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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
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第十八話 「リーナの里・6」

 雨に降られたリデルが里を見つけたのは、本当に偶然だった。


 アバリシアで随分と時間をとられてしまい、ナイト達と距離を離されたリデルは、旅人達の目撃証言を集めながら二人を追っていた。

 どことも知れぬ森の中に入っていったと聞いた時は正直疑ったものだが、考えてみれば水や食料を彼らが自由に調達できるはずもない。

 なるべく身軽になりたいだろうから量を持ち運べないだろうし、地理を把握しているはずもないので村や町がどこにあってどのくらいで着くなどの計算もできないだろう。

 行き当たりばったりで持てる分だけ持って旅をする、なんてやり方をしていたら、水や食料が尽きてどうにもならなくなっても無理は無い。

 どうせ他に当ても無いのだ。騙されたと思って二人が入っていったと思しき森の中に、馬ごとリデルも足を踏み入れた。


 想定通りなら、水の音がする方へ向かうはずだ。耳を澄ませて奥へ入っていくと、気がつけば空を暗雲が覆っていた。

 いつの間にか一雨来そうな空模様だが、どうすることもできない。あっという間に振り出した雨に打たれながら、リデルはとにかく奥に進んだ。

 この雨音では、どこぞに川があっても分かりはしない。早めに雨宿りが出きる場所を見つけたかったが、こういうときに限って見つからないものだ。

 雨に降られながら森を彷徨い歩いて、もう濡れた服の感触も気にならなくなった頃、ふと目の前が開けた。

 そこには、高く(そび)える山を背に、ひっそりと隠れ住むような里があった。


 そういえば、近辺の地図を見たときに、一つだけ他と離れて山に囲まれた谷間に集落があった事を思い出す。

 今更雨宿りもあったものかと思うが、休める場所があるのは有難い。それに、ナイト達がここに立ち寄った可能性もある。

 情報収集と休む場所を貸してもらえるよう、リデルは里の中に入っていった。


 この雨だからか、外に出ている人はいない。それにしても、随分と痛んだ家が多い。

 壁の一部が壊れ、適当に木の板を打ち付けていたりする。まるで台風でも通ったか、襲撃でもあったかのような風情だ。

 何があったかは今考えても仕方が無い。とりあえず、集落の中でも一際大きな家を探す。

 長の家は、大抵が中心で他の家より大きな作りをしているものだ。外れたら外れたで、その家の者に頼んで案内してもらえばいい。

 馬上から集落を見回せば、すぐにその家は見つかった。

 馬から降りて戸を叩けば、返事が早いかすぐに出てきてくれた。


「あ……」


 出てきた女性は、リデルを見て何かしら期待が外れたような顔をする。

 今一事情は飲み込めないが、一先ずは用件を済まそうと頭を下げた。


「失礼。こちらは、この集落の長の家で宜しいか?」

「え、はい、そうです」

「雨に降られて難儀(なんぎ)しています。軒下をお借りしても?」

「あ、そんな、中にどうぞ」

「助かります」


 騎士の礼をして、肩口にかかる栗色の髪をした女性の後ろについて家に上がる。

 心持ちの良い女性のようで、何か拭く物をとってきます、と奥へ引っ込んでいった。

 すぐに厚手の布を手に戻ってきて、リデルに渡すと居間に案内してくれた。

 居間には、線が細く几帳面そうな男性が居た。おそらくは、栗色の髪の女性の父親だろう。線の細さや、顔立ちに面影がある。


「急な雨で難儀されたそうで。お座り下さい、何か温かいものをお持ちします」

「お心遣い、感謝します」


 男性は軽く微笑むと、娘と一緒に居間から出て行った。

 渡された布で体を拭きながら、リデルは二人の態度に考えを巡らせる。

 心持ちの良い、優しい親子だ。急に来た自分をもてなしてくれているところからも、それは感じられる。

 それと同時に、何故か負い目のようなものが見え隠れする。先ほどの笑顔も、どこか引きつっていた。戸を開けてくれた娘も、どこか悩ましげな顔をした。


 その理由がどこにあるのか、今は考えても分からない。推測する情報すらない段階だ。

 なるべく民の悩みは解消すべきだが、人生相談をしている時間も余り無い。

 一先ずナイト達の情報を集めて、雨が止むまでの間に話を聞けるようなら聞こう。

 リデルが一通り体を拭き終わった頃、長らしき男性と娘が戻ってきた。


「どうぞ、温まりますよ」

「有難う御座います」


 礼を述べて、娘から湯気を上げるカップを受け取る。

 よく見れば、娘の髪が少し濡れていた。急な雨だったから、家に戻るのが間に合わなかったのだろうか。

 長らしき男性が向かいに座り、娘は居間から出て行く。一口飲むと、冷えた身体がじんわりと温まった。

 長らしき男性もお茶を一口含むと、リデルに話しかけてきた。


「失礼ながら、騎士団の方とお見受けしますが」

「はい。王国騎士団所属、リデル・ユースティティアと申します」

「やはり、そうでしたか。折角ご足労願ったわけですが、もう問題は解決しました。お帰り頂いて結構です」


 少し棘のある言い回しに、リデルは内心面食らう。

 カップ越しに見た男性の顔は、どこか苦虫を噛み潰しているように見えた。

 上手く飲み込めないが、つまるところこの里では何かしらの問題が起きていて、その解決を騎士団に頼んでいたということだろうか。

 そして何かがあって問題が解決し、騎士団に頼る必要がなくなった、ということか。

 何にせよ、誤解されたままでは話は進まない。

 リデルは、長らしき男性にきっぱりと言い切った。


「申し訳ないが、私はこの集落に派遣されたわけではありません。別の任務を遂行中、偶然立ち寄っただけです」


 長らしき男性は驚いたように目を見開き、すぐに申し訳なさそうに眉根を寄せた。


「あぁ……そうでしたか。それは、こちらこそ申し訳ありません」

「お気になさらず。騎士団が中々来ず、待ち兼ねていらっしゃったのでしょう。謝るべきは、迅速な対応が出来ていない我々の方です」


 改めて頭を下げると、長らしき男性は首を振って、それこそお気になさらず、とリデルを(おもんばか)った。

 会話が完全に途切れてしまう前に、リデルは顔を上げて尋ねる。


「それで、一つお聞きしたいのですが」

「はい、なんでしょう?」

「私と同じくらいの背丈の青年と、真っ黒なローブを着た小柄な少女を見かけませんでしたか?」


 息を呑むように、長らしき男性は押し黙った。

 リデルは、黙って返答を待つ。

 暫しの沈黙の後、男性が搾り出すように口にした。


「その二人が、何か?」

「見かけたのでしたら、教えて頂きたい。できれば、どこに行ったのかも」


 男性が、深い深い溜息を吐く。

 リデルは一切目を逸らさずに、真っ直ぐに男性を見つめ続けた。

 まるで懺悔(ざんげ)でもするように、男性は両手で顔を覆う。


「どうして、その二人の事を?」

「お話できません」


 男性は再び嘆息し、思い悩むように黙り込む。

 もう既に、リデルは確信していた。

 この里で起きた『何か』に、あの二人は関わっているのだ。襲撃でもあったかのような里の様子も、それに関わる事だろう。

 つくづく、あの二人は行く先々で何かやらかさねば気が済まないらしい。

 この男性も、あの二人と関わってしまったのだろう。


「その二人の事で何かお悩みなら、話して下さい。私でお役に立てる事もあるかもしれない」


 覆う手をずらし、男性の目がリデルの顔を見る。

 リデルは男性と目を合わせ、しっかりと頷いてみせた。

 眉根を寄せ、苦悶(くもん)するように顔を歪め、男性は口を開いた。


「……わかりました。騎士様に、全てお話します」


 痛みをこらえる様に、歯の隙間から漏れるような声で呟く。

 リデルは黙って、男性の話に耳を傾けた。


 マギサが呼び寄せた雨は、一向に止む気配がなかった。



  ※          ※            ※



 マギサを抱えたナイトは、『山小屋』に逃げ込んでいた。

 意識を失ったマギサを抱えて、雨の中当て所なく走り回る気は初めからなかった。

 雨露(あまつゆ)(しの)げて、マギサを休ませることができる場所。思い当たるところなんて、ここ以外になかった。


 流石、『魔法』がかかっているだけあって、古いのに雨漏り一つない。

 一体どんな『魔法』なのか知れたものではないが、今のナイトにはどうでもよかった。

 マギサを寝かせられれば、何だっていい。

 役に立たなくなった『下法陣』を踏みつけて、マギサの体を横たえる。濡れたままは余り良くないと思うが、代えの服なんて気の利いたものはなかった。

 そこでようやく思い至る。荷物を全部、キラザの家に置いてきてしまった。

 一応、それぞれ一人分の水筒は持っているが、それ以外は全て借りた部屋の中だ。

 これじゃ本当にどうしようもない。今更取りにも戻れない。


 あんまりな状況に、笑いがこみ上げてきた。

 マギサは目を覚まさない。呼吸も微かで、耳を近づけないと聞こえない。うっかりすると死んでいるんじゃないかと思えてくる。

 確認するのが、少しだけ怖くなる。

 もし、息をしていなかったどうしよう。『魔法』も使えないし知識もない自分は、ただひたすら成す術なく立ち尽くすしかない。

 そこから先、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。


 村に戻ればいいのだろうか。そして、何事もなかったように暮らすのだろうか。

 初めから、マギサなんていなかったように。

 この世から存在が消えてしまったかのように。

 それは、どうしようもなく恐ろしいことに思えた。

 体から(こぼ)れる水滴が床に跳ねる音が気にならなくなった頃、外で誰かが名前を呼んだ。



「ナイト君! 出て来い! 話がある!!」



 聞き覚えのある声。

 隙間から外を見れば、以前マギサを追っていた騎士隊の隊長が居た。

 間違いない。周囲の騎士よりずっと年が若かったから覚えている。実際には変わらないくらいなのかもしれないが、少なくとも見た目はそうだ。

 どうしてこんなところに。もしかして、あの後もずっとマギサを追っていたのだろうか。

 多分、そうなのだろう。騎士団の追っ手だ。


 周囲を見回したが、他の騎士の姿は見当たらない。一人なのだろうか。

 どちらにせよ、逃げられるとは思わない。さっきからずっと『山小屋』の方を見ている。

 こちらの逃げ場など、お見通しというわけだ。

 未だに意識を取り戻さないマギサを一瞥し、剣を持って表に出た。

 ナイトの姿を見て取ると、若い騎士は警戒させないようにかゆっくりと近づく。

 話すには苦労せず、剣を交わすには遠すぎる間合いで止まり、若い騎士は手に持った背負い袋をナイトに向かって放り投げた。


「君達の荷物だ。中身の確認をしてくれ」


 ナイトは黙ったまま、若い騎士から視線を逸らさず腰を落とし、背負い袋を掴む。

 開いてさっと一瞥すれば、確かに中身はナイト達の荷物だった。

 若い騎士の意図が掴めず、ナイトは背負い袋を後ろに放り投げて目を細める。

 若い騎士は、ナイトの目を真っ直ぐに見つめて言った。


「君と話がしたい。聞いてくれるか?」


 まるで獰猛な獣でも相手にしているように視線を逸らさず、ナイトは肯く。

 一拍間を置いて、若い騎士は語りかける。


「俺は、君達を追っていた。君達があちこちで色んな事件を解決していることも知っている。特に、アバリシアの件は本当に感謝している。君達のお陰で、ホーント一家と領主を摘発することができた。騎士団として、力不足を恥じているよ」


 ナイトの眉がぴくりと動く。

 アバリシアでの一件は、ナイトにとっても大きな出来事だった。だから、その後の事はそれなりに気にしてはいたのだ。

 ナイトの内心を知ってか知らずか、若い騎士は話を続ける。


「君達の人となりも、一応の理解はしているつもりだ。『魔法使い』の少女――マギサも、君も、悪人ではないことは知っている。それどころか、見習うべきところのある人物だと思っている」


 意外な発言に、ナイトが小さく肩を震わせる。

 騎士団の、しかも隊長格の人物の台詞とは思えなかった。何せ、こちらは史上最悪の存在である『魔法使い』と、それを庇って騎士団に喧嘩を売った騎士の成り損ないだ。

 かつての自分が聞いたら、喜んだかもしれない。

 若い騎士はそこで一旦話を切って、深く息を吸い込んだ。


「その上で、君に聞きたい。『魔法使い』は、その存在だけで国難であり、災害と変わらない。魔物などとは比べ物にならない、脅威そのものだ。それを理解しているか?」


 何も答えられなかった。

 目の前の騎士が言う事は、きっと正しいのだろう。何せ、ナイトも反論できない。

 マギサの傍にずっと居たのだ。『魔法』の力は、身に染みて理解している。

 それを自在に操る存在が、脅威でなくて何なのだろうか。


 かつて、目の前の騎士は善悪は関係ないと言った。その意味も、今なら分かる。

 あの森で野盗団の頭がマギサを勧誘したように、その力に目をつける輩はそれこそ唸る程いるだろう。

 マギサがどうあれ、その力が知られればマギサを巡って様々な事件が起こるのは間違いない。ともすれば、マギサの力があらぬことに利用されることもあるかもしれない。


 それでなくとも、『魔法』は人の恐れを生む。

 『下法陣』を知った今となっては、『魔法使い』を恐れるなというのが如何に無理な話であるかは分かってしまう。

 ならばいっそ、殺してしまおうとなることは、ナイトにも理解できた。


 理屈では。


 若い騎士から目を逸らし、ナイトは俯いた。


「どうしてですか」

「何?」


 漏れるようなナイトの呟きを、若い騎士が聞き返す。

 我慢ができなかった。

 どうしようもない気持ちと一緒に、言葉が毀れだす。


「どうして、何でですか。何で、マギサがこんな目にあわなくちゃいけないんですか」


 若い騎士は黙り込み、じっとナイトを見やる。

 ナイトは俯いたまま、声は勢いを増して口から放たれる。


「『魔法』が怖いだなんて、分かってますよ。あなたの言う事が正しいんだって事も。それで、マギサが、何をしましたか?」


 若い騎士は、何も言わない。

 ナイトの言葉に、徐々に力が篭っていく。


「僕が肯いたらどうするんですか? マギサを連れてって、牢屋に入れて、処刑するんですか? マギサは、何にも悪いことしていないのに?」

「そうなるとは限らない」


 落ち着いた、冷静極まりない声で若い騎士が否定する。

 ぷつん、と。何かが切れた音が、確かにナイトの耳には聞こえた。



「マギサの故郷は、あんたら騎士団が滅ぼしたんだろ!!」



 ナイトの怒声は雨音に紛れることなく、若い騎士の耳朶(じだ)を叩いた。

 口を噤む若い騎士を、ナイトは顔を上げて睨み付ける。


「なんでだよ!! なんで、年端も行かない女の子が、命がけで他人を助けて、お前のせいでって言われなきゃいけないんだ!!」


 ナイトの叫びが、雨を貫いて空に響く。

 雨音はもう、雑音にさえならない。

 溜まったものを吐き出すような絶叫を、若い騎士は黙って聞いていた。


「あの子が自分から誰かを傷つけたか!? 故郷を焼かれたのに、あんたらに復讐でもしたか!? そんな子が、なんで追っかけられてまで命狙われるんだよ!!」


 何も言わない若い騎士が、憎たらしくて仕方がない。

 腹の底から、力一杯、世界に響けとばかりにナイトは叫ぶ。



「どうして、気絶するまで誰かの為に頑張る子が、笑って暮らせないんだよぉ!!」



 雨が、降り続いていた。

 荒い息を吐くナイトに、冷たくも優しい声音で若い騎士が言う。


「彼女が、『魔法使い』だからだ」


 歯を食いしばって、ナイトが力をこめて睨み付ける。

 その視線を当たり前のように受け止めて、若い騎士は続けた。


「里でのことは、キラザさんから聞いた。里の人達の怒りの矛先を自分に向けた君の判断は、正しかったと俺も思う」


 今度は、ナイトが黙り込む番だった。

 若い騎士は、ナイトから目を逸らさず、淡々と話す。


「君達の事だ、魔物を解放したのも訳あってのことだろう。全てを話さなかったのも、『山神様』の正体がその魔物だったからとか、そんなところだと思っている。山に入れず、里も襲われ、疲弊しきった人々を慮っての決断、その正しさは俺が保障する」


 その真っ直ぐな目に、ナイトは少しだけ呑まれる。

 若い騎士の言葉には、力があった。自分を賭けた者だけが持つ、責任と覚悟。

 そして、その騎士は、見えない槍をナイトに投げた。



「その上で聞く。心の安定を図ろうとした里の人は、悪か?」



 見えない槍は、ナイトの胸に深々と刺さった。

 言葉が出ない。

 だが、答えは決まっていた。

 悪だと思っているのなら、ナイトはあんな言い方をしなかった。

 理不尽な事象に襲われたのは、里の人達だって同じことだ。

 魔物に襲われ、『魔法』に救われ、何一つ理解できなかったことだろう。

 自分の身近な生活圏で、理解できない事が立て続けに起こるのは、どれほどの恐怖と不安をもたらすのだろうか。

 心が逃げ場を求めるのを、悪ということはナイトにはできなかった。


「理解できないものや、自分の力を遥かに超えるものに恐怖することは、悪か? もし君がそれを悪というのなら、これ以上の問答は無用だ」


 はっきりと言い切る若い騎士に、ナイトは何も言うことができなかった。

 何も言えないのに、どうしてか、納得いかない気持ちだけは膨らんでいく。

 言葉にならない思いだけ、拳に握り込まれていく。

 沈黙を否定と受け取ったか、若い騎士が話を続けた。


「人には弱さがある。故に、人は『魔法使い』に恐怖する。恐怖が蔓延(まんえん)すれば、動乱を引き起こす。だが、全ての人間に弱さをなくせということはできない。だから、『魔法使い』は対処しなければならない」


 若い騎士の言う事は正しく、理路整然としており、反論のしようもない。

 拳はますます握り締められ、胸の中はどんどん苦しくなる。

 これで終わりとばかりに、若い騎士はナイトに向かって言い放った。



「それが、人々を守り、人が憂うことなく暮らせる『社会』を守る、騎士の使命だ」



 理想的な騎士の姿が、そこにはあった。

 かつてナイトが憧れた、お伽噺の中の騎士に最も近い存在。

 ナイトがどれほど手を伸ばしても届かなかったものを、彼は全て持っていた。


 でも、


 何かが、足りない気がした。


 その騎士は正しくて、間違いなんか一つもなくて、その通りだったけれど、


 それだけじゃ、マギサが生きていけない。


 それは、絶対に、間違っていると思った。


「僕は、マギサを守る」


 若い騎士と目を合わせる。

 その瞳はこ揺るぎもせず、臆する所もやましい所も一つもないとばかりに堂々としていた。

 自分が間違っている自覚はある。危険なことをしているとも思う。皆の事を思うんだったら、今すぐ止めて大人しく村に帰ったほうがいい。



 そんなのは、吐き気がするくらい嫌だった。



 マギサだってきっと、人に迷惑をかけるのは本意じゃない。だからこれは、マギサの為なんかでもない。

 僕の為だ。

 僕が嫌なんだ。

 マギサが死んで、それで万々歳なんて、そんなのは嫌だ。

 それがどれだけ正しかろうと、皆の笑顔の為に必要だろうと、納得なんかできない。

 それが、騎士にあるまじき事だというのであれば、



 僕は、騎士になれなくていい。



「ここをどくつもりは、僕にはない」



 憧れを抱いて振り続けた剣を、若い騎士に向けて抜いた。



「それが、君の答えか」


 若い騎士は嘆息し、力を込めて正面からナイトを睨み付ける。

 猛禽(もうきん)の如き鋭さで、何の覚悟もなければ恐怖で金縛りにあったように動けなくなるだろう。

 受け止めたナイトも、産毛が逆立つのを感じた。

 戦う前から思い知らされる、格の違い。それでも、引くつもりはまるでなかった。

 後ろには、マギサがいる。それだけで、立ち向かうには十分な理由だった。


 声が途切れ、雨の音が再び意識に這い上ってくる。

 若い騎士も剣を抜き、なんとも無造作に近づいてきた。

 鎧を着けた足が動く度、かすかに金属がこすれる音と、水溜りが飛び散る音がする。

 濡れそぼった土は泥となり、踏ん張る足が滑りそうな恐怖が付きまとう。

 雨に浸された体は重く、水の中にいるように身動きがとり辛い。

 だがそれは、相手とて同じはずだ。

 構えもせずに手の届く間合いに入った若い騎士に、ナイトは躊躇を捨てて斬りかかる。

 渾身の力を込めて振り下ろし、


 実にあっさりと、打ち返された。


 その剣閃は余りに速く、目で追うのがやっとだった。

 条件は同じのはずなのに、ナイトとは動きがまるで違う。

 掬い上げるようにナイトの剣を打ち返し、返す刀で更に押し込んでくる。

 手が痺れて、柄を離さないでいるのに精一杯だった。

 流れるように剣を引き、今度は横薙ぎに一閃。辛うじて剣で防ぐも、衝撃で肩が外れたかと思う。

 間髪入れずに下から剣を打ち上げられ、骨が嫌な音を立てる。がら空きになった胴に、容赦のない蹴りが叩き込まれた。

 足が軽く宙に浮く。胃が逆流したかと思うくらいの吐き気がして、受身もとれずに泥と化した地面に転がった。


 その騎士は、強さまで理想的だった。


 ナイトではまるでお話にならない。

 その剣は、速く、重く、洗練されていた。

 防がれても途切れることなく続く連撃、その全てが直撃すれば致命傷になりえる一発で、剣技とは何かをナイトは体で教え込まされる。

 体格からみても単純な膂力(りょりょく)にそれほど差があるとは思えないのに、切っ先に篭る威力には雲泥の差があった。

 五合に満たぬ打ち合いで、ナイトの握力は殆ど持っていかれていた。柄を握る手がこんなにも頼りなくなったのは、生まれて初めてだ。


 『ウトリ・クラリア』の親株と対峙した時の感覚とは違う。物理的な差に理性が弾き出す答えではなく、心が押しつぶされ感情が吐き出す悲鳴。

 どうしようもない絶望を、ナイトは味わっていた。


 寒さとは別のもので体が震える。降りしきる雨のせいで体は冷たいのに、息が上がる。

 若い騎士はただ立っているだけなのに、その姿を見ただけで鉛でも仕込まれたように足が重くなる。

 戦って勝てる相手じゃない。

 初めからわかっていたそれを、事実として思い知らされた。

 歯を食いしばり、大腿骨(だいたいこつ)を殴りつけて立ち上がる。

 今更それが何だというのか。引き下がるつもりなら、初めから剣を抜いたりしなかった。

 剣を構え、騎士を見据える。

 騎士もまた、剣を手にナイトを見据えていた。


「どけ」


 その一言に、心が震える。

 雨の中でも通るその声は、鼓膜を震わせ頭蓋を巡り恐怖を呼び起こす。

 全身が総毛立ち、心臓が跳ね、胸が強く圧迫されたように息が苦しくなる。

 それでも、


 それでも、嘘を吐くことだけはできなかった。



「嫌だ!!」



 騎士の足が、泥を弾いて地面を蹴った。

 あっという間に懐に潜られ、防いだ剣の上から押し退けられる。目で見えていても、体の反応が追いつかない。上下左右から剣を狙って打ち込まれ、手放さないよう必死でしがみついた。

 そうして動きが止まったところに、あっさり回り込まれて脇腹に拳がめり込む。

 体がくの字に曲がって、精一杯保ってきた体勢が崩れる。足に(かかと)を蹴りこまれ、宙に浮いたところで胸倉を掴まれ、思い切り投げ飛ばされた。

 泥の中に顔から突っ込み、目の前が真っ暗になる。


 こんなの、どうしたら良いか分からない。

 勝てる道理も道筋も、何一つ見えない。

 このままじゃ、マギサが連れて行かれる。


 勝てる相手じゃないからって、勝たなくていいことにはならない。勝たなくちゃ、マギサが殺される。あの騎士にその気がなかろうと、連れて行かれたら同じ事だ。

 敵わないと分かって挑んで、やっぱり無理でしたじゃ駄目なんだ。


 痛すぎて段々感覚すら薄れてきた体を起き上がらせる。拳が泥を握りこんで、爪の隙間に入り込む。

 力を振り絞ってあげた顔が、地面の亀裂を見つけた。

 一瞬何か分からなかったが、すぐに思い出した。

 親株だ。『ウトリ・クラリア』の親株が出現したときに、割れたものだ。

 一筋の光明が見えた気がして、慌てて周囲を見回す。

 親株と一緒に、地表を割って出てきた子株が生んだ亀裂があちこちにあった。

 雨と泥のせいで見え辛くなっていて、一見しただけじゃ分からない。

 唾を飲んで、迷いを捨てる。もう、これに賭けるしかなかった。


 ナイトを投げ飛ばした騎士は、まさに『山小屋』の中に入ろうとしていた。

 柄を握り締め、位置を確認し、ナイトは雄叫びを上げる。


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉっ!!」


 大上段に振りかぶった剣を、騎士の脳天めがけて振り下ろす。

 予想通り、振り向いた騎士の一振りで弾かれた。

 もう一度、今度は横薙ぎに振るう。余裕で防がれ、切り返される。剣で受けてよろめけば、騎士は容赦なく踏み込んできた。

 かかった。奥歯をかみ締めて、少しずつ後ろに下がりながら騎士の猛攻を耐え抜く。

 長くは持たない。かといって、焦れば絶対に見抜かれる。肉体はとっくに限界を迎えていて、もう既に意地の勝負だった。

 予定の位置に辿り着く。最後の力を振り絞って、剣を騎士に叩きつけた。

 最早剣技もクソもない。そんなもの、騎士には当然通じるはずもない。


 それでよかった。ただ、受け止めてもらえさえすれば。

 その衝撃が、重い鎧を着込んだ騎士の足から地面に伝わりさえすれば。


 ここに魔物が出た事は、自分とマギサしか知らない。大きな亀裂には気づいていても、細かい亀裂はどうだろうか。

 そんな細い可能性に、ナイトは自分のすべてを賭けた。

 ナイトの剣は何の苦もなく受け止められ、押し返される。体勢を崩したナイトに、騎士は思い切り足を踏みしめて追い討ちをかける。

 ナイトの腕が伸びきり、隙だらけの上体目掛けて、騎士は大きく踏み込み、



 その足元が、古い床板が外れるように崩れ落ちた。



 咄嗟(とっさ)に反応して、剣を地面に突き刺し体勢を維持しようとする。

 しかし、突き刺した地面もまた泥のように崩れ、足元が完全に埋まってしまう。

 その隙を逃さず、ナイトは騎士の胸当てを押すように蹴りこんだ。

 重さに耐えかねたように地面が沈んで、騎士は身動きが取れなくなった。

 何が起こったかを理解した騎士が、ナイトを睨み付ける。

 開いた穴に流れ込む泥は、暫くの間足止めしてくれるだろう。


 剣を収め、走って荷物を拾い、『山小屋』に駆け込む。

 あんな時間稼ぎ、いつまで持つか分からない。今のうちに逃げないと、今度こそどうにもならなくなる。

 雨の山道は危険なんてものじゃないが、あの若い騎士に比べればずっとマシだ。

 意識を失ったまま微動だにしないマギサを担いで、外に飛び出す。

 雨音を突き破って、若い騎士の声が聞こえた。



「どれだけ逃げても、何も変わらないぞ!!」



 歯を食いしばって、ナイトは逃げ出した。

 手足の感覚は薄れてきていたが、背中のマギサの重さだけははっきりと感じていた。

 首元に感じる微かな吐息が、濡れた服越しの温もりが、マギサがまだ生きている事を教えてくれている。

 苦痛と疲労で飛びそうな意識が、それを感じる度に呼び戻された。

 何も考えなくても、足は動いてくれる。どこに向かっているかも分からないが、とにかくあの騎士から遠ざかってはいるはずだ。


 早く、遠くへ。

 どこか、安全な場所へ。

 そんなもの、この世のどこにもありはしないけれど。



 逃げてもどうにもならないことくらい、言われなくても分かっているのだ。




 リデルが泥から抜け出したのは、まだ雨は止まず、ナイト達を追うのを断念するのに十分すぎる時間が経ってからだった。

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