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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
64/85

第六十二話 「滅びた故郷・4」

 里で暮らし始めて四半月が経った。

 三人での生活にも毎日のリズムというものが生まれ始め、ナイトもマギサもどのぐらいぶりかの穏やかな日々を過ごしていた。


 朝起きて食事を摂って、マギサは里へ、ナイトとロイエは畑へ。手入れを終える頃には昼になって、ロイエは食事の支度を、ナイトは里にマギサを迎えに。

 地下書庫の入り口をノックしてマギサを呼び出し、昼食を摂った後は再びそれぞれの作業へ。マギサは勿論調査、ナイトとロイエは在庫やその日の様子次第で採取にいったり伐採したり。夜も昼と同じように三人集まって夕食を摂って寝る。

 そんな毎日の繰り返しに慣れるのに、そう時間はかからなかった。


 マギサの目当ての地下書庫は、案外すぐに見つかった。里長の家が在った場所を魔法で調べたら、すぐに反応が返ってきたらしい。

 解除に手間取っていたようだが、先日ついに解けてからはもう本の虫である。ナイトが呼びにこなければ、食事も摂らずにずっと篭もっているだろう。


 ナイトとしては非常に心配な所だが、解除する前に比べればずっとマシだ。探しに行ってぶっ倒れていたのを見つけた時は、心臓が止まるかと思った。

 そんな事が起こらなくなっただけ、書庫に篭もってもらえた方が安心できた。

 自分が心配した所で、結局何も出来ないのが辛いところだが。


 せめて何か、自分なりに出来る事をしたい。

 そんな思いを抱えながら、ナイトの里での日々は過ぎていった。

 その日も目を覚ますと、剣を握って厨房を通って外に出る。


「おはようございます、ロイエさん」

「あぁ、おはよう」


 朝食の準備をしているロイエに挨拶して水道水を被り、水気を飛ばして少し離れた場所で剣を構えた。


 剣の鍛錬は欠かさず毎日続けている。

 マギサや自分を守る為には、もっと力が要る。それは、先日の騎士との戦いで嫌と言うほど身に染みた。

 理由はどうあれ、騎士団と敵対しているのだ。マギサの魔法はやっぱり人を傷つける為に使ってほしくはない。そうなると、どうしても剣の力が必要になる。


 騎士三人との戦いは、彼らが途中から精彩を欠いたからこその勝利だ。そうでなくば、力任せの自分の剣を正面から受け止めるはずもない。

 技術の向上。剣技への理解。やるべきことは浮かぶのに、方法がさっぱりだ。

 精々、頭の中であの時の騎士達の動きを思い返しながら、剣を振るうくらいしか思いつかなかった。


 受け流し、弾き、致命の一撃を叩き込む。

 基本のはずのその動作が、どうしてか想像上でも上手くいかない。

 一手早く防がれるか、他の騎士に一太刀浴びせられる。

 このザマでは、あの若い騎士と戦った日にはまた手も足もでないだろう。

 どんなに上手くやろうとしても、最終的に相打ちが精々だった。

 あの若い騎士の剣は、もっと重く、速く、鋭い。次に戦うときも、前のように都合良く利用できる状況があるとは限らない。

 想像にすら遅れを取るようでは、『次』が最後だ。


 剣を下ろして、疲労と悩みを息と一緒に空に向けて吐き出す。

 噴き出した汗は水と混ざって首元を滴り、服を濡らした。張り付いた感触がやや気持ち悪く、脱いで雑巾みたいに絞る。

 水気を切って適当に振って乾かしていると、足音が聞こえた。

 顔を上げれば、マギサが布を片手に近づいてくる。毎朝恒例の状況。寝る時は毎回明日こそ持っていこうと思うのだが、朝になると忘れているのだ。


「おはよう、マギサ」

「おはようございます」


 布を受け取って、顔と上半身を拭く。そういえば、村に居た頃も上半身裸で鍛錬していたっけ、なんて思い出す。あの頃は、マギサがこうして来てくれる事もなかった。

 少しずつ、変わっていっている。それはある意味当然で、時間は止まることはなくて、だから焦ったりもする。

 剣の腕は、果たして上がっているのだろうか。昔より強くなっているんだろうな、くらいには思うが、実感が伴わない。


 やはり、明確に向上したと思えるものがないからか。

 剣術に関しては、ずっと前から行き止まりにぶち当たっている気がしてならなかった。

 何故か背中を向けているマギサに目をやり、いつもの質問をする。


「今日も書庫に行くの?」

「はい。いつも通りです」


 振り向きもせずに答えられ、ナイトは適当に返事をする。

 毎度の事なので最早気にもしない。最初はそれこそ何かしたのかと怯えたものだが、怒っているわけではないらしい。

 そんなことより、やはり暫くは講義を受けることはできないようだ。

 頼めば夜に時間を作ってくれるだろうが、それはなんとなく躊躇われた。


 服を着直して布を絞りながら、どうしたものかと考える。

 いつまでもこのままというわけにはいかない。かといって、古代語も魔法も独学でなんとかなるものじゃない。マギサの講義は必須だ。

 せめて剣の腕くらい上げたいが、それだってこれ以上一人で鍛錬しても、


 ふと、頭を過ぎるものがあった。


 一人の限界は見えてきた。講義を頼もうにもマギサの調査に水は差せない。

 だとしたら、マギサ以外に頼んでみればどうか?


 勿論、魔法や古代語ではない。そんなの、マギサ以外に当てなんかあるはずがない。

 だが、剣ならどうか?


 実にうってつけの人材がすぐ近くにいることに、ようやくナイトは気づいた。

 元騎士ならば、剣の腕に間違いはないだろう。何せ、かつて憧れた存在の一人だ。教えを請うのにこれ以上はない。

 自分の思いつきに自分で頷きながら、ナイトの胸にやる気が満ちていく。

 これなら、一人でやるよりずっと上達する。どうしてもっと早く思いつかなかったのだろうか。


 布を思い切り振って音を鳴らし、決意を固めた。

 音に驚いて振り向くマギサに笑いかけ、布を畳んで返す。

 訝しげな顔をされ、頬を掻いて少し考えた後に口を開く。

 隠しておく理由もない。とりあえず話しておいたほうが問題もないだろう。


「実はさ。ロイエさんに、剣術を教えてもらおうかと思うんだ」


 先程の思い付きを語りながら、いい案だと内心で自画自賛する。

 マギサも特に反対はせず、そうですか、とだけ頷いた。

 ナイトは期待に胸を膨らませ、マギサと連れ立って小屋に戻った。



  ※              ※                ※


「断る」


 ナイトがにべもなく一刀両断にされたのは、畑の手入れと収穫が一区切りついた昼前の事だった。


 元々里のものだったらしい畑は、一年中何かの実が生っている。

 これも魔法によるものらしく、手入れさえ欠かさなければ飢えることはない。農業従事者にとって、ある意味夢のような畑だ。

 ナイトも元農業従事者らしく最初は目を輝かせていたが、常に目を離すことができない辛さと抱き合わせであることに気づいてからは浮かれる気持ちも萎んでしまった。


 毎日世話をしていると、段々慣れてきて集中せずとも手が動くようになる。

 そうしてようやく見つけた手すきの時間に、ナイトはロイエに師事したいと頼み込んだのだ。

 朝食の前や後にも機会はあったが、どうにも間が掴めずずるずる引き延ばしてしまった。

 どうせ師事するなら早い方がいいと覚悟を決めて話した結果が、先程の返答である。


 断られることを全く想定していなかったわけではないが、実際言われると衝撃は大きい。

 平常心を取り戻そうと深呼吸して、しぶとく追い縋る。


「ど、どうしてですか?」

「……他人に教えられることなど、何ももっていない」


 腰まである籠を背負い直し、ロイエは小屋に戻ろうと足を踏み出す。

 このまま逃がすわけにはいかない。同じように籠を背負い直し、早足で隣に並ぶ。


「で、でも、騎士だったんですよね?」

「全て返上した」

「剣の腕とは関係ないでしょう?」

「もう鈍っている。それに、人殺しの剣を教わってどうする?」



「マギサを守ります!」



 ロイエの足が止まる。

 突然の事に対処できずナイトは足をもつれさせ、それでも体勢を立て直して正面に回りこんだ。

 逃がさないように。

 俯くロイエの顔を、力を込めて射抜く。


「魔法に良いも悪いもないように、剣術だって良いも悪いもないはずです。僕はそう思います。だから、貴方から剣を教わって強くなりたいんです」


 上目遣いに見やるロイエの視線を受け止め、ナイトは胸を張る。

 一歩だって引くわけには行かない。それは、何に置いても叶えたい望み。


 かつての憧れと引き換えに手に入れた、心からの願いだ。



「強くなって、マギサが笑って暮らせる世界を作りたいんです」



 剣の腕がついたからって、叶えられるようなものじゃない。

 それでも、少しでもその願いに近づくことだと信じている。

 マギサが死んだら何もかもが終わりだ。それだけは絶対にさせない。

 その為にも、もっともっと強くなる必要がある。

 『魔法使い』を取り巻く全てを変える為には、その程度では全然足りないけれども。

 力もなくて叶う望みではないことくらい、ナイトにだって分かっていた。


「お願いします」


 ナイトの視線を避けるように、ロイエは目を逸らす。


 その瞳の輝きを直視することができなかった。かつて、騎士団に入りたての頃は自分もこうだったのだろうか。

 少なくとも、正義を疑わず、真っ直ぐ前だけ見て歩いていたことは覚えている。

 目の前の青年の瞳は、傷だらけのようにも見えた。傷一つない無垢な状態では決してない。

 けれど、目に宿る光は決して萎縮せずにこちらを見据えていた。


 一体どんな道を歩んできたのだろうか。もし彼のようであれば、自分は違う道を生きられたのだろうか。

 こんな、正しさを失うような人生ではなく。

 自らを信じて、生きていけたのだろうか。

 謙遜でも嫌味でもなく、本当に自分が教えられることなど一つもないと思った。


「……剣がない。教えようにも、一本を分け合うわけにはいかないだろう」


 ロイエの指摘に、ナイトが「あ」と口を大きく開ける。

 口頭や型の指導くらいなら何とかなるだろうが、ナイトが望んでいるのはそれではない。というか、そんな形で指導されても頭の悪いナイトが飲み込むには時間がかかるだろう。

 やはり、直接打ち合う方がよりよい訓練にもなる。ナイトにもそちらの方があっていた。

 追い討ちをかけるように、ロイエが言葉を重ねる。


「それに、すまない。もう、剣を手に取りたくない。ナイフや斧も、必要がなければ捨てているくらいだ」


 一縷の望みさえ打ち砕いたつもりで、ロイエはナイトの脇を通り過ぎる。

 盗み見たナイトは、口を引き結んで何かを堪えているようだった。


 ともかく、これで諦めてくれるだろう。

 正直に言えば、彼の望みを手伝ってやりたいという気持ちはある。だが、余りにも無謀に過ぎる。

 彼女が笑って暮らせる世界。実現できれば、どれほど素晴らしいことかと思う。


 しかし、その為にやらなければならないことはとても現実的とは言えない。敵は社会で、常識で、歴史だ。

 時代が変われば、もしかしたらそういう事も可能かもしれない。けれど、時代を変えるのは決して一人の剣の力なんかじゃない。

 何事にも、流れと間というのはあるものだ。全て上手く噛み合って、その上で誰かがそちらのほうへ押したのなら、そんな時代の流れもあるかもしれない。かもしれないが、それはどれ程の確率なのか。


 無謀と蛮勇は死へ向かう馬車を引く暴れ馬だ。

 嫌われてでも諦めさせるのが、死に損なった老兵の役目でもあるだろう。

 それに、嘘を言ったわけでもない。剣を手に取りたくないのは本当だし、ナイフも斧もできれば捨ててしまいたいのも本音だ。


 あの夜以来、何かを傷つけるのが怖くなった。

 菜食主義者というわけでもないのに野菜しか食わないのは、獲物を狩れないからだ。

 ナイトやマギサには申し訳なく思うが、どうしようもない。


 肩越しに振り向き、ナイトを見やる。遅れてのっそりついてくるのを確認し、首を戻した。

 悪いとは思うが、諦めてもらう他ない。

 マギサの大切な人だろう男に、無茶をさせるわけにはいかなかった。



 足音を背中に感じながら、ロイエは昼食の準備をするべく小屋に戻った。



  ※               ※               ※


 月のない真っ暗な夜に、ナイトが剣を振るっていた。

 夕食を終えた後の、夜の鍛錬。日課として欠かさずやっているそれは、しかし今夜はなんとも中途半端なものだった。

 悩み事を抱えながらでは、剣閃も鈍る。心と身体の結びつきばかりはどうしようもない。


 相手を想定する。洞窟の前で戦った大柄な騎士。強く強くイメージして、幻視する。

 間合いを図ってすり足で動く。相手はこちらを見据えたまま動かない。

 ゆっくり近づいて、鋭く呼気を放って大きく一歩踏み込んだ。


 振り下ろす剣に対応して、大柄な騎士は一歩引いて下から掬い上げてくる。剣同士がかち合い、軸をずらされて受け流される。

 崩れた体勢を見逃さず、横薙ぎに剣が襲い掛かる。無理に体を捻って弾き返した所で、取り返しがつかないくらいに足がもつれた。

 大柄な騎士の剣が振り下ろされ、


 尻餅をついた。

 深く息を吐いて、頭を掻き毟る。


 駄目だ。今夜は全然上手くいかない。

 身が入らない鍛錬を百回やっても怪我するだけだ。


 剣をしまって、大の字に寝転がる。

 暗幕が下げられた空を見上げ、昼に言われたことを思い出す。

 剣がない。それが体よく断る為の言葉だということくらい、ナイトにだって分かっていた。

 本音は、もう剣を振るいたくない、という方だろう。

 あの丘に並べられた墓を見れば、気持ちを察することくらいは出来る。


 後悔と疑念がロイエを縛り付けている。騎士団の正義を信じて生きてきた時間と一夜の過ちが殴り合って、がんじがらめになっているのだ。

 ナイトにだって似たものに覚えはある。だから、追い討ちをかけることもできず黙り込むしかなかった。

 菜食主義者みたいな生活をしている理由も分かった。獲物を狩れないのだろう。

 能力的な問題ではなく、精神的な問題で。マギサの祖母を斬った時の事を思い出してしまうから、というのは考えすぎではないはずだ。

 しかし、それではこちらが困る。いや、肉はそりゃ食べたいが、そっちではなく。


 このままでは、師事できない。鍛錬が滞ってしまう。

 だとしても、一体どうしたらいいのか。

 無理に頼み込むにしたって、ああ言われてしまえば次の手が思いつかない。何とかして頷かせる方法はないかと考えても、馬鹿の考えは何とやら。


 何だか自分が悪党になった気がして、ため息を吐く。嫌と言っているのに無理にやらせようとするのは、確かに悪党のやることだ。

 ライやトゥレなら上手くやりそうだ、なんて考える。きっと自分みたいに思い悩んだり躊躇したりもしない。そう思えば、自分が実に中途半端に見えてまたも溜息が漏れた。


 とにかく、今日は鍛錬になりそうもない。

 軽く身を起こした所で、背後から近づいてくる足音に気づいた。


「どうかしたんですか?」


 夜の中に溶け込むようなか細い声に振り向けば、そこには予想通りマギサが居た。

 黒ローブではなく、白いブリオー姿。手に持つ布だけがどこか酷く卑近で、なんとなく頬が緩む。


「いや、ちょっと考え事」

「珍しいですね」


 マギサが隣まで来て腰を下ろす。

 一体どういう意味だろうか。これでも結構色々と考えているのだが。

 鍛錬を休んでまで考え事をするのが珍しい、という意味なのだと都合の良い様に解釈することにした。


 差し出された布を受け取って、大してかいていない汗を拭く。

 ちらりと横目に見れば、マギサがじっとこちらを見つめてきている。

 隣に座った事といい、これはつまり話を聞く態勢ということでいいのだろうか。いいのだろう、と都合良く解釈した。

 どの道、自分一人で考えてもいい案など出そうもなかった。


「ロイエさんがね。剣を振るうのが嫌だって」


 後ろに手をついて、真っ暗な空を見上げる。

 マギサの視線を感じながら、次の言葉を頭の中で練り上げる。


 正直、口に出そうとしてみると余りの我侭っぷりに若干自分で引いてしまう。いや、それを言うならマギサの事にしたって同じなのだが。

 付き合った年月の差が、なんて言ってもじゃあ年月重ねればいいのかという話にもなる。

 ごちゃごちゃになった頭の中を空にして、息と共に吐き出した。


「だから、どうしたら剣を教えてくれるかなって」


 少しだけ間をおいて、マギサが当然の疑問をぶつけてくる。


「嫌だって言っているのに?」

「嫌だって言っているのに」


 頷いて、ナイトは自嘲気味に苦笑した。

 我侭もいいところだ。だが、だからといって引けなかった。


 これからも騎士団の追っ手はやってくるし、シャレンの雇い主が新たな追っ手をかけるかもしれない。

 せめてその全てに対処できるだけの力がなくては、世界を変えるなど夢のまた夢だ。

 その為には、ロイエの協力がいる。少なくとも今、それ以外により強くなる道は見つからない。


 望んだものの為に、我侭を押し通そうと決めたのだ。

 こんなところで引っ込んでいられない。

 マギサは暫く考え込むように俯くと、ナイトと同じように空を見上げた。


「剣じゃなければいいんじゃないでしょうか」


 何気ない風に言われた内容を理解できず、ナイトは呆けた顔でマギサを見やる。

 剣を教えてもらいたいのに、剣じゃなければいいとはこれ如何に。

 とんちでも仕掛けられた気分で、ナイトは眉根を寄せて悩み始めた。


「長さと太さを調整した棒なら、代わりになりませんか?」


 ナイトの目から鱗が落ちる。

 殆ど屁理屈同然の抜け道であるが、この時のナイトにはその言葉は天啓にも聞こえた。

 棒と剣では色々と違うが、基礎を教えてもらう分にはいけるかもしれない。木剣などというのもあることだし、出来ない話ではない。


 それこそ、木剣を作ればいい。それなら刃はないし、どうせ自分が作ったら粗い作りにしかならないから丁度いいはずだ。

 そうだ。それがいい。


 突破口が見えたと思うと行き場のないやる気が溢れて、咄嗟に立ち上がってしまう。

 善は急げだ。ロイエに使ってもいい木材を聞いて、早速作り始めよう。

 モノを見せて迫れば、ロイエも折れてくれるかもしれない。駄目なら別の方法を考えるが、やる前から駄目だった時の事を考えても仕方がない。


 何にしろ、押し切るしかないのだ。強引に行くには、準備してからの方がいいだろう。

 首を上げて視線を向けてくるマギサを見下ろし、ナイトは(てら)いのない笑みを浮かべた。


「ありがとう、マギサ! 僕、頑張ってみる!」

「はい。頑張って下さい」


 頷くマギサに別れを告げ、走って小屋に帰る。

 居間でくつろいでいたロイエに頼み、使ってもいい木材と道具を教えてもらった。

 早速、小屋から少し離れた薪などの加工場に持ち出して作業を始める。


 出来上がりは一日でも早いほうがいい。無駄にしていい時間なんてない。

 鍛錬の時間を全て費やして、作りきってしまおう。

 そう決めて、ナイトは腰を入れて木材を削った。



 それから数日、寝る間も惜しんでナイトは木剣作りに没頭した。



  ※              ※                ※


 二人と暮らし始めて半月足らず、ロイエはどうにも落ち着かないものを感じていた。

 諦めさせたはずのナイトの目が、ここ数日いやに輝いている。

 あれは、心折れた人間の瞳ではない。とはいえ、一体何をするつもりなのか。


 剣が振れないのは確かな事実だ。勿論物理的に不可能というわけではないので(きこり)の真似事くらいはするが、生き物相手には構えることすらできない。

 動物でさえそうなのだ。人間では何をかいわんや。

 柄を握る度にあの夜を思い出す。あの人を斬った感触が、掌に甦る。

 その状態で、人に剣術を教えることなどできるはずもない。力になりたい気持ちはあるが、出来ない相談だ。


 そう思って余り気にしないように努めてきたのだが、日増しに嫌な予感は高まっていく。

 何か、彼からは無理を押し通すような妙な力を感じてしまう。

 そうした不安を抱きながらも、直接ナイトに何を言う事も出来ずに過ごしていた。

 何せ、ナイトの行動を束縛する理由も権限もない。ロイエに出来たのは、ただ普段通りに二人の生活の面倒を見ることだけだった。


 今日もまた、夕食を終えるとナイトは外に駆け出していく。

 その背中を見送って、ロイエは小さく溜息を吐いた。


「剣が振れないのは、本当ですか?」


 机の上の食器をまとめながら、マギサが問いかけてくる。

 心臓を掴まれたように驚いて、思わず視線を向けてしまう。

 マギサはロイエを一瞥すると、すぐに片付けに戻った。

 少しだけ逡巡して、嘘を吐く事でもないと首を縦に振る。


「あぁ、本当だ。獲物を狩ることさえできない」


 彼の言葉の信頼性は、里での生活が示している。

 肉料理がでたことは一度もなく、獲物を狩りに行くこともない。

 マギサはもう一度ロイエを一瞥し、食器を持ち上げて言った。



「それは、お婆ちゃんの所為ですか?」



 ロイエの心臓が悲鳴を上げた。

 鷲掴みにされたような痛みが奔り、動きが勝手に止まる。


 違う、と言いたかった。そんな、あの人の所為なんかではない。ただ、自分が弱く愚かだっただけだ。

 だが、直接の原因があの人であることには間違いない。この孫娘は、その事実を前に納得してくれるだろうか。


 してくれないだろう。

 自分でも、多分納得しない。罪を償うといいながら、直接向き合うこともせず逃げているだけだと思ってしまう。


 結局はそこだ。

 剣を振れない一番の原因は、向き合って答えを出せていないからだ。

 魔法使いの生き残りから刑を告げられたはずなのに顔が俯くのは、自分で自分を裁けていない所為だ。

 疑問ばかりが頭に残り、審議が終わっていないのだ。


 正しいのか間違っているのか。自分にとってそれは何なのか、どうなのか。

 出すべき答えから逃げ惑っているから、こんなにも痛むのだ。

 剣を振らないのはあの人の所為じゃない、自分で決めたことだ、と。自分で決めていないから言えないのだ。


 答えに窮して、ロイエは黙り込む。

 せめてもの抵抗に、ゆっくりと首を横に振った。

 自分とナイトの分の食器を持って、マギサがロイエの横を通りすぎる。

 金縛りが解けたように、ロイエものろのろと自分の分を持って厨房に向かった。

 厨房の流しに二人並んで桶から水を掬い、マギサが口を開く。


「ナイトは、諦めたりしませんよ。そういう、我侭で強引でしつこい人です」


 内容とは裏腹に、マギサの口調は優しく柔らかかった。

 つまりは、そういう人間なのだろう。そう納得して、ロイエは「そうか」とだけ返した。


 厄介な奴に目をつけられた。

 きっと、彼はまた頼みに来るのだろう。

 そう考えると、胸の奥に何か消しきれぬ塊が生まれた。

 その正体を掴むことが恐ろしく、ロイエは見ない振りをした。


 明日が来ることの怖さを、半年振りに思い出した。



 ロイエやマギサが眠りにつく頃、ナイトは数日の成果を手に小屋に帰ってきた。



  ※              ※                ※


 翌朝、目覚めてすぐにナイトは昨夜完成したものを手に厨房に駆け込んだ。

 厨房ではいつものようにロイエが支度をしており、ナイトを見るなり眉を顰めた。

 一瞬怯むも、気を取り直して深呼吸する。


「おはようございます」

「あぁ、おはよう」


 挨拶に返事があったことに一先ず胸を撫で下ろし、手にしたものを差し出す。

 鍋をかき混ぜながら、ロイエは差し出されたものを一瞥した。


「……それは、何だ?」

「木剣です」


 それは、棍棒とさして変わらない出来栄えの代物だった。

 実に荒削りで、一応剣のような形をしていると見えなくもない程度。

 これでも、三度の失敗を乗り越えて作った品だというのだから驚きだ。

 手作り感満載の木剣を見下ろし、ロイエはナイトに視線を戻す。


「……それで?」

「これなら、剣であって剣じゃありません。僕の師匠になって下さい」


 子供の屁理屈全開で、正面から言い切られた。

 嫌な予感の正体はこれだったのだ、と今更ながらにロイエは気づく。

 青年の瞳は強い輝きに満ちていて、断ったところで諦めるとは思えない。

 昨夜マギサに言われたとおり、我侭で強引でしつこいのだろう。目は口ほどにものを言う、とは良く言ったものだ。


 二本ある出来損ないの木剣の内、片方の剣身を握って柄を差し出してくる。

 胸の奥に生まれた塊が、鼓動を打つように蠢く。

 何をどうしたら、そんな考えが生まれるのか。嫌だといっているのに。それでも推し進めて、一体何がしたいのか。


 マギサを守る、と彼は言った。

 剣を振り回したって、守れないものもある。


 強くなってマギサが笑って暮らせる世界を作りたい、と彼は言った。

 剣一本で世界が変わるのなら、今頃世界は何度変わっていることだろう。


 そもそもが、自分如きに学ぼうという時点で手遅れなのだ。そんな弱さで、これから先やっていけるものか。

 世界から狙われる少女を、守っていけるものか。

 そんな弱さでは、



 いずれ自分と同じように、剣を捨てる羽目になるだけだ。



 段々と腹が立ってきた。

 どうして若造の身勝手を許さなくてはいけないのか。

 年長者として、過ちを知る者として、道を示す事も役割の一つだろう。

 何より、このまま放って置けばその無謀にあの子も付き合わされる羽目になる。

 昨夜の話しぶりからしても、余程大事な相手であることは間違いないだろう。

 そうと知りながら見過ごせば、あの人に合わせる顔がない。


 精一杯の理由をつけて、ロイエは柄を手にした。

 ほんの微かに、背筋を悪寒が奔る。


「分かった。ただし、条件がある」

「あっ、はい! 何ですか!?」


 受け取ってくれたことに喜色満面の顔をして、ナイトが首を振って身を乗り出す。

 ロイエは感触を確かめるように柄を握りこみ、ナイトの方を見ないまま口にした。


「君が勝てば、剣を教えよう。だが、負ければ、このまま里で暮らしてもらう」


 ロイエの言葉を飲み込み損ねて、ナイトは呆けた顔で見やる。

 里で暮らしてもらう、とはどういうことか。まさか、一生里に引きこもれという意味か。

 咀嚼することで意図を理解し、ナイトの顔が固くなっていく。

 念を押す為か、改めてロイエが言葉にした。



「君のその無謀な望みを、諦めてもらう」



 元騎士の鋭い視線が、ナイトを刺し貫いた。

 息を呑んで、壮年とは思えぬ元騎士を見つめ返す。

 冗談、では勿論ないだろう。本気で、諦める事を交換条件に申し出ている。

 言葉通り、里に引きこもれという意味だ。世界を変えるなんて考えるのを止めろ、と。


 無謀なのは百も承知だ。それでも、このままなのは嫌だった。

 それを、このままなのを甘受して逃げ続けろ、と目の前の男は言っているのだ。


 到底受け入れられる話ではない。それでは、マギサがずっと寂しいままだ。

 誰にもマギサを分かってもらえないまま、命が尽きるのを待つだけの人生を送れということだ。


 だとしても、頷かなければ剣を教えてもらえない。

 強くなれない。マギサを守ることができない。



 あの若い騎士に負けたまま、背を向け続けるしかない。



「分かりました」


 考えがまとまる前に口が動いた。

 どの道、ロイエに師事できないのなら先は見えている。

 いずれ騎士団に敗北し、彼女を連れ去られる未来が訪れるだろう。


 勝負するのが、今か後かだけの話だ。

 負けられない戦いなら、今まで何度もやってきた。

 またもう一度、今度は願いをチップに戦うだけだ。


 十六の頃、王都に行って騎士団試験を受けたように。

 今度こそ、敗走するわけにはいかない。


 ナイトの返事に、ロイエは重々しく頷いた。


「昼、畑の手入れが終わった後にしよう。小屋から少し離れたところに開けた空間がある」

「分かりました。僕が勝ったら、」

「約束は守る。だから、君も守ってくれ」


 頷き返し、剣を体の前で縦に持つ。

 ロイエも剣を立たせ、互いに剣先を合わせて打ち鳴らした。

 騎士による決闘の合図。相手に対する敬意と共に、全力で戦うことを示す儀式。

 木剣を立てかけるロイエを尻目に、ナイトは勝手口から外へと出た。


 ここまできたら、あとは何も考える必要はない。

 ただ、相手を打ち倒すだけだ。

 今日の鍛錬は、いつにもまして集中できそうだった。



 余りに集中しすぎて、力尽きるまでナイトはマギサが傍に来ていることに気づかなかった。

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