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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
57/85

第五十五話 「四つ巴・エピローグ」

――深夜。

 住民の殆どが寝静まり、騎士団とて任務についているのは小数。

 本来静寂が包むはずの時間に、場違いな騒音が騎士団宿舎に響いていた。


 総隊長室にて業務に励んでいたトロイにもその音は聞こえ、経験から導き出された予感と共に手を止める。

 鎧に身を包んだ者が廊下をかける足音。こういう時は、決まって悪い知らせが届くのだ。


「総隊長! 東門で見張りの騎士が何者かに昏倒させられました!」

「事件報告! 何者かがスパイトフル家に侵入、例の二人を連れて逃げたそうです!」


 ノックもせずにドアをぶち破らんばかりの勢いで入ってきた部下二人の報告に、トロイの神経が一気に張り詰める。

 予想していただけあって、戸惑うことなくすぐさま指示を飛ばした。


「情報を集めろ! 巡回とスパイトフル家から聴取、馬を使っても構わん!」

「了解!」


 敬礼し、部下が飛び出していく。

 椅子に深く座り直し、冷静になるべく大きく息を吐いた。


 情報が集まるまではこの場を動くわけにはいかない。混乱した状態で司令塔が動けば、統率というものはあっという間に失われていく。

 今出来る事は部下の情報を待ちながら、知りえるだけの情報から類推することだ。


 例の二人がスパイトフル家から連れ出され、東門の見張りが昏倒させられた。ということはつまり、下手人達はもうコンフザオから出て行ったと考えていいだろう。

 二人が暴れたりすればもっと早く情報が出たはずだ。なら、意識か自由を奪われているか、それとも仲間と協力して脱走したか。


 ただの誘拐、とするのは無理がある。二人も人を担いでスパイトフル家から誰にも気づかれずに出られるはずがない。それに、あの二人を狙ったということは、ヘクドに圧力をかけるつもりなのだろう。コンフザオから出てどうする。

 やはり、仲間に助けられた、とみるべきだろう。


 それにしても、どうやって屋敷に潜入したのか。確か、自前の衛兵まで配置して厳重に警戒していたはずだが。手口がどうにも思い浮かばない。


 まるで魔法でも使ったような、


 反射的に思い出して、鍵を取り出して引き出しを開ける。

 資料を引っ張り出して、昨日棚に直した書類の内二枚を引きずり出した。

 魔法使いとその護衛。低い背丈に黒い髪、黒いローブに、


 奇矯な形をした樫のような物体で出来た杖。


 獄舎からの報告書を読む。確かに同じ杖が荷物にあったと記されていた。

 ローブはともかく、こんな妙な形状の杖を、年若い少女が持つだろうか。そして、特徴の似ている少女が偶然同じ杖を持っていることも。


 ない。あり得ないと言っていい。更に目を通す。

 名前はマギサ。獄舎の報告書にも、同じ名前が明記されている。


 馬鹿だ。なんという愚かさだ。何が騎士団総隊長だ、肩書きばっかり立派でまるで見合っていない。

 気づけたはずだ。どこかで見覚えがあったはずなのだ。

 資料には似顔絵もついている。獄舎で見た少女に良く似ていた。


 ここまでくれば間違いはない。念の為、青年の方も確かめてみる。

 特徴も名前も、獄舎に来た青年剣士とまるで同じだった。顔を見ていれば、似顔絵でも判別ができたことだろう。


 何の言い訳もできない。自らの無能さによってむざむざ魔法使いを逃がしてしまった。

 魔法使いの拿捕はコンフザオ駐留騎士団の任務ではない。しかし、秩序を乱す存在を放置しておいては騎士団の名折れだ。


 深呼吸し、書類と資料を元の場所に戻す。

 冷静さを失ってはいけない。なんとしてでも捕まえたいが、それで都市の通常任務が滞れば本末転倒だ。

 現状で最適な選択をする必要がある。まずは、情報を待つ事。十分な情報が集まったら、余計な横槍が入らぬようすることだ。


 魔法使いが相手となれば、屋敷から抜け出すなど造作もないだろう。むしろ、何故今までやらなかったのか。仲間と呼応できる機会を窺っていたということか。

 何にしても魔法使いに関する情報は漏らすわけにはいかないし、鷲鼻が焦って追っ手をかけても困る。動く前に釘を刺すべきだ。


 いい機会だ、領主にもお灸を据えてやらねばならん。

 我が身の不明は勿論だが、彼らにも我が儘で問題をややこしくした責任は取ってもらう。


 もう一度椅子に座り直し、部下が戻ってくるまで業務を続ける。

 忙しくなる前に、終わらせられるだけ終わらせなければ。

 焦りを横に置いて、騎士団総隊長は仕事の虫へと戻った。



  ※             ※             ※


 領主の館の客室で眠っていたヘクドは、不躾なノックの音で目を覚ました。

 晩餐会の後、危惧していた通り酒につき合わされ、ようやく眠りにつけたというのに。


 酒の残った頭に、最早ノックとも言えないドアを叩きつける音が響く。

 不愉快極まりない。怒りに任せ、扉の向こうに怒鳴り返した。


「誰だ! こんな夜更けに!」

「あ、あの、スパイトフル様! き、騎士団の、エーアリヒ様が……!!」


 怯えたような使用人の声に、頭痛が一瞬遠のく。

 騎士団? エーアリヒ? それは、つまりトロイのことではないか。

 何故ここでトロイの名前が出てくるかは分からないが、どうやら只事ではなさそうだ。


「あぁ、分かった、今開け――」

「――その必要はありません」


 ドアノブが回り、騎士団の鎧に身を包んだ大男が入ってくる。

 ベッドから下りようとした姿勢のまま、ヘクドは頭を抑えて政敵を見上げた。

 大男――トロイは、巌のような顔を引き締めて政敵を見下ろす。


「夜分に失礼致します。喫緊の用件がありましてお邪魔しました」

「ぶっ、無礼ではないか! いきなり入ってくるなど、何を考えている!」

「貴殿の屋敷にお預けしていた二人が、脱走しました」


 怒鳴る鷲鼻に構わず、淡々と事実を告げる。

 一瞬何を言われたのか理解できないといった顔をして、すぐに青褪めさせた。


 まさか。いや、いつかそんな時が来るとは思っていた。だからこそ、衛兵を配置してせめてもの対応策としていたのに。

 それでも、逃げるわけがないと思っていた。逃げれば、間違いなく騎士団に追われる。せめて沙汰が決まるまでは大人しくしていると思ったのに。


 不味い。油断した挙句、不在時を狙われるとは。まず間違いなく、この事を槍玉に挙げられるだろう。クソ、どうしてこう悪い方向にばかり話が動くのだ。

 恐る恐る窺えば、騎士団総隊長は真顔のままこちらを見下ろしていた。

 絶体絶命だ。


「手引きしたのはナイトと名乗る青年剣士と、トゥレという貴殿の屋敷の新人衛兵です。腕が立つようで、警備についていた衛兵三人と東門の見張りについていた騎士一人を昏倒させ逃亡。現在、追っ手を編成しております」


 隙が見えた。

 つまり、こいつらは最後の水際で奴らを逃がしたのだ。

 ここを突かずして、生き延びる道はない。


「おぉ、なんということでしょう! 街を守る騎士が、無様に寝かされたなどと!」

「その点につきましては、弁明のしようも御座いません。警備体制を今一度見直す事を検討致します」

「検討? 検討ですと!? 何を悠長な、それで逃げ出した者達が捕まるというのですか!?」

「返す言葉も御座いません。ですが、どうやらお忘れのようですのでもう一度」


 顔色一つ変えないままヘクドを見下ろし、トロイは言った。


「手引きしたのは、貴殿が雇われた衛兵の一人。トゥレという男です」


 噛んで含めるように言われ、鷲鼻は押し黙る。

 一々新人の名前など覚えていない。確か、トライゾンかどこかの出身で、身元が確かだからと補充人員にしたはずだ。

 あの二人を警戒する為に、三階に人手を割かねばならなかったから。


 何もかも、あの二人がきてからおかしくなってしまった。なんでこんな目にあわねばならないのか。一体自分が何をしたというのか。

 奥歯を噛み締めるヘクドに、総隊長は追い討ちをかける。


「更には、衛兵が三人昏倒させられております。そちらの警備体制についても、問題視せざるを得ません。普段はともかく、二人を引き取ったからには承知の上だったはず」

「け、警備については、兵長に任せておりますので」

「総責任者はヘクド殿でしょう。最終的な責任は貴殿にあります」


 ぐうの音も出ず、鷲鼻は口を噤む。

 どうしようもなくしてやられた。反論の余地をさっきから探しているが、どこにも見当たらない。

 一体なんだってこんなことに。ただ、己の職務を全うしようとしただけなのに。


 クソッタレの兵長め、媚を売る事ばっかり上手くなりやがって。肝心の警邏は全くのド素人じゃないか。何がお任せ下さいだ豚野郎。

 どれだけ腹の中で悪態をついても、事実は変わらない。ヘクドは責任を取らされ、信用を失い、発言権を弱められる。

 まして、シャレンにあれだけお熱だった領主からの評価がどうなるかは言わずもがな。最も手痛い損失だ。


 こんなことがヴィシオに知られれば、まず間違いなく尻尾切りされる。それだけは避けたかったのに。

 今からでも遅くない、追っ手をかけて先にあの娘達を捕まえればどうにかならないか。

 その考えを読んだように、トロイが宣言する。


「この件は以後騎士団が引き継ぎます。くれぐれも軽率な行動を取られませんよう、自重なさって下さい。これより閣下への報告に参りますので」

「ま、ちょ、お待ち下さい! 是非、私めにも挽回の機会を!」

「此度の責任、スパイトフル家によるところが大きいと考えられます。お気持ちは分かりますが、今回は我々にお任せを。挽回の機会はまた巡ってくるでしょう」


 にべもなく断られ、ヘクドは膝から崩れ落ちた。

 駄目だ。万策尽きた。ここから下手に動こうものなら、騎士団に拘束されるまで有り得る。

 最悪、二人を逃がすのに協力したという容疑をかけられかねない。状況的に、そう周囲を納得させられるだけの条件が揃っている。


 一体どこで間違えたのだろう。さっさと殺しておけばよかったのか。

 いや、そもそもが騎士団から引き取らなければ。


 もしもを延々と考える鷲鼻を放置し、総隊長は身を翻す。

 釘は刺した。後はパラヴォイに話をつけ、正式に今回の件を委任してもらうだけだ。

 流石にこの状況では何も言うまい。言ったとしても、黙らせる。

 決意を漲らせ、トロイは客室を後にした。


 残されたヘクドは、無意味な思考を繰り返す。考えれば考えるほど、最初から詰んでいたという事実から目を逸らして。

 以後、コンフザオの勢力図は大きく変わることになる。

 この件を機に、ヘクドは急速に力を失っていくのだった。



 日が明けて門が開くと同時に、六人編成の騎士隊がコンフザオから出立した。



  ※            ※            ※


 コンフザオから南東へ向かう街道を歩きながら、トゥレは酷く後悔していた。

 まだ朝早いというのに、旅人の数は多い。やはり、王都に繋がる道だからだろうか。行商人の馬車とすれ違いながら、荷物を背負い直す。


 あんなアホな話、やっぱり乗るんじゃなかった。都市を逃げ出してから、頭を過ぎるのはそのことばかりだった。

 如何に気に食わないとはいえ、安定と安心を売り払ってまでやることではなかった気がする。実入りはそりゃよかったが、一生食えるほどでもない。


 指名手配されてなければいいが。無理な話だろうか。無理な話だろうな。自分で答えを出してしまって、肩を落とす。

 どうせならもっと金を要求すりゃ良かった。そう考えて、でもこれ以上もらっても持ち運びが辛くなるだけだと思い直し、またしても項垂れる。


 頼みの綱は貰った紹介状だが、これもどうしたものかと思う。適当な田舎町にでも流れつけば、誰にもバレずに平穏無事に暮らせるんじゃなかろうか。でも、それだと余りいい暮らしができなさそうだ。第一、隣近所にニコニコして生きるなんて怖気が走る。

 ある程度以上大きな町でしか生きられない己の性分に涙しながら歩いていると、背後から騎兵が突撃でもするような蹄の音が聞こえた。


 音に釣られて振り向くと、騎士の一団が街道を爆走していた。

 人が多いせいか上手く進めていないが、なにやら急いでいるのは分かる。もしかして、と背筋を悪寒が這い上がってきた。


 この感覚がした時は、決まってろくなことがない。しかし、ここで挙動不審な様を見せると逆に怪しまれるだろう。

 無関係な一般旅人を気取り、顔を逸らして何の気なしに歩く。


 騎士団相手にそんな誤魔化しは通じなかった。

 馬の足音が隣を過ぎたかと思うと、気がついたらトゥレは周囲を囲まれていた。

 平常心を保つよう鼓動を無視し、惚けた調子で尋ねる。


「あの~、一体何なんですか?」

「貴様、トゥレだな?」


 彼の質問には答えず、騎士が確認を取るように投げかけてきた。

 心の中で舌打ちし、囲んでいる連中の顔を窺う。

 冗談が通じるような奴らじゃないし、表情も固い。かといって、ここで素直に認めても捕まるだけだ。

 腹を括って、しらばっくれることにした。


「さぁ~? 誰の事ですか?」

「惚けるな! 荷物を(あらた)めさせてもらうぞ!」

「ちょ、何するんですか人の荷物に!」


 手を伸ばしてくる右の騎士から荷物を守り、不愉快であると示すように睨み付ける。

 荷物なんて見られたら一発だ。自警団の紋章も、紹介状だってある。特に紹介状は不味い、こんなのがバレたら組織の連中に殺される。

 トゥレの様子に構わず近づこうとする右の騎士を、正面の騎士が制止した。


「やめろ。彼に抵抗されては元も子もない」

「し、しかし……」


 反論しようとした騎士を一睨みで黙らせ、正面の騎士がトゥレに向き直る。

 どうやら隊長格のようだ。そう判断し、トゥレは真正面から睨んだ。


「俺に何の用ですか?」

「用があるのは君ではなく、君と一緒に居た三人……いや、二人の方だ」


 マギサとシャレンのことか。

 そうトゥレが判断したのも無理はない。ここ最近、二人といえば彼女たちの事だった。

 しかし、騎士が示したものは違った。


「黒髪の少女マギサと、青年剣士ナイト。二人の行方を捜している。知っていたら教えて欲しい」

「……はぁ?」


 言われている意味が分からず、思わず顔が歪む。

 内容は理解できるが、何故聞かれるかが分からない。どうしてそこでナイトとマギサなんだ。もしかして、シャレンがまだ逃げ出していないとバレているのか。


 だとしても、今の態度が分からない。ナイトを捜しているというなら、何故今自分を見逃すような流れなのか。

 正面の騎士は真顔のまま続けた。


「教えてくれれば、今は君には手を出さない。約束しよう、このまま見逃すと」

「……あんたら、何のつもりだよ」


 益々意味が分からず、取り繕いを捨てて尋ね返す。


「君は知らなくてもいい。それともここで捕まるか?」


 正面の騎士がそういうと、周囲の騎士が円を狭めてくる。

 どうやら、選択の余地はないらしい。自分の身を危険に晒してまであの二人を守る理由は、トゥレにはなかった。


「……コンフザオからでて、最初の二股に分かれた道。その左側だ。そこから先は知らねぇ」

「協力、感謝する」


 小さく頭を下げ、正面の騎士が手綱を振るう。

 それを合図にトゥレを囲む円は崩れ、騎士達は元来た道を戻っていく。


 人通りが増えた為、流石に馬を走らせることはしていない。それでも、ここから戻って二人を追いかけるのにそれほど時間はかからないはずだ。

 荷物の紐を握り締め、去っていく騎士の背中に声を投げつけた。


「おい! なんだってあいつらを追う!? コンフザオの件じゃねぇだろそれ!」


 昨夜の事件が理由であれば、自分が見逃されるはずはない。

 だとしたら、別の理由がそこにあるのだ。

 自分を見逃してまで、二人を追う理由が。


「世の中には、知らない方がいいこともある!」


 そう叫び返し、騎士達は去っていった。

 暫くその場に立ち尽くしていたかと思うと、トゥレはいきなり地面に荷物を叩き付けた。


 一発、二発、三発。

 息が軽く乱れたところで手を止め、水筒を取り出して一気に飲む。


 ――どいつもこいつも、人を舐めやがって。


 結局、あんな手助けまでしたのに蚊帳の外。その事実がはっきりと明示され、トゥレは腸が煮えくり返る思いだった。

 何よりも、あの騎士に下に見られたのが最高に気に食わない。


 ――ふざけやがって、てめぇらがその気ならこっちにも考えがある。


 荷物の中には紹介状が入っている。王都にいる組織のまとめ役への伝手。

 組織なら、情報なんて入れ食い状態だろう。


 ――クソみたいに死ぬその時まで、好きに生きてやる。


 なんとなくで向かっていたが、今はっきりと決めた。

 次の行き先は王都。

 そこの組織に入って、知らない方がいい事を全て知ってやる。


 そう心に決め、水筒を荷物に放り込んで背負い直した。

 その足取りは、今までになく強い意志に満ちていた。


 紹介状の宛先であるナルが、シャレンの関係者であるとも知らずに。



  ※            ※              ※


 朝とも呼べず昼とも呼べない時間帯。

 二頭引きの荷馬車が、コンフザオの東門から他の馬車や旅人に紛れて出て行く。

 何の変哲もない荷馬車に気を留める人間はおらず、騎士団にも呼び止められないまま街道を進んでいった。


 十分門からも離れ、最初の二股の分かれ道に来た所で幌をかけられた荷台が動いた。

 幌の下から現れたのは、一本に編みこまれた黒い髪と目の覚めるような美貌を持つ黒衣の女性。

 闇に溶け込む暗殺者、シャレンだった。


 昼の光の下だとやや目立つ姿だが、本人は気にした風もない。数少ない旅人が全員振り向きながら去っていくのを無視して、自身の装備を確かめていた。


「それじゃ、あっしはここまでで」

「えぇ」


 御者でもある組織の男が目礼し、鞭を打って街道を進む。

 シャレンはぐるりと周囲を見回すと、地面に屈み込んだ。

 指先でなぞりながら、蹄の跡を探す。目的のものは、複数でしかも他よりも一段低く刻まれたもの。


 あった。他に比べて明らかに異質で統制の取れた蹄の跡。

 朝方に騎士団が東門を抜けていったことは聞いている。ナイト達を追いかけてのことだろう。深夜の内に騒ぎがあったこともライから教えてもらった。

 この足跡追いかけた方が、早く標的に辿り着ける。そう判断して、蹄の跡を注意深く調べた。


 一度南東への道に向かい、戻ってきて北東への道に切り替えている。

 何らかの新しい情報を入手したのか。ともあれ、最新の蹄跡を追えば間違いないだろう。


 呼吸を整え、軽く跳ねる。足首を柔軟に、力を十分に地面に伝える。

 鋭く呼気を吐き、蹄の跡を追って走った。


 往来を走るのは趣味じゃない。街道から逸れ、林近くの草むらを駆ける。

 分岐点がくるまでは真っ直ぐ走ればいい。途中で林の中にでも進路を変更したのなら、必ず分かりやすい痕跡があるはずだ。

 それまで、とにかく全速力で距離を詰める。


 騎士団に獲物を横取りされてはたまらない。散々我慢したのだ。勝手な真似をさせてたまるか。

 依頼は遂行する。それが養父の教えだ。

 下生えを蹴りつけながら、シャレンは本来の暗殺者としての姿に戻った。


 以前に比べて、どこか少し狂い始めていることを無視して。



  ※            ※             ※


――階段を下り切った先には、頑丈な扉があった。

 ヴィシオは自分の体の三倍はある扉の前で立ち止まり、ランタンを置いて足元にある出っ張りを力を込めて踏みつける。


 どこかで重々しい歯車が動き、かみ合って連鎖していく音が響く。

 人力で動かす事が不可能であることを教えてくるような重厚さでもって扉は開き、暗闇に慣れた目には眩しい明かりが差し込んでくる。


 扉の先は、遺跡の一部をくり貫いたような広場だった。


 広大な球状の空間に、半円上の足場が広がる。曲線になっている部分からは三本の道が伸びていて、それぞれが壁に開いた穴のような入り口へと繋がっている。

 半円状の足場には箱状の魔道具――『装置』が幾つかと、白いローブを着た人々。足場は真っ白な素材で出来ており、壁は黒。白黒の世界に現れたヴィシオはやけに目立った。


 出っ張りから足を離せば扉がゆっくりと閉まり始め、ヴィシオは悠然と通り抜ける。

 白いローブを羽織った人々は手に羊皮紙の束を持ってあちこちで何事か話し合っていたが、ヴィシオがきたのを知ると揃って敬礼した。


 この場所こそ、ヴィシオの野心を育んだ場所。この男が最初に見つけた遺跡である。全ては、ここから始まったのだ。

 軽く手をあげて作業に戻るように指示し、監督するように周囲を見回す。

 一人のローブを羽織った男がヴィシオに近づき、慇懃無礼に敬礼した。


「これはこれは、ヴィシオ様。本日は如何されました?」

「なに、たまには自分の目で進行具合を確認しようと思ってな」

「それはそれは。では、こちらへどうぞ」


 深く腰を下げ、手に持った錫杖を鳴らしてエスコートするように手で指し示す。

 あの生意気な副官といいつくづく気に食わない奴らだが、これでいて腕はいい。こいつらもいずれ用済みになったら消さなければと思いつつ、示されたとおりに進む。


 ヴィシオの野心を育んだこの地は、ミニストロ家の地下にずっと存在していた。

 いざという時の為に地下室を作らせていたところ、たまたまぶちあたったのだ。遺跡の一部が丸出しになっているという稀有な形で。


 そこからは、地下の整備に金を費やした。王国の地下に遺跡があることは知っていたが、まさか自分の屋敷の地下にもあるとは思わなかった。

 組織に依頼して遺跡を管理させたのも、万が一この場所がもれたら困るからだ。そしてもう一つ。

 より有益に各地の遺跡を使う為だった。


 王国の地下遺跡は中継地のような役割を果たしていたらしい。あちこちに転送陣が存在し、各地の遺跡と繋がっている。

 そして、この空洞遺跡に設置されていたもの。この魔道具は、魔物を創る事を可能とした。


 それだけではない。陣を作成することさえ可能なものまであった。惜しむらくは使い方が不明な点で、だからこそ古い文献をやたらめったらとかき集めた。

 表向きには、文化と歴史を保存する為と言い訳してある。誰も興味がなかったらしく、ものの見事に言い訳は通り、今やヴィシオは有数の文化人扱いだ。笑いが止まらない。


 それを解読する為に集めたのが、この白いローブを羽織った研究者達である。

 十年近く時間をかけ、なんとか辛うじて使えるようになった。そこに現れたのが、今の副官である。

 彼によって研究は飛躍的に進み、ヴィシオの計画は数年は早まった。


 各地にある似たような装置を探し、魔物を量産する体制を作り、陣によって各地の移動と管理を容易くする。ヴィシオの野望は形を持ち、実現まであと少しというところまでこぎつけた。

 魔法使いの里なんてものが発覚しなければ、今頃計画を実行していたかもしれない。


 困るのだ。魔法使いなどというものに生きていてもらっては。

 脅威は魔物だけでいい。状況をひっくり返せる力など、許してはならない。

 忌々しい。ここまでして揃えたというのに。


 地下の秘密を守る為、地下建設に携わった者は全員殺すか取り込むかした。今も、この研究者たちに逃げられては困るから居住区だって用意して面倒をみている。

 三本の道、一番右から繋がっている入り口がそうだ。中は居住区になっていて、数十人が暮らせるようになっている。組織に頼んで食料も差し入れているから飢えることもない。毎年の維持費だけで馬鹿のように金が飛んでいく。


 正面の道は遺跡内部に繋がっている。必要な時は各地の遺跡と往来し、また食料などを運んでくる補給路でもある。

 そして一番左の道。これが一番苦労したところだ。


 そこには、魔力を補給するための素材が入っている。つまり、人間だ。

 組織に依頼して、身寄りがなく足のつかない人間を拉致して放り込んでいる。


 魔道具にしろ何にしろ、まさか自分が使うわけにはいかない。どんな危険があるかも分からないのだ。勿論、有用な人間にも使わせられない。

 必要なのは、使い捨てできる存在だった。


 衣食住を保証し、自由を餌にすればどいつもこいつも飛びついて魔道具を使った。おかげで、魔力には困っていない。

 唯一、装置に魔力を補填する方法は分かっていないが、止むを得ないだろう。


 使い捨て連中とて、連れてくるのもタダではない。なるべく死なないように衣食住はくれてやっているが、それでも何度も魔道具を使う内に衰弱死する者もでてきた。

 そういう時だけ、代わりを補填させた。


 どうやら、連続して魔道具を使用させると魔力が回復しきれず、衰弱死するらしい。それが判明してからは何人かで回して使わせるようにした。

 おかげで衰弱死はしなくなったが、狂ったり抵抗したりする者が増え、結局定期的に入れ替える必要が出てきてしまう。金も無限ではないのだ、いい加減にして欲しい。


 そこまでして築き上げたものが、小娘一匹のせいで足をとられている。

 腹立たしさを押し殺しながら、正面の道の途中で足を止めた。


 半円上の足場から伸びる三本の道。それぞれ人が三人は横に並べるほどの広さがあるが、広間全体と比べると人差し指程度の細さに過ぎない。

 つまり、通路と通路の間は吹き抜けになっているのだ。

 錫杖を揺らし、白いローブを羽織った男が下を覗き込む。


「ご覧下さい。見事なものでしょう」


 同じように、ヴィシオも下を覗き込んだ。



 そこに居たのは、ヴィシオ達によって使役された魔物の群れだった。



 グラン・スパイダーがいる。スライムもいる。巨大な蛇や鋭い針を携えた巨大な虫もいれば、棘を飛ばす花もある。

 異様な光景に、普通の神経をしていれば吐き気すら催すだろう。

 だが、ヴィシオは嬉しそうに笑っていた。


「良いな。数も揃ってきた」

「えぇ。ただまぁ、問題もありまして」


 顔を曇らせる男に、ヴィシオが片眉だけ器用に上げる。


「なんだ。言ってみろ」

「ご覧になられて、お気づきの点はございませんか?」


 そう言われて、もう一度下を見る。

 魔物達がそれぞれ争うこともなく、同じ空間に同居している。使役が効いている証拠だ。最初の頃は互いに食い合って大変だった。

 今、男が持っている魔道具を手に入れるまでは。


 使役の錫杖。そう名づけた魔道具は、名前の通り魔物相手に使役を付与する。それ以外何の効果もないものだが、それが何より都合が良かった。

 連れて来た魔力素材も、殆どこの錫杖の為のようなものだ。

 ただ、この錫杖とて問題がないわけではない。使い方が悪いのか、どんな魔物でも完全に使役できるわけではないのだ。


「虫けらか脳のないやつしかおらんな」

「そうなのです。未だに、これより知能の高い連中には不安が残るのですよ」


 使役の係り具合は、知能と直結している。

 動物をモチーフにした魔物相手では、時折使役を外れた行動を取る事があるのだ。

 勿論、それ以上となると更に駄目だ。伝承に謳われるドラゴンなどを使役できればそれこそ文句なしだが、現状では不可能である。


「研究は続けているのですが……如何せんどうにも、各地の装置も魔力切れを起こし始めておりまして」

「構わん。数が揃えば問題はない」


 研究者の男は悔しそうに唇を噛み締めたが、ヴィシオは特に問題にしてなかった。

 むしろ、下手に知能がある方が困る。使役で服従させられるなら、知能などない方がいい。

 ヴィシオにしてみれば、現状の成果は実に満足がいくものだった。


 不服そうな男を横目に、これだから下手な知能があると困るのだ、と胸の内でぼやく。

 計画に支障がないならそれが最重要だ。妙な拘りなど目的の前では紙くず同然。どうしてそれが分からないのか。

 憤りを嘆息に変え、ヴィシオは鷹揚に頷いた。


「研究は続けて良い。必要なものがあれば言え、揃えよう。今の実績には満足している、これからも期待しているぞ」

「有り難きお言葉。つきましては必要な物資についてまとめた資料がございますので、どうぞお持ち帰りくださいますようお願い申し上げます」

「分かった」


 へりくだる男を睥睨し、溜め息を吐く。

 また金が飛ぶ。どこかしら予算の削減を考えなければいけない時期に来ているだろう。

 そういえば、コンフザオの貴族に援助をしていた。そろそろ打ち切ってしまおうか。あそこの遺跡はもう使い物にならないと聞いている。潮時だろう。


 この遺跡広間の管理人であり、研究者の長でもある男に連れられて居住区へ向かう。資料くらい持って来いといいたいが、どうせあれこれと細かい話を擦り合わせなければならないのだ。最初から出向いた方が話は早い。

 最後にもう一度吹き抜けの下を一瞥し、ヴィシオは視線を切った。


 ヴィシオの命令を聞くように使役され、解き放たれる時を待つ魔物達が、おぞましくもその身を蠢かせていた。



 人間を遥かに超える力である魔物を用いた国家転覆。その野心において邪魔なのは、最早マギサの存在だけだった――

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