから、遠慮とかそういうのはしない。短く用件を伝えて終わり。それがいつもだったし、そういう人間だと思っていた。
こいつでも、言いよどむ事があるんだ。
クーアの中に生まれた新たな認識は、席一つ分、心の中の距離を近づけた。
「ダメイアさんのことなんですが。何か、彼女と話したりしましたか?」
「は? 何?」
いきなり何を言うのか。
ダメイアについて知りたい、ということだろうが、どんな風の吹き回しだろうか。
意図が掴めずにいると、リデルが唇を舐めて続きを口にした。
「彼女は一人で宿を切り盛りしているみたいですが、ご家族とかはいらっしゃらないのでしょうか?」
「……何のつもりか知んないけど、いないよ。旦那さんに先立たれて、息子は騎士になるって家を出てったんだってさ」
突然何を言い出すかと思えば、今更そんなことが気になったのか。
確かに、ずっと一人だから何か妙だと思うのは無理からぬことだと思う。
それに、実際ダメイアの息子の話はしてみたかった。
ナイト達の一件でリデル達が村で話を聞いて回ったとき、ナイトの話をした村人は多い。
彼が騎士を目指していたことを、リデルは知っているはずだ。
ナイトと境遇だけは似ているダメイアの息子の話をすれば、何か反応があるかもしれない。
そう思って顔色を窺えば、思ったのとは違う表情をしていた。
眉根を寄せて何事か思慮しているようで、期待していた驚愕の表情ではなかった。
「……他には、何か?」
「そんなこと言われたって、私も来たばっかりだし。町の人に聞いてみたら?」
多分無理だろうと思いつつ、適当な言葉を放り投げる。
リデルはそうですね、とだけ言って暫く考え込み、サラダが届くのとほぼ同時に紅茶を飲み干して宿から出て行った。
ダメイアと顔を見合わせて溜息をつき、サラダとスープを胃に詰め込む。
「騎士様はお忙しいねぇ」
「いつもあんなんです。こっちが聞かなきゃなーんにも言わないんだから」
「あんたも大変だ」
「全くです」
フォークを刺したサラダを頬張りながら、深く深く頷いてみせる。
カウンターの中を整理するダメイアを横目に、文句と一緒に野菜を噛み砕いた。
ダメイア相手に愚痴るのも躊躇われる。これがもしナイトの母だったら、いつまでだって愚痴るのだが。
そしてきっと最後に、「すっきりしたかい?」なんて言われるのだ。
口の動きが止まっているクーアに、ダメイアから声が飛んできた。
「そういや、お嬢ちゃんも出かけるのかい?」
「えぇ。あー……今日は一応、怪我人の様子を見に行こうと思って」
一瞬迷ったが素直に言うことにした。別に隠すことでもない。
『川向こう』の方の話を出すのはどうかと思ったが、元々ダメイアには薬を分けてもらうのを手伝ってもらったのだ。今更気にするほどでもないだろう。
「そうかい。無事だといいね」
「大丈夫だと思います。命に別状はありませんでしたから」
そうかい、ともう一度口にしたダメイアの顔は、心底安心しているように見えた。
どこかしら違和感を覚える。昨日の親方の話で、『川向こう』を心底嫌っている人ばかりでないことは分かった。
けれど、初めて会った橋の上でのダメイアは、『川向こう』を嫌っているように見えた。なのに、『川向こう』で治療されている人の容態を聞いて安心するのか。
まるで、何かしら関係者でもあるかのように。
嫌な想像が頭をよぎる。
もしかして、野盗の協力者はダメイアではないのか。
だから、朝っぱらからリデルは彼女について聞いてきたのではないか。
小さく首を振って追い出し、サラダを口の中にかきこむ。
スープで流し込んで、乱暴に朝食を終えた。
「ご馳走様でした! じゃ、行って来ます!」
「おやまぁ、お嬢ちゃんも忙しないね。いってらっしゃい」
苦笑するダメイアに軽く手を振って、宿から外に出る。
いたたまれなくなって出てきたはいいが、流石にこんな朝から診療所に行くのもどうかと思う。
少し時間を潰して、昼前になってからでいいだろう。それまでに、昨日と同じように誰かに話を聞いてみよう。
多分、昨日と一緒で何の成果もないだろうけれど。
宿の前の大通りを歩く。道端に雑草の生えた土の道は、昔は整備されていたのであろう跡が少しだけ窺える。
地面を見つめながら足を動かせば、ふと影が差し込んできた。
顔を上げると、先日薬を分けてくれた医者のおじさんがいた。
年齢はダメイアより少し上、くらいだろうか。
あの時薬をもらってから、一度だって会っていない。
そのおじさんが、頑固そうな顔を無理やり笑みっぽい形に歪めて声をかけてきた。
「久しぶりだな。今時間いいか?」
「えぇ……大丈夫ですけど」
頷くと、おじさんはほっとしたように息を吐いた。
「確かお前、薬師だっただろう? すまんが、ちょっと手伝ってくれんかね」
「はぁ、いいですけど」
唐突な申し出を怪しむ気持ちがなかったわけではない。だが、薬師として助力を請われて断るのも気の引ける話だ。
なんとなく不審なものを感じながらも、クーアは医者の後をついて歩いた。
通りを過ぎ、脇道を歩き、帰り道を少し忘れそうなくらい歩いて、以前にも来た事のある診療所へと着く。
薬を貰いにダメイアときたのは、二日前だったか。あの時も思ったが、いわれなければ診療所とは分からない。
「まぁ、中へ入ってくれ」
「……お邪魔します」
言われるままに扉をくぐって中に入る。
先導するおじさんに続いて診察室と思しき広い部屋に案内され、
見たこともない、如何にも粗暴な外見の男達がいた。
「初めまして、騎士様のお連れのお嬢さん」
先頭の男が軽く手を上げるのを見た時、クーアはようやく自分が騙された事に気づいた。
その日、クーアは夕方になっても宿には戻らなかった。




