第三十一話 「シャレン・その5」
――深夜、ふとマギサは目を覚ました。
いつの間にか寝てしまっていた。横を見れば、ナイトが床に寝転がって気持ちよく寝息を立てている。
思い出した。久しぶりに講義をして、夢中になっている内に寝てしまったんだった。
ナイトの寝息はいつもより大きく、お酒の影響があることは明白だった。
本当に起きたら今日話した事を全部忘れていたりはしないだろうか。
そんな不安が胸を過ぎるが、もしそうならもう一度話せばいいことだ。きっと本人は酷く申し訳なさそうに謝るだろうから、それで許してあげよう。
起こさないようにそっとベッドから降りて、ブランケットを静かに被せる。身動ぎをされたときは少し驚いたが、起きる気配はないようで胸を撫で下ろした。
用を足したくなって扉を開けて廊下に出る。流石に真っ暗で、宴も終わったのか階下も静かなものだった。
その真っ暗な廊下に、溶け込むようにシャレンが居た。
外から戻ってきたのか、部屋の中に入る所だったようだ。マギサと目が合い、ほんの微かに驚いたような気配が伝わってくる。
初めて感じるシャレンの人間的な反応に、少しだけマギサの口元が綻ぶ。
「今帰ってきたんですか?」
「……えぇ」
一瞬で元の無反応なシャレンに戻り、若干残念な思いが去来する。何だか秘密を覗いたような気分だったのに。
すぐに部屋の中に入ればいいものを、シャレンは何かに逡巡するようにじっとマギサを見つめてくる。
思い当たる節がないマギサとしては、首を傾げるしかない。
こんな真夜中まで何をしていたのかと聞きたい気持ちはあったが、この場で詮索するのも野暮な気がして止めた。
代わりに、少し前から気になっていたことを聞いてみた。
「その髪、自分で編んでるんですか?」
「……そうです」
頷くシャレンに、感心したようにそっと溜息を漏らす。
寝起きで十分に頭が回っていなかったこともあるだろうし、どこかしら気の緩みがあったのも事実だろう。
それはもしかしたら、二度も助けられたのに素っ気無かった事への罪悪感かもしれないし、久しぶりにナイトと二人で過ごせた安心感からかもしれない。
ともあれ、隙だらけの姿をマギサが晒していたのは確かだ。
「良ければ教えてもらえませんか、編み方」
やってみたいとは思っていたのだ。
ナイトはどうやら随分と気になっているようだったし、やってみると意外に喜んでくれるかもしれない。
それに、長い髪が時折邪魔に感じる時もあったのだ。特に森を歩いていたりすると。
シャレンは少しの間を置いて、
「構いません」
扉の向こうに姿を消しながら、そう言ってくれた。
マギサがナイトを起こさないように小さく礼を述べると、いつものぶっきらぼうな返答が返ってきた。
ずっと縮めようとしなかった距離を縮める事が出来た気がして、ちょっぴり誇らしい思いで閉まっていく扉に向かって声をかける。
「お休みなさい」
「……お休みなさい」
その返事を最後に、扉はぱたりと閉まった。
マギサは軽い足取りで階段を下り、用を済ませて部屋に戻る。
高鼾を掻くナイトを横目に、明日になったら自慢しようかと考え、やっぱりこれは秘密にしておこうと思い直す。
鼻の下を伸ばすナイトには教えてやらないのだ。これは、女同士の秘密というやつだ。
そう思うと何だか胸の奥がくすぐったく、気分良く眠りに落ちる事が出来た。
ナイトの部屋を挟んだ向こうのシャレンの思惑など、マギサは何も知らなかった――
※ ※ ※
翌朝、目が覚めると同時にナイトは混乱した。
宿をとったはずなのに、何故床に寝転んでいるのか。ベッドから転げ落ちたかと思い起きてみれば、マギサの寝顔が飛び込んできた。
一瞬硬直し、顔から血の気が引くのを感じる。目の前の現実が理解できない。何がどうなってマギサと同じ部屋で寝ているのか。
大丈夫、大丈夫と呪文のように繰り返して、昨夜の記憶を必死に掘り返す。
そう、確か騒ぎから逃げるように部屋を借りて、シャレンの事であれやこれや考えて、散歩に出るシャレンとばったり出くわして、
そうだ、久しぶりにマギサの教えを受けていたんだった。
なんだかんだと話し込んで、気がつかない間に寝てしまっていたのだろう。とりあえず何もおかしなことはなかったと分かってほっと一息吐く。
それに反応したわけでもあるまいが、マギサがゆっくりと目を開けた。
「おはようございます」
「う、うん、おはよう」
いまいち混乱から立ち直りきっていないナイトの返事を気にも止めず、マギサはベッドから降りて杖を手に扉を開ける。
ぼうっとそれを見ているナイトに振り向き、やや呆れたように、
「顔を洗いに行きますけど、ナイトさんはどうしますか?」
「あ、はい、僕も行きます」
慌てて立ち上がり、自分の足につまずきながらマギサの後ろから廊下に出る。
ナイトの有様には慣れたもので、眉一つ動かす事なくマギサは扉を閉めた。
階下に下りれば、鼾を掻く死体が数人分転がっていた。昨夜の宴の結果だろう。大半は家に帰ったようだが、潰れた奴は置いていったらしい。
カウンターには店主とシャレンが居て、彩り鮮やかなサラダを摘んでいた。
「おはようございます」
「おぅ、おはよう」
「……おはようございます」
ナイトが挨拶し、マギサが小さく会釈する。
店主は気持ちのいい笑顔を向け、シャレンは一瞥して呟くように返した。
挨拶一つで性格が出るものだ。ナイトは床に寝転ぶ人達を踏まないように注意しながら、入り口の反対側にある裏口から外に出る。
設置された井戸から水を汲んで、マギサと一緒に顔を洗う。周辺に川が多いせいか、この町は水に困る事はないらしい。農業や酪農が盛んなのもそのお陰だと昨夜聞いた酔っ払ったオッサン達の我が町自慢に、ナイトは思い出し笑いを漏らす。
適当に服の裾で顔を拭おうとすると、袖を引っ張られる。
振り向けば、マギサに押し付けるように布を手渡された。
「あー、ありがとう」
「いいえ」
顔を拭った後軽く絞ってマギサに返し、中に戻る。
最近、マギサは何かとこういう所を気にするようになった。ナイトが鍛錬した後にも必ず布を用意して渡してくる。前までは適当に乾くに任せていたのだが。
マギサも少しずつ変わろうとしているのかもしれない。そう思えば、ナイトにそれを歓迎しない理由はなかった。
カウンターに座り、店主に朝食を注文する。
パンの焼けるいい匂いが漂う頃には倒れていた酔客達もゾンビよろしく起き上がり、口々に店主へ水を催促する。
手が離せないと店主に怒鳴り返されると、我慢のならない数人は頭を抱えて裏口から出て行った。
井戸の水を汲むつもりだろうが、あんな状態で井戸の中に落ちたりしないだろうか。腰を浮かしたナイトを店主が押し止め、嘆息して裏口から出て行く。
水をぶっかけられる音がして、濡れ鼠になったオッサン達が戻ってきた。
ぼやく店主が濡れ鼠に蹴りを入れ、厨房に戻ってナイト達の注文を並べる。
宴の後といった空気で食べる朝食は、気怠げながら面白い味がした。
胃袋を満たし、食後の一杯を飲みながらナイトは今後の事を考える。
この町に長居するつもりはないし、お金も無駄遣いはしたくない。食料と水を仕入れたらすぐに出立するのがいいだろう。
幸い、水なら裏の井戸ですぐに汲める。お陰で旅人の往来が多い時は繁盛するのだと、店主が自慢げに話してくれた。
問題は、シャレンだ。これから先もついてくるつもりなのだろうか。
思い切って聞こうと口を開けると同時に、入り口の扉が開く音がした。
「おはようございまーす!」
行き場を失った言葉を弄びながら入り口に目をやれば、昨夜の自警団員達がいた。
人数は三人と少なくなっていたが、顔に見覚えがある。
昨夜のお礼参りにでもきたかと店内に緊張が走り、ナイトが身構える。
自警団員達はその反応に苦笑しながら、周囲の予想とは正反対にへこへこと頭を下げながら入ってきた。
「どうも、昨夜はすんませんでした」
「いやほんと、ふかーく反省しております!」
「俺達、どうにも酒が入ると調子に乗りやすい性分でして」
ニヤけた笑みを浮かべて、ご機嫌伺いをするようにナイト達に頭を下げる。
昨夜とは打って変わって腰の低い有様に客達は戸惑い、ナイトも反応に困ったように眉根を寄せた。
揉み手でもしそうな勢いで三人組は擦り寄り、傍目に明らかな作り笑いを浮かべる。
「それでですね、ご迷惑をかけたお詫びを何かしたいと思いまして」
「宜しければ、この町を案内させて頂きたいなぁ、と!」
「あ、他にもお困りの事があれば仰って下さいね」
それなりに体格のいい男三人に迫られ、妙な圧迫感にナイトは思わず引いてしまう。
余りの態度の違いに、胡散臭いものを感じないと言えば嘘だ。それに、いきなり訪ねてきて案内すると言われても困る。
ただ、買い物をしようと思っていたのは事実だし、地元の人間の案内があるのは心強い。それがこの自警団員達でなければ、こちらが頼みたいくらいの話ではあった。
意見を求めるように両脇の二人を見れば、シャレンはいつも通り無反応で、マギサは警戒するように自警団員達を見つめていた。
反応の無さに業を煮やしてか、自警団員達は更にずずいっと迫ってくる。
「ここはいい町なんですけど、ご覧の通り段差ばっかでしょう?」
「旅の方じゃあ、道を聞いた所で迷っちまいますよ!」
「何せ、日が暮れるまでかくれんぼで遊べちまうくらいですからね」
標的をナイトに定め、三人組がむくつけき顔を近づけて押し込んでくる。
強引な押し売りに耐えかね、かといって親切で言ってきているであろう相手を無下にもできず、ナイトは根負けした。
「わ、分かりました、お願いします」
「ありがとうございます! お任せ下せぇ!」
息ぴったりにそういうと、さっと体を離して頭を下げてきた。
解放された心地で一息吐き、視線を感じて隣に目を向ける。
何かを問いかけるように、マギサがじっとこちらを見ていた。
ナイトは苦笑して、何と言うべきか言葉を探す。
マギサの言わんとすることは、察しがつく。ナイトとて、彼らの所業が本当に反省した結果のものであると頭から信じているわけでもない。
しかし、疑ってかかるのも好きではないし、一応彼らは自警団員だ。根っからの悪人というわけではなかろうし、そこまで非道な真似もしないだろう。
何かしらの仕返しを企んでいるとして、度が過ぎるようならとっちめればいい話だ。昨夜見た限りの実力なら、自分でも十分相手にできる。むしろ、シャレンあたりがやりすぎないかという方が気にかかるくらいだ。
彼らの必死な様子からして、もしかしたら団長あたりに叱咤され、その罰として来ている可能性もある。ここで追い返して、何かがいい方向に転ぶとは思えなかった。
考えた末に、ナイトはマギサと目を合わせて言った。
「折角来たんだし、少しくらい観光していこうか」
「……そうですね」
表情を動かさずそう言うと、マギサは顔を背けた。
マギサの様子に三人組は笑顔を引きつらせ、ナイトも息が漏れるような笑いを零す。
音を上げた自分が悪いのだ。納得してくれただけ、マギサは寛容と言える。こういう甘え癖は良くないと思うのだが、今回みたいな場合は止むを得ないと思う。
勢いに飲まれた形とはいえ、今日やることは決まった。カウンター席から立ち上がり、店主に向き直る。
「鍵、お返ししますね。ちょっと取ってきます」
「おぅ、もう出るのか」
「はい。お世話になりました」
ナイトが頭を下げると、同じように席から立ち上がってマギサとシャレンも小さく頭を下げる。
いいってことよ、という店主の返事に笑顔を返して、ナイト達は二階に上がった。
荷物をとって鍵を閉め、二人から鍵を預かってナイトがまとめて店主に返す。
大人しく待っていた自警団員達と一緒に、酒場を後にした。
朝の町は、夜には思いもしなかったほど活気に満ち溢れていた。
※ ※ ※
町の広場は、行き交う人と露店でごった返していた。
傾斜し緩やかに螺旋を描く大通りに、どこにこんなに居たのかというほど人が溢れている。この町特有の段差によって、頭の上からも威勢の良い声が聞こえてきて吃驚する。
物が落ちてきたりはしないのだろうかと疑問に思うが、案内する自警団員の話だとそういうこともあるらしい。そしてそういう場合、大体落ちた物は見つからないのだと。
暗に盗まれたと言い切っているようなものだが、治安を守る自警団員がそれを面白そうに言うのはどうかとナイトは思った。
自警団員達は宣言通り、甲斐甲斐しくナイト達を案内した。
あちこちにある階段や段差のお陰で立体的に把握しなければ道が分からなくなり、確かにかくれんぼで日が暮れるまで遊べそうだ。
町の中を通る道は緩やかに傾斜しているのが当然であり、道の端では子供達が石を転がして遊んでいた。
聞いてみると、この町では当たり前の遊びで、石を丸く削って誰が一番遠くまで転がせたかを競うものらしい。
曰く、階段に使うのは勿論、むき出しになった土壁が雨などで崩れないよう石を加工して補強する為、子供の頃から石を加工する技術を教えられる。それを遊びに用いたのが石転がし、ということだそうだ。
職人の中には都市や王都に出稼ぎにでている者もいて、石畳なんかを作っていると聞いてナイトは心底感心してしまった。
数年前に見た王都の光景を作ったのは、この町の職人かもしれないと思うと、感慨のような何かが湧いてくる。
自警団員達の説明に耳を傾けながら、目的である食料品屋について尋ねると、とっておきの店があると露店に案内してくれた。
「おー、おっちゃん! 久しぶり!」
「よぅ、クソガキ。何の用だ?」
そこは加工品を売る店のようで、燻製肉や果実の砂糖漬けなどが並んでいた。
髭が伸びすぎてけむくじゃらといっていい店主が、口の端を吊り上げて腕を組む。
「客連れてきてやったんだよ、客!」
「ほぅ?」
ナイト達を一瞥し、じろりと上から下まで見回してくる。
とりあえず笑って返し、店先に並ぶ商品を眺めた。
「ここの店、おっちゃんの面は悪いですが質は良いですぜ。特に砂糖漬けが旨いんすわこれが!」
「面が悪いは余計だ、クソガキ」
「うっせぇ! こちら大変な旅の方だ、安くしやがれ!」
「元々うちは安くて旨いが信条だ、阿呆」
気の知れたやり取りに笑みを零しつつ、試しに食ってみろと渡された砂糖漬けの林檎を一口齧ってみる。
これが確かに美味しく、マギサにも食べさせると一瞬動きを止めて渡された分を全部食べてしまった。
ここで買うと決め、マギサにも手伝ってもらいながら見繕う。瓶入りを買おうかどうか迷ったが、流石に値段と荷物になるという点から今回は見送った。
マギサも惜しんでいたようだが、流石に嵩張ってしまう。店主に礼を言って、再び町の散策に戻った。
広場に面するところには店が多く、仕立て屋は勿論、靴の修理屋まであった。自警団の剣や鎧を一手に引き受けている古い鍛冶屋もあり、普段はナイフや包丁を扱って口に糊をしているという話も聞けた。
自警団員につれられて上へ下へと歩いているから、今自分がどこにいるか最早ナイトには把握できなくなっていた。
目印として一番小高い所にある町長の家を使えばいいと言われたが、そもそもどう使えばいいのか分からない。その助言は、多少なりと町に慣れている人間相手でないと意味がないと思う。
それでも町を案内されながら歩くのは思ったより面白く、気がつけば日が中天を過ぎていた。
自警団員お勧めの店で昼食を摂り、店から出たところでこんな提案をされた。
「さて、ここからは二手に別れませんか? 女性陣と兄さんとで、見たいものだって変わってくるでしょ?」
思わぬ提案にぎょっとして、ナイトはマギサに視線を送る。
マギサは眉一つ動かさず自警団員を見つめ、きっぱりと、
「断りま――」
「――そうしましょう」
マギサに被せるように、シャレンが言い切った。
驚いて振り向くナイトとマギサの視線を受け止め、シャレンはいつもの無表情のまま自警団員に話しかける。
「髪飾りや、その類の道具がある店に行きたいのだけれど」
「えぇ、はい! もっちろんいいとこ知ってますとも!」
ゴマを摺るように頭を低くし、自警団員が愛想笑いを浮かべる。
まさに痛い目に遭わされた張本人だからその反応は分からいでもないが、それ以前にナイトには口を挟まねばならないことがあった。
「ちょ、ちょっと待って、別に別れる必要はないんじゃないかな? 僕はほら、特に見たいものもないし」
この状況でマギサと離れるのは、ナイトには若干賛成しかねた。
シャレンは怪しいだけで明確にどうというわけでもないし、自警団員達も真面目に案内してくれてはいたが、安心できるとは言い難い。
そりゃあ何もないかもしれないが、何かあってからでは遅いのだ。今まで碌な目に遭って来なかった経験と昨夜の出来事が、ナイトの警戒心を刺激していた。
シャレンがナイトを一瞥し、
「暇になりますよ。その後も時間がかかると思いますから」
「その後?」
首を傾げるナイトに構わず、ちらりとマギサを見下ろした。
マギサは得心が行ったように微かに眉を上げ、ナイトに視線を送る。
「分かりました。二手に別れましょう」
「え、あの、マギサ?」
驚くナイトを置いてけぼりにして、女二人は互いに色のない視線を絡ませあう。
何がなんだか分からないナイトを余所に、何かしらの納得を二人して得たようだ。
何故か蚊帳の外に追いやられ、ナイトは困ったように眉尻を下げる。
そんなナイトの様子を見かねてか、マギサが不安を払うように理屈を並べる。
「昼の町中ですし、心配しなくても大丈夫です。何かあっても人がいますから」
「そーっすよ! これでも俺達、自警団なんで!」
「お仲間の姉さんだって凄い強いっすもんね」
マギサの尻馬に乗っかって、自警団員達もナイトを説得にかかる。
確かに、彼らは曲がりなりにも町の治安を守る自警団員で、シャレンの腕前も知っている。マギサを二度も助けてくれた実績だってある。
考えすぎの心配性と言われたらそれまで、反論する余地が見当たらない。
白昼堂々人を襲う奴もいないだろうし、もしそうなったら周囲が黙っていない。少なくとも、騒ぎが起こってすぐに気づけるだろう。
自警団員が何らかの仕返しを企んでいたとしても、マギサをどうこうできるとも思えない。シャレンもいるし、返り討ちに遭うのが関の山だ。
そのシャレンが不安要素なのだが、マギサをどうにかする気ならとっくに何かしているはずだし、一先ずは考えなくてもいいだろう。
何とか自分を納得させて、疑念と一緒に深く息を吐いた。
「分かった。じゃ別れようか。シャレン、マギサをお願いします」
「……えぇ」
相も変わらず何を考えているか分からないシャレンに笑いかけ、マギサと一緒に連れ立って歩き去るのを見送る。
こうして後姿を見ていると、雰囲気といい見た目といい姉妹と誤解するのも分かる。どことなく昨日より仲良くなった気がするが、やはり昨夜の件のせいだろうか。
他には特に何もなかったと思うが、どうにも二人の様子からそれだけでないものを感じたりもする。
何かしら自分の知らないことがあるような感じだが、それとも女同士だから通じ合う何かがあるということなのか。
どちらにしても、考えて分かることではなさそうだった。
自警団員の内残った一人が気安げにナイトに話しかける。
「さて、兄さんどうします? 男だけになったことですし、『お楽しみ』行ってみます?」
「あー、いや……服とか売ってるとこありますか?」
昼間からいきなりなんてことを言うのか、こいつは。
笑ってかわして、ナイトは衣料品屋への案内を頼んだ。
服を買い換えるつもりはなかったが、予備は持っておいて損はない。今の服を下着にして、上に何か着るものを買うのも悪くない。北へ行けば、少しは寒くなるだろうし。
わっかりましたー、と威勢良く声を張る男に連れられ、雑踏に紛れ込む
マギサ達が消えていった方に顔を向け、何もなければいいけど、とナイトは一人ごちた。
シャレンと目を合わせるのが苦手なのは、微かな胸騒ぎのせいだと気づいたのはついさっきの事だった。
※ ※ ※
案内された小道具屋は、ナイトと別れた場所より二段ほど高い位置にあった。
自警団員二人を店の前に放置して、マギサはシャレンと一緒に物色して回る。
並べられた品物は木製や獣の骨製のものが大半だったが、中には宝石の欠片や磨いた鉱物を用いた色鮮やかなものもあった。
櫛や髪留めも多く並び、マギサは思わず目移りしてあれこれと見比べてしまう。
シャレンも品物を手に取りながら、自分やマギサの髪に当てて吟味していた。
「彼に話さなくて良かったのですか?」
突然話しかけられ、驚いて反射的に顔を上げる。
髪を整える小道具を手に、シャレンが何でもないように一瞬だけ目を合わせる。
先を促されていると判断したのか、シャレンが言葉を続けた。
「髪型を変えようとしていること」
「……はい」
シャレンから目を逸らし、白い染料で染められたヘアピンを弄ぶ。
マギサとしては深夜の事を秘密にしておきたかったのもそうだが、なんとなく恥ずかしかったのだというのが正直な所だ。
自分がシャレンに教えを請うことをナイトに知られるのは何か面映く、洒落っ気を出しているようで似合わない。
髪を編んだ所でナイトがどう反応するかは分からないが、少なくとも黙っていれば驚いてはくれると思う。
町中とはいえナイトと離れるのは得策ではないと思うが、天秤はこちらに傾いた。
それに、シャレンの女性的な側面をナイトに見せるのは、何故か酷く気分が悪い。
時間がかかるのも本当だし、ナイトにも嘘は一つも言っていないからいいのだ。
シャレンは手先を遊ばせるマギサをじっと見つめ、櫛と髪留めを取って背中を向けた。
「向こうの方を見てきます」
「はい」
人の間を縫って遠ざかるシャレンの後姿を見送り、マギサは視線を落とす。
怪しくてとっつきづらいところはあるものの、シャレンは綺麗で格好良いと思う。
無愛想なだけの自分と違って、シャレンのそれは何事にも動じない強い精神を象徴しているように見えた。
自分こそ『魔法』を扱う以上そういう精神であらねばならないのだが、まだそこに至るまで遠い道のりに思えてならない。
毀れそうになる溜息を飲み込んで、手元のヘアピンを置いた。
そういえば、これからシャレンはどうするつもりなのだろうか。
同行するのは森を抜けるまで、という話だったはずだ。町に着いた以上、一緒に旅をする理由はなくなった。
なし崩しで旅をするのもどうかと思うし、何よりまだシャレンについて何も分かっていないに等しい。ここから先も同行するなら、色々と聞かねばならない。
ナイトはそういう疑りかかって何かをするのは苦手だし、自分が何とかしなければならないが、余りきつく詰問するのも憚られる。
出来れば自分から喋ってくれると有難いし、実は怪しい所なんて一つもなければいいのだが、そういうわけにもいかないだろう。
気持ちの良いものではないが、我が身を振り返れば警戒を怠るわけにもいかない。
かといって今すぐどうこうするものでもないし、町を出るときにでも――
――いきなり、後ろから羽交い絞めにされた。
考え事に埋没していたせいもあって、近づかれた事に全く気づかなかった。
口も塞がれ、震える体に力を込めて暴れ回るも、彼我の力の差は歴然で振り解けない。
「暴れるんじゃねぇ!」
「くそ、大人しくしろ!」
必死に首を逸らせて目を動かせば、拘束してきたのは表で待っていたはずの二人の自警団員だった。
頭は混乱しきっていたが、とにかくこの場から逃げなくてはいけない。
それだけは理解して、杖に魔力を込めた。
気もそぞろな状況では碌に魔力も集められなかったが、逆にそれが良かった。勢い余ってとんでもないことにならずに済む。
小さな雷を体に這わせ、押さえ込む自警団員達を怯ませる。
「痛ぇっ!」
「なんだぁっ!?」
生まれた隙をついて、口を押さえていた手に噛み付く。
こればかりは、加減しているような余裕はなかった。
「ぎゃぁぁっ!?」
「てめぇ、何しやがる!」
一人が離れた所を見計らって、もう一人を渾身の力を込めて後ろ足で蹴り飛ばした。
何とか拘束から逃れ、品物の並べられた台にぶつかりながら振り向かずに走る。
客の隙間を潜り抜け、表に飛び出す。何事かと振り向く町の人達を掻き分けて、とにかくその場から離れる。
一体何のつもりか。やっぱり、昨夜の仕返しにきていたのだろうか。
よく分からないが、とにかく走るしかない。背後の様子を窺えば、二人の自警団員が店から飛び出してきた所だった。
甲高い音の鳴る笛を吹いて、町中に聞かせるような大声で叫ぶ。
「緊急事態! 凶悪な犯罪者が町中に逃げたぞ!!」
マギサの心臓が大きく跳ねた。
何故、そのことをこの町の自警団員が知っているのか。今までそんな素振りは少しもなかったのに。
何一つ分からないまま、マギサはただひたすらに足を動かした――




