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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
49/85

第四十七話 「四つ巴・6」

――シャレンとマギサが連行され、急ごしらえの報告書が上げられた、その夜。

 金を持っていることを見せびらかすような調度品に囲まれた部屋で、ヘクド・スパイトフルは唇を噛み締めていた。


 面倒なことになった。どうにかしないと。

 鷲鼻の貴族の頭を占めていたのは、その言葉だけだった。


 まさか、あの遺跡に侵入する奴が出てくるだなんて。


 ヘクドが頭を抱えて唸っているのは、何もコンフザオ貴族としての責任感や使命感からなどではない。

 全ては、己の地位と権力を守らんが為だ。


 スパイトフル家は家柄の古さだけが取り柄の、良くある没落貴族であった。

 特筆すべき才覚も資産もなく、貴族議会の末席に連なるだけの存在。発言権など無きに等しく、付和雷同で生き延びるしかないといった有様だった。

 風向きが変わったのは、ヘクドの父の代。王都の由緒ある貴族である、ミニストロ家が接触を図ってきてからだ。


 ヴィシオ、と名乗るミニストロ家の嫡子と関係を結び、供出される金銭や情報を用いてスパイトフル家は勢力を拡大した。

 ヘクドとヴィシオ、互いが当主となってからは更に関係が深まり、ミニストロ家の力を背景にスパイトフル家はコンフザオ最大の貴族となれた。

 その見返りとして、スパイトフル家はヴィシオに多大な便宜を図っていた。


 いや、この言い方は正確ではない。

 正しくは、ヘクドはヴィシオの配下となっていた。


 ヴィシオはスパイトフル家に対し、コンフザオに関する情報及び勢力拡大の経過報告を提出することを求めた。

 没落寸前の能無し貴族にそれを断ることはできず、知り得る限りの情報と報告を上げ続けた。

 結果、スパイトフル家は完全にヴィシオに肝を握られることとなった。


 裏切ろうものなら間違いなく切り捨てられ、出し抜くこともままならず、反撃を試みても空振りに終わるのは目に見えている。

 ヘクドに目立った才能はないが、愚かでもない。自分の代わりなどいくらでもいることを承知しているし、逆らった先の末路に思い至ってしまう。

 だからこそ、今までずっと大人しく言う事を聞き続けてきた。それほどヴィシオからもたらされる利益は大きく、我慢するだけの価値あるものだったのだ。


 ヘクドとて、今の立場が無償で維持できるとも思っていない。今後ともヴィシオの力は必要だし、ヴィシオとて必要だから自分に声をかけたのだろう。

 互いに益のある関係を築けているはずだ。そうであり続ける限り、自分の身は安泰である。

 それを崩しかねないのが、遺跡の侵入者の件だ。


 何故かは知らないが、ヴィシオは遺跡に執心している。

 自分の代になって最初に受けた注文は、コンフザオ近くの遺跡を全て監視しろ、というものだった。


 騎士団が管理しているから自分には手の出しようがない、というと、『組織』との渡りをつけてきた。

 あれよあれよと言う間にコンフザオ近隣の遺跡に組織の人員を派遣し、侵入しようとした者を排除する役目を押し付けられていた。

 反論も抵抗もする権利はヘクドにはない。黙ってヴィシオの言うとおり、騎士団とは別口で遺跡の管理をする羽目になった。


 勿論、こんなこと騎士団にバレたら間違いなくタダでは済まない。最悪、家の取り潰しまでありえる。

 細心の注意を払って、騎士団が巡回に出ると必ず組織の人間に知らせ、絶対にかち合わないように余裕を持って遺跡から離れさせていた。


 以前、その隙を突かれて賊が一匹、遺跡に侵入したことがある。

 騎士団による詰問の末、盗みが目的とわかりその場で斬首されたらしい。

 不味いとは思ったものの報告しないわけにもいかず、勢力拡大の報告と一緒に送ると、とんでもない叱責が返ってきた。


 その後、本当に盗み目的かどうか、騎士団が何か隠していないかわかるまで支援の殆どは見送られた。

 もし次同じようなことがあれば援助打ち切りではすまさない、と暗に示す内容の手紙まで送られ、暫く食事が喉を通らなかったことを思い出す。


 他の何で失敗しても、ヴィシオがこのように怒り狂ったことはない。その出来事はヘクドの脳内に嫌というほどしっかり刻まれ、以後騎士団の動きに合わせて柔軟に、しかし遺跡が全く見えなくなるほど離れることなく監視を続けさせてきた。


 上手くやれていたはずだった。

 年単位で時が経ち、油断していたところにこれだ。

 組織からの報告を受けたのは、巡回騎士団が急遽戻ってきたという話を聞いたすぐ後のことだった。


 ――監視に穴はなく、表から侵入したものではないと推測される。


 そう言ったのは、コンフザオに根を張る『組織』の中でも最大勢力を誇る『まとめ役』であるヴォラールという男。

 直接取引している相手でもあるこの男のことが、ヘクドは少し苦手だった。

 取引に異常に義理堅いところといい、貧民窟を住処とする悪党とは思い難い。金や女で覆らないものがあるという点では、騎士団と似ているとさえ思う。


 ただ、だからこそ信用が置けるところもある。

 ヴォラールからの報告はふざけているとしか思えなかったが、取引に関することで嘘を吐くはずもない。

 どういった経緯かは不明だが、その女二人組は入り口以外から遺跡に侵入し、騎士団に捕まったのだ。


 最悪の事態である。

 こんなこと、ヴィシオに報告できるはずもない。


 せめて侵入経路だけでも吐かせなければならないし、それよりもこれ以上騎士団の手元に置いておけない。

 今は何も話していないようだが、騎士団の尋問にいつまで持つか。もしも何かしら情報を持っていた場合、それは間違いなくヴィシオにとって不味い内容だろう。だからこそ、あそこまでして遺跡の管理をさせたのだ。


 なんとしてでも、今のうちに処理しなければ。

 最悪騎士団から引き取って、組織に始末させればそれでいい。

 背後関係なども洗いたいところだが、贅沢は言っていられない。


 騎士団から引き取ることすら、普通では不可能だ。沙汰も決まっていない罪人を、奴らが外に出すはずがない。

 八方塞がりの状況で、机の上に放り投げた報告書を睨む。

 何とかしなければ今までの全てが水泡に帰すというのに。全くもって、なんということをしてくれたのか。

 恨みを晴らすかのように報告書を読むと、ふとある一点に目が止まった。


 捕まった侵入者の内、年頃の女の方。その、容姿に関する項目。

 組織からの報告書は実に詳細に記されており、事務的にしか過ぎない騎士団の報告書とは性質が違う。


 記載されている通りなら、見目麗しく発育も良い。

 もしかしたら、あの好色領主ならば騎士団からの報告書でもその匂いを嗅ぎ取るやも。


 一縷の望みにかけ、頭の中で計画を練り上げる。

 明日の議会では、間違いなくこのことが議題に上る。ただ、進展がなければ沙汰を決めることもできず、その場は流れることになるだろう。


 遺跡の問題だ、領主が放っておけるはずもない。特にあの小心者なら尚更だ。

 少し好奇心を刺激してやれば、上手く動いてくれるかもしれぬ。もし一押しで動かないなら、強引にでも理由を作ってやればいいだけだ。


 想定を繰り返し、狙い通りの形を作り上げていく。

 あの凡愚が興味を示せば、騎士団も強気には出れまい。罪状が確定しているならともかく、現時点では十分に情状酌量の余地がある。

 情報が取れていない負い目も合わさって、多少なり引け腰になるはずだ。


 そこを狙って、適当な理由をでっちあげて引き取る。


 危うい線ではあるが、もうそこを渡らなければならない局面にきていた。

 ヘクドは無茶をするのが好きではない。それは、自身や財産を危険に晒す行為だからだ。

 しかし、長年かけて築き上げた地位と権力を秤にかけられては止むを得ない。

 折角の努力が全て消え去るのを許容できるほど、達観してなどいないのだ。


 引き取って情報が騎士団に漏れていないことを確認したら、絶対に殺す。

 そう心に誓い、鷲鼻の貴族は溜飲を下げる。

 後は事が上手く運ぶよう、神にでも祈るしかなかった。


 事態の全貌を把握している人間など、一人としていなかった――



  ※            ※              ※


 牢獄にて迎えた二度目の朝、マギサは看守役の騎士によって牢から出された。

 また取り調べかと思ったが、様子が違う。

 手枷を嵌められ、隣から同じように出されたシャレンを見て、猶予期間がなくなったことを悟った。


 細かいことは分からない。だが、もう悠長に引き伸ばせる時間は終わった。

 すぐにでも行動を起こさなければ、処罰される。下される刑罰がどんなものであれ、今以上に監視の目がきつくなるのは間違いない。

 まさかと思うが、死刑ということはないだろうか。『魔法使い』だとバレなくとも、それなら結果は同じだ。


 二人の騎士でマギサとシャレンを間に挟み、看守室の反対側へと通路を歩く。

 形振り構っていられない時が来たのかもしれない。隣を歩くシャレンの顔を盗み見れば、平然としたいつも通りの無表情だった。

 軽く混乱する。一体どういうつもりだろうか。


 このままでは不味いのは、シャレンだって分かっているはずだ。なのに、抵抗する素振りどころか焦る様子さえ見受けられない。

 いや、考えてみれば今までシャレンが焦った所など見たこともないのだが、こんな絶体絶命の状況でも平静であり続けられるものだろうか。

 もしかして、もう既に諦めてしまっているのではないか。


 自分の想像に、背筋を冷たいものが駆け上る。

 このまま大人しく沙汰を受け入れるつもりなのだろうか。確かに、下される罰次第ではそれが一番いいのかもしれない。

 ただ、あれほど執拗な尋問をしてきたのには理由があるはずだ。こちらの言い分を彼らが信用してくれたとは、とても思えない。


 もしかしたら、何が何でも吐かせようとするかもしれない。そうなればお終いだ。吐いたが最後、魔法使いであることが露見し、死罪が確定する。

 そうなれば、シャレンは助かるかもしれない。魔道具は没収されるかもしれないが、命まではとられることはないだろう。ここの騎士団が、あの若い騎士のような考えなら、だが。

 シャレンは、それを狙っているのではないか。


 魔法使いである自分に協力させられたとでも言えば、罪はぐっと軽くなるだろう。取引だのなんだのといったのは全て嘘で、冷静に自分が助かる為に動いていたとすれば。

 元々、こちらの命を狙ってきたのだ。自分の手を汚さずに始末をつけられる、とでも考えていたとして、おかしなことは何もない。


 首を振って、嫌な想像を追い払う。

 馬鹿なことを考えるな。第一、それならシャレンだけとっくに逃げているはずだ。


 遺跡の中では魔法使いの力が必要だったとして、それなら騎士団に捕まった段階でとっとと自分を売っていればいいだけの話だ。

 捕まってからだって、シャレン一人なら逃げる機会はいくらでもあったはず。それをしなかったのは、ひとえに自分が居たからで、約束を守ってくれている何よりの証だろう。


 胸の内で自分の愚かさを噛み締める。

 ナイトだったらきっと、シャレンさんは嘘を言ってないと思うよ、なんて困ったように笑うのだろう。

 表情までありありと想像できて、胸の奥が締め付けられるような圧迫感を覚えた。


 ナイトは無事だろうか。遺跡の中に閉じ込められていたりしないだろうか。

 早く助けないといけないのに、処罰なんて受けていたら間に合わなくなるかもしれない。

 そこまで考えて、思い付くものがあった。


 もう、自分から全て白状したらどうだろうか。


 シャレンは無理矢理付き合わせた事にすれば、刑は免れるか、それでなくとも軽いもので済むだろう。

 ナイトも同じように自分の犠牲者ということにすれば、騎士団が助けに行ってくれるかもしれない。もしくは、いっそ騎士団と交渉するか。

 ナイトを助けてくれるなら大人しく殺されると。信じられないなら両手を切り落としてくれたっていいと。


 そうすれば、何もかもが上手く行く気がした。

 ナイトはきっと悲しむだろうけど、それで全て元通りになる。

 ただ殺されるより、ずっと意味があることのように思えた。


「大丈夫」


 突然降ってきた声に顔を上げれば、シャレンが視線だけで見下ろしてきていた。

 耽っていた物思いから一気に現実に引き戻され、発言の意図が掴めず黙って見つめることしかできない。

 シャレンはマギサから視線を外し、前を向いて小さく囁く。


「取引は守る」


 隣のマギサにさえ微かにしか届かなかった声は、だがしかし全く見合わない力強さがあるように感じられた。

 一瞬足が止まってしまい、マギサは後ろの騎士に声をかけられて慌てて元の位置に戻る。


 心の内を見透かされたようで、顔が熱くなる。

 ナイトといいシャレンといい、普段は他人の事なんて全く分かりませんという顔をしておいて、どうしてこうなのだろうか。

 多分、不安がっているのを悟られたのだろう。約束を破られても困ると思って、あえて口にしたに違いない。


 相変わらずシャレンの行動原理も何も不明のままだが、少なくとも今は信じることにする。取引を違えない、とはシャレン自身の言葉だ。

 その言葉の通り、遺跡の中からずっと、シャレンは守り続けてくれていた。

 疑うより先にするべきことがある。深呼吸して、マギサは心を鎮めた。


 魔法を使いこなすのは、凪のような精神。揺らぐことのない、無にも等しい心こそが望み通りの現実を描き出す。

 いざという時に何もできない苦しみを、一体何度味わっただろうか。せめて魔法だけは使える状態にしておかなければ、休んだ意味もない。

 軽く目を閉じて、意識を集中する。目を開ければ、いつも通りの自分がそこにいた。


 前を歩く騎士が扉を開ける。

 一日ぶりの陽光の眩しさに目を細め、先導されるままに外に出る。


 そこは、かなりの面積を誇る広場だった。

 一部区画では囚人と思しき足枷をつけた人々が等間隔に並んで、石を削って磨いている。おそらくは建材や石畳に使う代物だろう。

 強制労働が刑罰になっているのは知っていたが、こうして見ると曰く言い難い。

 皆一様に並んで仕事をする様は恐ろしくもあり、何かの修行のようでもあり。少なくとも、余り近寄りたい類のものではなかった。


 それとなく視線を動かせば、周囲は高い外壁で囲まれているのが分かる。決して外に逃がさないという構えが見て取れ、アバリシアの防壁を思い出した。

 外壁の一部がバルコニーのように突出しており、どうやらその下に連れて行かれるようだ。ナイト三人分くらいの高さで、間違っても飛び乗れないようになっている。


 一応知識としては知っている。ああいう所から、偉い人が出てくるのだ。

 ここまできたら、もうどうしようもない。シャレンを信じて、黙秘を貫くのみだ。

 バルコニーの斜め下あたりに来たところで、前後を挟む騎士に止まるよう指示された。


 その場で棒立ちのまま待つこと暫し。日向ぼっこには少し短い時間が過ぎた頃、バルコニーの奥からラッパを持った騎士が現れた。

 出入り口を塞がないよう横に避けると、一呼吸置いてラッパを吹く。

 音が鳴ると同時に前後の騎士が跪き、マギサとシャレンもそれに習って片膝をつく。


 足音がゆっくり近づいて、頭の上に誰かが来る気配がする。

 バルコニーの奥から現れたであろう足音が止まると、腹の底に響く低い声が聞こえた。


「全員、顔を上げよ」


 声に従って顔を上げれば、二人の男がマギサ達を見下ろしていた。

 一人は武人然とした、まさに騎士といった風情の厳しい男。もう一人は小太りで卑屈な面構えをした、隣の騎士よりずっと年上の男だった。


 騎士を脇に従えた小太りの男は、実に好色そうな目つきで嘗め回すようにシャレンを見つめている。

 その視線に気づかないわけでもあるまいに、黒衣の美女は全く気にした風もなかった。


 苦々しい顔をした騎士が咳払いをし、小太りの男に後ろに下がるよう促す。

 男は興が削がれた顔をしながらも、精一杯の威厳を示すように胸を張って一歩引いた。

 その際、男は騎士に何かを耳打ちする。益々渋面になった騎士が、広場を見下ろした。


「許す、立て」


 胃の腑に響く低音は、逆らう気力すら奪っていきかねない力を秘めていた。

 騎士達が立ち上がったのに合わせて、マギサとシャレンも膝を起こす。


 マギサは気づいていなかったが、シャレンは立ち上がる際にわざと脇を締めた。胸が強調されるような形になり、小太りの男――コンフザオ領主パラヴォイ・アクトが思わず身を乗り出す。

 深いスリットの隙間から見える足は遠目にも艶かしく、近くで見ればどれほどだろうと想像を滾らせる。


 そうして鼻の下を伸ばす領主を、武人然とした騎士――コンフザオ駐留騎士団総隊長トロイ・エーアリヒは憮然とした表情で横目に見ていた。

 溜息を噛み殺し、トロイは眼前の罪人に目を向ける。


「私はコンフザオ駐留騎士団総隊長トロイ・エーアリヒ。お前達に直接話を聞きにきた。この場での虚偽は全て罪を重ねる行為となる。よく理解して質問に答えよ」

「分かりました」


 迷いのないシャレンの答えに、トロイが眉を顰める。

 報告にある限りでは、主に問答するのはこの女だけだという。もう一方の少女は、そもそもが話にならないとか。

 見れば、確かに黙ったまま口を開こうとはしない。気丈に見えるが、肩や足が微かに震えている。この事態に怯えているのだろう。


 しかし、女の方は全くそういう素振りが見受けられない。

 余りにも平然としすぎている。見た目は姉妹かと疑う程に似ているのに、反応はまるで違っていた。


 妹を守る為に気丈な姉を演じているのだろうか。

 そう思ってじっと見据えれば、一つも揺らがない瞳で見返された。


 冷たい感触が背筋を這う。女の目には、色も熱も何も感じられなかった。全く透明な、何も映していない瞳。相手を人だとさえ思っていないような。

 領主に付き合わされる形ではあったが、実際目にしていて良かった。

 只者ではない。あれは、幾度もの修羅場を潜ってきた人間にしかできない目だ。

 妹を守る為かどうかはさておき、気丈な姉を演じているわけではなさそうだ。


 無駄だと分かりつつ、トロイは尋問を始めた。

 自分の直感が正しければ、何かを知っていたとしてこの程度で吐きはすまい。

 それでも領主を連れてきた手前、何もせずに帰ることはできなかった。


 トロイの予想通り、何一つ進展のないまま尋問は終わった。



  ※            ※             ※


「何を考えておられるのですか!」


 トロイが尋問を行った日の夕方、議会が終わった後の領主の執務室にて、総隊長の怒鳴り声が響いた。

 パラヴォイは怯えて肩を竦ませるも、目の光は決して負けてはいなかった。

 それでもやはり、正面切ってはっきりものは言えなかったが。


「い、いや、だって、まだ罪状だってはっきりしとらんのだろう?」

「あの二人が遺跡に侵入したことは事実! それを無罪放免とは考えられません!」

「し、しかし、偶然迷い込んだだけと本人達は言っておるぞ?」

「軽々しい判断など愚の骨頂! どう考えても、おかしい点が多すぎます!」

「だ、だがなぁ……」


 しぶとく食い下がる上司に、トロイは胸の内で気炎を吐いた。

 こうなる予感はしていたのだ。報告書を読んだときから、もしやと思った最悪の想像が当たってしまった。


 この好色男は女に目がないことを除けば悪くない領主なのだが、今回ばかりは許すわけにはいかない。

 遺跡への侵入に加えて、あの目。看板を無視して迷い込んだというとんでもない言い分。どれをとっても、見過ごしていいものではない。


 しかし、それをこの上司にどう説明したものか悩ましい。普通に言っても気のせいだのなんだのと言い返してくるだろうし、納得させるには決定的なものが足りていない。

 まして、あの女の容姿は確かに目を見張るものがあった。傍目に見ただけで虜になったのか、このしつこさは数年ぶりと言える。


 だから見せたくなかったというのに。一体誰がパラヴォイを唆したのか。

 いや、実際にはもう分かっている。答えは一つしかない、ヘクド・スパイトフルだ。


 何のつもりかは知らないが、好奇心を煽るような事を吹き込んだのだろう。全く以って害悪としか言いようがない。

 何故あのような男が権力を持っているのか、トロイには不思議でならなかった。

 ともかく、どうにかパラヴォイを納得させなければ。この調子で他の執務にまで影響をきたされては堪ったものではない。


「なりません。遺跡への侵入はそれだけで重罪。情状酌量の余地を与えるかどうかという話に、無罪という選択肢はありませぬ」

「か、過剰な罰は民の信頼を損ねることになる、とはお前の言い分だろう? 物を知らぬ姉妹が迷い込んだだけだ、二日も牢に入れば十分であろう?」


 奥歯を噛み締めるトロイに、パラヴォイはそれでも立ち向かう。

 普段ならばとっくに諦めてトロイの言いなりになっているところだが、今回は違う。


 あのシャレンとかいう娘。あれほどの上玉は、今まで女漁りが趣味だった自分でもそうお目にかかったことがない。

 何か分かりやすい罪を犯していれば諦めるしかなかったが、今ならまだやりようはある。

 今日の議会にもパラヴォイは二人の事を議題として出し、このまま放免してもいいのではないかと提案した。トロイが怒り狂っているのは、それも原因だ。


 そして、その案にヘクドが賛成した事も一役買っている。

 そもそも、議会の面々も遺跡関連など面倒な問題は早めに流したいのだ。大した事をしていないならそれでいいんじゃないか、という議員も少なくない。


 長く続く平和は、人々の心を寛大にする。

 トロイを始めとした騎士団側の議員が徹底的に反対した為、結論は先送りにされたものの、このまま行けば数日の投獄で罰を果たした事になるだろう。

 パラヴォイにとっては理想的だが、トロイにとってはそうではない。よって、こうして執務室にきてまで抗議しているのだ。


「よくお考え下さい。遺跡の問題は国全体の問題。悪しき前例を作ってはなりません」

「ぐ、偶然迷い込む者はこれが始めてではあるまい? 陛下は寛大な処置をなされた、と聞き及んでおる」


 一体何十年前の話をしているのか。トロイは内心の文句を噛み殺し、どう説得したものかと考えを巡らせる。

 確かに、偶然迷い込んだ者が居た事も、寛大な判決が下された事もある。だがそれは、遺跡の管理体制が出来上がる何十年も前の話だ。


 ここ十年で、遺跡に関する犯罪はおよそ十件。

 全て重罰が科せられ、中には死罪を言い渡された者もいる。

 そんな中、一方的に相手の言い分を鵜呑みにし、軽い罰で済ませるなどできるはずもない。


 秩序と治安は、厳正な法運用により保たれる。

 安易な判断に身を委ねてしまえば社会の根本が揺らぐ。

 例え困難な道だろうと、しっかりした調査と情報の上で決断しなければならないのだ。


 この領主にはその事を口酸っぱく言ってきたにも拘らず、女が絡むとすぐにこれである。

 賢しい知識は、ヘクドにでも聞いたのか。

 我知らずトロイは睨みつけ、怯えたパラヴォイは机の下に隠れるように身を縮こまらせていた。


 ノックの音に反応したのは、トロイが先だった。

 遅れてパラヴォイも反応し、扉を見やる。

 顔色を窺うようにトロイを見、頷かれたのを確認して領主は声を出した。


「誰だ?」

「ヘクド・スパイトフルに御座います」


 分かりやすくトロイの顔が苦みを増し、パラヴォイはほっとしたように頬を緩めた。


「良い、入れ」

「失礼致します」


 恭しく入ってきた鷲鼻の貴族はトロイを見つけると実にわざとらしく驚いた素振りをし、救われたような顔をしたパラヴォイの前に進み出る。

 こういった芝居がかったところも、トロイが苦手とするところだった。


「閣下、少しばかりお話が」

「う、うむ……」


 ちらちらとトロイを窺う領主に、ヘクドは小さく口元を歪める。

 じっとりとした視線でトロイを見上げ、何でもないように口を開く。


「総隊長殿も同席されますか?」

「……貴殿が構わないのであれば」

「えぇ、構いませんよ。むしろ、都合が良いくらいです」


 渋面の騎士が片眉を上げ、対立しているはずの貴族を見下ろす。

 自分に聞かれて都合が良い話とは一体何だろうか。パラヴォイとの悪巧みなど、一つとして知られたくないものだとばかり思っていたが。

 片方の口の端を上げた独特の笑みで、ヘクドは領主に向き直る。


「実は、あの遺跡に侵入した二人組なのですが。私の遠縁の親戚であったことが判明致しまして。宜しければ、私の屋敷で引き取らせて頂きたいとお願いにあがった次第に御座います」


 余りにも余りな言い分に、トロイは開いた口が塞がらなかった。

 とんでもない嘘だ。そんなこと、あるはずがない。第一、今まで分からなかった遠縁の親戚が一日そこらで判明するものか。


「馬鹿を言うな! 自分が何を言っているのか分かっているのか!?」

「おや? これは異な事を。まさか、私めが嘘をついているとでも?」


 それ以外に何がある。

 喉元まででかかったそれを、トロイは何とか飲み込んだ。

 糾弾するのは容易いが、それでは相手の思う壺だ。何とか冷静に対処しようとして、一度息を吐く。


「随分急ではありませんか」

「えぇ、私も驚きまして。いや、どこかで聞いた名だとは思ったのですよ」


 こいつ、シラを切りとおすつもりか。

 内心歯噛みするトロイを嘲笑うように、ヘクドはふざけた笑みを崩さなかった。


「私が知らなかったのですから、彼女達が知らぬのも無理はありません。幸い、閣下も沙汰をお決めになられた様子。こちらで引き取るという形なら、議会の皆様にもご納得頂けますでしょう」

「まだ沙汰は決まっていない! 遺跡に侵入した重罪人だぞ!?」


 話を進めようとする鷲鼻の貴族に、総隊長が憤慨する。

 何のつもりかは知らないが、どうせまた媚を売ろうという腹だろう。

 好色領主が直接懐に入れたのでは、外聞も悪い。一旦自分の所で預かり、ほとぼりが冷めた頃に献上しようというところか。


 自分が領主に気に入られんが為に治安を乱すなど、貴族としてあるまじき行為だ。

 噛み付くトロイをねめつけ、ヘクドがこれ見よがしに嘆息する。


「ではお聞きしますが。未だその重罪人の沙汰が決まらぬのはどういうわけでしょう?」

「それは、まだ十分な情報がないからであって」

「その十分な情報とやらは、いつ手に入るので?」

「……彼女らが口を割り次第」

「その彼女達が、ただ迷い込んだだけと証言しておりますが」

「我々にそれを信じろと?」

「彼女達が嘘を吐いているという証拠でも?」


 痛い所を突かれ、トロイが押し黙る。

 そう、証拠が何もないのだ。荷物も漁ったが、遺跡から盗み出したと思しきものが一つもない。精々怪しげな杖やローブくらいだ。


 彼女達の証言以外で確たるものといえば、遺跡内部で捕まったことだけ。どんなに怪しいとしても、彼女らの言い分を嘘と断定はできない。

 だからこそ繰り返し尋問したのだが、結果はなしのつぶて。付き合いとはいえトロイ自らが出向いても、同じだった。


 今の所、彼女達をきつく罪に問う理由を、騎士団は持たない。

 精々が遺跡に侵入したことを盾に、安易な結論を跳ね除けるくらいだ。


「公正公平を謳う総隊長殿が、まさか憶測を理由に罰しはしませんよねぇ? そも、貴方に問い詰められて嘘を吐き通せる娘がどこにいましょうか。遺跡侵入は重罪とはいえ、情状酌量の余地は十分にあることと存じます」


 反論する言葉を持たず、騎士団総隊長は口を噤んだ。

 この場の主導権を握っているのは、間違いなく鷲鼻の貴族であった。


「閣下。どうか、私が引き取ることをお許し頂けますでしょうか?」

「あ、あぁ……うむ」


 横目にトロイを見ながら、パラヴォイが頷く。

 上司の頭の中を見透かしているように、ヘクドが一言付け加えた。


「なに、牢から私の屋敷に移るだけです。正式な決定には従いますとも。彼女達にも、沙汰が決まるまでは屋敷から出ないよう言い含めておきますので」

「そ、そうか。それならば良かろう。トロイ総隊長も、それで良いな?」

「……はっ」


 水飲み鳥のように頷く領主に頭を下げ、トロイは了承の意を示す。

 とはいえ、それは止むを得ない判断の結果に過ぎなかった。


 ここで納得しなければ、事態は更に悪い方向に転がりかねない。政敵に隙を見せるのは、後々にまで影響を及ぼす最悪の一手だ。

 すぐさま手配すると言って退室するヘクドに追随し、トロイも執務室を後にする。


 こうなれば、腹を括るしかない。議会の場で、何としても彼女達をこちらの手元に戻すよう訴えなければ。

 あの女の目は、放っておいてはいけない類の代物だ。

 何をしに遺跡に入ったのか、聞きださなければ。


 朝に会った二人組の顔を思い出しながら、トロイは自らの仕事場である騎士団の宿舎へと戻っていった。



 妹と思しき少女の顔に、どこかで見覚えがあるような引っ掛かりを感じながら――

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