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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
62/85

第六十話 「滅びた故郷・2」

――騎士になって二十年。騎士団の『正義』を疑うことは、あの時まで一度もなかった。


 大臣ヴィシオの提言による『魔法使いの里』殲滅作戦。今も尚夢に見るあの夜に自分を導いた作戦は、騎士団のほぼ半数を以って実行された。

 守備隊と巡回の騎士隊の一部を除いた王都の全戦力と、各都市から召集した騎士隊。総勢二百名を超える大部隊が編成された大規模作戦は、騎士として生きた二十年の中で最大のものであった。

 指揮を執ったのは騎士団団長、レヒト・オルドヌング。これ程の大規模作戦、他に指揮を執れるものがいようはずもない。

 辞令が届いて編成された時、自分は何の疑問も抱かなかった。


 『魔法使い』などが本当に存在するなら滅ぼすべきだと思ったし、任務内容もいつも通りただ飲み込んだ。自分の『当たり前』に準拠して。

 召集と編成が終わり、里を取り囲む部隊と突入する部隊に分けられた。突入部隊は直接の指揮官を団長とする古株の精鋭で構成され、その一人に選ばれた事を光栄だとすら思っていた。


 本当は、もっと考えるべきだったのだ。


 『魔法使い』なんてものがいるのなら、どうして今まで何もしなかったのかを。


 突入部隊はおおよそ五十名。全体の四分の一以下の数で構成された。

 もしかすると、レヒト団長は予想していたのかもしれない。

 彼らに、争う意思がないことを。


 それとも自分の思い過ごしで、ただ一人たりとも逃がさぬよう取り囲む人員を多く見積もっただけか。

 団長の真意がどうであれ、今となっては詮無い話だ。


 あの日、騎士団として里を襲撃した夜。

 『魔法使いの里』討伐隊は予定通り突入部隊を残して布陣し、夜を待って団長の合図と共に松明を手に雪崩れ込んだ。


 この時まで、本当に自分は何も疑問に思わなかったのだ。


 家々に火を放ち、現れた『魔法使い』を斬る。

 人を斬るのは何も初めてではない。犯罪者を斬った事くらい何度もあった。

 顔にかかる血飛沫も、断末魔の形相も、慣れたものだったはずだ。



 だが、無抵抗の相手を斬るのは初めてのことだった。



 『魔法使い』は凶悪で狡猾、秩序を乱す敵。頭のどこかに、そういう認識があった。

 それは、幼い頃に聞いたお伽噺であったり、『魔道具』や遺跡関連の事件であったり、通達された書面に記載された内容であったり。

 そういったものが積み重なって構成された、『当たり前』の姿。

 だがそれは、目の前の情景と少しも重なりはしなかった。


 悲鳴を上げて逃げ惑う様は、まるで魔物にでも襲われた一般人だ。包丁などの刃物くらいあるだろうに、それを持ち出して抵抗する素振りも見せない。

 ただ、生き残ろうと老若男女問わず逃げていた。



 子供を庇う母がいた。

 剣身を掴んで時間を稼ごうとする父がいた。

 焼けた老人が構わず逃げろと叫び、血に濡れた少女が助けを求めて泣き叫ぶ。



 地獄が、そこにはあった。



 自分は一体、何をしているのだろうか。



 これではただの虐殺だ。正義と任務の名の下に、人殺しをしているだけだ。

 違う。これは『魔法使い』の排除であり、絶対たる王命であり、秩序を守る行為だ。

 頭では分かっていても、全身から感じる現実がそれを否定してくる。


 『魔法使い』は放置してはいけない。今はよくても、いつ牙を剥くか分からない。そして、牙を剥かれれば最後だ。ただの人間である我々は、抵抗も無意味に滅ぼされる。

 だから、先に滅ぼすのだ。

 何度繰り返しても、ちっとも正しいと思えなかった。


 剣を振るう度に血飛沫が上がり、命が消えていく。

 一振り毎に、こんなことの為に腕を鍛えたのかと疑問が膨れ上がる。

 ようやく杖を手に抵抗してくれる者も現れ、少しだけ救われた気になった。が、それもすぐに霧と消えてしまう。


 彼らは、相手に傷を与えるような『魔法』を一つも使わなかった。

 おそらく『魔法』だろう力で倒された騎士は、どれも昏睡するか気絶するかで、命に別状など欠片もなかったのだ。

 『魔法』を使った村人は、騎士数人がかりで切り刻まれ首を落とされた。


 襲い掛かる騎士の中の一人に、自分もいた。



 ――今、自分は、何の為に剣を振るっている?



 疑問を押し殺し、何も考えないようにして、とにかく目に付く端から斬る。

 炎に包まれた地獄では、人の感覚が薄れていくようだった。


 里のあちこちで爆発音がし始めた頃、ふと視界の端に老婆の姿が映る。

 子供を抱えた老婆は、異様に速い足で森の方へ逃げていた。

 考えるのに疲れただ剣を振る人形と化していた自分は、特に何も思うことなくその背中を追った。

 魔法使いは殲滅する。それが、任務だったから。


 里の外れ、森の近くで追いついた時、老婆は抱えていた少女と何やら話をしていた。取り囲んでいる部隊がいる場所まではまだ少し距離がある。ここで仕留めるべきだと考えて、剣を振り下ろした。

 もう飽きるほど繰り返した肉を斬る感触と、飛び散る血の暖かさ。ずり落ちる老婆の向こうに、黒尽くめの少女がいた。


 少女が声も出さずに叫ぶと、産毛が逆立つような感覚がした。空気が凝縮されるような、力が吸い込まれるような感覚。

 余りの異様さに身を固めると、その感覚が弾けるように消えた。

 何をされたのかは分からないが、抵抗されたことには違いがない。無理矢理殺す理由も作り、少女に向かって構える。


 視線を遮るように、老婆が少女を隠した。


 背中の傷は間違いなく致命傷で、流れ出る血から考えても長くは持たない。

 その体で、老婆は少女を庇った。


 一体、悪党はどちらなのか。

 そうして戸惑っている隙に、少女が一瞬光に包まれる。

 老婆が力尽きて倒れると、そこにはもう誰もいなかった。


 何が起きたのか、自分には分からない。ただ、この老婆が『魔法』か何かで少女を逃がしたのだろうということは理解できた。

 避けられぬ死を前に、自分を守るでなく、相手を殺すでなく。

 おそらくは孫であろう少女を逃がす為に、力を使ったのだ。


 ――今、自分は、何の為に剣を振るっている?


 人々の平和と安寧の為に、騎士となったはずだ。

 法と秩序を守り、人の弱さを受け止め、悪心を許し、皆の笑顔を至上の喜びとする。

 そんな騎士に憧れて、騎士団試験に二度も落ちても諦めなかったのだ。


 だというのに、これは何だ?

 一体彼女達が何をした?


 今まで斬ってきた連中は、どれも他人の命などどうとも思っていなかった。ともすれば、身内の命さえ切り捨てるような奴等ばかりだ。

 説得にも耳を貸さず、反省の色もない。命乞いだけは立派で、平気で嘘を吐く。如何に逃げ延びるかばかりを考え、他人の粗探しに余念がない。


 それなのに、彼女達はどうだ?


 こちらを殺そうともせず、身内の為に自らの命さえ投げ出し、あまつさえ抵抗もしない。

 彼女達が殺されるのは、『魔法使い』だからだ。

 それだけで、説得の余地もなく最初から殲滅を命じられた。

 今まで出会ってきた悪党に比べれば、聖人君子のような行動をしているのに。

 そんな悪党共でさえ、抵抗を止めさえすれば牢にぶち込むだけですませてきたのに。


 震える手に力を込めて、剣を握り直す。

 情に流されてはいけない。これはれっきとした王命であり、『魔法使い』が存在だけで危険なことに変わりはない。

 秩序を簡単に破壊できる存在を、騎士として許すわけにはいかないのだ。


 馬から下りて、地面に転がる老婆に近づく。

 抜き身の剣先を、よく見えるように顔の近くに寄せた。

 騎士として、やるべきことをやらなくては。


「言え。娘をどこへやった」


 突きつけた剣先に目をやって、老婆は小さく微笑んだ。

 何故、この状況で微笑むのだろう。意味が分からず、軽く混乱する。

 普通なら、命乞いをする場面だろうに。

 老婆はゆっくりと寝返りを打つように仰向けになり、慌てて剣を引っ込めて今度は喉元に突き付けた。


「動くな。死ぬぞ」


 老婆が荒い息の中で、もう一度小さく微笑む。

 まただ。どうして笑うのか。

 死に際の人間が、これほど穏やかになれるものなのか。天寿ならまだしも、殺されようとしているのに。


 剣先が揺れる。何を動揺しているのか。

 早くこの老婆から少女をどこへ逃がしたのか聞き出して、団長に伝えなくては。

 理性はそう叫ぶのに、体は上手く動いてはくれなかった。


「……騎士様……お願いがあります」


 老婆の皺の刻まれた手が、剣身を掴む。

 驚いて引こうとして、微動だにしなかった。

 『魔法』だ、と気づいたときには手遅れで、どれだけ力を込めても無意味だった。


 枯れ木のような老婆の片手に、完全に押さえ込まれている。

 背筋を奔る戦慄も知らぬ気に、老婆は穏やかに微笑んだ。


「どうか、この老いぼれの命一つでお許し下さい……あの子は、どうか……」

「貴様、何をっ……!」


 身を起こした老婆の胸に、ぴたりと静止した剣先が埋まっていく。

 口の端から血を垂らしながら、老婆は動きを止めようとしない。

 剣先から伝わってくる肉と内臓を貫く感触に、全身に怖気が奔る。


「おい、止めろ! 何をしてる!!」

「どうか……どうか、あの子は……お許しを……」

「分かった、分かったから止めろ!!」



 最期に儚い笑みを浮かべて、剣先が背中から飛び出る前に老婆は絶命した。



 力を失い倒れる身体から、剣が引き抜かれる。

 切り裂く肉の感触は、最後までしっかりと掌に伝わってきていた。

 物言わぬ肉の塊となった老婆を前に、剣を掴む握力を失って取り落とす。



 ――自分は、一体何をしているのだろう?



 孫を思う祖母を殺すことが、果たして正義なのだろうか。

 それは、本当に秩序を守る行いなのだろうか。

 身体が覚えた肉と内臓を貫く感触は、これこそを罪というのではないか。

 今、自分は、罪を犯したのではないか。

 溢れ出る老婆の血が、黒い水溜りを作る。


 背中で照り返す炎に炙られて、地獄の獄吏にでもなった気分だった。


 馬の足音には、全く気づいていなかった。


「ロイエ。そちらはどうだ」


 声に振り向けば、団長がそこにいた。

 自分よりも年下ながら、団長に選ばれた英才。騎士団の正義と任務に忠実な、まさに理想的な騎士。

 そして、この殲滅作戦の指揮を執った人物。

 返す言葉が、何もでてこなかった。


「騎士ロイエ・カヴァリエーレ。報告を求める」


 ぴしりと緊張の奔る声色で、改めて団長が問いかけてくる。

 報告せねばならない。『魔法使い』の少女が一人逃げた、と。

 しかし、そう言おうとすればするほど、口は動かなくなった。


 団長は基本的に殆ど表情を動かさない。それでも、長年共に戦ってきたせいかなんとなく気配が変わったのは分かる。

 やや鋭くなった目つきが意味するのは、疑念だ。

 早く言わねばならない。無理矢理動かした口が放ったのは、想定とは違う言葉だった。


「団長。何故、彼らを殺さねばならなかったのですか」


 自分の口から出た言葉に、自分で驚いた。

 だが、一度出たものは覆せない。

 炎に飲まれた地獄を背に、黒く深い森を前に、物言わぬ老婆を見つめながら問う。

 耳に聞こえるのは、遠くにうねる炎の音だ。


「彼らが『魔法使い』だからだ」


 分かりきった答えが返ってきた。

 その言葉に、それ以上の意味なんかどこにもない。

 『魔法使い』は現在の秩序を乱す。どこをどう考えても、そこにしか行き着かない。だから騎士として、人々の平穏と安寧を守る者として剣を振るう。

 正しいはずのその理屈に、どうしても疑念を抱かずにはいられなかった。

 そこでようやく理解した。


 あぁ、もう駄目なのだ。

 自分はもう、騎士として使い物にならない。

 これが騎士として正しい行いなのなら、もう自分には無理だ。


 二十年。長いようで短い日々だった。

 騎士として正しい在り方で在れなくなったのなら、やるべきことは一つ。


「今までお世話になりました」


 馬上の団長に振り向き、深く頭を下げる。

 相も変わらず表情の読めない顔に、鋭い目つき。何を考えているのか分からない我等が団長が、自分の言葉をどう受け取ったのかは未だに不明だ。

 分かっているのは、自分の言葉を聞いて、すぐに転進したことだけ。


「分かった。黒尽くめの少女はこちらで処理する。これまでご苦労だった」


 蹄の音と共に団長が去っていく。

 少女のことを見られていたらしい。その上で声をかけたということは、自分を試していたのだろう。

 そのくらい、端から見ておかしな挙動をしていたようだ。

 剣を収めて、老婆に向き直る。


 ここで野晒しにするのはあんまりだ。墓を、建ててやりたい。

 他の魔法使いもそうだ。できれば全員、原型が残っている限り埋葬したい。

 そうしたら、そのままずっとここに住もう。

 命尽きるその時まで、彼らの墓を守り続けよう。



 そうしてあの夜から、自分は『魔法使いの墓守』となった――



  ※           ※             ※


 年代ものの古い小屋の中は、奇妙な静寂に包まれていた。

 空気が質量を持って覆いかぶさってくるような感覚を覚え、ナイトはこっそりと他の二人を盗み見る。

 父と娘ほどの年齢差のある二人は、同じようにやや俯いて視線を合わせないようにしていた。


 玄関先で目を合わせてからずっと、この調子だ。

 二人とも面識があるだろうことはナイトにも分かったが、だとしたら何故何も話さないのか。というより、一体どこで出会ったのだろう。

 里に居た頃の知り合いだろうか。それとも、里から逃げている途中で知り合ったのだろうか。自分と出会う前であるのは間違いない。


 あれやこれやと聞いてみたい気持ちはあるが、この重々しい空気がそれを許さない。軽々しく口を開けないし、言ってしまえば部外者である自分が最初に口を利いていいものかと思う。

 お陰で、交わした言葉はテーブルに案内されてからの「まぁ、座ってくれ」「はぁ」の二言だけだ。

 どうにも居心地が悪い。それは、椅子が一人分しかないから物置から掘り出した台に座っている所為かもしれないし、そのたった一つの椅子に座っているのが目の前の壮年の男性ではなくマギサである所為かもしれない。


 マギサやナイトが何かを言う前に、男は持ってきた台に座った。勿論ナイトが椅子に座る選択肢などあるはずもなく、自然にマギサが座ることになったのだ。

 無言のまま、時間だけが無常に過ぎ去っていく。

 壮年の男が誰なのか、何のつもりなのか、ナイトにはさっぱり分からない。遅ればせながら訪れた我慢の限界に口を開き、


「どうして、ここにいるんですか?」


 マギサの言葉に機先を制され、何も言えないまま口を開いては閉じた。

 暖炉の薪が立てる、パキリという音が嫌に耳に響く。

 問われた男は眉根を寄せ、何かを堪えるような表情で口を開いた。


「……君が不愉快に思うのも当然だ。しかしどうか、話を聞いてほしい」


 外見に似合わず弱々しい声に、炎に照り返される顔に刻まれた皺が、男を年齢以上の老年に見せた。


 彼の話を纏めると、こういうことになる。

 マギサの里を攻め滅ぼした夜、騎士としての在り方に疑問を抱いた。

 そして騎士を辞め、武具も財産も返上して里の人々の墓を建てながら暮らしていた、ということだ。

 この小屋は襲撃を免れたというよりも、埋葬するまでの保管場所として騎士団団長が残してくれたものらしい。


 言われてみれば、里には人の死体もなければ腐臭もなかった。野犬か何かに食われるか土に還ったかと思っていたが、骨まで消えるのは確かにおかしい。

 納得するナイトを余所に、マギサと男の視線が再びかち合う。

 先に視線を逸らしたのは、男の方だった。


「こんなことをしても、罪滅ぼしにもならないことは分かっている。ただの自己満足だ。だが……」


 逸らした瞳をもう一度マギサに合わせ、男は意を決したように言う。


「良ければ、一度参ってほしい。彼らも、君に会いたかろうと思う。特に、君を逃がしたあの人は」


 揺れる炎に照らされた二人の姿は、あの夜の再現のようにさえ見えた。

 違うのは老婆がいないことと、


 照り返された横顔に映し出された表情が、全く逆であることだ。


「……分かりました」


 頷くマギサに、男が救われた顔で皺をより濃くする。


「ありがとう……本当にありがとう」


 苦悩の滲む声で掠れるように感謝を述べ、男は深く頭を下げた。

 表情一つ動かさないマギサから目を離し、ナイトは炎と一緒に揺らめく天井を見上げる。

 男の正体も、何故里にいるのかも、重い空気の正体も分かった。


 殺した側と、殺された側。

 騎士と、魔法使い。


 誰が悪いとか、そういう話じゃない。それは嫌というほど思い知らされた。

 けど、それで割り切れたら互いの苦悩はきっとなかった。

 どうすればいいのか、なんてことはナイトには分からない。

 分かるのはただ、彼を一方的に責め立てるなんてことは自分にはできそうもないということだけだ。


 マギサは、どうなのだろうか。

 無表情の裏に隠した心を探るように、ナイトは思いを馳せた。


 里の墓参りに行くのは、一晩休んで翌日の朝と決まった。



  ※             ※                ※


 話も終わってそれぞれが床に就くも、ナイトは中々眠れずにいた。

 それは居間で寝ているせいで寝心地が悪いとか、そういうことは関係ない。野宿を何度も繰り返していると、大抵どんな場所でも眠れるようになるものだ。

 寝返りを打って目だけを動かし、寝室に続く扉と物置の扉を交互に見やる。


 寝室には、マギサが寝ている。物置の方には、壮年の元騎士――ロイエが。

 借りたブランケットを被り直し、無理にでも寝ようと目を瞑る。

 昼の戦いやら里の探索やらで疲れてはいる。疲れてはいるのだが、考え事とも言えないものが頭の中を渦巻いて寝かせてくれない。


 ロイエは、自分を騎士失格だと言った。里を滅ぼす事が正しいとは思えなくなった、と。それは分かる。自分だって、それが正しいとは思えない。

 だが、騎士としては正しい行いだ。きっと、あの若い騎士ならそう言う。秩序を守り、人々の暮らしを護る為には必要なことだ、と。

 そう言われて、何一つ言い返せなかったことも覚えている。


 ロイエの話を聞いてから、ずっとそのことが頭の中をぐるぐると回っていた。回れば回るほど、胸の内で何かの塊みたいなものが大きさを増していく。

 一体どちらが正しいのか。

 そう考えるほど、奇妙な感覚が心臓の奥を支配してずきずきと痛むように訴えてくる。

 お陰で、眠気がさっきから全然やってきてはくれないのだ。


 もう一度寝返りを打って、火の消えた暖炉に背を向ける。

 例えば、ロイエや自分が正しいならば、騎士団は間違っていることになる。騎士団が正しければ、間違っているのは自分達の方だ。

 どちらも、なんだか違う気がした。


 でもそれなら、一体何なのか。

 考える。ずっとずっと考えて、それでも分からない。

 頭が痛くなるくらい考えても、答えなんて一つも出せなかった。


 でも。


 どっちが正しいかなんて、そんな事は分からないけれど。



 マギサの笑顔が奪われるのは、嫌だ。



 それだけは、ずっとはっきりしていた。

 胸の奥の塊がすっと溶けて、ようやく眠れる気がした。


 息を漏らして力を抜き、目を瞑って寝入ろうとした時。

 扉が開いて、誰かが背中側を通り過ぎようとする足音がした。

 その足音の軽さには聞き覚えがあって、ナイトは慌てて身を起こす。


「マギサ、」

「あ……すみません、起こしましたか?」


 若干申し訳なさそうなマギサに首を横に振って否定の意を示し、隣においてあった剣を取って立ち上がる。

 マギサはローブを脱いだ軽装で、白い絹のブリオーが垂れ落ちる黒髪を周囲の暗闇から切り取っていた。

 闇と同化しながらも反発するような姿は、マギサによく似合っていた。


「外に出るの? 僕も一緒に行くよ」

「少し外の空気を吸うだけですから」

「丁度寝付けなかったんだ。それとも、邪魔かな?」


 惚けた顔で苦笑するナイトに、マギサが逡巡する。

 確かに遠出をする格好には見えないし、里の近くには危険な動物はいない。夜とはいえマギサ一人で外に出ても問題はないだろう。

 しかし、万が一ということもある。何より、マギサを一人にしてはいけないと思った。

 根拠も理由もない。ただ、なんとなく。それはもしかしたら、マギサの為というよりは自分の為かもしれないけれど。


 今更か、とナイトは口に出さず一人ごちる。

 マギサに笑って欲しいのだって、自分勝手な望みだ。最初から、マギサの為でなく自分の為に行動しているのだ。

 だとしたら、少しくらい強引に行っても何を気にするものか。

 自己弁護を済ませて、マギサの答えを待つ。もし断られたら、もう一度だけ押してみようと決めた。


「……本当に、少し出るだけですよ?」

「うん。一緒に行こう」


 困り顔のマギサに笑い返して、手を握る。

 益々困った顔をするマギサに、不味いことをしたかとナイトは慌てて手を離した。

 失態を誤魔化すように笑って、小走りに玄関扉を開けて振り返る。

 ぽつんと置いていかれたようになっているマギサが、先程までとは違う意味で眉根を寄せていた。


「あ、あの、マギサ。外……」

「はい」


 マギサは振り返りもせず、ナイトの横を通って外に出る。

 寝ているであろうロイエに配慮してなるべく音を立てずに玄関を閉めてから、ナイトは後を追った。

 小屋から数歩離れれば、すっかり周囲は木々に囲まれてしまう。

 小さく虫の声が聞こえる森の中で、マギサは空に浮かぶ月を見上げていた。


 相変わらず、こうしてみると妖精か何かのようだとナイトは思う。

 月明かりを浴びた黒髪は薄く輝いているようにも見えるし、白い肌と服はそのままふわりと浮かんでいきそうだ。

 深い森の中、幻想と現実が交差するような情景。

 彼女が生まれ育った里は、まさにお伽噺と現実の狭間に存在していた。


 そして、現実に引きずり込まれて滅びたのだ。

 心臓を刺す棘を追い出そうと、ナイトは胸一杯に吸い込んで盛大に吐き出す。

 夜の冷たく穏やかな空気は、肩の力を溶かしてくれた。


「どの道、滅びるはずだったんです。この里は」


 唐突な話に、内心を読まれたかと思ってナイトはびくつく。

 反射的に見たマギサの顔は、空に向けられたまま。その目は、月よりも遠いどこかを見つめているようだった。

 どうやら心を覗き見られたわけでないらしい。胸を撫で下ろし、マギサの話に耳を傾ける。

 彼女が何を言おうとしているのか、ちゃんと理解したかった。


「閉じた里の行き着く先なんて、衰退の果ての滅びしかありません。子供の数がゆっくりと減って、最後には誰もいなくなる。誰にも知られず『魔法使い』はこの世から消えて、お伽噺の中だけの存在に」


 独り言のように呟く言葉は、透明な諦観を伴って吐く息に溶けていく。

 彼女と同じように見上げた月は半分より少し欠けていて、今にも崩れ落ちそうだ。

 このまま数日もすると月は見えなくなって、また少しずつ見えるようになる。


 子供でも知っている当然の理。月のない夜。

 マギサの話もそれと同じ、当然の理の話。

 吐き出したはずの棘が、また胸の中に生えてきた。


「里の皆がそれを望んでいました。ただ一人、お婆ちゃんを除いて」


 マギサの声に色が宿る。

 当然の理に抗った、マギサの祖母。

 もう二度と会えなくなったことを、ナイトは心底残念だと思った。


「けど、里を開くことなんてできない。『魔法使い』の恐ろしさは、嫌と言うほど教え込まされますから。結局、私もお婆ちゃんも何も出来ませんでした」


 身につまされる話だ。

 ナイトとて何とかしたいと喚いて、結局具体的に何が出来ているわけでもない。

 追われる生活も、世間の常識も、何も変わってはいない。

 むしろそんな環境下にあって、よくぞマギサの祖母は志を失わなかったものだと思う。

 滅びを受け入れた方が、楽な時だってあっただろうに。


「だから、騎士団やあの人――ロイエさんを恨んでいるかといえば、なんとも言えません。(くすぶ)る気持ちが全くないといえば嘘になりますが、何かをしようという気もないです」


 相槌を打ちそうになって、踏み止まる。

 話はまだ終わっていない。ここまでは、マギサが自分の気持ちを説明しただけだ。


 これは、言ってしまえば独り言の延長線上だ。

 心の内に抱えたものを口にして、荷物を軽くしようとしているのだ。

 まだ、荷物は出てきていない。それを背負うのが、話を聴く自分の役目だ。

 一人で抱えるのが辛い荷物を、二人で分け合う。それは、とても正しいことに思えた。


「ただ、ロイエさんが里に住んでいて、お墓を建てたって聞いて。どうしたらいいのか、分からなくなりました」


 マギサの目の焦点が、ゆっくりと『今』に戻ってくる。

 仇であるはずの男の所業を、どう受け止めていいのか分からないのだろう。

 復讐をする気がないことと、全てを許し受け入れることとは別だ。

 二人の因縁をナイトは正確に知っているわけではないが、それでも一筋縄でいかないことくらいは分かる。


 相手を許せるのなら、ロイエの罪滅ぼしを笑顔で受け入れられただろう。

 逆に許せないのなら、罵倒でもして殴り倒せば少しは溜飲も下がるだろう。

 どちらでもない場合は、どうしたらいいのか。


 関わらなければ、相手にも理があったのだと飲み込んだままでいられたのに。

 振り向いたマギサの顔は、泣き笑いのように歪んでいた。



「ねぇ、ナイト。明日、私はどうしたらいい?」



 マギサの視線を正面から受け止めて、ナイトは考える。

 明日の墓参りは、きっとただ行って終わりでは済まないだろう。

 必ず、ロイエから何かしらの話があるはずだ。

 それは多分、マギサにとっては凄く答えにくい何かが。


 罪の意識に苛まされ続けたロイエが話しそうなことなど、簡単に思いつく。

 だから、こうして聞かれているのだ。

 考えに考えた末、ナイトは深く息を吸い込んだ。


「僕には、どうするべきかなんて分からないけれど」


 一旦前置きをして、


 マギサの目を真っ直ぐに見つめ、



「明日に何があっても、いつか一緒に笑いあって話したい」



 それは、端から見れば酷く素っ頓狂な答えで。

 何一つ解決になっていない返事で。

 それでも、マギサは苦笑するように微笑んだ。


「それ、答えになっていませんよ」

「あー……うん、僕もそう思うんだけど……」


 他に何も思いつかなくて、というナイトに、マギサは仕方ないとでも言うように笑う。

 暫く顔を見合わせて笑いあい、どちらからともなく月を見上げる。

 白く輝く月は、下界の事など何も知らぬ気にただそこに在った。


 マギサの指先が軽くナイトの掌に触れて、怯えたように引っ込められた。



  ※            ※               ※


 野草や薪、道具などを詰め込んだ物置で寝転びながら、ロイエは扉が開閉する音を聞いた。

 出て行ったマギサとナイトが戻ってきたと音で理解し、そのまま目を閉じる。

 二人がある意味深い仲であるのは最初に見た時から分かっていた。


 仲間だ、とナイトを紹介された時は耳を疑ったものだが、人となりはすぐに理解できた。

 少しだけ昔を思い出す。まだ騎士に憧れていた頃のことを。

 あの頃、マギサに出会っていれば自分も違ったのだろうか。いや、マギサはまだ生まれていないだろうから、例えるならばあの老婆か。


 もしもの話に意味などない。虚しくなるばかりの妄想だ。

 それに、自分と違ってナイトは立派だ。ここまで彼女を守り通してきたのだから。

 命令のままに里を滅ぼした自分とは、何もかもが大違いだ。

 あんな男が傍にいるのなら、安心だ。何の躊躇もなく、



 あの子に殺されることができる。



 自分は恨まれて当然で、憎くて仕方がないことだろう。

 細切れにされても拷問されても、何の文句もない。そうされて当然の事をした。

 だから、これは当然の報いなのだ。

 あの子の心が少しでも晴れるのなら、今まで生き恥を晒してきた甲斐もある。

 許しを請おうとは思わない。許されない事をした自覚はある。


 明日、あの老婆も眠る墓地で。

 昂ぶる感情を、ぶつけてもらおう。

 あの墓地に案内さえできれば、最早自分の命は全うしたも同然なのだから。


 音がしなくなったのを確認して、ロイエは眠りについた――

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