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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
11/85

第十話 「アバリシア・3」

――酒場をやろう、と言い出したのは妻の方だった。


 そりゃホーント一家は嫌いだったが、正面から喧嘩(けんか)を売る度胸も根性もなかったから、心底驚いたのを覚えている。

 精々隠れて酒を呑みながら愚痴(グチ)を言うくらいだったのに、妻はまさに名案を思いついたとばかりに胸を張って言った。


 怖いもの知らずとはこのことだ、と思った。


 周囲の反対を押し切って、妻は店に着手した。言い出したら聞かない奴だと知っていたから、早々に反対するのを諦めて手伝った。

 酒場を開くなら、(はた)からは店があると分からなくて、ある程度は広くてしっかりした場所を探すしかない。

 そんな都合のいい場所あるものかと思っていたら、妻はすぐに見つけてきた。観念するしかなくなって、次に内装を整え、食料と酒の流通を作った。

 酒も食料も当てがあったが、内装は随分(ずいぶん)難儀(なんぎ)した。金もないし、如何(いか)にもなんて内装にしたら言い逃れができない。喧々諤々(けんけんがくがく)と言い合った挙句今の形に落ち着いた。

 珍しく妻が意地を張るものだから折れそうになったが、引けない理由があった。


 妻は、ホーント一家の先代(かしら)に目をつけられていたのだ。

 街でも噂の美人だからか、結婚してからもあの手この手の誘いが山と来た。その全てを蹴っていて、その中にはホーント一家の先代頭からの誘いもあった。

 お陰で、夫婦揃って酒場を開く前からホーント一家に睨まれていて、いざという時の備えをしないわけにはいかなかったのだ。

 ホーント一家への反抗心は、そういうところから来ていたのかもしれない。


 何はともあれ、酒場は無事開けることとなった。

 店の名前は、妻の名前をとって『クナイペ』とつけた。

 この店を開こうと言い出したのも、その為に動いたのも、妻だからだ。

 『クナイペ』は順調な滑り出しを見せた。

 ホーント一家が嫌いな奴はそれこそ唸るほどいて、店は毎日ひっきりなしの繁盛具合だった。

 そんな日々が続くと、何の根拠もなしに思っていたんだ。



 ある日、妻が誘拐された。



 下手人は勿論ホーント一家で、ご丁寧に脅しまでかけられた。


 ――店を畳まなければ、お前の妻の身の安全は保障しない。


 バカを言うな、と思った。お前達が約束を守るわけない。そんなの常識だ。

 先代頭が妻に気があるのも分かっている。どうせ、店を畳ませて妻の心の支えを奪って、好きなようにしようという魂胆(こんたん)だろう。

 ここでホーント一家なんぞに従えば妻に幻滅されるに決まってる。それに、ここまでされて唯々諾々(いいだくだく)項垂(うなだ)れるのは御免だった。

 当時まだ10歳くらいだった娘を店に出して、意地で店を開き続けた。

 ホーント一家に屈した日には妻に何を言われるか分からない。そう自分に言い聞かせて、脅しに抵抗しているつもりでいた。

 それからどれだけ過ぎた頃だろうか。一月(ひとつき)は過ぎていなかったように思う。



 妻が物言わぬ姿となって帰ってきた。



 胸に短剣を突きたてられて、店の前に転がされていた。最初に見つけてくれたのは卸しにきた知り合いで、真っ青な顔して店に飛び込んできた。

 その知り合いとは、そこで縁が切れた。

 当然だと思う。誰だって死にたくはない。妻の死は見せしめとしては十分な効果を発揮したようで、一気に店の維持が苦しくなった。

 妻が居たからこそ協力してくれてた人も居たのだと思う。それから(しばら)く、悪意をぶつけられることも多くなった。


 お前が折れていれば。

 お前が店を畳んでいれば。

 お前が反抗さえしなければ。


 全くもって、その通りだ。

 もしあの時、ホーント一家の言う事を聞いていれば、妻は命だけはとられることはなかったかもしれない。

 酒場は潰れたとしても、全員生き残れたかもしれない。

 でも、そう思ったら何もかも終わる気がした。

 妻が(のこ)してくれたものまで、どこかに捨ててしまう気がした。

 何度呪っても過去は変わらない。酒に溺れても、妻は戻ってはこない。

 それならせめて、意地を張ってまで守ったものを大事にしていこうと思った。



 妻が遺してくれた、この酒場と娘を守って行こうと決めた。



 例えそれが、何の罪滅ぼしにならなくとも。

 例えそれが、妻を殺した自責の念を薄める為の行為であっても。

 この命は、その為に使って行こうと決めた。

 何があっても、それだけは曲げないと誓った。

 間違いだと誰に(ののし)られても、もうそのくらいしか分からないのだ。


 こんな結末になることを考えられなかったわけでもないのに、妻が酒場をやろうと言った理由を知る方法が。


 このまま続ければ、きっと死ぬときくらいには分かりそうな気がするのだ。

 妻が酒場をやってまで欲しかった、『何か』の正体が。

 ずっとずっと、それが知りたくて今も生き恥を晒し続けている。



 あの夜、バールがナイトに語った昔話は、そんな言葉で締められたのだった――



  ※            ※             ※



 真っ暗な店内で、マギサは泣き疲れて眠るエカテーを見つめていた。

 バールが連れて行かれ、沈んだ空気の中で客が三々五々散って行った後、エカテーは帰ってきた。

 送ってきたトルファと一緒に店内に入ったエカテーは、すぐにナイトに詰め寄った。

 ナイトが誤魔化せるはずもない。正直に全て話すと、エカテーはナイトの胸倉を掴んで叫んだ。


 ――なんで助けてくれなかったの!


 傷ついて歪んだナイトの顔から、マギサは目を逸らした。

 やり場のない怒りをナイトにぶつけ、エカテーはテーブルの上の酒や料理を涙と一緒に床にぶちまけた。

 マギサも、ナイトも、何も出来なかった。

 限界まで泣き喚いて、やけくそのように酒を呷り、エカテーは倒れるように眠る。

 彼女の頬に残る涙の(あと)が、マギサの胸に(とげ)のように刺さった。

 バールを助けなかったというなら、自分も同罪だ。『魔法』を使えば、容易に助けられたに違いない。

 躊躇したのは、何も『魔法使い』だと知られたくなかったからという理由だけではない。



 怖かったのだ。『魔法』を使うのが。



 グラン・スパイダーの時のように、失敗するのが怖かった。何も起こらないならまだいい方で、下手をすれば人が死ぬかもしれない。

 『魔法』は得体の知れない力だ。マギサは、それを思い知らされた。

 マギサが知っているのは、『魔法』を制御するには心を(しず)めて乱れぬようにすればいいということだけ。穏やかでなだらかな精神が、『魔法』を操る力をくれる。

 今の精神状態で、細やかな制御ができるとはとてもではないが思えなかった。

 再び静かになった店内に、まだ帰っていなかったトルファの声が響く。


「とりあえず、ベッドに寝かせた方がいいだろ」


 そう言って視線を向けられたナイトが肯き、エカテーを抱え上げる。

 マギサの視線に気づき、無理矢理笑顔の形にして、


「すぐ戻ってくるから、先に片付け始めてもらっていい?」


 マギサに、肯く以外の選択肢はなかった。

 自分がナイトに随分無理をさせているのは分かっている。だから、出来る限り彼の助けになりたかった。

 本当はエカテーの(そば)についていたかったし、そうすることでナイトに安心して休んで欲しかった。バールが戻ってくるまで店は開けないのだし、片付けなんて後回しでいい。

 けれど、彼が傷つく気がして、マギサは何も言わない事を選んだ。

 自分が我侭を言えば、ナイトは困ってしまう。これ以上彼に負担をかけたくなかった。


 エカテーを家に運ぶナイトを見送って、マギサは片付けを始める。

 散らばった食器の破片を拾い上げ、崩れた料理を捨て、染み込んだ酒を雑巾で拭く。黙々と作業している間は、少しだけ気が紛れた。

 だから、出来ればトルファにはずっと黙っていて欲しかった。


「ナイトも勝手な奴だなぁ」


 聞こえよがしな言葉を無視して、マギサは片付けを続ける。

 トルファは眉根を上げて、今度は直接的に言ってきた。


「普通、君にだけ片付け任せたりする?」


 無視するわけにも行かず、ちらりと視線を向ける。

 トルファは我が意を得たりとばかりにしたり顔をして、勢い込んだ。


「彼、いつもそう? ああして僕は無害ですって顔してちゃっかり気を引くの?」


 何も答える気にならない。

 目を逸らして片付けを続けると、トルファは不服そうに鼻を鳴らした。

 こういう手合いは話をするだけ無駄だ。ただでさえ最近ナイトと話せていないのに、どうしてこんな奴と口を利かねばならないのか。

 こんな心持ちだから、今は『魔法』を使いたくないのだ。


「ごめんごめん、本当は違う話がしたかったんだよ」


 取り成すようなトルファの声に、一応手を止めてそちらを見やる。

 マギサの余り好まない薄笑いを浮かべて、トルファは魔法みたいな言葉を口にした。


「バールを助ける方法があるって言ったら、君はどうする?」


 動きが止まる。

 じっとトルファの目を見ると、いつものような薄笑いでこちらを見下ろしてくる。

 嘘をついているかどうか、判別がつかない。ただ、堂々としていることは事実だ。

 相手の狙いが分からない。何が言いたいのだろうか。

 バールを助けなかった罪悪感が棘のように胸を刺して、少し息が苦しくなる。

 マギサの様子に満足したように、トルファが続けた。


「ちょっとしたコネがあってね。君が協力してくれれば、助けられるかもしれない」


 トルファの言い分に、マギサはピンとくるものがあった。

 もしもそうだとすれば、全ての事に筋が通る。

 今日に限ってエカテーを誘った事も、今の話も、森で会った野盗みたいな雰囲気も、どうしてこの店と付き合いを続けてきたのかも。

 義理人情や、エカテーへの恋慕(れんぼ)だけで続けられる程根性があるようには見えなかった。

 マギサは、じっとトルファの目を見据える。


「ホーント一家の方ですか」

「……勘が良いのか、何なのか」


 何一つ明確でないトルファのぼやきは、しかし十分にマギサの言葉を肯定していた。

 頭の中が熱くなる。酒場の皆を、こいつはずっと騙していたのだ。

 熱を逃がすように息をして、冷静になれと胸中で呟く。

 溜息をつくトルファから目を逸らさず、マギサは続く言葉を待った。


「まぁ、面倒がなくていいや。で、どうする? 協力する?」

「何をするかによります」


 マギサはきっぱりと言い切る。

 何が目的かは分からないが、自分に話を振るということは『魔法使い』であることがバレているのかもしれない。

 『魔法』を使って何かをしろと言われたら、何が何でも断るつもりだった。

 しかし、トルファから提示されたのは全く別の、それ自体は何でもない事だった。


「なんてことないさ。俺についてきてくれりゃいい。大人しくな」



 その言葉の裏にある意図を、マギサは察することができなかった。



「……分かりました」


 肩透かしをくらったような気分で、ほんの少し逡巡(しゅんじゅん)してマギサは頷く。

 ホーント一家がろくでもない組織なのは聞いていた。バールの店で働けば、嫌でもそういう話は耳にする。

 しかし、マギサの知るホーント一家は、酒場の中でナイトに良いようにあしらわれている存在だった。

 それ以外を、マギサは見たことがない。知識で覚えていても、理解が追いつかない。

 まして、主導権を持たず、考えることが多すぎるこの状況で、彼らの思惑にまで思いを馳せるのは難しかった。


 そもそもマギサは、隔離された特殊な里で暮らしてきたのだ。

 『街のやり方』に(さと)くあれ、という方が無理がある。

 何処に連れて行かれるかは分からない。本当にバールを助けられるのなら、それでもいいと思う。

 彼らが約束を守るとは限らないし、今の自分が冷静だという自信もない。

 それでも、他に良い方法を何も思いつかなかった。

 何もかもを台無しにしてもいいなら、『魔法』を使えばなんとかなる。でもそれは、ナイトの努力を無駄にする行為のように思えた。

 マギサがホーント一家について良く知っていれば、別の選択もあったかもしれない。たかだか数日、余所者のマギサが身に染みて理解するには時間が短すぎた。


 結局の所、マギサに肯く以外の選択肢はなかったのだ。


「それじゃ、ついてこい。ナイトが戻ってくると面倒だ」


 先導して歩き出すトルファについて、マギサは酒場を出て行く。

 扉を閉める際、店内を振り返ってみる。

 そこには、蝋燭の明かりが落ちた暗闇と、無残に散らばった料理の残骸と、嗅ぐだけで酔いそうな酒の臭いがあった。

 人の姿は、全くなかった。



 ナイトは、そこにはいなかった。



  ※           ※            ※



 戻ってきたナイトが見たのは、少し片付けられた誰もいない店内だった。

 マギサの姿も、トルファの姿もない。

 やられた、と思った。

 マギサが勝手に何処かに行くはずはない。多分、ほぼ間違いなく、トルファがマギサを連れ出したのだ。

 暴れた跡がないということは、何かしら言葉巧みに誘い出したのだろう。何をどうやったのか、ナイトには想像もつかなかった。


 自分がどうしようもない馬鹿にしか思えない。


 トルファが怪しいのは分かっていたのだ。良からぬ類の人間だと思っていたのに、どうして二人きりにした上に目を離したのか。

 頭の中に、最悪の想像が浮かび上がる。

 もしかして、マギサには『魔法』があるから何とかなるとでも思っていたのか。

 あの力は、強大過ぎる。マギサだって、完全に使いこなせているわけじゃないのはこの前の魔物退治の件で分かったはずだ。

 当てにしていいものじゃない。なのになんで、そんなことを考えたのか。


 決まってる。自分がいなくてもなんとかなると、僕は()ねていたのだ。

 魔物退治も、道中も、この街に来てからだって、ずっと自分が足を引っ張っている気がしていた。

 何も出来なかった。魔物を倒したのもマギサなら、食料を買った金だってマギサが貰ったもので、酒場の仕事もマギサの方が出来ていた。


 不安で仕方なかった。


 もしかしたら、自分が居ないほうがいいんじゃないか。騎士団に追われながらの先の知れない旅。一人の方がずっと逃げやすいんじゃないか。


 そう考えて逃げていた。


 化け物と脅えられ、傷つくマギサに何も出来ない自分。結局は『魔法』の力で何とかしてもらっている自分。金もなければ力もなく、当てもなければ頭も足りない自分。

 そんな自分から逃げて、見ない振りをしていた。

 そんなものに屈するくらいなら、最初から村を出なければ良かったのだ。

 あの時、騎士団に喧嘩なんか売らなければ良かったのだ。


 余りの自分の情けなさに、血が出る程に拳を握り締める。

 バールの話を思い出す。

 バールは意地を張り通して、大事にしようと思ったものを守り通した。

 全部の罪を一人で被って、兵士に捕まえられた。

 捕まる間際にさえ自分に気を使って、後を頼むと言ってくれた。

 それに対して、自分のこのザマは何なのか。

 大事なもの一つ守れず、バカみたいに掌から零れ落ちていくこの有様は何なのか。

 これじゃあ、あの時と一緒だ。騎士団がマギサを探しに村に来た、あの時から何も変わってなんかいない。

 あの時も、マギサが逃げて騎士団が追うのをただ見送っていた。

 そんな自分が嫌で、村を飛び出したはずなのに。



 結局、あの時と同じ事を今もしている。



 握り締めた拳で、自分の顔を殴り飛ばした。



 少し息ができなくなって、鼻の奥が熱くなる。頭が痛くて、喉が詰まって咳き込んだ。

 深く呼吸を繰り返し、目をかっ開く。

 泣き言も文句も、全部後回しだ。

 足りない頭を精一杯巡らせて、マギサ達の行き先を考える。

 この迷路みたいな街を、土地勘もないのに当て所なく走ったって何にもならない。マギサを助けたければ、考える必要がある。


 マギサを連れて行ったのはまず間違いなくトルファだ。理由は分からない。だが、一人でそんな大胆な行動に出られる人間には見えなかった。

 誰かの差し金だとすれば、思い当たるのはホーント一家しかいなかった。

 トルファがホーント一家の一員だとすれば、話はしっくりくる。あの雰囲気も、今日に限ってエカテーを連れ出したことも納得できた。


 問題は、何の為にマギサを連れ出したのか。

 心当たりがあるとすれば、あの初日に追い返した男からの報復だ。

 バールの話通りの奴らなら、あのまま引き下がったりなんかしない。去り際の捨て台詞を思い出しても、報復という可能性は十分に考えられた。

 あの男だけの問題じゃない。ホーント一家の仕事を邪魔したということになる。

 バールを捕まえるついでに、邪魔してくれた用心棒も始末しようと考えてもおかしくない奴らだ。

 個人的な恨みが加われば、やらない道理がない。

 マギサを(さら)ったのは、尻尾を巻いて逃げ出さない為の人質だろう。

 相手は多分、マギサを餌に自分を罠に放り込もうとするはずだ。

 だったら問題ない。ここで待っていれば、向こうの方からやってきてくれるはずだ。


 慣れない頭を使った疲れで、深い溜息を吐いてしまう。

 例えこの考えが全て間違っていたとして、トルファのことだ。必ずエカテーに会いにこの店にくる。そこを捕まえて吐かせればいい。

 気合を入れ直して、ナイトは家へと(きびす)を返す。

 どう転ぶにせよ、もうこの街にはいられない。戦う準備と一緒に、出て行く用意も済ませてしまおう。

 マギサを助けて、出来ればバールも助けてそのまま街を出る。


 あの時と同じだ。

 他の事なんか何も考えられない。

 ただ、自分の中の何かに突き動かされていく。


 バールもきっと、こんな気持ちで酒場を続けていたのかもしれないと思う。

 思う程に、胸の中に高まる気持ちがあるのをナイトは感じていた。



 その時のナイトの目は、今まで誰も見たことがないものだった。



  ※            ※             ※



 マギサが連れて行かれたのは、門と門を繋ぐ大通りに面する大きな屋敷だった。

 街のどこからでも見える領主の館と比べても遜色ない作りで、屋敷の主が只者ではないことを押し付けがましく教えてくる。

 トルファは裏手に回って、屋敷に比べれば小さい裏門の鍵を開けて中に入った。

 マギサがついてきているのを確認して、勝手口と思しき扉を開ける。


 屋敷の中は、マギサが思ったよりも暗かった。

 深夜だからか、明かりが殆ど落とされている。ぽつぽつと並ぶ蜀台(しょくだい)が、歩く分にはなんとかなる光量を供給してくれていた。

 勝手口から入ってすぐの狭い通路を歩けば、行き当たって正面に螺旋(らせん)階段が現れる。左右にも通路は伸びているが、トルファは目もくれず階段を上り始めた。


 マギサは大人しくついていく。一度踊り場に出るが、そのまま通過して螺旋階段を上り切る。

 入って来た時と同じような狭い通路の先に、扉があった。


「失礼がないようにな。殺されてもしらねぇぞ?」


 脅しなのか何なのか、ふざけ半分に言ってトルファは扉をノックする。

 ここがどこなのか、扉の先の部屋にいる人物が誰か、それでマギサにも察しはついた。

 ここはホーント一家のアジトで、今から会うのはホーント一家の首魁(しゅかい)だ。

 聞いた話の通りなら、確かにバールを助けられるだろう。

 相手が約束を守るような人物なら、だが。

 扉の向こうから聞こえたのは、マギサの想像よりも若い声だった。


『おぅ、入れ』

「失礼します」


 扉を開けて、トルファが一礼して中に入る。

 続いて入ったマギサが見たのは、蛇のような目をした男と、以前自分の尻を触ってきた乱暴そうな男、世の金銭感覚というものがないマギサにも明らかに安くはないと思わせるに足る調度品の数々だった。

 敷かれた絨毯は雲の上でも歩いているように柔らかく、黒く大きな机は何年経っても劣化などしなさそうだ。

 他にもあげればきりがない部屋で、ホーント一家の首魁と思しき男は冷たい瞳にマギサを映す。


「こいつが、例のマギサか?」

「はい、そうです」


 トルファを見もせずに鼻を鳴らして肯き、じろりとマギサをねめつける。

 蛇が獲物を検分するようで、マギサは居心地が悪かった。

 悪意と敵意が当然で、人の命をなんとも思っていない視線。里が襲われた時に騎士団に向けられたものとも違う、あの時若い騎士隊長達に向けられたものとも違う。

 森で野盗に向けられたものを、もっと気持ち悪くしたような。

 耐え切れなくなって、目を逸らした。


「ご苦労。次の仕事に移れ」

「……うす」


 軽く手を振ってトルファを下がらせ、男は頬杖をつく。

 次の仕事、という言葉に何故か嫌な予感がした。

 そもそも、何の目的で自分を連れてきたのかをマギサは良く考えていない。

 『魔法使い』であることが知られているようでもないし、だとしたらバールを捕まえた今、何の用があると言うのだろうか。

 考え込むマギサを、男の言葉が揺さぶった。



「お前、あのナイトって奴とどういう関係だ?」



 一体何を聞かれているのだろうか。

 男の蛇のような目からは、何も思惑を読み取れない。

 どういう関係なのだろうか。言われてみて、初めてマギサは戸惑った。

 単なる旅の同行者、ではないと思う。友人、恋人、家族、どれも違う。

 上手く関係を言い表す言葉がない、どころか、自分自身上手く今の関係を把握しきれていない。


 どうして、彼はそこまで自分を助けてくれるのだろうか。

 どうして、彼は自分を見捨てないのだろうか。

 どうして、彼は自分に笑いかけてくれるのだろうか。


 何一つ理由が分からなくて、押し黙るしかなくなった。

 それを別の意味に捉えたのか、それとも何か別の理由があったのか、男は頭を振って話を打ち切る。


「あー、いいや。別にどうでも。ロブ、連れてけ」

「おっす」


 ロブと呼ばれた乱暴そうな男が、壁にくっついている本棚を横に引っ張る。

 見た目は重そうなのに案外簡単に動き、その後ろに階段が現れた。壁の一部がくりぬかれるようにして、ぽっかりと穴が開いて下に続く階段が見える。

 ロブはニヤけた顔でマギサを見やり、ついてくるように手で示す。

 逃げることは、多分出来た。けれど、この屋敷の中はホーント一家の手下だらけだろう。『魔法』を使わずに逃げ切ることは不可能だ。

 人に『魔法』を使う自信は、まだなかった。


 大人しくついていく。万が一にでも約束を守ってくれれば、それでいい。

 三回ほど踊り場を過ぎ去ると、細長い通路に出る。等間隔に配置された蜀台の蝋燭は、勝手口の通路より数が多かった。

 どこか嬉しそうに先導するロブの背中を見ながら、マギサは男の言葉を考える。

 トルファに命じた次の仕事とは何か。ナイトとの関係を聞いた真意は何か。

 上手く回らない頭に歯噛みしている内に、頑丈そうな扉の前に着いた。


「ほら、ここが目的地だ」


 扉の鍵を開けて、中に入る。



 壁や床に血の染み付いた牢屋が、左右に八つ並んでいた。



 牢の中は汚れきっていて、掃除などしてない事が窺える。破れた布が落ちているのは、前の住人が着ていたものだろうか。

 今にも怨嗟の声が聞こえてきそうな光景に、マギサは一瞬立ち尽くす。

 ロブは楽しそうに笑い、マギサの手首を掴んで引っ張り、左奥から二番目のまだ綺麗な方の牢屋に投げ入れた。

 格子戸が閉まり、錠が掛けられる音が無情に響く。

 鉄格子の向こうから、ロブが(いや)らしくマギサを見下ろしていた。


「せめて一番綺麗なとこにしといたぜぇ。俺からの感謝の気持ちだ、受け取ってくれ」


 言われた意味が理解できなくて、マギサはロブを見やる。

 感謝される(いわ)れはどこにもない。こんな奴の為に何かをした覚えもない。

 マギサの視線に、ロブは喉だけで(わら)った。


「お前のお陰で、あのナイトをぶっ殺してやれるんだ。安心しろ、大人しくしてりゃお前は殺さねぇよ」


 上機嫌に鼻歌を歌い、ロブはマギサを入れた牢から離れる。

 そこでようやく、マギサは自分が餌として連れてこられたことを理解した。

 やられた。考えるべきだった。このままだと、ナイトがホーント一家の待ち構えるこの屋敷に誘い込まれてしまう。

 『魔法』を使うべきか、と考えて、杖を持っていないことが急に不安になった。

 あの杖は、昔から使っている補助道具だ。少ない魔力を補うことにも、『魔法』の制御にも使っている。目的のものだけを燃やす炎なんて、あの杖なしで出来るとは思わない。


 どうする。

 どうすればいい。

 どうするべきか。


 ふと手を見下ろせば、震えていることに気がついた。


 ダメだ。こんな状態で『魔法』を使えば、何が起こるかわからない。

 ここで『魔法』を使ったら、二度と元の自分には戻れない気がする。お婆ちゃんに教えてもらった使い方は、そんなものじゃなかった。

 地面を引っかくように握り込んで、気を鎮めようとする。お願いだから、ナイトは来ないで欲しい。自分なんか見捨てて欲しい。

 指先にまとわりつく砂の感触が、言い知れぬ不快感をもたらした。


 そうして気にしたからだろうか。指先が触れる地面に、妙な凹凸があった。

 ふと見下ろしてみれば、それは誰かが書いたと思しき文字だった。消えないよう深く刻みこまれたそれは、表面の砂が剥がれて読めるようになっている。

 なんとはなしに目を向けたマギサは、それがちゃんとした文章になっていることに気づき、

 書き出しの文字を読んで固まった。

 そこには、こう書かれていたのだ。




 『愛する夫、バールへ』と。

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