第二十五話「遺跡・その5」
――ドラゴン。
『魔物』の大別した二種類の内、現存する生物にモチーフを求めないものの一種。
竜とも呼ばれるそれは、その中でも傑出した強さを誇っていた。
ドラゴンを超える巨体を持つ魔物など数える程しか存在せず、その顎はあらゆるものを噛み砕き、尻尾の一撃は堅牢な城壁さえ破壊した。
翼を広げて飛び立てば巨体に見合わぬ速度で動き、雑に体当たりをするだけで何もかもを吹き飛ばす。
身を守る鱗は鋼程度では傷一つ付かず、岩のような肌は熱にも冷気にも強く、むしろ種類によっては溶岩や極寒の地を住処とするものさえあった。
そう、種類である。
ドラゴンには、その特性毎に複数の種類が存在する。
この特徴は、魔物ではドラゴンだけが持つものだ。それ以外では、ゴーレムがほぼ同じ特徴を持つ。
個体差、という話ではない。モチーフを持たない魔物は、基本的に個体差を持たない。
それらは、それぞれ別の種族として存在していた。
代表的なものとして、溶岩を住処とする火竜ことファイアドラゴン、極寒の地を住処とする氷竜ことアイスドラゴンが挙げられる。
これらはそれぞれ、別の種類の魔物なのだ。
何故、ドラゴンだけ複数の特性で分けられたのか。何故、全く別の魔物ではなく、ドラゴンという大きな括りになってしまったのか。
何か理由があったのか、それともドラゴンの造詣がそれほど気に入ったのか。
かつての『魔法使い』以外には、知る術のない事だ。
圧倒的な力を持つドラゴンだが、現在にはただの一匹も生き残っていない。
騎士団や王宮の記録のどこを漁っても、ドラゴンなぞお伽噺以外に出てこない。
そうでなければ、おそらく今のような社会を形成することはできなかっただろう。
現在の武器ではドラゴンを倒すどころか、傷一つつけることも敵わない。そうなれば、魔道具を持ち出す他に術はない。
悠長に国庫に保管している余裕などどこにもなかったことだろう。
ただでさえどうにもならないドラゴンは、更に特徴的な能力を持っている。
吐くのだ。口から。炎や吹雪を。
『ブレス』と呼ばれるそれは、ドラゴンの特性毎に何を吐くかが決まっている。
火竜なら炎、氷竜なら吹雪、といった具合だ。
ブレスは絶大な威力を持ち、火竜の炎は鋼をバターのように溶かし、氷竜の吹雪は一瞬で人を氷漬けにする。
それを上空から広範囲に撒き散らしながら、鳥よりも速く動くのだ。
そんなものが現代にいたら、下手をすれば文明が終わりを迎える。
しかし、文明は繁栄し、ドラゴンを見たという記録も交戦したという記録もない。
よって、現代にはドラゴンは一匹も生き残ってはいない。
はず、だった。
まさかナイト達の見たものが夢幻であるはずもない。
間違いなくそれは、現代に生き残ったドラゴン。
おそらくは、この世で最後の一匹となったファイアドラゴンだった――
※ ※ ※
怪物討伐作戦の内容は、つまりこうだ。
風を圧縮したような膜を張る防護魔法を四人全員に配り、溶岩の部屋に突入する。
扉を開いてすぐの広い足場で、ナイトとアドが左右に別れて走る。モガは少し進んで中央で待機、マギサは後ろで様子を見る。
あの怪物――ドラゴン、というらしい――がこちらに釣られて動き出したら、とにかくマギサ以外に注意を引き付ける。
何かあっても対応できるよう、ナイトの剣に膜を通して衝撃波を飛ばせる魔法をかけておく。これで一応、怪物に傷をつけることができるだろう。
そうして注意を向けさせた隙に、マギサが一本道を走りぬける。
一本道の先、怪物が身を休めていた場所には『陣』があるらしい。巨体の下から少しはみ出ていたのを、マギサが目敏く見つけていた。
マギサによれば、おそらくあのドラゴンを『使役』する為のものだろうということだ。そうでなければ、この場所で大人しくしている理由も、扉を開けた自分達を見つけたのに未だに襲ってこない理由もわからない、と。
そういう『使役』をされているのだと思えば、話は通った。
アレを倒す魔法は、何にせよ安くは済まない。出来るだけ安全に済ませられるなら、それに越したことはない。
陣が利用できるならば良し。そうでなければ、変な魔法をかけられていないことを祈って『使役』の魔法を使う。
マギサの残りの力で、確実に気絶したりせずに済ませる為の作戦だった。
モガとアドには、陣だの魔法だのは適当に魔道具と言い換えておいた。事ここに至って隠し事をするのもナイトには抵抗があったが、話せば長く面倒になる。
一応は緊急事態だ。干からびそうな熱気に当てられたまま長話をするものじゃない。
一度戻ることも考えたが、マギサの魔力を無駄遣いしたくなかった。
何に必要になるか分からない。あの怪物への唯一の対抗策なのだ。
それに、アドはともかくモガは何かしら感づいている節があった。それで納得してくれたということは、そういうことなのだろう。
アドはひたすら、マギサとその杖の魔道具は何でも出来ると感心していたが。
話がまとまったところで、一旦作戦内容を確認して準備を済ませる。
出来るだけ身軽になる為に荷物を全部置き、マギサに防護魔法をかけてもらう。更に剣にも魔法をかけ、ナイトは確かめるように柄を握った。
扉の取っ手に手をかけ、最終確認とばかりにナイトは全員の顔を見回す。
心の準備が整うのを見て、魔法のおかげで少しも熱くなくなった取っ手を勢いをつけて捻った。
その怪物は、最初に見たときと同じように眠るように伏せていた。
ナイト達に反応して、爬虫類特有の切れ長の目を開きゆっくりと首を持ち上げる。
その隙に、手筈通り三方向に散って走った。
煮え滾る溶岩は何も変わっていないのに、まるで熱さを感じない。マギサの魔法に感謝しつつ、ナイトは左端に近づきすぎる前に止まった。
あんまり行き過ぎると逃げ回る足場を確保できなくなる。剣の柄に手をかけながら、怪物を探して視線を走らせた。
居た。翼を広げて、都合よくこっちに向かってきている。
巨体に相応しい堂々たる翼を羽ばたかせ、巨体に似合わぬ速度で突っ込んできた。
慌てて回避しようと走り、間に合いそうになくて前に向かって跳ぶ。
明らかに身体能力以上の飛距離を出して、怪物の顎の射程圏内から逃れる。
マギサの魔法は体を身軽にもしてくれたようだ。普段は恐ろしい便利さだが、やっぱりいざというときには頼りになる。
結局マギサを頼りとしていることに若干心が痛みつつも、体勢を立て直して怪物に向かって身構える。
ナイトの代わりに地面を噛み砕いた怪物は、そのまま滑るように上空へ舞い上がった。
身構えるナイトを一瞥し、口を大きく開く。
あの咆哮がくるものとナイトは下っ腹に力を込め、強く柄を握り締めて、
炎が渦を巻いて襲ってきた。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
あの怪物が炎を吐いたのだと気づいた時には、視界を炎が埋め尽くしていた。
燃え盛る音が耳を覆い、触れるだけで骨まで溶けそうな炎が魔法の膜に弾かれて後ろへ流れていく。
マギサの魔法がなければ、今頃消し炭さえ残らなかっただろう。
膜を通してさえ伝わる熱量に、ナイトは背筋が凍るのを感じた。
確か、作戦前にマギサが言っていた気がする。あのドラゴンは炎を吐く、と。
炎を吐くとか、さっぱり意味が分からなかったが、目の前で見ると成る程納得だ。
誇張でも比喩でもなく、怪物は口から炎を吐いた。こんなもの掠りでもしたら、間違いなく死ぬ。
人間が何人束になってかかろうと、それこそ騎士団が動こうと、あっという間に焼け野原に変えてしまうだろう。
滴り落ちる汗が、熱さによるものだけでないことはナイトが一番良く分かっていた。
アドの言うとおり、これの前では人間の強い弱いなど大したものではない。魔法がなければ、何をやろうと時間稼ぎにすらならないだろう。
炎が過ぎ去るまでに、魔法が切れないことを祈るばかりだ。
心を落ち着けようと深呼吸を繰り返していた時、確かにその声を聞いた。
「にーちゃーーーーーん!! 死ぬなーーーーーーっ!!」
幻聴、ではないと思う。
炎に遮られた視界では、その声の主を探し出すことができない。
でも、それは確かにアドの声で、しかも徐々に近づいている気がした。
炎が通り過ぎた後、回復した視界に入り込んできたのは、
こちらに向かって走ってくるアドと、そのアドに狙いを定めたと思しき怪物の姿。
心臓が飛び跳ねた。
慌てたモガがアドを止めようとしているが、もう遅い。
全力疾走するアドの速度にモガではついていけないし、怪物の目はアドの方を向いたまま動かない。
早鐘を打つような鼓動に、頭が一部を除いて混乱しきってしまう。
冷静な一部が、片隅で囁くように意見を述べてくる。
大丈夫だ、心配ない。アドだって魔法をかけてもらっている。突進だろうが噛み付きだろうが炎だろうが、暫くは耐えられる。
――もしも、途中で切れてしまったら?
そんなことまで責任は持てないし、分からない。『魔法』はただでさえ理解できない代物なんだ、確実な事は言えない。しかし、こうして炎を浴びせられても生きてるし、平気さ。
――でも、アドは死ぬかもしれない。
そんなのはアドだって承知の上だ。もしも、もしも仮にそんなことになったとしても運が悪かっただけだ。マギサが落ち込むかもしれないが、慰めてやればいい。
それで、全部解決さ。
――そんなのは、嫌だ!
気がついた時には、剣を振るっていた。
風を切り裂いて見えない刃が怪物を斬りつけ、その顔に一筋の傷を作る。
極めて不愉快そうに、翼持つ怪物はナイトを見下ろし睨み付ける。その異常な迫力に、ナイトは腰が引けそうになった。
それでも後ろ足で踏み止まって、怪物を睨み返す。
「お前の相手は、僕だろ!」
その言葉が怪物に理解できたどうかは、分からない。
今度こそ怪物は大口を開けて、ナイトを震えさせた咆哮を放つ。
歯を食いしばり、足を踏みしめて耐え抜き、剣を正眼に構えて怪物を睨む。
鼓膜どころか全身を痺れさせる程の叫びを上げ、再びナイト目掛けて突進してくる。
待ち構えるようにして剣を振り上げ、向かってくる顔目掛けて振り下ろした。
真っ向からぶつかり合った結果は当然というべきか、ナイトが軽く吹っ飛ばされた。
魔法の膜がなければただでは済まない距離を弾き飛ばされ、地面に体を打ちつける。
怪物は不可視の刃に鼻先を切り裂かれ、悲鳴ともつかない呻きをあげていた。
マギサのお陰で大した痛みも受けず、ナイトは飛び起きて怪物と相対する。
怪物もまた、唸り声を上げながらナイトを見据えていた。
互いに睨み合いながら、一歩も動かない。
巨大な怪物が、ただの小さな人間を、個体として認識していた。
そうでなくば、ナイトと睨みあったまま動かないなどということはあるまい。向き合っている相手が誰か、理解しているのだ。
剣を構えて、あるいは翼を広げて、相手の隙を窺うように互いから目を逸らさない。
呼吸を整えて、剣を振りかざし、
小さな光の粒が、怪物の体を優しく覆い始めた。
淡い光が鱗粉のように空を舞い、怪物の体に降り積もっていく。
暫くその光を見つめていた怪物が、何かを諦めるように、または納得したように目を閉じてその身を横たえた。
怪物の全身を覆ったその光は、肌に染み込むように消えていき、全ての粒が染み込んだところで怪物の体が一際眩しく輝いた。
光が収まった後には、穏やかに横たわる怪物の姿があった。
マギサの『使役』が成功したのだとナイトが気づいたのは、それから一拍置いての事だった。
剣を収め、息を飲んでこちらを見つめるモガとアドに笑い返した。
「えと、あの、もう終わったみたいです」
「終わった……?」
いまいち飲み込めていない様子のモガに、どういったものかと頭を悩ませる。
実際自分もそこまで分かっているわけでもないので、とりあえずそのままを伝えた。
「もう平気です。あの怪物は攻撃してきませんし、先を調べることもできますよ」
「ほ、ほんとーか……?」
「うん、本当」
よく分かっていない様子のアドに頷き返すと、冒険家の祖父と孫は顔を見合わせた。
とにもかくにも作戦が上手くいったのだということは理解したのか、二人の顔は一気に好奇心まみれのそれに戻っていた。
「アド!」
「じーちゃん!!」
満面の笑みを二人して浮かべ、一本道の先へ顔を向ける。
こうなった二人を止められるのは、行き止まりの壁くらいのものだろう。
ナイトも、分からないわけではない。知らないものを知るというのは、楽しくて興味深いものだ。
それは例えば、こんな遺跡を作ったかつての『魔法使い』の事であったり、
この世にただ一人生き残った『魔法使い』の事であったり。
好奇心と探究心を満載して、冒険家二人は競争するように走っていった。
後を追いかけるように小走りになりながら、ナイトはちらりと怪物を様子見する。
最早ナイト達の事など興味がないとでも言うように、翼を折り畳んでゆっくりとした呼吸を繰り返していた。
一瞬、目を開けてこちらを見たような気がするが、敵意も何も感じない。
初めてみた『使役』の成功例に、内心感嘆する。これで魔物を操っていたと言われれば、成る程と納得もしよう。正直、どうやって魔物を操っていたのか疑問だったのだ。
視線を戻してみれば、一本道の先でモガとアドがマギサに話しかけていた。足元には、『陣』と思しき記号と図形。
ただし、その『陣』は隅の方が何箇所か欠落していた。
これでマトモに機能するのかと訝しんでいると、モガとアドがマギサと別れて更に先に走っていく。
二人を追うのをやめて、マギサと合流する。いつもの無表情で足取りもしっかりしていて、魔法の使いすぎによる体調不良などはないようだ。
倒れる心配はないようで、ひとまず安心した。
「お疲れ様。『使役』の魔法、成功してよかったね」
「はい。『陣』は使いませんでしたが」
そういって、マギサが視線を落とす。
釣られるようにナイトも視線を落として、欠落した箇所に目を向ける。
やっぱり、これでは動かなかったようだ。
「これ、誰が壊したんだろうね」
「多分、この『遺跡』を作った人だと思います」
「え?」
聞き返すナイトに、マギサが手短に説明する。
『陣』を壊す方法は複数あるが、中でもこれは的確に消して『陣』に込められた効力を無効化するやり方だそうだ。
これをするには、『陣』の構造から、どう作られたのかまで理解しなければならないらしい。
普通そこまで面倒な事はしないし、それを簡単に行えるのは作った人だけ。他の『魔法使い』なら、こんな面倒な事をせずに破壊するだろうとのことだ。
この『陣』の効力は、マギサの予想通りドラゴンの『使役』だったようだ。
ふと、そこでナイトは疑問に思った。
「あれ? でも、それなら今まであの怪物は『使役』されてなかったってこと?」
「そうなります」
頷くマギサに、ナイトの疑問は益々深まる。
「ん? なら、マギサが言ったように、何でここで大人しく番人みたいなことしてたり、僕らを襲ってきたりしなかったんだろ?」
「……さぁ。ただ、『使役』は大人しく受け入れてくれました」
何か含みがありそうなマギサの言葉に、ナイトは首を捻るばかりだった。
考えても分からない事はこの世には多い。マギサにも分からないことが、ナイトに分かる理屈はないだろう。
首が捻じ切れる前に、ナイトは一先ず考えるのを止めた。
間が良いのか悪いのか、丁度先んじていたアドからお声がかかる。
「にーちゃーん! ねーちゃーん! 早くこっち来てこっち!」
呼びつけられ、ナイトとマギサは顔を見合わせて小走りにそちらへ向かう。
アドやモガに追いついてみれば、そこは壁になっていて、扉が一つついていた。
あの怪物が守っていたのは、この扉だったのか。いや、正確にはおそらくその先にあるものだろう。
それにはモガもアドも思い至ったようで、念の入った様子で扉とその周辺を調べていた。
「この扉以外、なんもねーよ! ……多分!」
最後に付け足したのは、今まで二度も行き止まりから道が見つかったからだろう。
あれはマギサ、正確には『魔法使い』にしか反応しない仕掛けだったから仕方ないのだが、それを言うわけにもいかない。
ここまできて仕掛けも何もないとは思うが、そういう隙を突くのがこの遺跡の主なのだ。用心に越した事はない。
モガもアドも思い知ったのだろう、無用心に扉を開けようとはしなかった。
冒険家達の視線を受けて、ナイトが進み出て取っ手を握る。
全員で頷きあって、ゆっくりと扉を押し開けた。
その先にあったのは、何にもない誰かの部屋だった。
空の本棚。シーツがかけてあるだけのベッド。物を置いてない机に、古ぼけて傷のついた椅子。
誰かが生活していた部屋なのだろう。でも、何にもない。空っぽの部屋だ。
家具の類が置いてあるだけで、中身というべきものがさっぱり一つもない。
我知らず二、三歩進み出て、ナイトはもう一度部屋の中を見渡した。
何度見ても、何もない。生活臭とか、誰かの気配とか、そういうのがするものは一つもなかった。
辛うじて中に入って分かったこととしては、ベッドの下に大きめの『陣』が書いてある事だ。勿論、どんなものかはナイトには分からない。
ここまで作って、同胞に見せたかったものというのがこの何もない部屋なのだろうか。
確かに、誰かがいたんだろうとは思う。けど、それだけだ。
それとも、同じ『魔法使い』には何か分かる事があるのだろうか。
ナイトは後ろを振り向いて、待機している三人に声をかける。
「入ってきても大丈夫ですよ。何もありませんから」
本当に、言葉通り何もないのだ。
うきうきとして入ってきたモガやアドも、このがらんとした部屋に驚きを隠せないでいる。
マギサも、分かりにくいが驚いているようだ。彼女もきっと、何かしらがあると期待していたのだろう。
モガやアドは流石に逞しく、何かないかと早速家捜しを始めていた。
「なんだこれ?」
アドが椅子の上においてあった一枚の羊皮紙を見つけ、翳してみせる。
そこには何かしら良く分からない文字のようなものが書いてあった。
最初の方の部屋に居たゴーレムの額に書かれていたものとよく似ている。同じ文字かどうかは、読めないナイト達には分からなかった。
「さっぱりわからんのぅ」
「あ! これ、ねーちゃんなら読めねーかな?」
アドがマギサに羊皮紙を持っていくのを見ながら、ナイトは考えていた。
多分、マギサなら読めるだろう。こんなところに置いてあったのだ、同じ『魔法使い』に対する手紙の類であろうことは想像がつく。
マギサは読める。自分は読めない。
それは、何か、とても距離の遠い事のように思えた。
このままなのは、何だかとても嫌な気がする。
マギサはアドから手渡されたそれを、じっくり読むように目を落とした。
目が文字を追いかけているのが分かる。やっぱり、マギサには読めている。
最後まで読んで目を離したマギサに、アドが目を輝かせて勢い込んで聞いた。
「ねーちゃん! どうだった?」
「すみません、分かりませんでした」
はっきりそう言って、肩を落とすアドに羊皮紙を返した。
嘘が下手にも程がある。
あれほどしっかり読んでいて、分かりませんでしたもないだろう。
ただ、表情が何も変わらない事が幸いしてか、アドは信じたようだった。
傍目に分かりやすく落ち込んでモガの所へ行き、羊皮紙を渡す。
黙って考え込むように下を向くマギサを見ながら、何が書いてあったんだろうと思いを馳せてみる。
普通に話せる事なら、話しているはずだ。アドに意地悪をする理由もないだろう。
遺跡の主の個人的な事だろうか。それとも、『魔法使い』に関する何かだろうか。
両方、という可能性もある。考えれば考えるだけ分からなくなって、放り投げた。
アドとそう変わらない馬鹿な自分が考えた所で、いい答えなどでるはずもない。後でマギサに聞いてみようと思った所で、若い騎士の声が聞こえた。
幻聴だ。ここにいるはずもない。
ただ、胸に何か棘のようなものが残っている。
今まで通りマギサに聞いて、それでいいのだろうか。
『魔法使い』に関わる事は、ひいてはマギサに関わる事だ。それをマギサに聞いてはいお終いで、それで本当にいいのだろうか。
良くはないと、そう思った。
落ち込むアドを励ますように背中を叩いて、モガが話題を変える。
「そうじゃ、ベッドの下に何か文様を見つけたんじゃが。これは分かるかの?」
「出口です」
窺うように尋ねるモガに、あっさりとマギサは答える。
ナイトとアドも顔を上げ、ベッドの下の文様を見つめる。
「出口じゃと?」
「はい。外に出られる場所に転送してくれるはずです。それ以外で、この遺跡を出る手段はありませんから」
マギサに言われ、思い至ったようにモガとアドは唸る。
二人とも探索に夢中で考えていなかったようだが、最初の場所である矢襖の通路に戻った所で出る手段などない。
もしもこの『陣』が外れなら、それこそ遺跡をひっくり返してもう一度探しなおすしかないだろう。
それは流石に、この場にいる誰もが勘弁願いたかった。
「そーいやそーだ! やべーじーちゃん、オレ忘れてた!」
「わしもじゃい! そうじゃ、外に出るなら荷物を持って来んとな!」
「そーいやそーだ! オレ忘れるとこだった!」
二人揃ってどたばたと足音高く部屋を出て行く。
後に残されたナイトとマギサは、静かになった部屋の中で立ち尽くした。
何か話そうにも、どうにも話題が出てこない。
そうしてナイトが手持ち無沙汰にしていると、マギサの方から話しかけてきた。
「もうすぐ、ここを出ます」
「あ、うん、そうだね」
「決まりましたか?」
こちらを向かずに言うマギサを横目に、ナイトも視線を逸らした。
これからどうするか。
遺跡を出るまでには決めておくと、遺跡に入る前にマギサと約束した。
もう殆ど、その答えは手の内にあるような感じがしている。
後は、これを形にするだけだ。
ちゃんと言葉を探して、そこに落とし込まなくてはいけない。
そうしたら、大事な事を伝えられる気がする。
「うん、まぁ、大体は」
「そうですか」
実はそれなりに分かりやすいマギサだが、こういう時は本当に何を考えているのか良く分からない。
ただ納得しているだけにも見えるし、不満そうにも見える。どう対応していいか分からなくて、結局は当たり障りのない形に収めてしまうのだ。
「そういえば、あの怪物……えと、ドラゴンだっけ。どうするの?」
「ここに置いていきます。連れて歩けませんし、いつでも喚べますから」
そっか、と頷く。
当たり前の話で、考えるまでもなくあんな巨体連れ歩けるわけもないし、大騒ぎどころじゃすまない。
『使役』がどういうものか分からなかったので聞いてみたが、どうやら離れていても問題ないらしい。
マギサの言い方だと、魔法でいつでも呼び出せるのだろう。あんなものがいきなり出てこられたら、たまったものじゃない。
つくづく、『魔法使い』が世界を支配していたのがお伽噺でないことを思い知らされる。
話す事もなくなって、視線を泳がせた挙句ベッドに行き着いた。
「二人が戻ってくる前に、ベッド動かしておこうか」
「そうですね」
ベッドを持ち上げて壁に立てかけ、邪魔にならないところに移動する。
思ったとおり殆ど木枠だけのベッドは軽く、ナイト一人で簡単に動かせた。
丁度ベッドを動かし終わった頃合でモガとアドの二人が荷物を抱えて帰ってきた。
「にーちゃん! 持ってきてやったぞ!」
「あ、ありがとう」
恩着せがましく渡してくるアドに礼を言って、収まりがいいように調整して背負う。
この熱さで水や食料が腐ってない事を祈りながら、後で中身を確認しようと決めた。
「おぉ、ベッドをどかしておいてくれたのか! 助かったわい」
「いや、別に大したことじゃないです。行きましょうか」
モガが悪戯そうにアドに笑い、アドが悔しそうに顔を歪める。
アドを思えば恩着せがましくした方がいいのかもしれないが、性に合わないことをするのは疲れるのだ。
ただでさえドラゴンと斬ったはったをした後に、そんな体力は残っていなかった。
苦笑しながら陣の上に乗ると、置いていかれまいとモガとアドも乗ってくる。
最後にマギサが乗って、小さく杖で床を叩いた。
『陣』が起動し、薄っすらとした光が足元から溢れて来る。
慄きながらも興味深そうにするモガとアドにかまわず、光はゆっくり立ち上ってくる。
その光が全員の全身を包み込んだ時、意識がふっと途切れた。
それは、あの行き止まりの先、階段が変化し滑った果てに感じたものと同じ感覚だった。




