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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
16/85

第十四話 「リーナの里・2」

 本当に、里には水が豊富にあった。

 あちこちに用水路が引かれ、渓流(けいりゅう)から引っ張ってきた水を汲める井戸がそこかしこにある。里長であるキラザの家の裏手にも、立派な井戸があった。

 本当に、山の恵みは里を隅から隅まで(うるお)していた。


 ナイトは井戸から水を汲んで水筒に容れながら、これで山に何かあっても平気でいろというほうが無理だよな、と胸の中で呟く。

 余りに生活に密着していて、あるのが当然になっている。今の状況は、足元が崩れるような不安を感じてしまうだろう。

 すぐ近くに得体の知れない何かがいて、自分達の『当たり前』を脅かそうとしている。それが恐ろしくなくて、何だというのか。

 満杯になった水筒を隣のマギサに渡して、代わりに空の水筒を受け取る。

 生贄にリーナが選ばれるのも分からないとは言わない。

 リーナは、里長の娘だ。責任もあれば、義務感もあるだろう。キラザとしても、身内に適任者がいるのに、他の誰かを犠牲になんかできない。長とは、そういうものだ。


 そのくらい、ナイトにだって分かっている。

 分かっているかどうかと、納得できるかどうかは別だ。


 最後の水筒に水を詰め、しっかりと蓋をして、ナイトは顔を上げてマギサを見た。

 両手に水筒を抱えて、マギサは顔色一つ変えずにナイトを見返す。

 本当にマギサの為だけを思うなら、このまま礼を言って里を出て行く方がいい。

 そんなことくらい、ナイトにだって分かっているのだ。


「あのさ、マギサ。ちょっと人助けしていってもいいかな?」

「はい」


 頷くマギサに、ナイトはほっと胸を撫で下ろす。

 断られたらどうしようかと思っていたのだ。どうしようから先は、何も考えてはいなかったが。

 このままリーナを見捨てれば、いつか同じようにマギサも見捨ててしまう気がした。

 水筒を二人で分けて、荷物を置いてあるキラザの家に戻る。

 ただの我侭に過ぎないと分かっていても、ナイトはどうしても割り切れなかった。


 例えそれが本当にどうしようもないことだとしても、


 どんなに正しくても、



 何も悪くない誰かが犠牲になって、それで良しとすることは出来なかった。



  ※           ※            ※



 ナイトが異変の調査を申し出ると、キラザは少し渋ったものの、頭を下げて逆に頼み込んできた。

 本心としては、ナイト達に何とかしてほしかったのだろう。娘の命の恩人だから、自分からは言い出せなかっただけで。

 騎士団も頼れない今、腕に覚えのある人間に(すが)ろうとするのは当然の事だ。

 二つ返事で頷いて、キラザが持っていた山の地図を借り受け、ナイトとマギサは『山神様』が住むという行方不明者が出た山へと足を踏み入れた。


 里のある麓から続く山の斜面は緩く、特に危険はない。

 キラザからもらった地図を見ても、山の中腹程までは何事もなく進めそうだ。

 問題は、そこから先。地図にもいくつか丸印の付けられた箇所があり、地形から見ても危険な場所だろうと想像できる。

 急勾配だったり、崖になっていたり、足場が狭かったりで、ともかく足を滑らせたら無事では済まなさそうな地点だ。

 その辺りを調査する時は、マギサを置いて一人で行った方がいいな、とナイトは一人ごちる。

 うっかり何かあったらタダじゃすまないし、フォローできるほど山にも慣れていない。

 調査しにいって遭難したんじゃ、何の為に山を登っているんだか分からなくなる。

 マギサにはなるべく安全な場所にいてもらおう、と決めたところで、ナイトは隣にマギサの姿が見えないことに気がついた。


 慌てて見回せば、少し後ろで息を切らせながらついてきていた。

 考えてみれば、森歩きに山登りと、街道よりも体力を使う道をここまでずっと歩き通してきたのだ。マギサには、少し辛かったかもしれない。

 しまったな、と頭を掻いて、追いついてきたマギサに声をかける。


「あー……その、今日は一旦戻ろうか?」

「いえ、進みましょう」


 荒い息を吐きながら、それでもきっぱりとマギサは言い切った。

 眉をハの字にして心配そうに見やるナイトに、表情一つ変えない顔に汗を一筋垂らしながらマギサは見返す。


「今日明日で終わるとは限りません。できる限りの事はすべきです」

「えぁー……うん、まぁ、そうだけども」


 視線を逸らして歯切れ悪く唸るナイトに、マギサは呼吸を落ち着かせるように一度大きく息を吐いた。


「早くなんとかしてあげたいのでしょう?」


 ナイトが驚いてマギサを見る。

 マギサはいつもの無表情のまま、頭二つ分は上にあるナイトの顔を見上げていた。

 マギサの言い分がなんだかくすぐったいような、痛い所を突かれたような、なんとも言えない感触を(ともな)ってナイトの胸に降りてくる。

 どう答えていいか分からず、(しか)して何か応えなくてはいけないと思って、ナイトはまとまらない言葉をひり出した。


「ん、と、あの、うん、はい」

「なら、行きましょう」


 止まったままのナイトを追い越して、マギサが先に登っていく。

 反射的に追いかけようとしてつんのめり、たたらを踏む。

 何だか恥ずかしくなって顔を覆い、軽く叩いて気合を入れ直した。

 マギサの言うとおり、今日明日で終わる調査か分からない。慣れない山の中を歩き回るのだから、体力的にもマシな自分がしっかりしなければ。

 マギサは黙々と登っている。ナイトの方を振り返りもしない。

 その確かな足取りに励まされるように、深く呼吸して下っ腹に力を込める。

 しっかりと土を踏んで、ナイトはもう一度マギサの背中を追った。



  ※           ※             ※



 その山は、実に恵みに満ちていた。

 ()い茂る木には何かの実が()り、あちこちに山菜が見かけられ、鹿や狸などの動物達が駆け回っている。

 深く入る程に恵みは増え、生命力溢れる山であることを示していた。

 森とは違う緑の匂い。鳥が(さえず)る声も少し違う。時々聞こえる小動物の鳴き声や風で揺らされた葉が擦れあう音の差までは、流石に分からなかった。


 慣れない山登りで火照った体に、澄んだ冷たい空気が染み入る。疲れているはずなのに、少し元気が出てくるようだ。

 成る程確かに、山の主の住処と言われれば納得してしまう風情があった。

 里の人々にとって、この山は生活の礎であり、心の支えでもあるのだろう。

 こうして地図を片手に歩いている分には、迷う心配もなく心地良いだけだ。異変が起きているとは、とてもではないが思えなかった。

 しかし、事実、里の人間が消え、山の主にも何かがあったことには違いない。


 そう思って周囲を見れば、少し景色が変わって見えてくる。

 鳥や小動物は鳴き声だけで警戒しているように姿を見せず、鹿や狸はこちらを見つけ次第逃げるように走り去り、木々のざわめきは悲しげに響く。

 気にしすぎだと言われればそれまでだが、どこか妙な気配をナイトは感じていた。

 例えそれが気のせいだとしても、警戒するに越したことはない。

 差し込む木漏れ日で案外明るい足元に注意しながら、ナイトとマギサは地図にある丸印のつけられた箇所に向かって進む。

 それこそそういう危険な場所は里の人が何回も探しただろうが、一応念の為にナイト達も探すことにした。

 山を調査するといっても、有用な手がかりがあるわけじゃない。今更見落としもないとは思うが、当てもなく歩き回るよりはいいと危険箇所を巡る事にしたのだ。


 とはいっても、時間の関係で今日は一箇所しか行けないが。

 一番手近な丸印は、崖になっていると思しき場所だった。

 近づく程に勾配がやや急になっていく。マギサが転ばないように手を繋いで登っていくと、緩やかに鳥や小動物の鳴き声が遠くなっていった。

 当たり前だが、動物達も余り近づかない場所らしい。

 そろそろ頃合だな、とナイトは判断して、繋いだ手を離した。


「ここから先は一人で行くよ。ちょっと待ってて」


 頷き返したマギサに微笑んで、ゆっくりと登っていく。

 二次遭難になどならないよう気をつけて進めば、木々が途切れて一気に視界が開けた。



 それは、本当に今まで見たこともないほど美しい光景だった。



 傾いた太陽が、遠くの山に隠れながら橙色の光を地上に投げかける。

 谷間を流れる渓流が光を反射して、山肌がほの紅く染まっていく。

 下に見えるのは里で、家々が紅葉しているように色づき、畑が日差しを浴びている。

 上に見えるのは雲で、白から朱への絶妙な色の変化が綺麗な層となって表れている。


 それはまるで、一枚の絵画のようだった。


 数歩歩けばその先は真っ逆さまの崖であることも忘れて、ナイトはその景色に見入っていた。

 もしかしたら、山で行方不明になる人の何割かは今のナイトのように見惚れて、うっかりと足を滑らせたのかもしれない。

 そう思えるくらい、沈みゆく太陽が描く風景にナイトは心奪われていた。

 反応が遅れたのは、間違いなくそのせいだ。



「ナイトさん!!」



 切羽詰ったマギサの声に振り向けば、見たこともない化け物が襲い掛かってきていた。


 見た目的には、何かの植物のようだった。地面から生えた茎みたいなものに、手にも見える二枚の葉っぱがくっついて、頭部にあたるところは花の(つぼみ)と似た形をしている。

 大きさは大体ナイトの1.5倍くらいだろうか。どこからどう見ても、真っ当な生物ではない。

 その蕾の花弁を口のようにぱっくりと開いて、植物っぽい化け物はナイトに頭から喰らいつこうとしていた。


 避けている暇は最早ない。下手に動けば、崖下に落ちるかもしれない。一瞬の躊躇がナイトから選択肢を奪い去った。

 残された道は一つ。ナイトは足を踏ん張り、腰の剣に手をかけ、振り向きざまに口のように開いた花弁を切り裂く。

 悲鳴を上げるように化け物は仰け反って身を震わせ、逃げるように地面に潜っていく。

 逃がすまいとナイトが踏み込み、蕾の部分を真っ二つにするように一閃した。

 見事に両断し、植物のような化け物は動きを止めて地面に倒れこむ。

 完全に動かなくなったのを確認し、ナイトは剣を収めて息を吐いた。


 弱くて助かった。ひとまず胸を撫で下ろして、不意を突かれるくらい隙だらけの姿を晒していたことを反省する。

 マギサが声をかけてくれなければ危なかった。

 景色に見惚れて化け物に気づかないんじゃ、何の為に山に登っているのだか分かりはしない。気を緩めたつもりはなかったが、緊張感が足りなかったのは事実だ。

 握り拳で軽く太ももを叩いて、自分を叱咤(しった)する。何かしらの危険があるのはわかっているのだから、周囲に気を配ることを忘れてはいけない。

 兎にも角にもマギサに礼を言おうと顔を上げれば、小走りに近づいてくる所だった。

 表情を崩して礼を言おうとするより先に、マギサから声をかけられた。


「怪我はありませんか?」

「いや、あ、うん、マギサのおかげで、ないよ」


 頷いて見せると、マギサはじっとナイトの顔を見つめてきた。

 どことなく気まずくなって、ナイトは困ったように小さく笑いかける。

 何かを確かめるような間があって、そうですか、とマギサは呟く。

 何をどうすればいいか分からず戸惑うナイトを余所(よそ)に、マギサはさっさと植物のような化け物に近づいて調べ始めた。


 同じようにナイトも近づいて化け物をよく見てみる。見たことも聞いたこともない姿形をしていて、何がなにやら分からないが、一つだけ分かることがある。

 これが、『魔物』だということだ。

 行方不明になった人達は、この魔物に喰われたのかもしれない。果たしてこの魔物が人間を喰うのかというのは分からないが、襲ってきたくらいだから多分喰うのだろう。

 調べ終わったマギサが、体を起こしてナイトのほうを向いた。


「何か分かった?」


 尋ねるナイトに頷き返して、マギサが口を開く。


「この魔物が異変の原因で間違いないと思います」

「そう……なるよね、やっぱり」


 もう一度頷いて、マギサは腰を屈めてナイトが真っ二つにした花弁に触れる。

 死骸と呼んでいいのかも分からないそれは、マギサがそっと触れただけで砂のように崩れ、黒い灰へと変わって消えた。

 魔物にしか訪れない最期を見ながら、マギサは説明を始めた。


 この魔物は、名を『ウトリ・クラリア』と言う。食虫植物を基にして作られた魔物で、獲物を取り込み消化する。正確には魔物は食事の必要がないので、消化というよりは溶かして分解する、といったほうがいいのかもしれない。

 どちらにせよ、獲物となった生物は数時間で骨も残さずこの世から消えることになる。

 行方不明になった人はおそらくこの魔物に喰われたのだろう、とマギサは言った。


 ナイトに口を挟む余地もあるわけがなく、黙ってマギサの説明を聞く。

 既存の生物を基にした魔物の例に漏れず、『ウトリ・クラリア』も固体毎に差が大きい。その全ては流石にマギサも把握しきれていないが、今回倒した魔物は遥か昔に番犬代わりをしていた種類とよく似ているらしい。

 貪欲で好戦的、地中や地上を動き回って自ら獲物に襲い掛かる。首輪代わりに『魔法』で縛りつけ、招かれざる客を餌食(えじき)にしていたそうだ。

 更に『ウトリ・クラリア』の特徴として、親株と子株で構成されるというものがある。差はあるものの親株を倒さない限り子株は増え続ける。子株だけ倒しても、キリが無い。

 今さっき消えていった魔物は、子株だというのがマギサの見解だった。

 ナイトとしても、それには納得だ。余りに弱すぎる。どうにもこれで終わりという気がしない。

 妙な予感ほど良く当たるのは、既に実証済みだった。


 話し終えると、何かを考え込むようにマギサは黙ったまま俯く。

 邪魔するのもどうかと思ったが、ちらりと空を見ればもう茜色を通り越して藍色が薄っすら見え始めていた。

 魔物がいる状況で、見知らぬ夜の山を歩くのはどう考えても不味い。

 多少気が咎めないでもなかったが、山を降りるほうが優先とナイトは判断した。


「マギサ、一先(ひとま)ず今日はもう戻ろう。夜になるよ」

「……はい、分かりました」


 頷いて立ち上がったマギサは、まだ何か考え事をしているようだった。

 注意力散漫で覚束(おぼつか)ない足取りに、見ているナイトの肝が冷える。

 最近ナイトにもなんとなくマギサのことが分かってきて、何かに集中していると他の事がおろそかになる癖がある。

 二度目は流石に気が引けて、何も言わないままマギサの手をとった。

 気づいているのかいないのか、マギサはやや顔を俯かせたまま歩き続ける。

 ナイトは二人分の足元に注意しながら、山を降りていく。

 繋いだ手が少しだけ汗ばんだけれど、どちらのものなのかはもう分からなかった。



  ※           ※           ※



 里に着いた頃には、空はもう藍色に染まっていた。

 星と月の光で意外に明るく、歩くのに然程苦労はしない。安心してナイトはマギサの手を離した。

 皆もう家に帰っているのか、外を歩いている人は殆どいない。

 その数少ない里の人の内、キラザとそう変わらない年頃の男がナイトとマギサを見咎め、あからさまに顔を顰めながら声をかけてきた。


「おい、あんたら。山に入ったのか?」

「え? あ、はい」


 まさか話しかけられると思っておらず、ナイトは反射的に頷いてしまう。

 すると、その男は眉間(みけん)に皺を寄せて舌打ちし、ナイトをねめつけ低く唸るように尋ねた。


「まさかとは思うが、『山小屋』には入っとらんよなぁ?」

「入ってない、ですけど」


 男は鼻を鳴らし、ナイトを置き去りにしてどこかへと立ち去った。

 ナイトは安堵のため息をついて、横目で遠ざかる男の背中を見やる。

 嫌われているとは思っていたが、これ程とは思わなかった。向けられたのは、不安交じりの忌避(きひ)などではなく、はっきりとした敵意と嫌悪の視線。

 もしリーナと一緒に里に入っていなければ、叩き出されていたかもしれない。

 里の人の排他的な態度は異変による不安からくるものとばかり思っていたが、もっと別の理由があるような気がした。


 キラザやリーナなら、理由を知っているだろう。今日分かったことも含めて、話をしなくてはいけない。

 理由も分からず悪意に晒されるのは、決していい気分じゃない。ついこの前、悪意の(あお)りをくらってマギサが危険な目にあったばかりだというのに。

 男から視線を切って、隣のマギサを見下ろす。

 考え事が終わったのか、ナイトの視線に気づいて顔色一つ変えずに見上げてくる。

 ナイトはとりあえず、力の抜けた笑みを浮かべた。


「行こっか」

「はい」


 肯くマギサを先導するように歩き出し、キラザの家に向かう。

 何はともあれ、今日の調査は終わりだ。たった半日足らずで随分進んだ。

 異変の原因も分かったし、それを報告するだけでも気の持ちようは随分違うだろう。

 『山神様』ではなく魔物の仕業と分かれば、退治すればいいだけだ。

 ふと、そこで嫌な予想がナイトの頭を過ぎった。頭の中にキラザの話が蘇る。


 『山神様』の正体は、もしかしたら、


 頭を振って思い浮かんだ言葉を振り払い、歩くことに集中する。

 確かな証拠はまだない。嫌な想像を腹の底に沈めて、一旦考えるのを止めた。

 里でも一際大きくて目立つキラザの家につき、ノックをする。

 出てきたリーナに挨拶をして上げてもらい、居間でキラザと向かい合って座る。

 キラザからの労いの言葉を受けて、ナイトは早速山であったことを話した。

 一通り話し終えると、キラザは小さく唸って腕を組む。


「そうですか……まさか、あの山に魔物が住み着いていたとは……」

「山への立ち入りは、退治されるまで禁止にするべきです。奴等は地中も移動しますから、事前に気づくのは多分難しいですよ」

「分かりました。私も、その方がいいと思います」


 キラザが肯き、話が一段落したところでナイトは横目でマギサを見る。

 何か質問するようなら自分のは後回しにしようと思っていたが、いつもどおりの無口さで何を言う気配も感じられなかった。

 それなら、とナイトが口を開く。


「あの、それで――」


 言いかけたところで、玄関が乱暴にノックされた。


『長! キラザ!! 話がある!』


 扉越しに聞こえるくぐもった大声に、ナイトは思わず見えもしないのに玄関のある方向を向いてしまう。

 長に向けるには強すぎる怒気が篭っていて、一瞬目を泳がせてから盗み見るようにキラザに視線を送った。

 同じように玄関の方を見ていたキラザが、ナイトの視線に気づいて困ったように笑う。


「すみません、少し失礼します」

「あ、はい」


 軽く頭を下げて出て行くキラザを見送ると、入れ違いでリーナがお茶を持ってきた。

 キラザと同じように困ったような笑みを浮かべて、四人分のお茶を配る。

 その表情がやけに似ていて、やっぱり親子なんだなぁとナイトは思った。


「お話の途中で、すみません」

「あぁいえ、別に大丈夫です」


 頭を下げるリーナに首を振って、ナイトはお茶を一口啜る。

 あの口ぶりから察するに、どうにも只事ではなさそうだ。

 皆の話を聞くのも長の務めだろう。緊急の案件なら尚更だ。

 それに、もしかしたら、彼らが怒っているのは自分達の事も含まれているかもしれない。

 そう思わば、ナイトに出来る事は何もなく、精々黙ってお茶を飲むくらいだった。


 さっき聞きそびれた事をリーナに聞いてみようかとも思うが、どうにもバツが悪い。

 そうしてナイトが黙れば、リーナもマギサも喋らないので、無言の空間が出来上がる。

 玄関でキラザと里の人が話している声が聞くとはなしに聞こえてきて、ナイトはできるだけ意識しないようにしてカップを傾けた。

 そんなナイトの努力を無駄にするほどの大声が響く。


「ふざけるな!! 身内が消えたのは、何もあんただけじゃないんだぞ!!」


 驚いた拍子にお茶が気管に入ってむせた。

 口の中のものを零さないように咳をして、咄嗟(とっさ)に席を立とうとするリーナを手振りで押し留めて嚥下(えんか)する。

 深く息を吐いて、椅子の背もたれに身を預けた。

 心配そうに見つめてくるリーナと無言で見上げてくるマギサに大丈夫と笑いかけ、もう一度ゆっくりとお茶を飲む。

 カップを傾けながらこっそりリーナを見れば、何とも言えない顔で玄関の方を見ていた。


 さっきのは、一体どういう意味だろうか。

 いや、どういう意味も何もない。キラザの家族が、異変の犠牲になったということだ。

 ただ、何がどう『ふざけるな』なのかは良くわからない。

 傍から見れば、キラザは異変で家族を失い、娘までも犠牲になろうとしている。哀れみこそすれど、怒気をぶつけるなんて出来るはずもない。

 それとも、自分達に異変の調査を頼んだことがそれ程気に食わなかったのだろうか。


 どうにもナイトには納得しかねることが多かった。

 騎士団に陳情しにいったり、生贄になろうとしたり、キラザもリーナも里長とその家族としての責務を果たしているように見える。

 自分達に依頼したのだって、異変をなんとかしようという長としての責務の内だろう。

 余所者への不信感が不安でかさ増しされているにしたって、度が過ぎていると思う。


 やっぱり何か、それ相応の理由でもあるのだろうか。

 リーナに聞いてみるべきか悩んでいると、話し終えたキラザが申し訳なさそうに顔だけ出してきた。


「すみません、緊急で会合することになりまして。何かお話があれば、明日ということでも構いませんか?」

「あ、はい、構いませんよ」


 頷くナイトにキラザは安堵の息を吐いて、


「調査の間はうちに泊まって行ってください。リーナ、お二人を部屋に案内しておいてくれ」

「はい」

「リーナの作る料理は結構美味しいですから、是非どうぞ。では、失礼します」


 早口気味にそう言うと、キラザはすぐに出て行ってしまった。

 取り残されたような気まずさが漂い、お茶が喉を通る音だけが耳朶を打つ。

 何とも言えない間を置いて、微妙な空気を払うようにリーナが腰を上げた。


「あの、夕食は如何ですか? お口に合えばいいんですけど」

「あ、いえ、その、」


 返事にどもりながら、ここしかない、とナイトは思った。

 聞くなら、この機会を逃してはならない。どうせ先延ばしにしてもずるずると言えなくなるに決まっている。

 覚悟を決め、息を吸って、ナイトは真っ直ぐにリーナと目を合わせた。


「聞いても、いいですか?」

「……はい、どうぞ」


 まるで次にナイトが何を言うかわかっているように、リーナは悲しげに微笑む。

 一瞬逡巡して口を噤み、それでもナイトは尋ねた。


「さっきの、あの、里の人が言ったことって、どういう意味ですか?」


 リーナが困ったように口を結び、ナイトも眉を寄せる。

 言いたいことが上手く言えてない。どう言えば伝わるのかが分からない。

 口をもごもごと動かして、何とか頭の中で言いたいことをまとめて、ナイトはもう一度リーナと目を合わせる。


「里の人が怒ってるのは、僕らのせいですか?」


 もしそうなら、何か、どうするべきかを考えなくてはいけない。

 このままお世話になったんじゃ、キラザやリーナに里の人が悪感情を持つばかりだ。

 里長とはいえ、いやだからこそ、そんな状態で生きていくのは辛過ぎる。

 元はといえば、お節介を焼いたのはこちらの方なのだ。それでキラザやリーナが嫌われてしまうのは、心底嫌だった。

 真っ直ぐなナイトの視線を受け止めながら、リーナは小さく首を横に振った。


「いいえ、ナイトさん達のせいなんかじゃありません」

「あの、でも、」

「誰も悪くありません。皆、気が立っているだけです」


 薄く儚げに微笑まれ、ナイトは二の句が告げなくなった。

 納得は出来ない。納得は出来ないが、何を言えばいいのか分からない。

 こういうとき、上手く喋ることができない自分が嫌になる。

 歯噛みするナイトの横で、マギサがカップを置いた。


「最初の質問には、答えてもらっていません」


 リーナが口を噤み、ナイトがはっとしたように顔を上げた。

 半分くらい屁理屈みたいなものだったが、もうそれに縋るしかない。

 ナイトとマギサに見つめられ、リーナは観念したように口を開いた。


「少し、長い話になるかもしれません」

「構いません」

「お二人が聞いて、余り気持ちの良い話でもないですよ」

「はい」


 ナイトははっきりと頷いて、確認を取るようにマギサに視線を送る。

 マギサが小さく頷くのを見て、リーナもそっと目を伏せて椅子に座りなおした。


「里の皆が怒っているのは、本当にお二人に対してじゃないんです。『余所者』と、私達に対してなんです」


 リーナの言い分に、改めてナイトは首を傾げる。

 『余所者』に関しては、分からなくもない。けれど、リーナやキラザが怒りの対象となっていることが不可解だ。

 その疑問は、次のリーナの言葉で益々深まるのと同時に、ナイトの頭からは吹き飛んでしまった。

 リーナはそっと眉を下げ、出来たばかりのかさぶたをなぞるように言った。



「一年と少し前。異変の最初の犠牲者は、私の母でした」



 リーナの話が始まる。

 口を挟むこともできず、ただナイトは耳を傾けた。




 それは、穏やかだったはずの里に訪れた、突然の悲劇の話だった。

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