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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
39/85

第三十七話 「オルトロスの森・2」

――いつも通りの狩りのはずだった。


 幼い頃から慣れ親しんだ森はもう庭も同然で、そんな自分以上の両親は森で最強なのだと信じて疑っていなかった。

 だから、木の幹に抉れたような妙に大きな傷を見つけても、猪か何かがぶつかった跡くらいにしか考えていなかった。

 両親が眉を顰めて話し合っている理由が分からず、何をぐずぐずしているのかと腹を立てて一人先に歩いた。


 猪の何が怖いものか。突進する前の足踏みさえ見極めれば、少し横にかわすだけで何もできなくなる木偶(でく)の坊だ。

 私が先に進んでいる事に気づいた両親が、慌てた様子で追いかけてくる。

 普段滅多に感情を(あら)わにしない両親の珍しい(さま)が面白く、少し困らせてやろうと追いかけっこをするように軽く走る。

 意地悪く笑う私とは対照的に、両親の顔には濃い焦りが浮かんでいた。


 流石に何かおかしいと気づいた時には、もう何もかもが遅かった。


 足の緩んだ私を追いついた父が突き飛ばし、



 いつの間にか近くにいた熊に頭蓋を抉られた。



 即死だったように思う。

 父は力加減などする余裕がなかったようで、太い木の幹にぶつかった背中が痛みを訴えてくる。

 そんなことに構っていられないくらい、目の前の出来事が恐ろしかった。


 生温く赤いものが飛び散り、顔にかかって身動きが取れなくなる。

 声も出ない。

 震えもしない。

 息すら止めて、ただ呆然と見つめていた。


 ぐらりと父の体が揺れて、どろどろとした真っ赤な水溜りの中に倒れる。

 真っ赤な斑点模様をつけた熊が、大口を開けて父の体に齧り付く。


 やめて、と心の中だけで叫んでいた。

 口は微かにも動かなかった。


 体に力が入らない。

 我知らずこみ上げてくる涙を堪えるのが精一杯だった。



 食事を始めた熊の右目に、矢が突き刺さった。



 熊が苦悶の叫びを上げ、呪縛が解けたように飛んできた方向を見やる。

 弓矢を構えた母が、これ以上ないほど険しい表情で熊を睨んでいた。


「逃げなさい!」


 私を一瞥し、今まで一度も聞いたことがないような大声で叫ぶ。

 反射的に体が震えるも、腰が抜けたのか足が動かない。

 どれだけ立って逃げようと思っても、少しも言う事を聞いてくれなかった。


 そんな私の様子を察したのか、母が弓矢を捨て、腰に差した鉈を抜いて熊へと近づく。

 矢を抜き捨て痛みから立ち直った熊は、怒気に満ちた凶暴さをもって母と対峙した。


 私のせいだ。

 私が逃げないから、母は熊と戦わねばならない。

 動こうと思っても、心と体がバラバラになったように反応してくれない。


 なんでこんなことに。

 涙が溢れそうになって、視界が滲んでいく。


 決まっている、私のせいだ。

 父も母もちゃんと異変を察していた。私だけが能天気に何も考えず、注意も払わずに先に進んだ。

 だから、熊の接近にも気づかず、無防備な私を庇って父は殺された。

 大人しく待っていれば良かったのだ。森は自分の庭、なんて傲慢な勘違い。

 自分の程度など、何一つ分かっていなかった。


 熊の咆哮が響く。

 とうとう涙が毀れた。


 鉈一本で立ち向かった母は傷を負わせるも、吹き飛ばされて宙を舞い、地面に叩きつけられて動けなくなった所を牙で引き裂かれた。

 熊は私を一瞥すると、興味がないというように父と母の遺体を引きずって森の奥へと消えていく。


 さっきまで一緒に居たはずの両親は、熊の餌になってしまった。


 心が死んだように、何も感じなかった。

 動けるようになったのは、熊の姿が見えなくなって日が少し傾いてから。

 村に戻ってからも、どこか現実離れしたふわふわした感覚がずっと消えなかった。


 翌朝になって、ようやく挨拶する人が減った事に気づいて泣いた――



  ※            ※             ※


 エウリュとその祖父から情報を仕入れたナイト達は、森に入っていた。

 すっかり森歩きに慣れてしまったことに妙な感慨を抱きながら、ナイトは用心深く周囲に視線を巡らせる。


 一見して、普通の森のように見える。

 小動物や鳥の声が聞こえ、木々が風に揺られてざわめく。木の実や茸、野草の類も自生していて、実りも悪くない。

 比較的穏やかな森と言えるだろう。エウリュの家が唯一の狩人というのも分かる。多くの狩人を必要とするような危険さが窺えない。ナイトの村も似たようなものなので、理解するのはそう難しくなかった。


 ただ、丹念に見ていけばおかしなところがないわけではない。

 小動物の大きさには似合わない範囲で草が折れて倒れ、自然に落ちたとは思いがたい形の木の枝を拾う。

 見上げてみれば、ナイトが軽く跳んだくらいでは届かない高さの枝が欠けていた。


 何かがいる。それは間違いない。

 ただ、熊かどうかは確証が持てなかった。

 聞いた話と違う所が多すぎる。もしエウリュの両親を襲った熊ならば、もっと派手に暴れていてもおかしくないはずだ。

 これではまるで、身を隠しているような、


「ナイトさん」

「え? あ、あぁ、うん、何でもないよ」


 普通の人にはわからないくらい微かに心配げな表情で見上げるマギサに、ナイトは小さく笑って手を振る。

 思わず考え込んでしまったのを気づかれたらしい。別に話しても良かったが、確信の持てないことは言わないことにした。

 身を隠すにしてはやり方が下手すぎる。素人でも勘の鋭い人なら気づくだろう。実際、軽く手解きを受けただけの自分も怪しんでいる。


 エウリュは、気づいていないのだろうか。


 森の話を聞いた時、エウリュは特に気づいたことはないと言っていた。村での噂を伝えても、軽く肯定されるだけで追加情報は何もなかった。

 こんなに分かりやすい跡があるのに、そんなことはあり得るのだろうか。それとも、今自分が見つけたものはこの森では当たり前のことで、得体の知れない『何か』の仕業などではないのだろうか。

 断定はできない。できないが、『何か』がいるのは間違いないと思う。

 半分以上勘のようなものだが、ナイトは確信した。


 おかしい所はあったのだ。

 エウリュは祖父が倒れてから一人で狩りをするようになったという。祖父が健在な内に手伝ってくれていた男衆に声もかけずに。

 普通は逆だと思う。一人になったのだから、余計に手伝ってもらうべきだ。なのに、エウリュは決して男衆に頼まない。

 村長だってそのことを心配していた。話した時間は短いが、他人の心配を袖にするような子ではないように見えた。


 エウリュは、何か隠し事をしている。

 それが、ナイトの辿り着いた結論だった。


「マギサ、ちょっと」

「はい」


 周囲を観察していたマギサに声をかけ、拾った枝を投げ捨てる。

 見上げてくるマギサの目を見つめ返して、頭の中で言葉をまとめた。


「多分だけど、この森には『何か』がいると思う」

「はい」


 言葉を選びながら、話を続ける。


「それも、そこそこ大きいやつ。聞いてた話と違って大人しい感じだから、熊じゃない。それが何かは分からないけど、エウリュはそれを知ってて隠している……と、思う」

「私もそう思います」

「えっ?」


 思わぬマギサの発言に目を剥いて、ナイトはまじまじと見つめる。

 マギサは微かに目を細め、やや半眼になりながら一拍置いて口を開いた。


「時折不自然な間をとっていました。何か言いたくないことがあったのだと思います」

「あ、あぁ……そうなんだ?」

「はい」


 よく分からない様子で襟足を弄るナイトを横目に、マギサは口の中で溜息を押し殺す。

 つくづく、ナイトは機微というものに疎すぎる。

 そんなことだから、人の間合いに容易く踏み込んでしまうのだ。


 尤も、機微に(さと)いナイトというのも想像し辛いものではある。色々気にしすぎて何も言わなくなりそうだ。

 若干自分と似てると思った想像を切って捨て、これからどうするのか方針を尋ねようとしてじっと見つめる。

 直接言った所で分からないだろうから、どう噛み砕いて聞いたものか考える。そしていつも、そうして考えている内にナイトが察してくれるのだ。


「あー、えと、とりあえずもう少し森を探そうか。案外すぐ見つかるかもしれないし」

「分かりました」


 頷いて、背を向けるナイトの後ろをついて歩く。

 森での調査でマギサができることはあまりない。知識だけならナイトよりも豊富だが、実地の経験は比べるべくもない。

 これでも森を旅してきたから多少なりと分かることもあるが、ナイトが全て何とかしてしまう。

 なるべく邪魔にならないよう、妙なものがないか見回るのが精々だった。


 せめて何かあった時に対応すべく、杖に軽く魔力を集めておく。

 何かいるというなら、備えはあって損はないだろう。

 藪を掻き分け下生えを踏みしめながら、森の更に奥に向かって二人は調査を進めた。



  ※           ※           ※


 森の中を進むと、広い場所に出た。

 ぽっかりとした空白地帯になっており、突き当たりには段差があって年月を感じさせる地層が見えている。

 やや傾いた日の光も差し込み、木の影を落とし込んでいた。


 開放感のあるその場所で一番に目に付いたのは、地層を削って開いている洞窟の入り口らしきものだった。

 ナイトとマギサは顔を見合わせて、ゆっくりとその穴に近づいていく。

 大きさは大人が三人は横に並べる程で、高さはナイトの凡そ倍はある。穴というよりは、建物か何かが崩れた跡といった方が納得できそうだ。


 マギサは眉を潜め、杖を握り締める。

 遠めに見たときから怪しいと思っていたのだ。近づく度に確信に変わっていく。


 これは、遺跡だ。


 時間の流れと共に地層に埋められ、何かの拍子に一部が表に出たのだろう。土や蔦に侵食されていようとも、形状が明らかに人工物のそれだ。

 ナイトも薄々気づいていたのか、穴の縁に手を置いて中を見てからマギサの方を振り向いた。


「マギサ、これって、」

「遺跡です。一部ですが」


 その答えに渋い顔をしてナイトがもう一度中を見やる。

 マギサとて同じ気持ちだ。遺跡に関わって(ろく)なことはない。このまま見なかったことにして立ち去りたいが、そういうわけにもいかないだろう。


「とりあえず、中を見ていこうか」

「はい」


 ナイトにかけられた言葉は、マギサの予想通りのものだった。

 『少しでも何かを変えたい』なんていう彼が、『魔法』についての手掛かりがありそうな遺跡を無視することなんて有り得ない。

 厄介事を抱え込みやすい性格は承知の上だし、『魔法』について知りたいのはマギサも同じだ。


 覚悟を決めて、ナイトと一緒に中に足を踏み入れる。

 いつでも発動できるよう杖を胸の前に固定して、ゆっくり奥へ進む。床は殆ど土に埋もれていて、天井から壁を這うように(つた)が垂れ下がっている。

 随分手酷くやられた遺跡のようだ。以前別の遺跡で見つけた手紙にあったように、『魔法使い』に反旗を翻した人々によって破壊されたのだろう。

 その損壊具合から憎しみが伝わってくるようで、マギサは少しだけ胸の痛みを覚えた。


 ナイトから離れないようにしながら、周囲を観察する。道は一つしかなく、扉のようなものも見当たらない。埋もれているだけかもしれないが、わざわざ発掘する気にはならなかった。

 先へ進む程に床から土が剥がれていき、遺跡らしい材質不明の床が姿を現す。

 そこから先、すぐに行き止まりに着いた。振り返れば、まだ入り口が遠めに見える。


 視界の端に、一瞬何かが映った気がした。


 緊張に体を強張らせて、もう一度よく目を凝らしてみる。何も見えない。

 何か、影のようなものが見えたと思ったのに。

 目を細めて見ても、怪しいものは何も確認できなかった。


「マギサ、ちょっといい?」


 気のせいだと割り切って、声に応じて振り向く。

 壁の隙間から染み出すように覆われた土や植物の根を背景に、ナイトがじっと床に目を落としていた。

 近づいて同じように下を見れば、行き止まりの手前の床に『陣』が描いてある。

 遺跡なのだから、予想の範囲内だ。罠の類でなかっただけ良しとすべきだろう。

 平然としたマギサと裏腹に、ナイトは眉を顰めて『陣』を見下ろしていた。


「どんな『陣』か、見てもらっていいかな? 僕は他に何かないか調べてみる」

「わかりました」


 当然の役割分担。

 マギサはしゃがみ込んで『陣』をなぞりながら解読し、ナイトは壁や天井を調べる。

 始点がどこか調べようとすると、ナイトが深刻そうに言う。


「何か悪い予感がするんだ。十分気をつけて」

「はい」


 横目で一瞥すれば、ナイトが眉根を寄せてこちらを見ていた。

 マギサは小さく頷いて、屈みながら『陣』の始点を探して歩く。


 一見した限りでは、そんな凶悪な『陣』には見えない。精査しないと確実な事は言えないが、文字や図形の並びからおそらくは転送陣か何かだと思う。

 でも、やや心配性な所はあるが、ナイトは滅多な事は言わない。悪い予感がするというなら、本当にそうなのだろう。

 『陣』そのものが悪い予感の元とは思えないが、注意して悪いことはない。迂闊に触らないようにしながら、始点を見つけて読み解いていく。


 基本は教わった通り。流石に固有名詞は分からないが、構文は読める。単語と構文、それと図形の組み合わせ。効果を決める一連の流れに、順序を合わせれば起動方法が分かる。

 『陣』は文字と図形で構築されるが、その中でも基本となるのが『円』だ。

 円が幾つ合わさっているか。それで、『陣』で扱える『魔法』の錬度と難度が決まる。一つの『陣』の中に幾つもの『円』があれば、それはかなりの高等魔法を再現する為のもの、ということだ。


 『円』以外の図形は、二種類の意味を持つ。『魔法』の複雑さと、起動方法だ。大体の『陣』は基本的にただ『魔力』を流し込めば作動するが、『魔法使い』以外が扱いやすくする為にそれ以外の起動方法を作るものもある。

 例えば、山小屋にあった『外法陣』なんかは血を媒介として『魔力』を引き出す為に、他では滅多にみない図形が書き込まれている。


 今回の陣は構文こそ多いものの図形は少なく、構成する『円』は二つ。転送陣に最も多い形で、二つの『円』は行き来できる場所を指定している。

 やはり、転送陣だ。

 一通り読み解いて、マギサは確信する。指定されている場所は読めなかったし、例え読めたとしても分からないだろうが、間違いない。


 少なくとも、この『陣』は悪い予感の元ではなかったらしい。

 ナイトに報告しようと顔を上げ、


「マギサ!」


 緊迫した叫びに、全身が硬直する。

 視線を動かせば、ナイトが前に立ちはだかって入り口に向かって剣を構えていた。

 唾を飲み込み、恐る恐るナイトの背中越しに入り口の方を見た。


 巨大な犬の化け物がいた。


 いや、それを犬といっていいのか。姿形は犬のそれと似ていたが、大きさがまるで違う。

 遠目から見ても分かる異常な巨体。跳べば頭を天井に擦りつけそうで、横幅は大人一人通り抜ける分の隙間さえない。


 最も異形と言えるのは、胴体から生えた二つの首と頭だ。

 明らかに自然界の法則を無視している。こんな動物が存在するはずもない。

 魔物だ。里で学んだことがある。お婆ちゃんの話にも出てきた、既存の生物をルーツに持つ魔物の中で最もポピュラーな個体。


 オルトロス。


 かつての『魔法使い』達が最も多く作ったと言われる魔物で、愛玩用としても存在していたらしい。

 オルトロスに纏わる話は里には多く残っており、その特徴も良く知っている。


 一つ、主人に忠実。

 一つ、好戦的。

 一つ、『魔力』に対する嗅覚が鋭い。


 オルトロスについて記述のある本では、牧羊犬みたいに使われることもあったらしい。尤も、追い立てるのは羊ではなく人だが。

 まるで人を家畜のように扱っていたという内容に、当時は吐き気を催した。他所の『魔法使い』に盗られないよう、見張りと護衛の役割も持っていた魔物。

 そして、群れから逃げ出そうとする個体を処刑する役割も担っていたという。見せしめにして、従わせていたのだろう。

 そんなことを繰り返していれば、反旗を翻されるのも当然というものだ。


 オルトロスが獲物を狙って間合いを計るように近づいてくる。

 ちらちらと見える牙は、大きさも相俟ってまさに凶器だ。学んだことが真実なら、人間は勿論、鋼すらも一たまりもなく噛み砕かれるだろう。

 もしかして、あれが森に潜む『何か』なのだろうか。ナイトは大人しい感じと言っていたが、オルトロスは決して大人しくはない。今迫ってきている様子からみても、それは明らかだ。


 そもそも、何故オルトロスがこんなところにいるのか。

 魔物が増えてきているとは聞いているが、生殖活動も行えないのにどうやって。

 疑問ばかりが頭に浮かび、思考がまとまらない。

 一先ず全てを横に置いて、『魔法』で撃退しようと杖に力を込める。『遺跡』の中で攻撃的な『魔法』を使うのはどうかと思ったが、そんなことを言っている場合ではない。


 ナイトを死なせるわけにはいかない。

 動きを止めて逃げても襲われる。『使役』を試せる状況じゃない。第一、オルトロスが森にいたのでは必ず村人に被害が及ぶ。だとしたら、ここで始末するしかない。

 炎では暴れられるかもしれない。氷漬けにして破壊してもいいが、灰に還るまで時間がかかる可能性もある。それに、余り残酷な真似もしたくはなかった。


 雷の一撃で葬り去る。

 導き出したい結果を決め、溜めていた『魔力』を形にしようとして、


「マギサ。あれは何?」


 ナイトに話しかけられ、表情を窺えずに一時中断した。

 オルトロスとの距離はまだ少し余裕がある。『魔法』を使うと先に警告するべきだろう。


「犬の魔物、オルトロスです。『魔法』で処理します」

「……『使役』を使うの?」

「いえ。雷撃で仕留めます」


 できれば『使役』で穏便に収めたかったが、今までの事を考えると野良の魔物に『使役』は効かないと予測せざるを得ない。

 理屈はさっぱり分からないが、今まで成功したのが火竜だけであることを思えば、妥当な発想だと思う。

 余裕があれば話は別だが、今の状況で余裕も何もない。意識を集中し、『魔力』を望みの形へと変換していく。

 そこに、ナイトの声が被さってきた。


「マギサ、チャンスをくれないかな?」

「……何ですか」


 集中が乱され、中断を余儀なくされる。

 ナイトの声を無視して『魔法』を続けられる程、マギサは強い精神をしていない。

 背中越しにこちらを覗き見るナイトの目は、真剣だった。


「僕が相手をする。もし大丈夫だと思ったら『使役』を試して欲しい。逆に危険だと判断したら、マギサの好きにしていいから」


 一体こいつは何を言っているのか。


 安全に処理できる方法があるというのに、どうして自ら危険に突っ込もうとするのか。

 どう考えても、受け入れられる提案じゃない。

 反論しようと口を開いて、


「頼むよ、マギサ」

「…………分かりました」


 一体自分は何を言っているのか。


 安全に処理できる方法があるというのに、どうして危険な提案に頷いてしまったのか。

 どう考えても、受け入れていい頼みじゃないのに。

 訂正しようとして口を開けば、肩越しに振り返るナイトと目が合った。


「ありがとう」


 そう言って笑うナイトを見て、何も言えなくなった。

 こういう時のナイトは、いつも絶対にろくでもないことを考えている。どうせ、自分以外の誰かのことを気にしているに決まっているのだ。


 口を引き結んで、頭の中のイメージを一旦消し去る。『魔力』が若干逃げるが、止むを得ない。

 剣の切っ先を右下に下げ、脇構えの姿勢でナイトがオルトロスに向かって走り出す。

 こうなったらもう止められない。ナイトに頼まれた通り、『使役』と雷撃どちらもいけるように『魔力』を杖に込めて心を鎮める。


 勝手にも程がある。それを通す自分も自分だ。全く以って度し難い。

 それでも、心のどこかでほっとしている自分が居た。


 走り寄るナイトに対し、オルトロスが咆哮を放つ。

 空気を通じて肌まで振動するような叫びに、ナイトは一切足を緩めることなく接近した。

 二つの首が近づく敵目掛けて振り下ろされる。回転するように潜り込んで、手の届く範囲に来た首目掛けて剣を振り上げた。

 入りが浅かったのか皮膚が硬いのか。予想よりは少なく、それでも確かに血を飛び散らせ、オルトロスが驚いて仰け反った。

 その隙を逃さず、胴の下に入り込んで思い切り剣を突き立てる。

 悲鳴を上げて、オルトロスが打ち払うように足を動かす。剣を引き抜いて飛び退き、後ずさるオルトロスに向かってナイトが剣を構える。


 ナイトとオルトロスが、睨み合い硬直したように動かない。

 マギサは我に返り、『使役』の準備を始める。

 効かない可能性が高いとはいえ、ナイトに頼まれた以上試さないわけにはいかない。


 もし、今回もまた効かなかったとしたら。

 もう偶然では済まされない。確実に、何かしら原因と理由がある。

 ドラゴンで成功して、オルトロスで失敗する理屈もない。『魔法』についての理解はたかが知れているとはいえ、鉄が切れて肉が切れない刃物もないものだ。


 深く呼吸し、頭の中のイメージに従って『魔力』を形にしていく。『使役』のイメージは複雑で、相手の魔物が自分に従う姿を思い描くのだ。この想像の構築が上手くいかないと、失敗する。使う『魔力』に対して相手の力の方が強ければ、それでも失敗する。

 この、『相手が自分に従う姿』をイメージするのが、マギサは苦手だった。どんなものか里の大人に相談しても、誰も明確に答えてはくれなかったのだ。

 『魔力』が強ければ、言霊だけで従わせることもできるという。ただ、マギサの魔力では到底無理な芸当であった。


 視界にしっかりとオルトロスを捉え、犬特有の服従の姿勢を取る姿を想像する。

 『魔力』が濃くなったからだろうか。先に動いたのは、オルトロスの方だった。

 ナイトを無視し、『使役』を組み上げているマギサの方に突っ込んでくる。剣を水平に倒したナイトが横合いから飛び込み、前足の付け根を力一杯斬りつける。

 悲鳴じみた鳴き声を上げてオルトロスがバランスを崩して倒れる。牽制するように前足を蹴りだし、ナイトは近づけずに距離をとる。

 大きさの差か硬いのか、大した傷ではなかったようですぐさま立ち上がって二頭でもって噛み付く。

 頭二つ分の攻撃範囲は広く、連携されれば時間差攻撃も仕掛けられる。

 その猛攻をいつまでも避けられるはずもなく、牙に合わせて剣を振るって防ぐしかない場面も出てきた。


 力の差は圧倒的で、元々技術的には大したことがないナイトは受け流すことも難しくなっていく。

 紙一重でかわして首や胴体を斬りつけるも、致命傷には程遠い。オルトロスは大きさの割りに犬らしく動きは機敏で、もしここが思う存分動ける広い空間だったなら、ナイトはとっくに劣勢に立たされていただろう。


 焦るな、落ち着け、とマギサは自分に言い聞かせる。

 今集中が乱れれば、また一からやり直しだ。流石にそこまではナイトも持たない。

 もう少し、あとちょっと。

 イメージと『魔力』が直結し、一つの方向性を持った力となる。


 間髪入れず、マギサはその力を解き放った。

 オルトロスの周囲に鱗粉のような光が舞い、その身体を包み込んでいく。

 そして、全く予想通りにその光は弾かれた。

 驚くことではない。予想できたことだ。すぐさまマギサは次の『魔法』を組み上げる。

 これで確定した。何かある。自分の預かり知らぬ所で、魔物に関する何かが。

 オルトロスを倒すには届かないものの、威嚇と多少の傷くらいにはなる炎の『魔法』を組み上げ、解き放とうと、


 オルトロスが目の色を変え、怯えるような鳴き声を上げた。


 驚いて集中が途切れてしまった。

 見て見れば、剣を構えたナイトも驚いた顔をしてオルトロスを見上げている。

 表情もどこか怯えているようで、ナイトから離れるように後ずさって壁に背中が当たり、なんとも情けない悲鳴を上げた。


 一体何が起こっているのか理解ができない。

 まるで命乞いでもするように悲鳴を上げ、首を縮めて耳を畳んでいる。

 間違いない、冗談でもなんでもなく怯えきっている。

 呆気に取られて見ていると、ふとナイトと目が合った。

 ナイトもこの事態に困惑していることがありありと見て取れる。

 自分にも理解できないことを示すために首を左右に振れば、困ったように襟足を掻いて、ナイトが一歩近づいた。


 その瞬間、ばねのように飛び跳ねて、オルトロスは助けを求めるように入り口に向かって逃げ出した。

 余りの早業にナイトもマギサも反応できず、一瞬呆然と見送ってしまう。

 すぐに我に返り、ナイトは後を追って走る。


「マギサ!」


 マギサも同じように後を追って走りながら、『魔法』を組み上げる。

 走る速度に絶対的な差がある。人間の足で追いつけるものじゃない。それでも、何か変とはいえ魔物は魔物だ。放っておくわけにはいかなかった。

 組み上げた『魔法』を解き放ち、マギサとナイトが風と変わらぬ速度を手に入れる。

 走るオルトロスの背中を捉えた。速さに慣れきれず、上手く追いつくことができない。それでも、逃がさないように背中だけは見失わないようにした。


 森の中に入り、オルトロスは縦横無尽に走り抜ける。地形を完全に把握している動き。やはり、森の中にいる『巨大な何か』はこのオルトロスだったのだ。

 動きにも慣れ、ナイトの手が届きそうになった所でオルトロスが急な方向転換を行う。空振った手に釣られて行き過ぎたナイトを置いて、マギサが後を追う。


 突然目の前に、エウリュが現れた。


 急停止し、勢い余った慣性を『魔法』で殺す。

 そこは少し開けた場所で、オルトロスは身を丸めて震え、その前にエウリュがオルトロスを庇う様に両手を広げて仁王立ちになっていた。

 事情が飲み込めず黙り込むマギサを、エウリュは親の仇のように睨み付ける。

 おっつけやってきたナイトも、困ったようにマギサとエウリュを交互に見ていた。


 沈黙を破ったのは、エウリュだった。



「ペロを虐めないで!」



 何を言われているのか分からず、マギサは黙り込み、ナイトは首を傾げるばかりだった。


 オルトロスは、エウリュに隠れるように蹲っていた――

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