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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
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第四十九話 「四つ巴・8」

――ヴィシオから貰った金で改装した自室で、ヘクドは怒りを堪え切れずにいた。


 自分の半分も生きていない小娘に良い様に使われてしまった。

 その事実は揚げ足取りと舌先三寸でのし上がった元没落貴族にとって、耐え難い屈辱だった。


 正確にはミニストロ家の支援あってこそなのだが、少なくともヘクド本人は自分をそう評価していた。

 勿論、巧みな話術と鋭い洞察力、という言葉に変換されてはいたが。


 握り込んだ拳は震え、歯軋りの音が耳に響く。

 あの紋章は、間違いなくミニストロ家のもの。あのヴィシオが紋章を他人に渡すなんてあるはずがない。直接の依頼を出した、『組織』の人間以外には。

 折角騎士団の手から掠め取ったのに、これでは何の意味もないではないか。


 まさか組織の、しかもヴィシオの依頼を受けている者を殺すわけにもいかない。組織と事を構えるなんて真っ平御免だし、今回の件がヴィシオにバレるのも勘弁願いたい。

 あの女に関しては責任を問われないかもしれないが、少女の方は別だ。それに、ヴィシオのことだ。なんだかんだと詰め寄ってこちらの首を絞めに来るに違いない。


 そもそも、あの少女が何なのかもわからない。シャレンとかいう組織の娘の仲間なのか。

 聞いておけばよかった、と今更ながら後悔する。が、すぐに、どうせ答えやしない、という結論が出てしまった。


 こんな状況でヴィシオに、あんたんとこの依頼受けた奴が遺跡に勝手に侵入しましたよ、なんて文句を言ってもやり返されるだけだ。

 情報一つ聞き出せない無能、なんて言われて、下手をすると不興を買う恐れがある。


 どうしようもないほど、力関係としてはヴィシオが上で自分が下。ヘクドはそのことをよく理解していた。

 自分の座っている椅子の持ち主が誰なのか。その気になれば、座る人間くらい簡単に挿げ替えられる事。

 父の代からの付き合いであり、父を蹴落として自分がそこに座った経験からも、それは常識としてヘクドの頭の中にあった。


 野狐の紋章が彫られた、あの印璽。おそらくは、最終手段として残していたのだろう。もしかすると、今こうして自分が引き取ることまで黒衣の女の計画通りなのかもしれない、と鷲鼻の貴族は思う。

 コンフザオの好色領主の話は有名だ。ヴィシオの手の者なら、自分の情報だって簡単に手に入れられただろう。側近として、領主に意見できる立場にあることも。


 手玉に取られたような気になって、我慢ならず机を叩く。骨ばった手が痛い。

 いい度胸をしている。流石にヴィシオから直接依頼を受けるだけはある。


 実際にシャレンがどこまで考えていたかはともかく、ヘクドの脳内では完全に掌の上で転がされたことになっていた。

 状況だけを見れば無理もない。シャレンが抱えた切り札は最小のリスクと最大のリターンが得られる場面で切られ、ヘクドはそれに手も足も出なかった。


 実際、出せば牢くらい簡単に出られたはずである。ヴィシオはシラを切るだろうが、一時的にコンフザオは混乱状態に陥るだろう。その隙に逃げればいいだけだ。

 それを、ここまでずっと黙って隠し続けた。ヘクドからすれば、嵌められたと思うしかない。最悪命の危機まであるのに、出し渋る奴はいないから。


 握った拳を解き、鷲鼻の貴族は頭を抱える。

 悔しいなどと言っている場合ではない。これからどうするか考えなければ。

 騎士団に返すわけにもいかなければ、始末することもできない。かといって放置など論外だし、いつまでも屋敷にいられても困る。

 いや、最悪一生屋敷で飼い殺すしかないか。思いついた最終手段に、ヘクドは嘆息する。


 そうするにしたって、パラヴォイへの言い訳を考えなくては。もう、愛人として献上するわけにはいかなくなった。

 正式な沙汰も、ほぼ無実と変わらぬものになるよう調整する必要がある。流石に処刑はなかろうが、一時的にでも騎士団の手元に戻られるのは危険だ。


 前までとは状況が違う。あの女が自分から、『組織』の人間だと教えてきた。

 その上で処断するという騎士団に引き渡そうものなら、何を告発されるか分かったものではない。

 トロイのことだ、喜び勇んで証言を元に調査を行うだろう。

 そうなった先のことなど、考えたくもない。何にしても、もうあの二人を守るしか生き延びる道はなくなってしまった。


 白髪の増えてきた頭髪を掻き毟り、鼻から憤怒を吐き出す。

 完全にあの女狐の思う壺だ。せめて、この屋敷からは絶対に出さないようにしなくては。

 根回しもして、騎士団相手に強引な手段も使ったというのに、その結果がこれではただの間抜けだ。なんとしても相応の成果をもぎ取りたい。


 そこでようやく思い出す。始末をつけやすいようにと、三階の一室を二人に宛がっていた。

 一応衛兵を二人扉前に配置しているが、どれほど頼りになるものか。今から二階に移らせようかと考え、あからさまに怪しすぎて断念した。


 黒衣の女の色のない瞳を思い出し、背筋を震わせる。

 不気味、としか言いようがなかった。王都にはあんなのがいるのか。ヴィシオは、あんな連中と付き合って何を企んでいるのだろうか。

 本当に、あんなのを屋敷においていて無事で済むのか。


 首を振って、余計な想像を追い払う。妙に考えすぎだ。いくらなんでも幽霊じゃあるまいに、衛兵に気づかれずに部屋から出るなど不可能。窓から出るにしたって、三階から飛び降る馬鹿はいない。

 今はそんなことより、今後の我が身の去就だ。


 兎にも角にも現状維持を最優先として、打開策を考えなくてはならない。

 その為には、何はなくとも情報だ。組織の人間のことは、組織の人間に聞いたほうが早い。

 少女の方も気にかかるが、組織の人間なら一緒に聞き出せばいい。

 もし違っても、まずはあの女狐から何とかすべきだろう。


 そう決めて、引き出しから羊皮紙を取り出し、机の上のインク瓶につけていた羽ペンを手に取る。

 組織の人間とのいつもの通信手段。彼らの街中での拠点の一つに、呼び出しの手紙を送る。


 屋敷の三階には、外に直接繋がっている隠し通路がある。もしもの時の脱出路であり、組織の人間が屋敷を訪れる時の通用口だ。

 だからヘクドは、用がない限り三階への立ち入りを誰に対しても禁じていた。

 隠し通路の場所が万が一にも知られないように。自分だけでも助かるように。

 それもまた、ヴィシオからの援助あればこそできた改装ではあったが。


 その改装に携わった大工は、一人残らず組織の手にかけられた。王都への出稼ぎ、失踪、酔った末の不注意による事故。表向きの理由なんて、いくらでもあった。

 秘密を知る人間は少ないほうがいい。これも、ヴィシオから教えられた事だ。


 腹の中の感情をぶつけるように、ヘクドは羊皮紙を黒く塗り潰した。



  ※            ※            ※


 二人が案内された部屋は、三階の中でも階段に近い一室だった。

 先程この屋敷の主の部屋で見た衛兵が二人、扉の両脇に控えていた。素知らぬ顔をしながら横目で眺めてくる衛兵の脇を通り、童顔執事に連れられて中に入る。


 高価そうな絨毯に、マギサとシャレンの二人が寝転んでもまだ余りあるダブルベッド。壁にかけられた絵画の値打ちはわからないが、置かれた棚が丈夫そうなことはマギサにも分かった。

 荷物を置いて、シャレンは早速窓を確認しに行く。開けて下を見れば、掴まれそうな縁も特になく、表門に繋がる庭が良く見えた。


 窓を閉め、ぐるりと部屋を見回す。大きめのクローゼットに、キャビネット。一通り収納に必要なものは揃っていて、テーブルも二つほど。内一つには、ティーコゼーのかけられたポットと上品そうなカップが二つ。

 シャレンの視線は最終的に童顔執事に落ち着き、それを待っていたかのように背の低さから少年と誤解しそうな彼が口を開いた。


「何かありましたら、そちらの紐を引っ張るか、ベルをお鳴らし下さい。明日はお食事のお時間になりましたら、こちらからお迎えにあがります」


 品位を感じさせる仕草で頭を下げ、童顔執事は部屋から出て行く。

 所在なげな様子のマギサを一瞥し、シャレンが荷物をベッドの側に移動させる。


「眠い?」

「あ……いいえ」


 一瞬間をおいて首を振るマギサを横目に、ティーポットのあるテーブルを指し示す。


「座ったら?」

「……はい」


 丁度二つ用意された椅子に、言われたからといった体でマギサが座る。

 どこかしら自分と似ている少女から目を逸らし、シャレンはティーコゼーを外して簡単に割れそうなカップに紅茶を注いだ。


 ここまでは上手くいった。そう確信しながら、黒衣の暗殺者はこの先に思いを馳せる。

 正直な話、ヘクドが思っているほどシャレンは計算していたわけではなかった。いざとなれば看守役の騎士を殺して逃げようと思っていたくらいだ。


 知っている事と言えば、この都市の領主が好色であること。そして、側近の鷲鼻の貴族の存在とその背景。それも、好んで仕入れた情報というわけでもない。

 もしも何かあった時、ヴィシオ相手の取引材料とするべくナルが教えてきたもの。簡単に尻尾を切れないように、騎士団に捕まっても生き残れるように。

 その中に、コンフザオの情報もあった、というだけだった。


 シャレンにしてみれば不要としか言いようがなく、適当に聞き流していたのだが。まさか、こんなところで役に立つとはナル自身も思っていなかっただろう。

 仕事に失敗すれば死ぬだけ。それがシャレンの常識である。だから、失敗した後に生き残る為の方法など、無意味でしかなかった。


 どんなものでも覚えておくものだ、とマギサの前にカップを置きながら思う。ナルお得意の無駄なお喋りが、今この状況を作り出している。

 正直、今日の内に何もなければ強引に脱走しようと思っていた。領主が直々に来たのを見て、安全に獄舎を出る道があると考えて仕掛けてみれば、この通りだ。

 あの貧相な貴族が遺跡の管理を命じられていることは、ナルから聞いていた。遺跡に関する話に首を突っ込んでこないはずがない。シャレンの見通しなど、この程度だ。

 その程度に、誰も彼もが右往左往させられた。


 コンフザオにつれてこられたのは不幸中の幸いだったと言える。他の都市なら、ここまで上手くはいかなかっただろう。

 問題はここから先だ。ヘクドが彼女達をここから出すわけもなく、正式な沙汰が決まれば従うしかない。そのことはシャレンとて分かっている。


 たかだか貴族の屋敷程度、多少警備が厳重だろうと彼女一人ならどうとでもなる。ただ、マギサを連れてとなると話は別だ。

 足音を殺すことさえ出来ない素人を連れて、何人もの衛兵や使用人の目を掻い潜るのは現実的とは言い難い。

 屋敷の構造や、衛兵の配置や巡回経路などを知っていれば打つ手もあるが、連れてこられたばかりのシャレンが知っているはずもない。

 このまま拘留され続ければ、そんなものを知る機会など訪れないだろう。


 マギサの向かいに座って、シャレンが自分の分のカップを傾ける。

 道はある。この都市の『組織』と協力することだ。


 これもナルから聞いた話だが、コンフザオにいる『まとめ役』の中に養父の弟子がいるらしい。それも、最大勢力を誇っているとか。

 グループを形成するという特徴には馴染めないが、多少協力する程度ならどうにかなる。養父の弟子だからなんだという話だが、伝手くらいにはなるだろう。

 さっきの執事を使えば、話は通るはずだ。


 立ち居振る舞いで分かる。アレは、組織の人間だ。

 向こうもこちらが何者か気にしていることだろう。丁度良く使わせてもらうことにする。

 それならば、マギサと一緒に脱出することも不可能ではない。


 正面に目をやれば、カップを両手で持ちながら上目遣いに見上げてくる少女がいた。


「どうかした?」

「あ、いえ……美味しい、です」

「そう」


 口元に寄せて、小さく一口飲む。少女の所作を、何とはなしにシャレンは眺めていた。

 不思議な娘だと思う。それを言うなら、あの青年もだが。

 命を狙っている相手に対する態度ではない。頭のおかしな平和主義者でもないのに、どうしてそんな目でこちらを見るのか。

 何かを期待されたって、出来ることしかできないのだ。


 剣士の青年にしたって、一体何を期待してあんなことを言ったのだろう。彼がいないのを良いことに少女を殺すとは思わなかったのか。

 結局こうして取引をしているということは、彼の期待通りになったのだろうけれど。

 ふとそこで、少女の態度の理由に思い当たる節があった。


「彼のことが気にかかる?」

「えっ? あっ……はい」


 一瞬考えるような間があって、マギサが小さく頷く。

 彼が誰を指すのか考えたのだろう。いきなり尋ねられれば困惑するのも無理はない。


「彼は強いから、大丈夫だと思うけれど」

「そう……ですね」


 マギサの顔は余り晴れず、シャレンはカップを手に紅茶を舐めるように飲む。

 確かに、いくら強くても遺跡の中ではどれだけ意味があるか怪しい所だ。


 遺跡の罠は、魔法使いがいなければ即死してもおかしくないものが多かった。

 魔道具があるとはいえ、自分一人では脱出までどれだけかかったか分からない。

 そういう意味では、青年の言うとおり少女を守るしか道はなかったと言える。そこまで彼が考えていたとはとても思えないが。


 期待された通りの働きをしておいて何だが、あくまでこれは取引だ。

 少女の期待は、自分が青年の代わりとなるか、青年を助ける手伝いをするかといったところだろう。

 そこまで取引に含めた覚えはない。


 少女と交わした取引は、この件が終わるまで彼女を守ること。

 つまり、屋敷から脱出した後はまた命を狙う側と狙われる側に戻ることを意味する。


 第一、そこまで気になるなら魔法でも何でも使えば良かったのだ。そうすれば騎士団如きに捕まることもなかったし、すぐにでも彼を探すことが出来た。

 そう、魔法を使えば脱獄だって簡単だったはずだ。かつて世界を支配した力は伊達ではない。それこそ、今の世界をひっくり返すことだって出来る。

 そもそもが、追っ手に怯えて逃げ惑う生活なんて、する必要はどこにもない。


 魔力が無限じゃないといっても、もしもの時はあの青年に守らせればいい。魔物を作るのもアリだ。二人なら、この国を滅ぼす事だって難しくないと思う。

 青年が大事だというのなら、敵を排除してしまえばいいのだ。


 遺跡の出口近くで騎士団に会った時も、排除しようという提案に首を振った。

 どうしてそこまで、魔法を使うことを嫌がるのか。

 聞いてみようと思ったのは、単なる気まぐれだった。


「どうして、魔法を使わないの?」


 マギサの動きが止まった。

 自分の質問が何かしら刺さったことをシャレンは理解した。


 カップを置くマギサと入れ違いに、まだ熱を失っていない紅茶を口に含む。

 味など良く分からない。栄養になれば何でも同じだ。

 紅茶を淹れた人が聞いたら泣きそうなことを考えながら、彼女は答えを待った。


「魔法は、あんまり使いたくないんです」

「そう」


 シャレンがカップを置くと、今度はマギサがカップを持ち上げて顔を隠した。

 右から左に聞き流したはずのナルの言葉が、黒衣の暗殺者の頭の中で甦る。


 唯一の生き残り。里は騎士団に襲われて壊滅。身寄りもなく、後腐れもない。邪魔なのは青年剣士だけ。

 この世全てに置き去りにされた孤児。


 毛皮の詰まったフリルのついた上着に、真っ黒な髪を束ねた白い苺の髪飾り。白と黒で出来た少女は、年齢に見合わぬものを背負わされた。

 どうしてその言葉がでたのか、シャレン自身にも分からなかった。



「どうして死なないの?」



 心臓を一突き。

 マギサの目が小さく見開かれ、シャレンの口が引き結ばれる。

 それは一体、誰に向けた疑問だったのだろうか。


 死んだほうがマシだったはずだ。家族を失い、居場所を失い、誰からも疎まれて。

 生きてていいことなんて一つもなくて、やりたいこともなくて、ただ惰性と適当な理由をくっつけて息をしているだけ。


 自暴自棄になることさえできなくて、どこに行けばいいかもわからなくて、手を引いてくれる人にただ従っている。

 大事なものがようやくできても、自分が生きていればいつ失うか分からなくて、死んだほうがずっとちゃんと守れそうで。


 そんな人生を痛みに耐えて歩いて、一体何になるというのだろう?



 死にたくないで生きるには、辛い事が多すぎた。



 マギサの口が微かに開かれては閉じ、シャレンの目は小さく波打つ紅茶から離れない。

 この場の誰もが、その問いに対する回答を持たなかった。

 唇を噛み締めて、何かに堪えるようにマギサが言った。


「ペロを――ある子を、返してあげないといけないので」

「そう」


 ペロ、というのが誰を指しているのか、シャレンには分からない。

 だが、それが言い訳に過ぎないことは良く分かった。


 惰性とくっつける適当な理由。震える声がその証明だ。

 儚い夢想に縋り付くだけなら、その日暮らしの乞食にだって出来る。


 そんな連中を、彼女は沢山見てきた。妄想と変わりない生きる理由を口にし、自分を誤魔化しながら流されていく。

 普通の人なら、あるいはそれもいいかもしれない。


 ただ、マギサは『魔法使い』だ。

 どれだけ誤魔化したって、悲劇が向こうからやってくる。

 魔法を使わないのなら、生きているだけ苦しみ続けるようなものだ。

 魔法を使うのも苦しいというのなら、もうどん詰まりにきているのだ。


 そんなこと、誰に言われなくたって本人が一番良く分かっている。

 それが理解できるから、シャレンはそれ以上何も言わなかった。

 それから寝るまでの間、二人に会話はなかった。


 マギサをベッドに押し込んで、シャレンは椅子に座ったまま眠りについた。



  ※           ※             ※


 深夜。使用人は全員寝静まり、担当の衛兵だけが起きて配置につき巡回している時間。

 ヘクドの自室にて、小さなランタンのみを照らして向かい合う二人がいた。

 鷲鼻が目立つ屋敷の主と、こけた頬と鷹のような目を持つ男――ヴォラールである。


 青色のガラスで作られたテーブルを挟んで、互いに睨み合うように目線を絡ませる。

 先に口を開いたのは、鷲鼻の貴族の方だった。


「早速本題に入ろう。あの黒尽くめの女の事だ」

「それが何か?」

「下手な腹芸はいらん。あの女は何者だ?」


 ヘクドの目はいつになく真剣で、ヴォラールは小さく口を歪めた。

 これはもう、組織の人間であると確信している。だから自分を呼んだのだ。


 おそらくは、その女――シャレンから何か証拠を見せられたのだろう。そうでなければ、ここに呼ぶ用件はあの二人の始末のはずだ。

 情報を集めに出た弟子から話を聞いて、ヴォラールは大体の事情を察していた。ろくな情報がないとライは嘆いていたが、ここでヘクドとやりあう分には十分だ。


 もう、この屋敷に二人は移送されている。

 目の前の依頼主は、これで後には引けなくなった。追い詰められているのは、相手の方だ。

 それが分かっているだけ、ヴォラールは余裕を持てた。


「取引をしましょう」

「取引ぃ?」


 不満そうな声を聞き流し、淡々と要求を突きつける。


「お望みの情報を提供します。代わりに、女をこちらに渡して頂きたい」

「……あぁ!?」


 ヘクドの顔が歪み、鷲鼻と合わせて芸術的なまでに怒りを表している。

 勿論、ヴォラールとて自分の提案が受け入れられるとは思っていない。あくまで相手の要求を突っぱねる為の方便だ。

 受けてくれたらくれたで、儲けものであるが。

 交渉を破談させる時のコツは、どう転んでも都合の良いように吹っかけることだ。


「何を馬鹿なことを言っとるんだ! これは貴様らの不手際だろうが!」

「我々に一体何の不手際があったと?」


 歯をむき出しにして噛み付いてくる鷲鼻に、眉一つ動かさず応戦する。

 言ってくることは大体想定済みだ。情報戦という意味で、ヘクドがヴォラールに勝てる道理はどこにもなかった。


「遺跡に侵入させ! あまつさえ侵入者は組織の人間! これが不手際でなくなんだというのだ!?」

「遺跡の中から現れた者まで我々は責任が持てません。それと、組織は一枚岩でないことをお忘れなく。元々統一もされてませんが」


 姿勢を微塵も崩さないまま、詰め寄る鷲鼻を軽くあしらう。

 口元を蠢かせ、ヘクドは拳を震わせた。


「言い訳はいい! 私はお前達に侵入者の排除を命じたはずだ!」

「それはつまり、我々に遺跡の中に入るか、騎士団と事を構えるか選べ、と?」


 唾を飛ばす鷲鼻を、鷹の如き男が威圧感を持って睨み付ける。

 一瞬気後れするも、振り払うように腕を上げてヘクドが泡を飛ばす。


「誰もそんなことは言っとらん! お前は何を聞いているのだ!!」

「ですから、お話を聞いております。貴方の仰りようは、我々に魔法を使えとでも要求されているようだ。残念ながら、魔法使いは仲間におりません」


 淡々と答えているだけなのに、ヘクドには嘲られているように聞こえた。

 ふざけやがって、賢しく言い訳を並べやがる。

 やれといったこともやれん無能が、不問にしてやろうと思っていたのに。こちらの寛大な心を無視し、事もあろうに情報を言うから身柄を寄越せときた。


 許しがたい裏切りであり、増長だ。

 一度立場というものを分からせてやりたい所だが、今はそれどころではない。

 一刻も早く、あの女を処理しなければならない。


 何の依頼を受けているのか、どこの所属なのか、諸々の情報がなければ、上手くやり過ごす案も出てこない。

 一先ず、男の増長には目を瞑ることにした。


「責任を取る気はないのだな?」

「取るべき責任がない、と申しております」


 歯噛みする。

 貧民窟の鼠風情が、貴族になんという口を聞くのか。

 鼠に人間らしい振る舞いを期待するのも愚かだとは思うが、腸は煮えくり返る。

 深く息を吐いて、表情の読めない男をねめつけた。


「まぁ、いい。追求は後に回してやる。いいから女の情報を寄越せ」

「夜も更けておりますからな。頭が眠っていらっしゃるようだ」

「おい、貴様、いい加減に」

「身柄と引き換えだと、そう申し上げたはずですが?」


 怒りの余り噛み締めた歯が、擦れて音を立てる。

 譲歩してやれば際限なくつけあがりやがる。

 堪え切れない憤怒を力に変えて拳を握り締め、ヘクドは睨み殺さんばかりの視線をヴォラールに浴びせた。


 しかし、効果の程はといえば、のれんに腕押し、蛙の面に小便である。

 組織の人間として何度も修羅場を潜った身からすれば、鷲鼻貴族がどれほど凄もうとも子供のお遊戯と変わらない。

 そもそもが、立場を理解していないのはヘクドの方だ。


 ヴォラール達は別にヘクドの手下ではない。取引をした仕事だからやっているだけであり、上得意だから多少サービスがいいだけである。

 ヴォラールが深夜の呼び出しに応じたのも、シャレンの件があればこそ。新しい情報を仕入れる為という目的があったからだ。


 そして、その目的は達成できた。何なら会ってもいいのだが、それは屋敷に潜入させた部下にやらせた方がいいだろう。

 つまり、もう彼の用件はないのである。話に付き合っているのも、ヘクドが上得意だからこそのサービスだ。

 その認識がない時点で、真っ当な交渉ができるはずもない。


「取引に応じるつもりがないのでしたら、これで失礼致します」

「待て!!」


 腰を上げようとしたヴォラールを、ヘクドが怒鳴りつけて止める。

 無視しても良かったのだが、これ以上煽るのも何だろう。そう判断し、ヴォラールは黙って振り向いた。

 荒く息を吐いて、鷲鼻が歪めた顔を戻そうとする。


「女に関して話すつもりがないのは分かった。それで、もう一人の少女の方はどうなんだ」

「……少女、ですか」


 それに関しては、ヴォラールも気になっていた。

 自分の知っているシャレンなら、基本単独行動のはずだ。

 組織のことも、王都の連中のことまでは良く知らない。組んでいる相手の可能性がないとは言わないが、可能性は低いだろう。

 ライから話を聞く限りでは、容姿はだいぶんシャレンと似ているらしいが。同じように組織の暗殺者だとしても、判別は出来ない。


 それに、他にも気になっていることは多いのだ。シャレンならば、何故むざむざ騎士団に捕まったのか。その後も、どうして大人しくしているのか。

 こんな面倒くさい事態になる前に、逃げ出すこともできたはずだ。特に遺跡からコンフザオまでの道中など、いくら騎士団相手とはいえ逃げる機会はあっただろうに。


 ヴォラールには、わざと都市まできて、挙句面倒な手順で安全に脱出しようとしているようにしか見えなかった。

 自分の知るシャレンは、そんな安全策を好んでとるような人物ではなかった。

 やはり、一緒にいるという少女が何かしらの原因に思えてならない。


 だとすれば、自分も少し考える必要が出てくる。

 屋敷に移送された段階で、本来なら何もせずとも脱出できることが確定したようなものだ。助ける必要はどこにもない。かつての取引は、またの機会に延期される。


 しかし、そうでなければ。

 例えばその少女が完全な足手まといで、しかし一緒に脱出せねばならないとしたら。

 かつての取引を、果たさねばならない時がきたということだ。


 それもこれも、明日になれば分かる。逃げるなら間違いなく今晩中だ。それ以上に引き伸ばす理由はどこにもない。

 逃げていなければ、予想が当たったということになる。部下を使って連絡を取り、何とかして脱出の手引きをする必要がある。

 全ては、その少女が何者か、ということに関わっていた。


「どうなんだ。それも話すつもりがないか?」

「……いえ、少女の方は知りません。こちらとしても情報が欲しいくらいです」


 眉を歪めて尋ねてくるヘクドに、ヴォラールは正直に答える。

 ここで嘘をついても何のメリットもない。少しくらい安心させないと、信頼問題に発展しかねない。

 阿呆の尻拭いを只でする気はないが、実力を疑われてもやっていけないのがこの都市だ。

 訝しげに見ていたヘクドだが、一応の納得はしたのか鼻を鳴らす。


「そうか。まぁいい。女の身柄は渡せんが、他のものでいいなら出そう。何がいい?」

「今のところ、特には。どちらかの気が変わり次第、この交渉は再開しましょう」


 進展のない話を打ち切って、ヴォラールがランタンを手にもう一度身を翻す。

 今度は、ヘクドも止めはしなかった。

 これ以上話しても無駄だということは、十分に分かったのだろう。お互いに気が変わるか、何かしらの切り札を持つしかない。


 会談は終わり、足音を殺してヴォラールは屋敷から出て行く。

 三階の隠し通路は、廊下の行き当たり。突き当たった正面の壁ではなく、絨毯をめくった所にある床を引き上げると現れる。

 ランタンで照らさなければ足元も見えない闇に入り、絨毯を戻してから入り口を閉じる。目敏い人間が見たら絨毯が微かにズレていることに気づくかもしれないが、だからこそヘクドは三階の立ち入りを制限しているのだ。


 階段を下りながら、ヴォラールはかつての師との取引を思い出す。

 師から提供されたのは、コンフザオの組織への紹介と、そこで使える情報と立場の譲渡。

 その代わりにヴォラールに要求されたのは、



 いざという時、養女であるシャレンの助けとなることだった。

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