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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
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第一話 「ナイトの村・1」

――小さい頃から、騎士に憧れていた。


 吟遊詩人の(うた)の中で、強くて優しい騎士は悪い『魔法使い』をやっつけてお姫様を助け出す。物語の中の騎士はどんな時でも諦めない。苦しくても辛くても、文句一つ言わず困難を乗り越え、皆の為に戦い続ける。

 誰かを救う為に自分の命さえ(いと)わない姿に、幼い僕は心底夢中になった。

 いつか必ず、絶対にそうなるんだと、強く強く拳を握り締めた。

 生まれ故郷の田舎の村じゃ剣を教えてくれる人もいなくて、家にあった護身用の()びた剣を我流で振り回して訓練したつもりでいた。


 本気で、騎士になりたかった。


 村の皆が何を言おうとも、毎日毎日剣を振り続けた。諦めるつもりなんかまるでなかった。だって、僕が憧れた騎士は、どんな苦難にも立ち向かっていったのだから。

 騎士団のある都に行くために、何年もかけてコツコツ貯金して両親を説得した。

 16になって村を出るとき胸の内にあったのは、少しの不安と溢れんばかりの希望だった。必ず騎士になってみせると大口を叩いて、前しか見ずに歩いた。

 初めて見た都は村とまるで違って、騎士団では運良く選抜試験をやっていて、何もかもが上手くいくと根拠もないのに思った。

 馬鹿としか言いようがない。



 僕は、騎士には、なれなかった。



 僕よりも強い人なんて、(うな)るほどいた。その人達は、僕よりも頭も良くて学もあって家柄もあった。とんでもなく場違いな所にきたと、その時ようやく理解した。

 憧れの騎士の姿からどれだけ自分が遠いか、思い知らされた。

 試験には当然落ちて、何もする気がなくて、お金もなくなって、(みじ)めそのものの姿で故郷に戻った。


 何があっても決して諦めないと誓ったのに。


 諦めないとか諦めるとか、そういう所にすら立てなかった。


 どうにもならないまま畑を手伝い、父さんが死んで、そのまま()ぐことになった。

 気がついたら時間は過ぎて、剣よりも(くわ)の方が似合うようになっていた。いや、多分きっと、元からそうだったのかもしれない。

 今の暮らしは嫌いじゃないし、母さんを守らなきゃ、とも思う。

 騎士に憧れて背伸びをしてよかった時期は過ぎたんだ。現実を生きなきゃいけない。

 そんなことは、もう、とっくの昔に分かっていた。



 結局、僕は今も、あの頃の憧れを引き()り続けている――



  ※          ※           ※



 寝癖(ねぐせ)のついた頭で、(とぼ)けた顔の青年は上半身だけ起こした。

 寝起きの気分は、あまり良くない。昔のことを夢に見ていたような気がする。

 そういうときは、決まって調子が悪いのだ。青年は溜息(ためいき)をついて、頭を()いた。

 ベッドから起き上がって、窓を開ける。日も昇りきらない早朝、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで目を覚ます。

 壁にかかった剣を手にとって表に出た。こういう時には、日課の素振りにも意味が生まれる。

 動いて汗を流せば、嫌な気分も一緒に流れてくれる気がするから。

 夢破れてから四年、騎士になれなかった青年――ナイトは、いつものように家の裏手に回った。



  ※          ※           ※



 ひとしきり汗を流して戻ると、母が起きて朝食の準備をしていた。


「おはよう、母さん」

「おはよう、ナイト。顔洗ってきなさい」


 頷いて、剣を戻して()み置きの(おけ)で顔を洗った。

 さして広くもない家に、母親と二人暮らし。他に兄弟はなく、父は(すで)に他界した。厳密に言えば、半分一緒に住んでいるような人が一人いるが、今朝はいないようだ。

 決して贅沢とは言えない食卓を囲み、静かな時間が過ぎていく。ナイトも母も喋る方ではない。父が食べながら喋るのが嫌いな人だったから、習慣づいてしまった。

 食べ終わると片づけを母に任せ、ナイトは手に馴染(なじ)んだ鍬を持って畑に出る。今が収穫時期のものはないが、次の種植えの準備もあるし、手入れを欠かすとすぐ虫食いになってしまうのだ。

 一通り見回って特別様子の違う所がないことを確認し、整地して虫を除け、雑草を引っこ抜いていると、気がつけば昼だ。

 腹の虫が鳴くのと同時に、声がかけられる。


「ナイトー! お昼だよー!」


 日の光の下に相応しい笑顔で、バスケットを持ったポニーテールの女性が手を振る。

 鍬を(かつ)ぎ、タオルで汗を拭いて顔を上げる。中天に差し掛かった太陽の眩しさに目を細めた。


「おー!」


 返事と共に作業を切り上げ、畑から出る。近づいてくるポニーテールの女性に軽く手を振って、いつもの草むらに腰を下ろす。

 その女性は当たり前のように隣に座り、サンドイッチの詰まったバスケットと水筒を間に置いた。野菜に卵に肉、色とりどりで見た目にも食欲をそそる。

 早速伸ばした手が、ぺちんと叩かれた。


「ちゃんと手を拭いてから!」

「あぁ、ごめん」


 彼女――クーアはナイトと同い年の幼馴染(おさななじみ)にして、村で唯一人の薬師(くすし)だ。

 クーアの父が薬師で、その後を継いだことになる。じゃあ、その父はどうしているかというと、ナイトの父と前後する形で息を引き取った。クーアの母もまた、そう経たぬ内に夫の後を追った。

 一人きりになったクーアを心配してナイトの母が一緒に暮らそうと提案したが、仕事がしやすいからと父母が残した家に一人で住んでいる。

 それでも何かと母もナイトも気にかけ、半分一緒に住んでいるような付き合いとなっていた。こうして食事を一緒にすることも当たり前になり、薬の材料を採りに森に行くときはナイトが付き添うのも毎度のことだ。


 ナイトは渡された布で適当に拭いてから、バスケットの中に手を突っ込んだ。薬師であるせいか、クーアは衛生面などにやや(うるさ)い。まるで世話の焼ける弟をもった姉のような風情であるが、幼い頃からそうなので、ナイトは慣れきっていた。


「そういえばさ、近くに騎士団きてるって」


 飲み込もうとしたサンドイッチが気管に入った。

 悶え苦しみながら水筒をなんとか掴み、無理やり流し込んで咳をする。

 ナイトの様子を横目に、クーアは野菜だけのサンドイッチを(かじ)った。

 幼馴染ということは、当然、クーアはナイトの夢を知っている。その夢が、無残にも散っていったことも。

 咳が収まるか収まらないかくらいで、ナイトはクーアに尋ねた。


「な、なんで?」 

「詳しくは知らないけど、『魔法使い』を探しにきたって」

「『魔法使い』?」


 オウム返しをするナイトに、クーアは、そう、と頷いた。

 『魔法使い』。

 かつて世界を支配したという一族で、『魔法』という不可思議な力を使っていたらしい。『魔法』は強力無比で、不可能はなかったという。今も残る『魔道具』や『魔物』はその時代に『魔法』によって作り出されたもの、というのがナイト達の知っている話だ。

 それにしたって、殆どお伽噺(とぎばなし)でしか残っていない。実際の『魔法』なんてナイト達は見たこともないし、『魔道具』も国が管理しているという話を聞くくらいだ。『魔物』だけは実際に出るらしいし、ナイトは絵も見たことがあるが、それでも普通に暮らしていれば余程運が悪くない限り遭遇(そうぐう)することはない。


 何にしたって縁遠い話で、騎士団が『魔法使い』を探しにきただなんて、それこそ吟遊詩人の唄にでもなりそうだ、くらいの感覚しかない。

 一気にリアリティがなくなって、ナイトの頭が冷えていく。

 一体何を動揺していたのか。近くに騎士団がきたから何だというのか。自分はもうただの農民で、騎士になんてなれるはずもないということは嫌ほど知っているのに。


「そっか。何もないといいけど」


 なんとなく、話を続ける気にはなれなかった。

 ナイトの言葉にクーアが小さく眉をひそめて、溜息をつく。


「そうね」


 家族同然の付き合いをしているのだ、ナイトの思いくらいクーアは知っている。毎朝毎晩、家の裏手で剣の鍛錬をしていることも。

 それでも、それ以上は何も言わずサンドイッチに噛り付いた。ナイトが戻ってきたときの姿も、クーアは覚えている。打ち捨てられた野良犬のような、あの姿を。


「この後って何かある?」


 話を変えたクーアに、今度はちゃんと口の中のものを飲み込んでから答える。


「えっと、グランハさんとこの手伝いと、カンボさんとこで収穫の様子見と、モリーノさんと水車の見回りと、村長さんと倉庫の確認……あとなんだっけ」

「相変わらずだけど、少し断ったら?」

「あー……いや、皆にはお世話になってるし。それに、僕、体力も力もあるから」

「頼りにされてるって言いたいわけ?」

「ちょっと嬉しかったりするんだ」


 照れたように笑うナイトに、クーアは処置なしというように肩を(すく)めた。

 実際、女性にしては背の高いクーアと比べても、頭ひとつ分くらいはナイトのほうが高い。ずっと剣を振っているお陰で体格も良い。村としては、元気な若者には是非とも働いてもらわなければならない。そのことは、ナイトもクーアも承知している。

 出たり戻ったりしたことに、ナイトとて罪悪感がないわけではないのだ。頼まれたことは基本的に断りたくない、という思いがあった。


「しょうがない。じゃ、森に行くのは明日ね」

「あぁうん、奥まで行くの?」

「一応そのつもり」

「分かった」


 なんとも強引に明日の予定が決まってしまったが、これもいつものことだ。

 バスケットが空になり、腹が(ふく)れたところで、襲撃者(しゅうげきしゃ)がきた。


「ナイトーーーーーーーー!」


 元気な男の子が三人、ナイトの背中に飛び()かる。食べたばかりのサンドイッチを口から出しそうになるのを、なんとか堪え切った。

 悪ガキです、と顔に書いてありそうなその子供達は、これから手伝いに行くところの息子達であり、ナイトを迎えにきたのだった。


「み、皆、今日も元気だねぇ」

「早く来いって、パパ待ってるぞ!」

「その後はウチだかんな!」

「休んでる暇ないぞ、ナイト!」

「あぁ、はいはい、分かったってば」


 子供達に引っ張られ、ナイトはバランスを崩しながら立ち上がる。

 クーアもまた呆れたような顔をしながら立ち上がり、空のバスケットに水筒を入れて抱えあげた。


「夕飯までには切り上げて帰ってきなさいよ」

「うん、はい、そうする」

「えー!? それじゃ仕事終わってから遊べないじゃん!」


 子供達の猛烈(もうれつ)な抗議に、ごめんごめんと謝るナイトとは対照的に、クーアはじっとりと半目で睨み付ける。


「駄々を()ねるなら、あんたらが風邪ひいたとき苦ぁ~~~~い薬飲ませてやる」


 ウッ、と押し黙る子供達。この村の住民で、クーアの家の薬の世話になったことのない者はいない。その中でも強調するほど苦い薬がどれほどのものか、話伝手(はなしづて)くらいには知っている。


「ちぇっ、しかたねぇや。今度な、今度遊ぼうぜ!」

「うん、また今度ね」


 渋々引き下がる子供達に、苦笑しながらナイトは頷いた。

 クーアと分かれて、ナイトは子供達に引っ張られながら仕事に向かう。



 結局、ナイトが家に帰れたのは、夕飯の時間が少し過ぎてからのことだった。



  ※          ※          ※



 日が沈み、空に星が輝く時刻。

 夕飯を終えたナイトは、いつものように家の裏手で剣を振るっていた。

 頭の中を空っぽにするように、普段よりも強く、思い切り()ぐ。風を切る音が煩いと思うのは、気が立っている証拠だ。


 ――魔物が増えてきてるんだって。


 夕飯の席で、クーアがそう口火を切った。

 基本的に静かな食卓に華を咲かせるのは、いつだって彼女だ。何の話かわからず、とりあえず相槌(あいづち)を打つ。


 ――多分、騎士団が来たのって、本当は魔物退治じゃない?


 昼ほど過敏な反応は示さなかったと思う。母の前だし、気をつけられたはずだ。

 なんだってそんな話をするのか。ただの世間話のつもりなんだろうけれど。


 クーアの言い分だと、最近魔物が増えてきているのを『魔法使い』のせいだという風潮があって、魔物退治と見回りの強化の為に騎士団が来ているのを面白おかしく『魔法使い』を探しにきたのだ、と言っているのだろう、ということだ。


 ――悪い『魔法使い』を探し出す騎士団。まさに吟遊詩人の唄そのものだ。


 一歩踏み込み、上体を(ひね)るようにして体重をつけて剣を振り下ろす。


 ――危険な魔物相手に、人々の平和と安寧(あんねい)の為に立ち向かう騎士の姿が、きっとそこにはあるのだろう。


 前に出ながら伸びをするように、下から切り上げる。


 ――どんな苦難にも逆境にも負けず、誰かの為に剣を振るう騎士。


 足を開いて力任せに横薙ぎにする。


 ――ずっとずっと、憧れ続けたその姿。


 慣性を強引に押さえ込んで、(きし)む筋肉を無視して大上段から振り下ろす。

 切っ先が、地面に少しだけ埋まった。



 ――今、自分は、何の為に剣を振るっている?



 息が切れて、風が冷たくて、見上げた夜空は星が瞬いて美しかった。

 どんなに汗を流しても、胸の奥を突き刺すような感覚は流れていってはくれなかった。



  ※          ※           ※



 翌朝。普段通りに畑の手入れまで済ませ、昼食をとってから森へ入る準備を整えた。

 長袖に、丈夫な靴と水筒。クーアは薬草を入れる為の(かご)と、ナイトは念の為の剣。魔物が増えてきている、なんて話を聞いた後で、丸腰でいくわけにはいかない。

 不足も忘れ物もないことを確認し、二人は森へ入っていった。


 浅いところは特に問題はない。子供達が遊び場にするくらいだ、危険はないと言っていい。散歩気分で入って木の実や(きのこ)をとるなんてこともやる。

 ただし、奥に向かうとなれば話は別だ。特別な用でもない限り、猟師のカサドルさんくらいしか立ち入らない。

 そして薬師たるクーアは、その特別な用がある数少ない一人である。とはいえ、カサドルさんを毎回連れ込むわけにもいかず、ある程度手解きを受け、剣の心得もあるナイトが代わりとして随行することとなっていた。

 この森は、ナイトやクーアにとっても、幼いころの遊び場である。大人に内緒で奥に入ったことも勿論ある。付き添いはどこまでも念の為だ。


 木漏れ日に照らされ、踏みしめる土の感触と緑の匂いに眠気を誘われる。


「奥まで行くんだよね?」

「そうね、浅いとこにはないみたい」


 目当ての薬草を探しながら頷くクーアに、ナイトも頷き返す。

 森の恵みの本領発揮は奥まで踏み入れてからだ。柔らかな地面をしっかり踏みしめながら、所々飛び出る木の根っこに足をとられないように進む。

 暫く行くと、木々が鬱蒼(うっそう)と生い茂り、流石に日の光も余り入らなくなってくる。自生する草の丈も段々と高くなり、(やぶ)の向こうを見通すのが困難になってきた。

 ここから先は音にもしっかり注意しないと、思わぬ事態に巡り合ってしまう。


「あ、あったあった!」


 警戒するナイトとは裏腹に、クーアは嬉しそうな声を上げて薬草を()み始めた。

 なんなら鼻歌でも歌いかねない勢いの幼馴染に、ナイトは苦笑する。


「採るのって、それだけ?」

「ううん、他にも欲しいのはある」

「分かった」


 注意深く周囲を探るも、妙な気配も音もしない。当たり前の木々の(さえず)りと動物達の鳴き声がするくらいだ。

 クーアを先導しながら、もう少し奥まで入る。歩きながらクーアは色々な薬草を摘んでいた。


「待って、この辺欲しいの多い」

「うん」


 足を止め、彼女が採取している間に周囲を警戒する。

 少しだけ、動物達の鳴き声が小さくなったような気がした。息を潜め、クーアが立てる音を気にしないようにして耳を澄ます。

 遠くから近づいてくるような足音がした。


「クーア!」


 声の調子からすぐに悟ってくれたようで、手を止めてナイトの後ろでいつでも走り出せるように身構える。

 足音に紛れて、引きずるような音も聞こえた。動物の足音ではありえない。

 落ち着こうと、大きく息を吸って吐く。腰を落として、剣の柄に手を置いた。最悪の想定として、昨日のクーアの話がその通りだとしたら、

 これは人間でも動物でもなく、

 音はクーアにもはっきり分かるほど大きくなり、近くの(しげ)みがガサガサと鳴った。



 女の子が飛び出てきた。



 全身を(おお)う真っ黒なローブと、(すね)まで守るブーツ。腰まであるかというこれまた真っ黒な長髪に、手には(かし)か何かで作れられたような杖を持っている。年の頃は16か、実に小柄で、警戒して離れていたとはいえ、背の高い藪から姿が見えなかったのも納得いく大きさだ。

 緊張で張り詰めていたせいか、ナイトもクーアも一瞬呆気にとられた。

 その少女は二人を見つけると、切羽詰(せっぱつま)った表情で足を止めた。


「逃げて!」


 加減を知らぬ大声に、どこかに行っていた緊張感が戻ってくる。

 背後に向かって杖を構える少女に近づこうとして、



 魔物が飛び出してきた。



 不定形のぶよぶよとした、ゼリーみたいな魔物だった。体を触手のように伸ばして、少女を捕まえる。

 反射的に抜いた剣を構えて、ナイトはクーアに叫ぶ。


「逃げろ!」

「え、あ、」


 本物の魔物を見るのは、二人とも初めてだった。ナイトは奥歯を噛み締め、クーアは驚きと衝撃の余り動けなくなっている。

 少女の体が宙に浮き、小さな手から力なく杖が零れ落ちる。

 腹の底に力を込めて、ナイトは叫んだ。


「村に戻って伝えるんだ! 早く!!」

「は、はいっ!」


 何を、なんて具体的な事は言えなかった。

 弾かれたようにクーアが駆け出していく。その音を背中に聞きながら、剣の柄を握り締めて、ナイトは魔物に向かって突貫した。


「はああぁぁぁぁぁぁっ!」


 気合とともに突っ込むナイトに向かって、不定形の魔物が触手を繰り出す。反射的に切り飛ばすも、ガラ空きになった胴に二本目三本目の触手が打ち込まれた。

 咄嗟(とっさ)に腕で(かば)うも、三本目がモロに入った。軽く吹き飛ばされ、咳き込んでいる内に少女が魔物の体内に取り込まれる。

 そこでようやく、ナイトは魔物の名前を思い出した。


 スライム。

 物語にもよく出る魔物で、まさに見た目通りのゼリーみたいな体を持つ。形状を変化させられる上に、硬度もある程度変化させられる。捕まえた獲物を体内に取り込み、ゆっくりと溶かす性質が特徴で、それ故に直接的な力はそれほど強くない。

 そして、何より厄介なのが、斬っても突いても死なないところだ。

 倒す方法はただ一つ、体内に見える『核』を破壊すること。

 騎士団選抜試験の問題にあった通りなら、そのはずだ。必死に目を()らせば、確かにゼリー状の体内に菱形(ひしがた)の物体が浮かんでいるのが見えた。

 呼吸を整え、剣を構え直す。

 スライムは、何故かナイトから離れるように動いていた。


「いやぁっ!」


 飛び込むナイトに、触手が迫る。一本目を袈裟懸(けさが)けに切り落とし、反動をつけて二本目を切り上げる。バランスを崩しそうになって足を止めたところに来た三本目を、払うように切り捨てた。

 再び間合いを詰めようと動くと、とても一度には(さば)ききれない数の触手が迎え撃ってきた。剣を振るった(すき)に触手をねじ込まれ、体勢を崩されたところを太い触手で打ち上げられる。

 伸びた触手に叩きつけられ、木の幹に(したた)かに背中を打ちつけ、息が詰まった。


 口の中に鉄の味が広がる。

 すぐには立ち上がれないナイトを放って、魔物は森の奥の方へ移動を始めていた。

 何だか分からないが、ナイトに興味はないらしい。このまま倒れていれば、少なくとも命は助かるだろう。

 あの女の子は無事ではすまないだろうけど。

 咳き込むと、血でも吐いたのかと思うくらい痛みが走る。息がしにくいし、魔物を相手どるなんて初めてで、勝てるかどうか分からない。


 逃げて、とあの子は叫んだ。


 近くに騎士団も来てるらしいし、最悪村の皆は守れるだろう。真っ黒な少女だって、もしかしたら、うまくいけば、助かるかもしれない。

 背後に向かって杖を構えたのは、スライムと戦おうとしたのか。


 ――何の為に?


 ――多分、僕とクーアを守ろうとして。


 剣を握り締め、歯を食いしばって立ち上がる。全身が痛くて、(のど)の奥が苦しい。無理矢理深呼吸して、頭の中から悲鳴を追い出す。

 もう大きな振りはできない、できる限りかわして、斬るんじゃなくて剣の腹で弾くようにして()らす。触手は無視して、とにかく本体をぶった切ることを考える。


 スライムの移動速度は遅く、まだ走れば(とら)えられる位置にいた。

 見ず知らずの女の子を助ける為に命を賭けるのは、おかしいことだとは思う。勝てる保証もない戦いをするのは賢くはないと思うし、身の程知らずだと分かっている。

 それでも、馬鹿でしかないとしても、




 あの子を見捨てたら、自分の中の大事なものまで見捨てる気がした。




「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」


 下っ腹に力を込めて、叫ぶと同時に走り出した。

 スライムがこちらに気づいて触手を繰り出してくる。

 足だけは絶対に止めない。潜るようにかわして、フラつこうが構わず本体に向かって突進する。

 (すく)うように襲い掛かる触手を弾いて、(かす)るのは放置してとにかく距離を詰める。

 手の届く距離になって、脇腹を触手に殴られ、回転するようにして剣を上から叩きつける。

 不定形のゼリーが振動して、ぱっくりと大きな裂け目が出来た。

 迷う暇なんてない。裂け目から体を突っ込んで、少女の腕を掴む。

 半身を逸らし力いっぱい引き寄せた反動を利用して、剣を持つ腕を精一杯伸ばした。

 ナメクジみたいな粘液から少女を引き抜くのと同時に、切っ先は『核』を刺し貫く。


 その瞬間、スライムの全身が泡立ち、大きく震えだす。


 地震でも起きたようにぐらつく魔物の体内から弾き出され、ナイトは少女を庇うようにして地面に転がった。

 しっかりと腕の中に少女がいることを確かめて、スライムの姿を確認する。

 沸騰(ふっとう)した水のように泡を吐く不定形の体が、端の方からゆっくりと崩れ落ちていく。

 砂のような粒となって地面に積もり、真っ黒な灰へと変化して風に紛れて消えていった。

 ナイトは生まれて初めて、魔物が死ぬのを見た。

 『魔法』によって作られた魔物は、普通の生物とは違って、その死骸を残さない。基本的に数を増やさないが寿命もなく、戦わない限りその最期を見ることはない。

 知識としては知っていても、目の前で起きたそれは、確かにこの世の道理の外にあるもののように見えた。


 ともあれ、危険は去った。改めて腕の中にすっぽり収まった少女を見下ろす。

 特段酷い傷はない。ローブが余程丈夫なのか、汚れは酷いが衣服の損傷もたいしたことはなかった。口元に耳を当てれば、しっかり呼吸もしていた。

 肺に溜め込んだものを吐き出すと、どっと疲れが押し寄せてくる。

 体の節々も煩いくらいに悲鳴を上げていて、今日はこれ以上頑張れそうにもない。

 クーアが村の皆を連れてきてくれることを頼みに、動かないことに決めた。

 微かな木漏れ日が顔にかかって、ほんの少し眩しい。

 なんとなく、少しだけ気分が良かった。



 その後、ナイトと少女は、クーアと村人達によって無事に森から運び出されたのだった。

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