第二十九話 「シャレン・その3」
――シャレンがマギサを襲った獣を撃退した日の、草木も眠る深夜。
ナイトの寝息が聞こえる中、むくりと起き上がる影があった。
シャレンである。
二人が寝入っているのを確認して、小さく唱える。
「“爪”」
鈍く輝く右腕の篭手が変化し、狐の歯より格段に鋭い鉤爪が現れた。
首尾は上々だ。
上手く同行することができたし、ある程度の信頼を勝ち得る事も出来た。これなら少女の方はともかく、青年の方は油断を誘う事も出来るだろう。事は順調に運んでいる。
もしこの場に『まとめ役』の男が居れば、この展開に頭を痛めたことだろう。文句の一つも口にしたかもしれない。誰に対してかは言わぬが華だ。
シャレンはそっと起き上がり、二人の位置を確認する。
いつも通りの定位置。鉤爪を下げて、音を立てずにマギサに近づく。
すっかり寝入っていて、多少の物音では起きなさそうだ。耳をそばだてなければ寝息も聞こえず、見た目通りに何もかもが小さい。
鉤爪を構え、心臓目掛けて突き刺そうと、
マギサが寝返りを打った。
咄嗟に後ろに下がり、息を潜めて起きてこないか様子を見る。
身じろぎ一つせず待つが、ナイトもマギサも起きる気配はなかった。小さく息を吐いて鉤爪を篭手に戻し、寝床に戻る。
焦る事は無い。時間が限られているわけではないのだ。
それに、全てが順調にいっているわけでもない。不安要素として、少女からの信頼を得られていないことが挙げられる。
二人きりになることがないように動かれている気がするし、青年の方もそれに逆らうでもない。まだ警戒されていると見て間違いないだろう。
起きている間はともかく、無防備な睡眠時に何も手を打っていないとは考え難い。危害を加えようとしたら何らかの『魔法』が作動する可能性はある。
どんなものかは分からないが、例えば刃が通じない類のものであればみすみす自分から正体をばらすようなものだ。折角慣れない事までしたというのに、それが全て水泡に帰す。
試してみないと分からないが、試した時にはもう遅い。
そんな危険な橋を渡るよりは、もう少し時間をかけたほうがいいに決まっていた。
幸い、今夜の一件のお陰で信頼の問題も多少改善されるだろう。多少なりと油断してくれるようになれば、確実に殺す機会も得られるはずだ。
『魔法』による小細工をされていないと確信が得られるまでは、下手に手を出さない方がいい。
今後の方針を定めると、シャレンは寝転がって目を瞑った。
マギサ達と旅をするようになって、シャレンにも一つ得なことがあった。
夜、煩わしい獣達が近寄ってこなくなった事だ。これほど周囲を気にせず眠りについたのは、何年ぶりのことだろうか。もしかすると、今まで一度もなかったかもしれない。
勿論、シャレンにとっては然程気にするような事ではない。どうでもいい事だ。
ただ、マギサやナイトが今まで接した事のない類の人間であるのは間違いなかった。
普段と違う状況に、シャレンの調子がいつも通りかというのは、疑わしい所ではあった。
案外すんなりと眠りについたことに、彼女が疑問を感じる事はなかった――
※ ※ ※
狐に囲まれた日以降、獣に襲われる事もなく旅は続いていた。
シャレンが同行することになってからずっと損なわれていたマギサの機嫌は、若干の改善を見ることにはなった。
だが、依然として警戒は解かなかったし、疑いの眼差しも消えることはなかった。
当然と言えば当然の話で、訳がわからない存在であることには違いないのだ。
マギサにしてみれば、あっさりと打ち解けるナイトの方が信じられない。どこの誰かも分からない相手と、どうしてそんなにすぐに親しくなれるのか。
追っ手の可能性とか、どこかから逃げてきた犯罪者とか、そういうのは考えないのだろうか。自分で言ってて、薄い可能性だとは思うが。
まさか騎士団ということはないだろうし、アバリシアで会ったホーント一家のようでもない。ただ人と会話することが下手で、独特なセンスの持ち主であるという可能性もあるといえばある。
それにしたって、ここまで怪しいのにそれを気にせず付き合うことは不可能だ。だというのに、ナイトは毎日嬉しそうに話しかけ、鍛錬にも連れて行く。
その割りに目を合わせようとはしないが、もしかしたら照れているのかもしれない。女性として、シャレンは自分から見ても相応に魅力的だと思う。
となると、やはりナイトは女性慣れしておらず、自分やクーアとは平然と話すのは女性として意識していないからという以前の推測が正しくなり、それはなんだか腹立たしい。
そりゃあ自分は胸もなくスタイルにも難があるが、それはこれから成長してく証であり、いずれシャレンのようになる可能性が存在していることを意味する。
顔はシャレンほど小さく整ってはいないが、人それぞれ違う魅力があるものだ。勝負できないなんてことはないはずだ、多分。
そんなことを考え、考えている自分に呆れ、丸めて放り捨てる日々を送っていた。
実の所、マギサにも何故自分がこれほど不機嫌になっているのか分からない。
分からないから、尚更気分が悪く、それが機嫌を損ねる悪循環に陥っていた。
狐から助けてくれたのは事実だし、悪い人ではないかもしれないと思う。だが、何らかの思惑がそこにないとも限らない。それで、アバリシアで一度痛い目を見ている。
それに、悪い人じゃないからといって自分達にとって良い人とは限らない。あの若い騎士のように。
彼も別に悪人ではないだろう。話を聞く限り、むしろ善人の類だ。でも、追われている身からすればだから何だという話でもある。
何にしろ、軽々しい判断は控えるべきだ。そう決めて、マギサはシャレンと接していた。
シャレンが同行してからというもの、正体を隠す為にも講義が中止になってしまっていることが、マギサにはかなりの不満であった。
※ ※ ※
森を抜けた先は、崖だった。
絶壁と言っても良く、少し前にナイトが足を踏み外した所よりも高さがある。
考えてみれば山から出たわけでもなく、平地の森を歩いているはずもなかった。
「あー……」
間抜けに声を漏らしながら、ナイトが頭を掻く。想定外の事態に、思考が止まる。
そういえば、マギサには方角を聞いただけで、真っ直ぐ進めるかどうかとは別問題だった。どうしたものかと唸るが、まさか降りるわけにもいくまい。
『魔法』が使えればその選択肢もあっただろうが、シャレンがいる。置いていくわけにもいかず、さりとて教えるわけにもいかない。
流石にナイトとて、その程度の危機感は持っているのだ。下手に人に話そうとは思わない。
いい案も思い浮かばず後ろを振り向けば、二人揃って能面のような顔。
若干口元が引きつる。一人なら見慣れたものだが、流石に二人もいると迫力というか、衝撃が違う。
感情の窺い知れない瞳に揃って見つめられると、何故かとても悪いことをしているような気になって思わず目を逸らしてしまう。
別に後ろめたいことは何もないのだが、マギサは最近微妙に機嫌が悪そうだし、シャレンと目を合わせるのはやっぱり苦手だ。
どちらも自分が原因とは限らないのだが、やはりその、良く分からない、という事自体が何か自分の悪い点であるような気がして、どうにもナイトは腰が引けてしまう。
何かいい考えはないものかと虚空を見つめても、何も思い浮かばない。
「どうかしましたか」
「うぉぅっ!?」
突然シャレンに話しかけられ、素っ頓狂な声が出てしまった。
訝しげに目を細めるシャレンに誤魔化す様に笑って、ナイトはなるべく目を合わせないように尋ね返す。
「えっと、その、何?」
「様子がおかしかったので」
真顔で言われ、苦笑しながらナイトは視線で背後の崖を示す。
シャレンは崖に近づいて覗き込むように膝をつき、ナイトを見上げた。
「どうしますか」
「どう、って……迂回するしかないかなぁ」
とはいうものの、周辺の地理が分かるわけでもない。多少なりとうろついたところでマギサがいれば方角はどうとでもなるが、シャレンがいる以上『魔法』を使うこと自体がリスクだ。
迂回しきる前に進んで、また崖か何かに突き当たるのも馬鹿らしい。ナイトが頭を捻っていると、シャレンが立ち上がって提案してきた。
「近くに町があります。そこまで行くのはどうでしょう」
「町? ……でも、道が」
「分かります。地図がありますから」
そう言って、シャレンはずた袋から以前ナイト達に見せた羊皮紙を取り出す。
開いてみれば、確かに地図上は近くに町があることを示していた。
多少戻る形になってしまうが、一旦街道に出てしまえば足止めをくらうこともないだろう。追っ手が気になる所だが、森の中なら安全というわけでもない。
どの道、水も食料も徐々に減ってきている。補給ついでに町に寄るのは、そう悪い話ではないように思えた。
ナイトは微動だにしないマギサに振り返り、機嫌を取るように笑いかける。
「あの、どうかな? マギサ」
「何がですか」
抑揚のない、しかしどこか機嫌の悪そうな声にたじろぎながら口を開く。
「え、あ、うん、町に寄ろうかなって思うんだけど」
「構いません」
あっさりした物言いの中に少量の棘を感じるのは、マギサの事が少しは分かってきた証拠だと喜んでいいものか。
ナイトは微かに口元を引きつらせて、やり取りを黙ってみていたシャレンに向き直る。
同行者が自分以外無口だと、それなりに大変なものがあると思い知った。騒がしかったアドやモガが懐かしい。
それでもマギサ一人なら慣れたものだったはずが、シャレンが加わってからマギサの事もいまいち良くわからなくなってきた気がしないでもない。
大体の感情くらいなら掴めるが、理由までは分からない。人の気持ちを察するのが得意な方だとはナイト自身も思っていなかったが、一人増えただけでこうも変わるものか。
しかし思い返せば、何かしら接する人が増えるとマギサはこういう状態になる事が多い気がする。
やはり、人見知りの気があるのだろうか。旅をする事になった経緯が経緯だけに、その考えはかなり当たっていると思う。
一朝一夕でどうにかなる問題でもない。気長にいくしかないと納得し、ナイトはシャレンに道案内を頼んだ。
「シャレンの地図だし、先導してもらっていいかな?」
「構いません」
同じ言葉を使われると、一瞬話しかける相手を間違えたかと錯覚する。
頷いたシャレンがずた袋を担いで歩き始め、その後ろをナイトとマギサがついていく。
前を歩くシャレンの髪が左右に揺れて、本当に動物の尻尾みたいに見えて面白い。
それを見ながらぬるま湯のような笑みを浮かべるナイトを横目に、マギサは小さく嘆息する。
別に怒るようなことも何もないのに、どうにも棘が取れない。
町に寄る事の妥当性も分かるのだが、どうもシャレンに主導権をとられているようで落ち着かなかった。
だからといって『魔法』を使って崖を降りるわけにもいかず、結局はシャレンの提案に乗るしかないのだが。
それにしても、ナイトのこのだらしない顔はなんとかならないのだろうか。最近やたらとシャレンの肩をもっているような気がする。
そんなことはないと頭では理解していても、疑う気持ちが止まってはくれない。
何にしても、町に着けば少しは状況も変わるはずだ。シャレンの事が何か分かるかもしれないし、そもそも町まで誘導するのが目的なのかもしれない。
あの地図の出所だって、知れたものじゃない。大体の地形は合っていたが、実は町なんかなくてどこかに連れ込まれるという可能性もなくはない。
その正体を見極めんと、マギサはじっとシャレンの後姿を見据えた。
その様子を横目にナイトは、やっぱりマギサもあの尻尾みたいな髪が気になるのかなぁ、なんて間の抜けたことを考えていたのだった。
進路を変えてから二日後の夜、三人はそこそこの規模の町に到着した。
※ ※ ※
篝火に照らされて、町の姿が夜の中に浮かび上がっていた。
本当に町があった。マギサの感想は、まずそこに尽きた。
門や塀は特になく、周囲を適当な柵が囲っているだけ。出入り口らしき場所には二つの大きな篝火が焚かれており、衛兵かゴロツキか分からないような男が二人、柵にもたれかかるように立っていた。
それなりに大きな町らしく、正面からでは全容が分からない。背の高い建物はないが、あちこち地面が隆起しているのか段差になっており、階段の数が多い。
段差の一番高いところにある家なんかは、昼間の時点でもう見えているくらいだった。
町の中の高低差が激しく、アバリシアとは違う意味で迷路のようだ。
マギサは予想が外れた事に、ナイトは町並みに驚きながら、シャレンに先導されて男達の脇を通り過ぎる。
下卑た視線を送りながら横目で様子を伺っていた男の内の一人が、声をかけてきた。
「あんたら、旅人かい?」
「あ、はい、そうです」
どうせ他の二人は反応しないからと、さっさとナイトが答える。
男は小さく鼻を鳴らしながらじっとナイトを見定め、腰の剣で一瞬視線を止めた。
もう一人の男は嘗め回すようにシャレンを見ると、マギサを一瞥して声をかけた方の男に軽く頷いて見せた。
頷かれた男はナイトの剣から視線を外し、厭らしい笑みを向ける。
「道中お疲れさん。ま、ゆっくりしてってくれや」
「……どうも」
会釈し、ナイトは二人を連れ立って町の中に入っていく。
男達の姿が見えなくなると、マギサが小さく息を吐いた。
あの視線というか、空気が辛かったのだろう。ナイトも、余り得意な方ではない。一番平然としているのは、その視線に最も晒されたはずのシャレンだった。
その余りの動じなさに、ナイトは心の中で感嘆を零す。自分も、そのくらい泰然自若とした精神を持てたらいいのだが。
あぁいう手合いは、どうにも馴染めない。アバリシアでの一件が頭に染み付いているせいもあるが、言葉を素直に受け取れず対処に困る。
彼らは門番というか、衛兵だったのだろうか。だとすれば、この町にもホーント一家みたいな連中がいるということになる。
さっさと必要な物資を補給して、早いとこ出ていった方がいいかもしれない。
とはいっても、こんな夜更けに開いている店はなさそうだ。一晩宿を取るしかないと諦めて、肩越しに二人を振り返った。
「どこも閉まっているみたいだし、とりあえず明かりのついているところに行こうか?」
「えぇ」
「はい」
実に簡素な返事を受けて、ナイトは乾いた笑いを上げながら明かりの強い方へ向かう。
幾つかの段差を超えて階段を上ると、一際煌々と照らされた店があった。
夜だというのに笑い声も聞こえ、人が集まっている事を教えてくれる。
それから、アバリシアで良く嗅いだ特徴的な匂いも。
確認を取るようにナイトは後ろを振り返り、マギサとシャレンが小さく頷く。同じような動きに思わず小さく笑って、木枠の扉を押し開けた。
そこは予想通り酒場で、程々に賑わっていた。テーブルの半分くらいが客で埋まり、一際大声で馬鹿騒ぎをしている一団がいる。どの町にも、その手の輩はいるものだ。
ナイト達が入ってきた事に気づいたのは客の2~3割程度だが、その驚嘆はすぐに店全体に波及し、視線を一身に集める事となった。
勿論、原因はシャレンである。
顔立ちは整っているし、腰周りは細い癖に肉付きもいい。その容姿を更に引き立てるのがナイト達にとってはすっかり見慣れたドレスで、光の下に出ると体の線がくっきり浮き出て妖艶に映る。
騒いでいた一団の一人が冷やかすように口笛を吹く。口にはしないものの、酒場にいる殆どの人間の感想は同じようなものだっただろう。
ナイトはなんとなく肩身の狭いものを感じながら、カウンターに座る。シャレンとマギサが両脇に座った。
酒場の主人と思しき男性が、やや面食らいながらも注文を取りに来る。
「何にしますか?」
「あー、その、じゃあ水と何か食べるものを」
背後で大爆笑が沸き起こった。
馬鹿騒ぎをしていた一団が、これ見よがしに大声を上げる。
「酒場に来て水はねぇよな、水は!」
「せめてミルクでも頼んじゃどうだい、兄ちゃん!」
あからさまにからかわれ、ナイトは振り向かずに苦笑する。酒を呑むほどお金に余裕があるわけじゃなし、何かしら言い返すつもりもない。
気にしないのが一番だと聞き流して、主人に目配せする。
「あいよ、三人分でいいかい?」
「はい、お願いします」
水を入れたコップを三人分配って、主人は奥へと引っ込んでいった。
入れ替わるように、野次を飛ばした一団の内二人が近づいてくる。
「よぉ姉ちゃん、貧乏な連れをもつと大変だな? どうだい、一緒に向こうで呑まねぇか?」
「こっちの子は妹さん? ケチくさい事はいわねぇ、二人まとめて歓迎するぜ!」
馴れ馴れしく話しかける男達に、シャレンもマギサも無言で反応しない。
二人からすれば普段通りの対応なのだが、男達にはそう映らなかったようだ。
「おいおい、冷たいじゃないの。安心しろって、その抜けた兄ちゃんといるより楽しい事は保証するからさ」
「ちょっと一杯やろうってだけさ。何なら、その後の『お楽しみ』にも付き合うぜぇ?」
マギサの側についた男が身を乗り出して勧誘し、シャレンの側についた男が慣れた仕草で肩に手を置く。シャレンは微塵も反応せず、軽くコップを傾けた。
間に挟まれたナイトを無視して続くやり取りに、いい加減何か言おうかと思案する。
埒が明かないと思ったのか、マギサの側の男が標的を手近な方に変えた。
「な、お嬢ちゃん。酒も食いもんも沢山あるぜ? お姉さんと一緒に遊びにこないか?」
「そうそう、酒の味は小さい内から覚えるべきだって」
まるでご機嫌を取るようにニヤけた笑みを浮かべる男に、マギサはそちらを向こうともせずコップに口をつける。
全くのなしのつぶてに痺れを切らしたのか、マギサ側の男がやや力を込めて肩を掴み、
「ほら、おいでよ」
引っ張りあげるように軽く揺らした。
マギサの肩がびくりと震え、流石にナイトも顔を顰めて立ち上がろうとして、
ブーツの底が、マギサの肩を掴んだ男の顔に叩き込まれた。
余りの早業に誰も反応しないまま、男は鼻血を飛ばして仰向けに倒れこむ。
一瞬の間の後、シャレン側の男が反射的に立ち上がる。蹴った足を引き戻し、ステップを踏んで支える足を入れ替えてシャレンが踵を蹴り飛ばすように足払いを掛ける。
体勢を崩した所に肩からぶつけられ、男は背中を床に強打する。ブーツで思い切り鳩尾を踏みつけられ、蛙のような悲鳴を上げた。
しんと静まり返る酒場の中で、あらゆる意味で注目を集めるシャレンが全く気にした素振りもなく騒いでいた一団を睥睨する。
勧誘に来なかった男達は何が起きているのか分からないという顔でシャレンを見返していた。
「五月蝿い」
ただ一言、そう告げる。
一瞬呆気に取られた後、何を言われたのか理解して男達がいきり立つ。
シャレンの足元でも、踏まれた男が悪態をつきながら脚を掴んでいた。
「なめてんじゃねぇぞクソアマァ!」
放り投げるように脚をどかし、勢い良く起き上がろうと、
上半身を起こした所でシャレンの膝が男の顎を弾き飛ばした。
歯がかちあう嫌な音がして、男が白目を剥いて落ちる。
腰を上げた男達が動くより早くシャレンが接近し、延髄に蹴りを一発、こめかみに裏拳を入れて一人テーブルの上に沈める。
別の男の首筋に手刀を突きつけ、感情も温度もない瞳で他の男達を釘付けにした。
圧倒的な実力差に、男達の足が止まる。まるで蛇に睨まれた蛙のように、身動き一つ取れない。
目の前の女は危険だと、本能が警鐘を鳴らしていた。
息一つ乱さず、怒りも緊張もない。その瞳はただただ冷たく、邪魔な石ころを蹴飛ばす程度の感慨も存在しない。
背筋を凍るような恐怖が駆け抜け、その事に苛立つも足は動かない。
そんな男達の様子に興味もなさそうに、シャレンは宣告する。
「鬱陶しい。失せろ」
そう言うと男達の返事も待たず、手刀を引っ込めて背中を向けた。
襲うならば絶好の機会だが、そんな蛮勇を起こす気力のあるものは一人も残っていなかった。
シャレンが席に戻ると同時に男達は倒れた仲間を回収し、舌打ちをしながら店から出て行く。勿論、捨て台詞も忘れない。
「クソッタレ、ただで済むと思うなよ!」
見向きもしないシャレンに特大の舌打ちをかまして、騒がしかった一団が消え店に静寂が戻った。
出番のなかったナイトが手持ち無沙汰に耐えかね、
「だ、大丈夫?」
「別に」
その瞬間、店中から大喝采が湧き起こった。
拍手まで響き、さっきの男達とは違う意味でナイト達は取り込まれる。
「いやぁ、姉ちゃん強いなぁ! すげぇ!」
「こんな別嬪で腕も立つたぁ、たまらねぇな!」
「おい兄ちゃん、良い彼女連れてんじゃねぇの!」
「面白いもん見せてもらった! 俺の奢りだ、呑んでくれ!」
さっきより格段に騒がしくなり、酒が勝手に注がれてナイトとシャレンの前に置かれる。酒臭い息が充満してそれだけで酔いそうだ。
ふと既視感を覚えるが、そういえばアバリシアの酒場でも似たような事があった。なんだか懐かしくなって、我知らず笑みが毀れる。
ということは、さっきの連中はやっぱりホーント一家みたいな奴等なのだろうか。
聞いてみようと顔を上げた所で、店主が両手一杯に皿を持ってやってきた。
「おら、注文の品だ!」
「え、えぇ……?」
上機嫌そうな店主によって並べられたのは、山盛りのサラダとステーキ、バターをつけて焼かれたパン。輪切りのゆで卵まであって、適当な注文で出てくる品とは思えない。
お金足りたっけ、と確認しようとして、店主に見咎められた。
「久しぶりに面白いもんが見れたんだ、代金ならここにいる連中が払うさ」
「いや、そんな……」
「遠慮すんな! 若い内は多少図々しいくらいが上手く生きられんだよ!」
赤ら顔のおっさんに頭を乱暴に撫でられ、ナイトは続く言葉を失う。
反応に困って両脇を見れば、シャレンはいつも通り無言無表情で酒に手をつけており、マギサは考え込むように俯いていた。
変に抗っても悪いと思い、ナイトは流されるままに酒に口をつける。良い気分になっている所に水を差すのも、本意ではない。
一口呑んだ所で聞こうとしたことを思い出し、店主に尋ねてみる。
「あの、さっきの人達は……」
「ん? あぁ、この町の自警団さ。とは言っても名ばかりで、実際はゴロツキの集団と大差ないがね」
周囲の声に紛れそうで、ナイトは聞き漏らさないように耳を澄ます。
酔いの回ったオッサン達の間では、もう既にナイトとシャレンが男女の関係にあることは確定のようで、マギサは妹ということで話が進んでいた。
訂正するのも面倒で、ナイトは店主と話を続ける。
「あ、じゃ悪いことしましたか?」
「いや、言ったろ? ゴロツキと同じだって。自衛費とか言って毎月金をせびってくるような連中さ。まぁ、最近は魔物も増えたって聞くし、居ないと困るっちゃ困るが」
聞く限り彼らの態度の横柄さに皆嫌気が差していたようで、口々にいい薬だと言ってシャレンを誉めそやしていた。
肝心のシャレンは無言で何の反応もしなかったが、鼻の下の伸びたオッサン達には何の問題もないらしい。
どこも事情があるものだと納得し、ナイトは本題を切り出す。
「ところで、宿屋とかってありますか?」
「ん? あぁ、宿ならウチでやってるよ。お灸を据えてくれた礼に、一泊タダで提供しよう。どうせ部屋は余ってるしな」
二階がそうさ、と店主が目線で示す。
部屋の隅、壁に沿うようにある階段を上った先に廊下と扉があるのが見えた。
すみませんと小さく頭を下げ、ナイトが肩を竦めて恐縮する。
「気にするな。どうせ最近は旅人も減ってきてたんだ。やっぱり魔物が増えたって話は本当なのかもしれねぇなぁ」
しみじみという店主に、ナイトはふとした疑問を覚える。
そういえば、魔物の増加の原因とは何だろうか。
『魔法使い』が理由でないのは明らかだし、自然現象にしては変だ。マギサの講義を受けているから分かるが、特定の種族を除いて魔物は自力で増える事は不可能なはず。
どこかで魔物を作るような魔道具が暴走しているのか、それとも。
マギサが追われている理由の一因に魔物の増加があることは間違いない。『魔法使い』に対する恐怖を煽るのに一役買っている。
もし暴走している魔道具があるとしたら『遺跡』の中か何かだろう。今後、それらしい情報も漁っていこう。
真剣に考えるナイトとは裏腹に、周囲は宴もたけなわといった様相を呈していた。
「おら兄ちゃん! もっと呑め! 彼女の前でいいとこ見せろ!」
「えぇ……?」
口元を引きつらせるナイトの器に酒を注ぎ、オッサン達は馬鹿笑いをする。
以前は店員だったから断れたが、今回はそういう訳にも行かない。
覚悟を決めて、ナイトは注がれた酒を一気に煽った。
ナイトより呑んでいるはずのシャレンは、頬を染めてすらいなかった。




