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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
15/85

第十三話 「リーナの里・1」

――王宮の主たる国王の執務室にて、密談が行われていた。

 書類が山と積まれた机に(ひじ)をつき、初老の国王が溜息を吐く。

 前に立つ壮年の男性が、眉を寄せながら口を開いた。


「またヴィシオから『魔法使い』の追っ手を増員するよう、陳情(ちんじょう)されたようですな」

「あぁ。請願(せいがん)書まで出された」


 国王は書類の山から一枚抜き取り、壮年の男性――ギューテ・エヴィニスに手渡す。

 受け取った書類に目を通し、ギューテは更に顔を(しか)めさせた。

 内容は言うまでもなく、『魔法使い』の危険性と早期解決の重要性を説くもので、末尾にはこれみよがしにミニストロ家の紋章が()されている。

 野狐(やこ)(かたど)った印章から(しわ)の増えた国王の顔に視線を移し、ギューテは書類を机の上に置いた。


「理由は不明ですが、おそらくはヴィシオの企みの一環かと」

「あぁ。だが、確証がない」


 溜息交じりの国王の言葉は、まさに今ギューテ達が直面している問題を示していた。

 今も昔も、権力を握れば人のやることなど大概(たいがい)決まっている。

 現在、王宮内での勢力図は大きく二分されていた。

 一つは国王を筆頭(ひっとう)とする、王権派。

 もう一つは、ヴィシオ・ミニストロを筆頭とする議会派である。

 この二つの勢力の最大の争点は、『国政の最終決定権』にあった。


 今現在、最終決定権を持つのは国王(ただ)一人。実際の所はともかく、形式上議会は国王の相談役という位置だ。

 勿論、議会の決定を国王とて無視することはできない。事実上、議会の決定がそのまま国政の最終決定となっているのが現状だ。

 だが、それでも国王が首を縦に振らなければいけないことに違いはない。

 ギューテにしてみれば、議会の暴走を防ぐ為の安全弁だ。しかし、そうは思わぬ輩が最近少しずつ増え始めている。

 増えた人間のその殆どが、ヴィシオと何らかの関係性を持っていた。


 これでは静かな国家転覆だ、とギューテは思う。

 国民が気付かぬ内に国の中身を変えようとしている。ある意味において反社会組織よりもよっぽど厄介だ。

 議会が勢力を保つことには、ギューテも賛成している。しかし、議会が国王にとって代わるのには、反対だった。

 ヴィシオの企みは、なんとしてでも阻止しなければならない。

 しかし、その件に関する最大の問題が、何の証拠も得られていないことだった。


 ヴィシオが何かしらを企んでいると証明できるものが、一つもない。

 議会の勢力拡大に関しては、各人の意思と言われれば何も言えない。

 国王をないがしろにしているわけでもない。

 表立って、反感や反逆の意を示しているわけでもない。

 幾つかの怪しい行動はあったものの、私的な事と言われればそれ以上突っ込みようもない程度のことでしかなかった。

 下手をすれば自分の考えすぎかと、ギューテも自身を疑ったくらいだ。

 何一つ出来ないまま時間だけが過ぎていき、ヴィシオの勢力はゆっくりと拡大していった。


 ギューテ達にとって幸いだったのは、大きく傾くことはなかった、ということだ。

 国政が安定している以上、大きな変革を望まない者が多い。ギューテとしては反応に困る所だが、おかげでヴィシオの勢力は一定以上の拡大を見せなかった。

 未だに王宮内では王権派が主流なのは、そのせいだ。

 そうして互いに手をこまねいていると思っていた所に、今回の『魔法使い』の件である。

 『魔法使いの里』を見つけたのは、ヴィシオだった。

 どうやって見つけたのか聞いたところ、手の者に密かに国を回らせて、民の暮らしぶりを報告させていたと(うそぶ)いた。


 怪しむな、という方が無理がある。そういえば、二年くらい前にも別荘を建てるとかで、いい場所がないか国内を調査してもいいかと請願書を出してきたことがあった。

 あの時も、随分とあちこちに行かせたらしい。仕事熱心な大臣は、どうにも国内を探索するのがお好きなようだ。

 勿論、証拠というほど確定的なものではない。口八丁で誤魔化されればお終いだ。

 それでも、『魔法使い』の一件が極めて怪しいものであることに違いはない。

 ヴィシオにしては珍しく、一度決定が出された後だというのに抗弁している。

 こういったあからさまな行動は慎むような奴であるにも関わらず。


 裏にどんな理由があるにせよ、このまま奴の思い通りにさせてはならない。


「オルドヌング団長に話を聞かねばなりませんな。現状の騎士団に余剰戦力がないことを説明しなければなりません」

「あぁ……まぁ、それしかあるまいて」


 国王に頷き返し、使いを呼ぶべくギューテは一旦部屋から出る。

 ヴィシオがどう(わめ)こうと、物理的に不可能なものはどうしようもない。今はそういうことにして先送りにするしかないのが歯痒い所だ。

 『魔法使い』がどのようにヴィシオに絡んでいるのかは分からないが、ロクでもないことには間違いない。

 ないない尽くしで後手に回るしかない現状だが、必ず尻尾を掴んでみせる。


 国家を、誰かの私物にしてはならない。


 固い決心を胸に、使いを出したギューテは再び国王の下へと戻った。

 『魔法使い』を巡る王宮での戦いは、一歩も進まぬ膠着(こうちゃく)状態となっていた――



  ※           ※            ※



 ナイトとマギサは、森の中を歩いていた。

 森歩きには余り良い思い出がない。出来ればやりたくなかったが、止むに止まれぬ事情があった。


 水がなくなったのだ。


 運の良い事もそうは続かない。水源も見つからなければ、行商人にも会えない日々が続いて、気がつけば水筒は空っぽになっていた。

 生きていく為に水は必要不可欠。街道に水が湧き出ているはずもない。まだ体力が残っている内になんとかするべく、ナイト達は水源を探すことにした。

 近くに村か町でもあれば良かったが、残念ながら見当たらない。どこを歩いているかも分からないのに、地理など把握しているはずもなく、街道よりは可能性があると森の中を探すことにしたのだ。

 背に腹は変えられない。何事もありませんようにと祈りながら探すことしかナイトには出来なかった。


 木漏れ日に手を(かざ)し、腐葉土を踏みしめて、水の音を聞き逃さないように耳を澄ます。

 マギサが木の根などに引っかからないように足場の悪いところでは手をとって、森の奥へ奥へと進んでいく。

 当てのない旅は、こういう時に躊躇(ちゅうちょ)なく行動できるのがいいところだ。とりあえず今必要な目的に全力を傾けることが出来る。

 逆に、悪い所としては今回みたいな物資不足が簡単に起きるところだ。買い込みすぎても持ち運べないし、それならと荷車でも引こうものならいざというとき捨てることになる。

 曲がりなりにも、騎士団に追われる身なのだ。


 そもそも、お金だって無限にあるわけじゃない。今ある分を使い切ったら、またどうするか考えなくてはならない。

 どうにかなるさ、という楽観的な考えは、むしろ、どうしようもないさ、という諦めに近かった。

 その場その場で、やれるだけのことをやるしかない。先のことをどれだけ考えたって、今は不安が増すばかりだ。

 それでも、とナイトはたまに考えることはある。

 いつか、逃げ回るしかない毎日に終わりを告げ、どこか騎士団に見つからないところに隠れ住むことができればいいと思う。

 そんな場所が本当にあるのかは、全く分からない話だが。


 繋いだ手に少し汗が滲むのを感じて、ナイトは足を動かす速度を緩めた。

 マギサの真っ黒なローブは丈夫な反面、動きやすさが全く考慮されていない。

 おまけに寒さには強いが、暑さには滅法(めっぽう)弱い。早く水源を探さないと、マギサが干からびてしまいそうだ。

 もう随分深くまで潜ったが、まだ見つからない。位置を確認するのはとうに諦めて、今から街道に戻れと言われても彷徨い歩く羽目になることだろう。

 見慣れぬ森の中、草木の匂いを吸い込みながら鳥の(さえずり)りが耳朶(じだ)を打ち、


 獣の唸り声が聞こえた気がした。


 足を止め、マギサの手を離して周囲を見回しながら耳に神経を集中する。

 今度ははっきりと聞こえた。

 狼が獲物を追い立てる時に出すような声。それが、かなりの速度で近づいてくる。


「マギサ」


 声の調子だけで気づいてくれたのか、マギサがナイトの後ろに隠れる。

 腰を落とし、剣に手を添えて、ナイトは注意深く視線を走らせた。

 茂みが音を立てる。大体の位置を捉えて、そちらの方に体ごと向き直る。

 細く小さく息を吐き、剣を握る手に力を込め、



 少女が飛び出してきた。



 年の頃は、ナイトより下でマギサより上くらいか。肩口にかかる栗色の髪が、葉っぱと小枝でぼさぼさになっている。細めの体を包む丈夫そうな旅装束は土に塗れ、草の汁で汚れていた。

 ナイト達を見つけて目を細め、何か口を開こうとして、



 石か何かに蹴躓(けつまず)いて転んだ。



 反射的にナイトは駆け出し、音を立てる茂みに目を凝らす。

 予想した通り、数匹の狼が茂みを突き破って現れ、転んだ少女に襲い掛かった。

 足を止めずに剣を抜き放ち、力任せに振り抜いて狼達をまとめて吹き飛ばす。

 悲鳴を上げて狼達は地面に転がり、群れの後続が標的をナイトに変えて茂みから飛び掛った。

 最初の一匹を剣で払い、横から来た獣の腹を蹴り上げてひっくり返す。

 そこまでやると狼達も簡単には飛び掛ってこなくなり、転がされた先頭集団もゆっくりと起き上がり間合いをとるようにこちらを見る。

 剣を構えて狼達を睨み付け、かつて猟師のカサドルさんに教わったとおり腹に力を込めて威圧する。


 獣相手の大前提。気合で負けたら襲われる。


「失せろ」


 出来る限り声に力を乗せて、低く唸るようにぶつける。

 威嚇(いかく)の一端で、音に敏感な獣には言葉は通じなくとも気配みたいなものは通じるらしい。それを利用して、追い払う術の一つだ。

 狼達は頭を下げて逡巡(しゅんじゅん)するように少しだけナイトの周りを動き、リーダーらしき最初に飛び掛ってきた一匹が小さく遠吠えをあげた。

 近くの茂みが音を立て、獣の足音が遠ざかっていく。

 表に出ていた狼達も、すぐさま背中を向けて去っていった。


 姿が見えなくなり、足音も聞こえなくなって、ようやくナイトは息を吐いて剣を収めた。

 やっぱり森歩きなどするものではない。

 もしかしたら自分は、森の神様か何かに心底嫌われているのではないかと思う。

 ひとしきり我が身の不運を嘆いて、ナイトは倒れた少女に向き直る。


「大丈夫ですか?」

「あ、は、はい」


 ナイトの差し出した手をとって、少女は引っ張り上げられるように立ち上がる。

 少女は旅装束の割りに軽装で、背負い袋も小さなものだった。

 ナイト達だって人の事は言えないが、とても長旅をするようには見えない。もしかしたら、どこか近くの村の連絡員かもしれない。

 村には他の村と連絡をとる役目の人がいて、そういう人はこんな感じの軽装で他の村まで旅に出るのだ。

 希望的観測に過ぎなかったが、ダメで元々とナイトは聞いてみることにした。


「怪我はないですか?」

「は、はい、大丈夫です」

「あー……それで、えと、結構軽装ですね?」

「え? あ、はい、まぁ」

「あの、もしかして、近くに村とかありますか?」

「あ、はい、私の里が近くに」


 少女の返答に、ナイトは心の中で喝采(かっさい)を上げる。

 聞いてみてよかった。里があるなら水もあるだろうし、食料もあるだろう。

 お金ならまだあるし、何なら働けばいい。ナイトの村もそうだが、こういう辺鄙(へんぴ)な所にあるとお金の価値が余りなく、通じないところがたまにあるのだ。

 どこか気弱そうな栗色の髪の少女に頭を下げて、ナイトは頼み込む。


「お願いします、里に連れて行って下さい。水がなくて困ってるんです」

「え? あ、はい、いいですよ」

「ありがとうございます!」


 助かったと満面の笑みを浮かべるナイトに、気弱そうな少女も薄く透明に笑う。

 早速案内してもらおうと踏み出した所で、マギサが少女の前に立った。

 いつもの無表情で少女を見上げ、小さく口を開く。


「里は、この森を抜けた先ですか?」

「えぇ、はい、そうです……」


 気圧されたように、少女は身を引きながら頷いた。

 責めるようでもなく、普段どおりの色のない口調で、マギサが言う。


「森を必ず通るのに、武装はしていないのですか?」


 少女が口を(つぐ)む。

 言われてナイトも、遅ればせながら思い当たった。

 少女は、武器になりそうなものを何も持っていない。

 森を通るのに、武器の一つもないのは自殺行為だ。ちっぽけなナイフくらいでは身を守る術足りえない。

 旅装束まで用意しておいて、その備えが一つもないのは確かにおかしい。

 真っ直ぐ見つめるマギサから目を逸らして、少女はぽつりと呟いた。


「この道は本来、安全だったんです」

「……安全だった?」


 少女の言葉を繰り返すナイトに応えず、栗色の髪の少女は身を(ひるがえ)す。


「ここじゃ何ですから、里でお話します。ついてきて下さい」


 歩き出す少女の背中を見て、ナイトはマギサと顔を見合わせる。

 ふと、少女が足を止め、二人の方に振り向いた。


「申し遅れました。私はリーナ、と言います」

「あ、僕はナイトです。この子はマギサ」

「ナイトさんとマギサさんですね。お二人は命の恩人です。後できちんとお話させて頂きます」


 リーナと名乗った少女が頭を下げて、もう一度背を向けて歩き出す。

 横目で見やるナイトにマギサが小さく頷いて、リーナの背中を追った。

 どの道、水がない以上選択肢はない。

 またも何かしらに巻き込まれそうな気がしながら、ナイトはマギサの後に続いた。

 本当に、森歩きなどするものではない。

 二人を見失わないようにしながら、ナイトは小さく溜息を吐いた。



  ※           ※              ※



 森を抜けた先、深い山と濃い緑に囲まれた場所にリーナの里はあった。


 連なる山々の中でも一際大きな山の(ふもと)にぽつんとあって、遠くからでは分からない。

 まるで隠れ里だ。傍から見ても分かる独特な雰囲気に、ナイトは足を踏み入れるのを一瞬躊躇した。

 見慣れた藁葺(わらぶ)きの屋根に、木造の家が立ち並ぶ。家畜の鳴き声と、土の臭い。鍬を振り下ろす音がして、肩に桶を担いだ人が通り過ぎていく。


 ナイトのよく知る村とそう変わりない様子ではあったが、里の人達はナイト達の姿を見ると顔を顰めた。

 村というのはどこも多少なりと排他的な空気があるものだが、ここまで露骨なのはナイトもそうお目にかかったことはない。

 隠れ里のような雰囲気も相俟(あいま)って、訪れてはいけない場所に来てしまった気がしてならなかった。


「こちらです」


 リーナがナイト達を一瞥して、先導する。

 里の人達はリーナを見ると、表情を柔らかくして挨拶をしてきた。

 年のいった老人まで丁寧に頭を下げてくるのを見るに、リーナは里でもそれなりの立場にあるようだ。

 もしかしたら里長の娘かもしれない、なんて思っていると、里でも一際大きな家に案内された。

 中に入り、居間に通され、リーナの父親という人物の自己紹介を受けて、ナイトはなんとなくの予感ほどよく当たるということを身に染みて理解した。


「この度は、娘を助けて頂き、有難う御座います。私、この里の長をさせて頂いています、キラザと申します」


 線が細く几帳面そうな男性が、折り目正しく頭を下げる。

 里の様子と比べて丁寧な対応に、ナイトは思わず強めに首を横に振ってしまった。


「い、いいえ、当然の事です」

「重ねて、里の者達の態度も謝らせて下さい。リーナの恩人と知れば、皆も多少は態度を改めると思います」

「あぁ、いえ、気にしてませんから……」


 申し訳なさそうなキラザから視線を外し、隣に座るマギサを見る。

 マギサは、本当に何も気にしてないようにリーナが出したお茶を飲んでいた。

 多分ではあるが、何かしら妙なことが起こっているような気がしてならない。

 キラザの口ぶりからすると、里の人の態度にも何か理由がありそうだ。変に無用心なリーナといい、もう予感というより半分確信に近い。

 水を分けてもらうだけ、というわけにはいかなさそうで、ナイトは諦めて覚悟を決めた。


 何もなければそれでよし。何かあればその時はその時。

 見て見ぬ振りは、好きじゃない。


 配膳を終えたリーナが隣に座るのを見計らって、キラザが口を開いた。


「ナイトさんとマギサさん、で宜しかったでしょうか?」

「えぇ、はい」


 ナイトが反射的に二度ほど首を縦に振り、マギサもゆっくりと肯く。

 キラザは頷き返し、口ごもって軽く唇を舐めた。


「水がなくてお困りだとか」

「えぇ、まぁ。それで、分けてもらえれば嬉しいんですけど」

「分けるも何も、近くに渓流が流れていますからね。いくらでもどうぞ」

「有難うございます、助かります」


 (こころよ)く微笑むキラザに、ナイトも生温く微笑み返す。

 お互い、核心からズレたところで会話をしているのは分かっている。

 この話だってしなくてはならなかったが、水に困っていないのは里の様子ですぐに分かった。本題に入る前の準備みたいなものだ。

 つまり、心の用意をしなければならない話があるということだ。

 腹を決めたように、キラザが深く息を吐く。


「リーナが非武装だった理由を、お知りになりたいとか」

「えぇ、まぁ。無用心だなと思ったもので」


 正確に言えば、それに気づいたのはマギサだが。

 ナイトが横目で見たマギサは、相変わらず眉一つ動かさずじっとキラザを見ていた。


「リーナも言ったと思いますが、あそこは本来安全なはずの道なんです」


 机の上で手を組むキラザに、ナイトが尋ねる。


「本来安全って、どういう意味なんですか?」

「あそこは、一帯の山の主が散歩する道なんですよ」


 困ったように眉根を寄せて、キラザが詳細の説明を始めた。

 里を麓に構える山はこの辺一帯で一番大きく、山々の主が住んでいるらしい。

 里は代々の主と上手く共存してきており、不用意に山に立ち入らず、必要なだけの恵みを貰って、主に敬意を持って暮らしてきた。

 その恩恵として、森や山に入る時は主が歩く道を使い、狼などの他の動物に襲われることなく安全に行き来していたという。


「武装をしていないのは、必要がないのと身を軽くする為、もし主に出会ったとき敵意がないことを示す為でもあります」


 一通り聞き終えて、成る程とナイトは頷く。

 確かにそれなら、武器の類は持たなくてもいいだろう。野生動物は基本的に自分より強い動物の縄張りには入らない。だから、主の通り道に好んで入りたがる動物はいない。

 もしもの時はそこに逃げ込めばいいわけだから、身は軽い方がいい。

 しかしそれでは、リーナが襲われたことに説明がつかない。

 ナイトが首を傾げていると、それまで黙っていたマギサが口を開いた。


「山の主に、何かあったんですか?」

「おそらくは」


 マギサの質問に、キラザが首肯する。

 それが事実なら、とんでもない事態だ。山が(しばら)く荒れるので、立ち入りを禁止しなければならない。

 寿命が来ての代替わり、というわけでもなさそうだ。

 何か知っていそうなキラザに、ナイトとマギサの視線が注がれる。

 誰にとっても予想できた展開に、キラザが少し目を伏せて、はっきりと二人を見返した。


「実は、その主の住まう山に、異変が起きているのです」

「異変?」


 オウム返しに尋ねるナイトに、キラザが続きを口にする。


「一年程前から、山で行方不明者が出始めました。元々、数年に一人は出るものでしたが、頻度が比べ物になりません」


 いよいよやってきた本題に、ナイトの顔が引き締まる。

 山で行方不明になったものの末路は推して知るべし、だ。

 ナイトの村の近くには山はなかったものの、吟遊詩人の唄や旅人の話で山がどれほど過酷な場所かは聞き知っている。

 森と違って、足を滑らせたら崖下へ真っ逆さま、何てこともありえるのだ。

 しかし、そんなことは麓にあるこの里に住んでいる人なら皆承知の事だろう。だからこそ、本来数年に一人くらいだったのだ。


「最初は一月に一人。間隔はどんどん短くなって、二月前は五日に一人いなくなるといった具合でした。余りにおかしいので、一月と少し前から山への立ち入りを禁止しています」


 聞くだに異常な事態に、ナイトは目を見開いた。

 まるで神隠しだ。一体何があれば、そんなことが起こるというのか。

 キラザの溜息に、ぐっと重さが乗る。


「里の者達は、『山神様』の仕業だと言っています。この里に伝わる古い伝承です。山で何かが消えたのなら、それは『山神様』の仕業だと」


 田舎にはよくある話だ。

 口伝でだけ残るものには色々あって、確かナイトの村にも薬の作り方が幾つかそんな感じであったはずだ。

 伝承などは吟遊詩人の唄のもとになると聞いたこともある。


「騎士団にも話してみましたが、すぐには来てくれないそうで。今回リーナが里から出ていたのも、もう一度騎士団に嘆願(たんがん)しに行ったのです」


 キラザやリーナが聞いた話では、今の騎士団は魔物討伐で大忙しらしい。

 事故の可能性が高い所にすぐさま人を割り避ける余裕はないということだろう。

 分からないでもないが、ナイトの眉がハの字になる。

 里にとっては緊急事態だ。垢抜けないナイトは、ついキラザ達の方の肩を持ってしまう。

 里の人達の態度も、現状に不安を抱えているせいだとすれば理解できた。

 身内を守ろうという意識が強くなれば、排他的にもなろうというものだ。

 納得するナイトとは反対に、マギサはキラザに質問を始めた。


「山で採取ができないのは、どのくらい致命的ですか?」

「え? あー……そうですね、長い目で見れば存続に関わりますが」

「立ち入りを禁止してからは、人の被害は?」

「人が消えたのは、ありません」


 事態を理解できないナイトを差し置いて、マギサとキラザの間で言葉と視線が飛び交う。

 マギサの目は、何かを確信しているようだった。


「主が消えたのは大きな問題ですが、それ以前から早期解決をしようとしていました。その理由が、聞く限りでは薄いと思います」

「……つまり、他に理由があるのでは、と?」


 肯くマギサに、観念したようにキラザが項垂(うなだ)れる。

 よく分かっていないナイトは、とりあえず黙って二人を交互に見つめることにした。

 キラザの視線が、リーナに向かう。釣られるように、ナイトもマギサもリーナを見た。

 リーナは今にも消えそうな薄く柔らかい表情で、キラザに向かって肯いてみせる。

 細く長く息を吐いて、キラザは顔を上げた。


「……実は、里の伝承には『山神様』を鎮める方法もありまして。それによると、山の中腹ほどにある『山小屋』にて、ある『儀式』をすればいいらしいのです。『儀式』を行うのは、若い者、できれば女であればいい、と」


 ふと、ナイトの頭にとあるお伽噺がよぎった。

 そのお伽噺では今回の話と似たような展開で、その話では結局魔法使いが黒幕で騎士が何とかしてめでたしめでたしだったのだけれど、

 同じように神様を鎮める為には儀式をする必要があって、

 同じように若い女性が求められて、

 その儀式の内容が、



「『山小屋』で心臓を自ら貫き、『山神様』に食べて頂く。つまりは生贄です。そして、このまま行けば、リーナがその生贄となります」



 目眩がした。

 里の人達の態度の理由が、なんとなく分かった気がする。

 リーナに対して腰が低かったのは、何も里長の娘というだけではなかったのだ。

 思わず視線を送れば、リーナは薄く微笑んでいた。

 その今にも消えそうな儚さを、ナイトはどこかで見た気がする。

 そう、あれは、確か、




 今は隣にいる黒髪の少女が、かつてした微笑と同じものだった。

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