第二話 「ナイトの村・2」
――外界との交流が失われた『魔法使いの里』で、私は生まれた。
里には沢山のお伽噺が伝わっていた。お婆ちゃんの膝の上で聞く物語は、怖い話も多かったけれど、信じられない出来事に満ちていて幼心にワクワクした。
『魔法』は恐ろしいものだって大人は口を揃えて言うけど、それはきっと悪い事に使うからだって思った。
楽しい事や、皆の為に使えば、『魔法』はきっと素敵なものだと信じていた。
少し背が高くなって、『魔法』を教わりだした時、嬉しくて胸が一杯になったのを覚えている。
それはすぐに恐怖へと取って代わった。
『魔法』は本当に何でもできた。空も飛べたし、火の玉も出せた。私の体より大きな岩も壊せたし、見上げたら首が痛くなるような木も真っ二つになった。『魔法』を使う為の『魔力』が余りない方だったから、これでも大した事じゃないらしい。
途端に怖くなって、『魔法』を覚えるのを止めたいと泣いてしまったこともある。
その時のお婆ちゃんの言葉が、今でも忘れられない。
――大丈夫よ、マギサ。その涙が、怖い力を優しく使わせてくれるから。
背が伸びる代わりに、『魔法』の腕は伸びていった。
相変わらず魔力はなくて、すぐ疲れるけれど、制御するのは里でも上手い方になった。
『魔法』と上手く付き合っていける、そう自信がついた矢先だった。
里が騎士に襲われた。
甲冑を着け馬に乗った騎士達が、家を焼いた。逃げ惑う皆を、容赦なく馬上から突き刺し、斬りつけ、悲鳴なんて聞こえないように蹂躙していった。
呆然として動けなくなる私を、お婆ちゃんが抱えて逃げてくれた。
目の前で何が起こっているのか、何一つ分からなかった。
『魔法』で無力化しようと応戦した人もいたけれど、数が違いすぎる。一人を気絶させている間に、横合いから剣が襲い掛かってくる。どうにもならなかった。
逃げなさい、とお婆ちゃんは言った。
丈夫で真っ黒なローブを着せられ、いつも使ってる樫の杖を渡されて、森の中へ放り込まれた。
真っ赤な炎が、里を飲み込んでいく。
もうきっと、あそこには誰も生き残っていない。
生き延びたくて、無我夢中で逃げ出した――
※ ※ ※
目が覚めたら、知らない天井だった。
頭の芯が痺れて思考がまとまらない。ここがどこか分からなくて、確認しようにも体に力が入らない。殆ど飲まず食わずで逃げ続けたせいだと思う。
少し怖くなって、無理矢理記憶を探る。
確か、森の中でスライムに襲われて、逃げていたら村人っぽい男女二人組がいて、
――そうだ、あの二人はどうなったんだろう。
反射的に起き上がって周囲を見回す。薬草の詰まった瓶が並ぶ棚、綺麗な布が幾つも置かれた机と、暖かな陽光が差し込む窓、
驚いた顔をして固まっている、森の中で見た背の高い男の人。
まさかいるとは思わなくて、吃驚して呼吸が止まった。
「あ、お、おはよう、大丈夫?」
見た目より優しい声音で尋ねられ、上手く声が出せない代わりに頷く。
男の人はほっとしたように相好を崩して、すぐに慌てた様子で腰を上げた。
落ち着いてそうなのに、コロコロとよく表情が変わる人だ。
「ちょ、ちょっと待ってて、余り動かないで。今すぐ呼んでくるからね!」
そう言い置いて、男の人は外に向かって走り出していった。
何が言いたいのか良くわからなかったが、何にしても悪い人ではないと思う。言われなくても動けそうにないし、横になることにした。
――無事で良かった。
男の人が助かっているのだから、女の人も無事だろう。安堵の息が漏れた瞬間、疲れが一気にきたように頭がくらくらした。
言うことを聞かない体に無理強いする気力も湧かなくて、目を瞑る。
薬草の匂いが、お婆ちゃんの家の匂いと少しだけ似ていた。
※ ※ ※
黒髪の少女を助けてから、数日が経った。
ナイトはいつものように朝の空気を吸って目を覚まして、素振りに励む。ここ数日は割りと清々しい気分で剣を振るえていた。無意味な日課ではないと思えるようになったせいかもしれない。
体を拭いて顔を洗って、母と一緒に朝食を摂る。
森での一件以前と変わらぬ毎日。食べ終われば鍬を持って畑に出て、いつものように手入れをする。スライムと戦ったことが、まるで夢の中みたいにさえ思えてくる。
だが、あれは確かに夢なんかではない。
その動かぬ証拠が、長い黒髪を靡かせて畑の中に入ってきた。
「ナイトさん、おはようございます」
「おはよう、マギサ」
魔物に襲われていた少女――マギサは、動けるようになってからこうしてナイトの畑を手伝っている。
勿論、あの全身を覆うような黒いローブではなく、畑作業用の服を着ている。最初こそ違和感があったが、ここ数日ですっかり見慣れてしまった。
彼女は余り自分の事を喋らず、どこの村の出身かさえナイト達は知らない。どうしたものかと頭を悩ませたが、行く当てがないと聞いたナイトの母の言葉で決着がついた。
――あんたが助けたんだから、ちゃんと面倒を見なさい。
そう言われては、ナイトに断る道はなかった。
しかし、ここで物言いをつけたのがクーアである。
年頃の男女が一つ屋根の下というのは良くない、そう詰め寄られナイトがきゅうきゅうしている隙に、だから彼女は私の家で一緒に住む、という提案をねじ込まれてしまった。
別にそのことに文句はなく、むしろ有難いくらいなのだが、何故詰問される形になったのかは良くわからない。
ともあれ、そうしてマギサはクーアの家に住むことになり、ナイトの畑仕事を手伝うこととなった。
無口だが人は良く、村にも少しずつ馴染んで来たように思う。畑の手伝いなどしたことがなかったようだが、文句も言わずに懸命に励んでくれている。
遠からず、彼女はすっかり村の一員となってしまうかもしれない。そうなったらいいな、とナイトは思っていた。彼女も、この村を気に入ってくれるといい。
一通り作業を終えると、すっかり日が高く昇っていた。
ナイトの腹の虫が鳴るのと同時に、聞き慣れた声がする。
「ナイトー、マギサー! お昼だよー!」
「おー!」
「はい」
相変わらずマギサの声は小さく、絶対にクーアの耳にまで届いていない。本人も分かっているのか、返事と一緒にはっきり頷いてみせた。
クーアなどはもっと大声出せばいいのに、というが、ナイトとしては気持ちは分からなくもない。自分も余りそういうのは得意な方ではないから。
畑から出て、軽くクーアに手を振って、いつもの草むらに腰を下ろす。
腕のリーチの関係から真ん中のマギサの前にバスケットと水筒を置いて、クーアとナイトで挟む。
きっちり用意された布で手を拭いて、いつものサンドイッチを三人で頬張った。
いつも通りの昼。以前なら食べながらこの後の予定やら夕食はどうするかやらを話していたのだが、三人になってからそれが少しだけ変わった。
もっと正確に言うなら、ナイトが一人置いてけぼりをくらうようになった。
どういうことかというと、クーアとマギサで薬の話をしだすようになったのである。
何せ、マギサの知識量が凄い。薬師たるクーア以上に物を知っていて、クーア曰く王宮お抱えの薬師並だということだ。クーアが王宮お抱え薬師の力量を知っているかは定かではない。
二人で暮らすようになってから朝晩そういう話をするようになり、次第にマギサはクーアの手伝いもするようになっていった。
大変ならどちらかを止めてもいい、とナイトは言うが、大変ではない、とマギサはその提案を断っていた。
年若くして父の仕事を継いだクーアである、薬師として話をする相手がいなかったのはやはり辛いものがあったのか、最近は寄ると触るとマギサと薬の話をしている。
今日もまた、小脇に抱えた薬草の瓶を置いて、サンドイッチを飲み込んでから喋りだした。
「そういえばさ、マギサ。これなんだけど――」
洪水みたいに説明するクーアに一々頷きながら、マギサが小さく一言ずつ返していく。
こうなったらもう、ナイトに出来ることは話の邪魔をしないように黙っていることだけだ。黙々と胃に食い物を詰め込んでいく。これからもまだ仕事があるのだ。
話し続ける女二人を横目に、ナイトは今日の予定を頭の中で確認する。特に大きなこともなく、普段と同じくあちこち手伝いに行くだけのはずだ。
それはつまり、あの小さな襲撃者達が今日も来ることを意味していた。
「ナイトーーーーーーーーーーー!!」
話をぶった切るくらいの叫びとともに、ナイトの背中に衝撃が走る。腹の中からせり上がりそうになるものを抑えて、踏ん張った。
「み、皆、今日も元気だねぇ」
「ナイト! 仕事だぞ!」
「終わったら剣教えて、剣!」
「ねぇねぇ、魔物ってどんなだった!?」
元気いっぱいの悪ガキ三人組は、森の一件以降ずっとこの調子で、ナイトに剣の稽古とスライムと戦った時の話を求めていた。
正直余りかっこいいものではなかったのでナイトとしては話したいものではなく、更に一度ならず何度も求められると流石に苦笑するしかない。
そんなに悪い気がしないのも、確かではあったが。
とはいえ、仕事が少ないときであればやぶさかではないが、今日は少し多い。
どうしたものかと頭を悩ませていると、
「今日は、この前のお話の続きをしましょう」
クーアとの話が終わったのか、マギサが立ち上がって子供達にそう提案した。
「え、ほんと!?」
「やったぁ! はやく聞かせてよ!」
「マギサ、今日はどのくらい話してくれる?」
三人そろって、ぱっとナイトから離れてマギサに纏わりつく。彼女の話すお伽噺はナイトの話よりも面白くて聞きやすく、子供達どころかナイトにも大好評だった。
三人組の切り替えの早さに少し寂しい気分になりながらも、助かったとナイトは胸を撫で下ろす。
「マギサ、その子達の事頼んでいいかい?」
頷くマギサに、よろしくね、と笑いかけて立ち上がる。
軽く草を払っていると、クーアに睨まれた。
「マギサに頼むんだから、あんた夕食前に絶対帰ってきなさいよ」
「あぁ、うん、そうする」
どうやら、話は中断されただけらしい。少し不機嫌なクーアの様子からそう察して、ナイトはぐっと伸びをした。
これは早く帰らないと後が怖いな、と胸の内で呟いて、子供達を連れていくマギサと家に戻るクーアに手を振って、ナイトも仕事に向かう。
夕食はナイトと母とクーアとマギサ、四人で摂ることになっていた。
※ ※ ※
マギサがクーアの家に住み始めてから、朝はともかく、夕食は毎日一緒に食べていた。
元からクーアは一緒だったし、マギサも本来はナイトが面倒を見るはずだったので、特に分ける理由もない。むしろ、ナイトは一緒に食べる人が増えて嬉しかった。食事は皆で摂ったほうが美味しい。
四人で食卓を囲んで、会話に華を咲かせる。やっぱり喋っているのは専らクーアで、ナイトやマギサがそれに頷くくらいではあったが。
食べ終わって母とクーアが片づけをしている間、ナイトはマギサに魔物について教わるようになっていた。
「今日はグラン・スパイダーについてです」
「お願いします」
大の男が殆ど一回りも小さい女の子に頭を下げるのは中々奇矯な光景ではあったが、この家では最早見慣れた光景だ。
マギサの説明に一々頷きながら、ナイトは真剣に聞き入る。
魔物が増えている、とはいうものの、そう滅多に会う機会はないだろう。この前のスライムは事故みたいなものだ。それはナイトだって分かっている。
だが、いつ起きるか分からないから事故なのだ。備えておいて損はないだろう。
そう自分を納得させて、ナイトはマギサに講義を頼んだ。魔物に関しても、マギサは知識に富んでいる。騎士団選抜試験前に出会っていれば、と思わなくもない。
かくして、夕食後の魔物講義は毎日休むことなく続いていた。
一通り話し終えた頃に、母とクーアが戻ってくる。
「マギサ、帰るよ~」
「はい。今日はここまでです」
「有難う御座いました!」
戻ってきたクーアを見て立ち上がるマギサに、ナイトは深く頭を下げた。
すぐ隣の家に帰る二人を見送ってから、剣を持って家の裏手に回る。
夜の日課には、少しだけ色がつくようになった。マギサから教えてもらった魔物を相手にしていると想定して、剣を振るうようになったのだ。
たった一工夫入るだけで、充実感が違う。ちゃんと出来ているかといえば首を傾げる所ではあったが、それでも張り合いが生まれたことには違いない。
疲れるまで剣を振って、体を拭いて寝る。
そしてまた朝が来て、同じようにここで素振りをすることだろう。
こんな毎日が続くと、ナイトもマギサも、誰もがそう思っていた。
※ ※ ※
ろくに整備されていない街道を、五人程の騎士隊がナイトの住む村へ向かっていた。
鎧と兜に王家の紋章、訓練された馬、乱れぬ隊列。紛う事無く、王国騎士団である。
彼らの内の一人、先頭の年若き騎士は、剣の柄にまで王家の紋章を戴いていた。
遠目に村の姿を確認すると、一旦馬を止めて背後の騎士達に語りかける。
「次の村を捜索する。くれぐれも、『魔法使い』を見つけたとしても一人で挑むな。必ず他の者に知らせろ。最悪その場では取り逃しても構わん」
「隊長、最悪の場合でも取り逃す事だけは避けるべきでは?」
責めるように口にした騎士に、年若い隊長は首を横に振った。
「相手は『魔法使い』だ。一人で挑んで返り討ちにでも遭えば、より最悪の事態となる。忘れるな、我々の責務は功を上げることではない。国と民を守ることだ。命の使い所はよく考えろ」
「……了解しました」
きっぱりと言い切られ、間を含みながらも騎士は敬礼を返す。
続いて他の騎士達も敬礼し、了解の意を示したのを確認して、若き騎士隊長は馬を進めた。
騎士団が『魔法使い』を探しているのは、尾ひれのついた噂話などではなく、真実その通りである。
彼らの任務は、『魔法使いの里の最後の生き残りを捕まえる』こと。
性別は女、若く小柄で長い黒髪を持ち、体をすっぽり覆う黒いローブを着ている。『魔法使い』相手にこの外見的特徴がどれほど役に立つか、若き隊長は懐疑的だった。
しかし、他に手がかりがない以上、それを頼りに探す他は無い。
人の形をした災害――『魔法使い』は、なんとしてでも捕らえねばならない。
国の平和と、民の安寧の為に。
騎士隊は己の使命を果たさんと、マギサのいる村へと近づいていった。
※ ※ ※
村に騎士が来た。
田舎にあるまじき出来事に村中が騒然となり、一体何事かと誰もが仕事を放り出した。
ナイトもまた例外でなく、外に出ていた村人は全員騎士隊のいる広場に集まっていた。一際若い騎士が村長を隣において、ぐるりと村人を見回して口を開く。
「我々は、王国騎士団である。現在、『魔法使い』を探している。その為、この村を調べさせてもらいたい。また、何かしら知っている者は是非教えて欲しい。その『魔法使い』の特徴は――」
若き騎士の告げた『魔法使い』の容姿を聞いた瞬間、ナイトはクーアの家に向かって走り出した。
この村で当てはまるとしたら、マギサしかいない。しかし、彼女が『魔法使い』のはずはない。
吟遊詩人の唄で聞いた存在とはまるで違う、心優しい女の子だ。絶対に違う。
それに、彼女が『魔法』と思しきものを使ったところを一度だって見た事がない。畑仕事だって何だって、彼女は自分の手でやっていた。
そんなことあるはずない、と何度胸中で呟いても、嫌な予感は消えなかった。
今は確か、クーアの手伝いで家にいるはず。
息が切れるまで全力で走って、飛び込むように玄関を開けた。
「マギサ!」
そこには確かに、いつもの真っ黒いローブを着て薬草を手にしたマギサが、驚いた顔で身を竦ませていた。
少しだけ安堵するナイトに、先程の自分と同じくらいの怒鳴り声がぶつけられる。
「ちょっと! マギサがびっくりしてるじゃない!」
「あ、あぁ、ごめん」
眉を吊り上げるクーアとマギサに謝って、呼吸を整えながら玄関扉を閉める。
マギサの真っ黒いローブ姿に、先程の騎士の言葉が頭の中に木霊する。頭を振って、不吉な考えを追いやった。
「今さ、騎士が来てるんだ。『魔法使い』を探しに」
そう言った途端、マギサの顔が恐怖と驚愕に歪んだ。
振り払った不吉な考えが甦ってくる。まさか、本当に、もしかして、
どうして、
動けなくなったナイトに、少し苛立った声色でクーアが尋ねる。
「何、それが一体どうしたの? 噂通りってだけでしょ?」
「……その『魔法使い』の特徴が、マギサそっくりなんだ」
「はぁ? 何それ。単なる偶然でしょ」
出来ればナイトだってそう思いたい。
こんなに良い子が、悪者たる『魔法使い』のわけがない。けれど、疑う材料ばかりが手に入って、心がぐらつく。
深く息を吸って吐いて、マギサに向き直る。
「偶然、だよね?」
縋るように見つめるナイトに、マギサは何も答えなかった。
ノックの音がした。
耳鳴りがするような静寂にその音は良く響いて、三人全員が肩を震わせる。
自然とその視線は玄関の扉へと吸い寄せられて行った。
「失礼、捜索にきた騎士隊です。中に入れてもらって宜しいか?」
心臓が飛び跳ねた。
一瞬混乱して、ナイトは意味もなくあちこちに視線を投げる。マギサが小さく拳を握り締め、樫の杖を置いてある棚へと近づいた。
ナイトよりも早く立ち直ったクーアが、扉の向こうに返事をする。
「どうぞ」
驚いて振り向くナイトに、クーアはなんでもない顔をした。何にも後ろめたいことがないなら臆する必要はない、とばかりに胸を張る。
玄関扉が開き、広場で話していた若い騎士が入ってきた。後ろに他の騎士の姿も見える。
若い騎士はすぐさまマギサに目を止め、ナイトとクーアを見やった。
「その少女は、君達の血縁者か?」
偽ることは許さない、という強い意志を感じる語気に、ナイトもクーアも口を噤む。
騎士は二人の返事を少しだけ待ち、まっすぐにマギサを見つめた。
「君は、この村の人間か?」
「いいえ」
はっきりと答えるマギサに、外の騎士達が気色ばむ。
若き騎士がそれを手で抑え、再びマギサに向かって尋ねた。
「君は『魔法使い』か?」
「はい」
今度こそ、騎士達は剣に手をかけた。若い騎士は鋭い目つきでマギサを睨み、気を配るようにナイトとクーアに視線を走らせる。
「それが偽りだとしても、口にした以上一緒に来てもらう」
「嫌です」
若い騎士の目が細まり、空気がピンと張り詰める。
ナイトもクーアもついていけず、ただただ息が止まったように動けずにいた。
若い騎士が、一歩マギサに向かって踏み出す。
「拒否はできない。手荒な真似はしたくない、大人しくついて来てくれ」
「待って、何よそれ!」
先に動けるようになったのは、やはりクーアの方だった。
マギサに迫る姿を見て弾かれるように動き、両手を広げて若い騎士の前に立ち塞がる。
「この子は何にもしてないでしょ! なんで連れてかれなくちゃいけないの!」
「『魔法使い』だと名乗った以上、見過ごせない」
「あんたが問い詰めたんでしょ!」
「肯いたのは彼女だ」
頭一つ分高いその騎士と目を合わせて、クーアは一歩も引かずにねめつける。
クーアの背中を見ながら、マギサは俯いて小さく呟いた。
「大丈夫、有難う」
その今まで聞いたこともない声色に、クーアは思わず振り向く。
肩越しに見たマギサの笑顔は透き通るようで、初めてはっきりとして見えた。
一瞬呆気に取られている内にマギサは背を向け、樫の杖を掴んで何事か唱えだす。
「それ以上動くな!」
若い騎士の裂帛の制止も聞こえぬように高々と掲げ上げた杖の先から、炎の渦が溢れ出した。
若い騎士は誰よりも早く反応し、クーアを押さえ込んで床に伏せる。
「全員伏せろ!」
号令一下、騎士達は素早く身を伏せる。その場で棒立ちになっているのはナイトだけだった。
「おい、何をしてる!」
若い騎士の叫びも、ナイトの耳には届かない。
その目はただ、まるで炎を操るように杖を掲げるマギサだけを映していた。
溢れ出た炎の渦は杖の先に集まり、巨大な火球を形作る。
マギサは杖を振り上げ、壁に向かって叩きつけた。
爆音が響き、衝撃が腹の底を震わせ、炎の熱が肌を灼く。
巻き上げられた粉塵が収まった時には、壁には大きな穴が作られ、マギサの姿はどこにもなかった。
あれほど熱かったというのに、燃えている所は一つもない。
――これが、『魔法』。
生まれて初めて見る『魔法』は、確かに身震いするほど恐ろしいものだった。
呆然とするナイトとクーアを横目に、若い騎士隊長は立ち上がって指示を飛ばす。
「まだ遠くへは行っていないはずだ! 探すぞ!」
甲冑がこすれる音を立てて、騎士達は出て行った。
後に残されたナイトとクーアは、身動き一つ取れないまま、壁の穴を見つめていた。
――本当に、『魔法使い』だった。
信じたくなかったことが、言い訳の利かない証拠と共に突きつけられる。
吟遊詩人の唄では、いつだって『魔法使い』は悪者で、騎士にやっつけられる存在だ。
どんな唄でも、お伽噺でも、それが変わることはなかった。
遥か昔に世界を支配し、思うが侭にしていた悪の存在。
大好きだったものが全部、『魔法使い』は悪者だと教えてくれていた。
けど、それでも、
ナイトには、彼女が悪者だなんて到底思えなかった。