表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
59/85

第五十七話 「それでも、僕は」

「大人しくついてくれば良し。さもなくば命の保障はしない」


 どこかで聞いたような台詞を言う騎士隊長に対し、ナイトは周囲に視線を走らせる。

 隊長含めて六名の騎士が、馬上からこちらを見下ろして包囲していた。

 巨木を背にしているお陰で真後ろだけは取られずに済んでいるが、この人数相手ではどれほどの意味があることか。


 『魔法使い』、と正面の騎士隊長は言った。

 追っ手は追っ手でも、貴族の屋敷から脱走した犯罪者に対してなんかじゃない。世界を揺るがす秩序の破壊者に対してのものだ。


 どこで悟られたのかは分からない。今考えても分からないことに頭の容量を割いている暇はなく、とにかくどうしたら逃げられるかを考える。

 騎士達の顔つきは、まさに決死という言葉が相応しいものだった。

 到底逃げられるような状況ではない。油断も何もあったものではなく、撒くのに使えるような地理の知識もない。


 最悪だ。腰を落として身構えながら、ナイトは正面の騎士を睨み付ける。

 どうしてバレたのか聞いてみたいところだったが、教えてくれはしないだろう。

 見下ろす隊長の表情からは、情というものが抜け落ちていた。


「その態度が返答代わりということか?」


 隊長の目が鋭く細められ、周囲の騎士が殺気立つ。

 躊躇している余裕はない。守ると決めたのだ。『魔法』が不調な今、自分が気を張らなくてどうするのか。

 杖を抱きしめる彼女を横目に、少しでも隙を作ろうと裂帛の気合を込めた。



「彼女は、誰にも、渡さない!」



 叩きつけられた気迫に、騎士達の体が勝手に構えを取る。

 マギサの手を取り、ナイトは腰の剣を抜きながら背後に広がる林に向かって走っていく。

 一瞬マギサの手が震えたが、力を込めて握り締めた。


 こんな状況で振り払われたらどうしようもない。マギサには悪いが、力尽くで抑え込んで引っ張った。

 斜め後方で取り囲んでいた騎士に接近し、容赦なく振り抜かれる剣に相棒のなまくらを合わせる。

 そのまま力任せに振り抜いて引っ張るように騎士の体勢を崩し、落馬させた。


 上がる叫びと悲鳴を無視して走り抜け、馬で追ってこられないよう林の中に飛び込んだ。

 背中に騎士隊長の飛ばす檄と、下馬して走ってくる騎士の足音が聞こえる。対応が早い。少しは戸惑ってくれるかと期待していたのに。


 強引に先手を取ったはいいが、もう二度と同じ手は通じない。

 奇襲じみた真似が成功したのは、騎士として話し合いで解決しようという気構えがあったからだ。その上で、こちらの実力を軽んじていたのもあるのだろう。

 こちらから手を出した今、もう彼らにそんな甘えはない。六人もの騎士に連携を組まれたら、天地がひっくり返っても太刀打ち出来ない。


 それでも、どうにかしなきゃいけない。

 マギサを引っ張る腕に重さを感じる。ただでさえ走りにくいローブの上、彼女の足は追っ手の騎士に比べて余りにも遅い。

 昨日からの不調も相俟って、騎士達を振り切れるわけもなかった。


 膝下くらいまである草を掻き分けて、マギサの手を掴んだままナイトは必死に走る。後ろから迫る足音は、徐々に近づいてきていた。

 逃げ切ることが不可能なのは、誰の目にも明らかだった。

 覚悟を決める時が来た。まさかこんな所で、とはナイトも思うが、社会の道理に歯向かった以上いつ何時その事態がきてもおかしくないのだ。


 マギサと旅に出たあの日から、守ると決めた時から、命はいつだって天秤に乗っていた。

 二人とも助かるお伽噺を夢見ても、現実は遠慮なんかしてくれないのだ。


「マギサ! 逃げて!!」


 ナイトは足を止め、マギサから手を離して器用に荷物を取って投げ渡す。

 戸惑うマギサの背中を押し、迫りくる騎士達へと剣を構えて突撃した。


 渡された荷物を胸に抱いて、マギサは呆然とナイトの背中を見つめる。

 逃げて、と言われた。けれど、足が動かない。

 逃げてどうするのだろう。逃げて、そして、


 その先は?


 里が焼かれたときのように、今度は祖母の代わりにナイトを犠牲にして。それから、一体何をどうしたらいいのだろう。

 捕まった後のナイトがどうなるかなんて知れている。『魔法使い』を誘き寄せる餌にでもされて、ノコノコ出てきた自分と一緒に殺されるのがオチだ。

 逃げたって、結局は同じ。そのくらいなら、ナイトだけが逃げた方がずっといい。


 それなのに、どうしてナイトは騎士と戦っているのだろう?


 もう、ろくに魔法の制御もできない自分など、本当に害悪でしかないのに。

 魔力がちっとも言うことを聞かない。勝手に暴れまわって、イメージ通りの形を成してはくれない。

 どんなに心を鎮めても、集中しても、制御できなくなってしまった。


 名実ともに化け物になった気がして、昨日から震えが止まらない。馬の足音がしたとき、騎士団だったら丁度いいと思ったのだ。

 このまま捕まって殺してもらえれば、もう思い悩まなくて済む。

 ナイトも自由になるし、皆も平和に過ごせる。だから、敢えて動かなかった。


 ――それなのに。


 ――もういいって、ナイトさんに言わなくちゃいけないのに。


 林の中に、剣戟の音が響き渡る。

 襲い掛かる騎士の剣を弾き、反対側から迫る騎士にナイトが身を捩って切り返す。


 二人の騎士を相手取りながら互角に立ち回るナイトだったが、後続が到着したことで均衡は崩れ去った。

 間断なく浴びせられる剣閃の前に防戦一方となり、少しずつ圧されていく。反撃に転じる間すら与えられず、ついに足を止められてしまった。


 騎士達は決して無理をしない。先んじてナイトと斬り合っていた二人も、その気になればナイトを追い詰めることができたのだろう。

 だが、確実に仕留める為にそうしなかった。被害を最小に、戦果を最大に。それが、王国騎士団の戦い方である。


 封じ込められたナイトの脇を、騎士が二人通り過ぎていく。視線の先にはマギサ。例え今から逃げた所で、追いつかれてしまうだろう。

 反射的に、ナイトが脇を通り過ぎる二人に向かって剣を振るった。


 一瞬足を止めさせる事に成功するものの、生まれた隙はどうしようもない。防ぐことを止めた騎士の剣がナイトの体を切り裂いた。

 マギサの目の前で、彼女を守ろうとした青年が鮮血を飛び散らせながら草の上に倒れ込む。



 ありもしない血と肉の焼けるすえた臭いが鼻を詰まらせ、馬の嘶きと怒号の幻聴が耳を圧迫した。



「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



 魔力が渦を巻いて、弾け飛んだ。

 膝下まである草が急速に生長し、意思を持つように騎士達に襲い掛かる。


「なんだ、これは!?」

「分かりません! この、離せっ!」


 斬られてもすぐに生長し、複数の草が絡み合って野太い一本の縄のようなものを形成する。鎧の隙間に潜り込んで足や腕に絡みつき、万力のような力で締め上げた。

 植物とは思えぬその力に騎士達も抗いきれず、一人、また一人と絡め取られていく。

 絡み付かれた箇所は血が止められ鬱血(うっけつ)し、握力を失った手から剣が零れ落ちる。

 ついには喉にまで巻き付き、呼吸を封じた。


 何度斬っても後から伸びてくる植物は、人の心を砕くのに十分な力を持っていた。物理的な力は、熊程度なら軽く絡め取れる程だろう。

 どうにもならない現象を前に、騎士達の意識は刈り取られようとしていた。


 喉に巻きついた草の縄が、彼らに呼吸を許さない。締め上げられる喉がぎちぎちと音を立て、金魚のように口を動かしては息を求める。

 身動き一つ取れないまま、青ざめていく騎士達を前に、


 マギサもまた、顔を青褪めさせていた。


「やめて! やめてぇ!」


 杖を振って、魔法を解除しようとする。上手くいかない。発動した覚えもないのだから、当然といえば当然だ。

 解き放った魔力が勝手に形を取り、騎士達を殺そうとしている。理解はすぐに及んだが、制御しようとしているのにどうにもできない。


 魔法の暴走。里で散々習った、絶対にしてはいけないこと。禁忌の名で覚えたそれは、容赦なく騎士達の生命活動を追い詰める。

 最早呻き声も聞こえなくなり、早回しになった心臓の鼓動が耳元で鳴り響く。

 もうなんでもいい。とにかく、この魔法を消さなくては。


 消えろ、と念じて、かき集めた魔力を解き放った。


「か、はっ」


 えずくような声が聞こえて、地面と甲冑がぶつかる音が幾つも響く。

 恐る恐る顔を上げれば、滲んだ視界に倒れ伏す騎士達の姿が映った。

 深く深く安堵の息を吐いて、瞳から雫が一粒零れ落ちる。

 無茶苦茶なやり方だったけれど、なんとか上手くいったようだ。安堵と恐怖でとめどなく涙が溢れてくる。


 人を殺すところだった。

 魔法で命を奪ってしまえば、もう取り返しはつかない。

 後戻りのできなくなった感情が、自分をどんな化け物に変えるのか想像もつかない。


 もう嫌だ。

 このままじゃ、いつか人を殺してしまう。

 心の奥底にいるどす黒い自分が、魔法に乗り移ってしまう。

 そうなる前に、

 誰か、



 ――私を殺して。



「マギサ」


 聞き覚えのある優しい声に顔を上げれば、ナイトがいた。

 斬られた所は深手ではなかったらしい。それでも小さく血を滴らせながら、見慣れた間の抜けた笑顔を向けてきた。


「大丈夫。逃げよう」


 やや強引にマギサの手を取り、ナイトは林の奥へと歩き出す。

 過度に魔力を使い、気力すら失っていたマギサに抗う術はなかった。

 倒れた騎士達を置き去りにし、ナイトとマギサは足を進める。


 誰も死んでいませんようにと、願いながら。



  ※              ※               ※


 なるべく後を尾けられないように林の奥をでたらめに進んで、日が暮れかかったところで見つけた洞窟に二人は隠れ潜んだ。

 岩肌をくりぬくように出来たその洞窟は、どうやら天然ものらしく人の手が入っている様子はなかった。

 奥に入りすぎると、見つかった時に対処できない。外が見える丁度いい位置に陣取り、マギサを奥側に置いてナイトは腰を下ろした。


 一息ついて、改めて自分の体を見下ろす。

 歩きながら応急手当はしたものの、精々が布で傷口を縛るくらいのものだ。赤い色が滲む布が、傷の深さを物語っていた。


 幸い、動けない程でもないし、剣が握れない程でもない。時間稼ぎくらいならできないこともないだろう。

 二人揃って逃げ切れるかといえば、多分不可能だが。


 どのくらい気絶しているかは分からないが、おそらくもう起きて探し回っているはずだ。見つからずに林から抜け出して、見つからぬ内に遠くへ逃げる。考えるだけで馬鹿らしくなる可能性だ。

 多少血の跡もついているだろうし、足跡だって気にしていられなかった。彼らがどのくらいの実力を持っているかは知らないが、分かりやすい痕跡を探すくらいできると考えた方がいい。


 何よりも、こちらの方が問題だ。

 マギサが、ずっと何かに怯えるように震え続けている。


 こんな状態で、マトモに何かできるわけもない。ただでさえ大量の魔力を使ったみたいだし、万全に戻るまで時間がかかる。

 ナイトとて、この傷では満足に走り続けることもできない。二人して、真っ当に逃げられる状態ではなかった。


 横目でマギサを盗み見る。

 抱えた膝の間に顔が埋もれていて、表情を窺い知ることが出来ない。

 諦めて視線を戻し、壁にもたれて目を閉じた。


 さっきの草の縄の魔法は、マギサの意図したものじゃない。そのくらいのことは、ナイトにだって分かる。

 不調なんてもんじゃない。原因は不明だが、今のマギサは魔法を制御できなくなっている。はっきりしたその事実を前に、ナイトは息を吐いて心を鎮めた。


 怖くない、といえば嘘になる。暴走した魔法が何を起こすかなんて予想もつかないし、騎士達を追い詰めた力は身震いするほどだ。

 意識せずに起こるから暴走なのであって、こうしている今も魔法が発動するかもしれない。そうなれば、例え万全の状態だって一たまりもないだろう。


 恐ろしくない、なんて口が裂けても言えない。

 だけどそれは、マギサと一緒に旅に出たときからずっと同じ事だ。

 魔法への恐怖がなくなったことなんて一度だってない。でも、マギサだから平気だった。


 どんな事が起きようと、何とかなると思った。

 今だって、そう思っている。


 マギサは優しくて、強い。魔法の恐怖だって自分よりも良く知っている。だから、大丈夫。

 根拠も何もない思い込みだが、ナイトにとっては何よりの根拠だ。

 何より、隣で蹲って震える少女が恐ろしいなんて、彼にはとても思えなかった。


 魔法は怖い。

 でも、マギサは怖くない。

 それが、何百回考えたって辿り着いてしまう結論だった。


 きっと今、マギサは自分の力に怯えている。魔法を暴走させてしまったことを、人の命を奪いかねなかった事を悔いて自分を責めている。

 だとしたら、自分はどうするべきか。

 さっきからずっとそのことを考えているのだが、上手い答えが全く見つからない。


 気安い慰めの言葉は心に届く前に失速するだろうし、叱咤激励は彼女を益々袋小路に追い込んでしまうだろう。

 自分の中に得体の知れない力があって、それが勝手に動くなんて。一体どれ程の恐怖なのか、想像することもできない。

 魔法の使えない身では、本当に彼女の気持ちを理解することなんて不可能だ。


 それでも。

 それでも、彼女の震えを止めたいと思うのは傲慢だろうか。

 何も分からない奴の、余計なお節介でしかないのだとしても。

 せめて、この気持ちだけはどうにかして伝えたいと思う。

 言葉が出てこないなら、やれることなんて一つだけだ。



 目を開けて、震えの止まらない彼女の手をナイトは握り込んだ。



 騎士団から逃げる時とは違う。出来る限り包み込むように、痛くないように、けれどしっかりと。

 震えを押さえ込むのではなく。

 震えを、自分も感じるように。

 重ねられた手に気づいたマギサが、泣き濡れた顔を上げてナイトを見上げる。

 安心させるように、不器用な青年は精一杯の笑みを浮かべた。


「大丈夫。僕がいる」


 口をついて出た言葉は、慰めでも激励でもなく。

 ずっと前のどこかの村で、見当違いに口走った一言だった。


「独りじゃないから」


 それ以外に何を言えばいいのか分からなかった。

 一人で苦しむマギサに、それだけは伝えたかった。


 魔法のことなんて分からないし、魔法使いでもない。そんな自分に、一体何が出来るのかといえば何も出来ないというのが現実だ。

 剣を振り回すしか能がなく、それにしたって世界を変える程の腕前なんかじゃない。そんな程度でどうにかなるなら、誰も泣いたりしないと分かっていた。


 それでも。

 それでも、君を思う人間がいるのだと知って欲しかった。

 何も出来ない能無しだけれど。

 頭も悪くて要領も良くない木偶の坊だけれど。

 この世で一人くらい、彼女の味方がいたっていいはずだ。


 精一杯の間の抜けた笑顔を向ければ、彼女は涙を引っ込ませてその大きくて黒い瞳に自分の姿を映していた。

 少しだけ恥ずかしいけれど、真っ直ぐに瞳を見つめ返す。

 震えが止まるまで、そうしているつもりでいた。



 体が勝手に剣を抜いて、闇の中から迫る凶刃を弾いた。


 頭の中は空っぽのまま、考えるより先に背後を振り向く。


 血の滲むような朱色を背に、暗闇を纏った女暗殺者が爪を光らせていた。



 防がれるとは思っていなかったのか、追撃まで僅かな間が開く。状況を理解することを放り投げたナイトがその隙に態勢を立て直し、シャレンと向かい合う。

 いつの間にとか、どうやってとか、そんなことを悠長に思索している暇はなかった。

 狭い洞窟の中では、剣を振り回すことなんてできない。技術的にはシャレンに遥かに劣るナイトにとって、これ以上ないほど不利な状態だ。


 右腕を引き絞った黒衣の暗殺者が、鉄すら貫く爪を突き刺してくる。

 反撃に転じようにも狭さが邪魔をし、不恰好な体勢で攻撃を受け流す。小回りという意味では、シャレンの鉤爪が圧倒的に有利だった。


 休むことなく右に左に打ち込まれ、なんとか致命傷だけは避けるように捌く。

 細かな傷が無数に出来上がり、小さく血が飛び散っては赤い染みを作る。

 洞窟内に反響する剣戟は、夕暮れの静かな林の中に吸い込まれていく。


 なんとかしなければ、このまま嬲り殺しにされるだけだ。目の前の暗殺者は、容赦などしてくれない。それは嫌というほど分かっていた。

 例え、昨日までは味方だったとしても。


 呼吸を整えるのを諦め、機を窺う。

 右から打ち込まれた鉤爪を弾くと、その勢いを利用して回転し左から地面を掬うように切り上げてきた。


 ここだ。

 なるべく動きが小さくなるよう腰を捻り、襲いくる鉤爪に剣をぶつける。

 力任せの土俵に引きずりこむことに成功し、シャレンがたたらを踏んで体勢を崩す。

 ナイトは軸足に力を込め、黒衣に守られた腹を蹴り飛ばした。


 衝撃に逆らわず、シャレンが軽く後ろに跳ぶ。ようやく取れた間合いを無駄にしないよう、ナイトは半身になって剣を水平に構えた。

 狭い場所で斬り合おうと思えば、自然と突きに頼るしかなくなる。しかし、剣技などろくに知らないざまで使うとどうなるか。


 突きは、あらゆる技の中で最も殺傷力の高い術である。

 ナイトとて、そのことを知らないわけではない。剣技に関しては素人同然の自分でも、狙いを定めれば一撃で死に至らしめるだろう。


 呼吸を整える。剣の柄をしっかりと握って、狙いを定める。

 命のやり取りをしているのだ。躊躇すれば、死ぬのはこちらだ。相手は何の躊躇いもなく殺しにきているのだ。



 絶対に急所にだけは打ち込まないよう、ナイトは慎重に狙いを定めた。



 蹴られた腹から手を離し、シャレンが鉤爪を閃かせる。

 丹田に気合を入れ、ナイトは迎撃態勢を取る。

 張り詰めた緊張感に耳が痛くなりそうな静寂が満ち、


 何かに気づいたように、シャレンが背を向けて洞窟から出て行った。

 予想外の行動に反応できず、ナイトはそのままシャレンの背中を見送る。


「何だ……?」


 急な展開についていけず、思わず呟きを零し、


 そう遠くない所で、草を掻き分ける音がした。



 抜けた緊張が再び全身を駆け巡る。

 シャレン、ではない。彼女なら、こんなあからさまな音はしないだろう。



 騎士団が、近くまで来ている。



 やられた。一連の攻防は全て、騎士団を誘き寄せる為の餌撒きだったのだ。

 反響する洞窟で剣戟の音を鳴らし、近場の騎士団に聞かせていたのだ。

 確かにそれなら、仕留め損なっても後を騎士団に任せればいい。まんまと一杯食わされた。まさか、漁夫の利を狙っていたなんて。


 どうする。どうすればいい。

 熟考する時間はない。さっさと決断しなければ、マギサごと騎士団に見つかる。


 答えなんて、決まりきっていた。

 深呼吸をして、座り込むマギサに振り向く。


「僕が出来る限り時間を稼ぐ。だから、その間に逃げて」


 見下ろした少女の瞳は夜のように黒く、差し込む日の光が炎のように揺れていた。

 安心させたくて無理矢理に笑顔を作り、腰を落としてそっと頭と肩に手を置く。


「大丈夫。なんとかしてみせる」


 目途も計算も、何一つ立っていない癖に。

 はっきりそう言って、ナイトは力の抜ける笑顔を浮かべた。

 剣を握り直し、マギサに背を向けて洞窟から飛び出す。

 なるべく距離を取ろうと走り出し、


「居たぞ!!」


 すぐさま騎士に見つかり、剣閃を交える羽目になった。

 幸い洞窟から出る所は見られていないようだが、気づかれるのも時間の問題だ。

 可能な限り引き離したかったが、それも叶わぬ願いらしい。

 覚悟を決め、近づいてきた二人の騎士相手に突っ込む。


 なんとしても、マギサが逃げ切るまで騎士隊を釘付けにしなければならない。

 今度は、こちらが相手の足を封じる番だ。


 騎士に挟まれながら、ナイトは力の限り剣を振るった。



  ※              ※                ※


 命を奪い合う甲高い金属音は、洞窟の中にまで響いていた。

 飛び込んでくる音に耳を塞ぐこともできないまま、マギサは地面を引っ掻いては砂を握りこむ。


 ――ナイトさんが行ってしまった。


 自分を守る為に。ここから逃がす為に。

 祖母と同じように、自らの命を賭けて。


 止めなくちゃいけなかったのに。そんなことしなくていいと、言わなくちゃいけなかったのに。

 喉がつっかえたように言葉が出ない内に、彼は戦いに出てしまった。


 聞こえる音の一つ一つが、彼の命を奪おうとする死神の笑い声だ。

 心臓が冷えて、指先の感覚が消えうせていく。

 シャレンと戦っていた時から、この音がする度に生きた心地がしなかった。


 やめて、と。もういい、と。

 そう言おうとしたのに、魔法どころか声まで意思に反して制御がきかなくなっていた。

 何もかもが言うことを聞かなくて、底なし沼の中に沈んでいく気さえする。


 何でこんなことになったんだろう。

 やっぱり、魔法使いに生まれたのが悪かったのだ。

 こんな自分が生きているから悪いのだ。

 もう嫌だ。

 こんな辛さは、もう終わりにしたい。


 響く剣戟の音に引っ張られるように、マギサは覚束ない足取りで洞窟から出た。

 歪む視界に飛び込んできたのは、



 血に濡れながら鬼神の如く戦う、ナイトの姿だった。



 正面の大柄な騎士の大上段からの一撃を受け止め、押し返す。

 がら空きになった胴に蹴りを見舞い、体勢を整えようとしたところで左右から襲い掛かられる。

 同士討ちすら恐れないように完璧に同調した挟撃は、確実にナイトを仕留めんとする気概に満ちていた。


 左の剣を防げば、右の刃が脇腹を切り裂く。

 右の刃を弾けば、左の剣が反対側の肉を奪い去った。


 だがしかし、左右どちらも打ち払われた事で間隔にズレが生じ、その隙間を縫うようにしてナイトが左の騎士に体当たりをかける。

 左の騎士はよろめいて体勢を崩し、右の騎士の剣はナイトが動いたことで空を切る。すぐさま反転し、ナイトは右の騎士の脇を切り上げた。

 鎧に阻まれようと、衝撃は内部まで通る。ぐらつく騎士に追い討ちをかけようとして、態勢を取り戻した大柄な騎士に阻まれ、大きく飛び退いた。


 三人の騎士を相手に渡り合うも、ナイトとて追い詰められていた。

 両の脇腹から滴る血は、確実に意識を削ぎ落としていく。

 ナイトの体は、最早血の流れていない場所はないと言って良い。

 それでも、彼の目から光が失われることはなかった。


 マギサの視界が滲んで霞む。

 もう駄目だ。これ以上は本当に止めさせなくては。

 さもないと、



 彼はきっと、このまま命が尽きるまで戦ってしまう。



 気がつけば、あらん限りの叫びを上げていた。



「もういいです!!」



 落ちかけた日が空を燃やし、誰も彼もが血の色に染まる林の中で。

 少女の痛々しささえ覚える叫びが、斬り合う男達の動きを止めた。

 三人の騎士が訝しげな視線を送る。

 そんなものなど頭の片隅にさえ入らず、ただ血濡れの背中を見つめて少女は叫んだ。



「こんなこと、もういいですから!!」



「よくない!!!」


 少女に倍する声量で、血塗れの青年が叫び返す。

 鼓膜を痺れさせる程の気迫に騎士達は思わず身を竦ませ、その隙をついて青年は一番近くに居た騎士を蹴り飛ばす。

 その一撃で騎士達も我に返り、青年目掛けて刃を振るう。

 重く鋭い剣閃を力任せに押し返し、気炎を吐く。


「全然、ちっとも、よくなんかない!!!」


 どうして、そんなことを言うのだろう。

 最早涙は留まる事を知らず、頬を伝って地面に染みを作る。


 何で諦めてくれないのか。

 そんなことを言われても、どうしようもないのだ。

 だって、このままだと、



 ――貴方が死んでしまうのに。



 いいのだ、自分など。どうなってしまおうとも。

 魔法なんていっても、人を傷つけることしかできやしない。

 心優しい犬と少女の仲を引き裂くしか能がない、悪者に相応しい力しか取り得がない、どうしようもない存在なのだ。

 制御の出来ない今となっては、本当にかつての魔法使いと変わりない化け物だ。


 ナイトは違う。

 皆を笑顔にすることが出来る、優しくて強い人。

 どうしてそんな人が、自分の為に死ななければならないのか。

 そんなのはもう、御免だ。


 里が焼け落ちた夜、本当に死ぬべきだったのは祖母じゃなくて自分だったのだ。

 何にも出来ない自分が生き残ったって、あの若い騎士の言うとおり世に不安と混沌をもたらすだけなのに。

 だから、もう、止めてほしいのに。


 ナイトが死ぬくらいなら、自分が死んだほうがずっとずっといいのに。



「いいんです!! 私が死ねば、それで!!」



 どうして、分かってくれないのだろうか。

 こんな簡単なこと、幾つも聞いたお伽噺が教えてくれていたのに。



「私は、『魔法使い』だから!!」



 ペロという名のオルトロスを転送した夜。

 あの夜に、エウリュという名の少女の前で認めたこと。

 人間じゃなく、魔法使いなのだ。

 だから、いいのだ。死んでしまっても。死んでしまうべきなのだ。


 ――そうすれば、ナイトさんは死なずに済む。


 皆も平和になって、万々歳だ。

 お伽噺の通り、悪い魔法使いが倒されてめでたしめでたしで終わる。

 誰も気に病む必要なんかない。



 ――だって私は魔法使いで、魔法使いは人間じゃないのだから。



 一際大きな剣戟が、夕闇を迎えた林の中に響き渡った。



「よくないって、言ってるだろ!!!」



 騎士達の剣を弾き返し、青年が吼える。

 勢いに押されたようによろめいて後ずさる大柄な騎士に接近し、逆袈裟に切り上げる。

 ぐらついて倒れる大柄な騎士を無視し、右から切りかかってくる騎士の剣を地面に叩きつけた。

 後ろから左の騎士に斬りつけられるが、気にも留めない。剣の柄で顎をかちあげて意識を奪う。

 噴き出す鮮血が一面の緑を赤く染め、歯を食いしばって左の騎士と向かい合う。

 とっくに気絶していてもおかしくない量の血を流しながら、青年の目は押し寄せる闇の中で輝きを放ち続けていた。



「世界中の皆が、そうするべきだ、なんて言ったとしても!」



 間合いも何もない。

 乱雑に踏み込んで、ただ力の限り剣を振るった。

 妙に動きの鈍い騎士は、素直にその剣を受け止める。

 あまりの重さに騎士は顔を歪め、翻って振るわれた一撃に追いつくことができなかった。

 ナイトの剣が騎士の剣を吹き飛ばし、隙だらけの懐に潜り込む。



「僕はそんなの、絶対に嫌だ!!!」



 真一文字に胸を切り裂き、押し込むように吹き飛ばした。


 もう立っていられなくて、マギサはその場にへたりこむ。

 なんという我侭なのだろうか。本人がいいと言っているのに。

 世界が全部、誰か一人の都合で動いてくれるのなら、誰も苦労はしないのだ。


 それなのに。

 それなのにどうして、こんなにも涙が溢れてくるのだろうか。

 嬉しい、だなんて。

 そんなこと、絶対に思っちゃいけないのに。


 もうどうしたらいいのか分からなくて、マギサはただ(うずくま)る。

 死にたいのに、死にたくない。

 生きていたいのに、生きていたくない。

 早くなんとかしないと、ナイトが死んでしまうかもしれないのに。

 このままいつまでも、ナイトと生きていたいと思う自分が居る。

 浅ましくておぞましい、他人の事なんか考えてない利己の化身。


 ――ナイトと一緒に生きていたい。


 頭の中がぐちゃぐちゃになって、身動き一つ取れなくなった。


 その時を待っていたかのように、マギサの背後に黒い影が現れた。


 シャレン。マギサの命を付け狙う、生粋の暗殺者。

 洞窟での一戦は、確かにナイトの想定通り騎士団を誘き寄せる為のものだった。

 しかし、その本当の狙いは、こうしてマギサが一人で無防備になる瞬間だったのだ。


 騎士団が来れば、ナイトが対処に回らざるを得なくなる。自然、マギサが一人になる状態が出来上がり、絶好の機会が訪れる。

 今まで様子を見たのは、魔法を使われたら厄介だからだ。

 その気力もなくなる時を、物陰に隠れてずっと待っていた。


 音もなく背後に立ち、研ぎ澄ました鉤爪を引き絞る。

 存在に気づいていない相手に対応はできない。魔法を使う暇もなく、少女の命は刈り取られる。


 これで、ようやく終わる。

 波打つ心を無視し、右腕に力を込めた。

 背中からでも、心臓の位置はよく知っている。狙い済ました一撃で、一息に貫く。

 引き絞った鉤爪を勢い良く突き出し、



 眩いほどの閃光がその場を埋め尽くした。



 シャレンの体から急速に力が抜け、閃光と共に巻き起こった突風に吹き飛ばされて洞窟のあった岩肌に強かに背を打ちつける。

 反応する暇もありはしなかった。

 確かに心臓を狙って腕を振るい、体に触れたと思った瞬間に弾き飛ばされた。


 力が吸い尽くされたような脱力感は間違いなく鉤爪が魔法に反応した証拠で、しかし切り裂いた感触はしていない。

 自分の魔力では太刀打ちできない魔法に触れたことに、遅ればせながら彼女も気づいた。

 突風は巻き起こり続け、岩壁に体が縫い付けられる。指一本動かせず、辛うじて片目だけ開けて魔法使いの少女を見やる。


 風と光に守られるように、その中心地にマギサは佇んでいた。

 少女は半ば呆然としながら、周囲を取り巻く魔法でしか引き起こせない非常識な現象に目を奪われた。

 体に降り注ぐ淡い光の暖かさに、どことなく覚えがある。

 もう、遥かに遠い昔のことのようにも思える。日の差す縁側で、優しく頭を撫でてくれた掌の感触。

 ページをめくる手と、頭の上から降り注ぐ優しい視線。


 お婆ちゃんの魔法だ。

 はっきりと、マギサはそう理解した。


 黒いローブに込められた防御魔法。緊急時にしか発動しない、最後の手段。

 死の間際、それでも孫を思う気持ちが形を成したもの。

 あらゆる全てから守ってくれますようにと、縋るような願いの結晶。


 死なないでいいのだと、祖母に言われた気がした。

 ふと、祖母の風が頬を撫でる。

 釣られるように小さく顔を上げ、


 雪のように降る光の粒が、そっとマギサの頭に触れた。


 その瞬間、意識が遠くへと引っ張られていく。

 それは、もう半年以上前の事。

 それなのに、今もまだ記憶にこびり付いて夢に見る出来事。



 里が焼け落ちた夜の祖母の言葉を、唐突に思い出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ