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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
17/85

第十五話 「リーナの里・3」

――全ての始まりは、二年程前に妙な二人組の男が里を訪れたことだった。


 国の調査団を名乗るその男達は、身分を証明する代わりに許可書を見せ、里の人達の事など無視して山に立ち入った。

 許可書には野狐(やこ)(かたど)った印章が()されており、疑うなら騎士団を呼んでもいいとまで言われれば、キラザ達では何も言えない。

 それでも、里に何の配慮もなく調査して回る男達のやり方は、里の者にしてみれば荒らしているのと変わらなかった。

 その腹いせというわけでもないだろうが、キラザは念の為にその印章をこっそり写し取っていた。もしもの時の為の備えだ。


 数日すると、男達は『山小屋』に入り浸るようになった。

 里の人間からすれば、『山小屋』は伝承にもある神聖な儀式の場であり、『山神様』を祭る場所でもある。余所者に土足で踏み込まれて、いい気がするはずもなかった。

 しかし、相手はおそらく正式な許可書持ち。文句を言ったところで、(やなぎ)に風、暖簾(のれん)に腕押し。聞く耳を持つ相手ではないことは分かっていた。


 加えてこの時、キラザはやや微妙な立場に居た。

 キラザの妻、即ちリーナの母が伝承に否定的で、男達が来る少し前から『山小屋』を取り壊そうと呼びかけていたのだ。

 『山小屋』はいつからあるのか分からないぐらい古く、山で何かあったときの休憩所としては不安が残る。それに、そもそも儀式の場だから無闇に立ち入ることはできない。

 キラザの妻はそれを問題視しており、『山小屋』を新しく誰でも使える休憩所として建て直そうとしていた。

 勿論、里の人間が納得するはずもない。あちこちから反対され、罰当たりと呼ばれ、里長の妻でありながら里中から白い目で見られていた。

 『山小屋』を取り壊さず新しく作ればいい、という意見もあったが、彼女は意見を曲げなかった。

 『山小屋』のある場所は休憩所としての立地が実に良く、他の場所に作るよりも安全度が高い。何より、生贄の伝承だなんて不吉なものは捨てたほうがいい、というのが彼女の言い分だった。


 キラザはこれに実に頭を悩ませていて、なんとか妻を説得しようとしたものの、上手くいかない。

 ならばと、折衷(せっちゅう)案として『山小屋』の近くにもう一つ作れば、と言ってみたものの、里の者からは不遜(ふそん)だと反対され、妻からは安全性が下がると却下された。

 そんな状況で、余所者が『山小屋』に出入りしているとなれば、里の者の心中は穏やかではいられない。

 有形無形のせっつきに、キラザはどうすることもできないでいた。

 男達に止めさせることも、里の者を(なだ)める事もできない。

 溜息ばかりが増え、里の者の視線が刺さる日々を過ごしていた。


 そんな毎日が、ある日突然終わりを告げた。

 調査団を名乗っていた男達が、里からも山からも姿を消したのだ。

 ある里の者の話によれば、男達の内の一人が、まるで逃げるように山から下りて里を出て行ったらしい。

 男達は、二人組。もう一人は、誰も見た者はいなかった。

 里の者からすれば、目障りな余所者が消えてくれたことには違いない。喜ぶ者は居ても、それを深く考えようとする者はいなかった。


 キラザの妻、以外は。


 調査団を名乗る男達がいなくなってから、彼女は『山小屋』を取り壊そうとは余り言わなくなった。

 代わりに、山を歩き回ることが増えた。

 まるで何かを探すように、彼女は暇があれば山に入っていった。

 相変わらず伝承には否定的だし、行動は気になるものの、キラザにしてみればそんなことはどうでもよかった。

 これで、妻と里の皆が衝突する機会がぐっと減る。九死に一生を得た心持ちで、ほっと胸を撫で下ろしていた。



 そして、悲劇は始まった。



 男達が消えてから一年が経つか経たないか、という時期だった。

 彼女が、夜になっても山から下りてこなかった。

 幾らなんでも、有り得ない。彼女とて里で生まれ育ったのだ。山の恐ろしさは耳にタコができるほど聞いているし、今まで一度もこんなことはなかった。

 慌てふためくキラザに、何かあったのかもしれないから朝になるまで待とう、と里の皆が宥めた。


 そして、朝になっても、彼女は戻ってはこなかった。


 怪我でもして動けないのかもしれない、とその日は里の皆総出で彼女を探した。

 結局、日が暮れるまで探しても彼女は見つからなかった。

 もう、探していない場所はどこにもなかった。隣の山まで足を伸ばしたのかもしれない、というキラザの訴えは、そんなことあるわけないと退(しりぞ)けられた。

 尤もな話で、そんなことを言ったら一帯の山々を全て調べなければならない。

 流石にそんな余裕は、里のどこにもなかった。


 キラザの妻は、山でよくある行方不明として扱われた。

 余り口の良くない里の者の間では、一人で『山小屋』を壊そうとでもして、『山神様』に喰われたのだ、などという噂が(ささや)かれたりもした。

 それが笑い事でなくなったのは、それから一月余りが過ぎた頃だった。

 里の者が、またも山で行方不明となった。


 山菜取りついでに里長の奥さんでも探してきてやる、などと(うそぶ)いて山に入ったっきり、夜になっても朝になっても帰ってこなかった。

 再び里総出で探しても、影も形も見当たらない。

 キラザの妻と同じように行方不明として扱われるも、噂が真実味を帯び始めるのに時間はかからなかった。

 それから半年。ほぼ一月一人の頻度で行方不明者が出た。

 その頃にはもう、噂は半分真実となり、里長の妻が『山神様』を怒らせたせいで里の者が喰われている、ということになっていた。


 当然、キラザへの風当たりは強くなる。

 会合の度に嫌味を言われるのはまだマシな方で、直接的に胸倉を捕まれたり、泣きながら殴りかかられたことさえもあった。

 その誰もが、山で消えた人の家族であった。

 リーナも、無関係ではいられなかった。直接的にどうこうはなかったが、冷たい目で見られ、距離を置かれた。

 いっそ、里長を変えようという話も出たくらいだ。

 その間も、犠牲者は増え続ける。キラザは騎士団に助けを求めるも、必ず行くという約束を取り付けるが、具体的にいつ、とは言われなかった。

 騎士団にしてみれば、よくある山での遭難事故の類だ。魔物が頻出(ひんしゅつ)している現在、その調査に割ける戦力的余裕はない。


 山への立ち入りを禁止にするべきかの会合が何度も開かれ、取り留めのない議論が朝まで交わされた。

 里には、不安と不満が充満していた。

 かといって、それを全てキラザにぶつけるわけにもいかない。身内であり、曲がりなりにも里長なのだ。そんなことをすれば、里の暮らしに影響が出る。

 溜まった鬱憤(うっぷん)()け口は、外に用意するほうがいい。

 そうして持ち出されたのが、あの国の調査団を名乗る男達だった。

 『山小屋』へ出入りしていたし、怪しさでは抜群(ばつぐん)だ。叩くのに、これ以上都合のいい存在はいなかった。


 ――そもそも、あの男達が『山小屋』で何かしでかしたに違いない――


 逃げるように出て行った、という目撃情報も、その話に信憑(しんぴょう)性を与えていた。

 キラザの妻がやったことは最後の一押しみたいな扱いにされ、主犯はその男達ということになった。

 これなら、里の誰も傷つかない。思う存分、怒りをぶちまけることができた。

 そうして、里の者は余所者を忌み嫌うようになった。

 この異変を起こしたそもそもの元凶が、余所者にあるからだ。

 しかし、鬱憤の晴らし先を見つけたところで事態が解決するわけではない。

 異変を解決するべく持ち出されたのは、やはりというべきか伝承だった。


 ――山で人が消えたら、それは『山神様』の仕業である――


 今起きている現象は、余りに伝承と一致していた。

 だからこそ、同じ伝承によって解決できると里の皆は思ったのだ。


 ――『山神様』を鎮めるには、『山小屋』にて儀式を行うべし――


 儀式に使われるのは、『山小屋』と『若く』『健康な命』で、『女ならば尚良し』。

 白羽の矢は、当然の如くリーナに立った。

 主犯でないとはいえ、母の不始末の責任を取れ、ということだ。

 それに反対することは、キラザにはできなかった。

 リーナはそれを受け入れ、会合で日取りが決められた。


 その日から、里の皆の態度は変わった。物腰が柔らかくなり、棘が刺さるような視線はなりを潜め、敬意を持って接されるようになった。

 里長とその家族に対する態度としては、むしろそちらのほうが当然だろう。

 キラザもリーナも、そのことには何も言わなかった。

 儀式までの間、最後の抵抗とばかりにキラザはリーナを騎士団に遣わせた。

 ナイトと出会ったのは、何の成果も得られなかった、その帰り道だった。



 儀式の日まで、あと三日。

 母の為、父の為、里の為。皆に望まれて、リーナは後三日で自ら命を絶つのだ――



  ※           ※            ※



 案内された部屋のベッドに寝転がりながら、ナイトは寝付けずにいた。

 リーナから聞いた話が、頭の中で延々と繰り返される。

 なんでそんなことになってしまったのか。考えても考えても、答えは出てこない。

 誰が悪いと、一口に言える話じゃない。もし言えた所で、何が変わるわけでもない。

 誰が悪かろうが、リーナが生贄になる現実が何とかなるわけじゃないのだ。


 無意識に溜息が漏れる。

 開け放った窓からは、星が綺麗に見えた。


 寝不足で山に入ろうものなら、魔物に襲われなくたって行方不明になってしまう。

 ナイトはベッドから起き上がり、剣を手にとって、寝ているであろうマギサやリーナを起こさないようひっそりと外へ出た。

 近くを渓流が流れているせいか、吹き抜ける風が涼しい。

 止めておくつもりだった日課の素振りをするべく、ナイトは家の裏手へと回った。



 (まき)割り用の土台に腰掛けて、黒い髪と白い肌の少女が月の光を浴びていた。



 思わぬ先客に、ナイトの動きが止まる。

 いつものローブは着ていない。おかげで、彼女の小さな体躯(たいく)が良く分かる。

 星と月に照らされ、夜に溶け込むような長い髪を(なび)かせる姿は、誰かの(うた)で聞いた妖精のようだとナイトは思った。

 気配に気づいたのか、少女がそっと振り返る。

 光を吸い込むような真っ黒い瞳が、間抜け面で立ち(すく)む姿を映し出した。


「どうか、しましたか?」


 彼女のその小さな声は、夜の静寂に不思議と良く通った。

 まるで本来、この時間に住まう存在であるかのような少女に、何か返事をしなくてはとナイトは言葉を探す。

 何も見つけられなかった。


「……あー……うん、いや、」


 続く言葉もなく、返事に(きゅう)して頭を掻く。

 それで何が伝わったわけでもあるまいに、彼女はナイトの心を見透かすかのように、もう一度問いかけた。


「眠れませんか?」

「…………うん」


 頷くナイトに、私もです、と小さく囁く。

 ナイトは躊躇するように一歩踏み出し、のろのろと時間をかけて彼女の隣まで寄ると、地面に腰を下ろした。

 口を半開きにして空を見上げれば、満月には少し及ばない月が山の向こうから見下ろしていた。

 月すら隠すあの山で悲劇は始まり、リーナは命を捧げるのだ。

 儀式が行われる日までに、異変が解決されなければ。

 宙を飛んでいた意識が、少女の声で引き戻された。


「少しだけ、お話してもいいですか?」

「……え? あ、うん」


 珍しい事もあるものだ、と思う。

 彼女は基本無口で、自分から何かを話そうとはしない。

 それはきっと、彼女が『魔法使い』であることが影響していて、だからこそナイトだって無理に話させまいとしてきた。

 でも、こうして自分から話してくれるのなら大歓迎だ。

 ナイトは頷いて、少女の言葉に耳を傾けた。


「私の故郷も、ここみたいに山と森に囲まれた隠れ里でした」


 涼しい風に吹かれ、彼女の髪がふわりと浮き上がる。

 初めて聞く少女の身の上話に、ナイトの意識は我知らず耳に集中していた。


「伝承やお伽噺(とぎばなし)が沢山あって、お婆ちゃんに聞かせてもらうのが大好きでした。中には怖い話もあったけれど、それも好きでした」


 だからきっと、生贄の伝承はこの里の人にとってそういうものなんだと思います、と彼女は付け加えた。

 同じようにお伽噺の類が大好きだったナイトとしても、分からなくはない。

 怖い話も、胸をときめかせる材料の一つだ。その由来が自分の住んでる所ともなれば、恐ろしく思うと同時に高鳴る気持ちもあるだろう。

 山に頼って生きてきたのなら、その想いは尚更だ。

 影に覆われて(そび)え立つ山は、昼とはまた違う存在感を(かも)し出していた。



「今はもう、全部焼けてなくなりました」



 息が詰まる。

 ナイトとて、今まで全く考えなかったわけではない。

 もしかしたら、もしかしたらと思っていたことではあったのだ。

 彼女は『魔法使い』の住む隠れ里で生まれ、祖母の話を聞いて育ち、



 騎士団に、故郷を焼かれたのだ。



 口を引き結ぶナイトを余所に、少女は一呼吸間を置いて話を続けた。


「だから、この里は少しだけ懐かしい気分になります」


 その言葉に込められた想いを、ナイトは推し量ることができなかった。

 余りに複雑で、単純明快なナイトの頭では解き切れない。

 ただ、優しい口調とは裏腹に、悲しげな色が含まれた声なのは分かった。


「リーナさんを、助けたいんですよね?」

「うん」


 確認するように聞かれ、迷うことなく頷く。

 眉一つ動かさない彼女が、何故か笑った気がした。


「私も、それに賛成です。いい人ですから」


 普段は無口な少女が珍しくはっきりと言葉にするのは、郷愁(きょうしゅう)が呼び起こされたからだろうか。

 自分は少し前まで何かと故郷の村を思い返していたが、もしかしたら彼女もそうだったのだろうか。

 取り留めのない思考と聞くことの出来ない質問を抱えて、ナイトは空を見た。


 リーナも彼女も、何も悪くないはずなのに。

 どうして、皆の為にと、犠牲にならなければならないのだろう。


 吹き抜ける風は冷たくて、少し凍えてきた。


「部屋に戻りますね」

「……あ、うん」


 薪割り用の土台から立ち上がって、黒髪の少女がナイトのほうを振り向く。

 応えるようにナイトも彼女に視線を移して、呆けたように頷いた。


「明日は『山小屋』に行きましょう。調べたいことがあります」

「うん、分かった」


 相変わらず多くを話さない少女に、ナイトもいつものように笑みを浮かべて応える。

 少女はそのままナイトの横を通り過ぎて、玄関に向かおうと角を曲がって家の壁に姿を消そうとしたところで、立ち止まった。

 首だけを振り向かせて、夜の闇に溶け込みそうなほど小さな声で、


「おやすみなさい、ナイトさん」

「おやすみ、マギサ」


 そう言葉を交わして、マギサは壁の向こうに消えていった。

 剣を持って、ナイトも立ち上がる。

 鞘から抜き放ち、息を吐きながら正眼に構える。

 胸の中に渦巻く気持ちを切り払うように、思い切り振るった。

 日が昇ってしまえば、リーナが生贄になるまであと二日。

 夜闇を切り裂くように、ナイトはなまくらの剣を振り回した。



  ※            ※            ※



 朝になると、キラザが会合から戻ってきていた。

 何でも、儀式までの間、ナイト達は山に自由に出入りしていいことになったらしい。

 どんな話があったのかは分からないが、余程苦労したことは想像に難くない。

 キラザは里の人々の態度について改めて頭を下げるも、ナイトは気にしていないと首を振った。

 ナイトも改めて異変を何とかすると約束して、マギサと共に山へ登った。


 目的地である『山小屋』へは、かなりあっさりと着いた。

 久々にベッドで休んで疲労が抜けたこともあるだろうが、何より道中が歩きやすかったことが大きい。

 傾斜もなだらかで、歩ける道幅も広い。滑りやすかったり足をとられたりすることも殆どなく、特に『山小屋』のある一帯は段になっていて平地とそう変わらない。

 新しく休憩所を作ろうとしたリーナの母親の気持ちも、この地形を見れば分からなくもなかった。


 (くだん)の『山小屋』は実に古びていて、確かに何かあった時に逃げ込む場所としては不安が残る。

 所々腐っているような色をしているし、実際欠け落ちてしまっている箇所も幾つか見当たってしまった。

 リーナの話ではどのくらい前からあるかも分からない代物らしいので、真っ当に形が残っているだけ凄い事なのかもしれない。

 中に入るのに少し勇気がいる見た目に、ナイトは隣のマギサを(うかが)った。

 いつもの黒いローブに身を包んだマギサは、じっと『山小屋』を見つめていた。

 その目が、少しだけ剣呑に見えたのは気のせいだろうか。

 ナイトも『山小屋』に視線を移し、雰囲気のある外観に顔を顰めながら尋ねる。


「中に入る? 崩れそうだけど」

「入りましょう。大丈夫です」


 断言して、マギサが入り口手前の階段を上っていく。

 その足取りに板が抜けてしまうかもといった怯えは微塵も感じられない。

 おっかなびっくり、ナイトもマギサの後をついて階段を上る。

 ぎしぎしと歪む嫌な音を立てるものの、意外にしっかりした感触がした。

 少し足早に先を行くマギサを追って中に入れば、仕切りも何もない空間になっていた。


 全部丸々一部屋といった作りで、生活に必要そうな諸々(もろもろ)は何一つ存在しない。

 あるのは(ろう)の溶けた蜀台と、部屋の一隅を占める幅広の机と、中央の床にでかでかと書かれた何かの紋様だけだった。

 本当に、儀式以外には使い道のなさそうな小屋だ。

 ナイトが首を巡らせて見回している間に、マギサは円状に描かれた紋様に近づいてしゃがみこんでいた。

 まるでこの広い空間は全てその紋様の為にあると言わんばかりに占有していて、何かしら儀式に使うものであろうことは流石にナイトでも分かる。

 マギサは一言も発さないまま真剣に紋様を見つめて、なぞるように調べ始めた。


 こうなると、ナイトにできることは何もない。

 なるべく邪魔をしないように、隅の方で溶けた蝋の刺さった蜀台やらを見て回った。

 『山小屋』に入ったことが知られたら、多分また里の人は怒るんだろうな、とナイトは溜息を吐く。

 許可を貰ったのはあくまで山に入ることであって、『山小屋』は多分含まれていない。

 なるべく誰にも見つからないように出入りしたい。じゃないと、またキラザやリーナの立場が悪くなるだろうから。


 それにしても、この『山小屋』は見た目に反して案外しっかりした作りだ。

 歩けば床は音を立てるが、踏み抜きそうな感じがしない。よっぽどいい木材でも使ったのだろうか。

 どこかしら腐って穴が開いていても不思議ではないが、苔むしているところはあっても欠落した箇所は見当たらない。

 どんな作りか不思議になって良く見てみるも、どう見てもただの木材だ。

 歩いている内に、小屋にある唯一家具らしき机に行き当たる。

 これも随分古ぼけて、ささくれだってさえいるのに、不思議と壊れた所がない。

 あちこち触りながら見てみるも、ただの木製の机にしか思えなかった。


 ふと、机の上に黒い染みがあることに気がついた。

 他と比べればどこか新しいその染みは、もう既に乾いていてなぞっても何もない。

 これは多分、インクの染みだ。

 王都に行ったときに、見たことがある。インクを垂らすと、こんなふうにぽつんと黒い染みができるのだ。

 何でこんなところにあるのか、までは分からなかったが。


 考えても仕方ないと割り切って、マギサの様子を確認してみる。

 紋様の真ん中、丁度小屋の中央にしゃがみ込んで、紋様をなぞるように触れていた。

 やることもないので少し眺めていると、拳を握り締めて小さく息を吐き、立ち上がってぐるりと首を巡らせる。

 ナイトと目が合うと、マギサは早足に近づいてきた。

 ただならぬ雰囲気にナイトは居住まいを正し、マギサは抑揚(よくよう)のない声で言う。


「調べ終わりました」

「あ、うん。どうだった?」


 当然の質問に、マギサは口を結んで(うつむ)いた。

 そのマギサの態度が、ナイトには全く理解できない。

 何かしらまずいことでも言ったかと思うが、思い当たるところはない。

 どうしたらいいか戸惑っている内に、マギサが意を決したように顔を上げた。


「この『山小屋』は、普通の小屋じゃありません」

「え、あ、そうだね、儀式に使うもんね」


 半ば反射で答えたナイトに、マギサは首を横に振る。

 マギサの態度から、ナイトにも薄々何を言われようとしているのか分かってきた。

 この『山小屋』は、きっと、多分、


「ここは、ある『魔法』の為に作られた小屋です」


 息を呑む音が、やけに大きく響いて聞こえた。

 音が鳴る割りに床が抜けることもなく、いつ作られたかも分からないのに形を保っている。苔()した箇所なんて至る所にあるのに、歩いても触っても崩れない。

 その全てが、『魔法』が関わっているのだとすれば、すんなり納得できた。


「あの床の紋様は『魔道具』の一種で、『陣』と言います」

「『魔道具』って、『魔法使い』が創ったっていう?」


 ナイトの言葉にマギサは肯いて、持っている杖を見せるように持ち上げた。


「『魔道具』には、色んな種類があります。この杖のような『魔法』を補助するものだったり、特定の『魔法』を発動させるものだったり。大きさも形も様々で、私も全部は知りません」


 マギサの説明に馬鹿みたいに肯いて、ナイトは床の紋様を見る。

 この訳の分からない模様が『魔道具』だなんて、言われなければ分からなかった。

 感心半分、怖れ半分で見ていると、マギサが話を続ける。


「この『陣』は、記号や図形、文字などを使って特定の『魔法』を発動させるように創られたものです。ただ、幾つかおかしなところがあります」

「おかしなところ?」


 オウム返しに尋ねるナイトに、マギサは肯いてみせる。


「一部、誰かが書き換えようとしたみたいです。明らかに他とは違う筆致(ひっち)で上書きされた痕がありました」

「誰か、って……?」

「国の調査団を名乗ったという、二人組の男でしょう」


 淀みなく答えるマギサに、ナイトの頭が追いつかない。

 確かに『山小屋』に出入りしていたらしいが、それがどうして上書きしたことになるのかが分からない。

 彼らが『魔法使い』だったとでも言うのだろうか?

 いや、もし仮にそうだったとしても、『陣』に手を加えた証拠にはならないだろう。


「え、ど、どうして?」

「この『陣』が、魔物を閉じ込め、使役する『魔法』を発動させるものだからです」


 マギサの答えを聞いても、ナイトの混乱は収まらない。

 何故、この『陣』がそういう『魔法』なら、二人組が上書きしたことになるのだろう。

 何か、まだ自分が知らずマギサだけが知っていることがある気がした。


「どういうこと?」


 尋ねた疑問に、今度はすぐには答えが返ってこなかった。

 見下ろしたマギサの横顔は、いつもと変わらない無表情だったが、どこか悲痛な色を帯びているような気がした。


「その男達が『陣』に手を入れたのだとすれば、話が通るんです」


 ナイトに背を向けて、マギサが『陣』に近づいてしゃがみ込む。

 その一歩後ろに立って、ナイトはマギサの説明を待った。


「この『陣』が閉じ込めているのは、『ウトリ・クラリア』の親株だと思います。生贄の儀式の話、覚えていますか?」

「あの、自害して『山神様』に食べてもらうって話?」


 マギサは肯き、そっと『陣』をなぞる。

 何故か、ナイトは酷く嫌な予感がしていた。

 以前考えたことだが、もしかして、まさか、『山神様』の正体は、


「これは、『陣』の中でも『下法陣』と呼ばれる類のものです。そう呼ばれる理由は一つ。『魔法使い』以外でも使える代わりに、命すら奪いかねない作りにしてあること」


 ナイトの背中を寒気が走った。

 この『陣』は、ただの『魔道具』ではない。

 どこかの誰か、今はもういない『魔法使い』の、おぞましいほどの悪意が詰まった代物だ。

 そして、マギサが決定的な言葉を吐いた。



「あの生贄の儀式は、この『陣』を発動させる条件と一致します」



 見も知らぬ誰かの、これは呪いだ。

 ナイトは、はっきりとそう感じた。

 お伽噺にさえなった『魔法使い』の本当の恐ろしさを、初めて知った気がした。




 『山神様』の正体は、あの奇妙な植物の魔物で間違いなかった。

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