第六十四話 「滅びた故郷から始まるもの」
――『孫娘が、里を出たいと言ってきた。
この里を作ってから、もう何年になるだろう。
いや、何年ではすまないか。何十、何百年になる。
里を作る前のことは、もう遠い昔の思い出になってしまった。
人を人とも思わぬ私達に彼らが反旗を翻し、同族が悉く殺されたあの事件。
逃げ延びてきた同胞と隠れ里を作り上げ、なんとか見つけられずに過ごしてきた。
最初に魔法を使うのをやめると言い出したのは、マーゴかブルショか。随分と昔のことで、記憶も曖昧だ。
時間と共に老いさらばえていく仲間の姿は、少なからぬ衝撃を私達に与えた。
それと同時に、一種の羨望もあったのだと思う。
自然に死に行く仲間は、どこか穏やかだった。
かつて、暇潰しに熱中し、時間と命を持て余していた頃の私達にはなかったもの。
永遠に生きるということは、永遠に磨り減るということだ。
寿命も老化も克服し、生死すら操った私達は、永遠という牢獄に囚われた。
何もかもを求め、何もかもに飽き、狂うことすらままならず生を貪った。
そんな私達の目に、死を受け入れた仲間はとてつもなく尊く映った。
生きれば生きるほど、人としての感覚は曖昧になっていく。彼らを人間と見做さなかったのは、自分達こそが人間だと思わなければやっていられなかったからだ。
それが大いなる過ちだと気づいたのは、仲間が寿命で死んでからだった。
魔法を使わなければ、私達も彼らと変わりない。身をもって、それを証明してくれた。
釣られるように他の仲間も魔法を使うのを止め、里ができて百年が経った頃には最初の仲間の半数が死んでいた。
皆、私を置いて死んでいく。
里長なんて、引き受けるんじゃなかった。
子供達への教育も、年を経るごとに変わっていく。
魔法はもう、必要なものだけを選別して教えるようになった。
不用意に魔法を使わぬよう、その恐ろしさを言い含めるようにして。
ふと気がつけば、もう最初の仲間は私一人しか残っていなかった。
里の子供達は成長し、私より先に死んでいく。
そんな日々を、どれだけ過ごしてきただろう。それでも私が生きてきたのは、里の結界の為だ。
人避けの結界。まず何よりも先に、最初の仲間全員で作り上げたもの。
彼らが追ってこないように、子供達が無事に成長するように。
仲間達との約束で、結界の維持は子供達には引き継がせないことになっている。
彼らが私達を狙うのを止めたとは思えない。だから、ずっと生き延びてきた。
けど、もういいのかもしれない。
生き続けていると時間の感覚も狂ってしまうが、もう随分と時は流れたはずだ。
仲間が皆死んで、孫娘が大きくなって、外の世界に興味を持つほどには。
そういう子もその内出てくるかもとは、なんとなく思っていた。
まさか、自分の孫だとは思わなかったけれども。
仲間との約束がある。里の事を外の人間に知られるわけにはいかない。
それでも、孫娘の願いは叶えてやりたい。考えた果てに選んだ選択は、二つの『陣』を作ることだった。
一つは、子供を作れなくなる魔法。
もう一つは、心臓に魔法の針を仕込み、一定以上の魔力に反応して大きくなる魔法だ。
考えた瞬間、自分を絞め殺したくなった。
魔法使いの子供は、魔法使いになる可能性が高い。まさかそんなことを許すわけにはいかない。どこかに生き残りがいると思われてお仕舞いだ。
外で魔法を使うことも駄目だ。里が見つかる可能性は、僅かでも許容できない。
結果生まれたのが、二種類の『陣』。
よくもまぁ、こんな非人道的なことを思いつくものだと自分に呆れる。
だが、考えてみれば道理の話で、これ以上に危険なものを昔はよく作っていた。
つくづく、魔法に慣れれば人間でなくなるのだと思う。
孫娘の願いを叶えるのに、どうして未来を奪うような真似をしなくてはならないのだろう。
一体、私達の罪は、いつ許される時がくるのだろうか。
もしかしたらもう、外の世界では私達の事など忘れてしまって、新しい時代が流れているかもしれない。
もしそうなら、喜んで『陣』を壊して魔法を解除しよう。
そんなこと、あの時の彼らの顔を思い出せば、夢物語でしかないのだが。
どうか、私達は許さなくてもいいから、子供達は許して欲しい。
次の里長には、『陣』も含めて全て伝えなくてはならない。
こんなこと、もう止めたい。
どうか、子孫が普通に暮らすことを許して欲しい。
魔法使いである限り、それが無理なことは分かっているけれど。
人に戻りたい 』
最後のページを読み終え、マギサは本を閉じる。
ずっと手を出しあぐねてきた手記。ナイト達の決闘を見ずに地下書庫に篭り、ずっと読んでいた。
欲しかった情報は大体手に入った。
里の成り立ちから教育の変遷、とにかく自分達の暮らしに関する全て。
疑問が全て氷解した感想は、なんとも言えないものだった。
けれど、分かったこともある。ずっと昔の里を作った人だって、祖母と同じような気持ちを抱いていたということだ。
本当は誰もが願っていた。魔法使いだって、皆と一緒に暮らせる日が来ることを。
里を作った『最初の仲間』にとって、きっと死ぬことが人に戻ることだったのだろう。
その気持ちは分からないとはいえない。死ねば楽になる。それは間違いない。
けれど、死ねばその先がなくなる。あるかもしれない未来を全て捨てることになる。
少なくとも今の自分には、捨てたくない未来があった。
それはきっと、最初の里長も、祖母も望んでいた未来だと思う。
それが例え、どんなに夢物語に過ぎなくても。
自分だって、ナイトがいなければきっとそうは考えられなかった。椅子から立ち上がって、マギサは片隅にある二種類の陣に近づく。
今の知識では、どっちがどっちか分からない。
けれど、これは間違いなく手記に記載されていた二つの『陣』だ。
子供を作れなくなるものと、魔力に反応して心臓を貫くもの。
こんな魔法をかけられてまで、外に出ようとした人がいるのだ。
自分は多分、その人達の延長線上にいるのだと思う。
彼らが望んだ未来は、自分とナイトが望む未来だ。
その思いを継いでいるのだと思えば、身が引き締まる思いがした。
勿論そんなの、自分勝手な思い込みに過ぎないのだけれど。
それでもきっと、望んだものに違いはないのだと思う。
ナイトがいなければ捨てていた望み。ナイトの為に捨てようとした願い。
最初に抱いていた危惧は、取り越し苦労に終わった。
覚悟は少しも揺らいでいない。願いを叶えることに躊躇もない。
生きて、生きて、いつか魔法使いだって皆と手をつなぐお伽噺を。
魔法は、その為にだけ使うと決めた。
お婆ちゃんの言うとおり、優しい使い方をしてみせる。
物思いに耽る思考は、ノックの音で現実に引き戻された。
「マギサ、夜だよ」
ナイトの声に滲む微量の苦痛に、マギサは敏感に反応する。
足早に階段を上り、出入り口を開けて身を乗り出す。
慌てたナイトがもつれるように後ろに下がり、微かに眉を顰めた。
さっさと出入り口を閉じて、マギサがナイトに迫る。
気圧されるように上体を反らし、ナイトが両手を前に出して押し留めた。
「な、なに、どうしたの?」
マギサはじっとナイトの顔を見つめ、
「勝ちましたか?」
「え、はい。勝ちました」
苦笑しながら頷くナイトに、小さく息を吐いて身を引いた。
所在なさげに頭を掻き、ナイトは力の抜けた笑みを浮かべる。
「約束したからね。勝つって」
実の所、ナイトも自分が勝った事を知ったのは起きてからだ。木剣を弾かれて最後の一撃に全てを賭けたことは覚えているが、そこから先は記憶が途切れていた。
起きた瞬間は負けたかもと思っていただけに、ロイエから勝敗を聞かされた時は飛び上がらんばかりに喜んだ。
本当なら全部話そうと思ったが、マギサに心配をかけたくもない。結果が同じなら問題ないだろう。
そうして誤魔化すように笑うナイトを見て、マギサは溜息を押し殺す。
こういうところが、本当にどうしようもない人だと思う。
やっぱり、見に行かなくてよかった。誤魔化し笑いなどして、何を隠そうとしているのか。どうせ、酷い戦いをしたのだろう。服がいつもと違う。想像するだけで倒れそうだ。
ナイトに任せていたら、命が幾つあったって足りない。
だから、もっと、ちゃんと魔法を覚える必要があるのだ。
「動かないで下さい」
「え? あぁ、いや、大丈夫――」
腹を軽く叩いて、強制的に黙らせた。
痛みに体を折り曲げるナイトを無視し、回復魔法をかける。
『魔導書』を作るようになったおかげか、格段に制御がしやすい。傷の具合に合わせてイメージを変え、手早く処置していく。
一つのイメージでやっていた頃より数段速く処置を終え、頭二つ分は高いナイトの顔を見上げる。
「痛むところはありませんか?」
「もうないよ、平気。ほ、本当だよ?」
腰の引けた姿勢で潔白を示すナイトに、ひとまずマギサは引き下がる。
分かる範囲での傷は全部治した。残りはあるとしても、大したものではないだろう。
引き攣り笑いを浮かべながら、ナイトは背を向けて歩き出す。
その隣に並ぶと、思い出したようにナイトが言った。
「そうだ。今日は肉料理だよ。材料は荷物に入れてた干し肉だけど」
嬉しそうなナイトに、そうですか、とだけマギサは返す。
どういう風の吹き回しか、なんて思わない。決闘して、ロイエもナイトに感化されたのだろう。
そういう人なのだ、ナイトは。
どうせ、決闘で腹が減ったから肉を食べたい、なんて言ったに違いない。
困り顔をしながら頷くロイエを想像しながら、マギサはナイトと並んで歩いた。
小屋に戻れば、腕を引き攣らせたロイエが凄い形相で鍋を運んでいた。
※ ※ ※
夜の鍛錬の指導を終えてロイエが戻ると、マギサが居間で待ち構えていた。
ナイトの師になることを承諾したはいいものの、これが実に難儀だった。
何せ、我流でやってきた振り方が身についてしまっている。まずは、そこから改革する必要があった。
生来の不器用さも問題ではあったが、これは訓練すればある程度改善される。今までその訓練をしてこなかったことが問題なのだ。
というわけで、基礎の基礎から教える羽目になった。
しかも、本人にやる気だけはあるので朝昼晩と三回もやらねばならない。約束は約束なので、仕方がない。三回同じことをしても仕方がないので、昼はお互い木剣をもっての実戦形式の訓練と決めた。
筋は悪くない。長年続けてきただけあって、筋力も申し分はない。後は本当に、剣術を教えるだけだ。
それが大変なのだが。
昼にあれだけの決闘をしたというのに元気なナイトに連れられて、早速指導を頼まれた。断るわけにもいかず、腕の痛みを我慢して教えてきた。
そう、腕だ。ナイトとの一戦でだいぶ痛めたらしく、小屋に戻って休んでからというもの鍋を持ち上げるだけで引き千切れそうな激痛が奔るのだ。
こんな調子ではろくに木剣も触れやしない。それもあって、早めに切り上げてきた。
翌朝にやりたい事もあるし、さっさと寝ようとして居間に戻った所でマギサに捕まった。
この二人は何か、結託して自分を追い込もうとしているのだろうか。罪人が受ける拷問としては、妥当なのかもしれないが。
「座って下さい」
言われた通りに椅子に座ると、暖かな光を点したマギサの手が腕に触れた。
痛みを覚悟して歯を食いしばると、
何も感じなかった。
それどころか、次第に痛みが和らいでいく。
驚いてマギサを見やると、表情の変化が見て取れない顔で呟かれた。
「有り難うございます。引き受けてくれて」
ナイトに剣を教えることだ、とすぐに分かった。
改めて見下ろすと、どことなく柔らかく嬉しそうな表情にも見える。
なんとなく背中がむず痒くなり、返答に迷った。
「いや……決闘に負けたのだ、止むを得ない」
「はい」
短い返しに、尻がむずむずする。
実際、決闘には負けた。そして、負けた以上は約束を守らねばならない。
それは間違いではない。間違いではないが、正しくもない。
張る見栄も最早ないことに気づいて、一つ咳払いした。
「いや、違う。決闘に負けたからではなく……自分が、そうしたかった」
見上げるマギサの瞳に、やや驚きの色が窺える。
一体彼女の目に自分はどんな風に見えているだろうか。
愚か者だろうか。それとも、罪を犯しながら身勝手に振舞う痴れ者だろうか。
どちらにせよ、どうしようもない。
彼に負けてまで、言い訳を繰り返す意味は最早なかった。
「彼の望みに、力を貸したくなった。刃には未だに触れられないが、木剣ならどうにかなる」
マギサの視線が下がり、腕の治療に専念する。
その意図を図りかね、しかし今更前言を撤回することもできず、ロイエは言葉を紡いだ。
「彼なら、自分と同じ過ちは犯さない。だから、見てみたくなった。彼が望む世界を。それは、きっと、自分にとっても悪いものではないと思う」
暖かな光が消え、マギサが身を離す。
腕はすっかり元通りになり、動かしても痛みを感じなくなった。
これが魔法か、と内心驚嘆する。里を襲撃した時以来だが、やはり常軌を逸した力だ。
こんなに優しく使われるのなら、王達は一体何を恐れていたのだろうか。
彼の言うとおり、何事も使いようだ。
自分が使えば人を殺すだけの剣技も、彼が使えばきっと違う。
今、彼女が使ってくれた魔法のように。
「有り難うございます」
マギサに深々と頭を下げられ、ロイエは困惑する。
一体何がどうしてこんなことになったのか。理由が分からず、腰が引ける。
尋ねようと口を開くより先に、マギサの瞳がロイエの顔を映し出した。
「ナイトならきっと、貴方の剣を使いこなしてくれます」
「あぁ……そうだな。自分もそう思う」
そうであって欲しい、と心底思う。
彼女の意図は分からないが、きっと自分を励ましたのだろう。剣が使えなくなっても、継いでくれる人物がいる、と。
多分、自分はもう剣を握ることはないだろう。騎士として剣にかけた人生は、半年前に終わりを告げた。
その事自体は仕方ないと思うが、やはりどこか割り切れないものもあったのだと思う。
彼が後を継いでくれるなら、自分の剣にはまだ続きがあることになる。
その先に何があるのか。自分が到達することが叶わなかった境地に、彼か、その後の誰かが辿り着くかもしれない。
そう思えば、ここまで生きてきた意味もあったのだと思える。
死を選ばずに良かったと、思える日が来る。
そんな日が来るとは、半年前は思いもよらなかった。
見返したマギサの瞳は、何もかもを受け入れるような真っ黒い色をしていた。
「彼の所に行ってやってくれ。今頃、やりすぎて倒れているかもしれん。自分は疲れた。先に休ませてもらう」
「はい。おやすみなさい」
おやすみ、と返して倉庫に引っ込む。
吊り下げられた毛皮を眺めながら、久方ぶりの臭いに鼻を鳴らす。
目を瞑り、半ば強引に眠りについた。
二人の逢瀬の邪魔をするほど、無粋なつもりはない。それに、朝の指導をするより先に行かねばならない場所があるのだ。
疲れているのは確かで、ロイエはあっさりと意識を手放せた。
二人が戻ってきたのは、ロイエがすっかり寝付いた後だった。
※ ※ ※
翌朝、地平線から日が顔を出し始めた頃。
無数の木の墓標が立ち並ぶ丘で、ロイエは花を捧げていた。
一番右端の墓標。ロイエの人生を変えた、マギサの祖母の墓。
その前で片膝をつき、捧げた花を前に小さく呟く。
「昨夜、貴女の孫娘に礼を言われました。しかも二度も」
顔を見せた日が照らし出す丘は、幾本もの長く伸びる影を刻む。
その一つ一つが、かつて命あったものを悼むための標だ。
「おかしな話です。自分は、彼女の仇だというのに」
今も目を閉じれば、ありありと思い出せる。
炎に巻かれる家々と、轟く悲鳴。舞い散る血飛沫と肉の焦げる臭い。
少女を庇う老婆と、今にも泣き出しそうな瞳。
「そんな日が来るだなんて、貴女の墓を作っている時は想像もしていませんでした」
騎士団を抜け、全ての武具と栄誉を返上してから。
ただ一人、黙々と墓を掘っては人を埋めていた。
中には人の形すら保っていないものもあり、運ぶ途中で吐いたことも思い出す。
地獄があるとすれば今この場のことだと、本気で思っていた。
「人生、何があるか本当に分かりません。彼女が連れてきた青年の師になるだなんて、きっと誰にも分からなかったでしょう」
生き延びているとすら、思っていなかった。
どこかで騎士団に捕まって、処刑されているのだと思っていた。
それでも動かなかったのは、本気で騎士団に抵抗する気がなかったからだ。
何が正しくて間違っているのか。答えを持っていなかったから。
今も、何が正しいのか間違っているのかは分からない。
けれど、自分がどちらの味方をしたいかはよく理解できた。
それもこれも、あの時殺し損ねた少女と、その少女が連れてきた青年のお陰だ。
粛々と命令を実行できるような人間でなくて本当に良かったと思う。
自分の弱さに感謝するのは、生まれて初めてだ。
「もう少し、自分は生きてみます。罰は、そちらに逝った時に幾らでも。一応負けた身として、約束は果たせねばなりませんので」
都合の良い言い訳を手に入れたものだ。
負けたから。かの青年は自分に道を示してくれたばかりか、逃げ道まで与えてくれた。
それに頼るのは実に情けない話だが、事実には違いない。
薄く笑って、立ち上がった。
「貴女の孫娘と、その連れの青年の役に立ちたいと思います。命ある限り」
一礼して、背を向けた。
日はもう地平線から姿を現し、その光を地上に浴びせている。
早いところ戻らないと、朝の鍛錬に間に合わない。
歩き出すロイエの背中でそっと風が吹き、挨拶するように花が揺れた。
そして、その傍で土を押し退け、小さな芽が姿を見せる。
半年前から毎日捧げていた、白い花の芽。
時間は何事にも均等に流れていく。
例え時が止まったような里に住んでいたとして、その流れから逃れることはできない。
世界は変わり、時代は流れる。
少しずつ少しずつ、人々の意思を飲み込んで。
滅んだ『魔法使いの里』もまた、その流れの中にあった。
それから暫く、穏やかな日々が続く。
マギサは魔法の修練と文献調査、ナイトはロイエに師事しての剣の鍛錬。
いずれ訪れる旅立ちの日に備え、少しでも前に進もうとして。
たった二人の世界への反逆者は、仲間を一人加え、力をつけていた。
望みを叶える為に。
大事な人を守る為に。
笑って過ごせる未来の為に。
この後必ず巡り合う、最強の敵を迎え撃つ為に――
※ ※ ※
街道沿いを一頭の馬が歩いていた。
背には、一人の騎士と一人の村娘。
騎士は、珍しく兜も鎧を脱いで荷物と一緒に括り付けていた。
村娘に、暑いから脱ぐか降りるかしろ、と迫られたからである。
確かに日の光に炙られた鎧と兜はただそれだけで熱気を撒き散らすし、背中が触れる形になる村娘としては焼けるような心地がしたことだろう。
騎士としては鎧も兜も一種の誇りであるし、身分証明の代わりでもあるのだが、馬上で喚き散らかされては言うことを聞くしかない。
つくづく、調子が狂わされる。
騎士リデルと村娘クーアの仲は、お世辞にも良いとは言えなかった。
「道って、こっちでいいの?」
「……地図が間違ってでもいなければ、そうです」
見上げるように後ろを振り向いて言うクーアに、リデルが見向きもせずに答える。
クーアの村を旅立ってから、何度目になるかも分からない会話。
話すことがなくなると、クーアは思い出したように道を尋ねる。
どうにも黙っているということがクーアは苦手なようで、間と空白を見つけては話しかけてくる。
大体が他愛無いことなのだが、時折こうして煽るような言い方もする。
「でもさー、ほんとに大丈夫? マギサの故郷なんて」
「彼らが立ち寄るとしたら、一番可能性の高い場所です」
意地悪く目を細めるクーアに、リデルは淡々と返事をした。
今、クーアとリデルが向かっているのはマギサが生まれ育った里だ。
ナイト達を追いかけるとはいっても、当ても無い。
以前一戦交えた場所からは滅茶苦茶に逃げただろうから足跡を追う意味もなく、方向から行き先を察することもできない。
地図も持っておらず、地理に明るくも無いだろう彼らが近くの町や村を訪れる保証もなく、行方を推察することはほぼ不可能だった。
よって、リデルは一先ずの目的地を『魔法使いの里』とすることにしたのだ。
もしかしたら、彼らもあて先のない旅に疲れてマギサの里を当面の目的地とするかもしれない。ナイトの村は、村人の事も考えると選択肢に入らないだろう。
それに、ナイトの事だ。滅びたという里を一度見ておきたいと思うかもしれない。
かくいうリデルも、一度自分の目で見ておきたいと思っていた。
『魔法使いの里』殲滅作戦に、自分は参加していなかった。だから、実際にこの目で確かめてみたかった。
騎士団が滅ぼしたという、マギサの故郷を。
リデルの内心を知らぬクーアは、疑念が払拭できないようだった。
「でも、この状況で故郷に帰る? 騎士団が一番張ってそうじゃない?」
「滅びた里だから警戒していない、と考える事もできます」
相変わらず視線を合わそうとしないリデルの答えに、クーアの口元が皮肉気に歪む。
そこには、隠すつもりの無い嫌悪と揶揄の色があった。
「そうだったわね。マギサの里は、あんたらが滅ぼしたんだった」
突き刺さる槍に、リデルの口元がひくつく。
自分の一撃が効果を上げたのを見て、クーアはようやく視線を前方に戻した。
「ま、でもナイトの事だし、マギサの故郷が見たくてそうするかもね。んで、マギサも多分それに付き合っちゃうんだろうし」
まるで慰めるような言い方に、リデルが眉を上げてクーアを見下ろす。
つくづく、この女性はうまく理解できない。
自分のことが嫌いなのか、そうでないのか良くわからない。いや、ほぼ間違いなく嫌いだろうが。
さっきの言葉にしても、慰めるつもりはなく、ただ思った事を言っただけかもしれない。
何にしろ、話の区切りがついたのは嬉しい事だ。この女性と長話をするのは疲れる。
一応目的地となるのだから、『魔法使いの里』の事を話したが、失敗したかもしれない。
ここぞとばかりに突いてきて、事実だから反論もできず、針の莚だ。
それが何も知らずに彼らを追いかけていた自分への罰というなら、致し方ないとも思う。
だからこそ、『魔法使いの里』に行きたい。現地を見てみたいというのもあるが、もう一つ。そこには、騎士団を辞めた『墓守』がいるはずなのだ。
団長から聞いた話だから、間違いない。
二十年余り騎士として勤め上げ、幾つもの功績を打ち立て、騎士団の剣術を発展させた尊敬すべき人物。
ロイエ・カヴァリエーレ。
彼が、『魔法使いの墓守』として里にいるはずだ。
自分もかつて、彼の教練を受けた事がある。極め付けに実践的な彼の剣術を嫌う者もいるが、自分は酷く感動した。
剣筋には人の心が表れる。かの人の剣は、弛まぬ鍛錬を重ねた代物だった。
人々の為に振るい続けた先に到達する、美しくも力強い剣閃だと感じた。
そんな人が、何故『墓守』となったのか。団長は、詳しいことは何も教えてくれなかった。
彼と話すことは、今の自分にとって重要なことだと思う。
なるべく早く向かいたいのだが、二人乗りだからか馬が思うように走れず、もう一頭買おうにも彼女が馬を乗りこなせないなら意味が無い。
補給しなくてはいけない物資の事も考えるなら、できる限り通り道の町や村には寄っていくしかないだろう。
確か、この道をあと一日程進めばそれなりの規模の町があったはずだ。野営する時にでも地図を確認しよう。
頭の中であれこれ考えていると、クーアに話しかけられた。
「ねぇ、町ってもうすぐ?」
「明日には着くと思います」
「じゃ、今日も野営?」
「そうなります」
沈黙に耐え切れないのは、自分だからか、生来の性格か。
本当に、彼女と幼馴染だというナイトに同情してしまう。
「水浴びしたい」
「川が見つかったら、どうぞ」
「覗かないでよ」
「騎士章に誓って、しません」
「興味ないの?」
「覗きはしません」
「興味あるんだ?」
「未熟者の身で、そこまで考える余裕はありません」
悪戯そうに笑うクーアをなるべく見ないようにして、当たり障りの無い答えを返す。
嘘はついておらず、全て本心ではあるが、一つ答える度にぐっと何かを持っていかれているような気がする。
そんな他愛ない話を繰り返していると、傾いた日が落ちていく。
茜色に染まる空を見ながら、今日の野営地を決める。街道沿いを歩けば、休む場所に困ることはなかった。
馬を休ませ、必要なだけの荷物を降ろす。
適当に拾った木の枝を組み合わせ、火口箱と油を使ってさっと焚き火をつけた。
クーアはといえば、自分の荷物を確認していた。
彼女は毎日こうだ。袋につめてもってきた薬草の類を、毎晩熱心に調べている。
一度何をしているのか聞いてみたが、痛んでいないかどうか、まだ使えるかどうかを確認しているそうだ。
薬は転じれば毒にもなる。薬師として、半端なことはしたくない。
そう、彼女は語った。
そういうところは、尊敬できるし共感もできるのだが。
今日の分の干し肉を炙って、水筒と一緒に渡した。
「ありがと」
こういうとき、彼女は欠かさず礼を言う。今更いいと言った事もあるが、けじめだからと受け入れなかった。
リデルにしてみれば、益々理解しにくい類の人だ。何かこう、決定的な規準というものが違う気がする。
ともあれ、気にしすぎても仕方が無い。干し肉を胃に収め、水を持って少し離れた場所で鍛錬を始めた。
毎日の鍛錬は、最早癖だ。休むと体が鈍る気がして好きではない。
一通り鍛錬を終えて、地図を確認し終えた頃には空に星が瞬いていた。
先に寝転んでいたクーアに倣い、リデルも横になる。
日が昇った頃から動けるのが理想だ。時間はいくらあっても足りない。
寝入ろうとしていたリデルの背中に、クーアの声が飛んだ。
「ナイトはあんたのこと、嫌いじゃないと思う」
首だけ動かしてみれば、クーアはこちらに背中を向けていた。
顔を窺えないようにしたのは、わざとだろうか。
リデルは首を戻し、目を瞑った。
「私もナイト君の事、嫌いじゃないですよ」
紛れも無い本心だ。
憎くて追いかけているわけでも、どうでもいいとさえ思っていない。
出会い方が違えば、間違いなく友人になれたとさえ思う。
クーアの声が、少しだけ震えているように聞こえた。
「それでも、追いかけるの?」
その問いかけに、心が揺れるのをリデルは感じた。
今まで、一度も考えなかったわけじゃないこと。
何度考えても、同じ答えにしか行き着かなかったこと。
「はい。それが、騎士としての務めです」
間違っていない。
間違っていないはずだ。
それでも、どうしてかその答えを今まで通りに言えなかった。
自分の声に微かに宿った揺らぎに気づかれないよう、リデルは眠りについた。
クーアの背中が、寒さに耐えるように小さく丸まった。




