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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
14/85

第十二・五話 「ナイトとマギサの一日」

――朝はいつも、ナイトよりも先にマギサが起きる。

 日もまだ昇りきらない早朝、ゆっくりと起き上がってローブについた砂を払う。

 寒い日は焚き火をつけて、そうでもない日はそのまま、ナイトが起きるまで杖に触る。

 削れているところはないか、弱っているところはないか。十分確認して、問題があるようなら『魔法』で直す。

 『魔法』の補助道具は、もうこれ一本しかない。後はあるとしても騎士団が接収(せっしゅう)しているだろう。

 それでなくとも、マギサにとっては思い出の品であり、形見だ。大事に扱う理由ならいくらでもあった。


 それが終わってまだナイトが起きないようなら、杖を膝に置いて意識を集中させる訓練をする。

 『魔法』を使うには揺ぎ無い精神と明確なイメージが必要だ。里で行っていた訓練を、マギサはずっと続けていた。

 大体いつも、この辺りでナイトが目を覚ます。朝靄(あさもや)に日の光が反射して、その明るさに反応して起き上がるのだ。

 起き抜けのナイトの顔はいつにも増して間が抜けていて、眠そうに目を線にしている。

 まだ起き切らない頭で、ナイトはじっと見つめてくるマギサにぼんやりと笑いかけた。


「おはよう」

「おはようございます」


 頭をふらふらさせるナイトを見ながら、マギサは置いてある背負い袋から水筒を取り出す。

 顔を洗うなんて贅沢な事はできないが、水を飲めば大体ナイトは覚醒するのだ。

 アバリシアを出てから二日。

 旅の道中、二人の朝はこうして始まっていくのだった。



  ※            ※            ※



 頭を覚醒させた後、ナイトはいつものように少し離れた場所で素振りをする。

 森の中では流石にやらなかったが、街道を旅するようになってからは毎日だ。

 村に居た頃のように、朝食前に体を動かす。

 アバリシアに行く前と後では少し意味が変わったが、やっていることは同じだ。

 頭の中で敵を想定して、足を止めずに剣を振るう。

 その間、マギサは集中訓練の続きだ。ナイトに先に食べてもいいと言われた事もあるが、首を横に振った。

 一人より二人で食べる方が美味しいもんな、とナイトは解釈(かいしゃく)しているが、正解かどうかは本人に聞いたことがないので分からない。


 ある程度汗を流して、ナイトは朝の訓練を切り上げる。やりすぎは良くない。

 ナイトの足音を聞いて、マギサも訓練を止めて目を開ける。

 マギサが見上げると、ナイトが気づいて微笑む。目が合うとナイトはとりあえず笑うのだ。こういうところが諸々の原因だと本人は気づいていない。

 背負い袋から保存食を取り出す。今日は乾し芋と乾し肉だ。水で戻す必要がある時は、止むを得ず『魔法』を使うこともある。

 芋と肉を齧りながら、背負い袋の中の備蓄を確認する。そろそろ補充しないとまずい。

 上手いこと獲物が見つかればもう少し持つのだが、世の中そう甘くもないものだ。

 どうにかしないとなぁ、と思いつつ水を飲めば、水筒の残りも心許ない。相も変わらずないない尽くしだが、気にしすぎるだけ損だと学んだ。


 どんなに気にしても、どうしようもないことはある。どうにかなるよう頑張るしかないなら、あれこれ考えても疲れるだけだ。

 一先ずは先に進もうと決めた。歩いていけば、その内何かに当たるだろう。

 朝食を胃袋に収めてマギサを見れば、まだ食べ終わりそうにもなかった。いつものことだ。ナイトよりも少食だが、ナイトよりも時間がかかる。

 ナイトの視線に気づいて噛む速度が少しだけ上がった。ナイトは苦笑して、小さく首を横に振る。


「いいよ、ゆっくり食べな」


 先を急ぐ旅でもない。

 いや、騎士団に追われている以上急ぐ必要はあるのだが、何処まで逃げればいいかも分からない旅なのだ。

 少しくらい、ゆっくりする時だって必要なはずだ。

 ナイトは寝転んで空を見上げる。

 雲が流れ、鳥が鳴き、風が舞う。

 いい天気だった。眠くなりそうなくらい。


 まさか本当に寝るわけにもいかず、ぼんやりとこれから先の事を考える。

 どこかで食べ物を補充したい。火口箱の火種も少なくなってきたし、これもなんとかしなくちゃいけない。水は近場に村や町があればいいが、望み薄なので探すしかないだろう。

 この前みたいに、運良く行商人にあったりしないかな、とナイトは願う。

 早々都合の良い事はないと分かっていても、都合の悪い事だってあったのだからと思ってしまう。

 そんな事を考えている内に、マギサが食べ終わったようだ。

 身を起こして、腰に剣を()き、袋を背負って忘れ物はないかと周囲を見回す。

 問題ないのを確認して、ナイトはマギサに笑いかけた。


「じゃ、行こうか」

「はい」


 マギサが肯いて、歩き出すナイトの隣に並ぶ。

 体格が違えば歩幅も違う。ナイトが普通に歩けば、マギサは早足に成らざるを得ない。

 だから、いつもナイトはゆっくりと歩く。マギサが慌てないよう、無理をしないよう。

 暖かな陽気は、昼になれば少し暑いくらいだ。

 マギサの黒いローブでは、額に滲むほどの汗を掻くかもしれない。

 早めに水を補給できればいいなと思いながら、ナイト達は街道を歩いた。



  ※            ※            ※



 ナイトとマギサの旅は、会話が極端に少ない。

 マギサが無口な上、ナイトも元々喋る方ではない。更に、ナイトが気を使って無理に話そうとはしない。そのナイトに気を使って、マギサも口を開かないからだ。

 日中、街道を歩きながらする会話といったら、


「大丈夫?」

「はい」

「疲れてない?」

「はい」

「少し休む?」

「いいえ」

「水飲む?」

「いいえ」


 大体、これくらいのものだ。

 昼食を挟んでこれが数度繰り返され、気がついたら日が傾いている、というのが基本的な一日の過ごし方だった。

 他にやることといえば、点在する林を見つけたら、焚き火の跡が固まってないか探すことくらいである。

 大体そういうところには、川か湖かがあるのだ。服などを洗って寝ている間に乾かそうという旅人が多いということなのだろう。

 一応王都まで旅したことのあるナイトは、体感としてそれを知っていた。

 そしてその日は、運良く日が中天に差し掛かる頃にそういう場所を見つけた。

 少なく見積もっても、三つは跡が残っている。可能性は高い。


「マギサ、水が補給できるかも」


 見下ろして言えば、マギサも小さく頷いた。

 道を逸れて焚き火跡の方へ行き、通り過ぎて林の中に入っていく。

 外れの可能性もある為、余り奥に行きたくはないが、背に腹は変えられない。

 引き返し時を見誤らないよう気をつけながら、ナイト達は水源を探す。

 林に入って少し歩くと、水の音が聞こえた。

 今回は大当たりだったらしい。二人して顔を見合わせ、音の聞こえた方に迷わず進んでいく。

 暫く歩くと一気に視界が開け、湖が姿を現した。

 そこまで大きくはないが、綺麗な湖だ。音の出所を辿(たど)れば、上流から流れた水が岩の隙間から落ちてきていた。

 辿れば川もありそうだが、そこまでしなくても十分水は確保できる。

 それどころか、


「これ、久しぶりに水浴びできそうだね」


 岩の隙間から流れ落ちる水を水筒に詰めながら、嬉しそうにナイトが言う。

 朝晩と何もなくても剣を振るうナイトは、それなりに汗を掻く。水浴びができるのは純粋に嬉しかった。最近、少しずつ暑くなってきたところだ。

 当然マギサも喜ぶだろうと思っていたが、反応が(かんば)しくない。

 変に思ってそちらを見れば、マギサはいつもの無表情のまま湖を見つめていた。

 旅をしてそれなりに時間が経つが、未だにナイトはマギサの事が分からなくなる時がある。


「どうしたの? 今日は止めとく?」

「いいえ」


 ほんの微かに固くなるマギサの声に、ナイトが首を傾げた。

 そういえば、以前水浴びしたのはバールに会う二日前だったと思う。あの時は普通だったから、水浴びが嫌いということはないはずだ。

 体調が悪いということもないはずだし、水だって綺麗だ。

 マギサの態度の理由が、ナイトにはさっぱり分からない。とりあえず、水浴びはするということで良さそうだから、服を掛けるのに丁度いい木を探した。


 枝ぶりも立派な木を見つけて、ここにしようと荷物を置く。幹も太くて、後ろに回れば湖が目に入ることはない。

 手癖の悪い動物がいるかもしれないから、服や荷物から離れるわけにはいかないが、水浴びしているのを見るわけにはもっといかない。

 脱ぐときは離れて、脱ぎ終わったら声をかけてもらって幹の後ろで荷物番をすることになっていた。

 ナイトは木から離れ、マギサから声がかかるのを待つ。


「いいですよ」

「はーい」


 マギサから声がかかり、出来る限りそちらを見ないようにして木の根元に座り、幹に背中を預ける。

 太い幹は安心感があって、木漏れ日とあわせて転寝(うたたね)してしまいそうだ。

 勿論、寝てしまっては荷物番の意味がない。

 水浴び中のマギサは無防備なのだからしっかりしなくては、と自分に言い聞かせ、ナイトは(うら)らかな陽気との激しい戦いを始めた。



  ※            ※           ※



 湖に頭まで浸かりながら、マギサは口から苛立ちを吐き出していた。

 すこぶる機嫌が悪い。悪いが、その正体が何なのかマギサ自身にも理解できなかった。

 マギサに分かるのは、間違いなくナイトが悪いということだけだ。

 そも、気軽に水浴びをしようなどと異性に言うのはどうかと思う。しかも、自分の声が聞こえる範囲に居たという事は、衣擦れの音だって聞こえたはずだ。

 荷物を置いた木に近づく時も、うっかりすれば裸の自分が見えるかもしれないのに、ナイトに動揺したところは一つもない。

 今だってこっちを見るどころか、気にした様子さえ微塵(みじん)もないのだ。

 はっきりと不愉快だ。何故かは知らないし考えたくもない。


 水面に顔を出して、足のつく場所まで移動する。殆ど岸と変わらないところまで戻る羽目になった。

 自分が年齢に比して背が低いのは理解している。見下ろせばすとんと真っ平らな体があって、長い黒髪がべたりと背中に張り付いて重い。

 何故かクーアやエカテーを思い出す。一緒に水浴びしたこともあるが、体の作りから自分と全く違っていた。やはり『魔法使い』とそうでない人とでは違うのか。

 そんなわけないと、頭のどこか冷静な部分が突っ込んでいた。

 背中から倒れて、水死体のように水に浮かぶ。中天に差し掛かった日は少し暑いくらいで、水浴びをするにはいい日和だった。

 ナイトに他意が一切ないのがまた更に腹が立つ。

 でも、そんなナイトに救われてきたのだと思えば、腹を立てる自分に腹が立つ。

 波に揺られれば、そんな考えもどこかへ連れ去っていってくれるように思えた。

 妙な夢想をする自分に呆れ、体を起こして顔を洗う。


「戻ります」


 ナイトに声をかければ、居眠りしていたのか慌てた様子で起き上がり、背中を向けたまま離れていった。

 若干間の抜けた様子に少しだけ溜飲(りゅういん)が下がり、服を身に着けて杖を取る。


「いいですよ」


 戻ってくるナイトと交代して、今度はマギサが幹の後ろに回る。

 最初は離れていようかと言ったのだが、逆に心配になるからと断られたのだ。

 ナイトは多分、自分が脱いでるところを見られても恥ずかしくないのだろう。

 そういえば、村にいたときは朝の素振りの時、いつも上半身裸だったことを思い出す。

 あれのせいで、朝にナイトの家に行くのを止めた。


 躊躇のない衣擦れの音がして、足音が離れていく。正直に言えば、こちらが恥ずかしいから出来れば離れていたいのだ。

 恨みを込めて、湖に入っていくナイトの背中を見る。

 ついていたはずの大きな一本傷は、痕すら残さず消えていた。

 『魔法』で治したのだから、当然といえば当然だ。放っておけば命に関わる傷だったから、惜しみなく魔力を注いだ。

 制御に自信があるとはいえ、軽々に使っていい力ではない。体を乾かすことに使うのもどうかと思ったが、それは必要な事だからと自分を納得させた。

 いくらなんでも、乾くまで裸でいるなんて出来ない。ナイトではないのだから。


 そういえば、傷は塞いだが服はそのままのはずだ。エカテーが縫い合わせたとは聞いたが、ちゃんと確認したことはなかった。

 木にかかったナイトの服を見れば、背中に大きく縫い合わされた跡があった。かなり綺麗で、裁縫した人間の腕が窺える。他にも小さく切れている箇所があるが、縫われた後についたものだろう。

 『魔法』でなら元通りにできる、と思う自分がいる。

 そんな事に『魔法』を使おうとするな、と叱る自分がいる。

 全くもってその通りで、自分で自分に溜息を吐く。一体何を張り合っているのか。

 馬鹿な考えだと自嘲して、全ての原因を横目に見る。

 元凶は気持ち良さそうな顔をして、湖の中に飛び込んでいた。

 意外にしっかりした体に、農作業や鍛錬でついた筋肉が水滴を弾く。

 何かとても恥ずかしい事をしている気になって、顔を背けて幹に背中を預けた。

 頬が少し火照っているのを感じる。

 ずり落ちるように尻をついて、膝の間に顔を埋めた。

 ナイトが戻ってくるまでに、なんとしても治めなければならない。

 自分が何をしているのか、マギサには良く分からなかった。




 体を乾かしたナイトが戻ってきた時には、いつもの顔色一つ変えないマギサが待っていた。



  ※            ※            ※



 水をたっぷり補給し、二人は再び街道を歩いていた。

 どことなく足取りも軽くなり、特に何事もなく進んでいく。

 日が中天を過ぎてやや傾いた頃、道端で休む小さな馬車を見つけた。

 荷台には様々な物品。村々を巡る行商人に間違いなかった。


「マギサ、買ってこう」


 足を止めたナイトにマギサは肯き返し、二人揃ってパイプを吹かす小太りの男に近づいていく。

 男がこちらに気づいたのを確認して、ナイトは声をかけた。


「どうも、今やってます?」

「客なら歓迎だが、追い剥ぎなら帰ってくれ……と、んなわきゃねぇな。いらっしゃい、何が欲しいんだい?」


 ナイトとマギサを見て相好(そうごう)を崩し、男は膝を叩いて立ち上がる。

 幸いにして、ナイト達は野盗だの追い剥ぎだのに間違えられたことは一度もない。ナイトの風貌(ふうぼう)も勿論だが、何よりマギサの存在が大きいだろう。

 小柄な少女を悪党だと思うのは、どんな人間にも難しいものだ。


「保存の利く食べ物と、あと火口箱の火種だけ。それから他は……なんかあったっけ?」


 ナイトが尋ねると、マギサが小さく首を振る。


「でも、水筒はもう少しあったほうがいいと思います」

「あ、そだね。大きめの水筒ってあります?」

「水筒ったら、今あるのはこんくらいだな」


 行商人の男に水筒を見せてもらい、一番大きなものを選ぶ。本当はもう一つ欲しかったが、ないものねだりをしても仕方がない。

 男がサービスだと水を入れてくれたので、保存食を多めに買うことにした。

 エカテーがくれたお金は、まだまだ余裕で持つ。元気にしてればいいなと、支払いを終えて懐に金貨袋をしまう。

 入れ違いに、マギサが懐から金貨袋を出し、男と何やら内緒話を始めた。

 そういえば、リエスからもらった分はマギサがまだ持っていたはずだ。あんまり残りもなかったはずだが、何を買うつもりなのだろうか。

 気にはなるが、こういうことは直接聞いてはいけないものだと思う。

 悶々とした気持ちを抱えて、余り見るのもどうかと思ってマギサから目を逸らした。


 何がしか自分に言いたくない買い物なのだろうか。

 言いたくないとしたら、どういう意味なのだろうか。

 考えたって分かるものではないが、どうしようもなく頭をぐるぐると巡ってしまう。

 思わず溜息を吐くと、


「お待たせしました」


 後ろから聞こえたマギサの声に、吐いたばかりの溜息を飲み込んでしまった。

 振り向けば、いつも通りのマギサと、どこかニヤついた表情の行商人。

 全く意図が汲み取れず、ナイトはとりあえずマギサに微笑みかけた。


「もういい?」

「はい」


 そっか、とマギサに肯き返して、行商人の男に頭を下げる。


「ありがとうございました」

「毎度あり! またどこかで会ったら宜しくな!」


 パイプを咥えて手を振る男にもう一度会釈して、ナイトはマギサと歩き出す。

 横目で見たマギサは本当に全くいつもと変わらず、ナイトの視線に気づいて見上げてくる瞳もいつもと同じだ。

 なんでもないと首を振って、ナイトも前を向く。

 何を買ったのか聞ける日は一生こないだろうな、とナイトは思った。



  ※           ※           ※



 空が夕焼けに染まり、更に傾いて日が沈みそうになった頃、ナイトは野営場所を決めた。

 野営をするのは決まって、街道から少し離れた林の前である。

 だだっぴろい草原では、焚き火をする材料がそもそも集まらない。

 火口箱があれば枯れ木に限らなくともなんとかなるが、あったほうが良いに決まっている。

 それに、全方位から丸見えの場所で野営するのは精神的に辛いものがあった。

 幸い街道沿いには林が点在している。たまたまか、選んだのか、植えたのかは知らないが、ナイト達にとってはどうでもいいことだ。

 街道といっても、言うほど整備されているわけでもない。数知れぬ旅人に踏み(なら)された所を、多少手入れしているだけといった方が正解だ。

 王都近くには石畳の道もあったりするが、そんなものがあるのは王都か大きな街の周辺だけだ。

 ナイトにしてみれば、石畳の方が歩きにくく感じた。


 ともかく、野営場所を決めたら後は焚き火作りだ。

 林に入って枯れ木や枯葉を集め、まだ水分の残っている枝も幾つか拾う。

 熱が逃げないように水分の残っている枝で火床を組み、その上に枯れ木を組み立てて中に枯葉を詰める。

 火口箱を使って火を(おこ)し、着火した火種を枯葉の上に置いて燃え移らせる。

 上手く火がつけば、後は火が消えないようにタイミングを計って枯れ木を投入していくだけだ。

 揺らめく炎を眺めながら、今日の食事の準備をする。


「マギサ、何食べたい?」

「ナイトさんは何が食べたいですか?」


 最近、マギサはこうして質問を返すことが多くなった。

 そう言われるとナイトも困る。唸りを上げて袋の中身と睨めっこし、串に刺さった魚の干物を取り出した。


「じゃ、今日はこれで」

「分かりました」


 マギサが肯いたのを見て、ナイトは串を火の近くに差して干物を(あぶ)る。

 燻製(くんせい)にした腸詰なんかもあったが、水浴びをしたからか、魚の気分だった。

 保存食としては珍しく、滅多に食べられない。あの行商人に会えたのは運が良かった。

 最近どうにも、運が良いのと悪いのとが激しすぎる気がする。

 それとも、基本的に運が良いのを台無しにしているだけなのか。

 どうにも、そっちの方がありそうな気がして少し落ち込んだ。


 暫くすると、炙った魚の匂いが漂う。干物にしていても、案外匂うものだ。

 昼間もそうだが、夜になると特に話すことがない。

 焚き火の準備中も、食事中も、その後も、面白いくらいに会話が少ない。

 言うことと言えば、


「今日は枯れ木多かったね」

「はい」

「美味しいね」

「はい」

「ちょっと剣振ってくるね」

「はい」


 これだけ。

 いつもの鍛錬をナイトが終えれば、獣除けの『魔法』を野営地にかけたマギサと一緒に寝る。

 それで、二人の一日は終わりだ。

 仲が悪いわけではなく、これが普通なのだが、その日は少し様子が違った。

 鍛錬を終えたナイトが戻ると、マギサが自分の真っ黒なローブを地面に敷いていた。

 しかも、位置的にはナイトが横になる所に。

 意図が掴めず困惑していると、獣除けの『魔法』を掛け終えたマギサがナイトに向かって手を差し出す。


「上、脱いでください」

「え?」


 言われた事が理解できずに見下ろせば、マギサの傍らには裁縫具があった。

 針と糸と、小指くらいのサイズのナイフみたいなやつ。その名前を、ナイトは知らない。

 どういうことか分からずにマギサを見返すと、


「上、脱いでください」


 もう一度繰り返された。

 これはおそらく、上着を脱いで渡せ、ということだろうか。一体何の為に。

 マギサと裁縫具、という似合いそうで似合わなさそうな組み合わせに、ナイトの頭は情報を処理し損ねる。

 ナイトが固まったままでいると、焦れたようにマギサが口を開いた。


「切れてるとこ縫いますから、脱いでください」

「切れてる?」


 言われてみれば、ロブとかいう男にやられた傷が服にも刻まれていた。

 一つ一つは小さいもので、大したことはないと思って気にもしていなかった。


「いいよ、このくらい、」

「縫いますから」


 遠慮しようとするナイトに被せるように、マギサが言う。

 こう見えて、マギサは一度決めたら梃子(てこ)でも動かない。見た目以上に頑固な所があるのを、ナイトは良く知っていた。


「あの、分かったけど、寝るときは、」

「敷いてますから」


 マギサが自分のローブを指差す。

 成る程、そういう理由で敷いていたのかとようやくナイトは合点がいった。

 良いか悪いかでいったら良くはないが、さりとてマギサを説き伏せる自信もない。

 大人しく言う事を聞く以外に、ナイトに選択肢はなかった。


「あー、えと、その、じゃあ、お願いします」

「分かりました」


 上着を脱いで、マギサに渡す。

 エカテーに縫ってもらった背中の傷はともかく、他はいいと思っていたが、そういうわけにもいかないようだ。

 新しい服を買おうかとも思っていたが、ここまでしてくれるならどうしようもなくなるまで着続けるのもいいかもしれない。

 行商人の所で買ったのはこの裁縫具かもしれないと思う。しかし、それなら別に秘密にする必要はないはずだ。

 やっぱり何か違うものを買ったんだろうかと思いながら、針に糸を通すのに苦戦しているマギサを見やる。

 裁縫、したことあるんだろうか。

 少し不安に駆られながら、気にしたら負けだとローブの上に寝転がった。

 なんとなくマギサの匂いがして、心が落ち着く。

 ふと気がついたときには、ナイトは深い眠りに落ちていた。




 焚き火は、日が昇る直前まで消えることはなかった。



  ※            ※             ※



 少し眩しくなって、ナイトは目を覚ます。

 朝靄のかかるいつもの時間。頭の中がぼんやりしたまま身を起こせば、何かが滑り落ちる感覚があった。

 ふとみれば、自分の上着がずり落ちていた。

 いつ脱いだっけ、と考えて、そういえば昨夜マギサが縫うからと渡した事を思い出す。

 手にとって広げてみれば、ナイトの顔に苦笑が浮かんだ。

 むやみやたらに糸が多くかかっているのは、最初の方にやったやつだろうか。一繋ぎでなく、重ねて縫ったことが窺える箇所もあった。

 視線を動かせば段々上手くなっていく様が見えて、中々に趣き深い。

 最後の方にやったのであろうものは、ぎこちないものの一繋ぎで立派に縫えていた。


 朝はやっぱり少し肌寒い。ぶるりと背筋を震わせて、上着を着た。

 強く動けばまた破けてしまいそうだが、そうなったら今度は自分から頼もうと思う。

 上着を着たせいか、なんだかとても暖かくなった。

 礼を言おうとマギサを見れば、珍しくまだ眠っていた。

 力尽きて倒れたような姿勢で、全く起きる気配がない。

 起こさないように静かに離れて朝の鍛錬をして、戻ってきてもまだ眠っていた。

 流石に朝食は食べなければいけない。旅には体力が必要だ。

 心を鬼にして、そっとマギサの肩を揺する。


「マギサ、朝だよ。ご飯だよ」

「んん……はい……」


 小さく身じろぎをして、そっと目を(こす)ってマギサが起き上がる。

 これ以上強く起こさずに済んで、ナイトはほっと胸を撫で下ろした。

 朝食を済ませ、出発準備を整えても、まだマギサは眠そうだった。

 街道を歩いていても、頭がふらふらと前後し、目は閉じたり開けたりを繰り返す。

 どうしたものかとナイトは頭を捻る。このままでは危なっかしいどころではない。

 それに、出来れば寝かせてやりたい。なんとかできないかと考えて、

 唐突に、天啓のように閃いた。


「マギサ、」


 声をかけ、足を止めさせる。

 見上げるマギサに微笑んで、背負い袋を体の前に出して、一歩前に出てしゃがみこんだ。

 手を後ろに沿え、人を負ぶさる構えを取る。


「はい」


 首だけ振り向かせ、もう一度笑いかけた。

 意図は伝わったのか、マギサが逡巡するように固まり、



 眠気には勝てず、ナイトの背中に負ぶさった。



 マギサの体重など、ナイトにしてみれば軽いものである。

 苦もなく立ち上がり、位置を微調整してしっかりと背負う。

 背中にマギサの顔があたっていることを感じながら、ナイトはそっと小声で言った。


「寝てていいよ。大丈夫だから」


 服を縫ってくれたお礼としては、この程度お安い御用だ。

 背中のマギサの顔は、ナイトに見えることはない。

 歩き出して暫くすると、小さな寝息が聞こえ出した。

 支えている感覚からしても、寝入ったことは間違いない。

 我知らず微笑みながら、ナイトはゆっくりと街道を歩いた。

 たまにはこんな日があってもいい。

 背負ったマギサの重さに、ナイトは心からそう思った。




 その日は一日、ナイトはマギサを背負って歩いた。

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