第四十六話 「四つ巴・5」
――コンフザオ。大陸北西部、王都から見ても北西に存在する都市である。
『小さな王都』の異名を取るこの都市は、その名の通り大陸でも有数の規模を誇る大都市だ。
同じ規模と言える都市は他に三つ。それぞれ同じ異名を持ち、都市としての機能も似通っている。
即ち、王都へと繋がる交通の要衝。直通の街道が引かれているのは、大陸でもこの四都市だけである。
物資・人材・技術の全ては王都から四都市へ、四都市から王都へと流通する。各地の発展の基盤であり、街道は全てこの四都市のどれかへ通じるように作られている。
四都市は王都を中心に大陸を四分割するように配置され、北西部・南西部・南東部・北東部と区分けされる。
この内、北西部を担当するのがコンフザオ、というわけだ。
大陸北西部の、位置的にも役割的にも中心地。住民の数は五千から万近くと言われ、治安維持の為に騎士団も駐留している。
そう、騎士団である。
『小さな王都』の名は伊達ではない。
良い面ばかりに目が行きがちになるが、当然のように悪い面もまた王都に比する。
人が増えれば治安が悪化する。それは、どうしようもない現象だ。
人ごみに紛れてスリをする輩もいれば、開いた露店から盗みを働く者もいる。それだけなら当人を捕まえればいい話だが、起こる犯罪はそれだけではない。
人が増えれば、諍いも増える。恨み辛みが溜まれば、悪意が花開く。
そこに商売の機運を見る者も、当然いるのだ。
大きな都市には当たり前のように仕事があり、それを頼みにやってくる者も多い。事情はそれぞれだが、全員が全員、満足な仕事にありつけるわけではない。
そういった連中が、渦巻く悪意を金儲けに変えようとするのは自然の成り行きだった。
つまり、『組織』である。
『小さな王都』の名は伊達ではない。
王都と同じくコンフザオにも貧民窟があり、『組織』が暗躍しているのだ。
放っておけば秩序は乱れ、無法地帯に成り下がる。それを防ぎ、人々を守る為、四都市にはそれぞれ常駐騎士団が存在していた。
勿論、彼らの役目は都市内の治安維持だけではない。区分けされた担当内での魔物の討伐、各地の巡回、『遺跡』を含めた重要施設の警護と、その活動は多岐に渡る。
いつの世も精鋭部隊が頭を抱えるのは、人材と人員の不足だ。
騎士団とてそれは変わらず、隊長格ともなれば休む暇もない。過労死間違いなしの状況で、都市内外の治安を何とか維持しているのが現状だ。
『組織』の付け込む隙を全くなくすことは、不可能に近かった。
人が集まれば、格差が生まれる。富める者、人気者、美しい者がいれば、貧しい者、厄介者、醜い者が存在する。
光の下には闇が現れる。いつの世も変わらない、どうしようもない理。
都市が発展すればするほど、貧民窟も広がっていく。
止めようとした者はいくらでもいた。しかし、それが叶ったという話はとんと聞かない。
王都と変わらぬ悩みを、コンフザオを含めた四都市もまた抱いていた。
それでも治安が維持されているのは、騎士団の活躍と言わざるを得ない。
よって、常駐騎士団は各都市の領主にさえ口を出せる程の権限を与えられていた。
コンフザオは、特にそれが顕著に現れている都市である。
コンフザオ領主パラヴォイ・アクトは、善良とは言い難い人物だ。
かといって、悪辣とも言い切れない。簡単に言えば、良くも悪くもない普通の男だ。
能力も特に秀でたものはなく、何もできないほど愚かでもない。平々凡々な、『小さな王都』を治める器とはとても言えない人間である。
彼がコンフザオ領主なのは当然血筋のおかげであるが、一応理由と呼べるものもないわけではない。
パラヴォイは実に臆病な性格であり、小物というに相応しい人格をしている。それが故に、真面目で慎重、下手な過信もしないし妙な野心も持たない。一言で言うと、分を弁えている。
平凡であることを自覚しており、部下の言に耳を傾ける事も多い。特に、コンフザオ常駐騎士団総隊長トロイ・エーアリヒの忠言を無視したことは一度もない。
単に恐ろしくて反論できないだけ、という見方もあるが。
身長も低く、体型も体格もとても良いとは言えないパラヴォイにとって、まさに武人然としたトロイは見るも恐ろしい怪物と変わらないのだろう。
トロイが目を光らせているおかげで、コンフザオは比較的穏やかな都市として名を馳せていた。
騎士団の権限が弱ければどうなっていたか、というのは住民の誰もが目を背けたい話の一つだ。
しかし、そんなパラヴォイにも問題がないわけではない。
それは、己の容姿にコンプレックスを持っているが故に、好色であるという事だった。
見目麗しい女を侍らせる事が趣味であり、これだけはトロイが何度忠言しようとも完全に治まることはなかった。
現在、パラヴォイが囲っている女性は十人とも、それ以上とも言われている。それでも、トロイとの数度に渡る折衝の上になんとか収まった数字だ。
人には一つや二つ、悪い癖はあるものだ。そうパラヴォイは抗弁するが、トロイとて何も考えなしに駄目だと言っているわけではない。
まず、そもそもがパラヴォイの基準は外見の美しさだけであり、素性も何も構わずに囲おうとする。領主としてはあるまじき事だ。
どこに『組織』の間諜や暗殺者が潜んでいるかも分からない。遊びというには危険に過ぎ、領主自身の身ばかりか都市そのものを危機に晒しかねない。
更に、跡継ぎの問題だ。
子供が増える事はそのままお家騒動に直結し、平穏だった都市に動乱を呼びかねない。領主がどんなつもりだろうが、子供が出来れば同じ事だ。
トロイは口を酸っぱくして言うが、パラヴォイもそれだけは頑として譲らなかった。
臆病な小物のパラヴォイが、どうしてここまで抵抗できるのか。
それは、彼の側近の一人であるヘクド・スパイトフルという貴族が関わっていた。
悪知恵が働くこの男は、美女を見つけてはパラヴォイに献上するという真似を繰り返していた。
それどころか、トロイに抵抗する為の入れ知恵もしていたのだ。
再三トロイも忠告したが、ヘクドはどこ吹く風でパラヴォイの欲望を煽り、唆す。
行為自体を見れば問題があるが犯罪とまでは言えず、コンフザオの議会で強い権力を握っていることからも、ヘクドを糾弾することが出来ずにいる。
ある意味においてコンフザオ最大の問題は、トロイとヘクドの対立と言えるだろう。
そんなことはコンフザオに住んでいれば子供でも知っている、公然の秘密だ。
領主であるはずのパラヴォイは、この二人の間で揺らぐ振り子のようだと住民達の間で囁かれていた。
大陸北西部の中心地、コンフザオ。
危ういバランスで成り立つ『小さな王都』は、それでも平和を謳歌していた――
※ ※ ※
騎士団に連行された先は、コンフザオの獄舎だった。
シャレンとマギサは衣服以外の全てを取り上げられ、別々の牢屋に入れられた。
幸いにしてまだ容疑の段階であった為、扱いはそこまで悪くない。手枷もコンフザオに着いた段階で外され、身体検査も殆どされなかった。
しかし、嫌疑をかけられているのは事実である。牢屋にて一晩を過ごした後、何度か別々に取調べを受けた。
コンフザオの獄舎は広く、牢屋の数も二十はゆうに超える。尋問室や看守室などもあり、罪人を閉じ込める場所として必要な機能は全て持っていると言っていい。
徹底した管理が行われている為、衛生面は以前マギサが入ったアバリシアの地下牢とは比べ物にならない。勿論、脱獄の難易度もそれに比例していた。
構造上、看守室を通らずに牢屋のある区画に出ることは不可能である。逆もまた然りで、看守の目を盗んで牢と外を行き来することは出来ない。
看守室には常に二~三人の騎士が詰めており、監視の目を光らせている。かつて脱獄を試みた無謀な囚人がいなかったわけではないが、その悉くが失敗に終わっていた。
コンフザオの獄舎から出る最良の手段は、罪を素直に告白すること。口を閉ざすほどに沙汰が決まらず、刑期が延びるだけだと噂される程であった。
実際、大都市の運営は想像以上に忙しい。瑣末な犯罪に割く時間などほぼなく、騎士団総隊長であるトロイの意向もあって憶測で罪状を決めることもできず、十分な情報が得られるまで議題にさえ上らないことが殆どだ。
だが、重大犯罪となってくるとそうも言っていられない。こと『遺跡』が絡んでいるとなれば、国規模での話である。取るに足らないものであっても、議題に上らせないわけにはいかない。
それが故に、シャレンとマギサへの取調べは執拗なものがあった。
騎士達とて、出来る限り十分な報告を上げなければならない。公平で正当な裁きには、必要不可欠なものだ。
だからといって、マギサのような少女相手に脅しじみた真似をするわけにもいかず、調査は遅々として進まなかった。
マギサは約束通り何も知らない、見ていないの一点張りで、詳細はシャレンに聞くようにと突っぱねる。
シャレンはシャレンで『遺跡』で巡回の騎士達にしたのと同じ説明を繰り返し、それ以外の質問には黙秘を決め込んだ。尋問役の騎士が強気に出ようとも、どこ吹く風である。
要領を得ず、さりとて鵜呑みにするわけにもいかず、これといった打開策も思いつかないまま一日が過ぎていく。
現時点の情報だけ集めて報告するしか、騎士達に手段はなかった。
苦しいのは、何も彼らだけではない。マギサもまた、追い詰められていた。
厳めしい騎士と対面して嘘を吐き通すのは、マギサにとって楽な所業ではなかった。シャレンはどうか知らないが、自分は黙るのは得意でも嘘を吐くのは苦手なのだ。
偽りを見抜くような目を前にして平静を装うのは、それだけで酷く疲れる。
加えて、相手は騎士だ。故郷を焼き滅ぼした仇。実際に尋問した騎士本人が襲撃に参加していたかどうかはともかく、あの夜を思い出して身が強張るのは抑えられない。
恨みはないか、と聞かれれば、ない、とは答えられない。
鼓膜の奥に染み付いて取れない馬の嘶きと炎が爆ぜる音。網膜に焼きついた剣閃の軌跡と倒れ伏す見知った人々。何もかもが焼け焦げる臭いに混ざる、むせ返るような血生臭さ。抱き上げられた手の感触と舞う砂埃が口に入ってざらつく苦味。
今もなお鮮明に思い出せる。夜になると記憶が足元から忍び寄って、忘れないように夢の中で何度も再現してくる。
里から逃げてナイトに出会うまで、一睡もできない夜もあった。
騎士の姿を見る度に、悲しさと苦しさが押し寄せてくる。
遠くなっていたはずの過去を引き寄せて、息を詰まらせて心を乱してくる。
辛うじて自分を保てているのは、シャレンがいればこそだった。
何かあればシャレンに迷惑がかかる。それに、彼女は取引を違えないと言った。
何も言わなければ、シャレンが守ってくれる。それはマギサに心の平穏をもたらし、密室に一人で騎士を前にして恐慌状態に陥らない力をくれた。
人生二度目となる牢屋の中で、土壁にもたれかかりマギサは溜息を吐く。
投獄されてから丸一日。数度の尋問を潜り抜けはしたものの、先の展望は見えない。
隣の牢にはシャレンがいるはずだが、音もろくに聞こえないし様子を窺えもしない。せめて正面なら姿が見えるから少しはマシだったものを。
多分、それも計算されているのだろうけれど。
ぽっかりとした空白の時間ができると、ナイトのことが頭に浮かんでは消えていく。
無事だろうか。まだ遺跡の中に閉じ込められているのだろうか。
荷物はナイトが背負っていたから餓死はないと思うが、安心できるのはそれだけだ。
早く助けに行きたいのに、どうすることもできない。強引に牢を抜け出ても、待っているのは大量の追っ手とシャレンの身の危険だけ。
どうすればいいんだろう。どうしたらいいんだろう。
シャレンは守ると言ってくれたが、一体この状況からどうするつもりなのだろう。脱獄の機会でも窺っているのだろうか。彼女なら、いつでも平気で脱獄くらいできそうなものだが。
腹積もりが読みきれず、不安が霧のように胸の内に広がる。
いざという時なんてこないほうがいい。でも、もしもの時は魔法を使うことも考えなければならないかもしれない。
牢とはいえ、ベッドもある。皮肉ながらも外よりよっぽど安全なこの場所は、ゆっくり休むには十分だった。
完全とはいかないが、魔力は十分回復した。それはきっと、シャレンも同じことだろう。
もしかしたら、彼女の狙いはこれだったのかもしれない。
安全な場所での十分な休養。だとしたら、抜け出すのは今日か明日か。
とにかく、何が起きてもいいように休めるときは休むべきだ。
壁に背を預けたまま、マギサは目を閉じる。
ベッドに寝転んだ方が休めるが、夜になるまではいつ尋問されるかわからない。眠りに落ちることができないなら、すぐに反応できるこちらの方がいいだろう。
瞼の裏に、里の様子が映し出される。
あの夜からまだ半年経つか経たないかくらいなのに、随分昔の事のように思える。
そうして決まって、最後に出てくるのは困ったように笑うナイトの顔なのだ。
我が事ながら呆れ返ってしまう。どうしてそこでナイトが出てくるのか。
けれど、ナイトが出てくると、不思議と心が安らいでいく。
直前までの悲惨な光景にどれほど胸が締め付けられようと、ふっと楽になるのだ。
早くここから出たい。ナイトに会って、無茶をしたことを問い詰めてやりたい。
きっと、彼は眉を下げて苦笑しながら、ごめん、と謝ってくれるから。
その声が聞きたくて、マギサは胸の前でぎゅっと手を握り締めた。
ナイトが追いかけてきていることを、まだこの街にいる誰もが知る由もなかった。
※ ※ ※
コンフザオで最も大きく、権威ある建物である領主の館。
政の一切を決定する議会場が併設され、都市の心臓とも言うべき場所。
都市の中心に鎮座する館の主である当代領主パラヴォイ・アクトは、自身の執務室で一枚の書類と睨めっこをしていた。
先日遺跡に侵入していたという、女の二人組に関する報告書。小心者が故に几帳面なパラヴォイは重要書類を何度も読むクチではあるが、書いてある内容は大したものでなく、一度目を通せば理解できてしまう程度のものである。
にも拘らず、パラヴォイはやけに熱心に読み耽っていた。
目を落としているのはやはりというか、容姿に関する記述である。事務的な事しか書かれていないが、好色領主の想像上ではかなり上物の姿が描かれていた。
老境に入ってもおかしくない年齢でありながら、実にお盛んなことである。この調子で罪を不問にしないか、と心配した巡回役の騎士の気持ちも分からいではない。
しかし、所詮は想像。しかも、遺跡への侵入は重罪。
勿論情状酌量の余地はあるとはいえ、それを決めるには情報が足りなさ過ぎる。
議会の議題としても取り上げられたが、結局は情報不足で沙汰を決めるまでには至らなかった。
そんな状況で、パラヴォイが想像だけを頼りに動けるはずもない。一応領主として早急に対処しなければならない事案である為、執務室まで書類を持ち込んだはいいものの、上手い考えなど一つも出てこない。
気がつけば、容姿に関する項目に目をやって想像を楽しんでしまっていた。
曲りなりにも領主である以上、やる仕事はいくらでもある。だが、遺跡に関する問題を置いてまでやらねばならない仕事というのも、そうはない。
だからこそこうして悩んでいるわけだが、それでいい思い付きが出てくるなら、パラヴォイはもっと自由に生きられたはずなのだ。
どうしてこう、面倒くさい問題が出てきてしまうのか。溜め息一つ、パラヴォイは下らない想像と一緒に書類を放り投げた。
執務室の扉がノックされる。
反射的に肩を震わせ、領主にあるまじき怯えを含んだ目で音のした扉を見る。
まさか、トロイのやつか。
遺跡の侵入者をどうするか、せっつきに来たのではあるまいな。
もし、何も考えてないなどと言おうものなら、間違いなく説教をくらってしまう。居留守を決め込もうかと考え、バレたらただでは済まないと思い直し、唾を飲み込んで言った。
「だ、誰だ?」
「ヘクド・スパイトフルに御座います」
良く知る忠実な佞臣の声に、パラヴォイを支配していた緊張が解ける。
ヘクド。古い貴族の家柄であるスパイトフル家の現当主であるその男は、今やパラヴォイにとってなくてはならない存在だった。
元々家柄だけでさしたる影響力もなかったが、先代――即ちヘクドの父の世代から勢力を伸張し、彼の代で一気に飛躍した。
議会における発言権はトロイと並ぶほどになり、貴族議員達の心を掴んでいる。
その躍進の原動力となったのは、金だ。
何らかの事業に成功したのか、家柄以外特筆すべきものを持たなかったはずのスパイトフル家が先代より羽振りがよくなり始めた。
命の心配をしなくていい世の中では、人の欲望はより良い暮らしをすることに注がれる。
何を持ってより良いとするかは人それぞれだが、金があって困ることはない。
自分に利をもたらしてくれる相手を好ましく思うのは、当然の成り行きであった。
ヘクドの代になってもその勢いは止まるところを知らず、それどころか父に倍する広がりを見せ、一躍社交界の中心に躍り出た。
ヘクドは、トロイと違って清廉潔白とはとても言い難い。真実を追い求めることもなければ、誰かに便宜を図ることもある。
常に国と民の事を考えているなど口が裂けても言えず、むしろ無理のない範囲で自分に与する人々だけが得をするよう動く。
彼を糾弾する声も、あるにはある。特にトロイを含めた騎士団側の人間は彼を毛嫌いしているし、逆もまた然りだ。
それでもヘクドが権力を持つのは、安心するからだ。
清く正しくあり続けることは難しい。少しくらいの汚泥があった方が、心休まるという場合もある。
弱さと言えば弱さだし、汚いと言えば汚いのだろう。ただ、それを人の心から全くなくそうというのがどれほど無理難題かは言葉にするまでもない。
トロイが議会においても最大の発言権を持っていた間、清くいられない議員達は結束して立ち向かわねばならなかった。
誰か一人でもトロイの方へ転べばそれで終わる状態。その心労や如何程か。
トロイに対抗できる人間が現れることを、自分達の代わりに真っ向から対立してくれる存在を待ち望んでいたのは、他でもない貴族議員達だったのだ。
そしてそれは、パラヴォイとて同じことである。
領主という立場にありながら、ひとたびトロイが口を開けば言いなりになるしかない現状。不満を覚えぬはずがない。
ヘクドは、見事にそこに付け込んだ。
パラヴォイとて、それを分からぬわけでもない。だが、ヘクドから供される利益は、黙って受け入れるに足るものだった。
仕事に忙殺され、自力で見つけるのが難しい美女。トロイに抵抗する為の知恵と言い分。議会の進行調整に、議題や結論に待ったをかける役目。
心を許してはならない類の人格だと気づいていながら、パラヴォイは彼を側近に取り立ててしまった。
腐敗とは、こういうところから始まるものである。
「入れ」
「失礼致します」
静かに扉を開けて入ってきたのは、痩せ細った体に鷲鼻が目立つ、厭らしい目の輝きを持つ男――ヘクド・スパイトフルに間違いなかった。
自身より年下ながらよっぽど世渡りの上手い側近を見やり、パラヴォイはせめて余裕を見せようと椅子の背もたれに身を預ける。
執務机の前まで進み出て頭を下げるのを見届けてから、声をかけた。
「何の用だ? 女なら暫くはいいぞ」
「おや、また総隊長殿にお小言を頂いたのですか?」
図星を指され、パラヴォイの顔が歪む。
議会の後に遺跡の問題は早めに片付けるよう忠告されたのだ。言われなくても分かっているが、これでまた女に逃げた日には何を言われるか分かったものではない。
唇の片側だけを上げる笑い方。ヘクドの事は嫌いではないパラヴォイだったが、この笑い方だけはどうにも苦手だった。
「あぁいえ、失礼しました。今回のお話は女の事……と言えばそうなのですが、例の遺跡の侵入者に関するものです」
深々と頭を下げ、ヘクドが謝罪がてら用件を伝える。
気にならない、といえば嘘になる。少なくとも、損ねた機嫌を脇に置いていいかと思うくらいには。
自分だけでなく他者の利に聡いのも、ヘクドが成り上がった要因の一つである。
「良い、話してみよ」
「はい。ご存知の通り、遺跡の侵入者は二名。話を聞く限りでは迷い込んだだけであり、他に何も知らないとのこと。ただ、信憑性は薄いと言わざるを得ません」
それこそ報告書に書いてあるような分かりきったことを述べる側近に、領主は疑念の篭った視線を向けた。
わざわざ執務室に来てまで話す内容ではない。続きが本題だろう、と予測を立てて黙るが、鷲鼻の側近が何をしたいのかいまいち読めなかった。
「遺跡の問題に時間をかけると、陛下からの信用問題に関わります。ですが、このまま騎士団に任せていても事態が進展するか怪しい」
「そんなことは分かっている。何が言いたい?」
堪らず口を挟めば、それを待っていたと言わんばかりにヘクドが口元を歪める。
「ならば、閣下が直接その目で確かめられては如何でしょう?」
佞臣の提案に、パラヴォイは呆気にとられた様に目を丸くした。
領主の仕事は、決して暇ではない。たかだか罪人一人二人の為に出向くなど、本来なら有り得ない話だ。
いくら遺跡の問題といえど、重罪なのだから適当に処罰すればいい。トロイが何を言おうとも、侵入した事実は変わらないのだからどうとでもなる。
てっきりそう言うものだと、凡愚の領主は思っていた。
「馬鹿者、どこにそんな暇がある」
「例えば朝、議会が始まる前なら時間もありましょう。今頃の夕方でもいいですな。なに、遺跡問題を解決する為です。総隊長殿も煩くは言いますまい」
確かに、時間を全く作れないわけではない。
しかし、仕事熱心とはとても言えないこの領主は、余計な苦労を厭う傾向があった。
普段の真面目さも、臆病さとトロイの監視あってのものだ。
眉を顰めるパラヴォイの内心を見抜いたかのように、ヘクドが本題を口にした。
「女の一人。シャレン、という妙齢の方ですが。それはもう、絶世と言って良い美女とのこと。何も品定めをしにいくわけではありません、公平公正な沙汰を決める為に行くのです」
ぴくり、と小太りな領主の耳が動くのをヘクドは見逃さなかった。
正当な理由があれば、トロイとて何も言えまい。第一、罪人とはいえ偶然迷い込んだ民を過剰に罰するのも問題だ。
自分に都合のいい理由を幾らでも頭の中で作り出し、パラヴォイは自身を納得させた。
ヘクドの掌の上で踊らされている感はある。だが、この鷲鼻の側近が持ってくる話は、常に自分に利益をもたらしてきた。
絶世、とは大口を叩いたものだ。
どれほどのものか、この目で確かめるのも悪くない。
すっかり口車に乗せられ、小太りの領主は新たな出会いの予感に心を躍らせた。
計画通りの結果に満足し、ヘクドは頭を下げて執務室から退室する。
誰も見ていないことを確認し、扉の前で深く溜め息をつく。
事を上手く運んだはずの佞臣は、しかし苦々しく顔を曇らせていた。
※ ※ ※
遺跡近くの森の中。
鍛錬を終えたナイトが剣を振り、大きく息を吐く。
「よしっ」
痺れるような痛みは消えないが、随分とマシになった。
拳を握っては開き、十分に力が込められるようになったことを確認して焚き火の跡を崩す。
結局あの後、半日ほど死んだように眠ってしまっていた。
起きたのも腹が減ったからで、残り少ない食料をとにかく胃に入れてまた眠った。
合計して、丸一日は動けなかったように思う。
焦りはあったが、おかげで頭も何とか働くようにはなった。
シャレンとマギサを連行していったということは、マギサの正体がバレていない可能性が高い。
もしも魔法使いだと悟られていたら、間違いなくその場で殺された事だろう。シャレンやマギサだって、おとなしくついていくなんて選択肢を選ばないはずだ。
変装の効果はあったらしい。その効果が続いている内に、助け出さねばならない。
そう考えれば、危うい所ではあるが意識を失って良かった。助けにいって自分も捕まっていたら、洒落にもならない。
相手は騎士団。あの追いかけてきた若い騎士ほど強いかは分からないが、彼のような人がいることも覚悟するべきだ。
正面から戦ったってどうにもならないが、いざという時はそれも選択肢の内に入れよう。自分の剣が通用すればいいが、怪しいものだ。
出来れば、騎士団と事を構えずにマギサとシャレンを助けたい。
心情的にも、ナイトとしては剣を交えたくはなかった。
そんな器用な真似が自分に出来るかといわれれば、否としか言いようはないのだが。
兎にも角にも、あの馬の一群の後を追うしかない。
荷物を背負い直し、腰の剣を叩いて気合を入れて街道に出る。
固まった蹄の跡は、すぐに見つかった。
風雨に消されない内に、可能な限り辿って目的地を探らなくては。
歩くなんて悠長な事はできず、ナイトは走り出していた。
どうせすぐに痛みと疲労で体力が削られてしまうのだが、それでも焦りに身を任せる。
少しでも早く、あの子の涙を止めたい。
きっと、心細くて震えているだろうから。
勝手な想像かな、と思いながら足を動かす。
実は結構平気で、シャレンと一緒に虎視眈々と脱出の機会を窺っているかもしれない。
自分の助けなんか、本当は必要ないのかもしれない。
それでも、抑えきれない思いを込めて、ナイトは土を蹴った。
勘違いだったら、自分を笑えばいいと開き直りながら。
シャレンとマギサが巻き込まれようとしている事態の複雑さに、ナイトはまだ何一つ知る由もなかった。




