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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
41/85

第三十九話 「オルトロスの森・4」

 ペロと別れ、ナイト達は森の入り口にある池まで戻ってきていた。


 マギサは軽く意識を集中し、ペロにつけた印の位置を確かめる。西北西、距離はかなり開いていてゆっくりと移動中。どうやら、あの洞穴に帰っているようだ。確かに、あの巨体が暮らしていける場所はそこくらいしかないだろう。

 無事機能していることを確認して、集中を解く。当面の危険はないとはいえ、いつ『凶暴化』するか分からない。用心はすべきだ。

 尤も、予想が正しいなら杞憂に過ぎないのだが。


 池の畔で、エウリュが急に立ち止まって振り向いた。

 その目の真剣さに、ナイトが気後れしたように軽く身を引く。マギサは微動だにしないままエウリュを見返した。


「ペロをどうするつもりなんですか」


 誤魔化しも嘘も許さない。目は口ほどにものを言う。

 家に帰る前に口火を切ったのは、祖父に聞かせたくなかったからか、返答次第で態度を決める為か。

 エウリュの左手が腰の鉈の位置を確かめるように微かに動いたのを、ナイトは視界の端に捉えていた。


「それを考える為に戻ってきたんだよ」


 困ったように笑うナイトに、エウリュはしかし表情を緩めない。

 黙ったままのマギサに視線を流し、ナイトは襟足を掻いて中空に目線を逃がした。

 自分が口を開けば、また話がこんがらがる。そうマギサは判断して、この場はナイトに任せることにした。元々、人と話すのは苦手なのだ。

 言葉を探すように唸って、ナイトはエウリュに視線を落とす。


「悪い子じゃないのは分かる。僕もあの子を始末したりするのは反対だ。かといって、もう既に僕らに依頼するくらい村の人達の間で噂になっている。このまま何もしないで立ち去る事はできない」


 始末、という言葉にぴくりと反応するものの、エウリュはぐっと黙り込む。

 変に表現をぼかすことをナイトはしなかった。実際、そのつもりで森に入ったのだ。今更事実から目を逸らすような言い方はできない。

 例えナイト達が何もせず立ち去ったとして、いずれ他の誰かがペロを始末しようとするだろう。それが騎士団だったなら、確実にペロの命は尽きる。


 ナイトは掌を握って開く。撫でた毛の感触がまだ残っている。嬉しそうな鳴き声もすぐに思い出せる。息を吐いて拳を握り締めた。

 どうすればいいかは分からない。

 けれど、どうしたいかは決まっていた。


「何とかして、皆に問題ないと分かってもらおう。それが無理なら、せめてペロが殺されたりしないようにしよう。その方法をこれから考えるんだ」


 真っ直ぐにエウリュを見て言い切るナイトに、マギサは胸の内で嘆息を零す。

 ペロとじゃれあうナイトを見たときから、どうせこうなると思っていたのだ。

 横顔を見ただけで分かる。特に何も思いついていない。いつもみたいにやりたい気持ちばっかり先行している形だ。


 驚いているエウリュの目が、少しだけ潤みだす。

 口を引き結びこみあがるものを堪えて、冷静を装ってエウリュが背中を向けた。


「分かりました。外ではなんですから、家の中で話しましょう」

「そうしてもらえると助かるよ」


 力の抜けたナイトの笑みを肩越しに見やり、エウリュが先導する。

 微かに沸き立つ苛立ちを視線に込めてナイトの頭にぶつけ、マギサはエウリュの後について歩く。


 ペロの件は簡単な話じゃない。ただ大人しくて体が大きいだけならやりようもあるが、どこかしら問題のある魔物だ。懸念を払拭しきることができるかどうか。

 いざという事態の対処も頭に入れて、落ち着く形を模索しなくてはいけない。


 能天気なナイトの顔と表情が想像できてしまうエウリュの後ろ頭を見ながら、マギサは杖を握り締める。

 そもそも、一体どこからペロは来たのだろう。山を越えてきたのか、それとも。

 情報が少ないせいか、何を考えても最悪の想像ばかりが浮かんでくる。そしてその度に、頭をよぎるものがあった。


 何か起こる前に。

 安心の為に。

 存在自体が脅威だから。


 その全てが自分に浴びせられた言葉だということは、誰に言われなくとも分かっていた。



  ※            ※             ※


 二度目となるエウリュの家の敷居を跨ぎ、部屋に通される。

 天井から皮が干されていることはなかったが、骨細工や(やじり)が置かれ、矢羽に使うであろう羽と矢竹が籠に突っ込まれていた。

 壁には予備だろう鉈も掛かっており、歴戦の狩人という雰囲気を醸し出している。

 呆けた顔で見回すナイトが、マギサに小声で尋ねる。


「ここって、エウリュの部屋かな?」

「そうだと思います」


 そっか、と呟いて目線を流すナイトを横目に、マギサは膝の上に置いた杖に視線を落とす。

 エウリュは祖父の様子を見てくると出て行った。

 暗黙の了解で話はエウリュが戻ってきてからという流れになり、二人して作業台みたいなテーブルの前に座って手持ち無沙汰になっている。

 マギサとしてはエウリュのいないタイミングで話したいことがあったのだが、いつ戻ってくるかも分からないこともあって無言を貫いていた。

 うっかり聞かれた日には何を言われるか分からない。責められるならまだしも、妙な頼みごとでもされたら堪らない。


 ペロの凶暴化は『魔力』に反応して起こるのかもしれない、なんて。


 これ以上の面倒事は御免だし、本当にそうなのかもう一度くらい検証してみたい。それで間違いなければ、少なくとも凶暴化に関しては当面心配ないだろう。

 『魔法使い』はもうこの世に唯一人。魔道具がこんな田舎に流れ着くこともないだろうし、反応するようなものはないはずだ。


 ただ、それ以外の可能性がないわけではない。

 今回はたまたま『魔力』への反応という形で見つかっただけで、他にも切っ掛けが存在しないという保証はどこにもないのだ。

 それに、遠吠えの件も気になる。もし、それが別の切っ掛けなのだとしたら。


 自然と目に力が篭っていた事に気づき、瞬きを繰り返す。

 何にせよ、ペロが村の人に受け入れてもらえる可能性はないに等しいだろう。ナイトにもエウリュにも悪いが、今更誤魔化しも効かないと思う。


 だが、どうするかを決めるのは自分じゃない。

 二人が何とかしたいというなら、何とかできる方法を考えるだけだ。

 例えそれが、どんな荒唐無稽なものだとしても。


「お待たせしました」


 簡素なお盆にお茶を乗せて、エウリュが戻ってきた。

 配られたお茶は独特な匂いで、薬草を煎じたような色をしていた。懐かしい感じがする。クーアが淹れてくれたお茶も、似たような色と匂いだった。


「ありがとう、頂きます」


 目を細めて口をつけるナイトも、同じ事を思っているのだろうか。

 マギサもカップを傾ける。味はクーアが淹れてくれたものの方が美味しかった。

 一息ついたところで、エウリュが切り出してくる。


「……ペロのことを、皆に分かってもらうんですよね」

「うん。そうできればいいなと思ってる」

「本当にそんな事が出来るんですか?」


 どこか縋るような目つきのエウリュに、ナイトが困ったように笑う。

 特にいい思い付きがない時の顔だ。


「分からない。とりあえず、今の所明らかな問題から片付けていかないとそれどころじゃないってことかな」

「……問題、ですか」


 頷くナイトに、エウリュが唇を噛み締める。

 村長が依頼をするだけの事があったのは事実だ。熊か何かと疑っていたみたいだが、違ったところで正体がペロなら結末に大した差はないだろう。

 いくら大人しいと主張したところで、駆除する理由はいくらでも思いつく。魔物だと分かったなら尚更だ。


 そういえば、ペロが魔物だとエウリュには説明していなかった。ナイトも話していないから、一々話さずともいいだろう。現状の理解には問題ないし、何故そんなことを知っているのかと問われれば話がややこしくなるだけだ。

 ナイトが考え込みながら口を開く。


「えーと、まずは何で僕らを襲ったのか。後は、遠吠えをするようになった理由、かな。今までずっとしてたわけじゃないんでしょ?」

「はい……半年前くらいからたまに。最近は毎日です」


 襟足を掻いて、ナイトが眉根を寄せる。


「まぁ、痕跡はあったからいつかバレたろうけど、直接の原因はそれかな。改めて聞くけど、思い当たる節はないんだよね?」


 頷くエウリュに、そっか、とナイトも息を吐く。

 半年前といえば、村長が木に大きな傷がついていたと言っていた。一緒に狩りをしていたというし、何かの拍子に傷つけたのだろう。そういった目立つ痕跡を残さなくなったのは、狩りに慣れたからか。

 ナイトを窺えば、難しい顔をして唸っている。

 珍しく必死で考えているようだが、多分何も思いついていない。黙ったまま、お茶を一口飲んだ。


「あー、そもそも何で襲ってきたんだろう? やっぱり、僕らが住処に勝手に入ったから?」

「いえ、違うと思います。別の動物がいたら怖くて住処に戻れないような子ですから」

「それはそれで問題かもねぇ……」


 苦笑してナイトはお茶を啜る。

 早速手詰まりになり、無言の空間が出来上がった。

 土台、無茶な話なのだ。話が通じる相手でさえ理由の分からないことをするというのに、言葉の通じない相手の理由を探ろうだなんて。


 まして魔物、しかもかなり例外的な存在だ。保証なんてどこにもない。

 それでも、何があっても対処できそうな相手なら付き合うこともできるだろう。だが、オルトロスの強さは一般人がどうにかできるようなものじゃない。

 騎士団でもなければ一瞬で噛み千切られてお終いだ。そんなものが傍にいて平然としていられる人間はいないと思う。

 ペロを生んだ『何か』が特定できれば考えようもあるが、現状では不可能と言うしかない。


 グラン・スパイダー、ウトリ・クラリア、それにペロ。普通じゃない何事かが起きているのは分かるのだが、それが何かまでは分からない。

 少なくとも、グラン・スパイダーとペロに『使役』が効かなかったのは偶然じゃないし、ウトリ・クラリアの件だって無関係とは言えないだろう。

 おそらくは欠陥品だろうペロには、どんな問題が生じていてもおかしくない。無理に『魔法』をかけようとすれば自我が崩壊する可能性もある。

 手詰まりというなら、マギサとて手詰まりなのだ。少なくとも、大人しい方法では。


「あー……マギサは、何かない?」


 重い空気を打ち破るように、ナイトが話を振る。

 お茶を飲み込んで、なるべく誰の顔も見ないようにして言った。


「夜、遠吠えをしているペロを調査してはどうですか」


 思いつくことといえば、このくらいのものだった。

 様子を観察できれば、何かの糸口が見つかるかもしれない。もし、その原因がどうしようもないものだとすれば、エウリュの諦めがつくだろう。

 何にしても、今できる話はこのくらいだ。これ以上何もないことを示す為に、もう一度お茶を飲んだ。


「今できるのは、そのくらいかなぁ。エウリュもそれでいい?」

「はい……でも、私、夜はちょっと」

「あぁ、大丈夫。最初から僕ら二人で行くつもりだから」


 笑いかけるナイトに、エウリュが小さく頭を下げる。

 狩人としての仕事もあるだろうし、祖父の世話もあるだろう。マギサにしても、別にエウリュを連れて行くつもりはなかった。

 エウリュがいたら、ペロにつけた印を有効活用できない。むしろ願ったり叶ったりだ。

 話が決まると、ナイトが一気にお茶を飲み干す。


「さて、それじゃ僕らは村長さんとこに行くよ。色々話さなきゃいけないし、夜に備えて寝ておかなきゃ」

「はい、お願いします」


 ナイトに倣ってマギサもお茶を飲み干し、頭を下げるエウリュを横目に立ち上がる。

 エウリュに見送られながらログハウスを後にし、村への道を辿る。


 十分離れた所で、マギサはナイトに話を切り出した。


「ナイトさん」

「うん、何?」


 見下ろしてくるナイトの視線を感じながら、マギサは視線を前から動かさなかった。

 今ナイトの顔を見ると、言おうとしていたことが言えなくなる。なんとなくそんな気がした。


「ペロは多分、『魔力』に反応して凶暴化しています」

「うん……うん?」


 明らかに理解していなさそうなナイトの返事に、頭の中で用意していた言葉を構築する。

 準備さえすれば、少しは長く話せるのだ。


「オルトロスの特徴に『魔力』に鋭いというのがあります。臭いという形で微かな『魔力』にも反応するくらい。ペロはおそらく、私の『魔力』を嗅いでオルトロスとしての本能が刺激されたのだと思います」

「あー……それで、本来の好戦的なオルトロスになった?」


 マギサが頷くと、ナイトは難しい顔をして腕を組んだ。

 何事か考えたかと思うと、何か思いついたように顔を明るくして、


「じゃあ、このまま何もなければ凶暴化はしないってこと?」

「まだそうと決まったわけじゃありませんし、他の切っ掛けがないとは言い切れません」


 マギサの冷静極まりない言葉に、ナイトが小さく肩を落とす。

 希望が見えたと思ったのに、振り出しに戻った気分だ。ナイトが溜息を溢すと、マギサが重ねるように口を開いた。


「ですから、今夜それを確かめます」

「……うん?」


 いまいち掴みきれずナイトは首を傾げる。頭の中で言葉が繋がらない。

 マギサは一切ナイトの方を見ずに言葉を続けた。


「本当に『魔力』に反応するのか、遠吠えの調査をするついでに確かめます。遠吠えに関しても、それが他の切っ掛けである可能性がありますから」

「……うん? え、その、ちょっと待って、」


 マギサの言う事がゆっくりと繋がってきて、ナイトが頭を抱える。

 そのナイトの反応は、マギサの予想したとおりのものだった。


「それ、ちょっと、危なくない?」

「危険はありますが、必要なことです」

「襲ってきたらどうするつもり?」

「撃退するしかありません。予想通りなら、『魔力』を消せば元に戻ります」

「戻らなかったら?」


 ついにきた質問に、マギサは小さく息を吸い込む。

 何度考えても、その結論にしか至らない。放置もできず何とかしようと思うなら、絶対にやらねばならないことなのだ。

 その為のリスクは、常に考えるべきだ。



「始末します。遠吠えの原因次第では、襲ってこなくても」



 それしかなかった。

 心臓が痛い。理由は何にも分からない。

 当然の帰結のはずだ。それ以外にできることもない。


 元々魔物は退治するしかない。今までが奇跡の産物だったのだ。魔法が解けて、全ては元通りになる。ただそれだけだ。

 奇跡を続ける『魔法』なんて、誰も教えてはくれなかった。

 土台無理な話なのだ。魔物と『魔法使い』でもない人間が仲良くするなんて。


 心臓が痛い。

 反吐が込み上げてくる。

 顔にも態度にも、決して表さないようにした。


 『魔法使い』は、いついかなる時も冷静でなくてはならない。そのことだけは、嫌というほど教えられた。

 今の手持ちでできる最善の手は、それしかないのだ。


「分かった。そのときは僕がやろう」


 余りに驚いて、思わず振り向いてしまった。

 瞳に映ったナイトの顔は、片手で数えられるくらいにしか見たことがない真剣な表情をしていた。


「マギサは、ペロを殺す僕を見たいかい?」


 その目はとても悲しそうで、こっちが泣きたくなった。

 首を強く横に振ると、ナイトはいつもみたいに力の抜けた笑みを浮かべる。


「じゃあ、そんなことにならないように頑張ろうね」


 頷くマギサの頭を軽く撫でて、ナイトは視線を前に向けた。

 マギサは俯いたまま、ナイトの斜め後ろをついて歩く。


 村長宅についた時には、空は茜色に染まっていた――



  ※              ※              ※


――あの夜から、決めたことがある。

 それは、とても滑稽で、全く出来もしないことで、誰かに話したら笑われてしまうこと。


 マギサを守る。

 あの子を襲う、全てから。


 マギサは『魔法使い』で、僕よりも強くて、僕よりも賢い。僕に出来てあの子に出来ないことはなく、僕に出来なくてあの子に出来ることは山ほどある。

 それでも、町中を追い立てられたあの夜に、僕の胸に飛び込んできたあの子を見て決めたんだ。


 だから、遺跡でペロに『魔法』を使おうとするマギサを止めた。

 それは何も、ペロの為じゃない。

 いくら魔物でも、『魔法』で何かを傷つけるような真似をさせたくはなかっただけだ。


 そんなことをすれば、あの子はまた自分の力に怯える。何かを、誰かを傷つけて何より傷つくのはマギサ自身だ。

 襲ってくる全てから守ると決めた。それは、過去のマギサからだって。

 魔物だって悲鳴は上げる。殺した実感だってある。気にしないようにしていたって、マギサは絶対に忘れることはない。

 そうすれば、どんなに幸せな未来がやってきたって、その事実がマギサの足を引っ張って追い落とそうとする。

 過去の自分から逃げることなんてできない。それは、僕が身を持って知ったことだ。


 だから、そんなことは出来るだけしないほうがいい。苦しみが増えるだけだ。

 僕が負けなければ、マギサが『魔法』を使う必要なんてない。

 僕が強ければ、マギサは安心していられる。

 今はまだ、そんな力はないけれど。それでも、抗って生きていたい。



 マギサが笑える未来に手を伸ばすと決めたのだ。



 今の僕は、その道を選んでいる。



 叶わないものに向かって走るのには慣れている。届くまで努力する覚悟もした。

 いつか、マギサが『魔法』を一つも使わなくて済むように。

 それで何もかもが解決するわけじゃなくても、マギサの悲しみを一つ減らすことくらいは出来るはずだ。


 守ってみせる。その為に剣を振るっている。

 かつて騎士に憧れていた頃には持てなかったものが、掌の中にある。


 それは、憧れや未練にしがみつくよりも心地良い感触がした――



  ※            ※              ※


 ナイトが起きた時にはマギサは既に起きていて、外では月が輝いていた。


 村長にはろくな進展がなかったと報告し、夜の遠吠えを調査したいので寝かせてくれと言って一部屋借りた。

 嘘を吐くことに心苦しさはあったが、止むを得ない。正直に言えば何もかもが台無しになる。それに、やろうとしていることは嘘ではない。

 村長は疑うこともせず、むしろ夜の森に入ることを心配された。

 慣れているから平気だと言えば、快く部屋を貸してくれた。罪悪感が結構ある。


 それもこれも、全て解決すれば帳消しになる。そう自分に言い聞かせ、ナイトは相棒を腰に佩いてマギサと目配せをする。

 ペロの居場所はマギサが分かるらしい。何でもじゃれている間に目印をつけたというのだ。そういえば、一瞬ペロの様子が変わった時があった。

 だとすれば、マギサの予想は正しいことになる。マギサにはああ言ったが、ペロを殺すつもりは微塵もなかった。


 暴走は止める。マギサは殺させないし、ペロも殺さない。

 どんなに無茶苦茶でも、それが自分で選んだ道だ。


 だって、ペロを殺してしまえばマギサは絶対に笑えない。幸せな結末に必要な条件があるのなら、意地でも何でも満たすだけだ。

 扉を開けて、足音を殺しながら玄関から出て行く。

 流石にこの時間は村も静まりかえっていて、虫の声くらいしか聞こえない。

 やや肌寒い空気に身震いを一つして、ナイトとマギサは連れ立って森に入っていく。


 エウリュの家は経由しない。今夜やることを考えたら、気取られるわけにはいかなかった。

 マギサは意識を軽く集中し、印の位置を探る。

 西北西から北西にゆっくりと移動中。住処から出て動いている。どこに向かっているかまでは、地理に明るくないマギサにはよく分からなかった。


「こっちです」


 マギサが先導し、森の中を分け入っていく。

 移動速度はかなり遅い。距離は離れているが、向こうの移動と合わせればかなり早めに合流できるだろう。

 一体何をしに動いているのだろうか。この遅さは走っているのではありえないし、歩いているにしても牛歩と言える。

 まるで何か躊躇しながら歩いているような、嫌々向かっているような。


 先頭を譲る代わりに周囲への警戒を強めているナイトを肩越しに振り返り、口にするのを止めた。

 確実なことじゃないし、会えば分かることだ。今余計なことを言って集中を削ぐのは悪手だろう。

 黙ったまま進めば、もう少しで合流というところでペロの動きが止まった。

 流石にこれは余計なことではない。


「ナイトさん。ペロの動きが止まりました」

「場所は?」

「すぐ近くです。なるべく音を立てないように近づきましょう」


 音を消す『魔法』を使おうか迷ったが、距離が近すぎる。『魔力』に反応されるにしても、目視できる状態じゃなければ検証の意味は薄い。

 マギサとて森歩きにはそれなりに慣れている。音を殺して、位置を確認しながら近づいた。


 そこにあったのは項垂れるペロと、その前に立ち塞がるエウリュの姿だった。


 マギサの目が見開かれる。何でここに。

 ふと隣を見れば、ナイトも同じように驚いている。

 一体何をしにきたのか。自分達に黙ってここに来る理由は何なのか。

 訳が分からず困惑していると、エウリュの声が微かに聞こえてきた。


「ね、分かって? 暫く大人しくしていれば、私がなんとかするから」


 情けない鳴き声がペロから零れる。

 困ったような、怒られて謝る子供のような鳴き声。


「遠吠えを暫く止めれば、あの人達が何とかしたんだって皆思う。あの人達は私から話せば協力してくれる。そうしたら全部丸く収まるの」


 なんて浅はかな考え。

 例えそれで今回は切り抜けられても、原因を突き止めない限り必ずまた同じことが起こる。そうなった時は、もう同じ手は使えない。

 いや、例え二度目はどうにかなったとして、三度目はどうか。そんな危険な橋を何度も渡り続けるつもりか。

 第一、本当に何かしらの問題が発生していた場合、それじゃすまなくなる。


 ナイトも同じ事を思ったのか、厳しい顔に変わっていく。


「言うことを聞いて、ペロ。そしたら、ずっと一緒にいられるんだよ?」


 祈るような声色に、ペロが力無く鳴いた。

 我慢できなくなったのか、ナイトが立ち上がろうとして、



 気がついたら、ナイトの服の裾を掴んで止めていた。



 ナイトが予想外のことが起きたとでも言うように見下ろしてくる。

 自分でも何故そんなことをしたか分からず、慌てて手を離した。

 動きを止めるナイトに、何も言えずにマギサは黙り込む。

 鼓動の音が何故か煩い。どうしてこんなことを。理由が分からなくて混乱する。


 困惑した二人の時を動かしたのは、エウリュの声だった。


「そこにいるのは誰!?」


 ナイトが動いた時の音を察知されたらしい。

 流石は狩人だ。ナイトとマギサは目を合わせ、観念して姿を現した。

 二人の姿を見ると、エウリュの強張った顔が少し申し訳なさそうになる。この展開を予想していなかったわけではないようだ。

 仕切り直すように息をして、マギサはいつもの無表情でエウリュを見る。


「何故、ここにいるんですか」


 マギサの質問に、エウリュの顔が苦渋に染まる。

 自分が何をしているのか、理解している顔だった。


「……ペロに、遠吠えを止めさせようとして」

「調査をする、と言いました」


 マギサの言葉に、エウリュが更に苦しげな顔になる。

 今夜エウリュが取った行動は邪魔以外の何でもない。原因究明の為の調査なのに、発生する前に止めさせられてはどうすることもできない。

 わざわざエウリュの前で話し合ったのにこんな行動をするということは、邪魔をするという意図以外があるとはとても思えない。

 エウリュは苦しげに顔を歪ませたまま、縋り付くようにマギサを見やる。


「ねぇ、お願いします。どうか、ペロをこのままいさせてくれませんか?」

「それは出来ません」


 にべもないマギサの返事に、エウリュの顔が更に歪む。


「お願いします。ペロが遠吠えしないように私が言い聞かせます、なんなら夜毎私が見回ります、だからどうか、」

「そんなことをしても、何の解決にもなりません」

「どうして……ねぇ、何でですか? 調査をして、それでもし、ペロに何かあったら、」


「始末します」


 眉一つ動かさないまま断言するマギサに、エウリュの瞳が大きく見開かれた。

 エウリュの目に浮かぶその全ての感情に対し、何一つ色をこめないまま、マギサは冷たい事実だけを告げる。


「その場凌ぎがもたらすのは、最悪の結末だけです。調査をして、原因を特定します」

「そうしたら、ペロを殺すんですか!?」


 エウリュの叫びが、マギサの胸を貫く。

 抑えきれない感情が暴れだし、苛立ちとも悲しみともつかないものが口を動かす。



「騎士団がきてからそんなことを言っても遅いんです!!」



 余りに珍しい、初めて聞く類の大声に、ナイトが目を見張ってマギサを見やる。

 エウリュも電流に打たれたように固まり、ただじっとマギサを見つめていた。

 自分を恥じるように目を伏せ、マギサは言葉を続ける。


「分かるところから考える必要があるんです。どうしても納得できないなら、見せてあげます」


 伏せた目を少し上げてエウリュを見やり、マギサは杖に『魔力』を込める。

 ナイトにとってはもう慣れた、周囲の空気が集まるような感覚。

 それに呼応するように、ペロが苦しげに身を悶えさせた。


「ペロ!? どうしたの、大丈夫!?」


 慌てて気分を落ち着かせようと触れてくるエウリュに構わず、ペロは身を捩って唸るような鳴き声を上げる。

 ナイトはマギサを一瞥し、諦めたように嘆息して剣を抜く。

 『魔力』は益々杖に集まり、力の奔流がナイトにも感じられるようになる。

 呻き声を上げていたペロの目の色が変わり、先程までとは打って変わって力を漲らせた様子で立ち上がった。


「ペロ……?」


 困惑するエウリュに構わず、獲物を探すように首を動かし、マギサを見据える。

 ペロでは決してあり得ない凶暴な鳴き声を上げて、二本の首を伸ばしてマギサに襲い掛かった。


 その瞬間、マギサが溜め込んだ魔力を散らす。

 マギサの前に立ち塞がるナイトの眼前で、牙を光らせた口は二つともぴたりと止まった。


 我に返ったペロが口を閉じ、何が起こったのか理解できないように周囲を見回す。

 ナイトが深く息を吐き、剣を腰に収めた。

 マギサは杖を下げ、腰を抜かして尻餅をつくエウリュに視線を投げる。


「……ペロには、貴女の知らない所が沢山ある。それが危険でない保証は、どこにもないんです」


 エウリュはマギサの言葉など聞いていないように、ペロを見上げた。

 ペロはエウリュを見つけると、労わるようにそっと頭を寄せてくる。

 一瞬、ぴくりと震えるものの、エウリュはペロの好きなようにさせた。


「今日は帰ります。ですが、これ以上邪魔はしないで下さい」


 エウリュは何も言わず、優しくペロの頭を撫でる。

 ペロは嬉しそうに鳴き、エウリュの手を舐め始めた。

 マギサは鋭く目を細め、身を翻す。ナイトもマギサとエウリュ、交互に視線を移してからその後を追った。



  ※            ※             ※


「さっきのは、ちょっと拙かったんじゃないかな?」


 村長宅への帰り道。

 森の中を歩きながら、ナイトがマギサに苦言を呈した。

 差し込む月明かりは頼りなく、足元もよく見えない。だが、二人とも慣れたもので特に躓くこともなく歩いていた。


「何がですか」

「いや、だからペロの事。何もエウリュの前でやることなかったんじゃ、」

「そうでもしないと今夜中に検証できませんでした」

「明日また仕切り直すってのも、」

「だったら、ナイトさんはあの場でエウリュさんを説得できましたか?」


 ぐっとナイトが言葉に詰まる。

 ずるい言い方をしているとは思う。思うが、そうでもしなくてはまた邪魔されるのは明白だ。

 後ろからシャレンが追いかけてきているというのに、悠長にしている時間はない。

 それは、ナイトとてよく分かっているはずだ。


「……遠吠えの件は、明日また仕切り直します」

「……分かった。でも、全部終わったらちゃんとエウリュに謝ろうね?」


 頷くことも返事をすることもできず、マギサは黙々と歩く。

 後ろのナイトがどんな顔をしているかなんて、知りたくもなかった。



 どうしてここまで心が乱れるのか、詳しいことはマギサにも分からなかった。

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