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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
37/85

第三十五話 「シャレン・エピローグ」

――その『魔道具』を貰ったのは、拾われてから(おおよ)そ五年。

 一通り素手での人の殺し方を身につけた頃だった。

 銀とも白ともつかない色で鈍く輝くそれは、ただの右腕用の篭手にしか見えなかった。

 鉄のような材質で出来ており、まだ子供だった私には重く、何故こんな意味の分からないものを与えるのかと疑問に思った。

 それでも、養父(ちち)が意味もなくそんなことをするはずもない。試しに着けてみれば、力を吸われるような感覚がして途端に軽くなった。

 反射的に怯えて、身を固める。すると、養父が檄を飛ばしてきた。



 ――怯えるな。命を捨てろ。



 『仕事』で囮ではなく、殺す側になってから言われるようになった教え。

 命を惜しみ、守ろうとする者に人は殺せない。

 命を捨て、ないものとすれば粛々と人を殺せる。

 人を殺すのはただそれだけのことであり、それ以上でも以下でもない。そこに特別な意義を見出そうとするから、『仕事』に失敗する。

 豚の屠殺に快楽を得ようとする者はいない。肉を食うのに何かを割り切る者はいない。水を飲むのに躊躇する者もいない。人を殺すのも、同じことだ。

 その為に、まずは自らの命を失え。養父はそう私に教えた。


 右腕の篭手に触れ、力を吸われる感覚を取り戻す。怯えることはない。吸われきって死んだ所で、そういうものというだけだ。

 篭手は更に私から力を吸い取り、五本の鋭く長い鉤爪へと姿を変えた。

 最初は、ただそれだけで全ての力を吸われて指一本動かせなかった。

 一分維持するだけで気絶し、微塵も使い物にならなかった。

 それでも、使いこなせば他のどの武器よりも優れた暗器になるのは明白だった。

 養父が私に渡した以上、これを使いこなせという意味だと思った。だから、毎日鉤爪を出現させ、少しずつ体に慣らしていった。

 死に怯えていたら、この『魔道具』は使いこなせない。そう理解し、養父の教えを実践できているかを計る指標にもなった。


 時折、『仕事』でこの鉤爪を使うこともあった。人の肉を易々と切り裂き、相手の想定外という死角から致命の一撃を与える。一刻も早く使いこなす必要性を感じるほど、『仕事』に向いていた。

 服も、右腕の篭手に合わせて変わっていった。

 一瞬でいい、隙が生まれればその瞬間に殺せる。だから、相手の隙を誘うようなものになった。

 それも全て、養父から与えられたものだが。

 『魔道具』を受け取って五年が経ち、ようやく使いこなせるようになった頃。


 養父が捕まり、処刑された。


 だから、養父は知らない。

 私が意識を瞬間的に集中する為に作った、“(ズァオ)”の一言で鉤爪を出せるようになったことも。

 力を抜けば、すぐに篭手に戻せるようになったことも。



 この『魔道具』を暗器として使いこなせるようになったことを知る前に、養父の首は胴と離れて地に落ちたのだ――



  ※            ※            ※


 目が覚めると、木製の天井が見えた。

 起き上がる前に、目線だけで周囲を確認する。広い部屋、等間隔に並べられたベッド、若干漂う薬草の臭い。

 隣に座るトゥレの姿を見た時、シャレンはここが自警団宿舎の救護室だと理解した。

 右腕に獲物がついていることを確かめ、ゆっくりと起き上がる。

 気づいたトゥレが片側の口の端だけ吊り上げて、左右非対称に顔を歪めた。


「おぅ、起きたのか。ホントに異常はねぇみたいだな」

「“(ズァオ)”」


 篭手を鉤爪に変化させ、トゥレの顔前数mmのところで止める。小さい悲鳴と息を飲む音が聞こえる。

 この男はあの二人が逃げる手伝いをしていた。『仕事』の邪魔をしたも同然だ。

 だが、始末する前に聞いておくことがあった。


「誰の命令であの二人を助けた?」

「だ、誰の命令でもねぇよ」


 鉤爪を少し近づけ、肌に少しだけ刺す。

 一筋の血が額から流れ、トゥレの口に入っていく。


「正直に」

「ほ、本当だ! 俺が好きでやった、嘘じゃない!」


 シャレンの温度のない瞳に射抜かれ、震える声でトゥレが叫ぶ。

 この男に、命と引き換えにしてまで依頼主を隠す度胸もないだろう。そうシャレンは納得し、次の質問に移った。


「私を気絶させた力は、何?」

「し、知らねぇ! あいつら――あのガキは、その鉤爪のせいだろうっつってた!」


 自身の『魔道具』を一瞥し、シャレンは凡その理解を得た。

 あの力が抜ける感覚には覚えがある。まだこの『魔道具』を受け取ったばかりの頃、鉤爪を出そうとして陥った状態に近い。だから、今更あんな夢を見たのだろう。

 あの時、妙な障壁にあたった感触がした。おそらく、少女が『魔法』を使って何らかの妨害工作をしたのだろう。

 そして、それをこの鉤爪が切り裂いた。この『魔道具』の真の力は、むしろそちらの方かもしれない。人の肉だけでなく、『魔法』も切り裂く力。

 しかし、それには代償がある。鉤爪を出現させる時とは比べ物にならないくらいの力が吸われていく。それこそ、命に関わる程。

 良い発見だ。これで、『魔法使い』に対抗する手段がこちらの手にもあることになる。今のところ一回限りとはいえ『魔法』を切り裂けるなら、殺し方は幾らでも思いつく。


 問題はその後だ。先に少女を殺してしまえば、あの青年に確実に殺される。

 だが、青年を先に殺そうとすれば少女が妨害し、一回限りの奥の手を使ってしまうことになる。

 どちらにしろ一筋縄ではいかないが、対抗手段がないのとあるのとでは大違いだ。

 もう一人、いつものように検証・確認してくれる相手がいれば、ただ少女を殺すだけでいいから楽なのだが。

 養父の後を継いだ『まとめ役』のナルは、残念ながらこちらに引っ張り出せない。

 現状で取れる手段で最善を尽くすしかない。頭の中の整理を済ませ、最後の質問に移る。


「何故私を殺さなかった?」


 一番の疑問。

 この男は、気絶した自分をわざわざここまで運んできたのだ。それ以外に、救護室にいる理由は考えられない。

 簡単に殺せたはずだ。腰に下げた剣を一振りすれば、それで終わり。自警団という建前とて、自らの命の前には何の意味も成さないだろう。そもそも、この男は騎士団のような殊勝な連中とも違う。

 殺されると分かって、そんな馬鹿な真似はしない。理由が分からない。

 トゥレはそれこそ心底馬鹿にしたように、他人の神経を逆撫でするような厭らしい笑みを浮かべた。


「頼まれたんだよ。兄ちゃん……いや、あの様子だとガキの方もかな。あんたを助けてくれって。金まで積んでな」


 何を言われているのか、意味が分からなくて動きが止まる。

 自分に命を狙われていたあの二人が、助けてくれと頼んだ?

 理解ができない。そこに何の意図があるのか探ろうとしても、教わったことの中に納得できるだけの相応しい理由はなかった。


 何をどう考えてもおかしい。理屈が合わない。能天気な善人がいるという話は聞いていたが、それにしても整合性が取れない。

 あの少女も青年も、自分を警戒していた。能天気に頭から信じ込んで疑わない、なんてことはなかったし、善人ではあろうが自分たちの命が大事だという姿勢だった。

 特に、青年の方は少女の命に関して過敏でさえあった。それを奪おうという相手に、どうしてそんな情けをかける必要があるのか。

 いや、そもそもこれは情けなのか。何か別に思惑があるのではないか。


 でも、どう考えても答えが出ない。こんなことで仕事を止めたりはしないし、それはあの二人だって承知の上だろう。淡い期待を抱くにしても、悠長に過ぎる。

 一緒に旅をした仲だからという気持ちがあったにせよ、その間ずっと騙し続けていたのだ。その事が分からないほど愚かでもないだろうし、第一放置しておけばこの男が勝手に殺す。それで狙われることもなく、彼らにすれば丸く収まるはずだ。

 裏切り者を始末するのに、一体何をそんなに躊躇することがあるのか。

 どこをどう探しても理由が見当たらず、頭の整理がつかない。

 その様子を察してか、トゥレが鉤爪を指差して言った。


「とりあえず、これ下げてくんねぇかな。今更俺を殺したって、どうにもならんだろ?」


 男の目を見据え、シャレンは鉤爪を篭手に戻す。

 あの二人の思惑が分からない以上、頼まれたというこの男を殺すのは得策ではない。

 そもそも、依頼もないのに仕事はするべきではない。今現在この男は脅威でも邪魔でもなく、殺そうが殺すまいが変わらない存在だ。

 養父の教えに則り、シャレンはトゥレを見逃すことにした。

 ベッドから降り、扉に向かって歩き出す。もうこの町に用はない。

 その背中に、トゥレが声をかけた。


「よう、姉ちゃん。ちょっと悪いが、団長が呼んでんだ。あの二人を追いかける前に、顔を出してくんねぇか?」


 肩越しに振り向き、変温動物じみた目で見つめてくる。

 何度晒されても慣れないが、今更ビビったって仕方がない。好きに生きると決めたのだ。それで死ぬとしても、笑って受け入れてやろう。

 シャレンはトゥレから視線を外し、取っ手を握り締めて口を開いた。


「ついてきて」


 一瞬思考が追いつかず、何のつもりか考えている間にシャレンは扉から出て行った。

 慌てて後を追い、扉を乱暴に開けて廊下に出る。


「ちょ、ちょっ、待ってくれ!」


 シャレンは一切振り向かず、編みこんだ髪を揺らして廊下を進む。

 荷物を適当にどこかに放り込んだはずなのだ。まずは、それをとってこなければ。

 団長室に行くのは、その後だ。



 シャレンのずた袋の中には、新しくこの町で買った櫛と髪飾りが入っていた。



  ※           ※            ※


 団長室では、大柄な男が肩を怒らせながら椅子に座っていた。

 シャレンはノックも何もなく扉を開け、入り口近くにずた袋を置く。

 その様を忌々しげに眺めながら、自警団団長はずた袋の傍で壁に背を預けるトゥレを睨み付けた。


「何しにきた。お前は呼んでいないぞ」

「ついてこいと言われたもんで」


 肩を竦めてそう返すと、団長は殊更大きな舌打ちをしてシャレンに視線を移す。

 机の前まで進み出て、シャレンはじっと大柄な男を見下ろした。


「何か用?」


 その一言が、起爆剤となった。

 団長は思い切り机を叩き、椅子を蹴って立ち上がる。


「用? 用だと!? あぁ、あるぞ、大有りだ!! 貴様、なんてことをしてくれたんだ!!」


 四角い顔を真っ赤に染め、団長は顔を近づけて睨み付ける。

 シャレンと団長では明らかに団長の方が上背があり、上から押さえ付けるように威圧的に見下してきた。


「貴様のお陰で、こっちは酷い有様だ! 部下達は傷つき、腰抜けになり、挙句の果てには俺の命令を無視する始末!!」


 胸倉に掴みかからんばかりの勢いで唾を飛ばし、怒号を放つ。

 怒りに燃える目は釣りあがり、怨敵を目の前にしたように恨みをぶつけた。


「町中の騒ぎで町長共が喚きだし、自警団の活動に制限が加わるわ査察が入るわ、とんでもない被害だ!! 俺の団長権限まで見直すとか言う頭の悪い議論が飛び交うわ、予算の見直しも入るわ、最低最悪の一日になっちまったじゃねぇか!!」


 机も割れよとばかりに殴りつけ、小さく罅が入る。

 表情を変えずに聞き流すシャレンの態度が更に憎悪を増幅させ、最後の自制が限界を迎えて手を振るわせていた。


「挙句、標的の二人は町からまんまと逃げ出したそうだな! その場にいたのに、貴様は二度も返り討ちに遭った!! この落とし前、どうつけてくれるんだ、あぁ!?」



「五月蝿い」



 端的な返しに、団長の我慢が限界に達した。


「このクソアマァァァァァァァ!!!」


 シャレンの二倍はあろうかという暴力的な腕が伸び、



 鉤爪が団長の顔面を切り取った。



 眼球を抉り、鼻を潰し、唇を切り裂いて、鉤爪が振り抜かれる。

 先程までとは別の意味で真っ赤な能面となった団長の顔が、机の上に落ちる。


 シャワーのように降り注いだ返り血はシャレンの全身を染め、真っ黒い服に吸われて見えなくなる。黒を選んだのは、そういう意味合いもあった。

 鉤爪を一振りし、引っかかっていた眼球や鼻の一部や唇が床に飛び散る。脈打つ肉は、人間のものも家畜のものもそう変わらなかった。

 『魔道具』を篭手に戻し、左の長手袋で血をふき取りながら荷物を拾う。

 トゥレは平静を装いながら、隣で腰を屈めるシャレンに向かって言った。


「とんでもねぇことすんな。どうすんだこれ」

「自警団団長は責任を感じて自害。又は責任を問われる事を恐れて逃走。どっちでも好きな方で」


 今更ながら、トゥレはシャレンが何故自分を連れてきたかを理解した。

 この後処理をさせる為だ。つまり、最初からシャレンは団長を殺すつもりだったのだ。


 おそらく、こうなることを予期していたのだろう。だから、公にせず処理することの出来る自警団の人間が欲しかった。

 何せ、こんなこと公表できるわけもない。言おうとすれば、今回の件全部が表沙汰になり、間違いなく自警団は解体させられ別の組織が出来る。

 今の自警団にいるクズ共に、それを容認することができるはずもなかった。

 この女は、それを理解した上で行動に及んだのだ。殺ししか出来ないとナメていたが、逆に殺しに関することなら怖いくらい頭が回る。

 ずた袋を背負い、扉の取っ手に手をかけるシャレンに声をかけた。


「この死に方で自害は、流石に無理があるだろ」

「そう」


 それだけ言って、シャレンは出て行った。

 扉と団長の死体を見比べて、トゥレは頭を掻く。

 一先ず今は、疫病神が出て行ってくれたことを喜ぶべきだろう。いや、どちらかといえば死神か。

 外は日が昇る前、月も沈んで最も暗い時間。

 死体を隠すには、今すぐ動くしかない。日が昇れば、人の目につく可能性が高くなる。

 今後の事を考えて、トゥレは深い深い溜息をついた。




 その日、一連の騒動の責任を逃れようと自警団団長ダヴィドは町から逃げたと説明を受け、町は一時騒然となった。

 確かにどこを探しても団長は見つからず、誰もが義憤と悲嘆(ひたん)を口にした。



 事の真相は、闇から闇へと葬られた。



  ※             ※             ※


「『魔道具』? シャレンさんの鉤爪が?」

「はい」


 頷くマギサに驚きを隠せないまま、ナイトは焚き火を弄る。

 町から逃げた後、二人は朝になるまでとにかく走って町から離れた。シャレンがどのくらいで気絶から回復するから分からなかったし、北北東を目指している事も知られている。一先ず距離を稼ぐことを一番に考えて、真っ直ぐに進んだ。

 日が昇ると体力も限界を迎え、適当な木陰を見つけて昼過ぎまで寝た。起きてからも北北東には向かわずに進み、足が棒になったところで日が沈んで野営地を決めて、今に至る。


 シャレンを撒けたかどうかは分からないが、とりあえず今のところ見つかってはいないようだ。

 疲労が全く抜けきらないままここまできたので、流石に今晩襲われたら一たまりもない。そんな話をしていたら、マギサから飛び出した言葉がそれだ。

 上半身裸のナイトが、マギサに尋ねる。


「でも、普通の武器みたいだったよ? どこから出したのかはわかんないけど」

「右腕の篭手が変形したんだと思います」


 ナイトの服を縫い合わせながら、マギサが答える。

 脇腹の傷は治ったが、服の傷はそうもいかない。今更多少痛むくらいナイトは気にしなかったが、マギサが強固に主張したのだ。

 道具があるのだから直せばいいと言い張られ、仕方なく服を脱いで渡すことにした。

 流石に夜は少し肌寒さを感じないでもなかったが、少しの我慢と割り切った。

 マギサの推測に感心しながら、シャレンと戦った時のことを思い出す。


「そういえば、確かに篭手と同じ右腕だったな。そっか、あれかなり重いだろうと思ってたけど『魔道具』なら凄い軽いのかも」

「そうですね」


 相槌を打つマギサは、さっきからずっと下を向いてばかりだ。

 裁縫しているから当然といえばそうだが、少しくらい手を止めてもいいのにとナイトは思う。

 話しながら他のことをするのは大変だろうに、マギサは手を止めようとはしなかった。


「でも、それで『魔道具』だって分かったの?」

「いえ。分かったのは、町を出る時にシャレンさんが倒れたからです」

「あぁ、あれか」


 焚き火を弄って火の勢いを保ちながら、今日は鍛錬どころじゃないなと一人ごちる。

 マギサが縫い終わったらすぐにでも寝ないと、体力が回復しない。

 いくら傷は治ったといえ、失ったものが戻ったわけではない。これだけ血を流したのはグラン・スパイダー以来だろうか。服も脇腹と背中が赤く染まっていて、そのうち全部真っ赤になるんじゃないかと思う。

 その傷を負わせた張本人のシャレンだが、確かに町から出るとき戦って、いきなり倒れた。あの時確かマギサが防御膜を張ってくれたはずだが、何故か攻撃が当たったのだ。


「マギサ、あの時『魔法』使ってくれたよね?」

「はい。膜状の障壁を張りました」

「え? あー……なんか、壁を作ってくれたってことだよね?」


 マギサが頷き、自分の考えが間違ってなかったと知ってナイトは胸を撫で下ろす。

 一応教えを請うている身で、理解の至らない様を晒すわけにはいかない。

 しかしそうなると、益々不思議なことになる。


「じゃあ、なんでシャレンさんの鉤爪が当たったんだろ?」

「障壁が切り裂かれたからです」


 簡潔な答えの意味する所に気づいて、ぎょっとしてマギサを見る。

 それはつまり、『魔法』を消したということになってしまうのだが、そんなことが可能なのだろうか。


「そんなことできるの?」

「『魔道具』の中には、そういうものもあると聞いたことがあります」


 まるで『魔法使い』を殺すために作られたような『魔道具』の存在は、マギサが里にいた頃から聞いたことがあった。

 この前の遺跡で見つけた手紙で、それは確信に至った。

 どんなつもりで作ったのかは知らないが、『魔法』に対抗する為の『魔道具』は存在する。『魔法』を打ち消し、刃を『魔法使い』に突き立てる為の武器が。


 本来、特定の『魔法』を再現するための『魔道具』としては、異例の品物だ。どういう原理か詳しくは分からないが、おそらく『魔法』同士が干渉しあって起きる『歪み』を利用しているのだろう。

 以前自分が『下法陣』に対して行った相殺より、よっぽど洗練されているのは分かる。

 反発も何もなかった。すっと刃が入り、あっさりと切り裂かれる。かつての『魔法使い』が持っていた『魔法』の技術は、やはり自分とは質も量も違う。

 そもそも、自分は里でも『魔力』が少ない方だったのだ。自明の理というやつだろう。

 考え込んでいたせいか、気遣うようなナイトの声が聞こえた。


「マギサ、どうかした?」

「いえ、大丈夫です」


 気づけば手も止まっていた。一旦考えるのを止めて、手を動かすことに集中する。

 顔は上げない。ナイトの裸が目に入るから。

 どうしてナイトは平然としていられるのか、その方がシャレンの『魔道具』の仕組みよりもよっぽど分からない。

 やっぱり、異性として見られていないんじゃないのか。


「でも、シャレンさんがそんな『魔道具』を持ってるなら、彼女の相手は僕がしないとね」


 裁縫をする手がぴくりと震え、一瞬止まる。

 再開したときの手つきは、前より明らかに雑になっていた。


「別に、そんなことはありません」


 我ながら刺々しくなっているとは思う。

 でも、仕方がない。そんなことを言うナイトが悪いのだ。


「え、でも『魔法』が通じないんじゃ、普通に戦わないと」

「そういう相手だと分かっていれば、『魔法』でもやりようはあります」


 相手の手の内が分かっているのだから、対策をとればいいだけだ。別にナイトがシャレンの相手をしなければならない理由にはならない。

 第一、シャレンの『魔道具』には決定的な弱点があった。


「それに、あの『魔道具』が『魔法』を切り裂くには相応の『魔力』が必要です。いくらシャレンさんでも、何回もやれるようなものじゃありません」

「あぁ、だから気絶してたんだ」


 合点がいったようなナイトの返事に、雑な手つきが少しだけマシになる。

 『魔道具』は『魔力』なしには起動しない。どんなものであれ、『魔力』を使って効果を発揮するのだ。

 シャレンの倒れ方は、大量の『魔力』を失った状態と酷似していた。だから、あの鉤爪が『魔道具』だろうとあたりをつけた。


「そっか、それであの鉤爪が『魔道具』だって分かったんだね」

「はい」


 雑だった手つきが元の慎重なものに戻る。

 分かってくれればいいのだ。腹立ちが収まり、脇腹の傷が半分ほど縫い終わる。

 大体、こんな傷をつけられておいて、よくもまぁ相手をするなんて言えたものだ。

 体の方の傷だって、もう少し深く食い込んでいたら内臓にまで到達していたかもしれない。そうなれば、すぐに治療しないと出血多量で死ぬ可能性さえある。


 夜の闇の中でのシャレンの動きは、マギサの目では捉え切れなかった。何がどうなっているかも分からぬ内に金属音が響き、とにかく障壁を張ったのが実情だ。

 今もシャレンが追いかけてきているかと思うと、正直かなり怖い。ナイトにはああ言ったが、一度でも『魔法』を無効化されれば、そこで決着がつきかねない。

 シャレンの動きについていける自信はまるでない。普段から何重かの防御膜を張ればいいかもしれないが、刃や危害を加えるものだけを弾く障壁を作るのはかなり『魔力』を使うし制御も楽じゃない。

 そもそも、『魔法』をそこまで信用できない。何かの拍子に暴走したり、想定した以外の効果が出る可能性だってないわけじゃないのだ。

 普段からずっと『魔法』を展開し続けるのは、とても怖くてできなかった。


 多分それに慣れてしまえば、自分の中に潜む怪物に取り殺される気がする。


 小さく溜息を吐く。そう考えれば、里に向かうというナイトの判断は自分にとっても悪いものじゃないかもしれない。

 確かに炎の記憶がこびりつく場所に帰るのは怖いが、里にはまだ知らない『魔法』に関する書物の類があるはずだ。

 かつての『魔法使い』には及ばなくとも、里にある分くらいは知っておきたい。どのくらい残っているかも分からないが、あの里の事だ。簡単には見つからないよう隠してある秘蔵品がいくらか残っていてもおかしくない。

 『魔法』について、もっと深く知る必要がある。この力に対抗し制御する為には、今のままでは知恵も知識も足りない。

 そうすれば、自分の中の怪物を恐れなくてもいい日がくるかもしれないのだ。


 のろくさとした手つきで縫っていると、ナイトが考えた末に思いついたように言った。


「何にしても、もう離れないようにしないとね」


 心臓が口から飛び出るかと思った。

 手が思い切り滑り、針が指の先端を掠る。


「いっ」

「だ、大丈夫!?」


 指の腹の部分からじわりと血が一滴滲み出る。

 駆け寄ってきたナイトが手を掴み、痛そうに眉を潜めた。

 自分はもっと痛い怪我をしたくせに。このくらい、なんてことはない。



 ナイトが指を咥えて、血を吸いだした。



 肩が震えて、全身が硬直する。

 一体、何を、しているのか。

 軽く吸い出した後唇を離し、そっと指で撫でてみせた。


「針だって危ないんだから、気をつけてね」


 返事も出来ず手を振り払い、裁縫に戻る。

 ナイトは頭を掻きながら、罰の悪い顔をして元の位置に戻った。

 指の腹から、また少しだけ血が滲み出す。舐めてればこんなの治る、それは分かってる。

 散々迷った末、こっそり『魔法』を使って治した。

 少し間を置いて、ナイトが話し始めた。


「あの、さっきのはさ。何もマギサを子供扱いしてるとか、見縊(みくび)ってるとかじゃなくてさ」


 何を言おうとしているのか一瞬分からなかったが、離れないようにしようと言ったことについてだと一拍置いて理解した。

 黙って裁縫をしながら、耳を傾ける。


「えと、シャレンさんをさ。助けちゃったじゃない? 多分ね、間違いなくまだ僕らの……正確にはマギサの命を狙ってくると思うんだけど」


 そう。シャレンを助けてしまったのだ。

 気絶したシャレンは、あのままなら裏切りが発覚するのを恐れた自警団の男に殺されていただろう。それをさせない為に、わざわざお金を払ってまであの男に頼んだ。

 そのことについて、不満はない。シャレンが死ぬのは、嫌だった。

 今までの全部が騙されていたとして、それでもシャレンを助けたことに悔いはない。それはきっと、ナイトだって同じ気持ちのはずだ。


「シャレンさんは本当に強くて、僕も殺されるところだった。何とか撃退できたけど、ずっと同じことができるとは限らない。マギサだって、対抗策はあるといってもどうなるか分からないでしょ?」


 手元に視線を落としたまま頷く。

 シャレンだって今回のことで何かしら察しているはずだ。もし、『魔法』を切り裂ける回数に限界があると分かったら、それを前提として仕掛けてくるだろう。

 そうなれば、本当にどうなるか知れたものではない。


「だからさ、その、こう、上手く言えないんだけど」


 ナイトの言葉が何かを探すように宙に浮き、やがてストンと落ちてくる。

 それをそのまま、口にした。




「二人一緒なら、なんとかなるんじゃないかなって思うんだ」




 胸が詰まり、マギサは両手をきゅっと握り締める。

 そう、こういう人なのだ。

 我侭放題で、ろくに何もできないくせにしたいことばっかり多くて、他人のことばっかり考えてて、人の心にずけずけと触れてくる。

 馬鹿で無遠慮で単細胞で短絡的で、真っ直ぐに笑いかけてくれる。

 届かないものに必死に手を伸ばす、愚かでどうしようもない人。

 

 ――そんなだから、私なんかを助けてしまうんだ。


 胸の内だけで呟いて、裁縫の手を早める。


「そうですか」


 それだけ言って、さっさと手を動かす。早く寝ないと、明日が辛い。


「うん。だから、なるべく離れないようにしようね」

「分かりました」


 その返事にナイトは満足そうに笑って、再び焚き火を弄りだした。

 マギサの裁縫の腕は、以前よりもずっと上がっていた。



 傷を全て縫い終わったのは、虫の声さえ静まった深夜だった。

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