第四十三話 「四つ巴・2」
――『遺跡』とは、数少ないかつての『魔法使い』の痕跡の一つである。
現代の技術では理解できないそれは、お伽噺を架空の物語から歴史的な意味を持つ口伝に変える力があった。
『遺跡』と呼ばれるものは、具体的にはかつての『魔法使い』が造ったと思しき建造物群の事を指す。古い城跡などは『旧跡』と呼ばれ、区別されていた。
『遺跡』は一様に理解不能な建材で作られ、斬っても叩いても殴っても壊れない。現在使用されているどんな鉱物とも似つかず、それ故に『魔法使い』が造ったと言われている。
しかし、そんな頑丈などという言葉では足りない材質であるにも関わらず、発見される『遺跡』はその悉くが大きく損壊した姿をしていた。
数多くの歴史家がその謎に挑み、これまでに一人として勝利したものはいない。
『魔法使い』同士の戦争が起きた、『魔道具』が暴走した、などと語られるが、それならば無事で残るものなど一つもなく、時代が現代まで続いたりもしないだろう。
『遺跡』とは『魔法使い』が消えた理由と同じく、永遠に解き明かされる事のない謎。それが、人々にとっての常識だった。
恐れ慄きこそすれ、そんなものに好んで近づこうとする人はそう多くはない。
国も見つけ次第厳重な管理体制を敷き、一般の人々がうっかり迷い込むことのないよう取り計らっていた。
それは勿論人々の安心と安寧の為でもあったが、何よりの理由は『遺跡』からは多くの『魔道具』が発見されるからであった。
『魔道具』。『魔法』と同じ効果を発揮する、古の遺産。
使い方こそ杳として知れないが、一度発動すればそこらの一般人が熟練の騎士を軽々と薙ぎ倒すことが可能な代物。
代償として『魔力』を消費し、普通の人なら気を失ってしまう。ましてや、ものによっては命さえ奪いかねない諸刃の剣。
その危険性から、国が誰も手を触れぬよう騎士団が守る倉庫に放り込んで管理しているのは周知の事実だ。
ならば当然、『魔道具』が多く眠っている『遺跡』もまた、国が目を光らせるものだった。
『遺跡』の『魔道具』を全て運び出せば、と思うかもしれないがそれは無理な話だ。
『魔道具』の中には『陣』のように動かすことができないものも存在し、それこそ国が貴重な騎士団の人員を割いてまで『遺跡』の管理を厳重にする原因でもあった。
その原因は、マギサの里では『装置』と分類されていた。
三種に分類される『魔道具』の中で、最も複雑かつ高度な再現が可能で、それ故にサイズや構造に大きな制限を受ける。
故に、『装置』は『遺跡』の内部でしか発見されたことがない。かつての『魔法使い』にとっても、そう簡単に作れるものではなかったということだろう。
『装置』は幾つか、他にはない性質を持っている。
代表的なものの一つは、『魔力』の貯蔵を可能とする所だ。
正確には、『魔力』を貯蔵しないと『装置』は動かない。高度な『魔法』の再現は複雑な機構を必要とし、最適な形での『魔力』の運用が重要となる。
元々、簡単に『魔法』を扱う為、そして『魔法使い』以外にも使わせる為に発展したのが『魔道具』だ。一々考えて『魔力』を流し込むのは目的に反する。
ならば、どうするか。『装置』そのものに『魔力』の運用をさせればいい。
よって、全ての『装置』には『魔力』を貯蔵し、自動的に運用する機能がついている。
これにより、『装置』は『陣』や『器具』などに比べ、『魔法使い』でない者にも最も扱いやすい『魔道具』となっている。要は、使い方さえ分かっていれば、『魔力』が切れるまで『魔法使い』と同じことができるのだ。
この性質が理由なのか、ほぼ全ての『遺跡』には『装置』が存在する。『陣』や『器具』では珍しい、複数の『魔道具』で一つの『魔法』を再現するという連動機能を備えるものも当たり前にあるくらいだ。
尤も、現在ではその殆どが破壊され、使い方も分からぬものばかりではあるが。
現在の『装置』の認識といえば、正体不明の物体でしかない。
どころか、その形状や外観から、不気味であると怯えてさえいる。
『遺跡』を調査した学者や騎士団の誰もが、口を揃えてそう言った。
その機能を考えれば、あながち間違いとも言えないのだが。
では、もし、
そんな時代に『装置』の使い方を多少なりと理解する者が現れたら。
力を手に入れた者が考えることなど、古今東西変わらない。独占し、秘密を作り、膨らむ野心に食い潰されるだろう。
世界をひっくり返すのに十分な力だ。
何せ、現代では対抗のしようがない。
どんな『装置』かによって多少変わるとはいえ、ものは使いようだ。
そして、その野心を支えるのに十分な力を他にも持っていれば。
人の心に縄は打てず。邯鄲の夢は、その栄華が夢であればこそ諦められたのだ。
『遺跡』に魅入られる人間は少ないながらも存在する。
一度ナイト達と旅を共にした、祖父と孫の冒険者のように。
悪徳を人の形に押し込めた大臣もまた、『遺跡』に魅入られた存在だった――
※ ※ ※
銀の鉤爪を血でも払うように振り、シャレンは床を踏み締めてナイト達と対峙する。
「マギサ、離れて」
「……はい」
固く絞られたナイトの声が、マギサに反駁を許さない。
ナイトの邪魔にならないよう、出来る限り遠く離れた隅へと移動する。
シャレンの強さは本物だ。正面からぶつかったらナイトとて無事では済まない。マギサはシャレンから目を離さぬまま、防御魔法を形作る。
互いに隙でも窺っているのか、シャレンもナイトも微動だにしない。
おかしい。何がおかしいか分からないけれど、とにかくおかしい。
さっきのは完全な不意打ちだった。間一髪で避けられたとはいえ、奇襲は成功といっていいはずだ。
何故、追撃しなかったのだろう?
その思考に答えが出る前に、シャレンが動いた。
真っ直ぐ突っ込むと見せかけて、大きく右に跳ぶ。反応して振るったナイトの剣は虚空を切り裂き、シャレンは『装置』を踏み台にして回転するように飛んだ。
ナイトが振り抜いた遠心力を使って爪を叩き落そうとするが、間に合わない。
浅くとも頭か首に傷がつく。致命傷とは呼べずとも、シャレン相手には軽くない傷。
鈍く輝く鉤爪が、温度のない冷徹さでもってナイトの眼前に迫る。
壁にでもぶち当たったかのように、人肉如きバターのように切り裂く爪がナイトの目の前数cmで止まった。
間一髪で間に合った。
二人分の防御魔法を展開しながら、マギサは足の力が抜けていくのを感じる。
短い間に随分と『魔法』を使ってしまった。特にペロの『転送』はかなりの『魔力』を必要としたから、全く回復しきれていない。
森から使い続けて、ここにきて二人分の高等防御魔法はかなり厳しいものがあった。
それでも、シャレンの爪を防ぐにはこれくらいしなければならない。油断して適当なものを張って、無意味に終わるよりはずっとマシだ。
崩れ落ちないように足に力を入れる。
恐るべき鉤爪の『魔道具』は防御膜の上を滑るように流れ、慣性と重力に引っ張られるシャレンと一緒にナイトの頭の上を通り過ぎていった。
切り裂かれなかった。
安堵と共に、マギサは杖を握り締めて支えにする。
自分が張れる防御結界の中でも上等な代物だった。ただでさえ『魔力』が多くないのだから、これ以上は全回復でもしていないと無理だ。
最悪の能力が発動していない。かつての『魔法使い』を襲ったであろう力は、何の巡り会わせか牙を向かなかった。
もう自分が何で震えているのかさえ分からないマギサの前で、シャレンは引っ張られたまま着地体勢すら取らずに壁に激突した。
ナイトもマギサも呆気に取られ、一瞬動きが止まる。
思わず駆け寄るナイトを横目に、マギサの頭に閃くものがあった。
『魔力』だ。
奇襲が成功したのに追撃しなかったのも、そのせいだ。
映像や『装置』を破壊したのは、あの『魔道具』の力だろう。『魔法』すら切り裂くその能力が発動したに違いない。
各地の『遺跡』や『装置』はその殆どが破壊され欠損した形で発見される。それはとりもなおさず、かつてそれらを破壊できる力があったということだ。
『遺跡』も『装置』も、『魔法』の産物。ならば、『魔法』を切り裂くあの銀の鉤爪で破壊できない道理もない。
ただ、未熟な防御魔法とは比べものにならないものを引き裂いたのだ。消費する『魔力』はとんでもないものになったはずだ。
立つのもやっとだっただろうに、一時とはいえ戦えたのは賞賛を通り越して畏怖すら感じる。気絶するのが当然なのに。
防御魔法を切り裂けなかったのは、そんな『魔力』はどこを探してもなかったからだろう。『下法』でもない限り、命ごと『魔力』を奪うような『魔道具』はない。
倒れるシャレンは意識があるのかさえ怪しく、ナイトが声をかけている。
「シャレンさん! 聞こえますか、シャレンさ……ぅぉっ!?」
飛び起きたシャレンが鉤爪を一閃、ナイトから距離を取る。
その呼吸は荒く、戦うどころかマトモに動ける状態とも思えない。
それでも、その眼光は常と変わらず、冷たく無感情に周囲を映していた。
震える足を踏み締め、マギサはシャレンに近づこうとする。
話したいことがあった。聞きたいことがあった。それが何かは、疲れきった今の脳味噌では出てこなかったけれど。
もう一度触れてみたい。確かめたい。
ナイト以外とだって、人として付き合っていけるかどうか。
――私は『魔法使い』で、それはどうしようもないことだけど。
それでも、人と対等に触れ合うことが出来るのだと。
だって、そうじゃないと、
――ペロは多分、もう二度とあの子に会えない。
恐れられたままじゃ、その常識に縛られたままじゃ、何にも変わらない。
ペロとあの子を引き離しただけの、本物の外道になってしまう。
一緒に死んだ方がいい事だって、あるかもしれないのに。
胸の奥が痛む。
炎の音が聞こえる。
迸る血飛沫と馬の嘶き。背中に回された祖母の腕の感覚。
あの時一緒に死んだ方が良かったかもと、何度思ったか知れない。
シャレンともう一度話せたら、何かの光が見えるような気がしていた。
《修復プロトコル不実行、規定時間を経過。制御室に検知された異常は修復不可能と判断。敵対勢力によるものと断定、排除開始》
突如として振ってきた音が古代語による音声だと気づいたのは、マギサ一人だった。
全て理解はできなかったものの、大意は掴めた。
叫ぶ。
「逃げて!」
言うが早いか、天井から現れた幾つもの箱状の物体が赤い光を放つ。
それが『レーザー』と呼ばれる兵器であることを知る者は、この部屋には誰もいなかった。
マギサの言葉が聞いたのか、それとも直感か。
シャレンもナイトも、その光に当たらぬよう身を捩ってかわした。
床や壁面に赤い光が焦げ痕をつける。当たったらまずい、それだけは分かった。
辛うじて回避し続けながら、ナイトはマギサの姿を探す。
こんなもの、マギサに避けられるわけがない。ようやく視界に収めたマギサは、杖にしがみ付いて固く目を閉じていた。
先程自分に使ってくれたのと同じ『魔法』がマギサを守っているようだ。だが、それもいつまで続くか分からない。
鋭く息を吐き、少し強引にマギサの下に走る。
赤い光が弾ける音を耳元で聞きながら、マギサを抱え上げた。
驚いたマギサの顔を覗き込みながら、
「早く逃げ――」
言いかけて、誰かが倒れる音が聞こえた。
視線を向ければ、シャレンが足元を赤く染めて倒れていた。
爪はもう篭手に戻っている。維持するだけの力もないらしい。
あの赤は知っている。血だ。見れば、脛と足首の間が焼け爛れている。
見捨てれば、自分とマギサは確実に助かる。
歯を食いしばり、ナイトはシャレンに駆け寄った。
襲ってくる赤い光を防御膜で弾いて、
「マギサ、しっかり捕まって!」
「っ!」
片手でマギサを支え、空けた方の腕でシャレンを抱え込んだ。
一目散に『装置』に駆け寄り、自分の身体と装置の間にシャレンを押し込む。同じようにマギサを下ろし、『装置』に手をついて二人に覆い被さる。
少しでも二人がいる場所に赤い光が差し込まないように。
「マギサ、シャレンさんに防御と回復の『魔法』をかけて。お願いできる?」
「……ナイトさんは、」
「僕は頑丈だから、大丈夫」
「……はい」
赤い光を背中で弾きながら、ナイトが真剣な顔でマギサを見下ろす。
呼吸を整えながら、マギサは杖に『魔力』を集めだす。
その光景を、どこか他人事のようにシャレンは見つめていた。
彼らは、何をしているのだろう。
自分など捨て置けば助かっただろうに。第一、敵なのだ。助ける道理がどこにもない。
命を狙った相手の命を、二度も助けるだなんて。どうかしている。
そもそも、頑丈だからってなんだ。そんなもの、あの光の前に関係あるものか。
触れた瞬間分かった。あれは人の身体など簡単に焼き尽くす。掠っただけなのに、火箸で腹を刺し貫かれたくらいの激痛が奔った。
今も、ろくに足が動かせない。多少身体が頑丈なくらいでどうにかなったら苦労しない。
『魔法』が効いている内にこの部屋から出るべきだった。そんなことも分からないのかと胸中で呟いた所で、自分の有様に気づく。
何で、敵の心配をしているのだろう。
彼らがこの部屋で死ねば、万々歳のはずなのに。
自分を庇って死んでくれるなら、願ってもないことのはずなのに。
考えるのに疲れた所で、薄い膜が身体を覆うような感覚があった。
おそらくは防御魔法だろう。軽く目を動かせば、標的の少女が汗を垂らして荒い呼吸を繰り返している。
上を向けば、標的のついでの青年が唇を噛み締めて覆い被さったまま動かない。
その背後では、あらゆる方向から赤い光が打ち込まれている。彼にかけた防御魔法は随分上等な代物だったらしく、今の所壊れた様子はなかった。
火鉢に突っ込んだような足の痛みが、少し和らいだ。
ふと視線を落とせば、標的の手がそっと傷口に触れていた。
これが『魔法』。かつて世界を支配し、この鉤爪を作り出した力。
標的の少女――マギサの使うそれは、とてもお伽噺に聞いたものと同じ力だとは思えなかった。
それを形容する言葉を、シャレンは持たなかった。
ただ、その暖かさは、野垂れ死ぬ寸前の自分を抱き上げてくれた手と似ていると思った。
《対象の想定脅威レベルを一段階上昇。最大出力許可》
色も温度もない、しかしシャレンと似て非なる音声は相変わらず古代語で、マギサ以外に意味すら掴めた者はいなかった。
ろくでもないことだろうということだけは、全員が理解していた。
「ナイトさん!」
「大丈夫! 続けて!」
根拠も何もない言葉を返して、ナイトは精一杯の笑みを向ける。
マギサは口を引き結び、破裂しそうな心臓を抑えてシャレンの足を治す。
呆れ果てた挙句、シャレンは口を開いた。
「馬鹿ね」
「良く言われます」
それまでの倍以上の太さの光が、ナイトの背中に降り注いだ。
防御膜とぶつかり、火花のように赤い光が散って消えていく。
目を開けているのも辛い『魔法』同士の攻防が繰り広げられ、パンパンに詰め込んだ袋が弾けるような音を立てて『レーザー』は拡散して無害な光の粒と変化した。
ナイトにかけられた防御魔法を道連れにして。
《対象の想定脅威レベルを更に一段階上昇。隔離プロセスに移行》
最早マギサにも悠長に古代語の音声を聞いている余裕はなかった。
これもまたかつての『魔法使い』の悪ふざけなのだろうか、と思う。あえて音声を出すことによって相手の反応を見て楽しむ為の。
そんな考えが出ること自体、自分もまた同じ『魔法使い』であるという証拠なのだろうか。
『魔力』が底を尽きかけの状態で、回復と同時に防御魔法を展開することはできない。今回復を止めれば、次に『魔法』を使えるようになるまでに間違いなくシャレンの足は壊死してしまう。
触って分かった。気絶なんかしている間に、足を切り捨てるしかなくなる。取れたものをくっつけるならまだしも、失った足を再生させるなんて自分の『魔力』ではまず不可能だ。
泣きたくなる。ペロの件から『魔法』が万能でないと思い知らされてばかりだ。
ナイトか、シャレンか。
そんな選択、したくもなかった。
「僕は大丈夫! まだ生きてる!」
振ってきた声に顔を上げれば、ナイトが必死に口角を上げて笑っていた。
無理してることが丸分かりで、それでも心配をかけまいとしていて、マギサは唇を噛み締めて湛えた涙を飲み込んだ。
涙ぐむには早い。まだやれることはある。早く足を治してしまえば、道はある。
そんな思いを裏切るように、床が一定の模様を描いて光りだした。
流石に何度も使っているからか、全員に覚えがあった。
『転移』の光。確実にそうとは限らないが、光が描く模様もおぼろげながら似ている気がした。
今更それ以外がこられても、お手上げだ。
何を思ったか、ナイトが『装置』から手を離して距離をとる。
驚くマギサと訝しむシャレンに、ナイトは困ったように笑って襟足を弄った。
「すみません。シャレンさん、暫くマギサをお願いします」
どうにもならない結果選んだ、一番いいと思える答え。
ナイトの体は既に光の粒へと変異し始めていた。しかし、二人は防御魔法の影響か何の変化もない。マギサから聞いた『魔法』同士の相殺というやつだろう。
『魔法』のことなどナイトには分からない。だが、このまま近くにいれば、自分の『転移』に二人が巻き込まれる可能性が出てくるかもしれない。
飛ぶ場所がどこにしたって、ろくなものじゃないのは誰もが分かっていた。
目を見開くシャレンに頭を下げ、ナイトの姿が光の中に消えていく。
「ナイト!!」
伸ばしたマギサの手が、宙を掴んだ。
マギサの『転移』とは、質が違う。
瞬きするほどの間に、ナイトは別の場所へと移された。
それがどこか、マギサにもシャレンにも知りえる術はない。
言葉を失う二人の前で、光はナイトを連れて唐突に消え去った。
《隔離プロセス、実行を確認。再検知開始、同異常は認められず。排除終了》
それっきり、二人の頭上に古代語が振ってくることはなかった。
※ ※ ※
トライゾンより北北西に遠く離れた街道にて、元自警団員の男が馬の背に乗りながら溜め息をついていた。
トゥレという名を持つその男は、適当に伸びた蓬髪を憎々しげに弄っては離す。
無意味極まりない行為だが、他にすることもない。生まれ故郷であるトライゾンを離れてからというもの、新たな癖となっていた。
自警団員だった彼がこんな所で馬に揺られているのも、きちんとした理由がある。
町中を騒がせた大捕物の後、シャレンによって殺された自警団長ダヴィドは失踪扱いとなった。死体を隠したのは、他ならぬトゥレだ。
日が明ける前、月も沈んだ最も暗い時間帯。町に点在する太陽の死角になっている場所に、手早く掘れるだけ掘って埋めた。その時の感触も鼓動の激しさも、未だに覚えている。
念の為に運ぶ際に麻袋に詰めたが、誰かに見られたらと思うと気が気じゃなかった。幸いにして彼の行動は誰にも気づかれず、無事に真実を闇に葬ることができた。
問題になったのは、その後だ。
ナイトとマギサを獲物とした大捕物は、町の至る所で自警団への批難を噴出させた。
元々、町の住人達と自警団の関係は悪かったのだ。まだ生きていた団長も度々町長に呼び出され、自警団はその権威と勢力を大きく削がれる結果となった。
団長が死んだのは、まさにその責任をはっきりと取らせようとする直前の事だった。
表向きには失踪扱いではあるが、町から消えたという意味では同じだ。こうなると、一体誰に責任を取らせるか、という話になる。
自警団という組織そのものに対する見直しはそうだが、潰れられても困る。騎士団に頼らず自警団を作ったのにも理由というものがあるのだ。
本来ならいるはずの副団長は、現団長の意向により置かれていなかった。権力が分割されるのが嫌という、トゥレからしても屑そのものの、しかし納得できる理由によって。
分かりやすい責任を取る人間が必要だ。そうでなければ示しがつかない。自警団の暴走を抑える為の見せしめを町の全員が欲していた。
白羽の矢が立ったのは、トゥレだった。
とっくに家族と死別し天涯孤独、団長失踪時に宿舎にいた、自警団の中でもベテランだった、等々、都合のいい条件が揃っていたのが決め手となった。
表向きは団長の失踪を未然に防げなかった責任を取らされる形で、彼はトライゾンから追い出された。
裏では団長失踪の手助けをしたのではないか、とも言われ、罪に問われなかったにせよ彼にトライゾンで生きていく道はなかったと言っていい。
売られた喧嘩を買うように、トゥレは唾を吐いて生まれ育った土地を後にした。
しがみ付いたところで、シャレン関係や大捕物に深く関与していた事を突っ込まれるだけだ。自警団の奴等は我が身を守る為なら容赦なく他人を売る。
それが分かっているからこそ、下手に騒いで抵抗したりせず、退職金代わりに馬と食料と最低限の荷物をふんだくった。
どのみち真っ黒な疫病神が来た時点で運気は最悪だったのだ。いっそ新天地で伸び伸びとやるのも悪くない。どこでも上手く小狡くやっていく自信はある。
そうして、懐に入れた貯金が底をつく前に新たな職を得るべく、彼は街道を北北西に向かって進んでいたのだ。
目的もなく進んでいるわけではない。トライゾンから馬で半月程のところに、大きな街があるとは聞いていた。
王都を中心としたこの大陸に四つある大都市。『小さな王都』と呼ばれる都市、その内の一つらしい。
そこでなら、何かしら都合のいい仕事もあるだろう。それに、大きければ大きい程甘い蜜とて吸える機会も多いというものだ。
トゥレとて自警団の一員、自分の利益の為なら他人がどうなろうと知った事ではない。だからこそ、旨い汁にありつけるという確信があった。
そこまでは良かったのだが、何分トライゾンから離れたことなど殆どない。今自分が確かにその都市に向かっているのかという不安があった。
地図なんて上等なものは持っておらず、聞き知る話に従って街道沿いに北北西に進んではきたものの、これでいいという自信はまるでなかった。
不安になると、弱音が出る。弱音が出れば、原因に思いを馳せる。思いを馳せれば不満が溜まり、不満が溜まれば何かで発散したくなる。
伸ばし放題の蓬髪を弄くるのは、せめてもの発散法だった。
何度目かの溜め息を吐いたところで、正面からやってくる一団が見えた。
運気が戻ってきた。心の中で呟いて、トゥレは馬の足を少し速める。
もしかしたら、都市までの道が聞けるかもしれない。不安を払拭したくて、相手の姿が確認できるところまで近づく。
はっきりと視認できる距離まで来たところで、トゥレは思わず喉を詰まらせた。
前から来ていたのは、騎士団の一群だった。
大体五、六人程度だろうか。立派な鎧に兜に剣に馬。逆立ちしたってどうにかできる相手じゃない。回れ右しそうになるのを堪えて、馬の足を緩める。
トゥレはどうにも、騎士団というのが苦手だった。
お行儀良くて優秀で、自分とは天と地ほどの差がある連中。国と民の為にその身を捧げ、清廉潔白で公明正大、どんな不正も見逃さない。
余りのおぞましさに寒気がした。
とはいえ、騎士団が都市の場所を知らないということもないだろう。考えようによっては運がいいと言える。
この際、自分の趣味嗜好は無視だ。そんなことを言っていられる場合じゃない。
覚悟を決めて、愛想笑いを浮かべて騎士団に近づいた。
「どーも、こんちわっす」
「あぁ、良い旅日和だな」
軽い会釈に片手を挙げて先頭の騎士が答える。
そういうとこが嫌いなんだ、という言葉は胸の内で噛み潰した。
すれ違うつもりがなさそうなトゥレに、片手を挙げた騎士が馬の足を止める。背後の騎士達も同様に馬を止めた。
騎士達の察しの良さに、トゥレは苦笑を浮かべる。
「あの、道を聞きたいんですけど」
「どこへ行くんだ?」
躊躇のない親切に鳥肌が立つのを抑えながら、
「えーっと、何て言いましたっけ。こ、コ……あの、都市なんですけど。『小さな王都』とか言われてる」
「あぁ、コンフザオか?」
「それです、それ!」
力強く頷くトゥレに、騎士は腕を組んで考え、後ろの騎士達へと振り向いた。
「おい、コンフザオまでの地図を描いてやれ」
「了解」
背後に並んだ騎士の一人が、馬に括り付けた荷物から羊皮紙とペンを取り出す。
早速描き始める騎士を見て、トゥレが慌てて首を振った。
「あ、あ、いいですよ、口で言ってもらえれば」
「気にするな。口で説明しても分かりにくいだろうからな」
「はぁ……そうなんですか?」
「コンフザオは北西部の交通の要衝だから、近づくほどに道が多くなる。うっかり横道に逸れようものなら、初めて来た奴は迷ってしまうだろう。わざわざ道を聞くくらいだ、二度目三度目ということはあるまい?」
「はぁ、まぁ、そうですね」
「地図なら何度でも確認できるからな」
「……どうも、お手数かけます」
自分よりも年上そうな騎士に頭を下げ、大人しく地図を描いてもらうことにする。
当然という面でこういうことをするところが、騎士団を苦手とする理由だった。
余裕がある。自信もある。ただの旅人にここまでするのも、当然の義務だと思っている。
どうにも見下されているような気分になって、好きにはなれない。
だが、助かるのは事実だ。描きあがるまで暇なこともあって、ついでに色々と聞いてみることにした。
「皆さんは、巡回ですか?」
「あぁ、まぁな。遺跡も含めて、ぐるりと見回っている。君も何か気づいたことがあったら言ってくれ」
君、なんて呼ばれ方に怖気が走る。
愛想笑いが崩れないよう、必死に保った。
「この辺って遺跡があるんですか?」
「あぁ――そうだ。管轄下であることを示す印があるから、無闇に立ち入るんじゃないぞ。中には魔物がいるかもしれないからな」
「分かってますって。そんな危ないこと、するわけないっすよ」
騎士がトゥレの顔を一瞥し、脅すように口の端を上げて忠告する。
目が笑っていないのに気づかない振りをして、トゥレも笑って流した。
――こいつ今、俺の顔を見て判断しやがった。
流石に優秀だ。どういうつもりなのか、一瞬で判断してどう話すかを決めたのだろう。
どちらかといえば悪人顔である自分に、余計な情報を渡さないようにした。ようやっと自分の土俵に立った気がして、トゥレは思わず口元を緩める。
騎士団だって人の子だ。本当に全員に等しくできるわけもない。
胸がすっとする思いで笑いあっていると、地図が描きあがったようだ。
「終わりました」
「うむ、ご苦労」
地図を受け取った先頭の騎士が、トゥレに向き直る。
「これで迷うことはないだろう。気をつけて行け」
「ありがとうございます。助かりました」
「あぁ、良い旅を」
「そちらも、無事に任務が終わることを祈ってますよ」
「感謝する」
短く返し、騎士団は手綱を握ってトゥレと別れた。
背後に遠ざかっていく騎士達を横目に、トゥレも馬を進ませる。地図も手に入れたことだし、先を急ぐ事にした。
まかり間違っても騎士団にだけは入りたくない。品性だのなんだのと、下らない事を四六時中気にするような仕事は御免被る。
この地図も、コンフザオの近くまで行ったら焚き火にでもくべよう。良く燃えるはずだ。
先程までとは少し種別の違う溜め息を漏らして、地図に目を落とす。
そういえば、連中の話だと遺跡が近くにあるらしい。
縁も所縁もないはずなのに、何故か背筋に寒気が走った。
この感覚には覚えがある、何か嫌な事がある前に来る予兆みたいなものだ。
頼むから、次の街では平穏無事に過ごしたい。
適当に楽をして、それなりにいい暮らしさえできればそれでいいのに。
他人なんかどうなったっていいから、せめて自分だけは楽しく生きていたい。
本人からすればささやかな願いを込めて、地図に描かれた次なる都市を見つめた。
自分勝手な奴の頼みごとなど、神様じゃなくたって聞く耳なんか持たないものだ。




