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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
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第四十八話 「四つ巴・7」

――コンフザオに根を張る『組織』は、王都とは少し毛色が違う。

 これは、全体の代表者というものを持たない『組織』ならではの現象と言えた。

 自然発生した相互扶助こそが本質であるが故、場所によって大きくその色を変えるのだ。


 何を得意とし、何を重視するか。統括者のいない組織は、場に合わせて姿を移ろわせる。

 騎士団の手を逃れているのも、その統一性のなさによって一定の方法での検挙を許さないことが大きな一因であった。

 決まりきったパターンなどなく、時代と状況に簡単に染まる。それが組織の強みであり、騎士団と正面から戦える力をもてない理由でもある。


 では、コンフザオの組織はどのような特色を持つか。

 それには、王都に比べても大きなグループを持つ、というのがあげられる。


 元来、組織はグループといったものを持たない。一は全、全は一であり、即ちどこでも蜥蜴(トカゲ)の尻尾切りができる構造をしていた。

 『まとめ役』が出てきてやや傾向は変わったとはいえ、基本的には昔の構図のままだ。

 光の支配から逃れる為、闇に生きる者達が作り出した知恵を守り続けている。


 勿論、それらは全て都合がいいからだ。芋づる式に拿捕(だほ)される危険性を減らし、事と次第によっては暗闘の材料にも使われる。

 ならば何故、コンフザオでは大グループが形成されているのか。


 ひとえに、騎士団の権威が強い、というのが原因である。

 伝統的に、北西部の『小さな王都』では騎士団が強い発言権と影響力を持つ。その力は時に領主以上であり、駐留騎士団総隊長に任命されるということは、騎士団長に勝るとも劣らぬ名誉と言われている。


 それは取りも直さず、コンフザオの位置が原因であった。

 北西部は気候が寒冷で、特定の作物しか育たない。獲物となる動物も少なく、魚は多くとれるものの一部の沿岸部に限られる。

 そんな土地で版図を広げるには、徹底した管理と治安の維持が必須だった。それらを主導したのが、当時のコンフザオ駐留騎士団である。


 現在では畜産も安定化し、寒冷地でも育つ作物も多々発見され、飢えや野盗に怯える日々は過去のものとなった。

 かつて命がけに等しかった流通は当たり前となり、他の地域と比べても遜色のない繁栄を謳歌している。

 その立役者でもある騎士団に民衆の支持が集まるのは、当然と言えた。


 北西部で犯罪行為を働くということは、他の地域より強権を持ち自由に動ける騎士団と事を構えるということを意味する。

 『組織』にとって向かい風としか言えない状況で、それでも生き延びる為に選択した道こそが、グループを形成するというものだった。


 従来の方法では、片っ端から捕まえられて終わりだ。まともに仕事もできやしない。

 実際、そうだった時期もある。コンフザオの獄舎の牢が多いのは、そのせいだ。マギサ達が捕まっていた区画以外にも、地下にも牢がある。

 それらは全て、組織にとっての暗黒期に捕まった者達を収監するために作られた。


 影の世界にとって、信頼は命より大事なものだ。危ない橋を渡るのだ、当然の事である。

 仕事に失敗する、仲間を売る、依頼人を白状するなどは、簡単に信頼を損なわせる最良の手段だ。そんなことをする連中に、頼みごとをしようなんて奴はいない。

 闇は光に焼かれ、食い扶持を失い、潰える寸前まで追い詰められた。


 だがしかし、そこでしぶとく生き残るのが裏の住人というものだ。彼等は結託し、情報を詳細に共有し、表の目を掻い潜って仕事を果たすことを覚えた。

 『まとめ役』が最初に現れたのもコンフザオである、などとまことしやかに囁かれてはいるが、真偽の程は不明である。

 ただ、その役割と組織のあり方の相性が抜群に良かったことには違いない。裏の住人達は『まとめ役』を中心に結束し、集団を形成していった。


 現在、コンフザオに存在するグループは四つ。それぞれ売春や闇市など扱うものは違えど、最大手と言えるのはヴォラールという男を中心とした集団だ。


 ヴォラールのグループは、貴族や大商人を大口の顧客としている。技能に長けた者が多い実力主義の集団で、武力という意味でも一時的になら騎士団と渡り合える力を持つ。

 上得意先はヘクド・スパイトフル。遺跡の監視と侵入者の排除を任されており、真面目に働くのがバカらしくなるほどの稼ぎを上げていた。

 余所のグループから『飼い犬』などといったやっかみ混じりの皮肉を受けることも多いが、ヴォラール自身は然程気にしていなかった。


 元々貧民窟の住民なのだ、他者を羨むのは当然だろう。誰に何を言われようと、金を稼いで生き残るのが組織における絶対の評価基準だ。

 ましてや、取引の上での収益なら、誰に恥じ入ることもない。それがヴォラールの持論であり、コンフザオの組織が代々培った価値観でもあった。


 騎士団の権威が強い北西部の中心地では、何より信頼を勝ち得ることが大事になる。信頼されれば、金も仕事も一気に集まってくる。それが、かつての暗黒期を乗り切った後に生まれた基本的な考えだった。

 ヴォラールのグループが最大手になったのも、偶然や力づくなどではない。彼の信条が、取引至上主義であればこそだ。


 無骨な『まとめ役』は、取引を重視する。軽々しく取引しない代わり、一度交わせば必ず守る。その姿勢が評判を呼び、彼の率いる集団はのし上がった。

 取引は絶対に違えない。それは、彼が師から授かった教えであり、今も尚忠実に守り続ける信念でもあった。

 ならばこそ、遺跡に侵入者が現れたという事態は彼にとって看過できないものだった。


 知らせを受けてすぐに詳細な情報を聞く為に交代要員を送り、ヘクドに報告した。

 部下達が失態を犯したとは、ヴォラールは微塵も思っていない。

 提示された金額に見合うだけの人材を送り込んだつもりだ。


 実際にすぐさま緊急連絡用の鷹を飛ばしてきた。対応の早さ、報告の正確性を合わせても、能力不足による見落としは考えられない。

 その女二人は、遺跡の中から現れたと考えるのが妥当だろう。

 しかし、そんなことを頭の固い上得意に言った所で当り散らされるのがオチだ。適当な想定を話し、詳細は担当の者が帰ってきてからと言い置いた。


 取引したのは、遺跡の監視と侵入しようとする者の排除。

 どこかから侵入した者の排除も、その調査も取引とは直接関係のない話だ。


 道理でいえばそうだが、あの鷲鼻に道理が通じるとも思えない。

 担当から話を聞いて、こちらに非が無ければそこで終わりにしようかと思っていた。



 巡回役の騎士が連れた女の風貌に、聞き覚えがなければ。



 少女の方は知らない。似ているということは妹か何かだろうと普通は考えるところだが、そうでないことをヴォラールは知っている。

 もしも彼の想像通りの人物ならば、妹などいるはずがないのだ。

 そして同様に、こんなところにいるはずがないとも。


 ヴォラールに組織の人間としての基礎を叩き込んだ人物。それは、四年前に死んだシャレンの養父であった――



  ※            ※             ※


 パラヴォイがトロイと共にマギサ達に会った日の昼。

 貧民窟の片隅、腐った木材がへばりつく廃屋の開放感溢れる一室にて、男が一人腕を組んで座っていた。


 肩には一匹の鷹が止まり、男と同じように鋭い目つきで周囲を睨んでいる。

 騎士と遜色ないほどに鍛錬された体つきをしているが、騎士とはとても呼べない無骨さが実によく人物を表現していた。


 こけた頬を持つ男――ヴォラールの本拠地が、この廃屋である。

 周辺一帯には部下を配置し、一気に全方位囲まれでもしない限りどこでも逃げられるようになっている。

 暗闘が少なく、どちらかといえば騎士団に警戒を集中できるコンフザオの組織ならではの選択と言えよう。王都でこんな場所を拠点にしていたら、間違いなく殺される。


 貧民窟の外、即ち街中にも家を持ってはいるが、滅多に帰ることは無い。

 コンフザオの組織に属する者にとって、街中の方が危険極まりないのだ。


 廃屋近くで、微かに足音が鳴る。

 ヴォラールが目を向けると、そこには陽気さを携えた年若い男が悪戯を見つけられた子供のように驚いていた。


「もー、今回こそ上手くいくと思ったんすけどねぇ」

「無意味な自信は捨てろ」

「ヴォルさん、弟子に厳しすぎっすよ!?」

「報告しろ」

「無視っすか……」


 青年と呼べるかどうか怪しい年頃の男は、頭を掻いて師匠の前まで進み出る。

 親子ほども年が離れていながら、彼はヴォラール相手に気安く話しかけていた。鷹の如き眼光に竦む事もなく、笑顔まで浮かべて。

 不敵な弟子――ライは、あー、と思い出すように声を出す。


「例の侵入者のとこに、パラヴォイが出向いたらしいっす。総隊長様も動いてるんで、間違いないかと。騎士団の尋問も進んでないみたいで、議会じゃお手上げ。まぁ今日で何か進展あるかもしれないっすけど」


 自分でも微塵もそう思っていない調子で、ライが最後に付け加えた。

 そしてそれには、ヴォラールも同意見だった。


 ここまで粘っておいて、いきなり喋るということもないだろう。それに、もしあの娘だとすれば、間違いなく口を割らない。

 その内心を知ってか知らずか、ライが報告を続ける。


「見た目とかはいいっすよね。一応新しい情報としては、名前が挙がりました。年上の方がシャレン、年下の方がマギサ。こんくらいっすね……にしても、何でそこまで気にするんすか? ちょっと肩入れしすぎじゃないっすかね」


 自分の師が取引に拘る類なのは知っているが、今回のはそれだけとも言い切れないものをライは感じていた。

 取引だけなら、担当が戻ってきてから話を聞けばいい。侵入者の排除が取引内容とは言っても、どこから入ったかもわからない奴はどうにもできない。


 普段だったら、そうきっぱり言ってのけるはずなのだ、この人は。

 何かしら自分の知らない理由がある。ライはそう直感していた。


「あの、いいっすか? 何かあるんすか、その侵入者の女」

「……ヘクドの方はどうした」


 弟子の質問に答えず、ヴォラールは次の報告を促す。

 ライは不満げな顔をしながらも、逆らうわけにもいかず師匠に従った。


「特に何も。ただ、パラヴォイが出向くように唆したのは間違いなくアイツっすね。今日の議会で多分何かあるとは思います」

「わかった、下がっていい」

「ちょ、ちょっと待って下さい!」


 視線を外して立ち上がるヴォラールに、ライが待ったをかける。

 ただ顔を向けただけで睨まれているような威圧感を前に、不満を隠そうともせずに抗議した。


「教えてくれてもいいじゃねっすか! つーか年上の方っすよね、ヴォルさんが気にしてんの! 一体何なんすか!?」

「お前との取引は、俺に従う代わりに弟子にする。それだけのはずだ」


 暗に聞くなと言われ、ライは歯噛みする。

 そんなもので大人しくなると思っているなら大間違いだ。

 理由も知らずに顎で使われ、しかもそれが知らない誰かの為だなどという慈善事業はお断りだった。


「じゃあ取引っす! 教えてくんねぇなら、ヴォルさんが女の方を気にしてるってヘクドに垂れ込むっすよ!」


 次の瞬間、ライは頭を掴まれて床に顔面を叩きつけられていた。


 事態を把握するより先に、鼻から飛び散る血が息を詰まらせる。

 髪を掴まれ無理やり引き起こされ、顔面に拳を受けて後頭部から倒れた。

 鼻から噴出した血が口に入り、生温い鉄分が味覚を支配する。


 顔の真ん中がやけに熱いまま、吹き抜けの天井から空を見上げることしかできなかった。


「それは取引ではない。脅迫だ。そして、脅迫するなら相手を選べ」


 ヴォラールの言葉が遠く聞こえ、返事をしようという頭が働かない。

 それを見越していたかのように、擦り切れたような低い声が命令する。


「立て。返事をしろ」


 ライの体が反射的に震える。

 言うことを聞かなければ、何をされるかわからない。

 渾身の力を込めて立ち上がり、鼻と口から血を吐き出して息を吸う。


「うす、わかりました!」

「それでいい。しっかり覚えておけ」


 すっかり睨む気力もなくした弟子を見やり、ヴォラールは微かに眉を歪める。

 情報収集能力は高いが、やや直情的な面と口からでまかせを言いまくるところがこの弟子の悪い所だ。


 教育によって報告にでまかせを混ぜることはなくなったが、直情的な面ばかりはどうにもならないらしい。

 同じ問答を繰り返すのも面倒だ。少しくらい教えてやってもいいだろう。


「女の方だが。もしかしたら、こちらの関係者の可能性がある」

「こちら……って、俺達のっすか!?」

「そうだ。その場合、少し面倒な事態になる」


 もしもあの人の娘だった場合、ヴォラールにはやらねばならないことがあった。


 それは、かつて師と交わした『取引』。

 コンフザオへの渡りをつけてもらう代わりに、誓ったもの。


 ヘクドが絡んでくると厄介なことになるが、取引は絶対だ。違えることは許されない。

 だからこそ、早いところ確実な情報が欲しかった。


「なんか、大事な人なんすか?」


 ヴォラールの顔色を窺いながら、ライが遠慮がちに言う。

 組織の人間だからといって、助ける義理は何も無い。捕まるバカが悪いのだ。

 しかし、師の口ぶりではまるで助けに行くようで、考えられる理由といえばそんなところくらいだった。

 ヴォラールは弟子の様子に鼻から溜息を吐き、


「俺の師匠の娘かもしれん」


 観念して口にした。

 妙な勘繰りをされても困る。ただでさえムラの激しい奴なのだから、実務にさえ影響を出しかねない。

 そう思って言ったのだが、果たして良かったのか悪かったのか。

 ライは目を丸くして驚き、鼻血を垂れ流してることも忘れて慌てふためいた。


「た、大変じゃないっすか!」

「まだ確定してはいない」

「あ、じゃあ、早く情報集めてきます!」

「急ぐな。焦ると事を仕損じる」

「うす……あ、そうだ」


 ようやく鼻血を袖で拭い、思い出したようにライが報告する。


「ヘクドんとこに、新しい衛兵が雇われました。何でも、元トライゾンの自警団だった奴だそうです。関係ないとは思ったんすけど、一応」

「分かった。ご苦労だった、休んでいい」

「いや、いいっす。何か向こうも動き激しいんで、暫く街を歩き回ることにします。あ、次の報告は夜でいいっすか?」


 やけにやる気になっている弟子を見やり、ヴォラールは内心で嘆息する。

 基本的にライには、街中での情報収集を任せている。組織にとって、命綱ともなる重要な仕事だ。

 弟子にとった以上あれこれと教えてはいるが、元々はその能力を買って自分の部下に引き入れたのだ。


 しかし、どうにも最近不必要に懐かれているような気もする。

 集団を形成するコンフザオだからだろうか。組織として、余り望ましいことではない。

 その甘さも矯正しなくてはならんな、と思いながら、無骨な『まとめ役』は答えた。


「あぁ、それでいい」

「了解っす! じゃ、失礼します!」


 騎士が馬上でやるような敬礼をふざけてやって、ライは退散していく。

 騒がしい弟子を見送ってから、ヴォラールもその場から離れた。

 片付けなければならない仕事は山とある。部下からの報告も、次の拠点に移動して聞かねばならない。


 師から教わった心得の一つ。拠点を複数持て。

 その重要性は、捕まった連中の失策を見れば嫌でも理解した。


 自分に生き残る術を教えてくれた人の娘が、捕まっているかもしれない。

 かつて師と交わした取引は別にしても、看過しかねる問題だった。


 自分もライの事は言えないかもしれない、と師匠になった男は眉を顰めた。



  ※            ※             ※


 夜。

 薄暗い牢の中で、マギサはベッドに寝転んでいた。


 騎士団総隊長のトロイとかいう騎士から尋問を受けた後、それ以上呼び出されることもなく時間だけが過ぎた。

 日が落ちると獄舎内の篝火が落ちる。それを合図に、囚人達はベッドで休むのだ。


 固いベッドの上でまどろみながら、とりとめもなく騎士団の出方を考える。

 諦めたわけではないだろうが、余りにも進展が無さ過ぎて困惑しているのかもしれない。

 できればそのままこちらの言い分を受け入れてくれれば嬉しいが、そんな奇跡みたいなことが起きるわけないとも分かっていた。

 どう考えても怪しすぎる。何か隠していると勘繰られても仕方の無い話だ。


 実際、隠してはいるのだけれど。

 だからこそ、マギサは看守役の騎士が牢を開けた時、尋問が再開されるのだと何の疑いもなく思っていた。


「出なさい。迎えが来ました」


 何のことを言っているのだろうと、思わないではなかったのだ。


 迎えとは一体何だ。まさか、尋問に来た自分達の事を言っているのではあるまい。騎士団がそういう冗談を言うとは思えなかった。

 牢から出たのに、いつもと違って手枷をされない。物音がして隣を見れば、シャレンも同じように牢から出されていた。


 尋問なら、手枷がなければおかしい。それも二人一緒だなんて、また外に出るのか。

 事態を把握できないマギサに、顔色一つ変えないシャレン。どこか苦虫を噛み潰したような顔をする騎士に連れられ、今度は看守室の方へと先導された。

 看守室を通り過ぎ、幾つかの部屋と繋がる広間から表へと出る。


 そこには、獄舎の敷地には不釣合いな四頭引きの箱型馬車が停まっていた。

 理解が追いつかないマギサの前に、馬車の傍に立っていた老執事が一歩進み出る。


「お待ちしておりました。どうぞ、お乗り下さい」


 恭しく礼をする老執事にマギサは棒立ちになり、横目で騎士達の様子を窺う。

 マギサに勝るとも劣らぬ困惑した顔をしながら、騎士達は建物内へと戻っていった。


 今何が起こっているのか、一切分からない。何故外へ連れ出されたのか、何故こんな馬車が迎えに来ているのか、何故騎士達は何も言わないのか。

 馬車の中には見間違えようもない自分達の荷物が入っていた。本当に出られるのだ。


 疑問で身動きの取れないマギサとは対照的に、シャレンは少しも動揺した素振りを見せないまま馬車に乗り込む。

 まるで、全て承知の上であるかのように。


「早く乗って」


 何も言わない老執事に代わって、シャレンがマギサを急かす。

 立ち尽くしていたマギサは、魔法が解けたかのように足を動かして馬車に乗る。

 それは選んでの行動というよりは、反射に近いもののように見えた。

 最後に老執事が乗り込み、扉を閉じたのを確認してから馬車は動き出す。


 獄舎の門を抜け、街内の舗装された道になると露骨に振動が減った。

 だから余計に、沈黙がマギサの精神を苛んだ。

 シャレンは頬杖をついたまま黙りっぱなしだし、老執事も目と一緒に口を閉ざしている。自分とて何かを言う気分にはなれず、空気まで重くなったようだ。


 シャレンのずた袋から杖を取り出し、心を落ち着けようと握り締める。

 最初に沈黙を破ったのは、老執事だった。


「これからお二人を、ヘクド・スパイトフル様の所へお連れ致します」


 シャレンは目線だけを動かし、マギサは肩を震わせる。

 開かれた老執事の目は、とても賓客をもてなす態度とは思えなかった。


「お二人は、ヘクド様の遠縁の親戚に御座います。此度の件、我が主は大変お心を痛めており、無理を言ってお二人をお引取りになられました」


 老執事から語られる内容は、寝耳に水のものばかりだった。

 だが、それでようやくマギサにも薄らと真相が見えてきた。


 遠縁の親戚など、あり得ない。自分は勿論、シャレンだってそうだろう。万が一ということもあるが、それなら自分を一緒に出す理由が分からない。

 シャレンだけ助ければいい話だ。後々シャレンから言われて自分を出すなら分からないでもないが、二人一緒の時点で怪しさしかない。

 大体、老執事の目はとても主人の親戚を歓待しようというものではない。


 つまり、自分達二人に何かしらの用件があるのだ。

 騎士団の下においておけないほどの。


 馬車の仕立てや騎士達の態度から見て、相当な貴族であることに間違いないだろう。それが無理を言って引き取ったということは、牢にいてもらっては困るということだ。

 牢の中で済むのなら、こんな真似をする必要はないのだから。

 キナ臭さが漂ってきた事を、遅ればせながらマギサも感じていた。


「主は、是非お二人に会いたいと仰っています。屋敷に着き次第ご案内致しますので、お疲れとは思いますがどうぞお願い致します」


 頭を下げる老執事に興味を失ったように、シャレンが窓の向こうに視線を移す。

 マギサはじっと老執事を見つめながら、頭の中を整理していた。


 おそらく、用件とは遺跡のことだろう。それ以外に二人一緒に呼ぶ理由は思い当たらない。

 騎士団の所から出したということは、権力闘争の材料にでも使われるのか。具体的には分からないが、そういう知識だけは豊富にある。


 本の中では、大抵こういう場合騎士が助けにきてくれるのだが。

 その騎士こそが最大の敵である自分では、そういうわけにもいくまい。


 考え事をしているせいか、マギサは老執事をじっと見つめてしまっていた。

 その視線に気圧されたように眉を上げ、老執事は咳払いをした。


「主も懸命に無実を訴えておりますが、お二人は未だ嫌疑のかかった身。どうぞ、潔白が証明されるまでは屋敷からみだりに出られませんよう、ご自愛下さい」


 年を重ねただけあって、脅迫の仕方も堂に入っている。

 我が身が可愛ければ言う通りにしろ、ということだ。監禁される場所が牢からスパイトフルとかいう貴族の屋敷になっただけだと、マギサははっきり理解した。


 マギサもシャレンも返事の一つもしないまま、馬車に揺られる。老執事も殊更に要求することもなく、馬車の中は再び沈黙に包まれた。

 それから一言も発さないまま、微細な振動すらも止まり、馬車がどこかに到着したことを知らせてくる。


 先んじて老執事が降り、恭しくお辞儀をして扉に手を添える。

 位置的に、マギサが降りなければシャレンが降りられない。意を決して先に降りれば、目の前には巨大な玄関が鎮座していた。


 重厚な構えが歴史を感じさせ、ポーチを支える四本の柱は華美ではないが豪華と呼べる造りだった。

 屋敷も大きさも去ることながら、敷地もかなりのものがある。後ろを見ても門扉は遠く、庭には噴水さえ見えた。


 アバリシアで見たものと比べても世界が違う。自分が巻き込まれたのはただの権力闘争ではないのかもしれない、なんて考えがマギサの頭を過ぎった。

 一切迷いの感じられない歩みでシャレンが荷物と一緒に馬車から降り、老執事が扉を閉めると反転して厩舎へと向かっていく。


 なんとはなしに見送っていると、老執事が玄関にくっついている紐を引っ張った。

 遠くで鈴が鳴る音がする。殆ど間を置かず、玄関が開かれた。


「お帰りなさいませ」


 シャレンとそう年頃も変わらないだろうメイドと執事が扉を押さえ、格式高い貴族の家に相応しい所作で礼をする。

 老執事は一つ頷くと、


「どうぞ、こちらで御座います」


 負けじと洗練された振る舞いでお辞儀をし、先導して歩き出した。

 通されたエントランスは敷き詰められた真紅のカーペットが足裏を柔らかく受け止め、細やかな装飾が施されたシャンデリアが来訪者を見下ろしてくる。

 両隅に大きく弧を描く階段が設置され、吹き抜けの二階部分は部屋が幾つもあり、メイドらしき人が出てくるのが見える。おそらく、使用人用の部屋なのだろう。


 老執事に連れられ右の階段を上り、二階の廊下を通り過ぎて奥まった所にある階段を更に上がる。

 三階部分はどうやら貴人専用の場所らしく、広めの廊下に比して部屋数は少なかった。

 最も奥まった所にある、ひときわ大きな扉の前で老執事は足を止め、確認するようにマギサ達に振り向く。


 ここが主であるヘクド・スパイトフルの部屋なのだろう。

 じっと二人から見返され、老執事は息を吐いて扉に向き直った。


「旦那様。お二人をお連れしました」

「入れ」


 ノックの音と入れ違いに、夏の熱気のようにまとわりつく声が聞こえた。

 マギサは思わず肩を強張らせ、シャレンを見やる。経験上、こういう声の持ち主で何か良かった事のあった例がない。


 シャレンは嫌になるほどいつも通りで、この人が顔色を変えることなんてあるのだろうかと思う。どうしてそんなに冷静でいられるのか。どれだけ訓練しても、自分は時折抑えられなくなるというのに。

 老執事が扉を開け、否応なしに中に入らざるを得なくなる。


 やたらと広い部屋には、とにかく金箔を塗された置物や、値段だけは張りそうな絵画などが掛けられていた。

 まさに金を持っていることを喧伝するような部屋は、下手をすると今まで見たどんなものより悪趣味かもしれない。

 ヴィシオに勝るとも劣らぬ悪趣味さを披露しながら、スパイトフル家当主ヘクドはマギサとシャレンを迎え入れた。


「ようこそ、我が屋敷へ。早く休みたいだろうが、少しだけ話に付き合ってほしい」


 ヘクドの両脇には、全身に鎧を着込んだ衛兵が控えていた。

 どこからどう見ても、無実の罪を着せられた遠縁の親戚を迎える姿ではない。


 ヘクドが顎をしゃくり、老執事が深く礼をして退室する。

 金を見せびらかす為だけの部屋で、マギサとシャレン、衛兵二人とヘクドが向かい合っていた。


「さて、賢い君達の事だろうから既に気づいているとは思うが。私は、君達の持つ情報が知りたい。君達はどこから遺跡に入り、何を見た?」


 騎士団とは違う問い。

 この鷲鼻をした悪趣味な貴族は、侵入経路を聞いてきた。

 隣のシャレンが放つ空気の変化を敏感に感じ取り、マギサは横目で見上げる。


 何の感慨も抱かせなかった目が、獲物を見つけた蛇のように細められた。

 衛兵やヘクドは、この微細な変化には気がついていない。


 いよいよ時が来たか、とマギサは覚悟した。魔力は回復しているし、杖も手にしている。流石に人殺しはとめなければならないが、逃げるくらいならできるはずだ。

 目の前の貴族は、騎士団とは違う。何かを知っている。

 その事実は、マギサの警戒を呼び込むのに十分な理由となった。


 ずた袋を下ろし、何気ない足取りでシャレンが進み出る。その余りの自然さに衛兵達も警戒を忘れ、机の正面まで接近を許してしまった。

 見下ろすシャレンの瞳を前に、ヘクドが息を飲む。


 場所がどこだろうが関係ない。自由な行動を許した段階で、シャレンに敵うものなどそうはいないのだ。

 場の主導権は、最も強いものが握る。原始的かつ変えようのない真理。


「な、何かね?」


 それでも精一杯の威厳を保ち、ヘクドが迎え撃つ。

 気づけば篭手を嵌めていた右腕は下げたまま、シャレンは左手を髪の中に突っ込んだ。



 闇のような黒髪から引き出されたのは、薬指程度の大きさの印璽だった。



 机の上に放り出したそれを、ヘクドがまじまじと見つめる。

 すぐにそこに刻まれた印章を理解し、驚愕の表情でシャレンを見上げた。


「お、お前! お前は……!!」

「私達の知る情報は、全てお話しました。よろし?」


 シャレンの色のない目と歯軋りするヘクドの目が絡まり、一つも納得していない顔をしながら鷲鼻の貴族が頷く。


 それ以上、どうしようもなかったのだ。

 野狐の紋章はミニストロ家の紋章にして、権利を委任された『組織』の構成員であることの証。

 ヴィシオに尻尾を振るヘクド如きがどうにかできるものではなかった。


 苛立ち紛れに垂れ下がる紐を引っ張り、衛兵に下がるよう手を振る。

 一礼する衛兵達と入れ違いに、玄関を開けた童顔の執事が入室してきた。


「お二人を用意した部屋に案内しろ! くれぐれも粗相のないようにな!」

「承知致しました」


 深く頭を下げ、童顔執事はマギサとシャレンを先導して部屋から出る。

 印璽を取って懐に仕舞い、黒衣の暗殺者はヘクドを一瞥すらせず身を翻した。

 事態を飲み込めないまま、マギサはとにかくシャレンの後をついていく。

 横目で窺う視線を気づかれたのか、シャレンがマギサを見下ろしてきた。


「大丈夫。取引はまだ有効」


 囁かれた言葉が余りにシャレンらしすぎて、マギサの肩から力が抜ける。

 良くは分からないが、多分上手くいっているのだ。ナイトの事は気がかりだが、今はシャレンに従うしかない。

 そう自分を納得させ、最後にマギサは後ろを振り返った。



 悪趣味な部屋の奥で、鷲鼻の貴族が顔を歪め、悔しそうに拳を握り締めていた。

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