第五十六話 「私は、『人』じゃない」
――その日も、いつも通りの朝だった。
ベッドから起き上がって軽く伸びをする。窓を開ければ、お天道様のご機嫌は随分良かった。流れ込んできた風が頬を撫で、朝特有の少し冷たい空気を吸い込む。
今日もいい一日になりそうだと思った。
寝巻きから着替えてお婆ちゃんのお下がりのローブを被り、『魔法』を習い始めた頃にお婆ちゃんから贈られた樫の杖を持って部屋を出る。
お父さんとお母さんに挨拶をして朝食を食べ、食器を片付けて誰にも見咎められない内に家を抜け出した。
講義の時間まではまだもう少し時間がある。早めに広場について、魔法の練習場に向かう。講義が始まるまで魔法の制御訓練をするのは、私の日課だった。
家にいるのが嫌というわけではない。ただ、余り話すことがないだけだ。父も母も今年の収穫はどうだとか山の実りがどうとかいう話しかしない。
魔法の話をしたいのに、そう口にすると怒るのだ。
制御の上手いやり方とか色々教えてほしいのに。別に魔法を使って何かしようというわけじゃない。そのくらい、私だって弁えている。
最初に魔法を使ったときの恐ろしさを、今も忘れてなんかいない。
だから、もっともっと知りたいのに。
魔法の事も、遥か昔のお伽噺の事だって。
知ればきっと、いつか魔法が怖いものでなくなるかもしれないのに。
そんな私を、父も母も困ったような顔で叱るのだ。祖母に悪いように感化されている、と。
そんなことないと証明したくて、こうして魔法の制御の訓練をしている。
上手くできるようになればきっと、私の言うことが嘘じゃないって信じてもらえるかもしれないから。
心を鎮めて、規則的に息をする。自然と同化するように、一つの個であることを忘れるように、世界と繋がっていく。
魔力とは、世界に内在する力だ。だから、あらゆるものに変える事が出来る。世界に存在する全てには魔力があり、それは人間だって同じことだ。
その力を操ることが出来るのが、『魔法使い』という一族だった。
先生はある種の才能だと言った。走るのが速いとか、物覚えがいいとか、そういうのも同じものだって。だから、特別だと驕るものじゃないと。
私もそれには賛成だ。でもそれなら、どうしてこんなところに隠れ住んでいるのだろうか。
他の里の人を私は見たことがない。里の外に出るのにも里長の許可がいるし、子供にその許可が下りることはない。
答えは考えるまでもなく簡単で、危険だからだ。魔法なんて人殺しの才能と同じだと先生は言った。少しの気まぐれで人が殺せる、危険極まりないものなのだと。
だから、身の程を理解し、己を律していかなければならないと教わった。
お婆ちゃんの膝の上で聞くお伽噺も、先生の言葉を裏付けていた。
どんな話も、最終的に魔法使いが皆と仲良くして終わることはない。めでたしめでたしで終わるのは、いつだって魔法使いが倒されてお姫様が助けられる話だ。
杖の先に宿った魔力を風に変えて解き放つ。巻き起こした突風は私くらいなら軽く空に放り投げられる程だったが、木々の葉っぱを一つも引き千切らなかった。
上手くいったのを確認して、次の魔法を準備する。
魔法は危険だ。そのことに異論はない。だから、皆に恐れられる。それも分かる。なので、大人しく暮らしていくべきである。本当にその通りだ。
先生の言うことは正しくて、でも一つだけ嘘があった。
特別じゃない、ってことだけ。
魔法使いが特別じゃないなら、皆と一緒にめでたしめでたしで終わる話もあったっていいはずだ。
魔法使いは、特別悪いのだ。
私の好きなもの全部が、その答えに私を導いた。
それなら仕方ないと思えた。今の里の状況も、教えられた事も、父や母や村の大人達の態度も、全てが納得できる。
特別に悪いから、隠れて潜んで誰にも迷惑をかけずに生きていかなきゃいけない。
魔法は最低限の制御さえ覚えて、後は使わないこと。それは全部正しく見えた。
集めた魔力を水に変え、巨大な水の塊を浮かべて弾けさせる。局所的な洪水は木々を飲み込んであっという間に地面に吸われ、跡形もなく消え去った。
これも大丈夫、問題ない。息を吐いて、使った魔力を補填しようと椅子代わりの切り株に腰を下ろす。
こんなこと、先生達の言うことを聞くならするべきじゃない。余計に魔法を習得しようとするのは、大人達には危険な行為に思えてならないだろう。
それでもこうして頑張っているのは、お婆ちゃんがいるからだ。
お婆ちゃんだけは、魔法使いが特別悪いと思っていなかった。
別に魔法が怖くないとか、遥か昔のご先祖様達が悪くないと言っているわけじゃない。
お婆ちゃんはこう言っていた。
――だって、自分の子供や孫が何もしていないのに悪者扱いだなんて、悲しいじゃない?
他の大人達が聞いたら怒りそうだから黙っててね、と微笑んだのを覚えている。
私にはピンとこなかったけれど、どこか嬉しくなって益々祖母に懐くようになった。
だからこうして、魔法の練習をするのだ。完璧に操れるようになればきっと、私の言うことを大人達も聞いてくれると信じて。
魔法使いだって皆と手を繋いで、めでたしめでたしで終わる話があったっていいはずだ。
魔法はやっぱり危険で、遥か昔の魔法使いみたいになってはいけないけれど。
最初に魔法を使った時の、自分が人でない化け物になってしまった恐怖も覚えているけれど。
里で一人くらい、お婆ちゃんの味方がいてもいいはずだ。
十分休んだ所で先生と皆が来て、講義が始まった。私を合わせて十人もいない、年齢もバラバラな子供達への魔法の授業。
徹底的に魔法の恐怖と魔法使いの悪徳を、いつもどおり教え込まれた。
お昼になると家には帰らず、お婆ちゃん家に向かう。裏庭から入れば、縁側で我が物顔をして丸くなる猫がいた。
野良猫で、名前はつけていない。小さく手を振って、大の字に寝転がった。
そうすると、日向ぼっこに来たお婆ちゃんが見つけてくれる。一緒にお昼を食べて、夕方からお話をしてくれる約束を取り付けて午後の授業に出た。
日が傾く頃合に講義は終わり、杖だけ掴んで足早にお婆ちゃんの所に行く。約束通りお婆ちゃんは縁側で待っててくれて、膝の上に乗っかってお伽噺に浸される。
体が成長しなくて良かったと思えるのはこのときくらいだ。背が低いと棚の上の方に手が届かなかったり、からかわれたりといいことがない。
それでも、お婆ちゃんの膝の上に乗れるから我慢できた。
幾つかのお伽噺を聞いて、日が沈む頃にはお婆ちゃんの用事があっていつも終わりになる。その後は、一人で書斎を借りて夕飯まで本を読むのだ。
いつも通りの日常。
何も変わらない毎日。
その日も、いつものようにお婆ちゃんに時間を知らされて、杖を抱えて渋々帰る所だった。
月が昇る頃、帰り道で地響きみたいな蹄の音を聞いた。
轟く鬨の声と嘶きに身震いし、全身が硬直して動けない。
鼓膜と体の内側が痺れて、ただ呆然と声がした方を向くしかなかった。
馬に跨り、甲冑に身を包んだ人達が押し寄せてきた。
本で見たことがある。少し違うけど、間違いない。その姿は騎士そのものだった。
数を数える余裕なんてなかった。とにかく沢山の騎士が突っ込んで、火を放ってきた。
手に持った松明を投げ捨てて、火が家屋に燃え移っていく。
何事かと表に出てきた人達が、騎士の剣に斬られて悲鳴と血飛沫を上げた。
目の前の出来事に、頭がついてこない。一体、何が、どうして、
驚いて叫んだ友人が、馬で走り抜けざまに腕を飛ばされ、後ろからやってきた騎士に首を飛ばされた。
飛んだ首が近くに転がってきて、その目が私を見た気がした。
唐突に吐き気を催して蹲る。
そのおかげで襲ってきた騎士の剣を間一髪で避けられ、ローブが切り裂かれるだけで済んだ。
殺される。頭よりも先に体が理解し、吐くよりも走るほうを勝手に選んだ。
黒髪とローブ、それに背の低さが幸いしたのか、余り標的になることはなかった。
剣に襲われる回数は少なくとも、死の恐怖が遠ざかるわけじゃない。
走る間にも悲鳴は響く。見知った人が血を撒き散らしながら倒れ、蹄の音と嘶きが鼓膜を振るわせ続けて耳がおかしくなる。
どこを走っても、血溜りが途切れることはなかった。深い剣傷があるのはまだマシなほうで、腕や足がなかったり、首がない死体も当たり前にあった。
馬にでも踏まれたのか、腹が潰れて内臓が散らばっていたり、頭が割れて見てはいけないものが垂れ流されてもいた。
家屋を燃やし尽くす炎が飛び散って、余りの熱さに地面を転がる。飛び移った火が死体を焼く嫌な臭いまでしていた。
家の中から救いを求めるように火達磨になった誰かが飛び出し、地面に倒れる。蹄の音が悲鳴にまぎれて聞こえず、どこから剣が降ってくるか怯えながら走った。
耳も鼻ももう馬鹿になって何も分からない。靴は血を踏みすぎて真っ赤になって、呻く声に思わず足を緩めそうになる。
助けて、という声があちこちから聞こえる。回復魔法を使おうとして、魔力がちっとも集まらない。それでも無理に力を込めれば、暴発して杖が吹き飛んだ。
杖を持っていた手が痛い。皮膚が破れて血が噴出している。それでも魔法を使おうとして、
燃え盛る木造の家が吹き飛んだ。
動きが固まる。まさかまた暴発したのか。魔力だってまだ集め切れていないのに。
炎が撒き散らされ、呻き声が悲鳴に変わる。
阿鼻叫喚の地獄絵図。どこかのお伽噺で聞いた語句が、そのまま当てはまる光景。
崩れ落ちた家の向こうに、怯えきって泣き叫ぶ年下の子がいた。無茶苦茶に溜めた魔力を形も与えずに解き放って、袋が破裂するような音を立てて弾け飛んだ。
後に残ったのは、その子が着ていた服の切れ端だけ。
頭の中を先生の言葉が巡る。魔法は危険。使ってはいけない。
制御し損ねた魔法は暴発し、周囲に破壊と混沌を撒き散らす。魔力が暴走すれば、限界以上に溢れ出して世界から存在ごと消える。
さっき家を吹き飛ばしたのは、制御を離れたあの子の魔法か。
怯えが破壊の方向性だけを与え、形にならず解き放たれた。泣き喚いて制御できる魔法なんて一つもない。そのまま魔力の暴走まで引き起こした結果、弾けて消えた。
悪い夢でも見ているのだと思う。
飛び上がった燃える木の柱が地面に落ち、嫌な音と共に呻き声がしなくなった。
涙によって暴発した魔法で宙に放り投げられた木片は、火の粉を振りまいて法則に従い落下する。その下に、人がいることなど考慮せず。
一定以上の重量に速度が追加されれば、人の骨など簡単に砕き潰すだろう。
悲鳴が漏れた。
怖くて、恐ろしくて、どうしようもなくてただただ必死に叫び声をあげた。
そんなことをしたら、騎士に居場所を知らせているようなものなのに。
案の定、馬を駆る数人の騎士が私を見つけ、迫ってきた。
殺される。そう分かっているのに、口から漏れる悲鳴を抑えられなかった。
もう何がなんだか分からない。現実の出来事だなんて欠片も思えない。
だって、ついさっきまで普通の一日だったのだ。毎日の中にいたのだ。
いきなり襲ってきた騎士の集団が、里をお伽噺の中に連れて行った。
魔法使いをやっつける騎士。何度も聞いたお伽噺の中の出来事。目の前におきている現実がそうだと、どこか冷静な部分がそう結論づけていた。
だって、魔法使いは特別悪いから。魔法は人を殺すから。
――実際、今お前だって見ただろう?
頭が狂いそうになって、あらん限りの悲鳴を上げた。
騎士の剣がこちらを狙っている。狙い過たず命を取らんと炎を照り返して。
呆然として動けなくなる私を、拾い上げる腕があった。
お婆ちゃん。いつになく真剣な顔で私を抱え上げて、老人とは思えない速度で逃げ出した。
驚く騎士達を置き去りにして、お婆ちゃんは走る。魔法を使っているのはすぐに分かった。
悲鳴は止まっていた。涙でぼやける視界でお婆ちゃんを見れば、小さく笑い返してくれた。
お婆ちゃんの肩越しに、蹂躙される里が見える。
魔法を使っている人は他にもいて、そのどれもが相手を傷つけずに無力化するようなものだった。
勿論、そんな高度な魔法を使いこなせる人はそういない。数の差もあってあっという間に斬り殺され、血飛沫が炎に焼かれてすえた臭いが充満する。
感覚はもう麻痺していた。目の前で人が死んでいくのに、もう何を思うことも出来ない。
お婆ちゃんの腕の中は暖かくて、それだけは離さないように背中に回した手でぎゅっと掴んだ。
里と森の境界線まできて、お婆ちゃんは私を降ろす。
剣で引き裂かれたローブを剥ぎ取り、いつの間にか持っていた真っ黒で丈夫なローブを被せ、吹き飛ばしてしまったはずの杖を押しつけるように渡してきた。
一体何をされようとしているのか分からない。いや、分かりたくない。
不安そうに見上げれば、お婆ちゃんはいつもみたいに優しく微笑んで、
「――――」
何かを、言われた気がする。
確かに聞いたはずなのに、思い出そうとしても頭が痛くなるばかりで出てこない。
大切なことを言われたはずなのに。
それは、深くどこかに沈んでしまっていた。
「逃げなさい」
そう言って、お婆ちゃんは優しく私の肩と頭に手を置いた。
次の瞬間、夜になってから嫌になるほど聞いた肉を切り裂く音がした。
噴出した血が数滴顔にかかり、お婆ちゃんの体がぐらりと揺れる。
肩越しに見えるのは、甲冑を着込んだ壮年の騎士。
もう悲鳴も上がらない。
感情のままに魔力を形にしようとして、
炎の柱に潰される人影が脳裏にちらついた。
怯えて竦んだ私に、壮年の騎士がそれだけで射殺せる視線を寄越す。
ごめんなさい、と心の中で呟いた。
私はここでお終いみたいです。お婆ちゃん、言われた事を守れなくてごめんなさい。
そうして諦めて目を瞑ろうとして、
「――」
また、お婆ちゃんが何かを言った。
驚いて目を見開けば、今まで見たどんな顔より優しく微笑まれた。
それは、でも、とっても苦しそうでもあって、悲しんでいるようでもあって、頬を撫でる骨ばった指の感触に心を奪われた。
気づけば、里を遠くに見渡せる森の中にいた。
転移だ、と理解したのは燃え盛る里を暫く眺めてからで、思わず戻ろうとした足を止める。
戻って、何が出来るというのだろうか。顔にかかった血を拭う。
最期の指の感触。きっと、お婆ちゃんはもう生きてはいない。
父も、母も、先生も、皆も、もうきっと誰も生き残ってはいないだろう。
魔法は使わない。それが骨身に染み付いている以上、あの状況でろくなことができるはずもない。
せいぜい、私のように暴発させてどうにもならなくなるだけだ。
お婆ちゃんが動けたのは、他の人より魔法に詳しかったから。その力で、私は助けられた。
逃げなさい、とお婆ちゃんは言った。
――――、とお婆ちゃんは言った。
だから、少しでもここから遠くへいかなくちゃ。
家の焼ける音が、馬の嘶きが、鬨の声がここまで聞こえるような気がする。鼻に染み込んだ臭いが、まだ里の中にいるような錯覚を呼び込む。
頭よりも先に体が反応して、震える足が勝手に動いて逃げ出した。
夢を見ていたのだと、思い知らされた。
魔法使いは、特別悪いのだ。
だから、こうして里は襲われ皆は殺された。
魔法使いも一緒にめでたしめでたしで終わるお伽噺なんて、存在しないのだ。
何故なら、魔法使いは人殺しの人でなしだから。
子供でも簡単に家を吹き飛ばし、人が弾け飛ぶなんて出鱈目を起こす、
人ではない、化け物なのだから。
炎の記憶が、脳裏にこびりついて離れなかった。
※ ※ ※
何かがおかしいのは、ナイトにだって分かっていた。
コンフザオを出てから、マギサは何も話さない。いつものことと言えばそうだが、いつもなら聞けば何らかの返答はしてくれた。今はそれもない。
疑問は、明らかな拒絶によって出口を見失ったままだ。
何かあったのは間違いない。あの『小さな王都』の牢獄か、それとも貴族の屋敷かは分からないが、絶対に只事ですまない何かが。
それでも、彼女がそれを口にすることはなかった。何もない、大丈夫。そう言ったきり口を開こうともしない。
黒髪の小さな魔法使いの少女は、黙るのは得意でも嘘を吐くのは苦手だ。その事を、騎士に成り損なった青年は良く理解していた。
だから、その言葉が嘘であることもすぐに分かった。
分かったから何だ、という話ではあるが。
追求する勇気もなく、黙って受け入れる度量もない。出来た事と言えば、狼狽えているのをなるべく表に出さないようにすることだけだった。
トゥレと別れ、数知れぬ足によって踏み固められた道を歩きながら、ナイトとマギサは夜の静寂に包まれていた。
本当はこんなはずじゃなかったのだ。夜だというのにあれこれと離れていた間の事を話して、怒られたり呆れられたり、再会できた喜びと安堵に包まれているはずだった。
なんでこんなことになったのか、ナイトには分からない。
分からないから、引け腰になる。助けに来るのが遅れたせいだ、そんな自責の言葉ばっかりが頭に浮かぶ。
そんなことしている場合じゃないのに。
横目で盗み見たマギサの顔は、見慣れたナイトにも判別が難しいくらい微かに硬くなっていた。
ナイトの心臓に棘が突き刺さる。
何かしなくちゃいけない。
でも、それが何か分からない。
まるで初めてマギサが魔法使いだと分かったあの時のように。
掌をぎゅっと握り締めて、何か言おうと口を開いて、結局何も出てこず閉じた。
そのまま暫く歩いた所で、ようやく適当な口実を見つけて話しかける。
「少し休憩しようか。仮眠くらい取らないと」
「……分かりました」
必要ないとでも言いたげな様子で、マギサが小さく頷く。
ナイトにしたって街で十分休んだお陰で疲労もさしてないが、だからといって強行軍をする理由もない。出来る限り早く『小さな王都』からは離れたいが、無理をする必要はないだろう。
何より、精神的な負担の方が大きい。それに、少し休めばマギサだって何か話してくれる気になるかもしれない。
藁に縋るような希望に頼って、ナイトは休憩地を見定めた。
街道脇の林に隣接する適当な場所に荷物を置いて、マギサに獣除けを頼んでから薪を取りに行く。
北西部だけあって夜は流石に冷え込む。時節に助けられてナイト程度の薄着でもなんとかなるが、そうでなければ風邪を引いてしまっていたことだろう。
暫く貰ったローブにでも包まって暖を取っていよう、なんて思いながら薪を拾い集めていた時だった。
足元から鋭い痺れが頭の天辺まで駆け上ったかと思うと、動けなくなっていた。
本当に微塵も動かない。
何かの勘違いか木の根っこにでも引っかかったかと思って足に力を込めるが、そんなナイトの努力を嘲笑うかのように微動だにしなかった。
力を込められているかどうかさえ怪しくなる。足元を見てみても、何もおかしなところはない。木の根に挟まれているわけでも、何かを踏んづけているわけでもなかった。
それなのに、ぴたりと足が地面に吸い付いて離れようとしない。
動けない。動かない。どんなに力を込めても、まるで無意味だ。
こんな現象に覚えはない。すわ魔物の仕業かと思うが、それらしい気配もないし罠に嵌っているのに襲い掛かってこないのも不自然だ。
他にこんなことが可能だとすれば、
それは紛れもなく、
慌てた様子でマギサが駆け寄ってきた。
握り締めた杖を振れば、突然足が動くようになって込めた力のせいでバランスを失って倒れ込んだ。
集めた薪を撒き散らしながら顔から地面に突っ込み、土を吐いて立ち上がる。
後ろを振り向けば、マギサが怯えた顔をしてこちらを見つめていた。
それでピンとくる。多分、魔法を失敗したのだろう。獣除けの魔法を張ろうとして、変なことになったに違いない。
何も気にしていないことを示すように笑って、体についた砂を払った。
「大丈夫、なんともないよ。最近魔法に頼ってたから、罰があたったかな」
マギサが、喉を詰まらせるようにして杖を胸に抱き込んだ。
失言だったかと思って訂正しようとすれば、その前にマギサは背を向けて走っていってしまった。
呼びかけようとして宙に浮いた手で、なんとなく襟足を掻く。
トゥレやライみたいに人の気を和ませる軽口は、自分には難易度が高すぎたみたいだ。
真似でもしようとしたわけではないが、話しやすい空気を作れればと思ったのだが。
きっとこんなだから、マギサも何も話せないのだろう。
我が事ながら呆れと失望の溜息が漏れ、薪を拾い直して足りるかどうか計算する。
もう少しだけ拾って、荷物を置いた場所に戻った。
そこには膝を抱えたマギサがいて、さっきのことを謝ろうとして、また上手い言葉が出てこずに黙ったまま薪を組んだ。
気まずさを抱えたままで火をつけようと荷物を漁って火口箱を探していると、マギサの方から話しかけられた。
「私が、火をつけてもいいですか?」
「え? あ、うん、そりゃ勿論」
まさかマギサから話しかけられるとは思っておらず、ナイトは水飲み鳥のように何度も首を縦に振る。
ナイトの許諾を得て、マギサは杖を握り締めて組んだ薪の前に立つ。
てっきり火口箱を使うのかと思ったが、魔法で点けるつもりらしい。珍しいこともあるな、なんて思いながらナイトはその様子を見ていた。
この時まで、ナイトは事の重大さに少しも気づいていなかったのだ。
魔力が杖先に集まる独特の感覚。もう慣れたそれは、それでも産毛が逆立つような緊張感を与えてくる。
集まった魔力がマギサの意思に従い形を成して、
組まれた薪が爆発して弾け飛んだ。
何も反応する暇もありはしなかった。
音に驚いて深夜だというのに鳥が羽ばたいて逃げ出し、何の構えもしていなかったナイトの体が勝手に震えて固まる。
薪が組まれていた場所には凹みと焼け焦げた痕。狙ったもの以外は傷つけないはずのマギサの魔法は、薪を粉砕していた。
それが狙った現象でないことは、マギサの顔を見ればすぐに分かった。
怯え切った表情と、震える体。さっきよりずっと、それは真に迫っていた。
マギサが自分の力を恐れていることは知っている。けれど、今まではだからこそ制御できていたはずだ。
初めて目の前で見る『魔法』の暴走に、ナイトは言葉を失っていた。
駄目だ。今黙って、怯えている姿をマギサに見せてはいけない。例えどんなに嘘臭かろうと、何でもないと言ってあげなくちゃ。
震える身体に力を込めて、二本の足で立ち上がる。
気合を入れろ、恐れるな。目の前にいるのは、マギサだ。化け物じゃない。
小さくてか弱い、優しい女の子だ。
顔を無理やり笑顔にして、トゥレやライのやせ我慢を見習う。
「色々あって、疲れてるんだよ。やっぱり休もう。また拾ってくるから、ちょっと待ってて」
返事はなかった。
かける言葉が、これでいい自信なんて少しもない。
それでも、これ以上何を言えばいいのか分からない。どういえば彼女が少しでも楽になるのか、すぐに考えろと言われても思いつかない。
自分の頭の悪さを、旅に出てからずっと呪いっ放しだ。
気の利いた言葉の一つも言えず、もう一度林の中へと薪を取りに行った。
肩越しに見た彼女は、膝を抱えて蹲っていた。
※ ※ ※
再び集めた薪は、火口箱で火を点けた。
マギサは何も言わず、身動ぎ一つしない。
ナイトもまた何を言えばいいかも分からず、灰色のローブを被って太い木の幹に背中を預けた。
マギサの魔法が暴走する所なんて、初めて見た。脳裏に、子供の頃沢山聞いたお伽噺が自動的に再生される。
その中には自滅する魔法使いの話もあって、きっとこんな風に魔法を暴発させた結果なのだろうと思う。
一体マギサに何があったのか。ナイトがいくら考えたって、分かるわけもない。
よっぽど衝撃的な事でもあったのかと思うが、ナイトにそれを知る術はなかった。
漏れそうな溜め息を飲み込んで、体を休ませようと目を瞑る。
どちらかというと、休ませたいのはマギサの心の方だが。どうすればいいのか、その手段が分からない。
守ると決めたのに。
口先ばかりでまるで足りていないと、思い知らされてばっかりだ。
それでも、生半可な気持ちで決めたわけじゃない。
マギサを守る。それは、マギサ自身の力からだって。
彼女が立ち直るまで、なんとかする。何があったのか話してくれたら、全力でそれに応える。今できることなんてそれくらいだから、精一杯やろう。
具体的な考えが何も出ないあたりが悲しい所ではあったが、背伸びをしたってしょうがない。
横目に見たマギサは、膝を抱えたまま表情一つ伺えなかった。
魔法を使えない自分に、マギサの事が分かるはずもない。
だからといって、何もかもが無駄だなんてこともないはずだ。
もう少しだけでもマギサの事を分かりたいと思う気持ちを、溝に流していいはずがない。
例えそれが夢想に過ぎないのだとしても。
夢幻に手を伸ばすのは、とっくの昔に慣れていた。
※ ※ ※
日が昇る直前まで休み、軽い朝食をとってからナイトとマギサはもう一度歩き出した。
シャレンとマギサがいなくなった事は日が昇ればすぐにバレるだろう。だからこそ、それまでに距離を稼ぐ必要があった。
いくら貴族の屋敷から逃げ出したとはいえ、ヴォラール達が得た情報通りなら追っ手がかけられるということもない。万が一追っ手が出たとして、一通り探して見つかる範囲にいなければ諦めるだろう、というのが大方の予想だった。
休憩を挟んだとはいえ、夜通し歩き続けてその範囲からは逃れているはずだ。万が一の可能性さえ潰せただろう。
だというのに、ナイトとマギサは黙々と歩き続けていた。
理由は簡単で、足を止める理由がないからだ。マギサは一言も喋らないし、ナイトも何かを話そうとしては口を閉ざす。
そんな状態がずるずると続き、ついに昼を過ぎてしまった。
「あの、そろそろお昼、どうかな?」
「……はい」
下手なナンパみたいな台詞を吐いてマギサを誘い、街道傍の林の入り口に腰を下ろす。
一本の木を背にして干し肉を取り出し、水筒と一緒にマギサに手渡した。食料はライに連れられて『小さな王都』で買い込んでいる。暫くは心配いらない。
美味いとも不味いともつかない肉を噛み千切り、こっそりとマギサを盗み見る。
少し陰があるように見えるのは気のせいか、それともいつも通りか。何にしても、昨夜から状況が好転しているようには見えない。
これから先、どうしようかと思う。マギサの里に行きたいが、今魔法で場所を教えてくれとはとても言えない。遺跡に転送されたせいで、前までの方角があってるかも怪しい。
一先ず道なりに進んで、その先の町なり村なりで休むしかないだろう。なんとかマギサの調子を戻さなくては、何にもできない。
改めて、これまでどれだけマギサに頼ってきたかを知ってナイトはへこむ。自分一人では目的地にさえ行けやしない。漏れそうな溜め息を堪えて肉に噛り付く。
マギサを助けたい。今こそ頑張るべきなのに、何もできない。
マギサのみならず、ナイトにとっても現状は少し辛いものがあった。
最後の欠片を口に放り込むと、遠くに馬の蹄の音が聞こえた。
旅人もろくにいない街道に馬の足音は良く響き、釣られるようにナイトが顔を向ける。
遠目に見えたのは、鎧を着込んだ騎士を乗せた立派な鞍をつけた馬の群れだった。
騎士団が来た。
すぐさま理解し、ナイトは慌てふためいて視線を泳がせる。
落ち着け、落ち着けと呪文のように繰り返す。方向から見てコンフザオから来たのは間違いないだろうが、ただの巡回という可能性もある。それに、万が一追っ手だとしても自分のことは知らないはずだ。
もしもの時はシラを切り通せ、とヴォラールから教わっている。状況証拠しかない状態では、犯人と断定するのは不可能なはずだ。
マギサはまだ干し肉を噛んでいる。このまま旅人を装っていれば、通り過ぎていってくれるかもしれない。
口の中で干し肉を噛み締めながら、ナイトはそれとなく俯いた。
予想と願いに反して、馬の足音はナイト達の前で止まった。
上目遣いに見上げれば、明らかに騎士達がこちらを見下ろしている。
隊長らしき騎士の指示で、馬に乗った騎士達がゆっくりと取り囲んできた。
思えばこの時、形振り構わず逃げるべきだったのだと思う。
隣に視線を移せば、干し肉の欠片を手に持ったまま、マギサは俯いていた。
シラを切り通せば大丈夫、とナイトは胸の内で呪文のように唱える。
それが甘い見通しだと気づいたのは、隊長と思しき騎士が口を開いてからだった。
「魔法使いマギサと、その護衛ナイト。王国騎士団の名において、コンフザオまで連行する」
騎士団の包囲は、ナイト達の真後ろを除いて完成していた。




