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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
19/85

第十七話 「リーナの里・5」

 日が暮れ始めた頃、ナイトとマギサは『山小屋』の前に立っていた。


 朝食を済ませてからすぐに山に登って歩き回ったが、結果は昨日と同じだった。

 違う所といえば、おおよそ山頂と『山小屋』の間くらいの位置に大きな洞穴があり、そこに一回り大きな子株が居た事くらいだろうか。

 ナイトはその大きさから親株ではないかと言ったが、マギサが首を横に振った。

 『ウトリ・クラリア』の親株は、他の子株に比べて特徴的なはずだ。それは例えば、葉っぱの数であったり、捕肉嚢の根元に(えり)巻きのような花弁がくっついていたりと、一目で分かるものである。

 洞穴にいた魔物には、それがなかった。


 襲い掛かってきた子株を切り伏せ、念の為調べてみるも、見つかったのは太くて長い体毛くらいのものだった。

 山の主のものであろうことは、すぐに思い当たった。

 本当に、嫌な予想ばかり良く当たる。

 結局、マギサが思ったとおり、『山小屋』しか原因は見当たらなかった。

 ナイトを見上げれば、口を引き結んで『山小屋』を見つめている。

 マギサの視線にも気づかずに、深く呼吸をして、腹を決めたように振り向いた。


「マギサ」

「はい」

「あの『下法陣』を壊して、中の魔物を出せる?」

「はい」


 予想したとおりの質問に、マギサは躊躇なく肯いた。

 ナイトが選ぶとしたら、それしかない。後で誰に何を言われようと、リーナを助けるには魔物を倒すしか道はない。

 分かりきっていたことだが、杖を握る手に力が篭る。

 『下法陣』と対峙(たいじ)するのは生まれて初めてだ。難しくないとはいえ、失敗すれば『魔力』を持っていかれる可能性がある。

 小さく息を吐いて気を落ち着かせ、真っ直ぐにナイトと目を合わせる。


「『下法陣』を壊す間、集中しますから話せません。ですから、今の内に」

「うん」

「不可解な現象が起きるかもしれませんが、下手に触れないでください。危ないです」

「うん」

「魔物が出たら、『使役』を使います。隠れても子株に見つけられる可能性がありますから、逆に姿を晒します。『使役』が使えるまで、私を守って下さい」

「分かった」

「不測の事態が起こったら、各自の判断で」

「そうだね」


 作戦を伝え、ナイトが肯いたのを確認する。

 作戦ともいえない単純な話だが、特に複雑なものは必要ないし、そもそもナイトが覚えられない。

 作戦立案は、現在の戦力に見合ったものを立てるのが定石だ。


 以前、未だに原因不明の失敗をした『使役』を使うのに不安がないわけではないが、やはり一番安全な対処法であることには違いない。

 もしもの時はとにかくすぐ使える『魔法』で倒すしかないが、それだって失敗しないとは限らない。どちらにせよ『魔法』を使うなら、まずは『使役』を試すのが上策だ。

 そもそも、安全確実な『魔法』なんて存在しない。だから、本当は余り頼りたくはない。

 何せ、どこかの誰かが下手に使ったからこそ、今回の異変は起きたのだから。


 杖を握り締めて、マギサは『山小屋』に入っていく。

 その後ろを、ナイトが黙ってついていく。

 ここから先は、『魔法使い』マギサの領分だ。ナイトの入る隙間はなかった。


 苔むした床を鳴らして、昨日見たばかりの『下法陣』と対面する。

 意味を理解してしまえば、おどろおどろしく見えるものだ。昨日と何も変わりないはずなのに。

 『陣』の中心まで進み、腰を落として『陣』に触れ、練り上げた『魔法』を流し込む。

 ナイトの望みに応える対処法は、やり方としては単純で、逆の性質を持った『魔法』をぶつけて相殺(そうさい)する。

 かなり乱暴で、『陣』の精度によっては大量の『魔力』を消費する方法だが、今回の場合は既に(ほころ)んでいるのでそこまで大仰な話でもない。

 ただ、制御を誤ると『魔法』の暴発を招きかねない対処法でもある。過大にも過小にもならないよう、慎重に調整する必要があった。


 『下法陣』が、『魔力』に反応して淡く光を放つ。

 完全に破壊するには、『陣』を通して『魔法』を成立させなくてはならない。『下法陣』がその性質を発揮し、マギサから『魔力』を奪い取ろうとしてくる。

 制御に集中し、『魔法』に必要な分以外は自分の中に留め置く。これが出来なければ、ひたすらに『魔力』を吸われて消え去ることになる。

 二重に『魔力』を制御し、ゆっくりと必要な力を見極めていく。思ったよりも神経が磨り減っていき、額に汗が滲む。

 『陣』がマギサの『魔法』に反応して、耳鳴りのような、空気が擦れるような音を立てて輝きを増す。

 『魔法』同士が影響しあった時に起こる、マギサの故郷では『歪み』と言われていた現象だ。暴発の危険性がある為、下手に『魔法』を干渉させるなと教わった。


 下手にやらなければいいのだ。


 調整が終わり、『魔法』を行使する。

 『下法陣』と逆の性質を持った『魔法』、

 つまり、


 山に眠る魔物を、開放し自由にする『魔法』だ。


 鼓膜を直接揺さぶるような、一際大きな音を立てて『下法陣』は光を失った。

 それと同時に、地面が揺れ、『山小屋』が大きく震え出す。

 よろめいて崩れ落ちそうになったマギサをナイトが支え、寄り添って表に出る。



 地面を割って、巨大な植物の魔物が姿を現した。



 久々の外の空気を満喫するように、身を震わせて大きく口を開ける。

 その衝撃波は空気を震わせ、鳴き声にも聞こえる耳鳴りを生む。

 洞穴で見た子株など、比べ物にならない。

 高さはナイトの三倍以上は軽くあり、その捕肉(のう)は『山小屋』くらいなら一呑みにできそうだ。

 子株には手のように二枚あった葉は四枚になり、(つぼみ)のように見える捕肉嚢の根元には(えり)巻きのような花弁がついている。


 知識のないナイトにも、一目で分かった。

 これが、『ウトリ・クラリア』の親株だ。

 遥か昔から、この山に閉じ込められてきた、『山神様』だ。

 かつての『魔法使い』が残した、悪意の化身なのだ。


 まともに戦って勝てるとは思えない。少し斬りつけた程度では、びくともすまい。

 子株のときみたいな戦い方は通じないだろう。あの捕肉嚢に上から覆われたら一巻の終わりだ。そもそも、剣が通るかも分からない。

 マギサの『魔法』に頼るしかないのが、情けないが唯一の方法だった。


 ナイトが横目に確認すれば、マギサは既に杖を構えて『使役』の準備に入っていた。

 精神的に疲れはしたが、『魔力』はそれほど使っていない。それなりに余裕を持って『使役』を練る事が出来ている。

 マギサは、もう周囲を気にしてはいなかった。

 今は一刻も早く『使役』を行使しなければ、あの魔物が暴れまわってしまう。

 ナイトなら、作戦通り自分を守ってくれる。頭から信じて、『使役』を練り上げた。

 剣が風を切り裂いて、魔物を断ち切る音がする。ナイトの鋭い呼気が、心を落ち着かせてくれる。


 『魔法』を制御するのは、揺るがぬ精神。

 深く静かな心が、『魔法』を思い通りに操るのだ。


 目を開いて、『ウトリ・クラリア』の親株を視界に収める。

 練り上げた『使役』を、親株めがけて解き放った。

 淡い光が親株の体を包み込み、眠るように頭を垂れて大人しくなっていき、



 再び、マギサの『使役』は弾かれた。



 四枚の葉を大きく広げ、捕肉嚢を天高く掲げて、鳴き声のように空気を震わせる。

 マギサの目が見開かれ、動きが完全に静止した。


 ――何故?


 前回といい今回といい、弾かれるはずのない『使役』が通じない。

 特に今回は、『下法陣』によって『使役』を下した術者はこの世から消えている。相殺に成功したということは、少なくとも読み解きは間違っていなかったということ。

 まかり間違っても、自分の知らない何かが混ざる余地なんてない。

 失敗する道理が、どこにも、


 ――二人組の男の内一人が逃げるように山から下りていって、


 思い出した。

 リーナとの話に出た、国の調査団を名乗った二人組の末路。

 一人は里の人が目撃していたけれど、もう一人は誰も知らずどこかに行った。

 多分、というかほぼ間違いなく、『下法陣』によって消滅したのだ。

 下手に上書きしたせいか、元からそういう作りだったのか、『使役』は一緒にいた男にも権利があったのだ。

 『下法陣』を発動させて、二人で何か命令でもしてみたのだろう。一人は『魔力』を完全に吸い取られて、おかげでもう一人は助かった。


 つまり、『使役』をした術者は生きていて、解いてもいないから継続している。


 そう考えれば、納得もいった。

 それは即ち、『使役』しただけ全くの無駄だったということだ。

 『魔力』はまだある。あるけど、それなりに消耗した。余裕のなさが焦りを生み、焦りが心を乱していく。

 『魔法』を使える状態から、どんどんかけ離れていってしまう。

 泳いだ視線は、知らぬ間にナイトを探して彷徨っていた。


 彼の姿は、すぐに見つかった。

 マギサの傍で襲い来る子株を切り捨てながら、その目は親株を睨み続けている。

 少しも諦めてなどいない。

 現状を打開する方法だってないくせに、歯を食いしばって剣を振るっていた。

 少しずつ、焦りが鎮まってくる。

 水面に浮かぶ波紋が消えるように、心が静けさを取り戻す。


 大丈夫。まだ、大丈夫だ。


 『使役』が通じないときは、とにかくすぐ使える『魔法』で倒す。そう決めていた。

 まだ『魔力』はある。全力で打ち込めば、なんとかなるはずだ。

 というよりも、それ以外の手段は持ち合わせていなかった。

 親株に視線を移し、もう一度『魔法』を練り上げだす。

 『ウトリ・クラリア』の親株は、まるで警戒するようにじっとマギサの方を向いていたかと思うと、三度目になる耳鳴りを発した。

 その音に呼応するように、ナイト達を取り囲んでいた子株が次々と地面に潜っていく。

 親株もまた地面に潜り、地鳴りを起こしながらナイト達から離れていった。


 理由が分からず呆気にとられるナイトと対照的に、マギサは顔を青く染め上げる。


「ナイトさん!」

「えっ?」


 乱暴にマギサがナイトの手を取り、杖を振る。

 二人の体が浮かび上がり、まるで鳥のように空を飛び始めた。

 生まれてこの方そんな経験のないナイトは、顔を青くしてマギサに縋りつく。


「なっ、なにっ!?」


 顔に当たる風が冷たく、息がしにくい。

 驚いて固まるナイトに構わず、マギサは慣れた様子で飛び続けた。


「どっ、どうしたのっ!?」


 抗議じみたナイトの悲鳴に、マギサは端的に答えた。


「里が襲われます!」


 ナイトが息を呑む。

 魔物が、里に向かったというのだろうか。

 そういえば、逃げていった方向は山から下りていくような――


「獲物が沢山いる所に向かってるんです!」



 ――『ウトリ・クラリア』は能動的に獲物を襲う。



 マギサから聞いた話が、頭の中で反響する。

 実際、見境なく襲っていたし、襲われた。

 親株は久しぶりに外に出たのだ。そりゃあ、獲物を食い散らかしたいだろう。

 食事も必要ないくせに。

 改めて、ナイトはマギサと同じように顔を青くした。

 もう、空を飛んでいることも気にならない。

 とにかく、一刻も早く里に着きたかった。



  ※             ※             ※



 上空から見た里は、既に子株に襲われていた。

 幸いにして、親株はまだ来ていないようだ。里の中でもそれなりに広く空いている、キラザの家の前に着地する。

 里は混乱の坩堝(るつぼ)と化しており、逃げ惑う人と響き渡る悲鳴で埋め尽くされていた。

 呆然と立ち尽くしていたキラザが、ナイトとマギサを見つけて駆け寄ってくる。


「ナ、ナイトさん! これは一体!?」

「山に住んでいた魔物です!」


 キラザが聞きたいのはそれ以上にあるだろうが、それしか答えられなかった。

 数が多すぎる。一体一体切り伏せていったんじゃ、親株が来てしまう。

 それに、もう既に食われている人ごと斬ってしまうことになる。マギサの話だと、食べられてすぐならまだ助けられるはずなのに。

 慙愧(ざんき)と自責の念が膨れ上がるが、今はそれに支配されている場合じゃない。

 どうにかして魔物を退治しなければ、全滅だ。


「ナイトさん」


 声に振り向けば、マギサが杖を構えて目を閉じていた。

 深く集中しているのが、見ているだけで分かる。杖の先に、空気が渦を巻いているように見えた。

 ナイトの視線を感じているように、マギサが言葉を続けた。


「私を、守って下さい」


 ナイトに成す術はない。今は、マギサに託す他なかった。


「分かった」


 マギサを背に、剣を構える。どこから来ても反応できるように、集中して気を張り巡らせる。

 掲げたマギサの杖の先に、小さな火が灯った。

 それは頭上高くに上っていき、徐々に巨大な炎へと成長していく。

 見えていないナイトにも、その火球が凄まじいことは伝わる熱で分かった。


 キラザは口を開けて、呆然とその火球を眺めている。

 同じように、里の人々も悲鳴を上げることも忘れて空に浮かぶ巨大な火の玉を見つめていた。

 人は、度を越した恐怖や、理解できない現象を目の当たりにすると声も出せなくなるらしい。

 まさに誰しもがそんな状態で、マギサが作り上げる炎に圧倒されていた。

 魔物達が怯えるように身を震わせ、動きを止める。

 火球は家と同程度の大きさになったところで膨張を止め、


 マギサが杖を振り下ろすのと同時に、幾つもの火球に分裂して降り注いだ。


 分裂した火球は、狙い過たず里を襲った全ての子株に命中し、燃やしていく。

 炎は捕肉嚢から根元へ移り、茎を伝わり、根を辿っていく。

 燃える子株は身を捩り、炎の爆ぜる音を断末魔代わりに崩れていった。

 砂となり、灰となった捕肉嚢からは、食われたはずの人が無傷で現れる。

 ナイトにしてみればすっかり見慣れた、狙ったもの以外は燃やさない炎だ。


 それにしても、こんな規模は見たことがない。炎が雨のように降ってきた時は、流石に慣れたはずのナイトも少しだけ肝が冷えた。

 とにもかくにも、これで里を襲った子株は始末できただろう。あとは親株だけだ。

 ナイトが剣を握り直し、


 子株の死骸も消え去らない内に、地震が里を襲った。


 再び悲鳴があちこちで上がり、倒れないよう踏ん張って、マギサの肩を抱いた。

 山と里の境界くらいの所で地面が盛り上がり、土を割って親株が飛び出してくる。

 見上げるほどの巨体は、真っ赤な炎に包まれていた。

 四枚の葉を広げ、(えり)巻きのような花弁を震わせ、家すら飲み込めそうな捕肉嚢を開いて空気を震わせる。

 痛くなるほどの耳鳴りは、悲鳴のように聞こえた。

 マギサの炎は、子株の根を伝って親株に届いていたのだ。


 思わずマギサを見れば、力なくナイトを見上げて頷いてみせる。

 間違いない。マギサは、親株まで燃やすつもりであの大火球を放ったのだ。

 親株が開放された今、子株の中には親株とまだ繋がっているものもあると踏んだのだろう。

 そして、それは見事に的中した。

 ナイトはマギサから手を離し、親株に向かって剣を構える。

 親株は燃えながら、身を(よじ)って周囲を破壊している。

 あの調子だと、もう少し持ちこたえてしまいそうだ。

 そうなると、もしかしたら、


 親株はマギサの方を向くと、まるでそこにいるのが怨敵と言わんばかりに突進してきた。


 妙な予感ほど、よく当たるものだ。


 マギサから少し離れるように前に出て、ナイトは剣を振り上げる。

 特に何も考えていなかった。

 余計なことは、全て頭から追いやって、考えることは一つだけ。


 作戦・マギサを守る。


 燃えながら突っ込んでくる親株に向かって、思い切り剣を振り下ろした。

 捕肉嚢を切り裂き、茎を真っ二つに割っていく。

 その勢いと手応えに剣を吹き飛ばされそうになりながら、満身の力を込めて握り込む。

 最後まで振り抜けば、両断された親株が地響きを立てて地面に転がった。

 炎が、二つになった親株を塵に変えていく。

 砂のように崩れ、真っ黒な灰となって、何もなかったかの如く風に流れて消えていく。

 それは多分、きっと、『下法陣』を使った人達と同じように。

 山に封じられていた『ウトリ・クラリア』は、この世からその存在を消した。


 剣を収めて、座り込むマギサに駆け寄る。

 肩を抱いて助け起こせば、弱々しくはあるがちゃんと反応してくれた。

 ナイトは安堵の息を吐く。今回は、随分とマギサに無理をさせてしまった。

 『魔法』の使いすぎは、余り良い事じゃない。『下法陣』ではないが、マギサの様子を見るに相当な負担を強いる行為だろう。

 それでも、流石に今回は『魔法』がなければどうしようもなかった。感謝の意味も込めて笑いかけると、疲れたのか少しだけ体重を預けてきた。

 早く休ませてやりたい。キラザの家に向かおうと顔を上げて、


 悲鳴が聞こえた。


 声のした方を振り向けば、ナイトが斬った親株の体が突っ込んだらしい家が、火の手を上げていた。

 マギサの炎では有り得ない。時間的に、夕食の支度でもして火を使っていたのだろう。

 ふとみれば、火の手が上がっているのはその家だけではない。時間と混乱具合を考えれば、無理もないことだ。

 だが、数が多い。一つ一つ消火していたんじゃ、どれくらいの被害になるか分からない。

 里の全員で協力すれば何とかなるかもしれないが、それができる状況じゃないのは火を見るよりも明らかだった。


 ナイトが手をこまねいてると、マギサがそっと杖を掲げ上げた。

 これ以上『魔法』を使うのは流石に危険ではないか。止めようと思ってマギサの手を握ると、その上から更に手を重ねられた。

 反応に困ってマギサを見下ろせば、はっきりと見つめ返され、首を横に振られた。

 こうなれば、もうナイトに抵抗する術はない。

 せめて少しでも助けになるよう、体を支えてやることくらいしかできなかった。


 マギサは杖を掲げ、目を閉じて意識を集中する。

 杖を中心に、何かが集まっていく感覚。ようやく慣れてきた、『魔力』が集まって形を成す予兆。

 まるでそれに吸い寄せられるように、どこかからやってきた暗雲が空を覆った。

 真っ黒い雲で空を敷き詰めると、マギサは軽く杖を振った。

 それが合図だったかのように、ぽつ、ぽつ、と水滴が当たる感触がする。

 それはあっという間に勢いを増し、雨となって里に降り注いだ。

 これで、火は燃え広がる前に消えてしまうだろう。


 杖を握る腕から力が抜け、マギサは意識を失ってナイトにもたれかかる。

 落ちる前にしっかり杖を掴み、ナイトはマギサの体を支えた。

 ここまで力を使い果たしたマギサを見るのは、騎士団から逃げた時以来だろうか。前の状態を考えると、あの時よりも酷いかもしれない。

 まるで死んでいるように反応がないマギサを、早く休ませようと抱きかかえて、



 怯えの混じった怒声を浴びせられた。



「お、おい! お前ぇ!」


 声のした方に顔を上げれば、里の人々が遠巻きにこちらを睨み付けていた。

 不信に猜疑(さいぎ)、憤怒に嫌悪。様々な悪感情が入り混じった視線が、ナイト達に突き刺さる。

 耳を覆う雨音が、次第に雑音となって意識から排除されていく。

 誰かの声は、その状態だと良く聞こえた。


「お前ら、一体何なんだよ!」


 悲鳴にも似た叫びに、ナイトは答えることができなかった。

 里の惨状、魔物との大立ち回り。今更、何を誤魔化せるはずもない。

 本当の事を言うべきだ。もう、他に道が無い。

 歯噛みし、気絶したマギサを見つめて躊躇したその一瞬が、道を分けた。


「お、オレ見たぞ! あの女が炎を操ってた!」


 誰かが、マギサを指差して叫ぶ。

 目撃者は他にも居たようで、俺も俺もと声が上がる。

 里の人々の目が、敵意と殺意に染まっていく。


「じゃあ、家を燃やしたのあいつじゃねぇか!」

「うちの子を、化け物ごと燃やそうとしたわ!」

「化け物だって、こいつらが連れてきたに違いねぇ!」

「そうだ! だって、今までそんなこと一度だってなかった!」

「ボク、見たよ! 大きな化け物が、あいつらに向かって襲い掛かってた!」

「やっぱりだ! 最初から里を巻き込むつもりだったんだ、こいつら!!」


 罵声と怒声が飛び交い、悪意が膨らむ。

 数を頼みに睨み付け、じりじりとナイト達との距離を縮めていく。

 ナイトは、黙って口を噤んだ。

 もう駄目だ。今何を言っても、彼らの耳には入らない。

 それに、彼らの言っていることは、別に全部嘘というわけでもない。

 確かに、あの親株達を連れてきたのは、ナイト達ではあった。


「ま、待って下さい!」


 リーナがナイト達の前に飛び出し、両手を広げて立ち塞がる。

 舌打ちが聞こえ、ナイト達に向けたものと同じ視線をリーナに向ける者も居た。


「どけ、リーナ。里長の娘といえど、我侭も限度がある」

「この人達のせいじゃありません! 皆無事だったじゃありませんか!」

「運が良かっただけだ! 結果的にそうなりゃ、何だって許されるわけじゃねぇ!」

「でも、この人達が化け物を連れてきたと決まったわけでも、」

「じゃあ、何でいきなり里が襲われたんだよ!」


 リーナが言葉に詰まり、誰かが唾を吐いた。

 再び距離が詰められ始め、リーナが後ずさる。忌々しげな誰かの舌打ちが、雨の中によく響いた。

 追い詰められるリーナの肩に、キラザがそっと手を乗せる。

 リーナを押しのけて前に出れば、里の人達も流石に歩みを止めた。


「皆さん。里が襲われたのは、何もいきなりではありません」

「はぁ? 何言ってんだ?」


 キラザの言葉に、不愉快そうに里の人々は顔を顰める。

 それに構わず、キラザは話を続けた。


「あの化け物は、以前から山で人や動物を襲っていたものです。以前会合で話した通り、私は個人的に彼らに調査を依頼していました」


 里の人々の間に、どよめきが走る。

 曲がりなりにも里長の話だ。そう言われれば、むやみに疑えない。

 だが、それで何もかも納得できるかといえば話は別だ。


「それなら、何で今日は直接里が襲われたんだ?」

「それは……彼らに聞いてみないと、分かりませんが」


 キラザに釣られるように、全員の視線がナイトとマギサに集まる。

 意識の無いマギサを抱え、雨に打たれながら、ナイトは考える。

 嘘を言っても仕方が無い。

 本当のことを話すのが一番いい。

 けれど、ここまで被害を受けた人達に、追い討ちをかけるようなことはしたくない。

 その全てを満たす選択が、一つだけ見つかった。

 ゆっくりと顔を上げ、ナイトは全員を見回して言う。



「僕らが、あの魔物を解放したからです」



 空気が固まる。

 キラザとリーナの顔が驚愕に染まり、里の人達の顔が紅く変色していく。

 日も沈み、雨雲が空を覆うこの状況では、ナイトの表情なんて誰にも見えなかった。


「あれは、山に封じられていた魔物です。『使役』しようとして失敗し、自由になって里を襲いました。見ての通り退治したので、もう山は安全です」

「そういう問題じゃねぇだろぉ!!」


 里の誰かがあらん限りの怒声を上げ、呼応するように皆の感情が爆発した。

 雨音が聞こえなくなるほどの罵声と怒声がナイトにぶつけられ、敵意と殺意が場に満ち満ちた。

 最早、ナイト達が何者か、などという誰何(すいか)をする人物はいなかった。

 端からどうでもいいのだ、ナイト達の正体など。悪い誰かが居さえすれば。


 そして見事、ナイト達は里の人々にとって許しがたき極悪人となった。


 キラザもリーナも、驚いて固まったまま身動き一つ取れない。

 その様子を横目で確認して、良かった、と心底ナイトは思う。これで、二人がとばっちりをくらうことはないだろう。

 嘘は、一つも、言っていない。

 怒りの熱気が渦を巻き、最高潮に達したとき、誰かが更なる暴挙に出た。



 足元の石を拾って、思い切りナイトに投げつけた。



 誰か一人がやりだせばすぐに歯止めが利かなくなり、人々は手当たり次第に掴んだものを投げつけ始めた。

 マギサに当たらぬよう庇いながら、ナイトは投げられたものを体で受け止める。

 ふと、嫌な風切り音が聞こえ、反射的に剣を振るった。

 切れ味のよさそうな包丁が、からんと地面に転がった。


「てめぇ、抵抗してんじゃねぇ!」


 里の誰かの怒声が鼓膜に突き刺さる。

 怒りに満ちた目には、ナイトの姿はそれはふてぶてしく映ったことだろう。


「悪党の分際で、ふざけんじゃねぇ!」

「そうだ! 悪党は死ね!」

「死ねぇ!!」


 悪意と共に、拳大の石が投げつけられる。

 思い切り剣を振るって、石を弾き飛ばした。

 深く呼吸をして、ナイトは目に力をこめて里の人々を睨み返す。

 人々は一瞬肩を振るわせ動きを止めるも、それが逆に(しゃく)(さわ)って叫びを上げる。


 ナイトは大きく剣を振り上げ、渾身の力を込めて振り下ろした。


 雨粒すら弾く剣風が、最前列にいた誰かの髪を揺らす。

 罵声が止み、足が止まる。

 その隙を縫うように、ナイトは剣を収め、杖とマギサを抱えて山に向かって走り出した。

 追いかけようとする人は、誰も居なかった。

 雨の振る中、ナイトの背中が山の暗闇に消えていくのを、誰もが呆然と見つめていた。




 こうして、山の異変は終わりを告げた。



 騎士リデルが里を訪れたのは、この後すぐのことだった。

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