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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
32/85

第三十話 「シャレン・その4」

――トライゾン。

 大陸南西部に存在する人口千人規模の町であり、王都から見れば西南西に位置する。

 山の多い地方だからか、地面が隆起し小高い丘のようになっている地形を複数含み、段差や階段が多い。

 最も高い平地は避難所にもなっており、会議場にもなっている寄合所や町長の家などがある。祭りの時は救護室や待機所も兼ねるその施設は普段は使われておらず、週に一度決められた者が手入れに訪れるくらいだ。


 広さはアバリシアには及ばないものの、高低差によって影になる場所は多く、土地勘がなければ迷うことには違いない。トライゾンの子供達が真っ先に覚える遊びは、この複雑な構造を利用したかくれんぼであると言う。


 その影に潜んでよからぬ事をする輩も、当然いる。


 酪農や農業が充実しており、暮らしていく分には安定している町であるトライゾンは、それ故に昔から野盗の類に悩まされることが多かった。

 素知らぬ顔で町に入り込み悪さを働く輩も後を絶たず、強盗・恐喝・強請(ゆす)(たか)りと治安の悪化に頭を痛めていた。


 その解決策として結成されたのが、自警団である。

 騎士団の庇護もまだ遠く及ばなかった頃の産物であり、トライゾンの安定に大きく貢献し、男の憧れの職業として子供達の尊敬を集めていた。


 それも、騎士団が安定した治安維持を行うようになる前の話である。


 騎士団によって自警団はその職を追われ、酷い時には穀潰しとまで言われるようになる。憧れの仕事だったのも今は昔、彼らの立場はあっという間に地に堕ちた。

 その事が切っ掛けだったかは定かではないが、自警団は時代が流れると共に大きく変遷(へんせん)していった。


 騎士団とて数に余裕があるわけでもなく、常に駐留しているわけでもない。ある程度自警団にも役割は残っており、それをいいことに強請り集りの如き真似をするようになった。

 月ごとに町から自衛費として予算を引っこ抜き、自警団の証を見せて安売りを強要するなど、犯罪行為スレスレの好き勝手を始めた。


 勿論、町人達から文句が出ないはずもない。町長を間に挟んだ論争は平行線を辿り、聞く耳をもたない自警団側が好き放題するという結果に終わってしまう。

 自警団に対する悪感情はあるものの、居なければ居ないでより治安が悪化する可能性を捨てきれず、半ば黙認される形で通っていた。

 ただ、自警団とて町が繁栄してこそ謳歌できるわけで、多少なりと歩み寄る格好でお互いにバランスを取っていた。

 それが崩れたのは、最近になってからである。


 魔物が増加しているという噂に、各地の騒ぎで忙殺される騎士団。自警団の価値は明らかに高まり、それをいいことに横暴な振る舞いをする自警団員も増え始めた。

 誰しも実感として魔物が増えているとは感じてはいなかったが、たまにくる旅人からの話や、その数の減少によってある程度納得せざるを得なかった。

 魔物や騎士団の動きは、有形無形で国中に影響を与えている。その事を思い知らされる出来事でもあり、マギサの拿捕(だほ)に説得力を与えている要因の一つでもある。


 それでも、自警団は犯罪組織というわけではない。トライゾンはまだ、平和な町だと言えた。



 シャレンが居なければ、特に何も起きなかったに違いないのだ。



  ※            ※            ※


 まだ呑んで騒いでいるオッサン達を差し置いて、ナイト達は二階に上がった。

 曲がりなりにも追われる身として、酔い潰れるわけにもいかない。ナイトの顔は赤く染まっているものの、まだ何とか意識も理性も保てている。

 一応足取りはしっかりしているものの、マギサは心配げにナイトの様子を窺いながら背後につく。ふらついた時にすぐに支えられるように。


 酒場の客達に関係性を誤解されているのは中々業腹(ごうはら)ではあったが、酔客に何を言っても仕方がないのはアバリシアで良く理解していた。ナイトも否定しなかったところを見ると、大体同じ感想なのだろうと思う。

 誤解の内容が喜ばしいとか、そういうことではないはずだ。


 同じく誤解に何も言わなかったシャレンを見やる。かなり呑まされていたはずなのに、酔うどころか火照ってさえもいない。いつもと変わらぬ振る舞いに、呑んでいたのは酒ではなく水ではないかと疑いたくなる。

 少なくとも、ナイトよりもお酒には強いようだ。酔客達には酔い潰してしまおうという良からぬ思いもあったかもしれないが、儚く散ってしまった。


 階下の騒ぎが聞こえる廊下で、ナイトがまとめて預かっていた部屋の鍵を分ける。

 危うくシャレンと同じ部屋にされるところだったが、そこはナイトが気を利かせてくれた。姉妹でもなんでもないのだから、当然だ。


 鍵を受け取って、シャレンの顔を盗み見る。

 相変わらず無表情で何を考えているか分からない。だが、言わなければならないことがあった。

 それぞれ別れて部屋に入ろうとした所で、思い切って口を開く。


「さっきは助かりました。有り難う御座います」


 しっかりと頭を下げる。

 助けられたのは二度目、しかも今度は明確に自分を庇ってくれた。

 あの手合いに慣れているのか、シャレンは微塵も動じていなかった。怯えて何とかしてほしかったのは、自分の方だ。

 ナイトより幾分か暴力的ではあったが、守られたのは事実だ。それに、状況もあってかアバリシアのことを思い出した。


 ほんの少し、ナイトの姿と被ってしまった。『クナイペ』で少し怒りながら庇ってくれた、あの姿に。


 連鎖で思い出した嬉しかったことはとりあえず心に仕舞って、マギサはシャレンの返事を待った。勿論、そのことがマギサの心情に影響を与えたことは間違いない。

 未だ怪しい所はあるものの、一先ず過剰に警戒したり距離をとることは止めよう。言葉数多く礼を言ったのは、その第一歩のつもりだった。


 そうして下げたマギサの頭に降り注いだのは、呟くような一言。


「……別に」


 扉の開閉する音がして、顔を上げたマギサの目に入ってきたのは妙に嬉しそうなナイトの笑顔だった。

 シャレンはどうやらもう部屋の中に入ってしまったらしい。ニヤけたナイトの顔に晒されるのがどうにも居心地が悪く、部屋の中に入ってしまおうとして、


「荷物を置いたら、久しぶりに教えてもらっていい?」


 赤ら顔のナイトの提案に、少しだけ心が浮き立ったのは気のせいなのだ。

 考えてみれば今夜は三人一緒ではない。講義をする暇も隙もある。言われるまで、そんなことすっかり頭から抜け落ちていた。

 ナイトがちゃんと気にしてくれていた事に嬉しくなるが、マギサはそれを認めようとはしない。いつも通りの表情で、少し釘を刺すように言ってのけた。


「お酒で忘れないのなら」


 苦笑するナイトを置いて部屋に入り、杖を立てかけてベッドに寝転ぶ。

 どこまで話したか、すぐに思い出さなくてはならない。それと、次に何を教えるかも。

 荷物を置くといっても、あの様子では少し横になってから来るに違いない。さっきの釘刺しでほぼ確実にそうするよう誘導できたはずだ。

 深呼吸をして気を落ち着け、頭の中を整理する。

 冷静に話さなくては、誤解を与えてしまう。他の人はどうでもよかったが、ナイトにだけは自分の話したことを誤解されるのは嫌だった。


 例えそれが、どんな些細な事であっても。



  ※           ※           ※


 荷物を置いて、ナイトは倒れるようにベッドに寝転がる。

 若干酒が回っているようで、世界が小さく揺れていた。


 こんな状態では、マギサに言われた通り教えてもらったことも忘れそうだ。あの様子だと、多分本当に忘れたりしたら凄く怒る。

 深呼吸をして、酒気を少しでも飛ばそうと足掻く。閉じた瞼の上に腕を乗せ、目を休ませて揺れる世界を元に戻そうと試みる。

 そうして真っ暗な瞼の裏に映し出されたのは、自警団の男達を撃退したシャレンの技だった。


 大の男を一撃で仕留める足技に、容赦なく急所を狙う殴打。打ち所によっては、下手したら死んでもおかしくないものだったと思う。

 顔色一つ変えずにあそこまでやれるのは、普通じゃない。ナイトの中で片隅に追いやられていたシャレンへの嫌疑が再び場所を占拠し始める。


 明らかに手馴れた動作だった。それこそ何十、何百と繰り返してきたかのような。

 只者ではないと思っていたが、あの調子ではそれこそ人を殺したことさえあるかもしれない。急所を打つのに躊躇も何もなかった。

 どこかから逃げてきた犯罪者だろうか。それにしては格好がおかしい気がする。それに、やり方はどうあれマギサを二度も助けてくれたのは事実だ。


 考えても(らち)が明かず、頭を掻き毟ってベッドから降りる。あれこれ疑うのは性に合わないし、得意でもない。

 かといって直接聞けるわけもなく、とりあえず森からは抜けたことだし、明日にでもこれからどうするか尋ねてみようと決めた。


 同行するのは森から抜けるまでだったはずだ。ここから先もついてくるようなら、好ましくはないが色々と気をつけねばならない。

 何の目的もなく一緒にいるとは、考え辛かった。

 軽く伸びをして、視界も頭もマシになっていることを確認してから部屋を出る。


 すると丁度、隣の部屋からシャレンも出てきていた。

 扉を開けた状態で顔を見合わせ、シャレンは何も言わずに扉を閉めて鍵を掛ける。いつもの篭手をつけた状態で、荷物は何も持っていなかった。


「あ、ど、どこか行くの?」

「酔い醒ましの散歩に」


 切れ長の瞳でナイトを一瞥し、一本に編みこんだ黒髪を揺らして階段を下りていく。

 気をつけてね、というナイトの小声が聞こえたかは分からないが、何の反応もせずに酔客達の隙間を縫うようにして店から出て行った。


 吃驚した。シャレンについてあれこれ考えていたものだから、見透かされないかと内心酷く焦ってしまった。

 こんな夜更けに女性が一人で散歩など危険ではあるが、シャレンならむしろちょっかいを出す相手の方が危険だろう。

 その辺りを心配しなくていいのはマギサとの大きな違いだ。


 そこまで考えて、荷物を置いてからというには十分すぎる時間が過ぎていることに気づいた。

 慌ててマギサの部屋まで行き、手汗を拭いてノックする。


「マギサ? 僕、ナイトです」

「どうぞ」


 扉を開けて中に入ると、普段と変わらぬ様子のマギサがベッドに座っていた。

 恐る恐るといった具合にマギサの前まで進み、そっと正座する。

 マギサの無感情な――しかし、シャレンのそれと比べると随分感情豊かな――瞳がナイトを映し、その小さな唇がそっと開いた。


「何してるんですか?」

「いや、まぁ、あははは……」


 誤魔化し笑いをしながら足を崩し、白けたようなマギサの視線を受け流す。

 ナイトがいつもの話を聞く態勢を取ると、マギサは小さく息を吸い込んで講義を始めた。


「今日は、魔物の成り立ちについてです――」


 久しぶりの講義に二人とも熱が入り、あれこれと説明したり訊ねたりしている内に、気がついたら揃って寝てしまっていた。

 マギサは連日の気疲れもあったし、ナイトも酒が入っていたせいもあったのだろう。

 久しぶりの二人きりの夜は、なんとなく安心するものがあった。



  ※           ※            ※


 夜の町は、篝火が焚かれているとはいっても必要な所だけだ。

 人のいないところ、寝静まるところにまで明かりは焚かれない。町の構造もあって、完全な暗闇に近い状態になっている箇所もあった。

 その闇の中を、酒場から追い出された自警団の一団が歩いていた。


「畜生、あのクソアマ! 今度会ったらタダじゃすまさねぇぞ!」

「あの兄ちゃんも尻に敷かれて気の毒にな。見た目がいいだけにとんでもねぇや」

「いつか絶対縛り上げてひぃひぃ言わせてやらぁ!」

「お前、そんな趣味があったのか……」


 悪態の標的は、勿論の事ながらシャレンだ。

 自警団に入る以上、多少なりと腕自慢の連中である。それが手も足も出ず追い返され、しかもその相手が女とあっては、恥の上塗りだ。

 それを誤魔化すように、殊更(ことさら)に鼻息荒く悪態を吐いていた。


 夜の闇、他には誰も居ない。そんな状況が、息巻く彼らの語気を更に強くしていた事は言うまでもない。

 彼らの口の悪さにはもう一つ理由があり、ねぐらに帰れば親分に報告しなければならないということが挙げられた。


 親分――即ち、自警団団長である。腕っ節が自慢の自警団にあって、今の団長は頭もそれなりに切れ、裏社会にも通じているという。


 本当かどうかは下っ端である彼らの知り及ぶところではないが、少なくとも今日の自分達の失態を笑って許してくれるような人柄でないことだけは事実である。

 少し先の未来に受けるであろう叱責を乗り切る為にも、ここで一つ気合を入れねばならないという事情もあった。

 共通の敵を叩いて気分を盛り上げるのは、古今東西問わず有効な手段の一つだ。


「あー、くっそ、女はやっぱ中身だな!」

「そうだ! 乳なんぞただの肉だ、肉!」


 一人が拳を振り上げたところで、妙に冷たい空気が流れ、紛れるように小さな声が聞こえた。



 ――“(ズァオ)



「ぎゃぁっ!」


 仲間の一人が叫んだかと思うと、血飛沫が舞った。

 何が起きているか分からず、男は拳を振り上げたまま固まる。

 夜の闇に、低く這うように駆ける影に気づいた時にはもう何もかもが遅かった。


「あぎっ!?」


 足を払われた脇腹に膝がめり込み、仲間が回転しながら地面に落ちる。


「げぼっ!」


 別の仲間が背骨を折られたように反り返り、踏みつけられて硬い何かがぶつかる嫌な音がした。


「ひぃっ!?」

「なんだよぉ!?」


 腰の引けた仲間が一人、身構える仲間を置いて逃げ出そうと走り出す。

 冷たい風が吹きぬけ、逃げ出そうとした仲間の血が拳を振り上げたままの男の顔にまで飛んできた。

 身構えた仲間は掬い上げるように顎を蹴り飛ばされ、そのまま踵を叩き込まれて後頭部を地面に打ちつける。


 一瞬動きが止まったそのとき、男にも風の正体が見えた。

 冷たく銀に輝く五本の鉤爪と、真っ黒いドレスに身を包んだ感情も温度もない女。

 まさに悪態を吐いていたその相手だと理解した時には、仲間は皆倒れ伏していた。


 対応が取れた奴なんて、一人もいなかった。

 でたらめに打ち出した拳は掠りもせず、逆に隙を晒すだけだった。蹴りなんて放とうものなら、間違いなく宙に浮かされるに決まっていた。

 逃げる事も抵抗する事もできない。本能が命を守ろうと反射的に身を縮め、動きが鈍くなった瞬間を狙ったように銀の煌きが視界を過ぎった。


「ぐ、がっ」


 鳩尾に蹴りを叩き込まれ、思わず数歩後ろに下がる。

 背中が土壁に当たった。この町特有の、地面の隆起によって出来た自然の壁だ。土壁あるところに階段あり。男が追い込まれたのは階段の真下、月明かりすら届かない場所だった。

 男が次の反応をするより先に、顔を鷲掴みにされ壁に叩きつけられる。


 一瞬意識が飛んだ男が次に目にしたのは、人間の肉如き容易く引き裂きそうな程鋭く尖った銀の先端だった。

 余りの恐怖に声もでない。掠れたような息が漏れるだけだ。

 顔を鷲掴みにする手がやたらと冷たく、熱が命ごと奪われていくような気がする。

 震える男の耳に入ってきたのは、妖しく凍えるような女の声だった。


「取引をしよう」


 声に釣られるように目だけを動かせば、真っ暗な闇の中に人間味の感じられない瞳だけが浮かび上がっていた。

 目を凝らせば薄っすらと輪郭が見えてくる。間違いない、酒場で会った女だ。

 ただ、酒場で会った時よりも何倍も妖しく、夜を従えてさえいるように思えた。


「お前の仲間はまだ死んでいない。すぐに治療を施せば助かる。理解したか?」


 震える喉で唾を飲み込んで、小刻みに頷く。

 別にそうしたいわけではない、そうなってしまっているだけだ。

 女の衣装は酒場であったときと変わらず、何故か今の方が余程艶かしく見える。

 破裂しそうな心臓は、恐怖のせいか興奮のせいかもう分からなくなっていた。


「私をお前の元締めの所へ連れて行け。了承するならこれ以上何もしない。返答は?」


 耳元で囁かれているような錯覚に、頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回される。

 もうマトモな思考力など残っておらず、生き延びたいという本能さえ麻痺しているようだった。


「わ、分かった! 案内する、させてくれ!」


 男が叫ぶと、鉤爪と手が離される。

 腰砕けになって尻餅をつき、耳まで飛び出ているんじゃないかという鼓動を収める為に荒い呼吸を繰り返す。

 女は男に背を向け、自分が倒した中でも軽傷に留めた者を叩き起こした。

 起き上がった誰もが、最早戦う気力を無くしていた。


 この日、男達は世界の広さを実感することになってしまった。



  ※           ※            ※


「――以上が、俺からの報告です」

「おぅ、お疲れ」


 明かりの点いた一室で、男が二人向かい合っていた。

 大きめの机と、安楽椅子。調度品はどれも木製で、小奇麗にまとまっている印象を受ける。華美さはなく、地味というには味のある風情を醸し出していた。

 その安楽椅子に座る大柄な男は、目の前に立つ皮肉気な表情が染み付いた部下の報告にやや愉快そうに口の端を歪める。


「しかし、夜中にやってきた三人組か。風体といい、奇妙な奴らだ」

「はい。男の方は多分それなりに腕が立ちますね。他の二人は分かりませんが、露出の多い女の方は若干怪しいかと」

「まさに全身で何かありますと宣伝して回ってるような連中だな。揉め事を起こさなきゃいいんだが」

「無理っすね」


 自信満々に言ってのける部下に、大柄な男は考えを読むように覗き見る。

 その視線を正面から受けて立ち、部下は不敵な笑みを崩さなかった。


「ほぅ? その心は?」

「連中は宿を探して明かりのある方に向かうでしょう。今の時間、あの位置からだとブルストの酒場が一番近い。あそこはウチの馬鹿共が良く呑んでますから、今日も居るでしょうね。そしたら、間違いなくちょっかいかけますよ」


 得意げな部下の推理を聞きながら、大柄な男は苦笑する。

 それは即ち、揉め事に自分の部下が関わっているということになり、自警団団長として相応の対処を取らねばならないことを意味する。

 仕事が増える事を喜ぶ人間は、そうはいないだろう。

 しかし、外れる可能性を考えてか、推論に滅多に自信を持たない部下にしては珍しく強気な態度に、大柄な男は別の興味を引かれた。


「その女、それほどか?」

「えぇ。見たら吃驚しますよ」


 見目麗しいということはもう一人の部下からも聞いていたが、そこまで言うほどとなれば男として興味がそそられる。


「是非一度お目にかかりたいもんだな」

「多分、すぐにでも会う事になりますよ」


 部下の言い草に、皮肉交じりの笑いが漏れる。

 確かに、推測が正しいとすればそうだろう。揉め事の当事者の一人として、自警団団長の立場から話を聞かねばならない。

 面倒事が増えるのは御免被りたいが、そんなオマケがあるとなれば仕方ないかという諦めもつくというものだ。


 話が一段落ついたところで、ノックの音が鳴る。

 こんな夜更けに予定もなしに来るとなれば、何かしら緊急の要件に決まっていた。

 部下は我が意を得たりとばかりに口の端を吊り上げ、勝ち誇ったように見下ろしてくる。こういうところが、自警団団長は気に食わなかった。


 腕は立つし頭も回るが、傍若無人に過ぎる。相手が誰であろうと好きに振舞うし、その事を反省するでもない。

 自由気ままにも限度があるということを、いつか教えなければならない。

 今は一先ずその事は置いて、扉の方に目を向ける。


「入れ」

「し、失礼します……」


 腰の引けた団員の一人が入ってくる所までは、二人の想定の範囲内だった。

 が、その後が違った。


 怯えた団員の後から入ってきたのは、深いスリットの入った真っ黒なドレスのような服を着た、妖艶で無表情な女だった。


 その瞳の温度の無さに、団長も背筋を冷たい何かが這うのを感じる。

 傍に立つ部下に視線で問いかければ、同じように驚いた顔で小さく頷き返した。

 間違いない、報告にあった三人組の一人だ。確かに垂涎(すいぜん)ものの美女ではあるが、あからさまに危険な匂いを放っている。

 特徴的なのは、右腕にだけ嵌めている篭手だ。そんな奇抜な格好をしている人間が二人といてはたまらない。


 女を連れてきた団員は、怯えきったように団長と女の顔を交互に見やる。それも、どちらかといえば女の方を恐れている。

 分からないでもない、と団長は胸の内で一人ごちる。明らかに真っ当な人間ではない。この女が居るだけで、室温が下がった気さえする。

 それでも、自分のホームといえる場所で引くわけにはいかない。こちらにも面子というものがあるのだ。


「おい、こちらの女性は?」

「あ、や、その、団長にお話があるらしく……」

「そんなことは聞いていない」


 呂律も怪しい部下を見限り、女の方に視線を移す。

 正面から目を合わせると、寒気が増して体中を気持ちの悪いものが這う感覚がする。

 口を引き結んでそれに耐え、平静を装って笑いかけた。


「何か御用ですか、お嬢さん?」


 年齢で言えば、見た目どおりなら一回りは違うのだ。ナメられるわけにはいかない。

 女は無言のまま机の前に進み出て、懐に手を入れる。

 一瞬部下と団長は警戒するも、女が取り出したものを見て団長は動きを止めた。


「それは――」

「――協力を要請します」


 女が机の上に置いたのは、野狐の紋章が刻まれた印璽(いんじ)だった。

 動きを止めた団長を不審に思い、部下が尋ねる。


「団長、それが何か?」

「……あんた、『組織』の人間か」


 部下には取り合わず、団長は眉根を顰めて女を見上げる。

 女――シャレンは一切反応せず、その冷たい瞳でじっと団長を見下ろした。


「『組織』って……団長、何者なんですこの女?」

「王都――いや、大きな街ならもうどこでもだな。裏で幅を利かせている連中だ。俺もお目にかかったのは初めてだよ」


 団長の説明に、部下は喉を詰まらせてシャレンを見やる。

 騎士団の本拠とも言える場所で幅を利かせているとなれば、その力は推して知るべしだろう。少なくとも、こんな町の自警団で太刀打ちできる相手ではない。

 シャレンは表情一つ動かさず、部下に見向きもしなかった。


「返答は?」

「勿論、受けさせてもらう」

「団長!?」


 上司の即答に、部下が声を荒げる。

 『組織』だか何だか知らないが、つまりは余所者に好き勝手されるということだ。相手がどんな代物であろうと、それでは面子も糞もない。

 片手を挙げて部下を制し、団長はシャレンと話を続ける。


「具体的な内容を、聞かせてもらえるかな?」

「えぇ」


 舌打ちする部下を無視し、団長はシャレンの話に耳を傾けた。

 勿論、団長にも思惑がある。ここで『組織』と繋がりを作っておけば、後々使えると踏んでの事だ。

 話に聞く限り、本当に魔物の数は多少増えているらしい。今はまだ近くに出てはいないが、いつこの町だって襲われるとも限らない。

 そんな時、命を賭けてこの町を守るつもりは団長には更々無かった。

 だが、逃げ延びた所で余所で満足に生きていけるとは限らない。必然、この町を守る羽目になるのは目に見えて明らかだった。


 しかし、『組織』のコネがあるなら話は別だ。自分も仲間に加えてもらえば、どこでだって生きていける。

 それに、魔物に襲われる事がなくともここで話を蹴って睨まれても厄介だ。

 出来る協力ならば行って、穏便に町を出て行ってもらうのが一番いい。

 もしも不利益の方が大きい話なら、女一人だ。自警団全員でかかれば始末するのも難しい事ではないだろう。


 そんな浅い目論見で、団長はシャレンの提案を受け入れたのだった。

 部下は自分達以外が町で好き勝手するのが気に食わないようだが、それこそ詰まらないプライドというものだ。そんなものに拘っていては大局的な視点は持てない。

 いずれ教え込む事に追加して、胸の内に仕舞いこんだ。


 その考えが浅はかだったと知るのは、シャレンにやられた団員達から報告を受けてからのことだった。



  ※           ※           ※


 シャレンが自警団を利用することを思いついたのは、何も気紛れからではない。

 今のまま旅を続けても、望ましい機会が来ることは少ないと判断したからだ。

 確かに少女の態度は軟化傾向にあったし、今夜の件で更にその傾向は強まるだろう。


 しかし、それだけだ。多少気を許した所で、『魔法』の疑いがある以上手は出せない。

 加えて、悪い流れもある。自警団員の追い払い方が拙かったのか、青年がやや警戒しているような素振りを見せた。

 随分と穏便に済ませたつもりだが、何か気にかかることがあったのだろう。このままでは、折角得た信頼が意味を成さなくなってしまう。

 森も抜けた事で、これから先もついていくとなれば更に疑われるのは避けられない。早期に決着をつけなければならない事情が生まれてしまった。


 まだ、多少こちらに対して油断してくれている内に仕留めなくては。

 機会を逸するのは最も避けねばならないことだと、シャレンは養父にきつく教わっていた。

 確実に始末する為には、青年を盾に取るのが一番いい。念の為、生かしておくのがいいだろう。ハッタリを『魔法』で見透かされて暴走されたら、元も子もない。

 頭の中で計画を精査しながら、シャレンは夜の暗闇の中を歩く。



 微かに焦りが混じっていることに、シャレン自身も気付く事はなかった――

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