第四十二話 「四つ巴・1」
――ミニストロ家は、王都でも有数の名家である。
代々国王に仕え、大臣として国の行く末を担ってきた由緒ある一族。
歴史と伝統に彩られた系譜は、ヴィシオの代になっても色褪せることはなかった。
その屋敷は王宮を含む一帯、選ばれし上流階級のみが軒を連ねることを許された地域にあり、権威を誇示するように聳え立っていた。
屋敷の一室、当主たるヴィシオの自室はそれこそ豪華絢爛という言葉が生易しい程の装飾に埋め尽くされ、調度品はどれも貧民窟の住人が十年は楽に暮らせる額の代物ばかり。
悪趣味と自己愛に満ちた部屋の中で、当代のミニストロ家が主はガウンに身を包み、酒を呷って臭いゲップをかました。
ここのところ、というよりあの『魔法使い』のガキを逃して以来、どうにもこうにも上手くいかないことが多い。
大勢にまでは影響しないが、細かい所で苛立つ事が増えた。糞生意気な騎士団連中、言うことを聞かない耄碌国王に、今度は『組織』に様子を探りに行かせた部下まで戻ってこない。
多少古代語を読める事以外取り柄のない副官は、小癪にも大局的に見れば上手く行っているのだから殊更騒ぐべきでない、などと賢しいことをのたまいやがる。
収まらない苛立ちをぶつけるように一気に酒を飲み干し、空になったグラスを机に思い切り叩き付ける。
それでも気は晴れず、引き出しを開け鍵を除けて葉巻を取り出し、吸い口を作って火をつけ燻らせた。
口の中の煙が酒の残り香と混ざり、脳髄がジンと痺れる。
頭の中を占拠していた嫌な考えが飛び散り、紫煙を吐いて香りが満ちる度に少しずつ冷静になっていく。
あの嫌味野郎の言う通り、大まかには予想通りに事は運んでいる。騎士団の能無し共が気づいた様子もないし、『組織』が裏切ったわけでもない。
たった一人の『魔法使い』、しかもガキだ。喉に刺さった小骨程度のものでしかない。刺さっている間はちくちくと嫌に気になるが、気づけば取れて何事もなかったようになる。
むしろここで焦って妙な動きをするほうが、よっぽど損に働く。
大臣連中の懐柔も進んでいる。王宮の勢力図がこちらに傾く日もそう遠くはない。
こういうときこそ慎重に、ゆっくりと、誰も気づかぬ内に変えていくのだ。
間抜け共が気付いた時には手遅れ。そういった状況が望ましいし、そうなるように準備も整えてきた。
十年、いやさ二十年以上前から計画してきたのだ。この程度のことでおたついて、全て泡と消えてしまったらどうしようもない。
半分ほど吸い終えた所で、一度葉巻を置いて大きく煙を吐く。
酒がないのはやや趣に欠ける。丁度いいし、瓶ごと持ってこさせよう。ついでに『今夜の勤め』は持ってきたメイドにやらせるとするか。
空になったグラスを一瞥して、呼び鈴を手に取る。
もうかなりいい年ではあるものの、ヴィシオに妻はいない。正確に言えば家督を継ぐ際に結婚はしたが、計画の遂行に邪魔になりそうだから殺した。
秘密を知っている人間は少ないほうがいい。それに、自室に自由に出入りできる人間が自分以外にいるという状況は耐えられるものではなかった。
ふとしたことから計画が露見しては目も当てられないし、抱き込んだとしても心変わりを起こされては困る。
注意しているとはいえ、自室には証拠が山と存在する。そんなところを他人が好き勝手に触るだなんて、到底看過できない。
妻、という存在は『ついうっかり』主人の秘密を覗く事が許されている。そんなもの、ヴィシオにとっては障害以外何者でもなかった。
ただ、由緒あるミニストロ家の血筋を絶やすわけにもいかない。なので、ヴィシオは屋敷のメイドなど後腐れのない、また表立って騒がれてももみ消すことのできる女に限って『夜の勤め』をさせていた。
できた子供と産んだ女は適当な理由をつけて保護するか金を渡すかして、その中から都合のいい奴を都合のいい時に使う。それが、ヴィシオの選んだ『後継者の作り方』だった。
現在、公的にはヴィシオに子供はいない。
再婚を薦める声も多くあるが、その全てに首を横に振っていた。
他人の腹積もりなど分からない。ヴィシオは『亡き妻に操を捧げる愛情深き人』と見做されていた。
本人はもう、何人の女を抱いたかすら覚えていないというのに。
鈴を鳴らす前に、ドアがノックされた。
「だ、旦那様。お手紙が届いております」
「……入れ」
ヴィシオが許諾を与えると、小さくドアが開いて若いメイドが中に入ってくる。
確か、半年か一年ほど前に雇った田舎娘のはずだ。顔立ちも発育もそれなりに良く、家が貧乏とかで働き口を求めていた。『勤め』をするのに最適な女だ。
間が良かったので入れたが、普通なら追い返していた。夜の部屋に来る時は相応の用件だけにしろと伝えていたはずだが、頭が悪いのか何なのか。
手紙如きで毎回来られても困る。用件を言う前に一言説教すべきだろう。
若いメイドは実に緊張した様子で近づき、頭を下げると同時に手紙を差し出してきた。
「こっ、こちらになります」
「うむ……しかし、この手紙はそれほど重要なものなのか?」
受け取った手紙には特に押印はなく、差出人も誰か分からない。
軽い説教に止めようと思っていたが、こんなものを持ってくるとは本格的に馬鹿なのだろうか。
王家の捺印でもあれば別だが、誰とも知れない相手の手紙を取り次いだ挙句に夜の私室にやってくるなど、懲罰ものだ。これは、きつい『お仕置き』をしなければならない。
「わ、分かりません……けれど、この手紙を持ってきた方が『早めに持っていった方がいい』と。何でも、旦那様のお仕事に関することだそうで……」
「ほう……?」
眉根を寄せ、ヴィシオは手紙をもう一度しっかり見る。
真っ白なよくある封筒。後ろには封蝋が押されているが、特に印璽はなくただ平たいもので圧されている。差出人が分かる記述どころか、宛名も何も書かれていない。
筆跡含め、徹底的に隠すやり口。ヴィシオは、この手法に覚えがあった。
残念ながら、『今夜の勤め』は延期するしかないようだ。
「ご苦労だった。下がって良いぞ」
「は、はい、失礼します」
深々と頭を下げて退出するメイドを見やり、葉巻をもう一本取り出してナイフで先端を切る。
封筒を机の上に放り投げて忌々しそうに眺めながら、炙るように切り出した部分に満遍なく火をつける。
葉がチリチリと燃え、ゆっくりと最初の一口を吸う。この瞬間が、ヴィシオにとって最も安らげる時間だった。
もう一口吸い、落ちないように咥えて、吸い口を作ったナイフで封を切る。
中に入っていた手紙は予想通り、『組織』からのものだった。
文章に目を通すほど、顔に明確に怒りが浮かぶ。
読みきるのと怒りの余り咥えたものを噛み千切るのは、ほぼ同時の出来事だった。
床に転がった葉巻を地団駄を踏むように潰し、拾って灰皿に思い切り圧しつける。
「あのドブネズミ共がぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
怒りが収まらず、机に拳を叩き付ける。握力の限りに握り締めた手が痺れて、椅子を蹴って立ち上がった。
手紙の内容は至ってシンプルだった。
依頼の完遂まで時間がかかる事。せっついてきた使者を殺した事。そして、これからも良好な関係を続けていきたい旨が記載されていた。
ヴィシオは乱暴に引き出しを開け、鍵を取り出して一番下の引き出しの鍵穴に突っ込む。
開けた引き出しから更に鍵を引っ張り出し、クローゼットに向かう。
――何が良好な関係だ。クズ共が、いっぱしに対等な取引ができるつもりでいやがる。
クローゼットを開け、敷き詰められた高価な服を全て無視して底を漁り、隠された穴に鍵を突っ込んで底板を引き上げる。
そこにはまたも鍵と、何に使うのかというくらい厚手の服と鎖を重ねた薄い鎧、毛皮で作られた上着があった。
――使いが殺された事にも気付かないこちらを笑っていたのだろう。クズの分際で、実力は自分達の方が上だとでも言うつもりか。
ガウンを脱ぎ捨て、厚手の服に着替える。チェインメイルを着込み、毛皮の上着を羽織れば人に見られても誤魔化しが利く姿になった。
クローゼットを閉じて反対側の壁にくっついている棚に近づく。
――たかがガキ一人殺すのにも時間が必要なゴミの癖に、でかい口を叩きやがる。これだから人間は信用できない。
棚に置かれた誰が作ったかも分からない像を下ろせば、かちりと音がして棚と壁が少しずれる。
ずれた隙間に見えた鍵穴に服と一緒にあった鍵を差し込んで捻れば、壁が音を立てて開いた。
――やはり、俺の考えは正しかった。人間などに頼らない戦力が必要だ。
開いた先には階段と暗闇があり、人一人が通れるくらいの幅があった。ヴィシオは迷いなく足を踏み入れ、壁にかけられたランタンをとって明かりをつける。
壁の裏側にある鍵穴にまたも差し込んで捻れば、もう一度音を立てて壁が元の位置に戻っていく。
壁が閉じたことを確認して、ヴィシオはランタンを掲げて階段を下りていく。
階段は螺旋を描き、下へ下へと続いている。物音は何もしない。ただ、ヴィシオの足音だけが響いていた。
階段を下り切った先には、野心と欲望に塗れた男が作り上げた、その醜さを形にしたような光景があった――
※ ※ ※
意識を取り戻した二人の目に飛び込んできたのは、遺跡特有の薄明かりに照らされた広大な空間だった。
オルトロス――ペロが住処にしていた、崩壊した遺跡の一部にあった転送陣。
それを使って逃げた先は、またも遺跡の中だった。
今度は崩壊などしていない。壁も床も遺跡特有の材質であることが見て取れるし、奇妙な箱状の物体が立ち並んでいるのも見える。
ナイトには分からずともマギサには分かった。
あれは『装置』だ。
持ち運びが不可能な『魔道具』の一種。『陣』よりも高度で、より複雑な『魔法』を再現することができる。
その性質上、『遺跡』に据え付けられている場合が多く、通常見つかることは滅多にない。
そして、何より一番の特徴は『魔力』を蓄えることが出来る、という点だ。
『装置』だけが持つ特性により、使用者が『魔力』を消耗する必要がない。それ故に使用方法は他二つと比べて格段に難しいが、『魔法使い』でない者にとって最も容易に使える『魔道具』であると言える。
マギサも本物を見るのは初めてだ。近づいてちゃんと確認しようとして、
獣の咆哮が幾重にも重なって広間を襲った。
慌てて周囲を見回す。ナイトも腰の剣に手をかけた。
広間の壁の一部が、等間隔に格子状になっている。咆哮は、その奥から聞こえた。
軽くない足音と共に、等間隔にある全ての格子の向こうにオルトロスが現れた。
一体何匹いるのか。軽く数えただけで十は超える。
ペロとは違う。マギサの知るオルトロスそのものの凶暴さでもって、格子の奥から二人に向かって牙を剥いた。
鉄格子ならば簡単に食い破られていただろう。遺跡の強度は、オルトロスの牙程度ではびくともしないのが救いだった。
「マギサ。ここがどこか分かる?」
ひとまず飛び掛られることはないと分かってか、ナイトが剣から手を離して尋ねてくる。
そんなことを言われても、マギサだって困るのだ。
「分かりません。ただ、おそらく完全な形で残っている数少ない遺跡の一つです」
マギサの返事に、ナイトが眉を上げて溜息を吐く。
壁や床の損傷具合、そして『装置』の存在。少なくとも、かつて『魔法使い』に反逆した人々が見つけていたら粉々にされていたことだろう。
そうでないということは、無事に隠れおおせた『遺跡』である、というのが現状マギサに推測できる全てだった。
「向こうの『装置』を調べれば、少しは分かると思います」
「装置? あー……そう、魔道具の一種だったね、うん」
思い出すように目を泳がせて、分かりやすい表情の変化と共に頷いてみせる。
覚えていた……というより、思い出した事を褒めた方がいいのかもしれないが、取り繕うような苦笑にマギサはその気が失せた。
すぐに出てこない事の方が問題だ。そういう事にして、マギサは足を進めた。
無縁ではないと思ってはいた。ペロが住処にしている以上、何かあるのだと。
予想通り、オルトロスが閉じ込められていた。しかも、完全な形で残っている遺跡。『通常とは異なるオルトロス』が生まれた原因が、もしかしたらここにあるかもしれない。
嫌な予感は膨らんでいく。
そもそも、あんな数のオルトロス、一体どこから持ってきたのか。いくらポピュラーとはいえそれはかつての話であり、現代では生き残っている事の方が珍しいはずだ。
それとも、あれはどこかから持ってきたのではなく、
この遺跡で、創ったのだろうか。
脳裏を過ぎった最悪の想像を、妄想だと切って捨てることが出来なかった。
祖母の膝の上で聞いた物語。『魔法使い』の間で遊戯として流行っていた戦争の真似事を、円滑に進める為に開発されたという『魔物』を創り続ける『魔道具』の話。
そんなものは全てとっくに壊されているだろうが、かつての人々の報復から逃れた『魔法使い』がそれを元に作ったとしたら。
いずれやってくるかもしれない復讐鬼から身を守る為に。
いつか自らを追いやった人々に報復する為に。
最早後ろにいるはずのナイトの事すら頭から抜け落ちて、マギサは思考の海に溺れた。
『装置』に近づく度に心臓の鼓動が早まっていく。
もし、想像が正しいとしたら。そんなものを偶々見つけたどこかの誰かが勝手に弄って使えてしまったとしたら、一体どんなことが起こるだろうか。
正式な使い方も分からず、適当に動かしたのだとすれば、時折想定外の事態だって起きるのではないだろうか。
例えば、闘争心のないオルトロスが生まれてしまう、とか。
マギサの手が、腰までもある巨大な箱に触れた。
なんとも言えない感触に、口元が引き結ばれる。
軟らかくもないし硬くもない。冷たくもないし温かくもない。遺跡の構造物と同じ、確かな感触だけが伝わってくる。
かつての時代に作られたものなのは間違いない。こんなもの、里の誰も作れない。
マギサは微かに眉間に力を入れ、奇妙な箱の調査を始めた。
各種計器類に、出力調整用のレバー。幾つもついているボタンは各項目のオンオフを示し、細かな注文にも応えられるようになっている。更に、残存魔力に応じて自動的にオプションを選択する機能つきだ。
間違いない、これは『魔物』を創る為の『魔道具』だ。
とてもではないが、現代の『魔法使い』に作れる代物じゃない。マギサとて、調べたものの半分以上の意味と役割を理解できていない。
しかも、これは一つで力を発揮するものではなかった。
複数の同じ仕掛けと連結して効果をもたらす型らしく、直接的に実行する機能が備わっていない。自動化するほど高度な『魔道具』には珍しくない仕組みだが、そうなるとこの箱一つ調べても答えには辿り着けないことになる。
隣り合う箱もあったが、それは『転送』に関するものだった。これも自動化済み。おそらくは、創ったオルトロスを檻の中に入れる為の仕掛けだろう。
どちらの『装置』も、溜め込んだ魔力は底をついていた。
そこまで調べ上げて、マギサは息を吐いて手を離す。
散々没頭して分かったことといえば、そのくらいのものだった。
知識の差があり過ぎる。切れっ端くらいしか分からない。これを正確に使いこなすことなんて、到底できっこない。
それに、人が手を触れた跡も見えなかった。もしかしたら、これと繋がっているはずの別のやつにはあるのかもしれないが。
ふと気になって後ろを見れば、ナイトの姿がなかった。
寒気が走る。
夢中になっていて、ナイトの事が頭から抜け落ちていた。一体どのくらい調べていた? 日の見えない遺跡の中では、時間の経過が分からない。
どこにいってしまったのか。何か厄介な事が起きて、私に気を使って勝手に解決しようと一人で動いているのか、それとも。
私を置いて、一人で遺跡から出て行ってしまったのか。
どうせならその方がいいとさえ思っていた癖に、足が震える。
魔物に襲われたのか、いやそれなら争う音くらい聞こえるはずだ。
もしかして、本当にもしかして、私を見捨てて、
「マギサー! おーい!」
声が聞こえた瞬間、どっと力が抜けて、へたり込みそうになった。
耳を頼りに振り向けば、遺跡の端の方でナイトが手を振っていた。
杖を掴んで足に力を入れ、心の中を気取られないようにナイトの方に歩く。
マギサから見て後ろは壁になっており、ナイトが立っているのはその隅近くだった。
そこには階段があり、ナイトが用心深く叩いたり覗き込んだりして調べていた。
「ナイトさん、」
「あぁ、向こうの調べものは終わった?」
「はい」
「そっか、良かった。邪魔しちゃ悪いと思って辺りを調べてたらこんなのがあってさ。なんか一息ついたみたいだから声をかけたんだけど……どう思う?」
小さく笑った後、表情を引き締めて階段の奥を見やる。
階段の先は途中で折れ曲がっていて見えない。ただ、マギサの予想が正しければ、この先には先程の仕掛けに繋がるものがあるはずだ。
『装置』同士の距離が遠くなるほど、連結させるのは面倒になる。わざわざ遠くに置く意味は殆どないと言っていい。ならば、これ見よがしにある階段の向こうが何か、なんてのは少し考えれば想像がつく。
それはそうと、マギサには言っておくべき事があった。
「ナイトさん、私はここが完全な形で残っている遺跡だろうと言いました」
「? あぁ、うん……そうだね」
何を言われようとしているのか、全く理解していない様子でナイトが首を傾げる。
それを見たマギサの胸中は、本人以外に知る由はない。
「遺跡が危険であるのは、重々承知の事と思います」
「え? あー……まぁ、酷い目にあったからね」
「『魔法使い』である私でないと対処出来ないことも多いです」
「そうだね、うん」
素直に頷くナイトに、マギサは薄目になって、
「ナイトさんが一人で勝手に歩くのは、危険だと思います」
「……あぁ……うん、まぁ、その……はい、そうですね」
やや厳しいマギサの口調に、ナイトは襟足を弄ってあちこちに視線を逃がした後、観念したように頭を下げた。
実にみっともなく情けない話ではあるが、マギサの言うとおりである。
現状、遺跡で『魔法』絡みの罠があった場合、ナイトではどうすることもできない。
魔物やゴーレムだって対処できるものとできないものがあり、その場合どうしたってマギサの協力を仰ぐしかない。
大の男が、守ると誓った女の子に逆に守られるというのはなんとも格好がつかないが、それが現実というものである。
プライドも何も、事実の前には役に立たない。恨むなら己の無力を恨むしかない。
もっと知識と力をつけて、マギサに頼らなくていいようにしようとナイトは再び誓った。
ナイトとて男である。下手な意地でも、努力する動機になるなら悪くはないだろう。
第一、『魔法』関連で何かあったらマギサを守れない。それはそれで、守ると決めたことに嘘をつくようで嫌だった。
「それで、この階段ですが」
「あ、う、うん、はい」
話を切り替えたマギサについていくように、顔を上げて頷く。
ナイトの目に見えたマギサは、いつもと変わりない表情をしていた。
論理的な説教に切り替えの早さ。これじゃあどっちが年上か分からない。
そういうことを考えるからいつまでも駄目なんだと、ナイトは余計な考えを頭から追いやった。
「多分、先には『装置』が収められた部屋があるはずです」
「それって、さっきみたいな?」
マギサが頷き返し、目線だけで後ろを振り返る。
釣られるように、ナイトもさっきまでマギサが調べていた箱の方を振り向いた。
「あれは他と連動して効果を発揮する型だと思います。遠くに離す理由もないので、この上にあるはずです」
「じゃあ、気を引き締めないとね」
ナイトが真顔になって、腰の剣に触れて確かめる。
その様子を横目に、マギサは階段の向こうに視線を送った。
この上にあるであろうものを調べれば、少なからずこの遺跡の事が分かるかもしれない。そうでなくとも、あのオルトロス達の事は分かるはずだ。
予想を確信に変えるのは、自分の無知さも合わせて考えれば大事な事だろう。
本来なら『魔法』で階段を調べたいところだったが、それが起動のきっかけになっても困る。ナイトと目を合わせて頷き合い、いつもの隊列で上った。
ナイトの背中を見ながら、マギサは小さく胸を撫で下ろす。どうやら、さっきの説教に私怨が混じっていたことは気づかれていないようだ。
我ながら恥ずかしく、さっさと話を逸らしたかった。
あんなことをしたのは、もしかしたらペロの件が原因かもしれない。
エウリュの気持ちが痛いほど分かる。
独りは、怖い。
私は、それを彼女に押し付けたのだ。
今更ながら、自分の罪深さに足が震える。
それしかなかったとはいえ、私は自分がされて嫌なことを相手にした。
『魔法使い』の罪からは逃れられないのだと思い知った。
目の前の広い背中に縋りたい気持ちをぐっと堪えて段を昇る。
少しでも罪滅ぼしになるかもと思えば、『装置』を早く調べたかった。
階段を昇っている最中、オルトロス達が大きく吼えた。
※ ※ ※
螺旋状になっていた階段を上った先は、マギサの予想通り階下と同じものが敷き詰められた部屋だった。
壁際、下半分は一面に箱状の『装置』が並び、魔力が空である事を示すランプが点灯している。入ってきた階段の反対方向には、同じく上に向かう階段があった。
どんな仕組みか、壁際の上半分は穴でも開いているように向こう側が丸見えで、下を見れば巨大な転送陣と先程調べたものが見える。
床に刻まれた野狐の紋章が、取り繕ったように浮いていた。
ナイトはいつでも剣を抜けるように腰に手を添えて周囲を見回し、マギサは早速壁際に飛びついた。
点滅する指示器を無視し、なるべく何も弄らないようにしながら調べ回る。
立ち並ぶ箱の一つに、モニター付きのものがあった。
やっぱりだ。自分の考えが間違いではなかったことを、マギサは確信した。
そこに映し出されていたのは、オルトロスの詳細情報だった。
筋力、跳躍力、咬合力。他にも細かい情報が表示され、手元のパネルを弄ることで変化させられるようだ。この箱と、ここ一帯のものは連動しているのだろう。
ここで入力された情報通りに、蓄えられた魔力を使って魔物を創り出す。それが、この遺跡の機能なのだ。
人が触れた跡もある。最初に出鱈目に触ったのか、意味もなくレバーが動かされているし、見るからに都合の合わないボタンが押されている。跳躍力なんかだいぶ低いのに、脚力は高く設定してあるとか意味が分からない。
幾つか見てみると、魔物の作成に直接関係なさそうなものもあった。
流石にそれが何かまでは読み解けない。遺跡の機能に関わるものなのだろうが、触らぬ神に祟りなしだ。
ただ、一つだけ気になるやつがあった。
パネルに表示された1から20までの番号と、それぞれに対応したミニランプ。20まで全て埋まっていて、『外』と古代語で書かれたランプが点滅している。
思い当たる節があって、箱の向こう側に身を乗り出す。
予想通り見えない壁があって、何らかの力で透明になっているだけなのが分かったが、それは今は別にいい。
転送陣のあった広間。等間隔に並ぶ、檻を思わせる格子。
数えられたのは片面だけだが、十はあった。視界外にもある可能性は置いておく。
となると、もう反対側にも十はあるはずだ。
体を引き戻し、記載されている古代語に目を這わせる。
意味の分からない語句は無視する。絶対にあるはずだ、あの言葉が。
見つけた。『監視』と書かれたボタン。
震える手で押せば、1から20までのミニランプから浮き上がるように映像が現れた。
俯瞰する構図で映し出されたそれは、間違いなく広間の格子の向こう側のものだった。
蠢くオルトロスに、片側からだけ溢れる光。中にはオルトロスがいない映像もあったが、形状から見て間違いない。
これは、あの転送陣を管理する『魔道具』だ。
『外』とは、ペロがいた遺跡のことだろう。この遺跡の『檻』が満杯になって、自動的に繋がるようになったのだ。
これではっきりした。魔物の増加の原因は、これだ。
『誰か』が、ここと同じような遺跡で魔物を創りだしているのだ。
その『誰か』は、『魔法使い』ではない。もしそうなら、こんな無駄な真似はしない。『装置』の魔力だって、空のまま放っておくものか。
人の気配がないことからしても、魔力が空になった段階で放置されたのだろう。そして、適当に弄くったから、訳の分からない設定になって偶発的にペロが生まれた。
多分、魔力が足りなかったのだろう。本来のオルトロスを構築しきれず、こいつを作った『魔法使い』が元にした犬か何かの性質を受け継いだのだ。
そうと知らず檻に入れようとして転移させ、あの遺跡に飛んだ。そう考えれば辻褄が合う。
『使役』が効かなかったのも、この中のどれかが『使役』の代わりを果たしていたのだ。どんなに半端でも、魔力の桁も魔法の質も違う。対抗できるものじゃない。
呆然としたまま、浮かび上がる映像を眺める。
誰がこんなことを。
あの下法陣といい、半端な知識で手を出していいものじゃないのに。
こんな力、破滅と悲しみしか呼び込まないのに。
自らの推測を裏付ける物理的証拠を前に、マギサは立ち竦むしかなかった。
「マギサっ!」
ナイトの叫び声が聞こえたかと思うと、思い切り身体を引き寄せられる。
何を言う暇もなく為すがままにされると、目の前を銀の軌跡が走った。
「ぁ、」
漏れ出た声が何を意味するのかは、マギサ自身にも分からなかった。
銀色の爪が先程まで見ていた映像を切り裂き、壊せないはずの箱を破壊する。
ナイトは腕の中のマギサを離し、爪の持ち主との間に挟まるように動いて剣を抜いた。
『魔法使い』の遺産を引き裂く爪を持った襲撃者は、編み込んだ一本の黒髪を揺らしナイトと対峙する。
襲撃者は一瞬ややフラついたような素振りを見せ、力強く床を踏み締めた。
マギサの頭を戸惑いが支配する。何故、どうして。撒いたはず。万が一後を尾けられたとしても、陣を起動することなんて、
映像や『装置』さえ切り裂くあの爪が、『魔道具』だったことを思い出す。
階段を昇っている時、オルトロス達が吼えていた。
バラバラだった情報が一本に繋がって、彼女がここにいることに納得する。
色と温度を失った黒衣の刺客、シャレン。
最悪の切り札である『魔法』にさえ対抗策を持つ、最悪の存在。
最悪の遺跡の中で、ナイトとマギサは最悪の状況に追い込まれていた――




