第三話 「ナイトの村・3」
――王宮で開かれた議会で、一人の大臣が熱弁を振るっていた。
「――以上の事から、『魔法使いの里』は即時殲滅するべきです!」
唾を飛ばし拳を振り上げ、彼は集まった他の大臣達と国王を見回した。
皆一様に口を噤む姿を満足そうに見て、大臣は再び口を開こうと、
「一つ宜しいか、ミニストロ卿」
国王の隣に座る壮年の男が、手を上げていた。
口を開きかけていた大臣――ヴィシオ・ミニストロは、舌打ちせんばかりのしかめ面でその男を見やる。
「何でしょうか、エヴィニス卿」
「卿のやり方は過激ではないか。いま少し穏便に済ませる方法は本当にないのか?」
エヴィニス、と呼んだ男の意見を、ヴィシオは鼻で笑った。
「穏便に? どうやって? 相手はあの『魔法使い』なのですぞ!」
ヴィシオの言い分に、壮年の男性は黙り込む。『魔法使い』に会ったことはなくとも、魔道具の威力はここにいる全員がよく知っていた。それを作った存在がどれほど恐ろしいかは、想像に難くない。
小さく鼻を鳴らして、ヴィシオはもう一度議会の面々をぐるりと見回した。
「エヴィニス卿の仰りたい事も分からないではありません。ですが、相手は『魔法使い』。対話をする振りをして襲われれば、我々はひとたまりもないでしょう」
小さく聞こえる唸り声は、大臣達の消極的な賛成の声だ。
確かな手ごたえを感じ取りながら、ヴィシオは国王に向き直る。
「陛下。先程お話した通り、『魔法使い』を放置していい理由はどこにもありません。どうぞ、ご決断を」
「あぁ……うむ」
深々と頭を下げるヴィシオに肯いて、初老に入ろうかという国王は髭を触りながら隣に座る壮年の男性に視線を送る。
男が渋面を作りながらも小さく頷き返すと、国王は溜息をついて深く頷いた。
「王国騎士団団長、レヒト・オルドヌング!」
「はっ!」
国王に呼ばれ、議会の一員でもあった精悍な顔つきの騎士が立ち上がる。
「『魔法使いの里』の殲滅を命じる。仔細全てお前に預ける」
「御意」
最敬礼する騎士団長に頷き返し、国王は一同を見渡した。
「これにて、今議会を終了する。各自、己が役目を全うせよ!」
閉会宣言と共に、全員が立ち上がって敬礼する。
その中で一人、ヴィシオだけが小さくほくそ笑んでいた――
※ ※ ※
昼には目立つ黒い『魔法使い』の姿は、すぐに騎士隊に捕捉された。
村から少し離れた平原を、森へ向かってマギサは走っていた。お世辞にも走りやすいとは言えないローブが災いしてか、騎士隊との距離はぐんぐん縮まっていく。
後ろを振り返る回数が増えたのを見て、若い騎士隊長が手の動きだけで指示を出す。
騎士の一人が立ち止まって弓を番え、マギサの体を掠るように撃った。
煽られるようにバランスを崩すマギサに、若き騎士隊長の警告が飛ぶ。
「『魔法使い』! 止まれ! 次はない!」
唇を噛み締め、マギサは足を止めた。
同じように騎士隊も足を止め、若い騎士隊長以外が弓を構える。逃げ場はなく、完全に追い詰められていた。
若き騎士隊長が、一歩だけ進み出る。
「『魔法』は使うな。不審な動きをすれば、腕か足を射る」
黙ったまま肯くマギサに、若い騎士隊長がもう一歩近づく。マギサが一歩、後ずさる。
弓を構えた騎士達の訝しむような視線を無視して、若き騎士隊長はマギサの目をまっすぐに見つめた。
「君の処遇は議会が判断する。大人しくついて来て欲しい」
「隊長! 相手は本物の『魔法使い』です!」
咎めるように叫ぶ騎士に、若き騎士隊長は振り向きもせずに応える。
「穏便に済ませられるならそれでいい。我々の仕事は『魔法使い』と戦うことではない」
「先程の『魔法』を忘れられたか!」
「抵抗すれば話は別だ。合図一つで撃てるよう準備しておけ」
態度を変えるつもりのない若い騎士隊長に、騎士達は不満げながらも口を噤む。
話している間にすら逃げ出す隙を見つけられず、マギサは騎士隊長を見つめ返す。
彼女が一歩も引くつもりがないことは、誰が見ても一目瞭然だった。
――さて、どう説得したものか。
黒い『魔法使い』から目を離さぬまま、若き騎士隊長は責務を果たすべく思索に耽った。
※ ※ ※
壁に空いた穴を、ナイトは呆然と見つめていた。
心がどこかにいったように、何も考えられない。
マギサは『魔法使い』だった。騎士隊は『魔法使い』を追っていった。何故なら、『魔法使い』は悪者だから。
頭では分かっているそれが、どうしてか理解できずにいる。
何でなんだろう、どうしてなんだろう。そんな言葉がずっとぐるぐると回っている。
そんな有様だから、クーアが立ち上がって胸倉を掴んでくるのにも反応できなかった。
「ちょっとナイト! 何ぼーっとしてんのよ!」
体への衝撃と耳を劈く怒声に、ナイトはようやくクーアを見た。
目じりに薄っすらと涙を浮かべながら、本気で怒った顔をしていた。こんな顔のクーアを見たのは、今まで数回しかない。
何をそんなに怒っているのか、ナイトには分からない。握り締められたクーアの手は、声と同じくらいに震えていた。
「何でマギサを助けないの! どうして!?」
心が鈍器で殴られたみたいに痛くなる。
騎士隊はマギサを捕まえようと追っていった。いや違う、騎士隊が追っていったのは『魔法使い』だ。
でも、『魔法使い』は、マギサだ。
頭の中が混乱して、物事をうまく考えられない。元々頭が良い方じゃない、難しい事は良く分からない。
追い打ちをかけるように、クーアが叫んだ。
「なんで何も言ってくれないの!!」
胸の奥が痺れるように痛んで、息ができなくなった。
しなくちゃいけないことがある、腹の底で何かがそう叫んでる。けれど、何をしたらいいのかが分からない。
心が痛む度に叫び声は大きくなるのに、何一つ言葉にならない。
クーアは泣いていた。クーアが泣いているのに、身動き一つとれないでいた。
こんな自分になりたくて、今まで生きてきたわけじゃないのに。
玄関の方から、物音がした。
「ごめんなさいね、ナイトはいる?」
音に反応して無意識に向けた視線の先には、ナイトの母親がいた。
手にはナイトの剣。ゆっくりと静かに中に入り、壁の穴を一瞥してナイト達を見た。
「これじゃ修理も大変ね。クーア、暫くうちに住みなさいな」
「あ、あの、おばさん……」
もの問いたげなクーアに構わず、母は重そうに剣を立てかけて二人を見やる。
「差し当たって使うものを運びなさい。早くしないと日が暮れるわよ」
「え、あ、」
「早くなさい」
有無を言わさぬ口調に圧され、クーアは近くにあった薬草の瓶を幾つか抱えて出て行く。
その後姿を見送って、母はナイトに向き直った。
「マギサは、どこにいったの?」
強くもない母の語気に、罪悪感が痛い程に刺激される。
だんまりを決め込むことはできなかった。
「……分からない」
「そう」
あっさりとした返事に、責められると思って痛みに備えた心が肩透かしをくらう。
そうして無防備になった所に、母の言葉が突き刺さった。
「お前は、それでいいの?」
吐きそうなくらいの痛みに身を捩る。泣くのと変わらない叫びが、胸の中に溢れた。
――嫌だ!
ようやく聞こえた。言葉に出来た。ずっとずっと、その一言が言いたかった。
今起こっている全て、一つだって納得できない。
『魔法使い』は悪者だけど、マギサは良い子だ。『魔法使い』はかつて悪いことを一杯したのかもしれないが、マギサは何も悪いことをしていない。
マギサに罪はない。少なくとも、自分はそう思っている。
自分が憧れた騎士は、どんな苦難にも勇敢に立ち向かって行った。どんな時でも諦めず、誰かの為に己の命すら顧みず戦った。
毎日毎日剣を振っていたのは、諦め切れなかったからだ。騎士になれないって分かっても、それでも憧れを捨てたくはなかったからだ。
こんな時に、何も出来ず、何もせずに突っ立っていたくなかったからだ。
マギサは『魔法使い』だ。だから騎士隊は追って行った。それをただ見送ったのは、『魔法使い』は悪者だって、ずっと思っていたからだ。
でも、マギサは悪者なんかじゃない。そのことを、自分達は良く知っている。
だったら、やることなんか一つに決まっていた。
顔に一発ビンタを入れて目を覚ます。一目散に剣を掴んで、壁の穴に向かって走った。
「どこに行くの?」
背中に聞こえる母の声に、腹に力を込めて振り向かずに叫んだ。
「マギサを助けにいってきます!」
村中に聞こえるように、精一杯声を上げた。
難しいことなんて何一つ分からない。
ただ、嫌じゃないことをしようと思ったら、それしか思いつかなかった。
表に出たら、いつもの悪ガキ三人組がいて、村を出たあたりの平原を指差していた。
何も考えずにそっちに向かって全力で走り出す。頭は真っ白で、耳には風を切る音しか聞こえない。
――いってらっしゃい。
風に紛れて、暖かな母の声が聞こえた気がした。
※ ※ ※
マギサと騎士隊の膠着状態は続いていた。
再三の騎士隊長の投降勧告に、マギサは決して頷かなかった。里の惨状から考えて、連れて行かれれば待っているのは間違いなく死だ。
この隊長らしき若い騎士は、里が襲撃された時には見なかった。もしかしたら、その事を知らないのかもしれない。
敢えて何かを言う気にはならなかった。
「大人しくついてくる気はない、ということでいいか?」
こくりと肯くマギサに、騎士隊長が溜め息を吐く。
「ならば、力づくでも連れて行くことになる。抵抗すれば命の保証はしない」
一歩近づく騎士隊長に、マギサが一歩後ずさる。
打つ手がなかった。『魔法』は使えない。弓の威嚇もそうだが、派手な火球を作ったお陰で魔力が尽きかけている。細かい制御もしたせいで、精神的にも疲労が濃い。杖の補助込みで、あと一発が限度。この状況で、騎士達に気づかれないように使える自信はなかった。
何よりも、村の近くで争いたくはない。これ以上迷惑はかけられない。
頭を支配してくる諦めを振り払うように顔を上げる。ゆっくりと迫る騎士隊長に、騎士の一人が声をかけた。
「隊長、誰か来ます」
「確認する。射撃用意」
弓を構えた騎士達がマギサを牽制している間に、騎士隊長が視線を動かす。釣られるように、マギサも同じ方向を向いた。
村の方から、猛烈な勢いで走ってくる誰かが見えた。
一体誰なのか、マギサには見当もつかない。遅れてきた騎士か誰かだろうか。今更何人増えたところで、絶望的な状況に変わりはない。
ようやく姿が見えるようになって、マギサの思考は弾け飛んだ。
嘘、なんで、どうして、
「近づいてくる者は気にするな。『魔法使い』に集中しろ」
呆れたような騎士隊長の声も、マギサの耳には入らない。
目の前の光景が信じられない。あるはずのない出来事が起きている。
自分は確かに、彼の目の前で『魔法』を使ったのだ。彼のことは、クーアから良く聞いている。だから、絶対に自分を追ってなどこないはずだ。
――『騎士』に憧れた彼にとって、『魔法使い』の私は悪者のはずなのに。
もしかしたら、この若い騎士達に協力しにきたのかもしれない。自分を捕まえて騎士に取り立ててもらうつもりなのかも。そうであってほしい、とマギサは思った。
取り返しのつかない事実と共に、その考えは否定された。
足音が止まらないことに弓を構えた騎士達が動揺する。気づいた時には最早手遅れで、ナイトは走ってきた勢いそのままに騎士隊長にタックルをかました。
「マギサ! 逃げるんだ!」
完全に無防備だった脇腹にぶち当たり、倒れた騎士隊長を抑え込んでナイトが叫ぶ。
突然の事態に慌てた騎士達は動きが乱れ、構えた弓の狙いが逸れる。
千載一遇のチャンスに、しかしマギサは呆気にとられたように動けずにいた。
焦ったナイトがもう一度強く言おうとマギサの方を向き、
出来た隙間に捻じ込まれた足に蹴り飛ばされた。
鳩尾を持ち上げられるような衝撃と共に、あっさりと地面に転がされる。
一瞬で立場は逆転し、咳き込むナイトを尻目に騎士隊長が立ち上がって檄を飛ばす。
「うろたえるな! 『魔法使い』に集中しろ!」
我を取り戻した騎士達はマギサに向かって弓を構え直す。
再び窮地に陥ったというのに、マギサは周囲の事など目に入らないように、呆然とナイトを見つめていた。
マギサの様子を一瞥し、騎士隊長は地面に転がる闖入者を見下ろした。
「君は、『魔法使い』の仲間か?」
「……違います」
荒い呼吸を繰り返しながら、ナイトは騎士隊長を見上げる。
騎士隊長の眉が理解できないといわんばかりに歪められた。
「では、何故こんな真似を?」
腹を押さえながら、ナイトがゆっくりと立ち上がる。
ナイトと騎士隊長、二人の背丈はほぼ変わらず、正面から睨み合った。
「僕は、マギサを助けに来ました」
真っ直ぐに見つめ返され、騎士隊長がちらりと『魔法使い』を見やる。
「マギサ、というのは、『魔法使い』のことかな?」
「そうです。この子の名前です」
「成る程。つまり君は、『魔法使い』を助けにきたのか」
「違います」
きっぱりと断言され、またも騎士隊長の眉が歪む。
ナイトは騎士隊長の目を見つめながら、誰に憚る事もなく言い切った。
「僕は、マギサを、助けにきました!」
マギサの肩が、微かに震えていた。
騎士隊長が溜め息を吐き、ナイトとマギサを睨み付ける。
「話をする気がないなら、実力行使に移らせてもらう。もう一度言う、抵抗すれば命の保証はしない」
弓の弦が引き絞られ、騎士隊長が腰の剣に手を添えながらマギサに近づく。
ナイトは両手を大きく広げてマギサの前に立ち塞がった。
「邪魔だ、どけ」
「嫌です!」
騎士隊長の拳が、ナイトの鳩尾に突き刺さった。
ガードする暇もなかった。瞬きする間に距離を詰められ、容赦のない一撃に体をくの字に折り曲げて悶絶する。襟首を掴まれ、思い切り引っ張られるのと同時に足払いをかけられ、まるで体が浮くように投げ飛ばされた。
全身どこもかしこも痛くて、奥歯をかみ締めて立ち上がる。
騎士隊長の手が伸びているというのに、マギサは何故かナイトの方を見て微動だにしなかった。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
思い切り地面を蹴りつけて、騎士隊長に向かって飛び掛かる。
予測していたかのように騎士隊長は身を引いてかわし、ナイトの足をひっかけた。
勢い良く顔面から地面にぶつかり、鼻血をぶちまけながらナイトは無様に転げまわる。
もう一度騎士隊長はマギサに向き直って踏み出し、
つんのめるように立ち止まった。
「しつこいぞ」
鼻息荒く足にしがみ付くナイトを振り解こうと、その顔面を蹴り飛ばす。
それでもナイトはしがみ付いた手を離さず、騎士隊長を睨み付けた。
マギサを視界の端に映したまま、騎士隊長は今日何度目かの溜め息を吐く。
「どうして君はそこまでする?」
しがみ付いた手に力を込め、顔を思い切りあげて、ナイトは叫んだ。
「だってこの子は、何にも悪いことしていない!」
理由なんて、それで十分だった。
何も悪いことしていない彼女が、悪者扱いされているのが嫌だった。
それが例え、どうしようもないことなのだとしても。
「彼女が何をしたかは、最早問題ではない」
騎士隊長に思い切り顎から蹴り上げられ、一瞬意識が飛ぶ。
その瞬間にしがみ付いた手を振り払われ、後頭部から踏みつけられた。
「『魔法使い』であること自体が問題だ」
――生まれたことがいけなかったとでも言うのだろうか。
目の前は真っ暗で、どこが痛いかも分からなくなって、それでも胸の中だけは熱くて息苦しいくらいだった。
頭から足が離れた感触がする。きっとあの若い騎士はマギサを捕まえにいくだろう。
動け、と念じる。どんなに痛くたっていい、苦しくったっていい、辛くったっていい。またやられてもいい、何度だって地面に転がってやる。勝てないことなんて分かりきってて、僕より強い人なんていくらでもいて、騎士になんかなれなくて、相手は本物の騎士で、
それでも、このまま動けないのだけは、
あの日の憧れに嘘を吐くのは、
――そんなのは嫌だ!
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
全身の力を込めて飛び上がり、今にもマギサを捕まえようとしていた騎士隊長にしがみつく。
騎士隊長は眉を顰め、ナイトの髪と腕を掴んで背負い投げのように地面に叩きつけた。
口の中に広がる鉄の味を無視して、すぐさまナイトは立ち上がる。
目の前の景色が歪んでいる。すぐ近くにいる若い騎士の顔もぼやけてしか映らない。そのザマで、ナイトは騎士隊長に向かって睨み付けた。
「マギサ! はやく逃げて!」
後ろのマギサが何をしているかなんて、この状態のナイトにわかるはずもない。
歪んだ視界に、刃のきらめきが映りこんだ。
「命の保証はしない、と言ったはずだ」
騎士隊長が剣を構えていた。
諦めたくはない。諦めたくはないが、もうどうすればいいのか分からない。例え今腰に帯びた剣を抜いたとしても、絶対に勝てない。
それでも、歯を食いしばって、足を踏ん張らせた。
見せ付けるように大上段に構えられた刃が、勢い良く振り下ろされ、
小さく囁くような声が聞こえた。
覚悟を決めた次の瞬間、目の前の若い騎士が急に動かなくなった。
それだけではない、目を凝らせば後ろの他の騎士達も同じように制止し、戸惑った様子で顔を見合わせている。
「『魔法』か……!」
騎士隊長の呟きを聞き、ナイトが後ろを振り向く。
こっそりと杖を構えたマギサが、ぐらりと倒れこんできた。
慌てて体を支え、周囲を見渡す。騎士達は動き出す様子はなく、少し離れた場所に森。
二度目のチャンスは、逃すわけにはいかなかった。
最後の力を振り絞ってマギサを抱え上げ、森に向かって走る。全身がバカみたいに悲鳴を上げるが構っていられない。
とにかく逃げ切ることだけ考えるようにして、振り切るように森に入った。
もう村には帰れないことは、ナイトにだって分かっていた。
※ ※ ※
騎士達が動けるようになったのは、ナイト達が森に入ってから、少し日が傾いた後のことだった。
今の人数で森に入った『魔法使い』達を探すのは危険かつ困難であると判断し、騎士隊は村へと戻った。
本隊に報告に戻る前に、騎士隊は『魔法使い』に関する事情聴取を各家を回って行った。
次々と出てくる好意的かつ肯定的な意見に、騎士達は困惑を隠せなかった。
唯一人、若き騎士隊長を除いて。
ついに最後の家となり、騎士隊長がノックをする。返事と共に開いた扉の向こうにいたのは、『魔法使い』がいた家の住人らしき女性だった。
彼女は騎士隊長を見るなり顔を顰め、
叩きつけるように、若い騎士の頬を叩いた。
「あんた達さえ来なければ、こんなことにならなかったのに!」
クーアの怒声に、騎士達が気色ばむ。
軽く手を上げて騎士達を抑え、若い騎士が頭を下げた。
「申し訳ない」
若い騎士の反応が予想外だったのか、クーアは怒りのやり場をなくしたような顔で引っ込んで行った。
代わりに表に出てきたのは、年嵩の女性だった。
「おや、騎士様。どうされました?」
「いえ……貴女は、彼女の母親ですか?」
顔色一つ変えず尋ねる騎士隊長に、年嵩の女性は首を振る。
「私の子なら、先程会われたと思います」
「……自分くらいの背丈の、青年でしょうか?」
「えぇ。名を、ナイト、と言います」
ビンタされても動じなかった騎士隊長の顔が、少しだけ歪んだ。
頭を切り替えて、騎士隊長はナイトの母に向き直る。
「『魔法使い』について、お聞かせ願えますか?」
「『魔法使い』とは、マギサのことでしょうか?」
「そういう名をしている、とご子息からお聞きしました」
「良い子ですよ、とっても」
ナイトの母から聞けた話は、他の家で聞いたものと大して変わりなかった。
礼を言ってその場を辞し、騎士隊は馬を止めてある厩舎へと向かう。
部下の一人が、若い騎士の横に並んだ。
「隊長、宜しいのですか?」
「何がだ?」
「隊長に平手を打つだなんて、身分というものを理解していないとしか!」
「あの女性は、『魔法使い』やあのナイトとかいう青年と親しくしていたのだろう」
「それとこれとは話が別です!」
若き騎士は立ち止まり、話しかけてきた部下を睨み付ける。
その鋭さに、部下は一瞬息を呑んだ。
「我ら騎士は国と民を守る為にある。守るべき民を騎士が傷つけてどうする。貴様の方こそ分を弁えろ」
「すっ、すみません」
視線を切って、若い騎士は歩き出す。睨み付けられた部下は、身を竦めながら後ろをついてきた。
我が事ながら溜め息も出ない、と胸の内でぼやく。
軽く注意するつもりが、明確な叱責になってしまった。これでは八つ当たりだ。
原因は分かっている。あのナイトという青年だ。
守るべき民を、結局のところ傷つけるしかなかったことに、苛立ちを抑えきれない。
厩舎から馬を受け取り、その背に跨る。
隊でも年嵩の部下が、馬を近づけてきた。
「しかし、事情聴取の結果がこれでは、どうなさいますかな?」
「どうもこうもない。そのままを伝える」
考えるまでもない答えに、年嵩の部下は眉を上げた。
自分がある意味、腹芸を得意とする連中に好かれていないのは知っている。
「いやですが、『魔法使い』に対する認識が改まりますな、これは」
「彼女が善人か悪人かは問題ではない」
からかうような年嵩の部下に、若き騎士隊長は真正面から言い切った。
最早そんな話ではないのだ。『魔法使い』という存在は。
「『魔法使い』に対する認識などただ一つ、『魔法』を操る存在だということだ。それは国難そのものだ。人格も所行も関係ない。それだけだ」
ぴしゃりと言い放たれ、年嵩の部下が口を噤む。
「本隊と合流する。俺に続け」
馬に鞭を入れ、走らせる。彼の後を追って、他の騎士達も馬に鞭を入れた。
『魔法使い』は、脅威そのものだ。あの青年は、それをしっかり理解していないのだろう。
次こそ、出来れば説得したい。
そう心に誓い、若き騎士隊長――リデル・ユースティティアは村を後にした。
※ ※ ※
見知らぬ森の中を、ナイトはマギサと二人で彷徨っていた。
あの後、逃げれるだけ逃げて、マギサと一緒に倒れこんだ。ナイトが目を覚ました時にはマギサはもう起きていて、体はすっかり元気になっていた。『魔法』は本当に何でも出来る。あれだけの痛みが消え去ったことに、少しだけ恐怖を感じた。
マギサは、なるべく『魔法』を使わないようにしているらしい。
これだけ道に迷っているのに、黙々と歩いていることからも、それは感じられた。
理由は分からないが、ナイトにはそれが少し嬉しかった。
それはいいとして、現在位置がさっぱり分からない。
普段入る森から離れている上に、出鱈目に逃げ回ったからもうさっぱりだ。
一応見知った茸やら木の実やらがあるから、食べ物は何とかなりそうなのが不幸中の幸いと言えた。
歩きづらそうなローブのマギサを補助しながら、黙々と進む。腐葉土の柔らかさや、飛び出る木の根のつまずきやすさはどこも変わらない。
無闇に歩き回るのもどうかと思うが、他にどうすればいいか見当もつかない。行く当てもなければ金もない。どうしたらいいかと考えても、ナイトの頭では何も思いつかなかった。
思わず吐いた溜め息が聞こえたのか、マギサが見上げてくる。
「どうして、助けたの?」
唐突な質問に、頭二つ分は下にあるマギサの顔を見下ろした。
マギサはじっと、真っ直ぐにナイトの目を見つめる。なんとなく気まずくなって、ナイトは視線を逸らした。
「んー、あー……うん」
上手く言葉にできなくて、口をもごもごと動かす。
面と向かって聞かれると、はっきりとした理由と言えるものがないのが恥ずかしい。
あの若い騎士隊長に一方的にやられていたときは、何も考えず反射でものを言っていた気がする。
ちらりと横目に見たマギサの目は、何も答えないことを許してくれそうにもなかった。
無い頭を捻って、なんとかナイトは言葉を搾り出す。
「嫌だったから、かな」
「何が?」
間髪入れぬマギサの問いに、またもナイトはうんうん唸って頭を捻る。
ようやく思いついたとばかりに笑って、
「マギサが連れて行かれるのが」
今度は、マギサが考え込むように俯いてしまった。
一体どうしたのかとうろたえるナイトを余所に、マギサは暫くそのまま動かずにいたかと思うと、いきなり顔を上げてナイトを見上げてきた。
「ナイトさん」
「あ、え、はい」
見下ろしたマギサの顔は、前よりどこか柔らかくなっているような気がした。
マギサは前方に広がる木々を見渡すようにして、
「これから、どこに行きましょうか」
「……どこに行こうかねぇ」
同じようにどこまでも広がる木々を見渡して、ナイトは途方に暮れたように呟いた。
行く当てもなければ金もない。
黒くて小さい『魔法使い』と、優しくしつこい『騎士』。二人の逃避行は、どうしようもない状態から始まった。
いつか終わる日が来るのかは、二人には知る由もないことだった。