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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第二部・追う二人
70/85

第六十八話 「二つの町」

 ノーヴィの屋敷を出て、リデルは茜に染まる空を見上げた。

 血のような、というには少し薄い色。どちらかといえば、焚き火の色合いに近い。


 使用人と一緒に見送りに出てきたノーヴィが、気遣わしげに声をかける。


「騎士様、お気をつけて。部屋の用意はさせておきますので」

「ありがとうございます。では、また後程」


 腰の低いノーヴィに一礼して、リデルは歩き出す。


 必要な話は大体聞けた。

 ジェローアの町は、今現在二つに別たれている。正確には、暗黙の了解で区分されている。

 かつて宿場町だった頃からある川を隔てた『旧市街』と、主街道が変わった後に出来たノーヴィ達のいる『川向こう』の二つだ。

 ノーヴィ達としては、区分する気はない。しかし、『旧市街』の人々が執拗に『川向こう』と言うものだから、対抗心が芽生えてそう呼ぶ人も出ているのだという。


 事の発端は、一人の貴族だった。

 主街道から外れて意気消沈する町の人を横目に、保養地を作ろうとしたらしい。確かに元宿場町だけあって交通の便はそう悪くないし、北西よりだけあって王都よりは涼しい。

 宿場町としての機能を失っていたから、貴族間では文句もでなかったのだろう。町に寄り添う川の反対側に、町の住民の許可も得ずに作り始めた。


 新たに立ち上がろうとした町の人達にとって、貴族の行動は心底身勝手に見えたらしい。自分達で作り上げた町をこれ以上貴族の勝手にされてたまるかと、町の住民全員で激しい抗議活動を行った。

 結果、貴族は保養地を作るのを諦めて退散。半端に整地されて残った土地を捨て置くのも勿体無いと、当時貴族と町の間を取り持っていたノーヴィの父が買い上げた。


 そして作られたのが、今ノーヴィが領主代わりを務めている『川向こう』ということだ。

 『旧市街』の人々からすれば、せっかく貴族を追い払ったのにその関係者が居座っている、ということになる。ノーヴィもその父もあれこれと交渉を重ねてきたが、心理的なものばかりはどうすることもできなかった。


 ジェローアに来る行商人や旅人は、ノーヴィやその父の知り合いが殆どだ。考えてみれば当然で、主街道を外れて宿場町に用のある人間はそう多くない。なので、基本的に彼らは『川向こう』としか取引をしない。信用のない相手と取引をする商人はいないだろう。まして、自分達と懇意にしている相手を嫌うような人々とは。

 しかし、それがどうにも火に油を注ぐ結果になっているらしい。『旧市街』の人々の嫌悪感は何年経っても薄れることはなかった。

 そして、今からおよそ二年前。初の野盗による襲撃が確認された。


 以降、時折ジェローアに来る行商人や旅人を襲っている。大体は荷物だけ取って、命までは取らない。だからこそ、彼らについての情報も多少はある。

 襲うときはいつも森から。姿は殆ど見せない。見せたとして、顔もわからない。

 声からして男なのは間違いないが、それだけ。体格はそれなりにいい。単独犯ではない。

 そして、狙われるのはいつもノーヴィ達と取引をしている行商人だけ。


 二年近くも襲われて、分かるのはこれだけ。

 リデルからすれば、十分な情報だった。


 一つ不可解な点があるとすれば、町を出た行商人だけを襲えば自分達の存在をもう少し長く隠し通せたかもしれないのに、何故それをしないのか。

 その理由だけがやや疑問だが、それ以外については大体理解できた。



 間違いなく、町の住民に野盗の協力者がいる。



 それもおそらく、『旧市街』の住民だ。ノーヴィ達には動機がないし、何より損するばかりで得がない。

 個人的な事情で手を貸している者がいる可能性はあるが、ひとまず置いておいていいだろう。


 町に来る行商人を殺さないのは、ただの物盗りとして騎士団に本気を出させない為だろう。人を殺せば、騎士団とて本気で数を投入して追い詰める。

 他に理由がありそうな気もするが、今は分からない。ともあれ、賢しい連中であることに違いはない。


 町から情報を得ていると考えれば、襲撃の手際のよさも納得できる。騎士団から逃げるのだって、ノーヴィが騎士団に依頼した時から準備を始めれば不可能ではないだろう。

 怨念の正体は、町の確執が生んだ嫌悪の産物だ。


 ただ、それはいいとして。

 どうやって野盗と渡りをつけたのか、は未だに謎である。

 その部分が解けないことには、軽々しくどうだと言う事もできない。だから、ノーヴィには調査が必要だとしか答えなかった。


 『旧市街』の調査を、行う必要がある。

 賢しい野盗共が、果たして町の人間を信頼するのか。獅子が兎と組むようなものだ。普通、それは考えられない。

 何か、ノーヴィ達の知らない事情がある気がしている。それを知るには、『旧市街』に自ら出向く他ない。


 騎士団の応援を頼みたい所だが、残念ながら連絡手段がない。ノーヴィ達に頼むこともできたが、その動きはすぐに野盗団に察知されるだろう。

 一歩遅れている状態で、相手の動きを誘発するのは危険だ。取り逃がす可能性が高くなる。応援を頼むとしても、相手に先んじることが出来てからがいい。


 何にしても、とりあえず今は『旧市街』の調査とクーアとの合流を優先すべきだ。

 『旧市街』の人間と野盗が繋がっているとすれば、町中とて油断できない。


 宿も、少なくとも彼女はノーヴィの屋敷で休んでもらう。既にノーヴィには頼んである。

 調査に連れ歩けない以上、今町中で最も安全なのは彼の屋敷だ。


 そう決めて歩き出したはいいが、診療所には彼女はいなかった。

 散歩をする、といって出て行ったらしい。内心の僅かな焦りを噛み殺して、礼を言って外に出た。

 行き先の予想なんてつかない。ただ、最悪の想像だけはあった。

 出来れば外れているよう願いながら、町を二分する川にかかる橋に向けて足を進める。


 もしかして、『旧市街』に行っているのではないか。

 自分が騎士であることはとっくにバレているだろう。その連れであるクーアに、奴等がちょっかいをかけない保証はどこにもない。

 自分に嫌気が差す。状況的に仕方がないと理性は訴えるが、それで少しでも胸がすっとするならこんな気持ちにはなっていない。


 そう納得できるなら、クーアなんて連れて来なかった。


 最近、理性と感情が乖離してきている気がする。『彼』を相手どる為に彼女が必要だと思ったが、巻き込むことに躊躇がなかったわけでもない。

 旅は安全とは限らない。まして騎士の自分は、悪党から散々に恨まれている。それに、彼女は村唯一の薬師だ。彼女の穴を埋めるのに、他所の村の薬師にまで迷惑をかけた。

 分からなかったわけでもないのだ。けれど、団長に許可をもらってまで連れてきた。


 理性と感情の、妥協点だった。

 そんなことをしたのは、父に騎士としてのあり方を問われた九年前以来だ。


 理性も感情も満場一致で、正しく在り続けてきたはずだった。

 それなのに、今もこうして自分の所業を振り返って問うてしまっている。


 クーアを無理にでも付き合わせればよかったか。けれど、そうする理由はあの時にはなかった。半ば自分の我侭で連れてきた相手に、更に何かを強いるほど傲慢なこともない。

 でも、一緒にいればこんな状況は防げた。


 結果論と事実が混ざり合って、胸の奥で渦を巻く。

 渦を巻く間にも歩く。段々小走りになって、次第に駆け出そうとして、


 クーアがいた。


 予想通りと言うべきか、向かおうとした橋の方から歩いてくる。

 走ろうとした足を段々遅くしながら、彼女に近づく。

 どうにも何やら悩んでいるような顔で、こちらに気づくと一層変な顔をした。


「探しました。どちらへ行かれていました?」

「……ちょっと、橋を渡った向こう側にね」


 クーアの顔は沈んだままで、リデルの眉が顰められる。

 やはり、何かしら手出しされたのか。それにしては、やけにすんなり戻ってきた。

 悩んでいるような表情の理由も分からない。

 一つ息を吐いて、聞くべきことをまとめた。


「向こうで、何を?」

「何、って言われても困るんだけど……あー、その、うん……ねぇ、あんたさ、」


 上目遣いに見てくるクーアに、リデルが片眉を上げる。

 山ほどの聞きたいことを飲み込んで、クーアの言葉に耳を傾けた。


「今日の宿って、もう決まった?」


 いきなり何を言い出すのか。

 発言の意図が掴めず、リデルは黙ったままクーアを見下ろす。

 困ったように苦笑する様は、とても何かをお勧めしているようには見えない。

 何かあるのは、子供でさえ分かる。ただ、その中身までは推し量れない。


 ただ、なんとなく直感していた。

 『旧市街』の人に関係するような、しかも面倒な何かだ、と。


「私はまだです」


 あえてそういう言い方をした。

 下手な情報を与えて混乱させても仕方がない。相手の欲する端的な事実だけを与えて、先を促す。

 騎士団で習った、基礎的な話術の一つだ。

 クーアはほっとしたような、更に悩みが深まったような顔をして目線を下げた。


「あー、の、ね……ちょっと、その、宿をお勧めされたんだけど……」

「向こう側の?」

「うん……まぁ、ほら、なんかその、悪いとこじゃなかったしさ……どうしよっか、今日の宿はそこにする?」

「構いませんよ」


 口ごもりながら言うクーアに、リデルは即答する。

 まさかそう返されるとは思っていなかったのか、クーアが反射的に驚きに染まる顔でリデルを見上げた。

 真顔のまま、リデルはクーアを見下ろして指を立てた。


「ただし、条件が二つあります」

「条件?」


 首をかしげるクーアに頷いて、


「まず一つは、何があったか話してもらいます。歯切れの悪い貴女を見て、何もなかったと思え、というのは無理ですよね?」

「あー……まぁ、うん」


 クーアが頷いたのを確認して、リデルは二本目の指を立てる。


「二つ目は、泊まるのは私だけです。クーアさんは、別の場所に泊まってもらいます」

「……それは、んー、難しい、かも」

「何故ですか?」


 問うリデルに、クーアは眉を寄せながらやや調子の落ちた声で言う。


「私も泊まる、って言っちゃったんだよね。約束破るのはちょっと……好きじゃない」


 目線を下げるクーアを横目に、リデルは臍を噛む。

 この後の話次第ではあるが、聞く限りの状況でいきなりクーアだけ別の場所に泊まるなんて言えば、相手は警戒するだろう。


 自分がノーヴィの屋敷に行ったことくらい知っているだろうし、そこでクーアだけ逃がすような真似をすれば野盗との関係性に気づいていますといっているようなものだ。

 連中がどういう行動に出るかは分からないが、決していい方向には転ばないだろう。


 まず、『分からない』事自体が問題だ。奴等が何をするにせよ、後手に回る羽目になる。

 いざとなれば、クーアと一緒に泊まるしかない。となると、調査に出ている間はどうするか。ある程度クーアに話して自ら警戒してもらうべきか。


 それとも。



 それとも、いっそ何も話さず、クーアを囮に使うか。



 考えた自分を心の中で殴り、『旧市街』に行く前に出来る限りの説明をしようと誓った。

 調査に同行してもらうことも考えたが、それはそれで問題がある。

 なら、連中も町中で騒ぎを起こさないことに賭けて自分で警戒してもらう方がいい。少なくとも、ノーヴィに聞いた限り今まで町中で事が起こったことはない。

 対策がどんどん後手に回っているが、現状で最善手を打ち続けるしかない。


 現実を生きているのだ。

 現実の上で、理想に近づくべく最も良い手段を選び続けるしかない。


「分かりました。ともかく、一旦診療所に戻りましょう。話を聞かせてください」

「あ、うん、分かった。最初から?」

「えぇ。別れてから何があったか、お願いします」


 頷いて、クーアは診療所に向けて歩きながら話し始める。

 その隣に並んで、リデルは黙って耳を傾けた。

 この話が何かしら、問題の解決の糸口となることを期待して。



 調子の悪そうなクーアの隣は、どうにも居心地が悪かった。



  ※             ※               ※


――狐を思わせるつり目と細長い面立ちの中年女性が、クーアを橋の上から手招きする。


 さっさと断って戻ろう、とクーアは決めた。

 町の事情も何も知ったことではない。そういう面倒な話は全部リデルに回してほしい。

 少なくとも、クーアはどちらの味方をするつもりもなかった。


 早く戻って薬を作ろう。そう思って口を開くと、


「そういえば、そっちには怪我人が運ばれたんだってね? 薬はどう、足りてるかい?」


 中年女性に機先を制された挙句、痛い所を突かれた。

 もしかして、この女性は何もかも分かってて言ってるんじゃないのか。


 なんだかリデルを相手にしている時のような奇妙な不快感を覚えながら、クーアは中年女性の顔を見上げる。

 身長でいえばクーアの方が若干高いのだが、橋の上にいる以上位置的にそうなってしまうのだ。


 クーアは、人に見下ろされる、というのが嫌いだ。

 身長が高くてよかったこととしては、物理的に見下ろされることが少ない、というのがあげられる。

 だが、それより何より精神的に見下ろされる方がずっと嫌だと、旅に出てから改めて理解した。


 目の前の中年女性もリデルもそうだが、自然に人を見下すような人間は苦手だ。

 それはただ単に相手より優位に立とうとしているだけだが、クーアにしてみればどっちでも同じことだった。


「……何が、仰りたいんですか?」

「いやね、何なら薬を融通しようかと思ってね。うちらの医者は少し頭が固いけど、私から頼めばくれると思うよ。どうするね?」


 つまりは、薬をやるから言う事を聞け、というわけだ。

 実に業腹な交換条件ではあるが、背に腹は変えられない。


 父から教わった薬師として最優先すべき事柄は、患者の治療と回復だ。

 その前には、多少のプライドなぞ紙くず同然である。

 一つ息を吐いて、クーアは頭を下げた。


「お願いします。少しでいいので、分けて下さい」

「頭をお上げよ。何もそんなことして欲しくて言ったんじゃないさ。ほら、おいで」


 顔を上げたクーアを手招きして、中年女性は身を翻す。

 他にどうしようもなく、クーアは川を渡る橋に足をかけた。


 何か、決定的なものを踏み越えた気がする。

 気のせいということにして、中年女性について橋を渡った。


 それにしても、『川向こう』という言い方は何だろうか。女性の口ぶりから、決していい意味でないことは良く分かったが、つまり対立でもしているのだろうか。

 二つの診療所に交流がないのは、さっきの話で確定してしまった。何の為に二つあるのかと思っていたが、要は互いに干渉しない為だ。


 薬師として、余り気分のいい話ではない。

 が、村の一員として、そういった話が珍しいものでないことも良く知っていた。


 田舎の村なんて、独立独歩の気風が強い。だから、余所との付き合いも仲の良し悪しでほぼすべてが決められる。

 この町もまた、ある意味似たようなものだろう。そう思えば、納得できなくはない。


 女性について、橋を渡りきる。

 大人しく後ろをついて歩けば、周囲から好機とも不審ともつかない視線が浴びせられた。

 おそらく、目の前の女性がいなければ針の筵になっていたことだろう。


 居心地の悪さを感じながら、中年女性の背中を見やる。

 顔も細いが、体も細い。痩せた体は十分な食事をとっているのか不安になるくらいで、ナイトあたりが掴めばぽきりと折れそうだ。


 橋の上にいたときのような威圧的な空気は、今は感じない。

 話しかけようとして、そういえば名前も知らないことに気づいて口ごもる。


「あの、」

「ダメイアだよ。何か用かい、お嬢ちゃん」


 声の抑揚だけで意図を読み取られ、クーアが驚いて一瞬足を止める。

 気づいた中年女性――ダメイアが振り返り、苦笑してみせた。


「これでも客商売だからね。ある程度察せないとやってられないさ。ほら、もうすぐ着くからしっかり歩きな」


 正面に向き直り先を歩くダメイアに続いて、クーアも足を動かす。

 町の人々の視線には慣れないが、気にしても仕方がないと割り切った。

 ダメイアの背に、先程したかった質問を投げかける。


「ダメイアさんは、どうしてこんなことをしてくれるんですか?」

「言っただろ? うちに泊まって欲しいって。最近お客もめっきりでね。もう、今は宿屋ってより酒場になっててね。たまには、本業に戻りたいのさ……ほら、着いた」


 『川向こう』に比べれば明らかにくたびれた様子の建物の前で止まり、目線で示す。

 言われなければ診療所とは気づかなかっただろう。そのくらい、普通の家だ。

 クーアは足を止めて建物を見回し、改めてダメイアに向き直る。


「ありがとうございます。でも、騎士様を連れてこれるかは分かりませんよ」

「そうかい。出来れば、きて欲しいけどねぇ」

「……どうしてですか? 貴族が嫌いみたいですけど、なら騎士も嫌いなんじゃ?」


 ダメイアの目を見て、クーアが問う。

 最初に会った時、『貴族がやったバカ』と言った。

 どう考えても貴族に良いイメージを持っている人間が発する言葉じゃない。


 ダメイアの口元に、薄く笑みが浮かんだ。

 それは、自嘲しているような、呆れているような、どこか疲れ果てた笑みに見えた。


「息子が一人、いてね。旦那がとっくにおっちんじまったから、たった一人の家族さ。それが、騎士になるんだって出て行った」


 びくり、とクーアの肩が震える。

 話の中身に、思い当たる節が有り過ぎた。


 ダメイアとは何の関係もないはずなのに、頭の中を彼の事が過ぎって酩酊する。まるで彼の事を言われているような感覚は、紛れもなく気のせいだ。

 すぐに正気に戻り、瞬きを繰り返す。


 ――いるんだ、ナイト以外にもそういう人。


 意識が持ってかれている内に、ダメイアが続きを話していた。


「随分と前の話さ。だからってわけじゃないが、騎士様と会ってみたくなってね。お若いんだろ? 息子と多分そう変わらない年だと思うよ」


 そう言って笑うダメイアの顔は、余りに苦味が強すぎて笑顔とは言い難い代物だった。

 ふと、ダメイアの顔が村に残してきたナイトの母親の顔と被る。


 どこも似ていないのに、おばさんの方が絶対優しい顔をしているのに、どうしてかそんな幻覚を見てしまった。

 少しだけ早くなった鼓動の音を鎮めて、クーアは上目遣いにダメイアを見上げる。


「似てませんよ、きっと」

「だろうね。息子は旦那に似て乱暴者だから。お優しい騎士様とは似ても似つかないよ」

「いいんですか、それで」

「いいも何もないよ。ただ、本業に戻るついでに少し感傷に浸ってみたかったのさ。でも、無理なら仕方ないねぇ」


 そんなことより、とダメイアは話を切って民家にしか見えない診療所を指し示す。


「薬、もらってこようか。こんなおばさんのつまんない話を聞いてくれた礼、ってことでいいよ」


 肩をすくめて苦笑し、おどけてみせる。

 その顔を見つめながら、クーアは胸の内を手探りでかき回す。


 納得できない気持ちは、ある。最初の態度はなんだったのかと、文句を言いたい気持ちもある。未だに信頼できない人だとは思うし、さっきの話だって口からでまかせかもしれない。


 けれど、心のどこかが悲鳴を上げていた。

 そういうのに従おうと、もうずっと前に決めたのだ。


「話をするだけなら、できますけど」


 小さく放り投げるように言うと、ダメイアが少し驚いた顔でクーアを見やる。

 その視線がどこか居心地が悪くて、クーアは顔を逸らして再び診療所を見上げた。


「いいのかい?」

「話をするだけですから。騎士様にどーしろこーしろなんて言えませんし。そこからどうなるかは、私は知りません」


 そう言い捨てて、診療所の玄関に向かう。

 なるべくダメイアの顔は見たくなかった。期待する顔をされても、期待しない顔をされても、どっちでも後悔する。

 現に今、言わなきゃ良かったと少し思ってしまっているのだ。


 この町が何か怪しいのは分かってて、どちらかといえば今いる町の人達の方が向こうよりめちゃくちゃに怪しい。

 自分に向けられた視線も、向こうよりずっと寂れた様子も、警戒するには十分な要素だ。

 きっとそれはリデルだって分かってて、絶対こんな話を持っていったらまた馬鹿にされるかため息を吐かれる。


 見下されるのは嫌いだ。

 その原因を自分から作るのは、全く持って阿呆としか言いようがない。


 ナイトが移ったかな、と我ながら思う。

 それでも、言わなければきっとまたあの時みたいに後悔するに決まっていた。

 正しいかどうかではなく、心に従うと決めたのだ。


 見下されるのくらい、我慢しよう。

 というか、されたらキレよう。


 そう胸の内で呟いて、診療所の扉を叩く。中から返事が来るまでにダメイアにきてもらおうと振り返って、



 酷く悲しそうに笑うダメイアの顔を見てしまった。



「それでいいよ。ありがとうね」


 そう言って、ダメイアはクーアの隣まで歩いて、中に向かって声をかけた。

 胸に渦巻く感情を、クーアは上手く整理できなかった。


 ただ、



 自分が何か、決定的なものを踏み越えさせてしまった気がしていた。



 出てきた頑固そうな医者のおじさんから、向こうで足りない分の薬を分けてもらった。

 ダメイアの宿までの道を教えてもらいながら、どうにも処理できない気持ちをもてあまし続けた。


 心に従った、はずだ。

 でも、その為に必要なことを、クーアはすっかり忘れていた。



 正しさを置き去りにするには、覚悟が必要なのだということを――



  ※            ※             ※


 『川向こう』の診療所に分けてもらった薬を渡し、ノーヴィに宿を『旧市街』で取ることを伝え、リデルとクーアは橋の前まで来ていた。

 少し足を止め、思わずクーアは溜息をついてしまう。


 慌てて口を閉じ、見られていないかと横目でリデルの様子を確かめる。

 騎士様はこちらを見もせずに、


「この先ですか?」

「そう、この先」


 端的な質問に端的に答え、会話はそれで終わった。

 見上げれば相変わらずの真面目ぶった顔で、何の感慨もなさそうに橋に向けて足を踏み出していた。

 そういうところが気に食わないのだと思いながら、同じように足を踏み出す。


 茜の空は終わりを告げ、藍色に染まる。本来なら診療所で薬を作るはずだったから、もう少し遅くなる予定だった。

 分けてもらった薬を渡すと、これだけで十分だと遠慮されてしまったのだ。だから、考えていたより少し早く出向くことになった。

 クーアにしてみれば若干不満であったが、旅はどこで薬が必要になるか分からない。無理に押し付けるものでもなく、薬は荷物の中に納まることとなった。


 次いで屋敷へ行き、ノーヴィという商人に事情を説明した。といっても、クーアは後ろで見ていただけで主に話したのはリデルだが。

 やり手そうな見た目に反して真摯に心配していたみたいだが、町中で何もないだろうとリデルが言うと納得したのか送り出してくれた。ただ、馬だけは連れて行けないので預かってもらったが。


 結局の所、二人揃ってダメイアの宿に泊まることになった。

 なんだか、今日一日でリデルに随分と借りを作ってしまった気がする。


 てっきり溜息でもつかれると思ってダメ元で言えば即答されるし、具体的な話をすれば何やら考え込んだ挙句に一緒に行こうと言うし。

 なんだかこちらの言い分ばかりが通り過ぎて、どうにも居心地が悪い。


 そりゃ、こいつにもこいつの思惑があるのだろうけれど。

 横目で隣のリデルを見上げながら、小さく嘆息して橋の上に足を乗せる。


 最初の時も思ったが、この橋を渡る時はなんだか境界線を踏み越えたような気分になる。

 多分、町の雰囲気がそう思わせるのだろう。


 あんまり好ましい雰囲気ではない。故郷の村はそりゃ田舎である程度閉鎖的ではあったが、それでも誰かを拒絶したりといったことはなかった。

 この町は、たった川を隔てた少しの距離しかないのに、橋の向こうとこちらで拒絶しあっている。


 この町の住人でもない身には関係のない話だ。

 そういう話ではあるが、なんとなく気になってしまう。

 やはり、ダメイアの話を聞いたのが原因だろうか。情に流されやすい自分が少し嫌になる。

 情を切り捨てる自分はもっと嫌だが。


 隣を見上げれば、リデルはどうということもない顔で橋を渡っていた。

 つくづく無神経な男だ。自分から町の問題に首を突っ込んどいて、そこには一切興味はない、というような顔をする。

 診療所で話したときもそうだ。こいつの話では、野盗の仲間がダメイアの宿がある側の町にいるらしい。

 だから十分に警戒しろ、と言われた。


 そういうところが憎らしいのだ。

 野盗によって影響を受けているのは、ノーヴィ達のいる側だけではあるまい。例え仲間がいるとして、町の全員がそうというわけではないはずだ。

 なんだか、そういうところを全部無視しているような気がする。


 町の問題は野盗のことだけ、とでも言うように。

 二つの町が別たれていることは、問題でもないというのだろうか。


 実際、だからどうしろというわけでもないし、何が出来るわけでもないと思う。通りすがりの自分達が何を言おうと詮無い話だ。

 だが、どうにも気に食わない。

 騎士なんだから、もう少し優しく気にしてもいいだろうに。

 少なくともナイトなら、なんとか出来ないかと考えて、話して回るだろう。


 ふと、思いつくことがあった。



 なら、自分がナイトみたいな真似をするというのはどうだろうか。



 どうせリデルは調査とやらで別行動だ。その間、出来れば部屋に引きこもっていた方が安全だと言うが、こいつの話通りならそんな怪しい真似をしない方がいいだろう。

 どうせやることも、診療所で怪我人の容態を診るくらいしかない。

 空いた時間、色んな人に話を聞いて、何かしらできないかやってみよう。


 ダメイアは信用はおけないが、少なくとも悪人ではない。

 他の人もきっと、悪人というわけではないだろう。なら、出来ることはあるかもしれない。


 ダメイアにほだされている自覚はある。

 この町の為に何かをしたい、というわけでもない。

 ただ、何かしていないと落ち着かないだけだ。


 数少ない行商人や旅人がダメイアの宿にも泊まるようになれば、少しは寂しさだって紛らわせるだろう。

 その為には、町を二つに分けている心の壁をどうにかする必要がある。

 リデルから事情は聞いたが、町の人に聞けばまた少し違うかもしれない。少なくとも、リデルからは事実しか聞いてない。


 物事には、事実と心の二つがあるのだ。

 心の方を、町の人から聞けるかもしれない。

 そう決めると、何だか力が沸き起こってくる気がした。



 思わずクーアが漏らした奇妙な笑い声を聞き咎め、リデルが横目で見下ろす。

 一体何を考えているのかは知らないが、大人しくしていて欲しいと思う。


 診療所で聞いた話がその通りなら、どう考えても彼女だけ別に泊められる状況ではない。どう考えても、一人で行けばそのダメイアという女性に怪しまれる。

 出来れば、『旧市街』の住人に警戒されるのは避けたい。ただでさえ調査を行う以上怪しまれるのに、これ以上の警戒を呼び込みたくはない。

 連中の動きを誘発するような真似は、可能な限り避けたかった。


 それに、予想が正しければ。

 その宿で不審な動きを見せれば、まず間違いなく連中に悟られるだろう。


 仕方がなく同じ宿に泊まることにしたが、何が起こるか分からない。不用意に歩き回れば、今度こそなんらかの手出しをされてもおかしくないのだ。

 小さく笑いながら不適に微笑むクーアに、リデルは自分の望みが叶わないであろうことを悟ってしまう。


 調査に連れて行ければいいが、それこそ何が起こるか。それに、クーアがいると聞けない話もあるかもしれない。何より、一人の方が動きやすい。

 騎士への態度一つでも、色々と分かるものだ。そういった情報を集める為にも、クーアと一緒というのは避けたい。

 話を聞いた段階でリデルに選択肢は微塵もなく、クーアと同行する以外の道はなかった。


 これだから現実は厄介だ。

 『彼』のように何もかもを捨てられるならまだ方法はあったかもしれないが、騎士である自分にそれはできない。

 最良の選択肢、なんてものは幻の彼方で、実際は選択肢があればいい方だ。


 勿論、悪いことばかりでもない。どこから探したものかと思っていた手がかりが、向こうから転がり込んできてくれたのだ。

 省けた手間の代償は、同行する協力者の安全ではあるが。


 町中では何も起こらない。実際、今まで何も起こらなかった。そう自分に言い聞かせて、嘆息したいのをぐっと堪えた。

 橋を渡れば、仮想の敵地だ。

 気を引き締めなくては、事態の解決など覚束ない。

 かつて父から教わった通りに、リデルは何が起こっても対処できるよう気構えを充実させた。



 ダメイアの宿へは、住民の視線以外は何の問題もなく到着した。

 リデルを見たダメイアは、口の端を吊り上げ、



「いらっしゃい」



 と、皮肉気な笑みを浮かべて言った。

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