第四十五話 「四つ巴・4」
――目を覚ますと、全身に引き千切られるような痛みが奔った。
思わず声を漏らしながら、激痛を堪えて体を起こす。
広場の中で生き残っているのは、もうナイトだけだった。
もう何匹のオルトロスと切り結んだか覚えていない。何度も吹き飛ばされ、叩きつけられ、全身が限界を訴えていた。
同士討ちを完全に防げたか、と言われると口を噤むしかない。意識が途切れそうになったのも一度や二度ではなく、その度に彼らの暴走に救われた気がする。
結局、どうしようもない我侭を通しきることさえできなかった。
十匹近くいたオルトロスは、全て粒へと姿を変えて降り積もっていた。
力の無さを嘆いたって今更だ。自分の身の丈以上のことはできない。剣の柄を握り締め、思い切り振り払って鞘に収めた。
ナイトは気づいていない。
オルトロスが本当に暴走しきっていたのなら、ナイトなどとっくに殺されていた事に。
斬り付けるナイトの剣を、甘んじて受けていた個体がいたことに。
その時のオルトロスの瞳が、やけに透き通っていたことに。
微かに動かすだけで全身を奔り抜ける痛みに歯を食いしばり、ナイトはゆっくり立ち上がった。
剣を振った痛みで、意識が刈り取られそうになる。
息をするだけで痺れが奔る。爪や牙は掠る程度だったおかげで外傷はそれほどでもないが、体の内側がかなり損傷しているらしい。
咳き込むだけで胸が痛くなり、少量の血が口から飛び散る。
寝れば治る、なんて簡単なものではないかもしれない。早くマギサに合流しなければ。
生きている、ひとまずはそれでいい。マギサのことはシャレンに頼んである。どれほど信用できるかは分からないが、多分大丈夫だと思う。
我ながらおかしな話だ。マギサの命を狙う刺客に、そのマギサを託すなんて。
それでも、あの時はそれ以外に選択肢はなかった。
それに、シャレンなら多分マギサを守ってくれると思ったのだ。
最悪でも、『遺跡』を出るまではマギサに危害を加えないだろう。シャレンは頭がいい。『遺跡』を無事に出る為に、『魔法使い』の存在がどれほど重要か分かるはずだ。
後付けに過ぎない考えに自分で納得して、ナイトは足を引きずりながら扉に向かう。
さっき周囲を見回したときに確認した。蹴っても殴ってもびくともしなかった扉が、ものの見事に開いていた。
多分、勝者だけが出られるような仕掛けなんだろう。檻の向こうに行った所で何が出るか分からない、癪ではあるが扉から試した方がいい。
魔物や人を殺し合わせ、生き残った者だけを外に出す。
かつての人々が『魔法使い』を人間扱いしなかったのも、分からないとは言えない。
こんな仕打ちを受け続けていれば、恨みと憎しみでその身を焼いてしまうだろう。
お伽噺として禍根を残すのも、当然の話だ。
だから、やっぱり、マギサとは違う。
マギサは決してこんなことはしない。むしろ、涙ながらに止める方だ。
この事を知れば、きっとマギサはいつかこの砂を全て灰に変えようとするだろう。祈りながら、胸の内で泣きながら、ここで死んだ魔物を弔ってくれる。
そんなマギサが、かつての『魔法使い』と同じなはずがない。
同じ扱いを、受けていいはずが無いのだ。
痛みに立ち止まっている暇は無い。苦しいのも辛いのも、既に承知の上だ。
力が無いからと、俯いて見逃したくないことがあった。
歯を食いしばって、扉まで体を持ってくる。開いた先の空間は真っ暗で、またかと言いたくなる。
勝者になったからといって、容易く出してはくれないということか。
何にしても、選べるだけの権利も手がかりもない。覚悟を決めて、暗闇の中に足を進めた。
『魔法』でも使っているのか、広場の明かりが欠片も入ってこない。やたらめったら広い空間なのか、床の感触はするものの手を広げても壁の感触はなかった。
引き返してもどうしようもなく、ただひたすら前に歩く。
暫く進んだ所で、足元の感覚が唐突に消え失せた。
一瞬の浮遊感と、下に引っ張られる感覚。
落下しているのだと気づくのに、時間はかからなかった。
こんなもの、どうしようもない。
勝者に救いを与えると見せかけた罠か。つくづく性質が悪い。
剣を引き抜いて、壁に引っ掛けようとして空を切る。
どうやら随分広い縦穴のようだ。切っ先が掠りもしない。
それでも、諦めるのだけは御免だった。
オルトロスと斬り合ったのは、こんなところで死ぬ為じゃない。
今死ねば、マギサが泣く。そんなの、目的と全く正反対の未来だ。
ここで諦めるくらいなら、最初から騎士団に喧嘩なんか売っていないのだ。
全身を襲う激痛を堪えて、剣を振り回す。
どこでもいい、少しでも引っかけて速度を落としたい。
ナイトの決死の抵抗も虚しく、切っ先は宙を切るばかりだった。
次第に、心よりも先に体が限界を迎える。
異常なまでの痛覚への刺激に、意思とは裏腹に意識はその動作を停止した――
※ ※ ※
シャレンとの『遺跡』探索は、順調の一言だった。
透視の力でも持っているのか、シャレンは仕掛けのある場所を的確に見抜き、爪で軽く叩いて確認してはマギサに対処を任せていた。
どうしてそこまで分かるのかと尋ねれば、慣れているから、という言葉で済まされた。
まさか『遺跡』の調査に慣れているというわけではあるまい。罠を調べるのに慣れている、とマギサは解釈した。
一体どんな人生を送ってきたのだろう。美しい曲線を描く背中を見つめながら、思いを馳せる。慣れるくらい、罠があるのが当然の日常を送ったのだろうか。
シャレンの横顔はどこまでも無表情で、何一つ考えが読めない。ナイトなら顔に出るから、すぐに分かるのに。
例え命を奪うような罠があっても、シャレンは眉一つ動かさなかった。扉は必ず爪で触り、道の入り口と出口は叩くように確かめる。
少しでも色が違う箇所や大きさの違うものがあると、必ず足を止めさせて一人で調べに行った。特に妙な音が聞こえるような事態はなかったが、多分それでも同じ事をしたと思う。
モガ達と探索した時とはまるで違う。任せていられる安心感が、シャレンにはあった。
驚いたのは、シャレンが先行する時は本当に音がしないことだった。
正確には、微かに足音はしている。ただ、耳に捉えられないくらい小さいだけだ。
一度トライゾンを出る時に暗闇から襲われたことがあるが、あの時は本当に何がなんだか分からなかった。反応できたナイトも十分凄いと思う。
改めてこうして目の当たりにすると、自分の考えの甘さを知る。こんな人が『魔法』を切り裂く『魔道具』を持っているのだ。一人で対抗できるとはとても思えない。
『魔法』を完全に制御下に置かなければ、獲物でしかないだろう。
交わした取引が、どれだけ価値があるのかを思い知った。
シャレンと共に、階段を見つけては昇って行く。時折隠し部屋もあって、その場所さえも彼女は予想して暴くことを頼んできた。
シャレンがいなければ、この『遺跡』を突破することは不可能だったのでは、とすら思えてくる。一々魔法を使って、途中で『魔力』が切れては倒れること必定だ。
女でさえ見惚れるような美貌に、常人を遥かに超える技能。魅惑と力を兼ね備えた肢体に、何があっても動じず目的に殉じる精神。
一つとして勝てるところがなく、憧れさえ抱いてしまいそうになる。
切れ長の瞳に映る度に、どうすればいいのか困ってしまう自分がいた。
命を狙ってきた相手なのに。
一緒に旅をした思い出が、助けてもらった記憶が、ぐるぐると頭の中を回る。
幾つ目かの階段を上がり、小部屋に出る。扉を調べて外にでれば、パーティーが開けそうなほど広い通路に繋がっていた。
二人とも部屋から出ると、音を立てて壁がスライドし扉ごと隠し切ってしまった。
最早、この程度の仕掛けでは驚かない。よっぽど、『装置』のある場所を隠したいらしい。
最初から後戻りする気など無い。広すぎる道を進めば、曲がり角に差し掛かった。
折れた先はどうやら歩いてきた通路よりずっと狭くなっているようで、シャレンに制止される前にマギサは立ち止まった。
もう十分学んできたのだ、どこでシャレンが先行するのか予想はついてくる。
肩越しに一瞥するシャレンを見返して、杖に『魔力』を込め直す。これももう、『遺跡』探索の間に定番化した行動だ。
音を消し、ずた袋を置いてシャレンが通路の先に顔を覗かせる。呼吸の音さえさせず、一本に編み込んだ髪を揺らして壁の向こう側に身を滑り込ませる。
シャレンの背中が見えなくなっても、もう時間は引き延ばされなかった。
杖に集めた『魔力』を維持し、何があってもいいように心を静める。咄嗟に『魔法』を組めるように、危機からシャレンを守れるように。
瞬きを五回ほどする間に彼女は戻り、置いていったずた袋を広げ、乱暴に手を突っ込む。
行動の意図が掴めず、マギサは困惑したままじっとシャレンを見つめた。
「騎士団が来ています」
シャレンは端的にそう言って、ずた袋の中から目当てのものを掴んで引っこ抜く。
手の中に見えたのは、花柄の衣装が施された櫛と、真白い苺を二つくっつけた形をした髪留め。
少し前、トライゾンでシャレンが手にとっていたもの。
髪の編み方を教えて欲しいと頼んで、連れて行ってもらった店に並んでいた商品だ。
何で騎士団が来ているのに、そんなものを取り出すのか。
シャレンの真意が読み取れず、疑問符を浮かべたまま杖を抱き締めた。
「奥に戻るか、このまま騎士団に捕まるか。どっちがいい?」
心臓が飛び跳ねる。
どっちが安全か考えて、どっちも変わらないことに気づいた。
奥に行けば新しい仕掛けがあるかもしれない。しかも、後ろに騎士団がいると分かれば平静でいるのは不可能だ。取り返しのつかないことが起こる可能性がある。
来た道を戻るにしても、まず壁に隠されてしまっている。仕掛けを解こうとしている内に騎士団に見つかれば言い訳はきかない。
当然、騎士団に捕まってもお終いだ。自分の顔は割れているだろうし、そうなればどんな結末が待っているかなんて分かりきっている。
やり過ごすにしたって、ここまでの間にかなり『魔力』を使ってしまっている。まだ余力は残っているとはいえ、高度な『魔法』を操れるだけの力はもうない。
倒さずに済ませる『魔法』は、どれも『魔力』を喰うものばかりだった。
ナイトがいれば、こんなときどう言うだろうか。
そうだ、ナイトだ。はぐれたまま、まだ合流できていない。
最悪の想像が頭を過ぎる。自分達は何とかやり過ごして、ナイトだけが見つかって、嘘を見破られた挙句に自分をおびき出す餌に使われる。役に立たなければ処断して終わり。
可能性ばかりが頭の中を巡って、何も判断できなくなった。
「騎士団の排除に協力してもらえる?」
「……それは、ダメです」
「そう」
混乱した頭で、それでもシャレンの提案には首を振った。
排除が何を意味するかなんて分かりきっている。それだけはできない。人を殺してしまえば、それこそ本当に怪物になってしまう。
かつての『魔法使い』と、何も変わらない存在に堕ちる。
それだけは、絶対に嫌だった。
お婆ちゃんと約束したのだ。怖い力を、優しく使うのだと。
迷っている間にも時間は過ぎる。それは分かっている。逃げるなら早くした方がいい、そう叫ぶ自分がいるのに、どうすればいいのか判断がつかない。
選択を間違えれば、自分だけじゃなくシャレンまで巻き込まれるのだ。
顔色を窺うように覗き見れば、色の無いシャレンの瞳が見下ろしていた。
「見た目なら誤魔化せる。それで貴女の正体は隠せるかもしれない。いい?」
救いの一手だった。
一も二もなく頷いて、マギサは賛同の意を示す。
溜め息の一つくらい覚悟していたのだがシャレンは何も言わず、後ろに回りこんだ。
「じっとしてて」
後頭部から聞こえる声に緊張して、何をするつもりかと身を強張らせる。
シャレンはマギサの伸ばし放題の髪に櫛を通し、丁寧に整えていった。
頭に触れる手が思いの外優しく、肩の力が溶けていく。
器用な手つきで髪を梳かし、三束に分けて編み込む。引っ張られる感覚でなんとなく分かる。これは、シャレンと同じ髪型だ。
以前教えて欲しいと言った、後ろ髪を綺麗に一本に巻いていく特徴的な形。
ナイトの目を奪われたのが悔しくて、自分だって同じ黒髪だから出来ると思ったもの。
あっという間に巻かれ、解けないように二つの苺で結ばれる。
マギサの耳にも足音が聞こえてきた。鎧が擦れる音もする。間違いなく騎士団だ。
重装備で『遺跡』に潜り込むのなんて、それ以外にいるはずがない。
音に気をとられた一瞬で、ローブを剥ぎ取られた。
一応服は着ているものの、なんだか妙に恥ずかしい。シャレンはそんな様子に構わず、脱がせたローブを小さく畳んでずた袋に押し込んだ。
「寒い?」
「えと、その……少し」
どちらかといえば恥ずかしさの方が強くて、小さく頷く。
足音の方向を一瞥し、シャレンはずた袋から毛皮の上着を取り出した。
「もう一つ、取引をしましょう」
やけに襟巻きの広い上着を着せながら、シャレンが呟くように言う。
袖を通す為に杖を置けば、シャレンに回収されてずた袋に差し込まれた。
文句を言う暇もなく、肩を掴まれて耳元で囁かれる。
「何を聞かれても、何も見ていない、知らないと答えて。詳しいことは私に聞くように言うこと。いい?」
「……はい」
逆らう選択肢が出るはずもなかった。
現状、主導権は完全にシャレンに握られている。
有効な対案も出せない以上、マギサには唯々諾々と頷く道しかない。
「その代わり、この件が終わるまで貴女を守る。私達は取引だけは違えない。絶対に」
「……分かりました」
頷くマギサの肩から、シャレンの手が離れる。
殺そうとしてきた相手を信じるなんて、どうかしているとは思う。
けれど、他に選択肢もなかったし、何よりもその言葉が嘘だとはとても思えなかった。
毛皮の入った上着は、暖かかった。
編みこまれた髪が揺れているのを感じる。その先の、二つの苺の僅かな重さも。
ナイトがいないからと、何もできなくなっていいわけじゃない。
あの時と違って、今度はシャレンが傍に居てくれる。
今はなんとかこの場を切り抜けて、ナイトを探す準備を整えるのが先決だ。
角の壁に隠れて様子を窺うシャレンの後ろについて、がなりたてる鼓動を抑える。
こちらを一瞥したシャレンが、わざとらしく半身を通路の向こう側から見えるように出した。
鋭い誰何の声が聞こえる。
破裂しそうな心臓を抑えて、炎の音と舞い散る血飛沫の幻を消し去ろうと目を瞑った。
意思とは裏腹に、どうしようもなく呼吸が荒くなる。
騎士団が居る。この向こうに、剣を構えて。
震える足を叱咤しようとして、殴ろうとした手も震えていることに気づいた。
泣きたくなって、
シャレンの細い手が、震える手を握ってくれた。
呆気に取られている内に、そのまま引っ張られて狭い通路にまろび出る。
それは、多分、動かない自分を引きずり出す為だったのだろうけれど。
握られた手は、上着よりもずっと温かかった。
※ ※ ※
巡回の騎士団は、『遺跡』内部で出会った女の二人組に困惑を隠せなかった。
普通なら盗掘を疑うところだが、片方はまだ少女と言うべき年齢であり、とても盗みやら何やらの役に立つとは思えない。
兎にも角にも魔物ではなさそうなので剣を収め、話を聞こうと試みる。が、これが全く要領を得ない。
少女の方はひたすら何も見ていない、知らないと繰り返し、妙齢の女の方は曖昧な返答しかしない。
うっかり迷い込んだだけと意地を張られ、それ以上何も有益な話はできなかった。
荷物を検めると、握り部分の形状が変な杖や真っ黒なローブが出てきたが、それだけでは特に怪しいと言い切ることはできない。
怪しいと言えば女の右腕だけに嵌められた篭手も十分妙だが、旅をする上での最低限の備えと言われれば引き下がるしかなかった。
見た所、髪形も似ていれば容姿も似ている。姉妹か何かかと問うも、二人とも何も答えなかった。
おそらくは何かしら、人に言いたくない事情でもあるのだろう。疑い出せばキリがなく、その疑念に明確な形で答えを出してくれるとは思えない。
金銭に余裕があるようにも見えず、大方金目のものでもないかと出来心で『遺跡』に入ったのだろう、と年嵩の騎士は結論付けた。
同情の余地がないとは言わないが、確かな事を何も言わないのでは放っておくわけにもいかない。許可のない『遺跡』への立ち入りは重罪だ。
大目に見てやりたいが、勝手な想像と判断で罪人を放免しては騎士の名折れだ。二人の埒の明かない態度に徐々に苛立つ若い部下を宥め、一旦外へと連れ出した。
『遺跡』の外では六頭の馬が大人しく主人の帰りを待っており、高く昇った日が肌寒さを和らげてくれていた。
年嵩の騎士は妙齢の女と少女――シャレンとマギサに声をかけ、看板を指し示す。
「よく見なさい。君達はあれを見落としたと言うのかね?」
「そうです」
わざとでもなければ目に入れないことが難しい大きさと配置の看板を前に、シャレンは顔色一つ変えることなく頷いた。
さっきからずっとこの調子だ。嘘なのは丸分かりだが、それ以外何も答えない。
年嵩の騎士は溜め息をつき、若い部下に指示を出して二人に振り向く。
「これから君達を我々の駐留する都市に連行する。そこでの嘘は裁きに影響すると思っていい。沙汰を軽くしたいのなら、正直に話すことだ」
「分かりました」
動じた様子のないシャレンに、年嵩の騎士は果たして本当に言うとおりなのだろうかと信じてしまいそうになった。
そんなことあるわけがない。看板を見過ごし、うっかり『遺跡』の中に迷い込むだなんて、どう考えてもおかしい。
だとすれば、この余裕のある態度は何なのか。ここまでされて、後ろ暗いところのある者がその素振りを見せないなどということがあるか。
疑惑は深まるばかりで、一向に答えは出そうになかった。
少女の方は、分かりやすく肩を震わせているのだが。
もしやすると、この妹と思しき少女を守るために、姉として気丈に振舞っているのやもしれない。
殊更それを口に出すのは悪意的に思えて、騎士は口を噤んだ。
シャレンとマギサはそれぞれ手枷を嵌められ、別々の馬に乗せられた。荷物も他の騎士が確保し、逃げ出せない状況を作り上げる。
シャレン達を乗せた三頭の馬を囲うように他の三頭が隊列を組み、先頭は年嵩の騎士、殿は荷物を載せた騎士が務めた。
万が一にでも逃がさない為の布陣だ。例え馬の上で暴れようとも、すぐに察知して援護することができる。尤も、落馬すれば隣か後ろの馬に踏まれかねない状況で抵抗する輩がいるとは思えないが。
罪人を連行する際重要な事は、抵抗する気力すら湧かせない事だ。一片の希望も与えず、どう考えても逃げられないと自分で結論付けさせる。
上司でもある『コンフザオ』常駐騎士団総隊長トロイ・エアーリヒの教えを、年嵩の騎士はしっかりと守っていた。
準備が整ったのを確認して、先頭の騎士が手綱を引く。
「これより、コンフザオに帰還する! 全隊、進め!」
号令一下、一糸乱れぬ動きで騎士達が馬を走らせる。
巡回任務を途中で切り上げることになるが、止むを得ない。それよりも気になることがあり、年嵩の騎士は視線だけでシャレンを振り返った。
仲間内からも朴念仁と言われる自分から見ても、美しい女性だ。
心奪われる男も、両手の指で数え切れないくらいにいたことだろう。
年嵩の騎士の悩みの種は、そこだった。
これから向かう先であるコンフザオは、『小さな王都』とも呼ばれる程に発展した都市であり、治安も良いが、問題がないわけではない。
その内の一つが、領主パラヴォイ・アクトの女癖の悪さだ。
領主パラヴォイは己の容姿に強い劣等感を持っている。それが故に、容姿の良い同性を嫌い、異性を好む。そうして、溜まった鬱憤を発散しているのだ。
とにかく囲う女を増やしたがるので、総隊長であるトロイが事あるごとに諫言を呈している。おかげで、騎士団と領主の仲は良好とは言い難い。
そんな領主が、こんな美しい女性を見たらどう思うか。
想像に難くないどころか、ほぼ予定調和でさえあると思う。
明らかな罪を犯していれば押し切ることもできるが、現段階では疑いに過ぎない。そして、それはこれから先も変わることはないだろう。
そうなれば、領主からの要求を突っぱねることができるかどうか。
出来る事なら興味を示さないでほしいものだが、危うい所だと騎士は感じていた。
『遺跡』への侵入者なのだ。報告を上げないわけにはいかない。その時点で運良く興味を持たなかったにしても、沙汰を伝える役割を領主が担う可能性がある。
余り明るくない想像に細長い溜め息を漏らし、正面を見据えた。
上が何をどうしようと、自分の務めを果たすしかない。騎士として、人々の安全な暮らしを守らねばならないのだ。
それに、確かに好色で困った所がある領主だが、基本的には胆の小さい臆病者だ。いざとなれば強気で跳ね除ければ、それ以上何も言わないだろう。
それを判断するのは総隊長トロイだが、彼とてむざむざ渡したりはすまい。
年嵩の騎士は信頼する総隊長を思い浮かべ、自らを落ち着けようとした。
しかし、どうにも胸騒ぎが収まらない。何か、妙な気配というか、ただで終わらないような予感がしてならないのだ。
考えすぎだと自分を叱咤し、手綱を強く握り締める。
隊列を乱さぬよう距離と速度を保ったまま、騎士団は一路コンフザオへの帰路に着く。
任務の途中であることも相俟って、時間をかけてはいられない。馬の脚を緩めず、蹄の音を響かせて街道を駆けた。
その先に起こる出来事を、この時点ではまだ誰も知らなかった。
※ ※ ※
腹に響く痛みと衝撃で、ナイトの意識は強制的に再起動させられた。
真っ先に目に付いたのは草の緑と土の茶色で、薄らぼんやりとした認識が、ここはどこだ、と疑問を投げかけてくる。
苦痛と疑念に動けずにいると、寝ぼけたような頭に馬の蹄の音が叩き込まれた。
一頭ではない。複数の馬が鳴らす、地響きにも似た足音。
最早痛いというよりは重い頭を動かして、音がする方に目を向ける。
木々の隙間から、街道を走る馬の一群が見えた。
すぐに分かった。あれは騎士団の馬だ。足音の力強さ、遠目にも分かる立派な馬具。手綱を握る騎手まで見えればもう間違いない。
どうしてそこに、シャレンも乗っているのだろうか。
理解が追いつかず、ただ眺めているしかなかった。情報は頭に入るものの、それがどういう意味を持つのか噛み砕くことができない。
しかも、その後ろをついて走る馬に乗っていたのは、シャレンと同じ髪型をした少女。遠目から見てもそっくりで、シャレンに妹なんていただろうかと疑問が頭を駆け巡る。
それがマギサだと気づいたのは、騎士団の馬が過ぎ去っていった後だった。
寝起きの状態から覚醒するように、周囲の状況が理解できていく。
草に土。ここが『遺跡』の中であるはずがない。外に出たのだ。
あの落下する罠は、意地の悪い『魔法使い』が作った脱出口に間違いなかった。最後の最後まで人を玩具にしなければ気がすまないのかと思うが、今はそれはいい。
もう痺れと重さしか感じない体を引き起こして、思ったよりもずっと鈍い動作で立ち上がる。速く動きたいのに、体が言うことを聞かない。
さっき通り過ぎたのは騎士団の馬であることは間違いない。紋章は見えなかったが、全身鎧を着た騎手なんて騎士団以外にそうそういるはずもない。
問題は、何故その馬にシャレンとマギサが同乗していたか、だ。
考えるまでもない。見つかって、捕まったのだ。それ以外に何がある。
無事に『遺跡』を出たものの、待機していたか巡回にきた騎士団に見つかったのだろう。シャレンとマギサなら抵抗できたはずだが、力を使い果たしていたのか。
それとも、マギサが騎士団と事を構えるのを嫌がったか。
どちらにしても、今の状況が限りなく不味いことに違いはない。
マギサの見た目が変わっていたのは何が何だかわからないが、もしかしたら変装のつもりかもしれない。手配書が回っているにしたって、直接マギサを見た人物は限られる。
でも、それでやり過ごせる時間にだって限界はある。
そもそも、マギサはともかくシャレンも何で捕まっているのだろうか。彼女の実力なら倒せないまでも逃げ切ることくらいできたはずなのに。
もしかして、マギサを頼む、という自分の願いを聞いてくれているのだろうか。
それなら、益々すぐに助けに行かねばならない。髪形や服を変えた程度の誤魔化しなんて、いつまで通用するか分からないのだ。
きっと、マギサも助けを待っている。
自分が助けに来ると、信じてくれている。
絶対に応えなくてはいけない。もしそうでなくとも、騎士団に捕まったままになんてさせておけない。いつ殺されるかも分からないのだ。
痛みはもう感じない。それなのに、やたらと体が重い。
馬を見た街道に向けて走ろうとしているのに、ナメクジみたいな速度しかでない。
例え走れたって、馬の速度に追いつけるわけもない。そんなこと分かりきっているが、少しでも早く近づきたかった。
ぴりぴりとした痺れが顔を覆い、肘から先が全く自由に動かせない。
亀よりも遅いはずなのに息が荒れ、視界が揺らいでは傾く。
そういえば背負ったままだった荷物が、石でも詰まっているのかと思うくらいに重く感じる。
完全に忘れていたはずなのに、意識してしまうと重さが増した気がした。
なるべく肌身離さないようにしていたのが裏目に出た。重さに足腰が耐えられなくなり、小石に蹴躓いて腹から地面にぶつかる。
苦痛の余り掠れる目で、蹄跡が残る街道を睨む。
方角も定かではないが、この街道を辿ればいつか追いつけるはずだ。
どこに連れて行かれたかは分からないし、王都だったらもう本当に覚悟を決めねばならない。
もしそうだとしても、ナイトに引く気はなかった。
裁きが下る前に、助け出す。
そう心に誓って、ナイトは暗闇に飲まれていった。
『小さな王都』コンフザオにて、全てを巻き込む暗闘が始まろうとしていた。




