第六十六話 「幽霊野盗団」
――名門と呼ばれる家に生まれた時から、騎士になることは決まっていた。
ユースティティア家は、武門の名家だ。幾度となく騎士団長を輩出し、国の重鎮を務めてきた。
ユースティティア家の男子は、騎士になることが義務付けられている。明確に条文や法があるわけではないが、慣例というやつだ。
とはいえ、ユースティティア家の者にとってその慣例はとてつもない強制力と拘束力を持つ。中には騎士になれず、自害した者もいる。
それは例えば、俺の叔父であったり。
丁度、俺が生まれた頃の話だ。三度の選抜試験に失敗した叔父は、俺が生まれたのを見届けて自室で自ら胸を貫いて死んだらしい。「これでユースティティア家も安泰だ」と安心したように呟いたのが、父が聞いた最期の言葉だったという。
貴族として生まれた以上、責務が付きまとう。
それを果たせなければ、生きているだけで罪になる。
それが貴族だと、父は言った。
俺が生まれたときから背負っていた責務は、騎士として国家に仕える事だった。
騎士になる為の訓練は、物心つく前から始められた。
気がついた時には剣を握って、体を鍛えることが習慣化していた。
毎朝の素振りに、案山子に打ち込む鍛錬。朝食後には家庭教師による歴史と文字と計算の勉強。昼は父がいれば父と稽古、いなければ馬術の訓練。夕方になるとまた家庭教師に教わり、夜の素振りと鎧を着込んでの走り込み。
それらは所詮基本に過ぎず、年齢が上がるにつれてやる事は増えていった。
好んでしていたわけじゃない。そうするのが当たり前だったから。父と母に言われたから。貴族だから。
そこに、俺の意思なんて一つも関係なかった。
関係ないのに、しなければならなかった。
世界とはそういうものだと、子供の頃から分かっていた。
誰しもにやるべきことがあり、それを果たすから生きていける。自由とはあくまで与えられた範囲内で何をするかであり、範囲外にまで及んで好き勝手をするならそれはただの無秩序だ。
無秩序は騎士が最も忌むべきものだと、父から教わった。
何も考えず、父の教えを丸呑みにした。
勉強と鍛錬以外何をする暇もない日々は、今にして思えば幸福だったと思う。
暇がないから、何も考えなくていい。父と母に守られた毎日は、安心で安全だった。
それでも、当時何の不満もなかったわけではない。
鍛錬も勉強も決して楽ではなかったし、父との稽古で打ちのめされた時などは何でこんなことをしているのかと自問した。
反抗して、勉強も鍛錬もサボろうかと思ったことだってある。
そんな時だった。家庭教師が教養の為にと、ある本を持ってきたのは。
その本は、吟遊詩人達の謳う物語をまとめたものだった。
その中でも、俺は騎士の物語に惹きつけられた。
強く、優しく、人々の為に己の命さえ厭わない。辛さや苦しみに立ち向かいながら、困難を乗り越え皆の為に戦い続ける。
誰かを救うまで決して諦めないその姿に、言葉にならない憧憬を抱いた。
彼らはどんな強大な敵にも臆さない。力なき人々の代わりに剣を振るい、笑顔と平和を取り戻す。
夢のような物語に、幼い俺は夢中になった。
これこそ騎士としてあるべき姿だと、強く強く思った。
きっと、父の言う誉れある騎士たれ、というのはこういうことだと信じた。
騎士になる為の鍛錬に、自分の理由が見つかった。
それからは、身の入り方が違ったと思う。
自ら進んでやる事を増やしたし、父との稽古では少しでも多くのものを盗もうとした。
父の動き、体の使い方、剣の振り方。それらに理由を見出し、鍛錬に取り入れて実践した。優れた騎士の動きには全てに理由がある。効率的に相手を倒せるよう、洗練されている。
その理由を掴んで自分の体にも覚えこませれば、同じ強さになれるはずだ。
勿論、それにも先がある。同じではだめだ。それより上にいかなければ。
お伽噺のような騎士になるには、そうすることが必要だった。
十二の頃から父とほぼ互角の勝負となり、十五の頃には圧倒していた。
今でも覚えている。十三になる少し前、父からようやく一本を取った。驚いている父に、今しかないと覚悟を決めて我侭を言ったのだ。
各地のお伽噺をまとめた本が欲しい、と。
遊んでいては憧れた物語の騎士のようにはなれない。心の中でそう内省を促す声もあったが、読んでみたいという誘惑には勝てなかった。
娯楽に興じるのは問題かもしれないが、貴族としてはそういった教養も大事だろう。遊びのなさは、余裕のなさの表れ。貴族に余裕がないということは、国家に余裕がないということ。それでは、民も息苦しくなるばかりだ。
だからこそ、貴族はあえて『遊び』を身につけねばならない。
娯楽に興じるのは、国家が豊かであることを体現しているのだ。
俺がお伽噺の本を読むのもまた、同じことである――などという言い訳をして、本を買ってもらった。蒸し返されると恥ずかしい思い出ではある。
その本は、ページが擦り切れるほどに読み込んだ。読むほどに心が昂ぶり、一刻も早く立派な騎士にならなくてはと鍛錬と勉学に力が入った。
選抜試験に挑んだのは十八。十分な準備を整えてからのことだ。
騎士として、人々の役に立つに十分な力をつけてから。
現実は、お伽噺とは違う。
騎士とて、悪を斬ればいいというわけでもない。どころか、分かりやすい悪なんているはずもない。
それぞれに事情があって理由があって、誰かから見れば悪と呼ばれている。それだけだ。
だからこそ、騎士は法と王命に従う。
秩序を守る為に。
秩序とは、人々の平和と安寧を守る為に作られたものだ。
秩序を守って剣を振るうのが、現実の騎士が人々を守る為に出来ることである。
お伽噺のような騎士になりたい、という憧れは消えてはいない。
けれど、その為にはまず現実を見つめる必要がある。
現実を見据えた上で。どうすれば叶うのか、考える必要があるのだ。
俺が生きているのは、物語の中でも夢の中でもなく。
現実なのだから。
リデル・ユースティティアという名に誇りを持つのは、騎士という夢を与えてくれた人生に感謝しているからだ――
※ ※ ※
ジェローアの町は、かつては主街道の休息所として賑わっていた宿場町である。
人口は最盛期にはおよそ二千人はいただろう。今となっては、その十分の一以下の住民が細々と住まうだけの寂しい町となっていた。
それでも、少なくない人がいて町を形成しているということは、十分な施設があり知識を持った人物がいるということ。
家々が立ち並ぶ様を見たクーアは安堵の吐息を漏らし、リデルは足を速めた。
遠目にも分かる町並みはかつての名残であり、今となっては空き家になっている建物も多い。しかし、少なからず人が行き交う様が見えることにリデルも心の中で安堵する。
最悪、どこか別の町まで運ぶ必要があるかと考えていたのだ。その場合、色々と気遣う余裕はなくなる。荷物みたいにくくりつけてでも、馬を飛ばさなければならないところだった。
町に近づくほどに一番目につくのは、構えもしっかりとした門だ。かつて栄えた宿場町ならば、門の存在は当然だ。しかし、そこに門番がいるというのはリデルにとっては予想外の事態だった。
門、というのは内と外を分ける為にあり、何より来訪者を監視する為にある。害ある存在を内に入れない為、出入り口を定める必要があるのだ。
定められた場所以外から内に入る、または外に出た者は何かしら後ろ暗い所がある。そうした治安維持の為の選別こそ、門の役割である。
だからこそ、人の出入りが少ない町や村などにはそんなものは必要ない。土地を囲う柵すらないところだってある。野盗に狙われるものなど何もないからだろう。
大きな宿場町だったジェローアに門があるのは分かるが、それは言わば最早役目を終えた代物だったはずだ。
金も人手も有限だ。門番を置く程の余裕があるとは到底思えない。
考えられる答えは一つ。
さっきの野盗達だ。
やはり、何かしらこの辺りで知られた存在なのだろう。ならば、わざわざ門番を置く理由にもなる。
騎士団はこの事を把握しているのだろうか、とリデルは思う。少なくとも、自分は知らなかった。不甲斐ない限りだ。
だが、門番がいるのは今の状況では好都合だ。馬に乗せた二人に迅速な処置を施せる。
門番もこちらを認識したようで、驚いた顔で見返してきていた。
腹に力を入れて声を出す。
「すまない、こちら怪我人がいる! 医者に案内してくれないか!」
「えっ!? あっ、あんたは?」
「王国騎士団、リデル・ユースティティアだ! 詳しい説明は後で、手遅れになる前に医者に診せたい!」
「きっ、騎士様!? わっ、分かりました、こちらです!」
馬にくくりつけた荷物から紋章の入った兜をとって見せるリデルに、門番は飛び上がって驚く。
先導する門番について門をくぐり、町の中に足を踏み入れる。
町の雰囲気は、一言で言うと寂れていた。かつて栄えた面影はどこへやら、行き交う人々の顔もどこか俯きがちだ。
お世辞にも活気があるとは言えない様は、クーアの眉を顰めさせた。
どこか咎めるような口調で、前を歩くリデルに話しかける。
「ねぇ、この町って陰気臭くない?」
「……歯に衣着せないのも、良し悪しだとは思いますよ」
「そうだけどさ。だって、怪我人運んでるってのに誰もこっち気にしないのおかしくない?」
それはリデルも気になってはいた。
門番に連れられ、引いた二頭の馬にはぐったりした男が乗せられている。普通、野次馬の一人や二人は寄ってきそうなものだ。
しかし、町の住民達はちらりと一瞥するだけで、何かを納得したように溜息を吐いて去っていく、または遠巻きに眺めるだけだった。
近寄りたくない、というよりは何か諦めているような。良く分からないが、何かしらの事情がありそうなことは見て取れた。
陰気臭いというのは余りに直接的ではあるが、確かに言い得て妙ではある。彼女の発言に誤りがあるとすれば、こちらを気にしない、というところだろうか。
気にしてはいる。が、取り立てて騒ぐほどの事ではない、という感じだ。
この町の住民達は、慣れていた。それはおそらく、こうして怪我人が担ぎこまれることに。
クーアの疑問に、リデルは小さく答える。
「事情が、あるんでしょうね」
「事情って何よ」
「それは、知っている人に聞くのが一番です」
視線で門番を示すと、クーアは「どうするのよ」と言いたげな視線を投げつけた。
さっきから、門番がちらちらとこちらを振り向いていることには気づいていた。
何かしら話したいことがあるが、きっかけを伺っている。そんなところだろう。
話の内容はおそらく、この町の住民の態度にも関係のあることだと思う。
話しやすい状況を作れば、向こうから説明してくれるはずだ。
「この町に医者は何人います?」
「えっ!? あっ、ハイ、二人います」
「今から行く先に二人とも?」
「いえ、一人は町の真ん中を流れる川を渡った反対側です」
「近い方への案内、有難うございます」
「あぁ、いえ……まぁ、その、はい」
歯切れの悪い門番の返事に、リデルは小さく眉を上げる。
手早い処置の為に近い方に案内している、というわけではなさそうだ。それ以外にも何か、理由があると見える。
思ったより、この町は大変な状況にあるらしい。
こちらから話しかけたことがきっかけになったか、門番がおずおずと口を開いた。
「あの、騎士様……ご案内し終えましたら、少しご相談が……」
「えぇ、私もお話が聞きたかった所です」
頷くリデルに、門番が安堵の笑みを零す。
騎士への頼みごとなんてものは、面倒事だと相場が決まっている。
治安維持は騎士の務め。断るつもりなどリデルには最初から欠片もなかった。
「面倒そうな話?」
「多分、そうです」
黙って様子を窺っていたクーアが、話が終わったと見て首を突っ込んでくる。
適当に頷くと、薬師は詰まらなさそうに小さく鼻を鳴らした。
「じゃ、後でまとめて話を教えて。私、そっちにはついていかないから」
「……はい?」
眉を顰めるリデルに、それ以上言う事はないと態度で示すようにクーアはそっぽを向く。
一体どういうつもりなのか問い質したいところを、リデルはぐっと堪えた。
久しぶりの人里だ、何かしらやりたい事くらいあるのだろう。それに、そもそもは自分が無理を言ってついてきてもらっているのだ。彼女の自由にとやかく口を出す権利はない。
町中なのだ、森の中のような危険はない。野生動物もいなければ、魔物が襲ってくるわけでもない。何かを言うだけ図々しいと、口を閉ざした。
彼女の協力は、必要不可欠だ。
ナイトをなるべく傷つけずに捕らえる為に。
優しく、勇気ある国民に傷を負わせる為に騎士になったわけではない。
正面から戦えば彼に傷をつけずに捕らえる事は不可能だと、あの雨の山で思い知った。
例え卑怯であろうと、未来ある彼に取り返しのつかない傷を負わせたくなかった。
小さな『魔法使い』を守る優しい彼が、そんな傷を負わねばならない道理はどこにもないはずだ。
少なくとも、リデルはそう思っていた。
本来なら、『魔法使い』を庇っているというだけで斬り捨てる理由には十分なはずだ。
しかし、リデルはどうしてもそれはしたくなかった。
だからこそ、クーアについてきてもらったのだ。ナイトを説得する為に。それが無理でも、彼女の言葉と存在で動揺させる為に。
大きな隙ができれば、ナイトを取り押さえるのはそう難しいことではない。リデルの実力ならば十二分に可能だ。
ナイトの心を傷つける事になるかもしれないが、そこは割り切るしかない。物語の中と違って、現実では全てを叶える事はできない。常に二つのものを天秤に載せて、どちらかを取る必要がある。
いつか、そんな事をしなくてもいい騎士になりたい。それが、リデルの望みであり、この現実を前にしてなお折れぬ夢でもあった。
二つを天秤に載せて片方を取るのではなく。
両方とも取れる騎士に。
そんなものは所詮綺麗事で現実が見えていない理想主義の妄想だと、父には言われた。
だからこそ、強くなる必要があるのだ。
綺麗事を叶える為には、それだけの力が要る。
今の自分には、それだけの力がない。だから、目の前で起きている事をなんとかするには選ぶしかない。それがリデルの自己認識であり、努力の原動力でもあった。
もっと強ければ、クーアを無理に連れ歩くこともなかった。正面から戦って、ナイトに致命的な傷を負わせずに叩き伏せる自信も生まれた。
つまり、自らの弱さの為に彼女には迷惑をかけているのだ。
そう思わば、少しくらいの不可解な態度は飲み込むべきだろう。
「……大丈夫ですか?」
「何がよ。町中で野盗にでも襲われるっての? バッカじゃない」
リデルの心配を他所に、クーアは馬の背に乗せられた二人の様子を気にしていた。
返された言葉は乱雑だが、尤もな言い分でもある。流石に町中にまで野盗が来るようでは、もっと住民達は神経を尖らせているはずだ。
にべもなく振られたことで意識を切り替え、ゆっくりと怪しまれぬよう周囲に視線を巡らせる。
頼みごとがなんであれ、町の様子を観察しておいて損はあるまい。
一体どこに問題解決のヒントが転がっているか分からない。注意して情報を集めるに越したことはないだろう。
ふと、視界の端にこちらを見ながらこそこそと話す二人組が見えた。
年配の男女。夫婦だろうか。他と少しだけ雰囲気が違う。
あれではまるで、こちらの様子を窺っているような、
「見えました、あれが先生の診療所です」
門番の声に振り向けば、石造りのしっかりした建物が目に入った。
中を見なければ断言できないが、これなら最低でも応急処置よりはマシな治療ができるだろう。
さっきの場所に視線を戻せば、こそこそと話していた年配の男女はいなくなっていた。
どうにも、この町は一筋縄ではいかなそうだ。
一先ずそのことは頭の片隅に追いやって、診療所の前で馬を止めた。
診療所の中まで男達を運んでしまえば、そこに騎士の出番はもうなかった。
※ ※ ※
男達を医者の下に預け、相談があるという門番に連れられた先は周囲と比べても一回り大きな屋敷だった。
宣言通り、クーアはついてきていない。
彼女は今、診療所で初老の医者と一緒に男達の治療をしている。
診療所に入ってすぐ医者に何事か説明しに行くクーアを見た時、そういうことかとリデルは納得した。
こちらにはついてこず、二人の治療に回るという意味だったのだ。
少し、彼女の事を誤解していたかもしれない。人を見る目がない、と猛省した。
ともあれ、そこから先は医者と薬師の領分。騎士の出る幕ではない。なので話していた通り、門番の相談を受けることにした。
詳しい話は今から案内する先にいる人に聞いて欲しい、と言われ大人しくついていった結果がこの大きな屋敷である。
勿論貴族のそれとは比ぶるべくもないが、町の中でも一際目立つ。領主か何かの屋敷かと思って門番に尋ねると、「まぁ、そんなものです」と曖昧に答えられた。
門を開いた先の広間では、二人の使用人が掃除をしていた。お辞儀をする使用人達を通り過ぎ、二階にある応接間に案内された。
弾力のあるソファに腰を下ろすと、熟年の女性使用人がお茶を運んでくる。香りの良い紅茶は高価ではないが安物でもない。
寂れた町にはやや似つかわしくない品の数々に、リデルは黙したまま考え込む。
羽振りがいい……とはちょっと言えない。だが、窮してもいない。近くに野盗が出没するにしては、余裕のある暮らしぶりだ。
野盗の事も思い返す。あの衣服は、明らかに森の中で姿を見つけづらくする為のものだろう。所謂擬態だ。
小賢しい真似をするが、そういった野盗が今までにもいなかったわけではない。では何故、彼らは捕まっていないのか。
ここから先は、何を考えても憶測に過ぎない。情報が足りないと思考を切って捨てれば、丁度部屋の扉が開いたところだった。
「お待たせして申し訳ありません」
謝罪と共に入ってきたのは、ややふくよかな体に鋭い視線を併せ持つ、いかにもといった風体の男であった。
おおよそ人々が想像する、食わせものの商売人、といった姿そのままの男は、腰を上げようとしたリデルを手で制する。一つお辞儀をして自分もリデルの正面に位置するソファに座り、にこやかな表情を浮かべた。
「申し遅れました、私ノーヴィと申します。突然のお招き、お許し下さい。どうしても騎士様にご相談したいことが御座いまして」
「構いません。人々の悩みを聞くのも、騎士の務めです」
「有難う御座います。騎士団の皆様が治安を維持して下さればこそ、私共も心置きなく商売に励めるというものです」
やっぱりか、とリデルは心の中で呟いて紅茶のカップを傾ける。
丁寧な謝辞に聞こえるが、内容はまったく反対といってもいい。つまりは、騎士団が治安維持してくれないと商売が成り立たない、と言っているのだ。
そしてこの状況でその言葉が出るということは、つまりは治安維持に問題が発生している、ということでもある。
野盗の手馴れた襲撃、行商人の男の言葉、門番の存在。全てが同じ事を指し示している。
野盗による犯行は、昨日今日発覚したものではない。
おそらくそれなりに前から、この町で発生していた問題なのだ。
それがどうして、騎士団による対策が講じられていないのかは疑問であったが。
最初に口火を切ったのは、リデルだった。
「門番の彼から、詳しい話は貴方に聞くように、と。彼の雇い主は貴方ですか?」
「えぇ、そうです。せめてもの自衛、というわけですな」
自嘲するような言葉には、僅かながらに棘が混ざっている。
無理もない。この町は野盗の被害に遭い続けたのだ。騎士として甘んじて受け入れる以外に選択肢はない。
ならば尚更、リデルには疑問に思うことがあった。
「騎士団に救援依頼は出されましたか?」
「出しましたとも。もう何度お願いしたかも分かりません」
「……騎士団は、来なかったのですか?」
「いいえ、来て頂けました。私の知る限り、もう三度は訪れて下さっています」
ノーヴィと名乗った男の返答に、リデルの中で疑念が膨れ上がる。
騎士団が来た。しかも、三度も。それなのに、野盗は未だに活動している。
それはつまり、騎士団が三度もあの野盗を取り逃したということになる。
そんなことが、有り得るのだろうか。確かに多少小賢しいが、実力も大したことはない。どう考えても騎士団が苦戦するような相手ではないはずなのだが。
リデルの顔から疑問を読み取ったかのように、ノーヴィは言葉を続けた。
「三度、騎士団の方に調査して頂きました。ですが、三度全て、野盗の姿を捉えることはありませんでした」
ノーヴィの物言いに、リデルの眉がぴくりと動く。
「姿を捉えることが……?」
「えぇ」
ノーヴィは頷き、頭痛を堪えるように眉根を寄せた。
「人がいた痕跡は確かにあるのです。ですが、手がかりになるようなものは何もない。森のどこを探しても、野盗のやの字も見つからない。煙のように、奴等の姿は消えました」
「……それが、三度全て?」
「はい。騎士団の方々が帰られると、どこからともなく再び現れるのです。ついた渾名が、『幽霊野盗団』。騎士団に斬られた者の怨念が、道行く人を襲っている、と」
馬鹿馬鹿しい、とリデルは胸の内で切り捨てる。
先程争ったあの野盗はおそらくその『幽霊野盗団』の一員だ。ならば、怨念などということは有り得ない。
実際に触れられたし、奴等とて武器を使っていた。怨念であるはずもない。生身の人間だ。
しかし、そうなると三度も騎士団が取り逃したことの説明がつかない。
奴等が森の中を拠点にしているのはほぼ間違いない。どこかにアジトのような場所もあるはずだ。
それなのに、三度も探して見つからないとは。尋常ではない。
煙のように消える、『幽霊野盗団』。何かの仕掛けがあるのは間違いないが、それは一体何なのか。
考えられる可能性は、あるといえばある。だが、それには協力者が必要だ。
それも、被害に遭っているはずのこの町の。
町を襲う野盗に協力しようなんて人物が果たしているのかどうか。薄い線だと言わざるを得ない。
本当に怨念やら幽霊であれば、こんなことを考える必要もないのだが。
ノーヴィの口ぶりはどこか恐ろしげで、疲れ切っていた。
「怨念などと、私はそんなこと信じておりません。怨念は馬車の荷物を盗んだりなんかしないでしょう。ですが……ここまで手応えがないと、流言に流されたくなる気持ちもあります」
「それでも、流されてはいけないと思えばこそ、私に相談したのでしょう」
リデルの言葉に、ノーヴィがはっとした表情で顔を上げる。
リデルは真っ直ぐにノーヴィを見据え、力強く言ってのけた。
「私も先程、彼らと一戦交えました。力不足で逃げられましたが、あれは間違いなく生身の人間です。怨念などではない。捕まえ、裁きにかけるべき存在です」
ノーヴィの目がゆっくりと見開かれ、震える声で自らを鼓舞するように口にする。
「おぉ……! そう……そうですな! 怨念など、いるはずもない! 騎士様、相談というのは他でもない、その野盗どものことです」
「はい」
それ以外にあろうはずもない。頷くリデルに、ノーヴィは勢い込んで身を乗り出す。
「どうか、どうか奴等を捕まえて下さい。もう二年近くも苦しめられているのです。連中は小狡いことに、行商や旅人を全て襲うということはしません。時折思い出したように襲っては、金品を奪っていきます。そうして、我々を生かさず殺さず、寄生し続けているのです」
それで合点がいった。
野盗がいるわりに余裕のある暮らしぶりだったのは、むしろ奴等がそうなるよう襲う数を調整していたからだろう。
まるで猟師が獲物がいなくならないよう獲る数に気をつけるように、奴等も町が死に絶えないよう気にしていたのだ。
とことんまで小賢しい連中だ。この町周辺は、奴等にとって狩場なのだ。
そこでふと、リデルの頭に疑問が浮かんだ。
その程度の稼ぎで、野盗どもは生きていけるのだろうか。連中が農作業や山菜取りなどをしていれば話は別だが、どうもそういう奴等には思えない。
嫌な予感がして、リデルはノーヴィに尋ねた。
「一度この町にきた行商で、二度と来なくなった人はいますか?」
何を聞くのだろう、とノーヴィはきょとんとして、
「えぇ、いますよ。幽霊の野盗が出るようなところにはきたくないのでしょうな」
リデルの予想通りの答えを返してきた。
ジェローアに来る時に襲われていた行商は、進行方向から考えて町から出て次の目的地へ向かっているところだったのだろう。
そこを野盗団に襲われた。ということはつまり、これまでにも似たような事例はあっただろうことが察せる。
行商人が行方不明になったところで、そもそも行方不明だと判明するかどうかさえ怪しい。まして、探そうとする人などどれほどいるのか。
騎士団の調査をかわすほどの奴等だ、馬車ごとの証拠隠滅だってやるだろう。それなら、十分な稼ぎが見込める。
二度とこなくなった人の全員がそうとは限らないが、少なからず連中の犠牲になった人はいるはずだ。その内の一人になりそうだった人を助けたのだから、間違いない。
早急な対処が必要だ。
自分の考えすぎならいい。だが、楽観視はできない。
人々の安寧と平穏を、法と秩序を踏みにじる存在を放置してはおけない。
その為にも、今はまず情報が要る。
「ノーヴィさん。この町のことを教えて頂けますか」
「はい? 町の事……ですか?」
「えぇ。野盗の件を解決する為に、必要なことです。それと、野盗達のことも。いつから現れたか、襲う頻度と犯行手口、あとできれば騎士団が訪れる前後の状況も」
「え、えぇ、あぁ、はい。えぇと……」
リデルが矢継ぎ早に口にしたことに全て答えんと、ノーヴィは頭をこねくり回して口を動かす。
しかし、整理が追いつかず頭は空転を繰り返すばかりだ。
「いきなり全てに答えずとも結構です。一つ一つ質問していきますので、ゆっくり落ち着いてお答え下さい」
「えぇ、はい……申し訳ない」
落ち着けようとするリデルに、ノーヴィが額を撫でながら眉をハの字にして顔を歪める。
リデルは小さく首を横に振り、柔らかい笑みを浮かべた。
「こちらこそ、尋ね方が悪くてすみません。問題解決には貴方の協力が必要不可欠です。どうかお力をお貸し下さい」
リデルが頭を下げると、ノーヴィが大仰に首を振る。
「あ、頭をお上げ下さい! こちらがお願いしているのですから、勿論協力を惜しみませんよ!」
「有難う御座います。では、早速」
顔を上げて質問するリデルに答えるノーヴィの声には、最初にあったような棘や嫌味は消え去っていた。
必要な話を聞き終えた頃には、既に空は赤く染まっていた。
※ ※ ※
夜の森は、深く暗い。
太陽さえ遮る葉のカーテンは、月明かりなど僅かにも通さない。
「へぇ、昼間のあいつやっぱ騎士だったのか」
報告を受けた男は、ニヤけながら果物に噛り付く。
水を含んだ音を立てて噛み砕かれるそれは、周囲の手下達の喉を鳴らすに十分だった。
「で、どうするんすか?」
手下の質問を鼻で笑って、男は食いかけの果物を放り投げる。
地面に落ちたそれは、虫か小動物の食事になることだろう。
「どうするもこうするもねぇ。騎士は『団』だからやべーんだ。たった一人に怯えて逃げるつもりか?」
質問を返され、手下達は顔を見合わせてなんともつかない唸りを上げる。
その様子を再び鼻で笑って、男はふんぞり返った。
「『川向こう』の連中とつるんでるみてーだが、丁度いい見せしめになる。お貴族様の騎士一匹、モズの早贄にすりゃあ立派だろうぜ」
喉で笑う男に、手下が恐る恐る進言する。
「で、でもよぉボス。それで騎士団が本腰いれたら……」
進言した手下の肩に、ナイフが突き刺さった。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
痛みにのた打ち回る手下を見下ろしながら、男は冷たく言い捨てる。
「馬鹿と腰抜けは死ね。なんで貴族の騎士なんて雑魚共にビビってんだ」
転げまわる仲間を助けようとした手を止め、手下達は息を呑んで直立する。
ボスの機嫌が悪いときは、とにかく黙って頷くのが正解だ。
「いいか? どんな雑魚でも数がいりゃ脅威だ。それに、獲物を獲り尽すなんてのは素人のやること。だから、俺達はこうして派手に動いていない。分かるな?」
「はい! ボス!」
手下達全員で唱和する。一人でも欠けると、またボスが不機嫌になるのだ。
「弱い奴は強い奴に従う。この世の理だ。それを捻じ曲げてるクソ貴族のクズ騎士に真実を教えるまたとない機会になる。ただ殺すんじゃダメだ、分かるな?」
「はい! ボス!」
肩からナイフを生やした手下の顔面を蹴り飛ばし、男は足を踏み鳴らす。
「しっかり様子を窺って、処刑の計画を立てて実行する。町の連中にはしっかり情報集めろといっとけ」
「はい! ボス!」
男は満足そうに微笑むと、自分専用の特等席に寝転がった。
「分かったらちゃんと働けよ。俺は寝る。邪魔した奴は殺す」
「はい! ボス!」
「うるせぇ黙れ寝るっつったのがわかんねぇのかボケ」
条件反射で声を出すところだった手下が口を手で塞ぎ、何とか事なきを得た。
深い夜の森。
何がいるかも分からない暗闇の中で、男達は蠢いていた。




