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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
61/85

第五十九話 「滅びた故郷・1」

――『小さな王都』コンフザオ。

 駐留騎士団宿舎の総隊長室にて、トロイは部下より報告を受けていた。


「――『魔法使い』マギサに関する報告は、以上です」

「ご苦労。面倒をかけたな」


 労を労うも、『魔法使い』追跡隊の隊長を務めた男は、いえ、と呟いて首を横に振る。

 その表情は、悔恨に満ちていた。


「今回の不手際、全ては隊長たる私の不徳です」

「そう気負うな。元より相手は『魔法使い』、一筋縄で行くとは思っとらんさ」


 部下を慰めながら、鷹揚に椅子の背もたれに身を預ける。

 更に何かを言いたそうな部下に先んじて、トロイが口を開いた。


「それに、『魔法使い』の件は本部が動いている。こっちは管轄違いだ。無視するわけにもいかないからお前達を動かしたが、それだけのこと。後は向こうがやってくれるさ」


 気軽な物言いに、部下の眉がぴくりと動く。

 生真面目で几帳面な部下を持つのはいいことだが、こういうときに融通が利かないのも問題だ。


「総隊長、ですが――」

「――それより、この件のせいで普段の業務に影響など出すなよ。我々の本分はコンフザオの防衛と治安維持だ。そのことを忘れるな」


 猶も反駁しかけた部下を制し、半ば脅すように軽く睨みつける。

 隊長であった騎士は背筋を正し、敬礼と共に了承の意を返した。

 部下を退室させ、一人になった部屋でトロイは大きく息を吐く。


 確かに、一筋縄でいかないとは思っていた。だが、ここまでどうにもならないとは。

 何より想定外だったのは、護衛の青年剣士――ナイトとかいったか――の実力だ。

 まさか、包囲を抜けた挙句、騎士三人相手に対等に渡り合うとは。


 奇襲じみた初撃にしたって、滅多な相手ではうちの騎士が負けるはずはない。力負けして落馬させられるなど、俄かには信じがたい。

 勿論、部下が嘘など吐くはずもない。全て事実で、ならば責任は隊長よりも相手を甘く見た自分にある。

 『魔法使い』にさえ気をつければいいと思っていたが、大いなる過ちだったようだ。


 この事は、本部に報告すべきだろう。

 真新しい羊皮紙を取り出し、羽ペンにインクをつける。

 『魔法使い』も、一体どこであんな護衛を見つけたのやら。すわゴーレムか何かかと疑いそうになるが、実際に会った部下からの話を聞く限りではそうは思えない。

 尤も、魔法でそんなゴーレムを作ることが不可能かどうかは知ったことではないが。

 そうでも思わなければやっていられない。市井にいていい人材ではない。


 訓練も受けていないのに、騎士よりも強いなどと。

 流石に隊長格と比べれば劣るだろうが、それでも只事ではない。


 もしも、

 もしも、彼がこのまま成長を続けたのならば。

 最後には、張り合えるのは本部が誇る天才騎士か、団長だけになるのではないか。


 自分の想像で寒気が奔り、字が乱れる。

 やってしまった。流石に書き損ないを本部に送るわけにはいかない。

 適当に試し書き用の書き損じを入れてある棚に放り込み、新しい羊皮紙を取り出す。


 鼻から溜息を吐き出し、先程の恐ろしい想像を真面目に検討してみる。

 年も若いというし、あながち的外れな妄想とは呼べないかもしれない。

 魔法使いだけでもどうしようもないのに、団長やあの天才騎士並の剣士が護衛についてしまえば、最早手の施しようはないのではないか。


 そうなる前に対処する必要が、確かにある。

 その事も記載しようかと羽ペンを取り、一瞬躊躇する。

 対処する必要が、


 果たして本当にあるのだろうか?


 あの少女が『魔法使い』と分かってから、ずっと引っかかっている疑問。

 先程の報告を受けて、益々深まってしまった疑念。

 魔法使いの少女は何故、とっとと魔法を使って逃げてしまわなかったのか。


 彼女にしてみれば、獄舎の塀など牧場の柵と大して変わりはあるまい。やろうと思えば、それこそ獄舎に入れられる前にもどうとでもできたはずだ。

 そこから先も、彼女がコンフザオ内で魔法を使った形跡は微塵もない。

 差し向けた追っ手にしたって、どうして殺さずに逃げたのか。


 報告によれば、一度殺されかけたらしい。そのまま命を奪えば、こうして自分が事態を把握することもなかった。

 何より、護衛の青年剣士がそう奮起する必要だってなかっただろう。

 まるで、魔法を使うことを厭っているような。

 人に危害を加えることを避けているような、そんな素振りさえ見えてしまう。


 部下を殺しかけたとき、少女は錯乱状態に近かったという。

 だとすれば、下手をするとその魔法にしても意識的に使用したものでない可能性もある。

 勿論全て仮定の話。甘ったるい希望的観測でしかないのは承知の上だ。

 だとしても、事実コンフザオ内で魔法は使われず、部下は無事に戻ってきた。


 本当に、



 本当に、あの少女は騎士団が追わねばならない脅威なのだろうか?



 馬鹿げた考えだと分かっているが、どうしてもその思考が止まらない。

 我ながら、長い平和についにボケ始めたかと思う。

 内心から引き締めなければ、いざという時に対応できないというのに。

 この心についた贅肉は、落とすのに随分と苦労しそうだった。


 兎にも角にも、護衛の青年剣士が十分脅威足り得る事は報告せねばならない。

 羊皮紙に羽ペンを走らせ、伝令は誰にするべきか頭の中で検討を始める。

 滅多な人間に任せるわけにはいかないし、事情もなるべく秘匿したい。

 申し訳ないが、追跡隊の隊長に頼むのが一番問題がないだろう。


 あの調子ではどう言った所で気に病むだろうし、気分を入れ替えるには丁度いい。

 『魔法使い』に関する任務ならケジメもつくだろうし、向こうで団長あたりに話でも聞けば気も治まるかもしれん。

 面倒事を押し付けているようで何だが、団長の部下でもあるのだ。そういう心の機微みたいなものは、自分は苦手なのだから仕方ない。


 いずれにせよ、コンフザオで出来るのはここまでだ。

 ここから先は、本部の『魔法使い』追跡部隊に任せるしかない。

 確か、件の天才騎士もその任についていたはずだ。今頃、一体どの空の下にいるのやら。


 『魔法使い』を探して方々に散っているという話だし、彼の実力なら単独行動していてもおかしくはない。

 『魔法使い』相手なら、むしろその方がいいだろう。ぞろぞろと頭数を並べても無意味なのは、奇しくも自分の部下達が証明してくれた。


 天才騎士、リデル・ユースティティア。唯一話の合った年若い青年。


「後は頼んだぞ……」


 手を止め、虚空に向かって呟く。

 どこまでも騎士団の正義に忠実な彼ならば、自分みたいな迷いもなく粛々と任務を遂行するだろう。

 それが別の側面から見れば危うい事に、気づかない振りをした。


 こうして騎士団は、マギサとナイトの行方を完全に見失った――



  ※              ※               ※


 背の高い木々で構成された森を歩きながら、たどたどしい少女の話に青年は耳を傾けていた。


 草を踏みつけ、葉っぱを蹴り上げて、訥々と離れていた間に何があったかをマギサが語る。

 はっきりと喋る彼女には珍しい語り口で、ナイトも最初は意外に感じた。

 黒尽くめの少女は、長々とは話さない。口数少なく、短文で済ませるのが殆どだ。

 考えながら口を開くなんて、果たして今まであったかどうか。


 流石に理由を聞くほどナイトも野暮ではない。それに、なんとなく分かってもいた。

 整理のつかない、どう言えばいいのか分からないことや、話し辛い事を喋ろうとするとそうなってしまう。

 ナイトも覚えがある。というか、覚えしかない。はっきり喋るのは、意外と難しい。

 自分の気持ちも話すべきことも、全てしっかり頭の中にないと中々できないのだ。


 つまり、今マギサは整理しきれていないことを、それでも話してくれていることになる。

 とても普通に、構えずに話してくれている。

 それが何故だか酷く嬉しくて、彼女の隣をゆっくりと歩きながら相槌を打つ。

 身の上話を初めて聞かせてくれたあの『下法陣』のあった里の夜以来に、マギサの心に直接触れている気がした。


 コンフザオを逃げ出してからしたかった話を、ようやくすることができた。

 話を聞くだに、やっぱりシャレンは憎めない。見事に騙されたのは事実だが、下手をするとマギサが殺される所ではあったが、どうしても嫌いになれなかった。

 それはマギサも同じなようで、シャレンのことを語るその口調は優しげだった。


 獄舎の中での事、貴族の屋敷での事。

 知らなかった話が次々と出てきて、そんなことがあったのかと驚かされる。

 一体シャレンと二人でどんな話をしたのか興味はあったが、軽く大まかにしか教えてはくれなかった。

 突っ込むのも野暮な話ではあるが、好奇心を抑えることは難しい。いつか、話してくれそうな時にでも聞く事にする。


 それにしても、シャレンは一体何のつもりであんなことを言ったのだろうか。

 王都に来れば、雇い主の正体を教える、などと。

 本当は教えるつもりなどなく、罠に嵌める準備をしているかもしれない。いや、どちらにしろ罠はあるだろうけれど。

 なんにしても、シャレンとの決着はつける必要がある。いつまでも狙われてはたまらない。

 王都へ。四年半と少し前とは、全く違う理由で。


 マギサの話だとその雇い主はペロを作った一味らしい。シャレンと戦った遺跡で見た『装置』は魔物を作るもので、そこでペロ含めあのオルトロス達は作られたそうだ。

 もしそれが本当なら、昨今の魔物が増加している現象とも関わりがあるかもしれない。

 マギサの『使役』が効かなかったのも、その所為だという。

 先んじて、何かしらの方法で『使役』しているのだ、と。


 そこまで話されて、ナイトの処理能力では限界が来た。

 マギサに追っ手をかけて、魔物を作って『使役』して、国中にバラまいて。一体何がしたいのか、田舎者の青年剣士にはさっぱり分からない。

 頭の中でそれぞれの要素が繋がらなくて混濁し、考えるほどに今何の事を考えているのか分からなくなる。


 頭の中で整理してみようとするのだが、全く関係ない事柄に見えて一切関連付けが行えない。行えないから、順序よく並べようとして混乱する。

 それでも必死に少女の話を噛み砕こうと無意味に虚空を見つめて手を動かし、


「ナイトさん」

「あっ、うん、はい! 大丈夫、聞いてるよ」


 脊髄反射で応じて、引きつった笑顔を向けた。

 マギサが柔らかかった表情をむくれさせ、視線を不満げな色に染める。

 普通に対応していれば何事もなかったろうに、自ら不逞を晒すからこうなるのだ。


 話を理解していない事がバレてしまい、言い訳を必死に考えるも出てこない。いや、言い訳も何も、話はちゃんと聞いている。ただ、上手く整理できないだけだ。

 それが話を聞いていないのだ、と言われたらナイトに立つ瀬はなかった。


 小さく溜め息を吐かれた。仕方ない事だが、地味に辛い。

 もう一度見上げてきた瞳は、じろりとねめつけてくるようだった。


「少しずつでも何かを変えてみたいって、前に言ってましたよね」

「えっ? あー……あぁ、うん、そうだね。言ったね」


 目線を逸らし、頬を掻きながら頷く。

 何だか責められているようで腰が引けてしまう。

 今思えば、随分とした大口だったようにも思う。ただ、あの若い騎士の言葉に頷くのが嫌で、何とか捻り出した答えだったのかもしれない。


 それでも、気持ちそのものは今も変わっていない。

 少しでも何かを変えて、それを続けていけば、いつか手を伸ばした先を掴めるかもしれないと思っている。

 具体的に何をすればいいかとか、そういうのはさっぱりだが。

 そんなだから、結局はシャレンの待つ王都に行く羽目になるのだ。罠と分かっていて、他に当ても選択肢もないのだから。


 分かっていても、どうしようもないことはあるものだ。

 それは例えば、思わぬ発言に驚いてしまうように。


「私も、少し変えてみてもいいですか?」


 驚くのと同時に目が勝手に下を向く。

 頭二つ分は下にあるマギサの頬が、薄く桃色に染まっていた。

 何故だか言葉につまり、唾を嚥下する。


 一体何がどうしてそんな話になったのか。ちっとも理解が追いつかない。

 いや、言われている事は分かる。分かるが、まさかマギサからそんな話を振られるとは思ってもみたことがなく、それ自体は嬉しいのだが心の準備も何もなく、


「ダメですか?」

「いっ、いや、全然! いいよ、勿論」


 大歓迎だよ、と言おうとして、



 花が綻ぶような笑顔に、言葉が喉に詰まった。



 マギサの笑顔を見たのは、もしかしたらこれが初めてかもしれないと思う。

 ずっと、何かを背負うように彼女は生きていた。

 魔法に怯え、自らを呪い、何もかもを閉じ込めて表に出そうとしなかった。

 喜びも苦しみも噛み殺して、ただ粛々と運命を受け入れるように。


 魔法使いである以上、それはある意味仕方なかったのかもしれない。

 でも、だとしても、それ以前にただ一人の年端もいかない少女であるはずだ。

 その笑顔は、まるでそのことをマギサ自身が肯定したかのように見えて、ナイトは二の句を失った。

 だから、次の台詞に全く反応できなかったのだ。


「なら、ナイト、って呼んでもいいですか?」


 不意打ちもいいところだった。

 見上げてくるマギサの表情は柔らかな喜びに満ちていて、絶対に曇らせることなどしてはいけない。

 だが突然の事に言葉が何も出てこず、嫌かと言われたら別に嫌ではないし好きにすればいいと思うがまさかそんなことを言われるとは思わず、

 ただ首を縦に振るだけでいいはずがそんな簡単な事も一切思いつかず、


「えっ、あっ、おっ」

「ダメですか?」


 真っ白な肌以外真っ黒な少女の顔が悲しげに歪むのを見て、一切の容赦なく何度も首を上下に振った。


「だ、大丈夫! 平気!」


 平気ってなんだ。返答としてそれはおかしくないか。

 頭の片隅で冷静な思考がいちゃもんをつけてくるが、構っている余裕がどこにもない。

 とにかく、折角開いた花を萎ませてはならない。

 その美しさを、自分の未熟で棄損(きそん)させては絶対にいけないのだ。


「良かった」


 再び嬉しそうに表情を溶かす少女に、不器用な青年は安堵の息を漏らす。

 唐突に言われたので驚いたが、呼び捨てにするくらい本当に構わない。

 村ではマギサよりも年下の子供達から呼び捨てにされていたのだ。特に拘りもないし、親しくなったのならむしろ当然だとも思う。


 ということは、マギサは自分を親しい相手と認めてくれた事になる。そういえば、今までマギサが誰かを呼び捨てにしたのを聞いた覚えがない。

 年下の子達なら確か村で呼び捨てにしていたが、年上はいなかったはずだ。

 つまり、自分が年上で呼び捨てにされた最初の一人ということになる。


 特別な親しさの証明に思えて、嬉しさが胸の中に溢れてきた。

 自然と顔が綻んでいることに気づかず、ナイトは上機嫌に森の中を歩く。

 同じく上機嫌で隣に並び、マギサが背高のっぽの青年剣士を見上げる。


「じゃあ、次はナイトの番」

「ん? 僕?」


 話を振られたものの良く意味が分からず、ナイトが首を傾げた。

 少々むくれた表情をしながら、マギサが言葉を繋ぐ。


「ナイトの方は、何があったんですか?」

「あぁ、そっか。そうだね、話してなかったね、そういえば」


 言われて気づいたというように苦笑するナイトに、マギサが半眼で睨む。

 目線を逸らしながら、何から話すべきか迷って適当に声を出す。

 上手い事まとめられる自信もなく、別れた最初から全部話す事にした。


 幸いにして聞かれて困る事は何もない。呆れられることはあるかもしれないが、まぁそれは仕方ないと諦めよう。

 里に着くまでの時間を延ばすようにゆっくり歩きながら、ナイトは話し始めた。

 案の定呆れられたが、マギサは静かに耳を傾けてくれていた。


 空はすっかり藍色に染まり、月が我が物顔で自己主張している。

 ふと、変な事を思い立つ。

 マギサの笑顔が見られたのは、夜だったからかもしれない。

 クーアに聞いたことがある。月の光を受けて密やかに咲く花があると。

 昼の日の光の下では頭を垂れ、月の輝く夜に花弁を開く。恥ずかしがりのマギサにはぴったりだ。


 いつか。

 いつか、日の当たる場所でも彼女の笑顔が見たいと思う。

 柄にもない事を考えながら、挫折を知る青年剣士は逃避を知る魔法使いの少女に下手糞な話を語って聞かせた。


 『魔法使いの里』に着くまでに話し終わるかは、微妙な所だった。



  ※              ※                ※


 もう少しだというマギサの言葉に背中を押されるように、ナイトは足を速める。

 マギサがついてこれるように調整しながら、胸が高鳴るのを抑えきれずにいた。


 『魔法使いの里』。一度見ておきたかった、マギサの故郷。

 別に何かをしようと思っていたわけじゃない。ただ、知るべきだと思ったのだ。

 騎士団に襲われた痕を。マギサが過ごした、その景色を。


 少しでもマギサの心に寄り添えるように。

 欲したものの困難さを、体で理解する為に。


 少なくなってきた木々の間を抜け、ナイトとマギサは一気に開けた空間に出る。



 黒ずんだ瓦礫の山が、辺り一面に広がっていた。



 視界一杯に、炭のように黒い物体が折り重なって地面を覆い隠している。

 焼け落ちた木材だと、一瞬間を置いてナイトは理解した。

 ここにかつて人が住んでいたなどと、言われなければ分からない。


 廃村というよりも、滅びた跡地といった方が通りがいい。

 火を放ち打ち壊したのは騎士団だろうか。実に徹底していて、原型が残っているものがどこにも存在しない。

 残っている痕跡は、炭と化した建材くらいのものだ。


 話には聞いていた。

 だが、実際目の当たりにすると衝撃の余り口も開けない。


 何にもない。本当に。

 地面を埋め尽くす黒ずんだ木材は、悲惨さを示すには余りにも端的過ぎた。

 肉の腐敗臭や飛び散った血の痕くらいあるものだと思っていたのに。それらしきものは、何一つ残ってやしなかった。

 


 紛う事無く、この里は滅ぼされていた。



 立ち眩みを起こしたようによろけるマギサを、ナイトが慌てて支える。

 無理もない。里が襲われて、まだ一年も経っていないのだ。

 分かっていたとはいえ、辛い思い出を呼び起こさせてしまった。

 じくじくと痛む罪悪感に耐えてはいたものの、力なく裾を捕まれて限界が来た。


「ごめん」


 謝るくらいなら、初めからこなければいいのに。

 それでも、どうしても見ておきたかった。

 マギサが直面した地獄を、その残滓でもいいから味わいたかった。

 望んだものを、もう二度と離さない為に。

 求める気持ちが強くなればなるほど、膝を折らずに済むと思うから。


 腕の中で、黒尽くめの少女が首を横に振る。


「私も、戻ってきたかったから」


 見下ろしてくるナイトに微笑んで、両の足に力を込めて立つ。

 かつての面影など欠片も残っていない故郷を見つめ、少女は深く息をする。

 あの夜の事が一瞬にして頭を駆け巡ったが、何とか落ち着く事が出来た。


 青年の腕の感触が助けにならなかったといえば、それは嘘になるだろう。

 しかし、ナイトに言った事は嘘ではない。

 一度、戻ってくるべきだと思っていたのだ。

 祖母から託された願いを叶える為にも、魔法についてもっと知る必要がある。

 今の自分には何もかもが足りない。知識も、力も、あって困るものではない。


 全てが灰燼に帰していたとして、里の大人達の事だ。どこかに魔法に関する書物か何かを隠していてもおかしくはない。

 誰にも触れられないように、しかしいざというときには対処できるように。

 当てが外れたとしても、祖母の家に秘密の蔵書があるのは知っている。確か地下室か何かに隠していたはずで、見つからないよう魔法で封じていたはずだ。

 解除方法は知らないが、無理矢理にでも壊せばいい。祖母だって許してくれる。


 それら全てを読んだ所で、余計にどうにもならない事実を示されるだけかもしれない。

 だとしても、落ち込むのは出来る事を全部やってからでも遅くはないはずだ。

 王都に行く前に、出来る限りの準備を整えなければいけない。そこが、ある意味決戦の場所だろうから。


 何かを変えたいというのは、もうナイトだけの望みじゃない。

 呼び捨てにするのは、自分なりの宣誓のつもりだった。


 ナイトだって、独りじゃない。

 そう口にするのは恥ずかしいから、精一杯の宣言が呼び捨てにすることなのだ。


 呼び捨ての方が恥ずかしいだろうとか、そういうことは言ってはいけない。

 マギサの内心も知らぬ気に、ナイトがぽつりと呟く。


「ここが、マギサの里なんだね」

「はい」


 頷いて、改めてすっかり開けてしまった故郷を見渡す。

 瓦礫の山とはいうものの、うず高く積もった場所など一つもない。

 全ての家が焼け落ちていて、黒ずんだ焼け跡は平べったく広がっている。


 悲壮さよりも、何もないという感覚の方が先に来る。

 滅びるとはそういうことなのだろう、と目の前の光景が教えてくれていた。


 近づいて触ってみれば、脆く崩れ去る。

 まるで、魔物が死ぬ時のようだ。

 あれは完全に消えてしまう分、少し違うか。


 かつて生活していた時の風景は今も頭に思い浮かべられるが、眼前にある景色と重ね合わせるのは少し難しい。

 半年と少し。故郷を離れていた時間は、思ったよりも長かったようだ。

 昨日の事のように思い出せる炎の幻影が、感覚を狂わせていた。

 背後から、遠慮がちにナイトが声をかけてくる。


「これから、どうしようか?」


 何も考えていなかったのかと呆れそうになりながら振り向けば、いやに真剣な顔で見つめられた。

 気を使ってくれているのだろう、ということは分かる。それにしたって、不器用にも程があるとは思うが。

 黒ずんだ家の残骸に視線を戻して、尋ね返した。


「ナイトは、どうしたいですか?」


 息を呑む気配が伝わってくる。

 多分、暫くここにいたいと言えば聞いてくれるだろう。何もしたくないといえば、一つ頷いて傍にいてくれると思う。

 里に来たかった目的を言えば、一緒に瓦礫をどけてくれる。ナイトは、そういう人だ。


 だから、それよりもナイトの事が知りたかった。

 後から話したって、きっと笑いながら頷いてくれるから。

 困って口ごもるような間が空いて、能天気な声が聞こえた。


「とりあえず、寝床を確保したいかな」

「分かりました」


 残骸から離れて、ナイトの隣に戻る。

 微妙な表情をする青年剣士を見上げて、夜に溶けるような少女は何もしないのかと視線だけで催促する。

 襟足を掻いて、ナイトは寝床を探して崩壊した里の中に足を向ける。


 何かしら残っていれば、少なくとも森の中よりは安全なはずだ。そんな淡い目論見で、黒く敷き詰められた瓦礫を避けて進む。

 後ろについてくるマギサを盗み見れば、普段と変わらぬ様子で周囲に視線を配っている。

 多分、寝床を探してくれているのだろう。瓦礫に埋もれた故郷を前に気丈に振舞う少女に、かける言葉もなく正面に向き直った。


 どこかいい場所がなければ、また森に戻る羽目になる。里に戻ってきたのに野宿というのも、なんだか現実を思い知らされるようで嫌だった。

 昼からこっち連戦で疲れてはいたが、魔法で回復してもらえたお陰か眠くはない。里の様子を見がてら、調べて回るのも悪くはないだろう。



 騎士団の徹底振りに舌を巻いたのは、そのすぐ後の事だった。



  ※              ※              ※


 騎士団の仕事はまさに完璧だった。

 里中を歩き回っても瓦礫に変えられていないものなど一つもなく、生活の痕跡は真っ黒な煤となって崩れ落ちていた。

 寄りかかる壁どころか、降り積もる灰と木片のお陰で森の中の方が快適なのではないかと思うくらいだ。

 里の跡地で休むのは無理だと諦めそうになった所で、


 視界の端に明かりが見えた。


 見間違いかと思って目を擦ってもう一度見ても、消えていない。

 里の外れ、半分森に突っ込んでいるような所から明かりが漏れている。

 マギサの方を振り向けば、同じように驚いて漏れ出る明かりを見ていた。


「……誰かいるのかな?」

「……多分」


 マギサに肯かれ、思わず唾を飲み込んだ。

 これだけ徹底的に破壊したのだ。まさか生き残りを見落としたとは思えない。

 魔法で隠れ潜んでいた可能性もなくはないが、マギサの話通りなら薄い線だと言わざるを得ないだろう。


 野盗か何かが廃墟をいいことに住み着いている。

 それが一番有り得そうな話に思えて、腰の剣の感触を確かめた。


 曲がりなりにもマギサの故郷だ。好き勝手されて気持ちのいいものじゃない。

 相手次第ではあるが荒事になるのも覚悟して、マギサに目線を送る。

 意図を理解してくれたのか小さく肯くマギサを背に、足音を潜ませて明かりのする方へと近づいた。

 足跡がつかないように灰や煤が降り積もった場所は避け、時間をかけて接近する。


 見えた明かりの元は、古めかしい小屋だった。

 後ろのマギサがそっと服の裾を引っ張ってくる。


「あれは、森で採取したものを一時的に保管するための小屋です」

「人が住めるような場所?」


 ナイトの質問に、マギサは少し考える素振りをした後に肯いた。


「一応、仮眠する為のベッドはあるはずです」

「そっか……でも、おかしいね」


 呟くナイトに、マギサも首肯する。

 里は徹底的に破壊されつくしていた。それこそ、納屋の類さえも。

 いくら里外れにあるからといって、ここだけ見逃すなんてことが有り得るのだろうか。


 何だか嫌な予感がして、鞘を掴む手に力を込める。

 野盗の類が住み着いているかと思ったが、もしかしたらそれよりも面倒な事態なのかもしれない。


 何にしても、行ってみないことには何も分からない。

 身を屈めて小屋に近づき、少し離れた位置にマギサを残してナイトだけが足音を殺しながら壁に張り付く。

 慎重に移動して、明かりが漏れる木製の窓の下から中を覗き込む。


 そこに居たのは、髭をたくわえた壮年の男性だった。


 少なくとも、その風体は野盗か何かのようには見えない。

 男性は椅子に座って窓に背を向け、暖炉の火を見つめているようだった。

 何故かナイトの全身に緊張が奔り、視線を離す事ができない。

 男性の纏う気配は、とてもただの一般人には思えない。ごく最近、似たようなものを感じた事があるような気がする。


 そう、これは、


 この感覚は、


 まるで騎士のような、



「窓の若いの。迷い込んだにしては、随分しっかりした気を放つな」


 突如かけられた声に、全身が勝手に反応する。

 うっかり剣を抜きそうになり、深呼吸をして落ち着かせる。

 まだ敵意は感じられない。野盗ではないようだし、争わずに済むならその方がいい。

 返事がないことも気にせず、壮年の男性は言葉を続けた。


「何が目的かは知らんが、早く出て行け。ここには何もない」


 しわがれた声は、どうしようもなく疲れ切っていた。

 どうやら、あちらにも争う気はないらしい。

 そう理解した途端、ナイトの全身から力が抜けた。


 荒事にならなくて良かった。もし剣を合わせていたら、勝てたかどうか分からない。

 緊張感から解放された弾みか、はたまた男に敵意を感じなかったからか。

 ナイトは、男に話しかけていた。


「あの、一晩屋根を貸してもらえませんか?」


 男からの返答はない。

 沈黙の意図を図りかねて、ナイトは続けざまに頼み込む。


「もう一人、女の子もいるんです。お願いします、一晩だけ」


 果たしてナイトの強引さに折れたのか、はたまた別の理由か。

 男は、深い溜め息と共に答えを返した。


「分かった。連れと一緒に表から入って来い」

「ありがとうございます!」


 見えもしないのに頭を下げて、ナイトはマギサの元へと戻る。

 不安げな少女に笑い返し、簡単に説明する。


「野盗じゃなかったよ。優しい男の人で、一晩泊めてくれるって」

「……その人は、どうしてこんなところに?」


 訝しげに尋ねるマギサに、あ、とナイトが間抜けに口を開ける。

 力なく苦笑する青年剣士に、夜の妖精みたいな少女は半眼で返した。


「あー、いや、その、悪い人じゃないみたいだし……」

「いいです。後で私が聞きます」


 引きつった顔のまま肩を落とすナイトを尻目に、マギサが無造作に小屋へと近づく。

 慌てて後を追いかけ、恐縮そうに身を縮めながら隣に並ぶ。

 小さな階段を上がって扉の前で立ち止まり、マギサと目を合わせて確認をとってからナイトが軽く叩く。

 億劫そうな足音が響き、ノブを回す音と共に扉が開いて男が出てきた。


「お世話になります。あの、こっちが連れの――」


 興味のなさそうな男にナイトが説明しようとして、



 マギサと男が視線を合わせたまま、互いに動きを止めた。



 ナイトのことなど、最早二人とも目に入っていない。

 それどころか、多分存在さえ頭の中から抜け落ちていたかもしれない。


「お、お前は――」

「貴方は――」


 互いに目を見開き、信じられないものを見たように口を開ける。

 マギサにしてみれば忘れようもない。


 そこにいた男は、


 見間違えようもなく、



 里が焼け落ちた夜、祖母を背中から斬り伏せた壮年の騎士だった――

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