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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
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第二十三話「遺跡・その3」

 矢襖の通路を無事に抜け、四人は突き当たりまで辿り着いた。

 念の為に壁を調べてみるが、特に仕掛けは見つからない。左右に伸びる通路は暫く先で折れているのか、何があるのか見通すことができなかった。

 どちらに行くべきか、判断がつかない。マギサと顔を見合わせ、ナイトは判断を仰ぐようにモガを見た。こういうのは、リーダーの役目と相場が決まっている。

 モガは少し悩み、


「一先ず、左に行こうかの」


 何かしらに突き当たれば戻ってみよう、と言い添えて、モガは頷き返した。

 今度こそナイトを先頭に、モガ、アド、マギサの順で通路を進む。横に並ばないのは、邪魔にならないよう、何かあったときに後ろの人だけでも逃げられるようにだ。

 逆を言えば、後ろに何かあっても前の人が逃げられるように、でもある。

 危険がつきまとう場所を歩く時の、身を守る為に編み出された方法論。


 通路を進めば、突き当たって左に折れていた。角からこっそり顔だけ出して確認する。

 折れてすぐに扉があった。見回してみるが、妙な仕掛けも見当たらない。

 勿論、目に見えて分かる仕掛けばかりとは限らないが、そんなことを言ったら一歩も進めなくなってしまう。

 後ろの三人に目で合図し、警戒しながら角を曲がる。

 何事もなく扉の前に辿り着き、ナイトはもう一度後ろを向いて目で確認を取った。

 三者三様の肯き方を受けて、ナイトが扉に手をかける。


 小さく開き中を確認しようとすると、どこからか空気が抜けるような音が聞こえた。

 微かに酸っぱさのある異臭もする。出所を確かめようと扉の隙間に顔を突っ込んで中を見てみるが、特に何もない小部屋だ。


 臭いが強くなる方を確認しようとして、嫌々ながら少し強めに嗅いだ。


「げほっ、ごほっ」


 思わず咳き込み、一旦離れようと下がった所で、それが来た。

 地面が揺れているような感覚。

 足元が覚束無くなり、視界も滲んで揺れていく。

 猛烈に気分が悪くなり、吐き気を覚える。立っているのも辛くなり、口元を押さえて片膝をついた。


 何が何だか分からず困惑していると、マギサが凄い勢いで前を通り過ぎた。

 小部屋の扉を体当たりでもするように閉め、いつもの構えで杖を振る。

 すると、それまでの苦しさが嘘のように消えてなくなり、地面も視界も揺れなくなった。

 唖然(あぜん)としたまま立ち上がり、マギサを見やる。

 マギサはいつもの無表情のまま、少しだけ息を切らせて言った。


「今のは空気毒です。吸い過ぎれば、死にます」

「くっ、死っ!?」


 どういうことか理解できず、ナイトは単音で聞き返す。

 空気毒とは、マギサ曰く言葉そのままの毒の空気のことらしい。

 通常の毒と違って目に見えず、臭いも無臭なものまであるらしい。

 吐き気を伴うものは死に至るまでやや時間がかかるが、その分多量に摂取すれば間違いなく死亡するとのこと。今回のは微かだが臭いがある分、まだマシだったようだ。


 話を聞いている間、ナイトは背筋が冷たくなりっぱなしだった。

 マギサが居たから良いようなものの、そうでなくば間違いなく死んでいた。自分から嗅いだりして、間抜けとしか言いようがない。

 迂闊だった。アドに何か言えた義理じゃない。

 深く深くため息を吐くと、心配げなアドと目が合った。

 やや口元を引きつらせながらも無事を示すように笑ってみせ、眉をハの字にしたモガに向き直る。


「見た限りだと、何もなさそうです。また空気毒が漏れても嫌ですし、戻りましょう」

「おぉ、そうじゃな……体はもう平気か?」

「えぇ、はい、マギサのお陰で」


 自嘲気味に苦笑してみせ、ナイトは通路を引き返す。

 歩けるということを示す為でもあるし、この場から早く離れる為でもあった。

 空気毒なんて、かつての『魔法使い』は本当にとんでもないものを作る。

 そういうとんでもない相手が造った『遺跡』にいるんだと、自覚しなくては。

 改めて気を引き締めなおして、ナイト達は空気毒の小部屋を後にした。



  ※          ※           ※



 また矢襖の通路の突き当たりまで戻って、今度は向かって右手側に進んだ。

 左側の通路を行く時より慎重に、視覚だけでなく嗅覚も気にして歩く。無臭の空気毒とやらが設置されていないことを祈るばかりだ。


 進んだ先は、またしても突き当たって左に折れていた。

 向きとしては左右逆転しているので、矢襖の通路から考えればより奥に向かっている事にはなる。

 再び顔だけ出して、先を確認する。

 左側の通路と同じように、折れてすぐに扉があった。ここまで一緒だと、何かしらの罠があるものと考えてしまう。


 勿論、真っ先に思い浮かぶのは空気毒だ。

 周囲に妙な仕掛けがないことを確認し、後ろの三人に目で合図して扉の前まで進む。

 扉に手をかければ、嫌でもさっきの事を思い出す。今度は異常を感知したらすぐさま扉を閉めようと心に決めて、ゆっくりと押し開けた。

 変な臭いも空気が抜けるような音もしなかった。


 小さな隙間を作って顔を突っ込ませ、中を確認してみる。

 長方形のような形の部屋で、向かって右手側に広く空間が続いている。逆に左手側はすぐに壁になっていた。

 目に付く範囲には扉はなく、おそらくは右手側の奥の方にあると思われる。特に注意すべきものもない殺風景な部屋だったが、右手側に続く空間に銅像のようなものがあった。

 遠目では良く分からないが、人を()した姿をしているように思う。他に見当たるものも異常もなく、ナイトは後ろを振り向いた。

 間髪入れず、真剣な顔のモガが尋ねてくる。


「どうじゃ?」

「右側に長く伸びた形の部屋になってます。扉は多分、右奥の方に。遠目に銅像……だと思うんですが、それがあるくらいで、他には何も」


 ナイトの報告に頷き、モガは後ろの二人を見やる。

 特に問題なく頷き返され、モガはナイトに向き直った。


「先に進もうかの。何があるか分からんから、慎重に」

「はい」


 モガに頷き返し、ナイトは扉を大きく開いて足元に注意しながら中に入る。

 入ってみて分かったが、部屋はかなり広く、天井はナイトの身長の優に五倍はあった。

 奥行きもかなりのもので、アバリシアのバールの店よりも広いかもしれない。

 右手側に続く空間も、薄暗さと相俟って向こう側が見通せない程だ。

 床や壁に仕掛けがないか確認しながら、空間が続く右手側の方に進んでいく。

 神経が削り取られていくような感覚がするが、何かあってからでは遅い。早々マギサに頼ってばかりもいられないし、何より発動したらお終いな罠もあるかもしれない。

 ゆっくり息を吐いて疲労を逃がしながら、像のあるところまで足を進めた。


 遠目に見たそれは、確かに人の姿を模した銅像で間違いなかった。

 いや、材質が不明なので銅像と言っていいのかは分からない。ともかくもその人の姿を模した像は、大雑把な間隔と適当な配置で五体程並んでいた。

 どの像もナイトの三倍は大きく、男の戦士を象ったと思しきもので、余りに雑な置き方にやや哀れにさえ感じてしまう。この『遺跡』の主は、この像が嫌いだったのだろうか。それとも、こういうのがかつての『魔法使い』の芸術性というやつなのだろうか。

 五体の像を横目に通り過ぎようとした時、アドが普段に比べれば小さめに声を上げた。


「あっ! あの像だけ、額に何か書いてある!」


 その声につられるように、全員がアドの指差す真ん中の像の額に目を向けた。

 そこには確かに、他の像にはない何らかの文字のようなものが書いてあった。

 とはいっても、何が書いてあるか分からない。そもそもが、この中の面子でマトモに文字が読めるのはモガとマギサくらいなものだ。

 そのモガも、何が書いてあるのか読めなかった。少なくとも、自分が知る文字ではない。

 まさにそういうものを求めて冒険しているモガが興味を持つのは、当然の事だろう。

 吸い寄せられるように一歩近づいて、


「だめっ!」


 マギサの鋭い制止に驚き立ち止まるも、一手遅かった。

 モガが近づいたのが切っ掛けだったかのように、額に文字の書いてある真ん中の像が動き出す。

 手を伸ばし足を踏み鳴らして、その像はまるで人間のように身を起こした。


 余りの驚きに開いた口が塞がらないモガの前に躍り出て、ナイトは巨大な像に向かって身構える。後ろでは同じようにアドが口をあんぐり開け、マギサが杖を構えていた。

 ナイトとて、何がなんだか分からない。分からないが、今までの事を考えれば悠長に構えていい相手じゃない。相手は自分の三倍は大きいのだ、無防備な所を襲われでもしたら溜まったものではない。

 予想通り、動く像はナイト達に向かって一歩近づき、その巨大な拳を振り下ろした。

 一歩で詰める距離が大きすぎて、間合いを計りかねる。だが、動きそのものは鈍重なおかげでナイトはその拳を大きく後ろに跳んでかわした。


「モガさん! アド! 下がって!!」


 切羽詰った叫びに、モガとアドがようやく我に返る。

 慌てた様子で足をもつれさせながら、二人して壁際へと避難するのを見届けて、ナイトは動く像に向き直った。

 動きは遅い。先程振り下ろした拳を上げるまでの間に、モガとアドが避難するだけの余裕があったほどだ。

 とはいえ、拳を振り下ろした先は地面が凹んでいるし、巨体が踏み出す一歩はこちらの数歩分は余裕である。


 改めて周囲を見回せば、部屋の広さも絶妙だ。天井が高くて像の動きを制限しないし、横の広さはそこそこに限りがあって逃げ切ることもできない。

 奥へ向かって逃げれば何とかなるかもしれないが、その間は動く像以外を警戒する余裕なんかないし、そもそもモガやアドは下手をすると追いつかれかねない。

 どの道自分が殿をするしかないが、逃げながら巨大な像と渡り合うのはちょっと考えたくはない。

 あの若い騎士なら、そのくらいのこと難なくこなすかもしれないが。


 小さく息を吸って、吐く。

 何にしろ、無事にここを乗り切るにはどうにか目の前の動く像を倒すしかない。

 覚悟を決めて剣を握ると、真後ろに誰かの気配を感じた。


「ナイトさん、どうしますか?」

「倒すしかないよ」


 真後ろから聞こえるマギサの質問に、振り向きもせずに答える。

 動く像は、再び拳を振り上げていた。

 どう見てもこちらを逃がしてくれるつもりはなさそうだ。淡い期待を放り投げて、ナイトは両足を広げて力を込める。


「マギサ、あれは何?」

「ゴーレムです」

「ゴーレム?」


 聞き返すナイトに、マギサが小さく頷き返す。

 その杖には、ゆっくりと魔力が集まりつつあった。

 目に見えない何かが渦を巻くような、いつもの感覚を背中に感じつつ、ナイトは動く像との間合いをはかる。

 モガとアドがこちらを注視しているであろう状況で『魔法』は使いたくなかったが、身の安全が最優先だ。いざとなったら止むを得まい。


「一種の魔道具です。込められた『魔力』が尽きるまで、定められた命令を実行し続けます。余り応用が利かないので、単純な命令しか受け付けません」

「魔物じゃなくて?」

「違います。性質的には似ていますが、より道具として扱いやすくなっています。ですから、有効な対処法も存在します」


 道具としての扱いやすさは、即ち簡単かつ安全に利用できるということでもある。

 それはつまり、いざという時も簡単かつ安全に処理できるということを意味する。

 ゴーレムもまた、その例に漏れず簡単な処理方法があった。


「それって――」


 何、と聞こうとしたところで、風が鳴った。

 振り下ろされたゴーレムの拳を紙一重でかわし、風圧に持っていかれそうになる。

 凹む地面に足をとられそうになりながら、渾身の力を込めて剣を振り下ろした。


 岩か何かにあたったような音を立てて、刃が弾かれた。


 余りの硬さに、刃が通らない。

 叩き切ろうとしても、表面をなぞるばかりで傷の一つもつかなかった。

 まるで小蝿でも払うように、ゴーレムが腕を一振りする。

 たったそれだけで、ナイトは剣を持った腕ごと弾かれ地面に転がった。

 すぐさま飛び起きて、剣を構える。流石に刃が通らない相手と戦うのは初めてで、どうしたらいいのか分からない。

 困惑しているナイトの耳に、マギサの声が飛び込んできた。


「額です! 額の文字の、一番右端を削って下さい!」

「額!? わ、分かった!」


 珍しいマギサの声色に反射的に頷いて、額に目を走らせる。

 読めない文字の右端を確認したはいいものの、刃を弾く相手の額をどうやって削ったものか。文字だけ簡単に取れたりはしないだろうか。多分、しないだろう。

 この『遺跡』の主は、そんなに甘くないということは良く分かっていた。


 そもそも、額にしたってナイトが手を伸ばした程度じゃ届かない位置にある。助走をつけて思い切り跳んでも、剣の切っ先が掠れば凄い方だ。

 『簡単な処理方法』は、あくまでも『魔法使い』にとってであって、普通の人間であるナイトのことなど考えられているはずもない。

 ここは素直に刃が通らないと伝えて、マギサに『魔法』で倒してもらうしかない。そう考えた所で、ふと剣が軽くなったような気がした。

 剣に目をやれば、刃を覆うように風が薄く取り巻いている。動かしてみれば、明らかに普段よりずっと軽く、木の棒でも振っているような感触がした。


 マギサの『魔法』だ。以前森の盗賊相手に使った風の結界の、更に小さい形のようなものだろう。

 ぐっと剣を握り締め、拳を振りかぶるゴーレムの足元に駆け寄って斬りつける。

 今度は刃が通った。これなら勝機がある。


 念の為に全員の位置を確認する。モガとアドは壁際、マギサもかなりの距離をとって杖を構えている。多分、もしものときに『魔法』で対処する為だろう。流石にこの距離からでは、魔力を貯めているのかどうかは分からない。

 ゴーレムは足が斬りつけられたのにも構わず、拳の射程圏内にナイトを捉えようと一歩下がった。

 ナイトも下がって距離をとり、ゴーレムが斜めに拳を打ち込んでくれるよう位置を調整する。斬りつけても反応しないのは好都合だ。痛覚もなく刺激も無視してくれるのなら、額まで無事辿り着けるだろう。


 いつでも動けるように身構えながら、ゴーレムの動きを注視する。

 振り上げられた拳が、三度目となる叩きつけを敢行する。

 直撃どころか、掠ってもかなりの威力を誇る拳を見切り、大きく後ろに下がって回避し、


 打ち下ろされた拳の上に飛び乗った。


 応用も利かず、単純な命令しかできないゴーレムに反射的な動きがあるはずもない。

 対象に攻撃できない腕は放置し、もう片方の腕での排除を優先する。

 そもそもの動きが鈍重なので、腕の上とはいえ避けるのはそこまで難しくない。

 そして、もう片方の腕で攻撃すれば、人と変わらない体の構造をしているのなら顔はこちらのほうを向く。

 一番右端の文字を削るには、もう少し近づく必要がある。殴りかかってきたもう片方の腕に飛び乗り、顔に近づいたところで思い切って跳んだ。


「でぇぇいっ!」


 体ごと捻って剣を叩きつけ、右端の文字を削り取る。


 着地の事は、何にも考えていなかった。


 削り取った右端以外の文字が光りだす。

 ゴーレムの体が震え、土くれのように崩れだした。

 まるで魔力があふれ出すように文字は光り続け、ゴーレムの体が砂のような小さな粒へと変わって床に積み上がっていく。

 ゴーレムは呻きも嘆きもせず、ただそういうものであるように変質していった。


 積みあがった砂のような粒に、ナイトの体は受け止められ埋もれていく。

 ゴーレムの体が全て粒へと変じると、粒は真っ黒な灰へと変わり、『遺跡』の中だというのに風に吹かれるように消えていった。

 後に残ったのは、床に横たわるナイトの姿だけだった。


「ナイトさん!」

「ナイト!」

「にーちゃん!!」


 三人が駆け寄ると、ナイトはむくりと起き上がって周囲を見回し、


「あー……良かった、何とかなったね」


 いつものような、力の抜けた笑みを浮かべた。

 その余りにいつもと変わらぬ様子に、マギサは押し黙り、モガは肩から力が抜け、アドは鼻から息を吹いて笑った。


「にーちゃんって、案外すげーやつだな」

「そう? そんなことないよ」


 どこか照れたように笑うナイトに、アドも笑い返す。

 モガが気を取り直すように、一発咳払いをした。


「ともあれ、危険は去ったようじゃ。先に行くとするかの」


 全員を見回すモガにそれぞれ頷き返して、再び隊列を整える。

 新たな危険がどこに潜んでいるかも分からないのだ。気を緩めるのは全て終わった後の方がいい。

 改めて先に進もうとしたところで、唐突に思い出したようにアドが後ろを振り向いて、マギサに話しかけた。


「そーいや、ねーちゃんってすげーよな」


 突然の事に何を言われているのか意図を理解できず、マギサが首を傾げる。

 この時点でほんの少し、ナイトは胸騒ぎがしていた。


「だってさ、焚き火の組み方も知らねーと思ってたら、空気毒とかゴーレムとかすげー良く知ってんじゃん。その杖みたいな魔道具だって使いこなしてるしさ」


 心臓を捕まれたみたいにドキリとした。

 言われるまでもなく、空気毒にしろゴーレムにしろ、普通は知っているはずのないことだ。

 それこそ魔道具や遺跡を管理している王宮の人達にしたって、殆ど知らない事柄だろう。多少なりと知識があったところで、マギサには及ぶまい。

 実地から得た経験則ではなく、論理として知っているのは、今となってはマギサだけのはずだ。


 それは逆に言えば、マギサが『魔法使い』であるという何よりの証明でもある。

 流石に知識があるからといって直接マギサが『魔法使い』であると考えはすまいが、何かしら普通でないことは悟られてしまう。

 何せ、数十年遺跡や魔道具の追っかけをやっているモガでさえ知らないことをあっさりと話してのけたのだ。

 まさか正体がバレることはないだろうが、アドへの返事一つで雲行きは変わってしまう。ただでさえ危険だらけの遺跡の中で、妙な不安を抱えたくはなかった。


 こっそりとマギサを盗み見れば、黙ったままいつもの無表情でアドを見ていた。

 マギサも、アドへの返事に困っているのかもしれない。このまま黙っているべきか、何かを言うべきか。

 ここで一つ助け舟でも出したいところだが、何を言えばいいのか分からない。

 何を言っても余計にドツボにはまっていくように思えて、言葉が出てこなかった。

 多分、アドに詮索(せんさく)する意図はない。単純に凄いと思って褒めているつもりなのだろう。

 何気ない一言の方が追い詰められることもあるのだな、とナイトは噛み締めた。

 ナイトが迷っている間にも事態は悪化し、アドの台詞に乗っかるようにモガまでもがマギサのほうを振り向いた。


「そうじゃなぁ。わしも気になっとった。嬢ちゃんはわしより詳しいからのう」


 ナイトは思わず顔を覆った。

 アドならまだしも、モガまで参戦しては誤魔化すのは難しい。

 何より、その手の事に一番興味を持ちそうで厄介なのはモガの方だ。

 緊急事態だったから止むを得なかったとはいえ、もう少しこっそり話すべきだったかもしれない。

 いやしかし、それだと何が起きたか分からないだろうし、どちらにせよ不審がられるならちゃんと何が起こったのか説明した方がいいだろう。


 にっちもさっちもいかない手詰まり状態で、助け舟を出すことすらできず、ナイトはただひたすら何事もなく過ぎ去りますようにと祈った。

 祈りが通じるくらいなら、そもそもこんな目に会っていないのである。


「それでな、わしも考えたんじゃが。嬢ちゃんは、実は――」


 どうしよう。どうするべきか。いっそ二人を気絶させれば何もなかったことにはなるまいか。

 頭が混乱し、訳の分からない事を考えしまう。

 モガは何を言うつもりだろうか。まさか、正体に気づいたとでも言うのか。

 次に何か言う前に口を封じたが良くないか。いや、封じるといっても何をする気だ。まさか手で口を塞ぐつもりか。なんて無意味な。

 そうこう考えている内に、ついにモガの口から決定的な言葉が出てしまった。


「――遺跡の研究者じゃろ? おそらく、両親、下手をすると祖父母もじゃ!」


「……は?」


 思わず声が漏れて、慌てて自分の口を手で塞いだ。

 マギサも驚いているのか、珍しく瞬きをしてモガの方を向いていた。


「その若さで、そこまで知識を築くことはできんはずじゃ。かといって、実に堂に入った説明をしていたのでな、一朝一夕に身に着けたものじゃあるまいて」


 モガは自分の推理に納得しているように、うんうんと頷く。

 ある意味において、モガの推理は当たっていると言えなくもない。ただし、根本的な部分がまるで外れているのだが。

 とはいえ、実に都合がいい解釈だ。

 ナイトは黙って事の推移を見守ることにした。


「両親ともに研究者で、幼い頃からその知識に触れていれば、頷けるところも多い。ふふん、例えアドの目は誤魔化せても、わしの目は誤魔化せんわい!」

「じーちゃん、オレ別に誤魔化されてない」


 孫の突っ込みも何のその、冒険家の祖父は自信たっぷりに胸を張って笑う。

 とりあえず何かしら納得してくれたようなので、ナイトは胸を撫で下ろした。

 マギサの様子を見れば、いつも通り目の前のことに関心などないように黙っている。

 話を蒸し返されないように、ナイトは努めて明るく声をかけた。


「さ、早く行きましょう。流石に遺跡の中で寝泊りしたくないですし」

「おぉ、そうじゃな」


 モガは満足そうに頷き、アドも顔を叩いて気を引き締めた。

 とりあえず、今後マギサが何らかの詳しい話をしても問題はなさそうだ。

 それだけでぐっと気が楽になり、罠への警戒で磨り減っていた精神が回復するような気がした。

 この調子なら、どんな『魔法』を使っても杖の魔道具の力で済むかもしれない。

 もしもの時の誤魔化し方として、ナイトは頭の片隅に置いておく事にした。


 遺跡は、まだまだ続いていく。

 この後どのくらい先があるのか、予想することすらできなかった。



  ※           ※             ※



――不満は、ずっとあった。


 それは例えば、私が倒れた後に何があったか聞けていないことであったり、

 彼らと遺跡に向かうことの了承を求めにきた時のやや怯えた様であったり、

 何かにつけて顔色を伺うように覗いてくる視線だったり、

 その癖、自分が危険な目にあってもあっけらかんと笑う姿だったりした。

 そういう人だとわかってはいても、不満は募る。

 言ったってしょうがなくて、そんな人だから自分は助けられたのだ。そう言い聞かせても、堪らなくなることくらいある。


 分かってる。

 本当は、一番不満なのは、


 とても辛い目にあったはずなのに、何も話してくれないことだ。


 酷い怪我をしていた。打撲もそうだが、痣の幾つかは崖から落ちてできたものとは思えなかった。

 何か、硬い物をぶつけたような傷痕。脇腹には、切り傷まであった。

 高熱は多分、雨ざらしになったのと疲労のせいだ。私が雨を呼んだから。そして、おそらく、屋根のある場所で休めないような何かがあったから。

 何があったかは分からない。顔も服も泥に塗れて、腕の骨が一本折れていた。

 頭が真っ白になって、気がついたら『魔法』を使っていた。見られたのはまずかったと後になって思うが、その時はそんなこと考えもしなかった。


 死なないでほしいと、本気で思った。

 置いていかないで欲しいと思った。

 また一人で、先の見えない森の中を彷徨うのは嫌だった。


 幸い命に別状はなかったみたいで、熱と傷さえ治せば穏やかな寝息を立ててくれた。

 腰が抜けそうなくらいに安堵した。

 目が覚めたら、絶対に何があったのか問い詰めると決めた。

 どうせ、私が何も聞かなければ、何も言わずに過ごそうとするのだ。クーア程の付き合いはなくったって、そのくらいの事は分かる。


 それなのに、アドのおかげで見事に機会を逃してしまった。

 そして予想通り、それから彼は自分から話そうとはしない。

 そりゃあ、私だって自分から余り話はしないが、必要なことは話しているつもりだ。

 少なくとも、何かしら大きな事があったのだろうから、その事は話して欲しい。

 聞いたって何もできないけれど、せめて一緒に分かち合いたい。

 苦しいことも、二人なら半分にできるかもしれないから。

 昔、まだ小さかった頃、お婆ちゃんが教えてくれたように。


 そうしたら、居なくならないでくれるかもしれないから。


 それなのに、何も話してはくれない。

 全くもって不満で仕方がない。

 今思えば、そういうこともあってあの時は少し自棄になっていたのだろう。


 だからきっと、アドにあんなことを言ってしまったのだ。


 それがどういうことか、分かっていたにも関わらず――

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