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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
38/85

第三十六話 「オルトロスの森・1」

――王都は貧民窟、その片隅にある今に崩れそうな石造りのボロ小屋。

 歩くだけで砂埃が舞うその場所で、男が二人ランタンの置かれた机越しに向かい合って座っていた。


 一人は組織の『まとめ役』にして実質上のシャレンの養父の後継者、ナル。

 もう一人は夜に紛れるように黒いローブとフードに身を包んだ、ヴィシオの使いである。


「依頼した件は、どうなっている?」


 半ば脅すように低い声音で尋ねる使者に、ナルは(そら)(とぼ)けた様子で笑う。


「まだ半月も経ってないのに、せっかちだなぁ」

「至急の依頼だと伝えたはずだ」


 受け流そうとするナルには取り合わず、直球で切り込んでくる。

 口を引き結んで眉を寄せながら、ナルは(から)の掌を弄び始めた。


「聞いてますよ。だからちゃぁんと腕利きを一人すぐに向かわせましたとも」

「その割には完了報告が未だにきていない」


 咎めるような使者の言葉にナルはぴくりと片目を上げ、フードの向こうと目を合わせる。

 使者はナルの様子に構わず、言葉を続けた。


「情報も資金も必要なものは渡したはずだ」

「時間がかかるのは承知の上でしょ」

「経過報告も何もないのはどういうことだ」

「そういう報告上げる依頼でしたかね?」


 机に拳が叩き付けられる。

 ボロくなっていたのか力が強いのか、机が(ひび)割れ埃が宙に舞った。

 フードの奥から怒気を込めた眼光を浴びせられるも、ナルはへらへらと笑って受け流す。

 使者は小さく歯軋りし、マトモに取り合おうとしないナルを睨み付けた。


「そもそも、何故一人しか派遣しない?」

「『秘密道具』の事を知っている人間は少ないほうがいい。ですよね?」


 痛い所を突かれて使者は黙り込む。

 ヴィシオと『組織』の繋がりが出来て以降、最重要とされてきたのは『遺跡』とその中にある『魔道具』のことを秘匿することだ。

 それは何より優先する事項という契約が交わされ、今に至るまで破棄されてはいない。

 ナルはその事を盾に、使者の口を塞いだのだ。


「大体、観光ツアーじゃないんだからぞろぞろ行って何すんですか。暗殺のコツは相手に気取られない事。数増やすだけリスク増やすようなもんです」


 人に紛れられるような街中じゃなければ尚更ね、と付け加えれば、使者が口を挟む余地などどこにもなかった。

 黙りこんだ使者を見ながら、ナルはこっそりと溜め息を吐く。


 はっきり言って、ヴィシオの使いの相手をマトモにする気はナルにはさらさらなかった。

 自分が取り次げる相手の中で、最高と言っていいのは間違いなくシャレンだ。

 金払いのいい客だからと折角彼女に通したのに、こんなせっつかれるような真似をされてはたまらない。

 この使い走りも、もしかすると依頼主本人も勘違いしているが、『組織』にとってヴィシオはただの客の一人であり、それ以上でも以下でもない。

 上客でお得意様でもあるが、それだけ。あくまでそこにあるのは金銭をベースとした取引であり、手下や部下になったわけではない。


 たまにいるのだ、そういう勘違いをする客が。

 特に、表でそれなりに立場や権力があったりすると。


 それでも、上得意には違いない。溜め息を押し殺して、笑みを浮かべる。


「ご安心下さい。追っているのはとびきりの暗殺者です。待っていればその内望みの首が目の前に転がってきますよ」


 笑顔のナルを睨み付け、使者は不愉快そうに鼻を鳴らした。


「その『とびきりの暗殺者』は、女だそうだな?」

「……えぇ、それが何か?」


 不穏な流れ運びに顔を曇らせながら、ナルが尋ね返す。

 使者がこちらを見下しているのを、ナルは理解していた。よくあることだ。偉いさんの使いで来る連中は、大体が貧民窟を住処とする『組織』を下に見ている。

 その底辺連中の一人に黙らされたことが気に障ったのか、使者はナルを前に言ってはならないことを口にした。



「ベッドがなければ、そのとびきりの腕とやらも発揮できないのではないか?」



 それで報告が遅れているのかもしれんな、と使者は喉の奥だけで笑う。

 その侮蔑しきった表情を見ながら、ナルはまた空の掌を弄び出した。


「んじゃ、とびきりのベッドを送らなきゃいけませんねぇ。ついでにローションもつけましょうか」


 不適な笑みを浮かべて返すナルに、使者が怪訝(けげん)な表情で見下ろす。

 一切動じた風もなく、ナルは手遊びをしながら使者に笑いかけた。

 小さく鼻を鳴らし、使者が背中を向ける。


「ともかく、主は成果を求めている。早急に依頼を果たすことだ」

「えぇ、分かってますよ」


 パン、と。


 話し終えると同時にナルが手を叩き、音に反応して使者が振り返る。

 反射的な行動だった。そこに本人の意思も意図もない。

 だからこそ、余りにも隙だらけの姿を晒してしまっていた。


 使者の背中から腹に突き抜けるようにして、短剣が生えた。


「がっ、ぎっ……ぐぁっ!?」


 短剣が更に捻じ込まれ、傷口を広げるように左右に捻られる。

 ヴィシオの使いは悲鳴と一緒に血を吐き出し、目を剥きながらナルを睨む。


「きっ、貴様ぁぁぁぁっ!」

「成果をお求めなんだろう? 俺達の実力、是非その身で味わってくれ」

「こっ、この、薄汚いドブネズミどもがぁぁぁぁぁっ!!」


 闇の中から投げつけられた短剣が使者の胸と両目を貫き、とうとう腹から生えた短剣が柄尻まで突き抜ける。

 噴水のように血を噴出しながら、ヴィシオの使いは倒れ伏した。

 物言わぬ肉塊を見下ろしながら、ナルは吐き捨てるように鼻を鳴らす。


 掌を弄っていたのは、周囲に潜む部下達に指令を出していたからだ。そんなことにも気づかない時点で、使いの力量は察していた。

 余計なことさえ言わなければ大人しく帰してやったものを、口は災いの門とはよく言ったものだ。

 ともあれ、このまま暫く放置した後で手紙の一通でも出してやればヴィシオも大人しくなるだろう。下らない嘴を突っ込まれることほど気に障るものはない。


 その気になればいつでも殺せる。それをしないのは、依頼がないからだ。

 今後の付き合いの為にも、その事をよく理解してもらう必要があった。


 ランタンを持って席を立てば、顔すら墨で塗って闇に紛れていた部下から声がかかった。


「二代目、これはどうしますか?」

「二代目って言うな」


 床を赤く染める肉塊に近づき、溜め息をついてフードを取る。

 目が潰れている以外は形を保っていて、人相書きをする分には問題なさそうだった。


「身元を洗え。何かあればすぐに報告。後始末は川に沈めるでも浮浪者の朝飯にするでも好きにしろ」


 異口同音に頷いて、部下達が散っていく。

 二人がかりで使者の遺体を持ち運ぶさまを見ながら、小さく溜め息を吐いた。


 二代目、というのはシャレンの養父が死んだ後、その遺産とも呼べるものを全て掻っ攫った事でついた渾名だ。

 師でもあるその人が遺したものが他の屑共に奪われることが我慢ならず、いつかそんな時が来ると念入りに準備してきたのが功を奏した。

 お陰で『組織』の一角を担うようになり、いつ襲ってくるかも分からない刺客に対抗する為に子飼いの部下を持つ羽目にもなった。

 面倒な立場になったことに後悔はない。師の跡を継いだと思わばむしろ光栄だ。


 尤も、あの人はそんなこと馬鹿らしいと一蹴するだろうが。

 それはその通りで、こんな掃き溜めに住んでおいて感傷もクソもない。自分の利益に終始するのが正しい姿だ。師からもそう教わった。

 ただ、それでも感傷を切りきれないものもある。


 シャレン。師が創り上げた最高の暗殺者にして、遺して逝った一人娘。


 弱みができると結婚もしなかった師が、何故あの娘を拾ったかは分からない。

 それでも、師が遺したものの中でシャレンは特別だった。

 囲い込もうと思えばできたのにそれをしなかったのは、触れてはいけないもののような気がしたからだ。

 自分は二代目なんかじゃない。

 莫大な遺産を小狡く横から掻っ攫っただけの、利益に目が眩んだ溝鼠だ。

 本来そう呼ばれるべきは、シャレンだろう。あの娘に師が遺したものを活用できるかは別にして。


 急に煙草が吸いたくなって、頭を掻き毟る。

 かつて、煙草なんて臭いのつくものは以ての外だった。師にきつく言い含められていたし、吸った奴が殴り倒されて放り出されているのを見たこともある。

 師が死んでからというもの、こうして時折無性に吸いたくなる。あのときの恐ろしさを思い返して、すぐに消してしまうのだが。


 ボロ小屋から出て、アジトの方へ向かう。

 シャレンなら、そもそも煙草を吸いたいとさえ思わないだろう。師の教えを最も忠実に再現しているのは彼女だ。

 その実力は、下手をすると師を超えているかもしれない。

 ランタンを引っ提げながら、ナルは月を見上げた。

 報告が思ったより遅いことを、ナルとて気にしていないわけではないのだ。

 だが、もしかしたらこのままの方がいいのかもしれない。

 シャレンはこのまま王都などに戻ってこず、どこかで平和に暮らした方が幸せなのではないか。


 シャレンを送り出してからというもの、その疑問が彼の頭にこびりついて離れなかった――



  ※           ※             ※


 運良くシャレンの影を見ないまま、ナイトとマギサは街道をまっすぐ北に向かって進んでいた。


 一緒に旅をしていた時、北北東に向かっていることをシャレンに看破されて話してしまっている。

 追ってきているとしたら間違いなく北北東を捜されている。どの道いずれかち合うとしても、有効な対抗策を思いつくまで衝突は避けたかった。

 運が良ければ、このまま撒けるかもしれない。薄い望みではあったが、できればそうであってほしいというのがナイト達の偽らざる本心であった。


 街道を北に向かって歩けば、雑木林がゆっくりと遠ざかっていく。それに沿って道も曲がりくねっていき、思っていたよりも北からもずれていってしまった。

 北北西に向かっていることにやや懸念を抱きつつも、道なりに進んでいく。街道といっても人や馬の足が踏み均したものであり、整備されているわけではない。

 より多くの人がここを通った、それだけの事だ。

 道なりに半月程進んだ頃合だろうか。前方に、村が見えた。


「や、やった! 村だよ! 村がある!」

「はい」


 シャレンを警戒してろくに狩りも行えずにいたのだ、食料も水も限界に近かった。

 あの若い騎士とはまるで違うプレッシャー。マギサの傍から離れたら今にも草むらからシャレンが飛び掛ってきそうで、ナイトは何もできずにいたのだ。

 せいぜい、林の中に分け入って茸やら筍やらを採取するのが精一杯で、残り少ない保存食をちびちびと分けながら節約するしかなかった。

 村を見つけたときの喜びは、ナイトは元よりマギサにとっても相当なものがあった。


「寄っていこうよ、ね?」

「そうですね」


 頷くマギサを横目に、ナイトは嬉しそうに財布の中を調べた。

 貨幣が通じるかは微妙だが、何もないよりいいだろう。いざとなれば代金代わりに働く事も覚悟の上だ。

 とにもかくにも食料と水の確保。何をおいてもそれが最優先事項だった。

 一先ず十分な額があることを確認して、マギサを連れ立って意気揚々と村に足を踏み入れる。


 その村は、なんとも言い難い微妙な空気を発していた。


 道行く村人の顔はどことなく曇っていて、ナイト達を見ると引き攣った笑顔を浮かべて早足に通り過ぎる。

 歓迎されていない様子ではあるが、排他的というよりはこれ以上面倒事を抱え込みたくないというような、消極的な拒否を感じる。

 こういった雰囲気には覚えがある。何か問題が起きているのだろう。


 それも、どうにも解決し辛いものが。


 同じような村で暮らしてきたナイトにはなんとなく理解できる。内部に問題を抱えていると、今以上にこじれるのを恐れて外の人間を忌避するものだ。

 以前訪れた、山間に囲まれた里のように。

 あの時ほど毛嫌いされているわけでもなさそうで、ナイトは手近な所を歩いていた村人に声をかける。


「あの、すみません。この村に食料や水を売ってる店ってありますか? あと、出来れば一泊させて頂きたいのですが……」

「あー、悪い、そういうのは村長に言ってくれねぇかな?」


 にべもない村人の返事に、ナイトが困ったように顔を歪める。

 マギサは黙ったまま、村人をじっと見つめていた。


「えと、じゃあ、村長さんの家って――」

「――あそこだよ」


 ナイトが言い終わるよりも早く、村人が村の中央よりやや北側にある大きめの家を指差した。

 ありがとうございました、と頭を下げるナイトに軽く手を振って、村人はやや足早に立ち去っていく。


 妙なものを感じないではなかったのだ。

 雑な対応をしながらも、村人はしっかり腰の剣に目をやっていた。

 内心ざわめく不穏なものを押し殺して、ナイトは言われた通り村長の家に向かう。

 マギサがついてきていることを確認して、玄関をノックする。

 扉の向こうから、しわがれた声がした。


「どちら様かな?」

「旅の者です。食料と水の売買に、一夜の宿をお借りしたく参りました」

「……入ってきなされ」


 許諾の返事を受けて、ノブを回す。

 中に入ったナイトが目にしたのは、玄関から数mの距離を置いたところに立つ白髪の老人だった。

 マギサとはまったく違う理由で杖を持つその老人は、ナイト達を一瞥して難儀そうに応接間らしき部屋に入っていく。


「立ち話もなんじゃろ。旅の方、こちらへ」

「あ、はい」


 老人の後について部屋に入れば、そこは確かに応接間だった。

 丈夫そうな木製の机に、同じく頑丈なのが取り柄の椅子が両側に三つずつ。

 右側の席に老人が座っているのを見て、ナイトは左側の端に座る。マギサはナイトの隣にそれが当たり前のように座った。


 家政婦と思しき人がお茶を運んできて、全員に配る。

 手をつけないのも居心地が悪く、ナイトは一礼して、マギサは何もせずカップを手に取った。


「食料と水が欲しい、ということじゃったな?」

「え、えぇ、はい」


 突然切り出された話に動揺しつつも、ナイトは頷き返す。

 村長である老人は白くなった髭を撫でながら、ナイトの腰に下げられた剣に目を落とした。


「宿が欲しい、とも」

「そうです」


 ナイトの返事に頷きつつ、茶を一口飲む。

 釣られてカップを傾けながら、ナイトは老人を観察する。

 見たところ、特におかしなところは見受けられない。普通の老人だ。村に住まう者の常として体が丈夫そうだが、心得があるといった様子でもない。

 一々もったいぶった言い回しに、何かしら意図を感じずにはいられなかった。


「こちらの頼みと引き換えなら、なんとかしよう」

「……頼み、とは?」


 やっぱり、という思いがナイトの胸中を満たす。

 何かあるとは思ったのだ。

 むしろ、これで村に入ってからずっと感じていた妙な空気の正体が知れるかと思うと、こちらから望んで聞きたいくらいだ。

 聞いた以上、勿論引くわけにはいかないのだろうけれど。


 そっとマギサに目配せする。

 マギサも承知していたようで、小さく頷き返してきた。

 そんな二人のやりとりを知ってから知らずか、老人が震えながら口を開く。


「この村の西側にある森の調査を、お願いしたい」

「……調査?」


 いまいち内容を理解しきれていないナイトに、村長がはっきりと頷いた。


「この村の西側には、山に続く森がある。その調査をして頂きたい」

「調査、って具体的には何を?」


 ナイトの疑問に、老人が白く染まった髭に埋もれた口を動かす。


「その森……正確には山の方じゃが、凶暴な熊が住んでおる。昨今、森で唸り声を聞いたという者や夜中に遠吠えを聞いたという者がおる。半年ほど前じゃが、木々に易くない傷がついていて、只事ではない事態もあった。ややもすると、熊が森にまで下りてきておるかもしれん。その事実調査と、できれば駆除を頼みたい」


 老人の話を聞き終え、ナイトは考え込むように腕を組む。

 熊は、森の中で出会う動物としては最悪の部類だ。魔物を除けば最強といっていい。

 ナイトも話伝手に聞いたことがあるが、人肉の味を覚えた熊は人里を襲うようになるらしい。

 現状そこまでの事態には至っていないようだが、熊が人里近くに来ているというのに放置しておけばその内襲われかねない。

 しかし、村長の言い草だと声からの推測というよりは、まるで熊を見たことがあるかのようだ。


「その熊を見た人がいるんですか?」


 直球で質問をぶつけると、老人は白髪に埋もれた顔を顰めた。

 何かまずいことでもいったかとナイトが内心焦っていると、老人はしわがれた声を更に震わせて話し始めた。


「かつて、山から下りてきた熊に襲われた者がおる」


 ナイトは息を呑んで、口を引き結ぶ。

 その声には、深い悔恨と苦痛の色が滲んでいた。


「この村唯一の狩りを営む家族じゃ。幼い子供を残して、その両親が熊に襲われ食われて死んだ」


 応接間の中の時が、一瞬凍りついた気がした。

 唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。

 かつて聞いた話。人肉の味を覚えた熊は、人里を襲うようになる。

 森の異変は、この村の人にとっては心穏やかならぬ事態だ。


「旅の方。腰の剣といい体つきといい、名のある戦士の方とお見受けする。どうか、村の平穏の為引き受けては下さらんじゃろうか」


 深々と頭を下げられ、ナイトは言葉に詰まる。

 目線だけ動かしてマギサを見れば、じっと村長の白髪だらけの頭を見つめていた。


 どうやら、選択肢はもはやないらしい。

 小さく溜め息を吐きながら、それでも余り悪くない気持ちでナイトは村長でもある老人に頭を上げるよう言った。



  ※              ※              ※


 村のはずれ、森の入り口を少し入った所にある池の畔。

 村長からの依頼を受けることになった二人は、唯一の目撃者でもある狩人家族の残された娘に会いにきていた。


 依頼を受けるにあたって、当然の事としてナイト達はあれこれと情報を聞き出した。

 狩人家族の両親が殺されたのは三年前であること。

 下手人である熊は未だに見つかっていないこと。

 唯一生き残った娘は、妻に先立たされた祖父と共に狩人をしていること。

 その祖父は一年程前から病に倒れ、孫娘一人で狩人の仕事を継いでいること。

 祖父が健在な内は時折村の男衆が手伝っていたが、祖父が倒れてから孫娘一人で狩りに出向くようになったこと。

 狩人の祖父は村長と親しく、出来れば孫娘の身に何か起こる前に事態を収拾して欲しいこと。


 話されれば話されるほど逃げ場がなくなり、話し終える頃にはすっかり解決しなければ村から出られなくなっていた。

 知らぬ存ぜぬで突っ張れば別の道もあったかもしれないが、そんな話を聞かされてナイトやマギサが黙っていられるはずもない。

 何事もなかったように出て行ける胆力を持っているなら、そもそもシャレンを旅の連れに引き入れなかったに決まっているのだ。


 狩人家族が襲われた当時、騎士団も呼んだらしいが、結果は言うに及ばず。遂に熊を炙り出せなかった騎士団は村人に幾つかの手解きをして退散した。

 まして、今の魔物の通報に追われる状態では構っていられないだろう。

 止むを得ない事だ。ナイトはそう割り切れていたが、むしろ引っかかりを覚えたのはマギサの方だった。


 自分達を追う余裕があるなら、こういう人々の声に耳を傾けるべきなのだ。内心の憤怒を表に出さないようにしながら、池の畔にあるログハウスを訪れる。

 聞いた話が正しいなら、ここが狩人の祖父と孫娘が住む家のはずだ。

 ナイトがノックをしようとして、ふと何かに気づいたように振り返る。釣られるようにマギサも後ろを向く。


 そこには、水を一杯に入れた桶を抱えた少女がいた。


 池で汲んできたのだろうか。両腕で大事そうに桶を抱えながら、不審げな目つきでナイトとマギサを見やっている。

 歳の頃は大体マギサと同じか、少し下くらいか。警戒しているのがありありと分かる。

 確かに、いきなり剣を引っ提げた戦士風の男と真っ黒い小娘がきたら何事かと思うだろう。マギサは少女の心情を慮り、どう切り出したものかと思案する。

 そうしてる間に、ナイトがいつものように力の抜けた笑みを浮かべて腰低く話しかけた。


「あ、あの、狩人一家の娘さん……かな?」

「……どちら様ですか?」


 あからさまに警戒した様子で少女が質問に答えず尋ね返す。

 いつもこうだ。この人はろくに考えもせずに口にして、慌てふためく羽目になるのだ。

 マギサの予想通り、ナイトは引き攣った笑みを浮かべながら小さく手を振る。


「あぁいや、怪しいものじゃなくて、えと、村長さんにね、頼まれてきたんだけど」

「……村長に?」


 そしていつも、こうしてその余りに間抜けな様で他人の警戒を解いてしまうのだ。

 ある種の怪しさは一定の度を越すと逆に怪しくなくなる、というのをマギサはナイトのやり取りを観察して理解した。

 少女の警戒が若干解けた事を察したのか、ナイトが襟足を弄りながら弱弱しく笑う。


「うん。最近森の様子がおかしいから、調査してくれ、って。それで、君とお祖父さんにお話を聞きにきたんだけど……いいかな?」

「……どうぞ」


 嘘でない事を理解してくれたのか、それとも村育ちで疑うことを知らないのか。

 ともかく少女はナイトの言い分を受け入れ、玄関を開けて中に招き入れてくれた。


「お邪魔しま~す……」


 まだ若干腰の引けた様子でナイトが中に入り、マギサがその後ろに続く。

 家の内部は実に簡素な作りで、あちこちに獣の皮やら葉っぱやらが干されている。

 マギサが覗き見た限りでは肉が干されている部屋もあり、まさに狩人の家といった風情があちこちに満ちていた。


「祖父は突き当たりの部屋に居ます。私も後で行きますから」

「あ、うん、ありがとう」


 まさに子供と大人程の身長差のある相手に頭を下げる様はどこか滑稽で、マギサは小さく嘆息する。

 ナイトのあの性格は、多分死んでも直らないだろうと思う。


 別に悪いわけではない。相手に敬意を払う姿勢はむしろ好ましいものだ。

 ただ、なんとなく面白くはない。そんなことをするから、余計な苦労を背負い込む羽目になるのだ。

 かといって、直して欲しいかと言われると微妙なところだ。それはそれで、ナイトらしくない気もする。

 もう一度嘆息しようとしたところで愚にもつかない考えに気づき、小さく杖で小突いて切って捨てた。


 そんな自分に気づきもしないナイトの背中をそっと睨みながら、突き当りの部屋に入る。

 そこには、内装の割には立派なベッドと、皺の刻まれた顔で寝転ぶ老齢の男性が居た。

 体つきは寝たきりのわりにはしっかりとしていて、狩人なのだということを感じさせる。

 しかし、表情に生気はなく、病に倒れて一年も経つということも感じさせた。


「珍しい、お客さんかな。このような格好で申し訳ない」

「あぁいえ、こちらこそ急な訪問ですみません」


 柔らかく笑ってみせる老人に、ナイトは否定の意を示した上で頭を下げた。

 一年。短くない時間だ。

 病の床に伏せるその姿は、全くの赤の他人のはずのナイトやマギサの胸をすら締め付けるものがあった。

 ただでさえ喋るのが得意でないマギサは、こういう時何も言えなくなる。話すのはナイトに任せて、マギサは観察に徹することにした。


「えぇっと、僕達はその、村長さんの依頼を受けてきたんですけども」

「あぁ、森に入られるんですな。それで私らに話を聞きにきたと」

「えぇ、はい、そうです」


 頷くナイトに、構いませんよと老齢の狩人は笑う。

 話が早くて助かる。ナイトはほっと胸を撫で下ろして、改めて老人に向き直る。


「まず、熊についてお聞きしたいです。数や大きさはどんなものですか?」


 ナイトの質問に、老齢の狩人は考え込むのように中空を見つめる。

 正直、ナイトも尋ねるのに躊躇がなかったわけではない。我が子とその伴侶の無残な最期を思い出させることになってしまう。

 だが、流石にここは聞いておかねば、こちらとてマギサを守らなければならないのだ。


「数は……分かりません。昔下りてきたのは一頭です。大きさは……孫に聞いた方が早いでしょう」


 老人が言い終えるのとほぼ同時に、件の孫娘が部屋に入ってきた。

 余りのタイミングの良さにナイトはぎょっとして飛び退き、マギサは黙って少女の顔を見つめる。

 孫娘はナイトとマギサをそれそれ一瞥して、会釈して祖父の傍に駆け寄った。


「お爺ちゃん、具合はどう?」

「悪くはないよ。お前のお陰だね」


 笑いかける祖父に笑みを返し、水をいれたコップをそっと手渡す。

 祖父は一口だけ飲んで、ベッド脇のサイドテーブルに置いた。


「エウリュ。この方達が、熊について聞きたいと仰っている。話してくれるね?」

「……うん」


 祖父に頷き、孫娘――エウリュがナイト達の方を振り向く。

 その目は深い悲しみを湛えながら、迷うような色は微塵もなかった。

 ナイト達が何を言う前に、エウリュは自分から口を開く。


「三年前に下りてきた熊は一頭で、その男の人の倍くらいは大きかったです。横幅はこの家の玄関くらいありました。あの時からは……一度も、山から下りてきていません」


 一瞬考え込むような間があったものの、エウリュは実に流暢に答えた。

 両親の残酷な末路を見ているはずなのに、決然とした態度にナイトは何も言えなくなった。

 これ以上根堀り葉堀り聞くのも躊躇われ、ナイトは襟足を弄る。

 仕方ないとはいえ、なんとも重い空気になってしまった。

 取り繕うように、ナイトは別の話を振る。


「うん、その、ありがとう。それじゃ、今度は森について聞かせてもらっていいかな?」

「分かりました」


 何とか話題を変えることに成功し、エウリュの話を聞きながらナイトは相好を崩す。

 森に関する情報だって聞くべき大切なことだ。そう言い聞かせ、自分を納得させる。

 だから、ナイトはエウリュが口ごもった一瞬の間の意味を深く考えなかった。



 マギサは何も話さず、じっとエウリュの様子を観察していた――

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