表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
63/85

第六十一話「滅びた故郷・3」

――固められた砂のような土を踏みしめて、一匹の化け物が唸り声を上げていた。


 獅子の頭に山羊の胴体、毒蛇の尻尾。紛う事無く『怪物』としか呼べない姿をしたその生き物は、軽く身を縮めてから大きく体を開き、高らかに咆える。

 衝撃すら伴う叫びは、円形に切り取られた地面すら振動させるかのように思えた。

 人の倍はあろうかという巨体を震わせ、準備をするように地面を蹴る。その視線の先には、鉄格子が嵌っていた。


 円形の地面。周囲を取り囲む怪物よりも高い壁。その両端に存在する欠損一つない鉄格子。

 それは、ナイトが『遺跡』の中で転送させられた闘技場と同じ構造をしていた。

 高い壁の奥には同じように『客席』が存在し、長椅子が並んでいる。

 そこでは、白いローブを羽織った男達が興味深そうに舞台を見下ろしていた。


 その異様な光景の中、一際おかしな男がいた。

 客席と舞台を仕切る高い壁にかぶりつくようにして、むしろ乗り越えんばかりに身を乗り出している。

 白ローブ達の中では比較的年嵩ではあるが、誰よりも輝く瞳で怪物を見つめていた。

 その奇人よりも幾らか若い白ローブが、困ったように眉を寄せて忠言する。


「主任、下がってください。危険です」

「最後の一体なんだぞ!? ここなら少しでも多く情報が手に入る、いいから早くやれ!」


 主任と呼んだ変人に怒鳴られ、若い白ローブは諦めたように溜息をついて手元の円筒状の棒を握り締めた。

 棒は真ん中に切れ目があり、それを境に上と下を握り、下だけをくるりと回す。


 棒が薄く輝き、鉄格子が音を立てて上がる。

 格子の奥から現れたのは、怪物よりも巨大な蔓に塗れた花だった。

 触手にも見える蔓を蠢かせ、生理的嫌悪感すら催す動きで舞台に踊り出る。

 怪物も相手を認識したのか、身を屈めて警戒態勢を取った。


「戦え、キマイラ!」


 主任の叫びに呼応するように、怪物の瞳が真紅に染まった。

 巨大な花には口のようなものがついており、涎じみた液体が垂れ落ちて地面を溶かす。

 蔓には薄っすら粘液が膜のように張られ、益々触手じみている。

 魔物以外何物でもないその植物は、勿論ただの悪趣味というわけではない。一度蔓に絡みとられれば抜け出すのは困難を極める。そうしてもがいている間に、酸で溶かされて死ぬ。


 スライムと似た能力を持つそれは、『ネペンティス』と呼ばれていた。

 主任が打ち立てた論では、スライムの元であるらしい。ネペンティスを元にスライムは創造されたのだ、というのが彼の持論だった。

 魔法使いとはいえ、頭の作りは人間とさして変わらない。それが、彼の論の前提でもあった。


 記録媒体の残し方や、遺跡から察せる状況。その全てが、まるで理解不能というわけではない。そうでなければ、古代語の読み解きなどできるはずもない。

 それらの事実から、彼は精神的に魔法使いは人間と同じだと結論付けていた。


 故に、『存在しない生物』を生み出すことは難しいと考える。所謂幻想種の魔物とて、想像の元となった何かがあるはずだ。

 実際、今戦わせている怪物とてそうだ。

 獅子の頭に山羊の胴体、毒蛇の尻尾。どれも現実に存在する生物である。それを組み合わせた理由や発想の元こそ謎だが、全く正体不明の魔物というわけでもない。


 彼にとって、その謎を解き明かすことこそ無上の喜びだった。研究と実験を繰り返し、手の届かなかった秘密を暴き立てる。それこそ、人類の英知というものだと信じている。

 その為なら、他はどうなろうがどうでもよかった。それこそ、最終的には自分の命さえも。

 ヴィシオに協力しているのも、謎の解明に有益だからである。

 その彼は、食い入るようにしてキマイラとネペンティスの戦いを脳に焼き付けていた。


 ネペンティスの蔓が地面を叩き、益々砂を強く固める。距離を測るようにゆっくりと動いていたキマイラが、その一撃を合図に牙を剥き出しにして飛び掛った。

 迎撃する蔓の触手は、強靭なキマイラの体に傷一つつけることができない。キマイラの牙が命中し、花弁の一枚を剥ぎ取られる。

 すぐさま蔓が伸び、キマイラの右前足が縛り上げられる。

 不愉快そうに咆えて抗うも、粘液の膜は容易くは千切れない。左前足の爪を上手く当てられず、四肢を踏ん張っての力勝負に持ち込む。

 その隙に、左後足が忍び寄る蔓に絡め取られた。


 悲鳴じみた叫びを上げ、キマイラが体勢を崩す。一度均衡が崩れると後は転がる石のように、容易くネペンティスに引きずられていく。

 足に絡まる蔓も一本、二本と増え、ついに空中に持ち上げられてしまう。

 巨大な口に飲み込まれそうになった時、主任が叫んだ。


「キマイラ! 炎を吐け!」


 怪物の瞳が再び真紅に輝き、大きく口を開けて空気を吸い込む。

 どういう理屈か、吐き出す息は火炎となり、間近に迫ったネペンティスの花弁を焼いた。

 口はあっても喉がないからか、噴出す酸を断末魔の代わりに植物の魔物が焼け落ちる。

 炎は蔓にも燃え移り、脆く崩れ去る。

 上空から落とされた怪物は、強かに体を打ったはずなのに何事もなく立ち上がった。


 主任は満足そうに頷き、手元の資料に目を落とす。

 キマイラ。この遺跡で『再生』できる魔物で、幻想種の一匹。『装置』の魔力が尽きたせいで、もう今いるのが最後の一体なのだ。


 それまでの個体は全て、使役に失敗した。

 流石に幻想種だけあって容易に使役が掛からず、何体も処分する羽目になった。だが、その甲斐あってこうして使役できている。

 魔道具が一種類しかないから試すにも限度があるが、どうやら成功のようだ。


 つくづく、『使役』と魔物の関係性は謎が多い。単純に魔力量と比例しているのはわかるが、それ以外の要素もどうやらあるらしい。

 特に幻想種は使役をかける人間に左右されるところもあるようだ。あとは、使役の内容も。

 こうして戦わせることには成功したが、おそらくヴィシオに使役権を渡すことは無理だろう。単純に「ヴィシオの命令を聞け」と命じても、反抗されて半端な状態になる。それは既に、前の個体で実験済みだった。


 そう、反抗だ。記録が正しければ、魔力さえあればどんな命令にも従わせることができるのだが、残念ながら普通の人間では死ぬまで搾り取ってもそんな魔力は出てこない。

 すると、使役していても命令次第では反抗される。実に面倒臭い話で、なんでそんな作りにしたのか魔法使いを問い詰めたくなった。


 そう、『魔法使い』だ。

 こういう時いつも思う。ヴィシオはどうしてあんな勿体無い事をしたのかと。

 魔法使いの里を殲滅するだなんて、何て事をしてくれたのか。

 現代に生きる魔法使いなどという、大変貴重で重要な研究資料を無に帰すなど、愚か者のやることだ。

 元から文化的な見識や知的な振る舞いなど期待してもいなかったが、あの時ほど落胆したことはなかった。


 話を聞いてすぐに使えるだけのスライムを手配して送り出し、せめて一人だけでも魔法使いを確保したかったのだが失敗した。どうやら、展開していた騎士に全滅させられたらしい。

 全く以って我等が騎士団は優秀な事で、実に結構だ。出来ればその優秀さは、もっと別の側面で発揮して欲しかったが。遺跡に価値も分からん賊を侵入させたりせずに。


 実験は一応の成功を見たというのに、主任は深く溜息をつく。

 もし魔法使いが確保できていれば、装置の魔力残量など気にしなくてもよかったのに。もう少し大胆な実験もしやすくなって、今より遥かに効率的に研究は進んだはずだ。

 唯一希望があるとすれば、騎士団から逃げ延びたという少女の魔法使いか。ヴィシオがやたらめったら愚痴るので嫌でも耳にする。


 確保を頼んでみたら、死ぬほど嫌な顔をされて二度と口にするなと釘を刺された。正直こちらこそ死ぬほど嫌な顔をしてやりたかったが、寸前で何とか踏みとどまれた自分を褒めてやりたいと思う。

 このキマイラと同じ、貴重な最後の一体だというのに。


 はっきり言って、ヴィシオと自分は合わない。他にいい場所があれば移りたいが、魔物や魔道具の研究をさせてくれるところなんて他にはないから仕方がない。

 個人での研究は非現実的だ。限界があるとかいう話でもなく、無理と言い切っていい。

 馬の合わない上司と仕事をするのは辛いものがあるが、贅沢を言っていられないのが現状なのだ。


 資料に羽ペンで印をつけ、気づいた点を追記する。

 何度か試して分かったが、使役すると戦闘力が落ちる。敏捷性や反応速度が分かり易く下がるのだ。

 本能に任せて動かした方が生物としては強いが、それだと思い通りに操作できない。やはり魔力量の問題か、それとも魔道具の方か。魔道具は他に種類がないから調べようもないが。


 やはり、現状でもそろそろ限界が見えてきた。つくづく惜しい。

 出来れば、少女の魔法使いにはなんとか生き延びて欲しいものだ。そして、どうか王都まできて欲しい。何なら匿う事だって構わないと思っているのに。


 記載し終えて羽ペンを懐に収めて、主任はふと異常に気づいて舞台に視線を向けた。

 燃え尽きた植物の魔物を前に、怪物がずっと唸り続けている。

 おかしい。敵対生物がいなくなれば、周囲を警戒しながら無意味にうろつくか休むはずなのに。

 壁にしがみ付き、身を乗り出して怪物を見やる。


 振り向いたキマイラの瞳は、真っ赤に燃え上がったままだった。

 反射的に手を離し、大きく後ろに飛び退く。


「実験体が暴走した! 処分しろ!」


 叫ぶと同時に怪物が壁に体当たりし、客席が小さく震える。

 ネペンティスを燃やした炎が壁を伝って、僅かに客席からも見える位置で踊った。

 出入り口の近くにいた白ローブが壁に張り付いた『装置』を操作し、舞台を囲う壁からナイト達が送られた遺跡にあったのと同じレーザー射出機構が姿を見せる。

 圧縮された粒子が光線となり、ネペンティスの蔓さえ弾き返したキマイラの肉体を貫いて粒子へと戻していく。


 砂にも見えるキマイラの粒子は降り積もり、ネペンティスと同じく舞台の新たな地面と化した。

 肺に溜まった空気を搾り出し、彼は立ち上がる。


「主任! 大丈夫ですか!?」

「あぁ……また失敗かぁ」


 動揺する若い白ローブに適当に返事し、落胆の溜息を吐く。

 念の為舞台を覗き込むも、最早動くものは何一つなかった。


 不幸中の幸いとして、遺跡が破壊される前に処分できた。

 たかがキマイラが暴れた程度で全損はないと思うが、一部でも壊れると重大な損失だ。

 最悪、キマイラは『装置』に魔力を貯める方法が分かればまた増やせるが、遺跡はそうもいかない。何せ、未だにどうやって作られたかも、どんな材質が使われているかも分からないのだ。


 しかし、手痛い失敗には違いない。結局、最後まで使役は上手くいかなかった。

 錫杖の使い方が分からなかった頃には虫共相手にすら起こっていた事態だ。お陰で対処は学べたが、それで研究が進展するわけではない。

 暴走。おそらくは無理な使役によって起こる、本能と命令の拒絶反応。さっきのは戦えと命令したから、こちらとも戦おうとしたのだろう。ああなれば、目に映る動くもの全てに襲い掛かる凶獣と化す。


 これでまた、謎を解明する手段を一つ失ってしまった。

 肩を落として悲しむ主任に、若手の白ローブが呆れたように声をかける。


「死ぬところだったっていうのに、それですか」

「だって、もうこの遺跡も魔力切れだぞ? これで何個目だ?」

「あー……十個目くらいですかね?」

「マトモに装置も遺跡も残ってるとこなんてもう殆どないだろうが! あぁ……もっと色々したいのになぁ……」


 がっくり項垂れる主任に、白ローブ達が苦笑する。

 彼らの誰もがこの時代にあって古代語や魔道具を研究したいという、言わばはぐれ者だ。そして、主任は彼らにとってその王なのである。

 主任ほどではないにせよ、彼らも似た気持ちは抱えているのだ。


「まぁまぁ、失敗だって成果ですよ。次に活かしましょう」

「その次がどんどんなくなってるから言ってんだよぉ!」


 子供のように喚く主任を余所に、白ローブ達は撤収準備を始める。装置も使えなくなった今、この遺跡は放棄するしかない。

 どいつもこいつも、主任程ではないとはいえ自分の研究以外にろくに興味はないのだ。


 限界は誰もが感じていた。

 状況を打開できるのは、最早魔法使い以外にはないことも。



 彼らのその身勝手さが、ある意味マギサを生かしナイトと出会う切っ掛けを作ったというのは、なんとも皮肉なものである――



  ※               ※                ※


 体を揺すられる感覚に、ナイトは目を覚ました。

 慌てて起き上がれば、いつもの黒ローブ姿のマギサが驚いたように身を引く。後ろには準備を整えたロイエの姿。

 すっかり寝過ごした事に気づいて、ブランケットを跳ね除けて立ち上がった。


「ご、ごめん。すぐに準備するから」

「まだ大丈夫です。朝食にしましょう」


 落ち着かせるように言って、マギサが腰を上げる。

 深くため息をついて頭を掻き、ロイエに勧められるままに顔を洗いに行く。

 居間の隣に無理矢理とってつけたような厨房にある空の桶を取って、外に出る。

 設置されているポンプ式の蛇口から水を汲んで、一口飲んでから顔を洗った。


 里には、水道が通っていた。やはり『魔法使い』の隠れ里だけあって、文明が違う。上水道なんて、ナイトも王都やコンフザオくらいでしか見たことがない。

 水の冷たさで頭がはっきりしてくると、昨晩の事が頭を過ぎった。


 今日、これから一体何が起こるのか。それは、最早自分の関与できる話ではなくて、何があっても見届けるのがここまでついてきた意味だと思う。

 二人がどんな話をして、どんな結論をだすのか。例えどんな結末を迎えようと受け入れようと、ナイトは腹に力を込めた。


 そこで気づいた。布を持ってきていない。

 季節柄暖かくなってきたとはいえ、すぐに水が乾くほどではない。まぁいいかと適当に掌で拭い、顔を振って水気を飛ばす。

 桶の残りを流して戻ろうとしたところで、厨房に繋がる勝手口が開いて布を手にしたマギサが現れた。


「あ、マギサ。さっき言うの忘れてたけど、おはよう」

「おはようございます」


 早足に近づいて、布を差し出してくる。

 誤魔化す様に苦笑して、礼を言いながら受け取った。

 軽く拭いてマギサに返し、空の桶を手に小屋に戻る。


 居間に並べられた朝食は、茶色いパンと野菜のスープだった。

 昨晩も話の後で一応夕食を摂ったのだが、その時と同じメニューだ。元騎士で体躯もいいのに、肉が食卓に並ばない。

 ナイトも特に不満があるわけではないのだが、少し不思議に思った。菜食主義者なのだろうか。


 朝食と片づけを済ませ、いよいよ三人は墓地に向かって出発する。

 ロイエに先導され、ナイトとマギサは植生が他の地域と明らかに違う森を歩いた。

 里の周囲はかつて里を作った『魔法使い』が住みやすいように改造したらしく、あらゆるものが都合よく作られている。

 危険な野生生物はおらず、家畜にしやすい動物がおり、肥沃で作物が育ちやすい。地下水も豊富で、なんなら少し歩けば太い川が流れているという。


 マギサから説明を聞きながら、ナイトは舌を巻いていた。

 なんとも、凄いものである。魔法とは、そこまで好き勝手にできるものなのか。

 マギサの話では、もうマギサが生まれた頃にはそんなことをできる『魔法使い』はいなかったらしい。だから、全員で協力して環境を維持していたのだとか。


 何はともあれ呆気にとられるしかない。本当に異世界に迷い込んだ気分だ。

 だが、その異世界も、里の人々の努力によって保たれていたのだと聞くとどことなく親近感を覚えてしまう。

 どこも、生きるための苦労はさして変わらないようだ。

 暫く歩くと、段々と地面が緩やかに傾斜してきた。平地はどうやら終わりらしい。


 里は、三方を木々の生い茂る山に囲まれ、一方を深い森に覆われている。そのうち、今歩いているのは森と反対側に位置する方角。

 騎士団が攻め込んできた道の、反対側だ。


 説明できることもなくなって、マギサが無口に戻る。元々お喋りでないナイトの口数も、あからさまに減ってきた。ロイエは最初から何も喋っていない。

 近づいている。それは、場所を知らないマギサやナイトにさえ分かることだった。


 暫く登ると、靄が視界を塞いでくる。季節に似合わずやや肌寒ささえ覚えるのは、気のせいではないだろう。

 ロイエは迷うことなくしっかりした足取りで歩く。

 その確かに背中を押されるように、ナイトもマギサも黙々とついて歩いた。

 靄のかかった木々を抜け、視界がはっきりとすると、



 開けた小高い丘に、幾つもの無名の墓標が突き刺さっていた。



 そのどれもが木製で、専門的な技術を有していない人が作ったことが分かる作りだった。

 それが誰かなんて、口にするまでもなかった。

 立ち尽くすナイトとマギサを置いて、ロイエは一番右端の墓標へと近づく。

 その墓標にだけは、文字が刻まれていた。


 『気高き淑女、ここに眠る』


 腰に下げた袋から真白い花を取り出し、ロイエは跪く。

 恭しく添えると、両手を組んで祈りを捧げた。

 ここまでされれば、鈍いナイトにも分かる。

 あそこが、マギサを逃がした人の眠る墓。ロイエの人生を変えた女性が埋められた場所。



 マギサの祖母の墓標だ。



 ふらつく足取りで、マギサが墓に近づく。ナイトもその後ろについて歩いた。

 マギサが傍に来たことに気づくと、ロイエは立ち上がって場所を譲る。

 覚束ない足取りのまま墓の前まで進むと、マギサはぺたりと座り込んだ。


 覚悟していたとはいえ、やはり堪えるものがあるのだろう。

 目を丸く見開いて、じっと墓標を見つめて動かない。

 他の誰も、ただの一言も口を開くことができなかった。


 朝日に照らされて、墓標が長い影を作る。

 静謐な空気が満ち、胸の奥が圧迫されるような苦しさを誰もが感じていた。


 丘の天辺に建つ一際大きな墓標は、体すら見つからなかった人達の為のものだ。

 勿論、里に何人いたのかロイエが知っているはずもない。マギサだって知らない。

 だから、まとめて一つの巨大な墓標とした。全ての人を弔う為に。誰も仲間外れにしないように。

 誰もが、魂の安息を得られるように。


 果たして、里の人々は死した後安息を得られたのだろうか。

 それは、今この場に居る誰にも分からない事だった。

 小さく聞こえる鳥の声に押されるように、ロイエが口を開く。


「ここに、君を連れてきたかった」


 マギサは墓標を見つめたまま微動だにしない。

 ナイトが横目で見やれば、騎士だった男は救われたような、苦渋をかみ締めているような顔をして俯いていた。

 その表情が何を意味するのか、ナイトには分からない。

 ただ、何かに似ている気がした。


「自分は、その為にこれまで生きてきたんだと思う」


 マギサの顔も姿勢も動かない。

 確か、最近見たはずだ。ナイトは記憶を探って、似ているものを探す。

 思い出す前に、ロイエがその一言を口にした。



「だから、もう十分だ。君の気の済むように殺してくれ」



 思い出した。昨日のマギサだ。

 もういいと、そう叫んだマギサの姿にとてもよく似ていた。

 生を諦め、何もかもを捨てようとしていた彼女にそっくりなのだ。


 ナイトは視線を落とす。

 マギサの瞳は普段通りに戻っていて、ただ何も言わず墓標を見つめていた。

 何を考えているのか、ナイトには分からない。


 分からなくても、最後まで見届けると決めた。

 例え、どんな結末を選んだとしても。


 マギサが口を開いたのは、ロイエの言葉の残滓が消えてからだった。



「嫌です」



 短くて小さい、たった一言。

 その一言は、とてつもない威力を伴ってロイエにぶつけられた。

 驚きに目を見開き、慌てたように口にする。


「いや、しかし、自分は君にとって仇で――」

「――はい。そうです」


 仇、という言葉に反応して、マギサがロイエを見上げる。

 何もかもを吸い込む黒い瞳にたじろぎ、ロイエは口を噤む。

 マギサの瞳は怒りに燃えてもいなければ、悲しみに暮れてもいない。

 ただ、そこにあるものを見つめていた。


「だから、殺したりなんかしません」


 揺らがぬ瞳に射抜かれ、ロイエの目は少女に釘付けになって離れない。

 本当に、あの時の少女と同じ人物なのか。

 今にも泣きそうな弱さはすっかり鳴りを潜め、強い意志を持って見据えてくる。

 半年ばかりでここまで人は変わるものか。

 祖母に守られてばかりだったあの夜から、一体どんな出来事を経験したのだろう。


 それは、もしかすると、



 隣の青年と共に歩んできた道の結果なのだろうかと思う。



「死ぬまでお墓を守って、たまに話し相手をして下さい」


 少女から告げられた求刑は、とても里を滅ぼされた人間の言うこととは思えなかった。

 事態が受け止めきれず、ロイエが眉根を寄せて顔を覆う。


 昨夜少女を見た時、ついにそのときが来たのだと思った。

 一体いつまで生きているつもりなのか、我ながら疑問だったのだ。

 全ての墓を建て終えた時、もういいかと思った。だが、墓が荒らされるのは我慢がならず、なんとなくで生き延びてきた。


 償いきれない罪を犯した。夜眠る度に、炎の音が聞こえてくる。肉を斬る感触が甦り、ついには獲物を狩ることさえできなくなった。

 できれば、刃物に触りたくもない。樵の真似事をして斧を振るうのも苦痛だった。


 そんな人生に、心底嫌気が差していた。

 『魔法使い』の生き残りに殺されるのなら、これ以上ない償いになると思った。


 もしかすると、自分はただこのまま生き続けるのが辛かっただけかもしれない。

 死んで楽になりたいと思わなかっただなんて、口が裂けてもいえない。


 最後の逃げ道を、年端も行かぬ少女に潰された。

 これが贖罪だというなら、神様なんてのは実に残酷な存在だ。

 何故なら、こんな自分にまだ生きろというのだから。

 少女の瞳に映る自分の姿に、怯えすら感じているというのに。

 首を横に振れる勇気は、どこを探してもでてこなかった。


「分かった……君の言うとおりにする」

「はい」


 頷く自分に、少女は薄く微笑みを浮かべた。

 悪魔とも天使ともつかない笑顔に、胸の奥が締め付けられる。


 楽な道は途絶えた。

 生きているだけで苦しい日々が、これからもまた続く。

 だとしても、それが彼女の望みなら、他に選択肢などなかった。


 『墓守』ロイエは、その人生を全て捧げることを覚悟した。



 全てを見届けたナイトは、長く長く深呼吸をした。



  ※              ※                ※


 墓参りを終え里に戻ってきた頃、日はすっかり昇ってやや暑さを増してきていた。

 昼食にはやや早い時間、ロイエは振り返って二人に問う。


「君達は、これからどうするんだ?」


 言われて、ろくに考えていなかったことにナイトは気づく。

 一度見たいとは思っていたが、それだけ。特に何かすることかあるわけでなし、長居する理由はナイトにはない。

 いずれ行くつもりだった王都にでも向かおうかと考えて、マギサを見下ろす。


 もし、マギサに長居する理由があるなら話は別だ。

 暫くここで過ごすのも悪くない。

 そのつもりで視線を送ったのが通じたのか、見るだけで暑苦しい黒いローブ姿のマギサが口を開いた。


「暫く、ここに逗留させて下さい」


 何かしらしたいことがあるらしい。

 ナイトはそう解釈して、ロイエに向き直って頷いた。

 二人の顔を見やり、ロイエは深く頷く。


「分かった。ここにいる間は自分が面倒を見させてもらう。好きなだけ居てくれ」


 ロイエの言葉に頷き返し、ナイトはマギサに理由を聞いてみようと視線を落とす。

 丁度視線を上げたマギサと目が合い、一瞬固まった後苦笑を浮かべた。

 マギサは常と変わらず、無表情のままだ。

 それでも、意図は通じたのか何を聞くより早く話してくれた。


「暫く里で、探し物がしたいんです」

「探し物?」


 聞き返すと、マギサは小さく頷く。


「魔法についての資料が、どこかに残っているはずです。そういう場所は、魔法で封じているから騎士団には気づかれていないと思います」

「あぁ……成る程」


 確かに里なら、そういったものが残っていてもおかしくない。

 魔法に関するものだけに、下手に人の手に渡らないよう工夫をしていても納得できる。

 しかし、あれほど魔法を恐れていたのに、一体どういう風の吹き回しだろうか。

 聞いてみようとして、またもやマギサに先んじられた。


「魔法のことがもっと分かれば、何か変えられる切っ掛けが見つかるかもしれません。そうでなくとも、制御がより完璧になると思います」

「あー……そっか、うん。そうだね」


 なんとなくむず痒い気分になって、ナイトはマギサから目を逸らして襟足を掻く。

 少しでもいいから、変えていきたい。

 それは、少し前に語ったナイトの目標だ。

 あの若い騎士への一種の反骨心であり、遠大な目的に少しでも近づこうとする足掻き。

 マギサが積極的に協力してくれるのは、初めてかもしれない。


 そう思うとえも言われぬ感覚が全身を奔り、何かをしなくてはという気分になる。

 手伝おうか、と言おうとして、魔法関連では自分は役立たずだと思い出す。

 襟足を掻く手に力がこもり、益体もない考えが浮かんでは消える。

 結局辿り着いたのは、なんてことのない普通の結論だった。


「じゃあ僕は、その、ロイエさんの手伝いしてるよ。何か力になれそうな事があったら、いつでも言ってね」

「はい。その時はお願いします」


 以前よりも少しだけ柔らかな返答を聞きながら、こんなことでいいのかと自問自答する。

 良いわけがない。何かを変えていきたいと言ったのは自分なのに、これではおんぶに抱っこだ。

 かといって、マギサと同じように資料を漁れるだけの知識もない。古代語なんてまだまだ読めないし、魔法に関する知識も上澄みを覚えた程度だ。

 なんだかやる気に満ちているマギサに水を差すのも悪い。講義の続きは暫く後になるのも止むを得ないだろう。


 そうなると、一気にナイトに出来る事はなくなる。

 あの遺跡で見つけたかつての魔法使いの手紙にしたって、未だに読めずにいる。

 このままではいけない。そう思っても、打開策が見当たらない。無闇な独学はむしろ損をもたらすというのは、自らの頭の程度を考えればすぐに分かる話だった。


 何か、したい。何か。

 そう思っても何も思いつかず、調査に行くマギサを見送ってロイエの後をついて歩いた。

 案の定ロイエからは微妙な顔をされたが、願い出るとすぐに受け入れてくれた。


 何だか、ロイエの自分を見る目が若干気になる。やはり、素性の知れない人間だと怪しまれているのだろうか。

 早々にあれこれ説明して誤解を解く必要があると考えながら、自分にも何ができるかと思索に耽る。

 馬鹿の考え休むに似たり、とはよく言ったもので。

 結局、一日経っても妙案など何一つ浮かばなかった。



 こうして、ナイトとマギサの里での生活は始まったのである――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ