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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
56/85

第五十四話 「四つ巴・13」

――計画実行日の午後、シャレンとマギサはいつものようにティータイムを取っていた。


 別に好きで取っているわけではない。童顔執事が用意するから、断る理由もないのでお茶を飲んでいるだけである。

 ワゴンに乗せて運ばれてくるティーセットは本格的で、多分凄く美味しいのだと思う。味の分からぬマギサには、よく分からないが。


 シャレンにしてみれば、そんなものはどうでもいい。肝心なのは、ティーポットの下に敷かれた紙の方だ。

 平べったい羊皮紙の切れ端から、予定に変更がないことが告げられる。適当にずた袋に放り込んで、見た目には優雅に紅茶を嗜んだ。


「夕食の後、着替えた方がいい」


 カップを傾けながら呟くシャレンの顔を、ぼうっとしたままマギサが見上げる。

 意図を理解したのかしていないのか、紅茶に目を落として小さく頷いた。

 どちらでも構わない、とシャレンは思う。着替えなければナイトにローブと杖を押し付けるだけだ。


 今夜助けがくるというのに、少女の顔は晴れない。

 彼のことを気にしていたから、会えると知ったら喜ぶと思ったのに。昨日遊戯室で伝えた時から、余計に塞ぎ込む事が増えたような気がする。


 喜ぼうが落ち込もうが大した問題ではないが、脱出時にドジを踏まれるのだけは困る。この調子で大丈夫なのだろうか。それとも、変に浮かれるよりはいいのか。

 作戦の概要すら知らないから、どうにも判断がつかない。大体何をするか分かれば、何か言いようもあるのだが。

 考えるのも面倒になって、カップを置いて右腕に力を込めた。


「“(ズァオ)”」


 鈍い色をした篭手が、冷たく鋭利な鍵爪へと姿を変える。

 魔力も体力も完全に回復した。今なら、マギサの魔法くらい簡単に切り裂けるだろう。


 力を抜いて篭手に戻し、少女を一瞥する。目の前で魔道具を展開したというのに、まるで気づいていないように紅茶を飲んでいた。

 カップを掴み、一口含む。何度殺す機会があっただろうか。正体不明の感情が胸をちくりと刺す。

 似ているものを探せば、養父が初めて命を狙われたときに同じようなものを感じた気がする。

 人殺しには不要なものだ。切って捨てて、紅茶を飲み干す。


 最近、役にも立たないものがやたらと出てくるようになった。養父が死んで四年と少し、そろそろ限界がきたのかもしれない。

 案外壊れるのが早かったな、と思う。もう少し丈夫な道具だと思っていたのだが。自分で思うよりも、自分は案外脆い不良品だったらしい。

 早晩、何かしらで死ぬだろう。養父の名誉を傷つけない為にも、この仕事が終わったら自分で止めを刺すのがいいかもしれない。それはそれで傷つくか。


 生き死になど、考えたこともなかったのに。

 どうでもいいことに気を取られていると、自分でも思う。

 養父がいれば、こんな役立たずの道具は処分してくれただろうに。


 後でナルにでも頼んでみようか。確か組織の誰かが自分の首に懸賞金をかけていたはずだし、使うあてがなくて貯まった金と合わせれば今までの世話代にはなるだろう。

 どの道、この都市を抜けて目の前の少女を殺してからにはなるが。

 丁度少女のカップも空になったので、自分の分と一緒に注いだ。


「砂糖とミルク」

「……はい」


 砂糖とミルクを一杯ずつマギサのカップに入れ、自分には何も入れない。そうして、シャレンは静かにカップを傾ける。

 お互いに黙ったまま、夕日が橙に染まる陽光を部屋の中に投げ入れた。


 長い影が壁に張り付き、陰影が無表情に無理矢理色をつける。

 物憂げというには余りに無味乾燥な雰囲気に、風情が抵抗むなしく消滅していく。

 ティータイムは、特に何の会話も挟まずに終わった。


 その後、遊戯室には一度も行かなかった。



  ※             ※             ※


 計画実行日の夕方、郊外の空き地。

 ナイトが鍛錬に使っている場所で、ライが大の字になって伸びていた。


「兄さん、やっぱつえーわ……」

「ライくんも、随分強いと思うよ」

「え、それ嫌味?」

「ち、違うって!」


 仰向けになったライの横で、ナイトが慌てて首を振る。昨日から敬語を使わなくてもいいといわれたが、立場は変わったようには思えなかった。

 口でやり返した事に満足して、小生意気な情報屋は口角を上げて笑う。


 不測の事態に備えて情報を集めていたが、ヘクドが領主の館に呼びつけられたこと以外は特に動きもなかった。何か企んではいるだろうが、流石に議会にまでは潜入できない。

 計画前に派手に動くのもどうかと思って、早めに切り上げてナイトに再戦を挑んでいたのだ。


 結果は惨敗。動きを覚えられたのか、初撃から短剣を狙ってきた。

 一発で腕が痺れ、取り落とさないよう握りこんでいる内に雌雄は決してしまった。

 僅かばかりの抵抗をしてみたものの、大勢を覆せるほどではなく。あっという間に地面に寝転がされた。


 打撲くらいはあるかもしれないが、裂傷はない。ナイトが徹底して刃を当てないように振るっているからだ。

 そういう甘さを捨てればもっと強いのに、とは思うが、多分そういうの無理なんだろうな、とも思う。何せ、ちょっと認めただけですぐ仲良くしてくる始末だ。

 骨の髄まで甘ちゃんで、人を殺したことなんて一度もないだろう。剣なんて人殺しの道具を持っているくせに。


 下手に事情を詮索しないのも長生きの秘訣だと知ってはいるが、気になってしまった。


「兄さんって、あの二人とどういう関係なんすか?」

「ん? えっと、シャレンさんと……」

「マギサって方っす。難しい関係とか言ってたっすけど」


 先んじて答えを渡して、突っ込んで尋ねてみる。

 おそらくは、トゥレと迷ったのだろう。あのオッサンはどうでもいい、大体分かるから。同じ類の人間なら、ライは腐るほど見てきた。

 ナイトみたいな甘ちゃんだって知らないわけではないが、シャレンというこちら側の中でも濃いところにいそうな人間とどう知り合ったのかは興味がある。

 それと一緒にいる、マギサという少女にも。


 どういう関係性なら、自分達みたいな対極にいそうな連中と組んでまで助け出そうと思うのだろうか。

 問われて、ナイトは唸りながら腕を組んで首を傾げた。


「う~ん……関係、関係かぁ……」


 ライの視線を感じながら、どう言えばいいものかと頭を悩ませる。

 まさか魔法使いがどうのといった話をするわけにもいかない。結局自分達の関係性はそこに起因するわけだが、経緯を聞きたいわけでもないだろう。

 ならばどう答えるかというと、困ってしまう。あれこれ考えてもしょうがなく、とにかく率直に言うことにした。


「シャレンさんとは、命を狙われる仲かなぁ」

「は?」

「いやだから、シャレンさんに命を狙われてるんだ」

「あの、意味わかんねぇんすけど。ダチだと思ってるって言ってませんでした?」

「うん、まぁ、言ったかな」

「命を狙われてるのに?」

「命を狙われてるのに」


 全く理解できないという顔でライはナイトを見つめ、


「馬鹿っすか?」

「良く言われるけど、一応一緒に旅したりしたし……」

「いやいや、全然意味わかんねっす。馬鹿っすか?」

「二度も言わないでよ……」


 半泣きになりながら項垂れ、ナイトは嘆息する。

 自分でも口にしてみてだいぶおかしいとは思う。別にシャレンがこの件で狙うのをやめてくれたとは思わないし、殺しにきたのも本気じゃないとは思わない。

 彼女には彼女の事情があるんだろうし、それをどうこういうつもりもない。いい人かどうかも、色々と怪しいところではある。


 それでも、旅をした記憶は本物で、触れ合った感触を覚えてる。優しいかどうかは分からなくても、シャレンという人は確かにそこにいた。

 死にたくないしマギサを殺させるわけにもいかないが、だからといってシャレンを憎んだり恨んだりというのはどうにもピンとこなかった。


 それに、今はマギサを守ってくれている。その理由がどこにあるにせよ、事実に違いはない。やっぱり、嫌いにはなれそうにもなかった。

 半眼になりながら、ライが催促する。


「も、シャレンさんはいいっす。マギサって子はどうなんすか?」

「マギサ? マギサか~……」


 これもまた難しい問題だ。

 ナイトは顎を上げてまたも唸りだす。

 どういう関係なのだろう。妹か何かと勘違いされそうになったことはあるが、思えばちゃんと考えたことはない。


 マギサのことで随分悩みはしたし、今も悩み続けている。けれど、そう言えば関係を言葉にすることに悩んだことはなかった。

 なんといえばいいのか困る。事実だけなら旅の同行者なのだろうが、もうそれだけの関係ではなくなってしまった。


 それ以上の思いを、もう既に抱えている。

 だったら、それを言えばいいのだと思った。


「幸せになってほしい人、かな」

「……は?」

「いや、うん。それ以上どう言えばいいか分からないや」

「はぁ……そっすか」


 はにかむように笑うナイトに圧され、ライは適当に頷いた。

 どういう意味なのか、いまいち取り辛い。家族なのか、恋人なのか。どっちでもある気がするし、どっちも違う気もする。


 ただ一つ分かったのは、ナイトにとって彼女は本当に大切な人だということだ。

 下手に手を出したら、それこそ死に物狂いで抵抗するほどの。


 虎の尾と同じだ。自分にとっての師匠とも同じ。なんとなく、ナイトがぐっと身近に感じられるようになった。

 知りたいことは知れた。それなら、自分達と組むのも分かる。形振り構っていられないのはお互い様ということだ。

 体を起こして胡坐をかき、気合を入れて膝を叩く。


「そんなら、今夜は全力の勝負っすね」

「うん。頑張りましょう」


 拳を握り締め、ナイトが気合の程を示す。

 同じくライも拳を作り、軽く打ち合わせた。

 全く違う生き方をしてきた二人は、同じ思いを抱えて笑いあった。


 計画の実行まで、あと一回だけ二人は剣を交わした。



  ※            ※             ※


 そして、夜。

 夕食も終わって寝るまでの狭間の時間。計画は実行に移された。


 殆ど人も寝静まった深夜よりも、案外人の注意は散漫なものだ。計画の都合から考えても、深夜の方が動き辛い。

 何よりも都市から出る際、巡回の騎士に見つかる可能性が高くなる。まだ多少の人通りがあるのなら、紛れることも不可能ではない。その為に、ヴォラールの部下が逃げ出すルート上で一般人を装って待機している。

 人為的に人通りを増やして、いざというときは騎士の足止めをする為に。


 周到に用意して、ナイト達はスパイトフル家の屋敷に潜入する。

 隠し通路を使って三階までは楽に着いた。主にナイトの為のランタンを吹き消し、三階廊下に出る直前の隠し階段に置く。

 絨毯を押しのけてヴォラールが滑るように躍り出て、後に続くライとナイトは極力音がしないように注意しながら這い出た。


 ヴォラールに先導され、ゆっくりと足音を立てないように廊下を進む。絨毯の上を歩けば、むき出しの床よりはマシに音を消せた。

 最早ナイトには自分がどこを歩いているかさえ分からない。ヴォラールが手で制止し、指先である方向を指し示す。

 視線を向ければ階段があって、踊り場に鎧を着込んだ兵士が一人立っていた。


 兵士の視線が逸れた瞬間を見計らって、ヴォラールが手で先へ進めと合図を送る。可能な限り素早く足を動かして、階段から見えない場所に移動した。

 曲がり角に辿り着き、またもヴォラールに制止される。聞いた話が正しければ、この先を左に行った所にマギサ達が捕まっている部屋があるはずだ。


 部屋の前には衛兵が二人。ヴォラールとライの二人で倒す手筈になっている。二人は目線で会話し、呼吸を揃えて飛び出した。

 ヴォラールの方が圧倒的に早く、音もない。ライは音がでないことに気を使って、速度が出ていない。かすかな音に衛兵が気づく前に接近し、


 マギサ達が居るはずの部屋の扉が開いた。


 衛兵達の注意が完全に逸れた。その隙にヴォラールは鎧で覆われていない首筋に手刀を当て、肘で顎を打って気絶させる。

 もう一人の衛兵がヴォラールに気を取られ、後ろのライにも目を配り、


 部屋から出てきたシャレンに喉元に肘を入れられた。


 息を詰まらせ声を封じてから、振り払うようにして裏拳で顎を強烈に揺さぶる。

 意識を刈り取られた衛兵が膝から落ち、遅ればせながらやってきたライが慌てて支える。

 後ろから忍び足で近づくナイトを一瞥し、


「五月蝿い」


 投げ捨てるように言って部屋へと取って返した。

 唖然とするナイトとライを置いて、ヴォラールは衛兵を静かに床に下ろす。慌ててライも同じように衛兵を寝かせ、細く息を吐く。


 すぐにシャレンはずた袋を背負って現れ、その後ろにはいつものローブを着て杖を握り締めたマギサがついてきていた。

 一本に編みこまれていた髪は解かれ、いつもの腰までの長髪に戻っている。

 久々の再会だが、喜んでいる暇はない。隠密行動に向かないどころではないマギサとはぐれないように手を繋ごうとして、



 思い切り振りほどかれた。



「あ、ご、ごめん」


 思わず謝ったが、マギサからの返事はない。いつもだったら、何か一言くらいあるはずなのに。

 なんだか様子がおかしい。いつも無口ではあるが、それとは全く雰囲気が違う。

 何か、初めて会った時みたいな、


「何してんすか、早く」


 ライに脇腹を小突かれて我に返った。

 そうだ、こんなところでもたついている場合じゃない。適当に返事をして、マギサに声をかけてからヴォラール達の後ろについた。

 気になって振り向けば、ちゃんとついてきている。一先ず安心して、先を急いだ。


 曲がり角にきたところで、またヴォラールが止まる。確か、一番近い階段にいる衛兵を気絶させる予定だ。

 そうしたら、ライとシャレンはそのまま隠し通路から逃走。ヴォラールと自分達は階段を下りて、見つからないようにしながら衛兵用の裏口から抜ける。


 裏口には、鍵を持ったトゥレがいるはずだ。屋敷の庭は衛兵が巡回している。トゥレだけ先に出てわざと見つかり、適当な言い訳で誤魔化して安全を確保してから逃げる。

 これで、犯人の目星はつくだろう。一旦通り過ぎているから、多少音がしても問題ない。堂々と逃げ出すことが可能だ。


 念の為、トゥレが使っているベッドに犯行声明を置くという徹底ぶりだ。幸いもう一人の犯人役である自分と知り合いであるところは見られている。獄舎にいってマギサ達と知り合いであるということも喧伝してしまっているし、ヘクドならば気づくだろうとヴォラールは言っていた。

 もし無能だったとしても、自分達が教えればいい。そうとも言った。計画は順調に進行している。


 ヴォラールが手袋を締め、前に出ようとしたところで止められた。

 シャレン。暗闇の中にいると本当に溶け込んで見える暗殺者が、ヴォラールの前に立つ。

 視線だけで何事か理解したのか、ヴォラールが一歩引いた。


 次の瞬間、シャレンの姿が視界から消える。音もなく、気配もなく。

 心臓の音が十回ほど鳴っただろうか。再びシャレンの姿が見えた時、まるで動いていないように同じ場所に居た。

 階段の見える位置まで移動すれば、衛兵が下からは見えない所で倒れていた。


 空恐ろしくなる。まさか死んではいないだろうか。自分が狙われた時はよくもまぁ奇襲を避けられたものだ、とナイトは思う。

 なんとなくで切り抜けてきたが、これからも何とかできるとは限らない。もう少し訓練しよう、と心に誓った。


 階段前に行こうとするシャレンをライが止めて、先に出て手で合図する。

 それだけで察したのか、シャレンはマギサとナイトの方を振り向いた。


「……それじゃ」


 実にあっさりとそれだけ言って、ライと一緒に廊下の奥へと消えていく。


 ここからが正念場だ。うっかり見つかった時はヴォラールが気絶させることになっているが、できるだけそういう危険は避けたい。

 気絶する人が増えるだけ、早期に発見される可能性も高まるからだ。

 息を潜め、階段を静かに下りていく。床を歩くときよりも音が鳴りやすく、やたらと神経を使った。


 踊り場に出たところでナイトは衛兵の息を確認し、死んでいないと分かって胸を撫で下ろす。計画上、屋敷で人は殺さないことになっている。人死にがでれば、想定通りに見逃される可能性が低くなるからだ。

 それとは別にしても、自分達の都合で人が死ぬのは気持ちの良いものではなかった。シャレンがどれだけ察していたかは知らないが、やっぱり嫌いにはなれそうもない。


 ヴォラールが階下を偵察し、ナイト達に合図する。

 またも出来る限り静かに階段を下り、身を屈めて足音を殺しながら廊下を歩いた。

 なるべく人が通らない道を選び、裏口に近づいていく。


 途中、二、三度使用人に見つかりそうになったが、何とか切り抜けた。一人、余計に気絶させてしまったが。

 裏口に辿り着くと、予定通りトゥレが鍵を手に待機していた。合流し、全員の状態を確認して鍵を開ける。かちり、と小さな音がして、扉が開いた。


 計画に従って、トゥレだけが先に表に出る。巡回の衛兵が近くにいなければ、来るまで待つことになっていた。

 それでも、大体の時間は調節してある。すぐにナイト達のところにもトゥレと衛兵の話し声が聞こえてきた。

 トゥレ達の会話を聞き流しながら、ナイトは横目でマギサを見下ろす。


 さっきからずっと様子が変だ。今だって、トゥレがいることに全く驚かなかった。シャレンと連絡を取っているとはヴォラールから聞いていたが、細かいことを伝えられないとも言っていた。怪しまれるのを防ぐ為だとか。

 トゥレの事をマギサは知っていたのだろうか。いや、もし知っていたとして、実際目にして何の反応もしないということはあり得るのか。


 確かにマギサは表情にも反応にも乏しいが、最近は結構分かるようになってきたのに。

 黙ったまま俯いて何の反応も示さない姿は、もしかすると最初に会った時よりもひどいかもしれない。


 何があったのか聞きたい。悩んでいるのなら相談に乗りたい。自分の頭じゃ大して役に立てないとしても。

 コンフザオから出たら、まずはその話をしよう。そう心に決めて、今は頭の片隅においやることにした。まずは、無事に脱出することだ。


 ――遊ぶのは結構だが、明日の仕事に差し支えないようにしろよ。


 ――いや~、助かります。あの、今度奢らせて頂きますんで。


 ――調子のいいやつだな、ったく。


 鎧のこすれる音と人が立ち去る足音が聞こえなくなって、ドアが軽くノックされた。

 ヴォラールがそっと扉を開いて、ナイトとマギサを手招きする。

 外に出れば、鍵のついた輪っかを指で回しながら睥睨してくるトゥレの姿があった。


「これでいいんだろ。感謝しろよホント」

「はい、感謝してます」

「無駄口は謹んだほうがいい」


 冷静なヴォラールの忠告に舌打ちをし、トゥレがその辺の茂みに鍵を放り投げる。

 これも立派な計画の一部だ。多少あからさまでも、明確な証拠は人の判断力を鈍くする。まして、頭に血が上っていれば尚更だ。

 騎士団から分捕った二人を逃がされて、あの鷲鼻が平静でいられるはずがない。それが、ヴォラールの読みだった。


 音よりもやや速さを優先して、門を開けて夜の街に走り出す。

 先導するヴォラールについていけば、ルート通りに東門の夜間用通用口に行けるはずだ。

 屋敷を出て少し走ったところで路地に入り、待機していた彼の部下から薄汚れた灰色のローブを受け取ってナイトは頭から被る。

 同じようにマギサにも被せ、落ちないように裾を掴ませてからもう一度走り出した。


 マギサは何も言わず聞かず、されるがままだ。やっぱりおかしい。普段なら、多少なりと疑問を含んだ目で見上げてくるのに。

 今はとにかく考えないことにして、ヴォラールの後について走った。

 待機していた部下たちが動き出し、ルート上の人通りが増えていく。

 夜に紛れる色のローブを握り締め、何とか上手くいってくれますようにと念じながらナイトは足を動かした。



  ※             ※              ※


 階段に放置したランタンを回収し、火をつけて隠し通路を通っていく。

 ここまでくればもう大丈夫だ。ライは肺に詰まった空気を緊張感と一緒に吐き出した。

 多少なりと仕事も覚えてきたとはいえ、やはりまだ慣れない。ヴォラールの鮮やかな手際には、感嘆するばかりだ。


 そして、初めて見たシャレンの手腕にも。

 肩越しに振り返る。闇に同化するような黒衣の死神がそこにはいた。


 扉を開ける間は完璧だった。見事に注意が逸れ、師の一撃が綺麗に入った。そしてそちらに気を取られたのを見計らって、目にも留まらぬ早業でもう一人を沈めた。

 自分が走り寄る前に。


 震えがくる。見た所多分自分とそう違わない歳のはずなのに、化け物みたいだ。兄さんといい、世の中は広い。

 あの師匠が、仕事を譲った。それは即ち、自分がやるよりもいい、と判断したという事だ。

 実際体重がないんじゃないかというくらい音がしなかった。五月蝿い、という言葉に嘘はなく、多分こちらの足音が聞こえていたのだろう。だから、あんなにもぴったりに扉を開けられた。


 聞きたい事も話してみたい事も山ほどあるが、どれから言えばいいのやら。なんとなく気後れもしてしまって、何も喋らないまま通路を進んでいた。

 通路から出れば、あとは隠れ家に身を潜めて夜明けを待ち、朝方過ぎくらいに行商人に扮した馬車で都市から逃がす。そこまで決まっているのだ、今のうちしか話す機会はない。


 散々悩んだ末、最初に飛び出た事を聞いた。


「あの、兄さん……ナイトって人のダチなんすか?」


 返事はなかった。

 何か不味かったか、と冷や汗が落ちる。兄さんの命を狙ってるらしいし、侮辱されてるとでも受け取られただろうか。


 いやだって、あの兄さんが変な事を言うもんだから、どうにも気になったのだ。もしかするともしかするかもしれないと思って聞いてみたが、余計な事言うんじゃなかった。

 殺気はしない。でも、衛兵を()す時もそういうのはなかった。


 下手したら敵意さえなかったと思う。階段下の衛兵を狩りに行ったときは怖かったが、明確なものは感じなかった。

 そういう気配さえ消せる人なのかもしれない。だとすると、今にも自分は殺されようとしている可能性がある。


 めちゃくちゃ怖かったが、謝ってもどうにもならなそうで、何より出来れば答えが聞きたくってしょうがない。

 恐怖と葛藤が巻き起こる数十秒、ライは拷問ってこういうもんかと理解していた。


「どうして?」


 謝罪の言葉が出そうになるのを耐えに耐えた結果、返ってきたのは疑問文だった。

 早いとこ答えないと機嫌を損ねてしまう、という強迫観念に囚われ、すぐさま口を動かす。


「兄さんが、その、言ってたんで。ダチだと思ってるって」


 またも沈黙。

 今度こそ殺されるんじゃないかと思いつつ、やはり好奇心には勝てない。いつかその好奇心が身を滅ぼすぞ、なんて師匠にも言われたが、本当にそうだと実感する。

 命を天秤にかけながら待っていると、出口に着く寸前に答えが返ってきた。



「違う」



 それは、あの恐ろしい腕前からは考えられないほど弱々しい声だった。

 掠れるような、自分に言い聞かせるような言い方。


 驚いて振り向けば、全ての感情が塗り固められたような表情をしていた。

 何もかもを上から黒で塗り潰した結果の無表情。黒衣に相応しく、闇の中に沈んでいくような。

 何をどう言葉にしたものか迷って、


「そっすか」


 ありきたりな返事でお茶を濁した。

 隠し通路からでると、ライとシャレンは計画通り人の目を逃れて潜伏した。



  ※           ※            ※


 コンフザオの門は、日が沈むのとほぼ同時に閉まる。

 夜間の出入りを制限する理由は、犯罪行為を防ぐ為というのが第一だ。


 多くの犯罪は夜間に行われる。昼間同様門を開け放っていると、例えば盗人などを簡単に逃がしてしまう。出入りを通用門に制限することで、そういった街中での犯罪を抑制し、見張りの数を減らして巡回に当てる人数を増やそう、というのが一つ。


 二つ目は、野盗や賊、魔物などから都市を守る為である。

 門を閉めることで大挙して押し寄せることを防ぎ、防衛をしやすくする。これが第二の理由である。


 第三の理由にして現在最も重要なものは、騎士の負担を減らす為だ。

 過労死待ったなしの騎士の業務を少しでも軽くする為、人数を減らして対応できるようにしたのである。

 夜間の見張りは各門に二名。内一名は巡回を兼ね、常に各門の間を動き回る。何か異常があれば、すぐに中に知らせに行くという体制だ。


 その夜も普段と変わらず、南門から巡回してきた騎士は東門の見張りについていた同僚と交代し、北門へ巡回するのを見送って定位置についた。

 篝火は各門に二つ。内、通用門近くの一つの傍が見張りの場所だ。


 定位置について間も無く、通用門が開いた。

 別に珍しいことではない。夜間に都市を出る者もいる。妙な荷物を持っていない限り、基本は立ち入らない。

 だが、現れたのは剣士と思しき男と、灰色の薄汚れたローブを羽織った男か女かも分からない二人組だった。


 怪しい。どこからどうみても怪しい。

 不審といえるほど妙な荷物は持っていないようだが、それどころではない。見逃すかどうか一瞬考え、話くらいは聞いておこうと声をかけた。


「おい、そこのお前達。こんな夜更けに出て行くのか?」

「えぇ、はい。野暮用がございましてね」


 剣士と思しき男が、嫌らしい笑みを浮かべながら答える。

 人相の悪さで決め付けるのは如何なものかと思うが、怪しさは増した。

 詳しく話を聞こうと、一歩踏み出す。


「近くに来い。そのローブを取って顔を見せてくれ」

「あぁ、すみません。こいつらちょっと火が怖くてですね。勘弁してもらえませんか?」


 男剣士だけが近づき、ニヤけた顔のまま頭を低くする。

 どうしたものかと悩むものの、それならば自分が近づけばいいだけだ。この男の言う事を真に受けるのもどうかと思うが、無闇に疑うのも良い事ではないだろう。


「分かった、ではこちらが近づこう。せめてフードだけでも取ってくれ」

「あぁ、いけません。そんなに近づいちゃ――」


 慌てた様子で剣士が両手を広げ、騎士は訝しげに首を傾げる。



「――危ないですよ」



 声が聞こえた瞬間、騎士の意識は暗闇に飲まれていった。



  ※             ※             ※


 「だーもー!! 絶対二度とこんな事やんねぇかんな!」


 都市から走って逃げ出し、声も聞こえないほど距離を離した所でトゥレが叫ぶ。

 見張りの騎士に見咎められるのは想定の範囲内であったが、肝が冷える思いをしたのは事実だ。

 わざとらしくトゥレが気を引いている内に、時間差を置いて出てきたヴォラールが後ろから襲い掛かる。騎士が一人だけなのを狙った戦術が嵌って、無事突破できた。


 地団駄を踏むトゥレに苦笑し、ナイトはローブを脱いでマギサを見やる。

 灰色のフードを被ったまま、マギサは黙ってついてきていた。さっきから一言も喋らない。これはまぁ、いつもどおりとも言えるが。

 怒りを発散したトゥレが振り向き、分かれ道の内左側を指し示す。


「てめぇらは向こうの道を行け。そして二度と面を見せんな」

「あ、分かりました。トゥレさんはこれからどうするんですか?」

「誰がてめぇらなんかに言うか! さっさと行け!」


 手で追い払い、縁ごと断ち切るように身を翻して歩いていく。

 方角的には南東の方に向かうトゥレを見送り、ナイトは左側の道を進んだ。

 マギサは黙ってついてくる。灰色のフードを外さずに。


 何か言わなくちゃ、と思った。


「あの、マギサ。何かあった?」


 もう少し気の利いたことを言えないのか馬鹿め。これだけ色々なことがあって、マギサの方に何もなかったなんてあるわけないだろ。

 自分を責める声に一つも反論できず、次の言葉を探す。


 何かもっと、マギサが話しやすいように声をかけなきゃ、何か。

 考えている内に、マギサから返事がきた。


「何もありません」

「え? あ、そ、えぇ……」


 反射的に声が漏れ、言葉にならずに消えていく。

 そんな様子で、何もないはずがない。流石にそのくらいはナイトだって分かる。

 だからといって、どうすればいいのかは分からないけれど。


「私は大丈夫です」


 フードを脱いだマギサの顔は、無表情だった。

 ただ、いつもの無表情とは、どこか違って見えた。


 どこが、といわれて困るのだが。なんとなく、意味というか意図というかが変わっているように思えたのだ。

 ただ、そんな曖昧な言葉でマギサが説得できるはずもない。


「あぁ、うん、そっか……」


 結局はいつものように押し切られて、口を噤むしかなかった。

 聞きたい事がたくさんあるのに。

 早く助けに来れなくてごめんって謝りたいのに。


 ようやく再会できたのに、なんだか会えなかった間より遠くにいるような気がした。



 スパイトフル家から二人の人間が消えた事件は、後々までの語り草となるのだった――

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