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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
18/85

第十六話 「リーナの里・4」

――『魔道具』とは、『魔法』によって創りだされた道具の総称である。

 規模や形状は様々で、現代においてその全容を把握している者は誰もいない。

 掌に収まるものから建物そのものまで、一概(いちがい)にまとめられる特徴はなく、発見されてから『魔道具』だと判明するまでにかなりの時間を(よう)したものもある。


 現在、公式に存在が確認されている『魔道具』は、その全てを国が管理している。

 その多くが用途も効果も不明だが、一部分かっているものもある。

 それらは全て、『魔法』のない現在では再現不可能な力を持っていた。

 一振りするだけで風を起こし、大木すら切り裂く剣。見えない弾を打ち出す筒。とある杖は巨大な雷を自在に落とし、白銀の指輪はあらゆる攻撃を跳ね返した。

 使うと極端に疲労し、回復するまで使えなくなることを除けば、それは何の制限もない恐るべき力だった。


 『魔道具』は当然の如く国家によって集められ、一般人は見ることも叶わない。

 代々の王もその力を恐れたせいか、研究もろくに進んでおらず、『魔道具』に関する知識は殆どないと言って過言ではない。


 『魔法使いの里』や、隠れて研究している者以外は。


 マギサも『魔法使いの里』で育った以上、ある程度の『魔道具』に対する知識は有している。むしろ、様々な逸話に繋がる物もある分、里でも知識は多い方だった。

 『魔法使いの里』では、『魔道具』を主に三つに分類していた。


 持ち運びが可能で物体として存在する『器具』。

 記号や図形によって表され、ある意味無形で持ち運べない『陣』。

 建物などの、巨大すぎて動かせない『装置』。


 どれも、主な用途は二つ。『魔法使い』が楽をする為と、『魔法使い』以外にも『魔法』を使わせる為だ。

 例えば、マギサの持っている杖も、『魔法』の高度な制御を補助する『魔道具』である。

 それにより、普通より使う『魔力』を少なくできる。特定の『魔法』を発動させるようにしている『魔道具』にしたって、一々『魔法』を使うよりも楽だ。


 そして、もう一つの用途。

 『魔法使い』以外の人間も、実は『魔力』を持っている。

 それを自在に操り、『魔法』を行使できるのが『魔法使い』というだけの話だ。

 『魔道具』は、その多くが自力では使えない『魔力』を引き出す性質を持っている。

 それ故、『魔法使い』以外も使用できて、『魔法』と同じ力を行使できるのだ。

 極度に疲労するのは、『魔法使い』に比べ少ない『魔力』を消費したからである。今まで何度かマギサの身に起きたように、大量に『魔力』を消費すると起きる現象だ。

 これが、通常の『魔道具』である。


 では、『山小屋』にあったもの、マギサが『下法陣』と呼んだものは一体何か。


 『魔道具』の三つの分類は、更に二つに分けられる。

 通常のものと、『下法』と呼ばれるものだ。


 『下法』とは、何か。


 『魔道具』は、自力では使えない『魔力』を引き出し、『魔法』と同じ力を行使する性質を持つ。

 そして、『魔力』は使いすぎれば極度に疲労し、マギサのように意識を失う事もある。

 そこから更に『魔力』を使えばどうなるか。



 消えるのだ。綺麗さっぱり、跡形も残さず。



 この現象は『魔法』が暴発した時と同じもので、限界を超えて『魔力』が失われ、存在が抹消される。

 『魔法使いの里』では、この事から『魔力』は人をこの世に止め置く力であり、世界との繋がりそのものだと言う者もいた。

 真実は分からない。しかし、『魔力』が全て失われれば、その人は消えてしまう。

 その事だけは、事実として存在していた。


 『魔道具』の中でも『下法』と呼ばれるものは、『魔法使い』以外が使えばこの現象を引き起こすのだ。

 自在に操ることができない為、無理矢理『魔力』を全て引き出されてしまう。

 その性質故、通常の『魔道具』よりも強い効果を持つものが多い。それも含めて、『魔法使いの里』では非常に危険視されていた。


 命と、存在と引き換えに、強い『魔法』の力を行使する。


 それが、『下法』の『魔道具』である。



 『山小屋』にあったのは、血を媒介(ばいかい)とし『魔力』を引き出す『下法陣』だった――



  ※            ※             ※



 『山小屋』から出た所で、マギサはナイトに気づかれないよう深呼吸をした。

 外れて欲しいと思った考えばかり、良く当たるものだ。


 異変の直接的な原因は、『ウトリ・クラリア』で間違いない。

 理由も動機も不明だが、国の調査団を名乗った男達が半端な知識で『下法陣』に手を出し、その効果を弱めてしまったのだろう。

 かつての『魔法使い』が創ったと思しき『下法陣』は難解で、古さも相俟(あいま)ってマギサにも全てを理解することはできなかった。

 下手な上書きがどのような影響を及ぼしたかも分からない。ただ、『陣』を形成する文字や記号、図形には必ず意味がある。それが崩されれば、綻びが生じるものだ。

 その隙間から、子株だけが顔を出すことができた、というのが異変の実態だろう。


 『陣』は完全に効力を失ってはいない。親株は多分、閉じ込められたままだ。

 伝承が残っているということは、最初に封じたときの話が伝えられたのか、それともこの『下法陣』は一定周期で『魔力』を補充しなければいけない類なのか。

 どちらにせよ、あれに根こそぎ『魔力』を吸われて消えた人がいる、ということだ。


 目眩がする。

 話には聞いていたし知識は持っていたが、実際に目の当たりにするときつい。

 悪意が塗りこめられたような作りの『陣』に、血痕一つない床。発動条件といい、人を苦しめることしか考えてないようだ。『魔法使い』が恐れられるのも分かる。こんなの、恐ろしくない方がおかしい。

 何より、本当に消えてしまうのだと思い知らされた。


 里の伝承が正しければ、ここで心臓を貫くなりなんなりして死んだ人が最低一人はいるはずだ。

 血の痕一つ、髪の毛一本見当たらない。

 まるで何事もなかったように、跡形もない。

 それともそれは考えすぎで、年月を経て風化したか、手入れでもしたときに片付けられたせいだろうか。

 もしそうなら、そっちの方がいい。『魔法』で保存された『山小屋』で、染みの一つもなく消えてしまうのかは分からないが。


 そう、この『山小屋』は、『魔法』で保たれている。

 そうでなくば、とっくの昔に腐れ落ちて風化していることだろう。

 そこまでして『下法陣』を維持したかったのかと思うと、創った『魔法使い』の悪趣味さが窺える。

 『使役』の効果なんて、ほぼ無意味だ。閉じ込める効果もあるのだから『使役』したって何もできないし、術者が死ねば上書きできる。

 嫌がらせか、余分に『魔力』を消費させる為としか思えなかった。

 うっかり漏れた溜息を、耳聡くナイトが聞きつける。


「大丈夫?」


 心配げな顔で、マギサと目線を合わせようとしてきた。

 察しが悪いくせにやたらと気を使ってくるのが、マギサにはなんともむず痒い。


「はい。それより、どうしますか?」

「どうする、って?」

「『下法陣』――ひいては、異変ですが。どう解決しますか?」


 唸るナイトの横顔を見ながら、『陣』の対処法を思い出す。

 綻びが出始めている今なら、壊すだけなら然程難しくはない。

 完全に読み解けていないから正式な解除は無理だが、刃のない包丁が役に立たぬように、肝心な部分を壊してしまえば用を成さなくなる。

 『魔道具』も、要は道具だ。構造を理解すれば、対処の仕方は幾らでもある。

 だから、どういう結果が欲しいのか、で対処法も変わってくる。

 ナイトはいつものように、少し困ったような笑みを浮かべてマギサを見返した。


「とりあえず、他にも何かないか探してみよう。もしかしたら、違う原因が見つかるかもしれないし」

「……分かりました」


 そんなことは万に一つも有り得ないが、マギサは肯いた。

 頭の整理が追いついてないか、信じたくないのだろう。里の人達にとって切っても切り離せない関係の山に、実は遥か昔から魔物が住み着いていて、その魔物にまつわる伝承を後生大事に守って拝んできただなんて。

 この事がもし知られたなら、里の人達の心にどれだけの傷がつくことだろう。できれば違って欲しい、とナイトが思うのは理解できた。


 マギサだって、『下法陣』の事は何かの間違いであって欲しかった。

 自分の読み解きが間違っていたのなら、それはそれで良い事だ。

 だが、状況証拠とあわせて考えれば、そこに疑う余地はなかった。

 それでも、ナイトが納得するまで付き合うことにした。そういうナイトだから、ここまで一緒に旅をしてこられたのだ。

 ナイトの意思を無視してやることに、意味があるとは思えなかった。

 行こう、と声をかけて進むナイトの後を、マギサは転ばぬよう足元に気をつけながらついていく。


 儀式が行われるのは明後日。

 時間の猶予は、実質あと一日半といったところだった。



  ※             ※              ※



 日が沈むまで歩き回って、結局一つも『違う原因』は見つからなかった。

 見つけることができたのは、まだ渋みの強そうなグミの実と、狸を捕食する魔物の子株だけだった。

 昨日の時点で分かっていた事ではあったが、この魔物は見境なく捕食している。

 小動物の姿を見かけなかったのも、ナイト達を見るなり逃げていったのも、魔物のせいで警戒心や怯えが強くなっていたからだろう。

 この調子では、山の主はとっくに魔物に喰われていることだろう。キラザもマギサも、誰もが予想した通りに。


 肩を落としながら下山するナイトの後ろを、マギサがついていく。

 余りに分かりやすくて、マギサはかける言葉を見つけられない。何を言っても現実が変わるわけじゃないし、今はどうすることもできないと思う。

 原因が『山小屋』と『山神様』である以上、誰も傷つかない異変の解決法は、どこにもなかった。

 何がどう転んでも、誰かが傷つくことになる。真相を話さず解決した所で納得してくれるとは思えないし、してくれた所で『山小屋』に手を入れたのが見つかればキラザ達が責められることになる。


 まさに八方塞がりとはこのことだ。

 マギサの知る限り、ナイトはそれを仕方ないと納得するような人間ではなかった。

 同時に、納得できないからと冴えた案を思いつくような人間でないことも。

 唸るだけ唸って、やけくそみたいな選択をする人間なのだ。

 里が見えたところで、ナイトが後ろを振り向いた。


「明日も、昼過ぎくらいまで探してみよう」

「いいですが、明後日はもう」

「うん、分かってる。遅くても夕方には、『山小屋』に行こう」


 そういってぎこちなく笑うナイトに肯き返して、里に入っていく。

 迷う時間も、余り残されてはいない。明日の夕方は、マギサから見てもかなりギリギリの線だ。

 『下法陣』の対処でもたつく時間はない。明日の朝まで、可能な限りの対処を想定しようと決めた。


 ナイトの背中越しに、夜だというのに行き交う里の人の姿が見える。

 昨日よりも少しだけ多い。多分、明後日に迫った儀式の準備をしているのだろう。

 こちらを見て嫌そうに顔を顰めるも、何も言ってはこなかった。

 朝にキラザから言われたとおり、本当に山に入ってもいいことになったらしい。

 絡まれないのはいいことだ。苦笑するナイトと一緒に、キラザの家に戻る。

 玄関をノックすれば、すぐにリーナが出てきてくれた。


「お帰りなさい」

「あ、はい、ただいまです」


 その柔らかな微笑に、ナイトが一瞬呆けてどもる。

 前から分かっていたことだが、ナイトは女慣れしていない。村では、クーアがいつも近くにいたというのに。

 おそらくだが、クーアを女としてみていなかったのではないか。だから平気なのであって、逆に女としてみてしまう相手には耐性がないのではないか、とマギサはみている。

 それはつまり、一緒にいても平気なマギサのことも、女と見做(みな)していないということを意味する。

 やや不愉快な気持ちになりながら居間に向かえば、キラザが笑って出迎えてくれた。


「やぁ、お二人とも、お帰りなさい」

「はい、ただいまです」


 いつもの締まりのない笑顔で答えるナイトを横目に、マギサは肯いて返す。

 挨拶し返せればいいのだが、出会って間もない人と気安く話すのは苦手だ。特に、こういう挨拶は口にするのに躊躇(ためら)いを覚える。

 その態度は、人が見て余り好ましいものではないだろう。だからいっそのこと、気兼ねなく言えるようになるまで言わない事にした。

 昔からそんな性格で、お婆ちゃんに笑われたこともあったが、最近自分でも酷くなったと思う。


 こっちの原因なんて、考えるまでもないけれど。


 キラザは気にした風もなく、二人に席を勧めた。


「それで、今日はどうでした?」

「え、あー……」


 ナイトが言い辛そうに言葉を濁す。

 進展があった、どころか、ほぼ原因が特定できたと言っていい。だが、ナイトがそれを素直に言えるはずもない。

 いつも通り、いざとなったら話を代わることにして、マギサはお茶を啜った。


「まだ、その、これといったことは、あの、すみません」

「あぁいえ、謝らないで下さい。仕方ありませんよ」


 頭を下げるナイトに、キラザが優しく笑って首を振る。

 ナイトの顔が痛みに小さく歪んだのを、マギサは見逃さなかった。


「明日には、多分、何とかします」

「無理はしないで下さいね。地図にも描いてますが、危険な箇所もそれなりにあるので」


 気遣うキラザに、はい、と神妙にナイトは頷いた。

 多分、今キラザ達に見えているナイトと、マギサに見えているナイトは違う。

 そのことが、何故だか少しマギサには嬉しかった。

 キラザが気遣うように、ナイトに世間話を振る。


「そういえば、リーナの料理は如何でした? 自慢した分、気になりましてね」

「あぁ、はい、とても美味しかったです」


 破顔(はがん)して頷くナイトに、これまた嬉しそうにキラザが、そうでしょう、と自慢げに笑う。

 ナイトの笑顔には話が逸れたことによる安堵もあろうし、マギサとてその意見には異論はないのだが、それにしたって極端だと思う。

 さっきまで神妙な顔をしていた人間とは思えない。旨い食事は男を捕まえる最良の手段だと誰かに聞いた覚えがある。今まさに、実演されている気分だ。


 ちなみにマギサは、レシピ通りに作るのなら得意だ。逆を言えば、レシピがないものは作れないし、アレンジしたりといったこともできない。昔母親に料理を教わったとき、塩を少し振るの少しとはどのくらいの量かと問い詰めて怒られた事がある。

 それ以来、料理といえば祖母の手伝いをするくらいしかしたことがなかった。


 気がつけばナイトとキラザは料理の話に華を咲かせており、もうすぐ夕食だからか今晩の献立を予想していた。

 渓流が近くにあるおかげで、魚がよく獲れるらしい。羨ましがるナイトに、明日は魚料理にしてもらうよう頼んでおくとキラザが胸を叩いた。

 ナイトが諸手を挙げて喜ぶと、キラザは心底残念そうに言う。


「山に入れれば、この時期ならではの山菜料理を楽しんでもらうのですが。鹿鍋なんかも美味くてですね。果実がとれれば、酒も作れますよ」

「あー……それは、その、残念です」


 苦味の強い笑みのナイトに気づいて、キラザはバツが悪そうに押し黙った。

 キラザに悪気がないことくらい、ナイトもマギサも分かっている。

 キラザの話しぶりは、むしろ里にとってどれだけ山の恵みが当たり前のものだったのかを教えてくれていた。

 ナイトにしてみれば、益々真相を話せなくなったということでもある。

 気まずい空気が漂うが、マギサに打開策はない。なんともしてあげられないことが、ほんの少し心苦しくはあった。

 一転して沈黙が支配する居間に、いい匂いを纏わせてリーナが顔を出す。


「夕食の支度、できました」


 その一言にナイトもキラザも救われたような顔になり、乾いた笑いを上げて互いに顔を見合わせた。


「それじゃ、食べましょうか」

「はい、そうですね」


 料理を運ぶためだろうか、席を立つキラザに釣られるようにナイトも腰を浮かせる。

 見咎めたキラザが、苦笑して首を横に振った。


「運んできますから、少しお待ち下さい」

「手伝いますよ」

「いえ、お疲れでしょう? この程度任せて下さい」


 笑顔で押し切られれば、ナイトに抵抗する術はない。

 大人しく座り直し、居間から出て行くキラザを見送った。

 ドアを開けたところで、ふと立ち止まってキラザが振り返る。


「そうそう、夕食が終わりましたら、ちょっと出てきます。帰りは遅くなりますので、気にしないで下さい」

「あ、はい、分かりました」


 ナイトの返事に笑って頷いて、キラザは改めてリーナと連れ立って出て行った。

 緊張が切れたようにナイトが溜息をついて、背もたれに体を預ける。

 今度居間を支配した沈黙は、先ほどと違って気まずいものではなかった。

 その静寂に溶け込むように、ナイトが口を開く。


「今夜も会合やるのかな」

「儀式の打ち合わせだと思います」


 ナイトの呟きに言葉を返すと、明後日だもんね、と納得された。

 全体で何かをやるとき、長はそれを仕切らなくてはならない。それが仕事だ。

 自分の娘を生贄にする儀式の仕切りをするのは、一体どんな気分なんだろうか。

 出来れば一生知りたくないと、マギサは心底思った。

 ナイトの顔を盗み見れば、痛みに堪えるような表情で虚空を見つめていた。


 多分、あれやこれやと色々考えているのだろう。

 何もかもが丸く収まる道を探して。

 マギサも、そんな道があればいいと思う。

 思うことと、実際にどうかとは別問題だ。

 時間をかければ見つかる可能性もあったかもしれないが、そうも言っていられない。

 ナイトの考え事の邪魔をしないように、マギサも『陣』の対処の想定をし始める。

 耳鳴りがするような静寂が、ナイトとマギサを包んでいた。

 無言の時間は、キラザとリーナが料理を運んでくるまで続いた。



 夕食は、魚料理ではなかった。



  ※              ※              ※



 いつもより少し早い時間に、マギサは目が覚めた。

 色々あって疲れたせいか、昨夜は思ったより早く寝てしまったようだ。対処の想定をしながら寝たせいか、『魔法』の勉強をしていたころの夢を見た。

 もう、遥か遠い昔のことに思える。

 考え事をしながら寝た時特有の、ぼやっとする頭を抱えてベッドから降りる。

 顔でも洗って頭をはっきりさせよう。そう決めて、杖も持たずに部屋を出た。


 朝早いからか、誰の姿もない。キラザはまだ帰ってきていないだけかもしれないが。

 玄関を開ければ、濃い朝靄が出迎えた。

 谷にあるこの里は、ナイトの村とは比較にならないほど霧が深い。今はまだいいが、これが酷くなると目の前にいても誰か分からなくなりそうだ。

 出そうになった欠伸(あくび)を噛み殺して、裏手にある井戸に向かう。

 家の中に汲み置きの水くらいあるだろうが、それを使うのは気が引けた。

 角を曲がって裏手に出たところで、思わぬ光景にマギサの足がぴたりと止まる。


 剣を持ったナイトと、手拭いを持ったリーナ。


 咄嗟(とっさ)に壁に隠れ、見つからないようにこっそりと覗き見る。

 何か話しているようだが、今のマギサの位置からではよく聞こえないし見えなかった。

 軽く深呼吸して、『魔法』を使う。

 視覚を強化して限定地点の音を拾うだけなら、さほど苦もなく行える。こんなことに『魔法』を使うのはどうか、という自分を()じ伏せ、もう一度ナイト達を覗き見た。

 どうやら、いつもの朝の鍛錬をしていたところにリーナが来たらしい。ナイトの弱々しい笑顔とリーナの希薄(きはく)な微笑がよく見える。

 『魔法』は問題なく成功しているようで、今度は声もちゃんと聞こえた。


「もう習慣になってるんです。なんかこう、やらないと落ち着かないというか」

「旅の間も、ずっと?」

「えぇ、まぁ、はい」

「ナイトさんは、根が真面目なんですね」


 困ったようにナイトは笑って、リーナも霧に溶けていきそうな笑みを浮かべた。

 朝に相応しい、朗らかな会話だ。どこにも悪い所はないのに、マギサは何故か胸焼けがしそうな苛立ちを覚える。

 深呼吸をして謎の胸焼けを押さえつけ、耳をそばだてる。

 最早、自分がどうしてナイト達を覗いているのかも分からない。けれど、何故かそうしなければならない気がしていた。


 二人とも、気になる人物ではある。

 ナイトは言うに及ばずだが、リーナだって気にしているのだ。

 何も悪くないのに、母を失い、父に守ってもらえず、里の皆に望まれて命を絶たねばならない。そんなに酷い話はないと、マギサだって思う。

 最初にキラザと話したときに口を出したのは、どうせナイトが首を突っ込むだろうから先んじて聞いたというのが主な理由だが、マギサだって気にならなかったわけではない。

 何か余りよろしくない理由があるだろうことは、リーナと会った時から分かっていた。

 分かっていて、何も聞かずに立ち去ることは、マギサにも出来なかったのだ。

 話を聞いた以上、キラザのこともリーナのことも気にするなというのは無理がある。

 一昨日の夜、星空を見ながらナイトに話したことは一つも嘘ではない。

 リーナを助けたいのは、マギサだって同じだ。だから、キラザに口を割らせたのだ。


 だから、二人が話しているのが気になるのだろうか。

 多分、そういうことだと思う。それ以上考えるのを止めて、マギサは二人の会話に集中した。

 少し前から、世間話も尽きたのか二人して黙っている。ナイトは勿論、リーナも元からお喋りな方ではないようだ。

 黙ったまま二人して佇んでいると、妙な雰囲気に見えてくる。

 息を殺してじっと耳を澄ませていると、ナイトの声が聞こえた。


「あの、一つ聞いてもいいですか?」

「はい、なんでしょう?」


 受けるリーナの声に、少し緊張が見て取れる。

 こっそり覗けば、ナイトが真面目な顔でリーナを見つめていた。

 ナイトはとにかく隠し事に向かず、思ったことがそのまま態度に出る。

 あぁいう顔をしたときは、そのまま大事なことを言うときだとマギサは知っていた。


「辛くは、ないですか?」


 本当に、ナイトは頭が悪いと思う。

 直球過ぎて、どうしようもない。そのことを誤魔化す為にリーナがどれほど努力したか、事情を知って様子を見ていれば分かりそうなものなのに。

 そう言わない為に、山ほど色んなものを噛み殺してきただろうに。

 それを、真顔で、真っ直ぐにぶつけてくる。


 嘘も偽りも、入る余地はどこにもない。

 思ったことを直接、そのまま口にしただけ。


 だから、容易く相手の心に届いてしまう。

 そのことを、マギサは良く知っていた。



 嗚咽交じりのリーナの本音が、マギサの鼓膜ごと内側を振るわせた。



「死にたく、ないです」



 しゃくりあげる中に混ざる言葉が、いやに鮮明に聞こえる。

 かつての自分と混ざり合って、頭の中に溶け込んでいく。

 死にたくて死ぬ人間は、余りいないと思う。

 誰しもが、どうしようもないから死ぬのだ。

 死なずに済むなら、それ以外の選択肢を選べるなら、そっちの方がいいに決まってる。

 リーナは、それ以外の選択肢を選べなかった。

 皆の為ならと、受け入れた。

 それでも、別に死にたいわけではないのだ。


 リーナの泣き声が、胸を締め付ける。息が苦しくなって、こっちまで泣いてしまいそうで、腕をぎゅっと掴んだ。

 こんな時ばっかり、頼ってしまいたくなるくらいしっかりとナイトが言う。


「分かりました。何とかします」


 冴えたやり方の一つも思いついていないくせに。

 それでも、はっきりとナイトが言うだけで、心が暖かくなるのを感じた。

 見つかってしまわぬ内に、マギサは顔を洗うのを諦めて家に戻る。

 頭はもうはっきりした。今日も山を歩き回るし、夕方になれば『陣』に立ち向かわなければならない。休めるときに休まなくては。

 落ち着いていつも通りにできるまで、ベッドに寝転がろうと決めた。

 その間に、『陣』の対処の想定と、魔物の対策を練ろう。『使役』が通じるから問題ないが、『陣』をなんとかした後すぐには『魔法』を準備できない。今回の魔物は、物陰に隠れても意味がないだろうし。



 何が何でも、異変は解決する。



 そう固く決意して、マギサは部屋に戻った。

 今日は、忙しい一日になると思う。

 そういう予感だけは、嫌になるくらい当たるのだ。




 生贄の儀式は、明日に迫っていた。

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