第二十四話「遺跡・その4」
やはりと言うべきか、『遺跡』の中は仕掛けだらけだった。
先に進めば進む程、新たな仕掛けが出てきてナイト達に襲い掛かってくる。
緩やかな下り坂の通路を進めば巨大な岩が後ろから追いかけてくるわ、狭い小部屋では左右の壁が迫ってくるわ、と惨憺たる有様だった。
細い路地のような通路では前触れもなく落とし穴が口を開け、何故か調度品のある休憩室のような広い部屋では天井から槍が降ってきた。
どれも間一髪で助かっているものの、マギサの『魔法』に頼った所もある。というよりは、余りに意地が悪く容赦のないその罠は、まるで『魔法』の使えないものを徹頭徹尾排除しようとしているかのようだった。
岩に追いかけられた時は何も仕掛けらしきものを踏んでいなかった。マギサによれば、人を感知するような『魔法』がかけられていたらしい。
それ以外にも、壁が迫ってきた時はどう考えても人間の背では届かないような場所に解除装置があったし、底の見えない落とし穴は前振りも何もなく開いた。上に載った重量で開閉していたらしく、モガが乗ってから開いたせいで、ナイトはあわや落ちる所だった。
ともあれ、ナイト達の気が緩んだ間隙を突くかのような罠の数々に、一行はかなり疲弊していた。
マギサだけは表情が変わらないので良く分からないが、『魔法』を数度行使している。どれも大した規模ではないが、疲労が蓄積していないということはあるまい。
ナイトはといえば、額に薄っすら滲む汗を拭う事すらやや面倒になってきている。森の中を歩く時とは違う、得体の知れないものとずっと対峙しているような感覚。
余り馴染みのないそれに、神経は磨耗していた。
モガも年のせいもあってかなり疲労しているはずだが、足取りはしっかりしている。念願の『遺跡』を探索しているということもあってか、下手をすると精神的にはナイトよりタフかもしれない。
アドはめっきり口数が少なくなっていた。子供の体力は底なしに見えて、実際は大人よりも少ない。弱音を漏らさずついてきているだけ、根性があるというものだ。
明らかに命を取りにきている厭らしい仕掛けの数々を潜り抜けて、ナイト達はひたすら奥へ奥へと進んでいく。
何本もの通路を過ぎ、幾つもの部屋を通った果てに、
行き止まりに辿り着いた。
情け容赦なく、全く無慈悲に壁が立ち塞がっていた。
目を皿のように探しても、隈なく手探りで探しても、それはただの壁だった。もしやと思ってマギサにも触ってもらったが、何の反応もしない。
分岐はもう行き尽くした。というより、途中からはほぼ一本道になっていた。
他を探そうと思えば、また時間と労力をかけて戻るしかない。
一応、突き当たった場所はどこも詳しく調べたはずだ。今いる最奥と思しき場所以外は全て小部屋が終着点となっていて、がらんとした何もない空間だった。
戻ったとして、何か抜け道がある可能性は低い。
これにはナイトも腰砕けになりそうになった。モガやアドではないが、ここまでやってきた結果がこれでは余りにもあんまりだ。
壁に手をついて、気を鎮めるように深呼吸する。
あれだけ隠して、散々仕掛けも用意して、何もありませんなんて実に悪意的だと思う。そんなことだから悪役として語り継がれてしまうのだ。
振り返れば、モガもアドも疲れきったように座り込んでいる。
無理もない、殆ど気力だけでここまで持ったようなものだ。多少なりと休まなければ戻る体力も残っていないだろう。
マギサの姿を探せば、少し離れた位置で壁に背中を預けていた。
ナイトも同じように壁に背中を預けて一息ついた所で、ふっと頭に浮かんでしまった。
――どうやってこの遺跡から出ればいい?
考えてみればそうだ。ここから最初の矢襖の通路に戻ったとして、そこからどうすれば出られるのか。
入り口を潜って階段を下りていたら訳の分からない場所に飛ばされたのだ。戻る方法がさっぱり分からない。
すっかり忘れていた。どうやって来たか分からないなら、どうやって戻れるかも分かるはずもない。当たり前の事だ。
どうしよう。どうすればいいんだろう。
頭がぐるぐると空転をし始めた時、閃くものがあった。
マギサなら、なんとかできるかもしれない。
流石にこの事態は自分の手に、どころか誰の手にも余ると思う。余りいいことではないが、『魔法』ならなんとかできるかもしれない。
目には目を、『魔法』には『魔法』だ。
なるべくさり気なさを装ってマギサに近づき、モガやアドに聞こえないように小声で打診する。
「あの、マギサ、ちょっと」
「何ですか」
返す言葉に、ほんの少し冷ややかさと棘を感じるのは気のせいだろうか。
ともあれ、今はそれどころではない。何とかしないと、このまま『遺跡』の中で餓死することになりかねない。
何とかするのが自分でないのが情けないが、気にしないようにして話を続けた。
「その、遺跡から出る方法ってある?」
マギサはちらりとこちらを見、黙考し始めた。
我ながら拙い質問だったが、どうやらマギサは理解してくれたようだ。
こうなると、ナイトにできることは待つことだけだ。それにしても、とナイトは思う。
こういう時、マギサはいつもすぐに答えを出してくれていたような気がする。自分が考えるようなことは既に考えていたりするのかなと思っていたが、毎回そういうわけではないらしい。
以前服を繕ってくれた時もだが、何でも出来る訳じゃない所が見えると、何となく嬉しくなる。
マギサだって普通の女の子なのだ。そういう所を皆に分かって貰えれば、逃げ回る必要もなくなるんじゃないかと思う。
それ自体が夢想だということくらい、分かってはいるのだ。
マギサが顔を上げて、真っ直ぐにナイトの目を見つめる。
「……正規の方法以外で出るのは、危険だと思います。何か対策をしてあった場合、私よりもこの遺跡を作った『魔法使い』の方が実力は上ですから」
何が起こるかわからない、ということだろうとナイトは受け取った。
いや、それはまだ大人しい発想で、何かとてつもなく悪いことが起こると考えた方がいいかもしれない。
だがしかし、現実は非情だ。
目の前の行き止まりがいきなり開けたりはしない。
正規の方法というのが出口を見つけることなら、存在しないということになりはしないか。
一応念の為、ナイトはマギサに尋ねてみた。
「正規の方法って?」
「遺跡から出る為に、用意された手段があるはずです」
マギサの言ったことを、ナイトは足りない頭で噛み砕いてみる。
「それは、その……こう、見た目は分からないけど、外に繋がる出口があるってこと?」
「そのはずです」
マギサが頷いたのを見て、ナイトはほっと胸を撫で下ろした。
どうやら、全くの勘違いではないらしい。
となると、その見た目不明の出口を探すしかない。多分、これも自分達では分からず、結局はマギサに判定を任せるしかなくなるだろう。
つくづく、『魔法使い』以外お断りという作りだ。
ここまでしておいて、やっぱり何もないというのは不自然だと思う。
絶対に何かある。
同族以外には見せたくない、同族だけに遺した何かが。
まるで話が途切れるのを見計らっていたように、モガが重い腰を上げた。
「さて、それじゃあ戻ろうかの」
休憩は終わりというように、モガは太股を叩いて荷物を背負い直す。
その声からは気負いというものが感じられず、ナイトは驚いてモガの方を向いた。
背中の荷物の位置を調節しながら、老齢の冒険家は視線に気づいて歯を見せて笑い返した。
「諦めるのはもう少し探してからでも遅くはないと、わしは思うんじゃがの」
まるでその諦めの悪さを恥じ入るような、はにかんだ笑み。
少しだけ呆気に取られて、ゆっくりとナイトは顔を綻ばせた。
我侭で往生際の悪い人が、ここにもいた。それは、何だか少し救われた気になった。
壁から背中を離して、剣の重さを確認する。
子供の頃からずっと振り回している、倉庫に放り捨てられていたなまくら。
何一つすぱっと切る事のできない、自分と同じ類の相棒。
「そうですね。僕もそう思います」
モガに頷き返して、目線でマギサを促す。
マギサも壁から背を離し、アドも立ち上がって荷物を抱え直して、来た道を戻り始めた。
仕掛けがないかと気をつけてはいたが、疲労もあって見落としていたかもしれない。
改めて何かないかと、あちこちを気にしながらゆっくりと歩く。
そうして行き止まりから戻って幾許も経たない内に、ナイトは妙な事に気づいた。
向かって左手側の壁の一部が、微かに熱くなっている。
他の部分と触り比べてみるが、間違いない。じんわりとであるが、熱を感じる。
来た時とは違い、仕掛けがないかと壁に手をつきながら探していたから分かった。これは確かに、仕掛けに怯えながら進んでいれば分からない。
人の心の死角を突く隠し方は、実にこの遺跡の主らしい。
何事かと覗き込んでくるモガとアドに振り向いて、壁を指し示した。
「この辺りだけ、妙に熱いです。多分、何かあると思うんですけど」
眉を上げたモガが試しに触って、感嘆の声を上げる。
「おぉ、確かに! 不思議じゃなぁ」
「おー、あったけー!」
脇の下を潜り抜けるようにしてアドも壁に触って、目を丸くする。
その様に苦笑しながら、ナイトはマギサに視線を送った。
もしかしたら、何か出口に繋がるものかもしれない。それが分かるのは、マギサだけだ。
ナイトの視線を受けて、マギサも壁に近寄ってそっと触れる。
壁が、仄かに光を放った。
最初の行き止まりで入り口ができた時と同じ、『魔力』に反応する仕掛け。
内在しているだけの普通の人ではなく、自在に操る『魔法使い』にだけ開けられる扉。
ナイト達には全く理解できない、ある種の規則的な動きで壁が口を開ける。
人一人通れるくらい開いた壁の向こうは、明かり一つない真っ暗な空間だった。
カンカン照りの日に吹く風のような、生温い空気が流れ込んでくる。
じわじわと炙られるような熱気が纏わりつき、ほんのり汗が滲む。
壁一枚隔てた温度差に、ナイトもモガも少しだけ怯んだ。
「なん……これ、何でしょうね……?」
「さぁの……嬢ちゃんは何か知らんか?」
モガに話を振られ、マギサは小さく首を横に振った。
とりあえずは、先に進む道は開けた。ナイトはモガと顔を見合わせ、引きつった笑みを浮かべる。
「行きます、か?」
「それしかないじゃろなぁ」
好々爺然とした笑みも、苦味が深ければ別の意味に思えてくる。
まず間違いなく、ろくなものじゃない何かが待ち受けているのは明白だった。
それでも、『遺跡』から出るにしたってこの先に進まなければならないだろう。
この『遺跡』の主は、もしかすると『魔法使い』以外は生かして帰す気がないんじゃなかろうか。
そう突飛とも思えない自分の発想に乾いた笑いを零し、ナイトは先陣を切って真っ暗な空間に足を踏み入れた。
少なくとも、何も見えない内に罠などありませんように、と祈りながら。
※ ※ ※
真っ暗で足元すら見えないという死活問題は、マギサが杖に光を灯すことによって解決した。
最後に入ってきたマギサが明かりを灯したのを見て、始めからそうしてもらえばよかったとナイトは後悔した。
ただし、何かしらの対策はやはりされているようで、マギサが作った光はナイトの足元までを薄っすら照らすので精一杯だったようだ。
それでも、何も見えないより遥かにマシである。
暗闇の中を慎重に、一歩一歩、恐る恐る進む。亀のような遅々とした歩みだが、遺跡の主の性格の悪さは身に染みている。
こういうところに取り返しのつかない罠を仕掛けていても、最早誰も驚かない。
壁を開けた時に感じた蒸し暑さは、先に進む毎に酷くなっていった。
雨の降らない日が一ヶ月続いたって、こんなに暑くはならない。蒸し焼きにされそうで、むしろこれ自体が罠かと勘繰る程だ。
早くどこかに着いてくれと願うまでもなく、終わりは意外と早く来た。
暫く歩くと突き当たり、マギサの光で照らしてみると、取っ手のついた扉があった。
試しにナイトが触れてみたが、火にかけた鍋と同じくらい熱かった。全く我慢できないとは言わないが、できれば素手で触りたくはない。
ナイトは全員の顔を見回して、扉の取っ手を一瞥する。
「……いい、ですか?」
全員が頷くのを確認してから、引っ張って伸ばした服の袖ごと取っ手を握る。
深呼吸をして、勢いをつけて扉を開けた。
煮え滾る溶岩と、その上を渡る土の一本道と、道の先を塞ぐ巨大な蜥蜴のような何か。
扉を開いた先は広い土の地面があって、ナイトの村の畑が三つは入る。先には大人が二人は横になれるくらいの幅の一本道があって、そこから窺える地面の下には気泡と音を立てる溶岩が満ち満ちていた。
熱いなんてもんじゃない。こんなとこにいたらすぐにでも干上がってしまいそうだ。産毛がちりちりと焼けるような感覚がする。
そして、更にその一本道の先。
巨大な蜥蜴としか言いようがない、遠近感が狂いそうになる怪物が身を伏せていた。
ごつごつとした岩のような肌に、真っ赤な線が何本も走っている。
顔を染める紅は文様のような形をしており、頭頂部から後頭部側に向けて二本の角が生えていた。
背中には、薄っすらと朱色に染まった翼。鳥よりは、蝙蝠のものに近いだろうか。
知性すら感じる切れ長の瞳に捕捉されたのを、ナイトは感じた。
火傷しそうなほど熱いのに、一瞬震えるほどの冷たさを覚える。
巨大な怪物が、翼を広げ四つ足をしっかり踏みしめて、こちらに向かって大口を開けた。
鼓膜を劈くような、獣のものともそれ以外ともつかない咆哮。
意識ではどうにもならない本能が恐怖する。圧縮された空気が吹き付けられ、伝わる震動で心ごと体が震える。
怯えるな、という方が無理がある。
殆ど何も考えず、反射的にナイトは扉を閉じた。
いつの間にか息をするのさえ忘れていたようで、飛び跳ねる心臓に必死になって空気を送り込んだ。
噴き出す汗は、果たして冷や汗なのかどうか、最早自分にも分からない。
浅い呼吸を繰り返して、ようやく落ち着いた所で仲間の顔を見る余裕が生まれた。
顰め面のモガと、俯いているアドと、無表情ながらじっと扉の向こうを見つめるマギサ。
間違いなく、ここが最後の関門だ。
あの怪物の後ろに、多分追い求めたものがあるはずだ。
だが、あんな化け物相手にどうやって立ち向かえばいいのだろうか。少なくとも、人間がどうこうできる存在だとは思えない。
あの若い騎士だって、アレの前には成す術などないだろう。そのくらい、生物として圧倒的な差がある。
アレこそが、かつての『魔法使い』が使役した魔物なのだろう。以前戦った『ウトリ・クラリア』が所詮は番犬代わりなのも頷ける。
あの植物の魔物と比べても、アレは桁違いだ。意地とか何とか、そんなものでどうにかできる範囲を軽く超えていた。
そうなると、解決策など一つしかない。
ナイトが送った視線に気づき、マギサが無言で見つめ返してくる。
『魔法使い』以外お断りの遺跡の中で何とかする術を求めたなら、それは『魔法』以外に有り得ない。
唾を飲み込んで、腹を括る。
『魔法』に頼ることは避けたかったが、そんなことも言っていられない。そして、どんな『魔法』を使うにせよ、盾というか時間稼ぎの囮はいるだろう。
無事で済むとは思わなかったが、やるしかなかった。
できればマギサに守りの『魔法』をかけてほしかったが、それより前にやるべきことに気づいて視線を向けた。
どうにも難しい顔をしている冒険家二人の説得だ。
万一の時と、マギサの正体がバレない為に、二人には大人しく待っていて欲しい。
いや、万一の時は多分どちらにせよ駄目なのだが、マギサの正体に関しては違う。
あの怪物と戦う為には、『魔法』がどう考えても必須になる。流石に目の前で『魔法』が使われれば、疑問に思ってしまうのは当然だ。
勿論、どんな側面から考えても教えるわけにはいかないし、誰かに話されるわけにもいかない。口封じをしたいが、それにしたって理由もなく黙っていてはくれないだろう。
あの怪物との戦いが危険なことには違いないし、『魔法』も見せたくない。
全てを穏便に叶えるには、二人にここで待機してもらう他ない。
だが、好奇心の塊かつこの冒険の主役である二人が大人しく言うことを聞いてくれるだろうか。
おそらく無理だ。いや、無理じゃ駄目なんだけど。
どうにか説得する言葉を探して視線を泳がせるも、ナイト自身が冷静になりきれていない状況では望むべくもなかった。
巨大な魔物に気をとられ過ぎて、思考が上手くまとまってくれない。
大して頭も良くないのだ、時間をかけた所で良い案が浮かぶ可能性は低い。
とりあえず駄目で元々で、言ってみることにした。
「見えたかどうか、ちょっと分かんないんですけど。とんでもない化け物がいました。声は聞こえましたよね?」
「あぁ、一応見えたのぅ」
頷くモガに胸を撫で下ろして、ナイトは言葉を続ける。
あの怪物を見たのなら、今から言うことにも納得してもらえるだろう。
「ちょっと、その、アレは危険とかいうのを飛び越してます。僕とマギサで何とかするので、二人はここに居て貰えますか?」
「……まぁ、それが賢明かの」
どこか意味深にマギサを一瞥して、モガは目を伏せて溜息を吐く。
一瞬、それまでとは別の意味で心臓が跳ねた。
はっきりした事は分からないが、もしかしたらモガは何か察しているかもしれない。頭に浮かんだそれを、小さく首を振って振り飛ばした。
怪物の事もあって、神経質になっているせいで何もかも怪しく見えるんだ。思い過ごしだと、気にしない事にした。
兎にも角にも了承してもらえたのだ、問題はない。ナイトはもう一人の冒険家であるアドの方に視線を向けた。
「アドも、それでいいかな?」
ナイトの声も聞こえないようにアドは考え込むように俯いて、うんともすんとも言わない。
困ったように黙り込むナイトを見かねてか、モガが声をかけた。
「アド、どうじゃ?」
祖父の声に反応するように、アドは顔を上げる。
その目は、しっかりとナイトを見据えていた。
「何とかって、にーちゃんとねーちゃんでどーすんだ?」
「え? あー……それは、その、何とか」
まるで答えになっていないナイトの返事に、アドは眉を顰めた。
ちらりとマギサを見て、ナイトに向かって話を続ける。
「ねーちゃんの魔道具でなんとかすんなら、にーちゃんも行かない方がいーんじゃねーの?」
痛いところを突かれた。
確かにマギサ頼りではあるものの、ナイトが居て無意味ということはないはずだ。
『魔法』は万能ではない。もしもの時の対策としても、『魔法』の選択肢を広げるという意味でも行かない方がいいということはないだろう。
それをどう説明したらいいかは、ナイトには分からなかった。
「いや、まぁ……ほら、囮とか、やることはあるし」
「囮なら、数がいた方がよくねーか?」
ぎょっとした。
見下ろせば、アドがいやに真剣な表情で見上げてきていた。
言わんとすることは分かるが、危険なんてものじゃない。
翻意させるべく、ナイトは必死に口を動かした。
「いや、でも、一応二人よりは僕の方が強いし、」
「あんな怪物相手じゃ強かろーが弱かろーが同じだろ。どの道襲われたらひとたまりもねーよ」
「それは、その、そうだけど。冗談じゃなく死ぬよ?」
「そりゃ、にーちゃんだって同じだろ」
唇を噛んで放たれたアドの言葉に、ナイトは何も言えず押し黙る。
ナイトを見据えたまま、アドは目に力をこめてモガに聞かせるように言う。
「じーちゃんに言われた事、オレめっちゃ考えたんだ。これからどーすんのか。あん時はにーちゃんが助けてくれたけど、いつもそーなるとは限らない。きっと、呆気なく死ぬときだってある。だから、オレすげー考えたんだよ」
嘘も偽りもなく、素直な言葉が叩きつけられる。
口を挟むこともできず、ナイトはアドから目を逸らすこともできない。
横にいるモガも、金縛りにでもあったように動けずにいた。
「オレのとーちゃんとかーちゃんは、魔物に殺された。村じゃすげー珍しいことで、話題にもなって、騎士団がすっ飛んできてその魔物は殺された。そんで、オレはとーちゃんの友達に引き取られた」
魔物は、極稀にではあるが人里近くに出ることもある。
騎士団としては、そんな事態は放っておくわけにはいかない。おそらく、最優先に処理すべき任務としているはずだ。
でもそれで、死んだ人が還ってくるわけではない。
「別に生活に不満はなかった。でもさ、大体二年が過ぎると、誰もとーちゃんやかーちゃんの話はしなくなる。三年過ぎたら思い出になって、五年が過ぎる頃には皆忘れてた。思い出すのも面倒くさいみたいに」
無理のない事だ。
いつまでも死者を悼んでばかりもいられない。
毎日の生活があって、それだって必死で、天候や災害次第では明日の暮らしを考えなくてはいけない。
村育ちのナイトには、それは痛い程理解できた。
しかし、父と母を失った幼いアドに、それはどう映っただろうか。
「仕方ねー事だ。死人は働いちゃくんねーし、村は裕福でもなかった。だから、そんとき思ったんだ。『あぁ、そーゆーもんなんだ』って。人が死ぬって、そーゆーことなんだって。いつかきっと、オレもそーなるんだって」
その時アドが理解したのは、一体何だったのだろうか。
そんな経験をしたことがないナイトには、よく分からなかった。
でも、きっと、父が死んだときと似たような感覚だったのではないかと思う。
痛みと辛さと共に沸き起こる、妙な納得感。
いつかを、なんとなく考えてしまう感覚。
アドの目は祖父とよく似ていて、諦めの悪さを如実に示していた。
「じーちゃんがすげー久々に村に帰ってきたのは、そんな時でさ。どーする、ってオレに聞いてきたんだ。ついてくるか、村に残るか。そんで、オレは選んだ。そんときの気持ちは、今もずっと変わってねー」
そこで初めて、アドはモガの方を向く。
そしてすぐにナイトに視線を戻して、最後の言葉を告げた。
「いつかが必ず来るなら、オレはやりたいことやる。いつかを遠ざけるより、満足して生きてー。オレはバカだけど、何が気持ちいいかくらいは分かるから」
言い切って、アドは返事を待ち構えるようにナイトを見据える。
何を言えばいいのか、ナイトには分からなかった。
アドの言うことを否定するのも、ダメだと切り捨てるのも難しい事じゃない。
けれどそれをしてしまったら、大事なものを失ってしまう気がする。
アドのその気持ちは、自分がマギサを助けようとしている気持ちとそう変わらない。
嫌だから、したいと思ったことをする。
それを後生大事に抱え込んだから、それまで後生大事に抱えていたものを手放す羽目になったのだ。
アドが今話してくれたのは、それと同じものだ。
諦めも往生際も悪い自分を思えば、どうしてアドに引っ込んでいろと言えるだろうか。
かといって、今度の相手はそれこそ生半可ではない。
守りの『魔法』にしても、一人にかけるか複数にかけるかではマギサの労力もまるで違ってくるだろう。
今度は逆にナイトがうんともすんとも言えなくなっていると、
「いいんじゃないでしょうか」
ナイトだけでなく、モガとアドも驚いて振り向いた。
今までずっと無言だったマギサが、三人の視線を受け止めて口にする。
「ここも熱気が凄くて安全とは言い難いですし、何が起こるか分かりません。いっそ一緒に居た方がいいと思います」
一理はある。
あるが、マギサにしては珍しく反論のしようがある話だ。
とはいえ、追い詰められていたナイトにしてみれば、縋るのに十分な理屈だった。
しかし、それはつまり二人の目の前で『魔法』を使うということであり、あの怪物に耐え得る守りをマギサも含めて四人分かけるということでもある。
ただでさえここに来るまでも『魔法』を何度か使っているのだ。また気を失ってしまうかもしれない。
マギサを案じて、ナイトが確認を取る。
「……大丈夫?」
「問題ありません」
今度こそすぱっと答えられ、ナイトは言葉にならず口の中に漂ったものを飲み込んだ。
囮は数が居た方が良いというアドの言い分も、一緒に居た方が良いというマギサの言い分も、両方とも一理あるのには違いない。
心配してばかりでもどうにもならないし、ナイトにしろマギサの魔法がなければ一瞬で肉片になってしまうだろう。
踏ん切りをつけるように息を吐いて、自分と同じ意見だったモガに目を向ける。
「あの、すみません。皆で一緒に行きませんか?」
「まぁ、わしだけ残されても寂しいしのぅ」
口元を吊り上げるモガに苦笑を返して、ナイトは剣の鞘を握る。
ともかく決まったからには、それで何とかしなくてはならない。
マギサに向き直って、モガとアドにも視線を配った。
「さて、それじゃ作戦を立てましょう」
いくら『魔法』があるからと、あの怪物に無策で突っ込むのはバカを通り越して無謀だ。
四人揃っての頭をつき合わせての作戦会議が始まった。
勿論、主に考えて発案したのはマギサであるのは言うまでもなかった。




