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優しい騎士と小さな魔法使い  作者: 満月すずめ
第一部・逃げる二人
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第九話 「アバリシア・2」

 ナイト達が仕事を請けると決まってからのバール親子の動きは早かった。

 住み込みの方が楽でいいと酒場とくっついているバールの家に連れて行かれ、空き部屋を宛がわれる。

 背中の破けた服や真っ黒なローブでは店に出せないと着替えさせられ、ナイトもマギサも着慣れないシャツやスカートに身を包む羽目になった。

 今まで着ていた服とは作りも生地も違う。その丈夫さや着心地に戸惑う暇もなく、酒場に取って返して仕事内容を説明された。


 簡単に言えば、皿洗いと給仕。ナイトには更に、何かあった際の実力行使が含まれる。

 慣れてくれば調理補助や酒の扱いなんかも、と言われたが、果たしてそれまでいるかは分からない。ナイトはとりあえず苦笑して誤魔化した。

 店の中の配置を覚えるだけで一苦労だ。食器の直し場所や水汲み場、換えの蝋燭(ろうそく)に換えの木箱。仕込みに入ったバールの代わりに、エカテーが手際よく説明してくれた。

 仕事といえば農作業だったナイトには、もう何が何だか分からない。エカテーの後ろをついていくだけで精一杯で、覚えた端から忘れそうだ。


「分からない事があったらちゃんと聞いてね。何とかするから」

「え、あ、はい、分かりました」


 正直に言えば、何が分からないかも分からない。とりあえず頷いて、作業しながら色々聞くしかないだろう。体を動かしながらなら、何とかなるかもしれない。

 隣を見れば、見慣れぬ衣装のマギサが黙ったまま店内を見回していた。

 ナイトの胸中に不安が広がる。マギサに接客は、まず間違いなく無理だ。

 地下酒場に行儀の良い客が来るとは思わない。自分の心配はすっぱり頭から抜けて、面倒事になる前に何とかしなければ、とナイトは決意を固めた。

 振り向いたマギサと目が合う。

 緊張を(ほぐ)そうと笑いかけると、小さく頷いてくれた。

 良く分からないが、多分気持ちは伝わったはずだ。ナイトは教えて貰った事を頭の中で復習して、初仕事の準備に取り掛かった。


 裏でやることはバールとエカテーに任せ、ナイトとマギサは雑巾を手に店内を掃除する。廃墟(はいきょ)の地下だからか、放って置くとすぐに埃が溜まるとエカテーがぼやいていた。

 テーブルとカウンターを拭いて、一応念の為木箱の椅子も綺麗にしていると、扉をノックする音が聞こえた。

 開店時間までは間がある。気の早い客かと思っていると、扉の向こうから声がした。


「エカテー、いるー? 俺です、トルファでーす」


 気の知れた間柄のような口ぶりに、ナイトとマギサは顔を見合わせる。

 ナイトがなんとなく声を出さずに厨房の方を指すと、マギサも小さく首を縦に振った。

 二人してカウンターの奥へ行き、ナイトは忙しそうに働くエカテーに視線を向ける。

 声をかけるのに気が引けてマギサを見れば、じっと見つめ返されてしまった。

 深く息を吐き、腹を(くく)る。


「あの、エカテーさん。表に誰か来てますけど」

「誰? まだ開店してないよ」

「あ、はい、トルファ、って言ってました」


 エカテーは手を止めてナイトを見やり、バールに向かって声をかけた。


「お父さーん! トルファきたよー!」

「よっしゃ! 早く持ってきてくれ!」


 手にしていたものをその辺に置いて、エカテーが店内に出る。

 慌てて後をついてくるナイトとマギサに笑いかけ、二人に説明した。


「トルファっていうのは、うちに食料を卸してくれてる人。他とも取引してるけど、一番のお得意様だね。軽い男だけど、悪い奴じゃないよ」


 確かに、余り真面目そうな声ではなかった。

 成る程と肯くナイトを尻目に、エカテーが鍵を外して扉を開ける。

 扉の向こうにいたのは、言われた通り軽薄そうな男だった。

 両手に中身の詰まった袋を持ち、エカテーの顔を見るなり満面の笑みを浮かべる。


「よう、エカテー! 今日も綺麗だぜ」

「はいはい、父さんが待ってるから早く行って」


 つれねぇなぁ、と笑って、トルファという男はナイトとマギサに目を留めた。

 二人をまるで値踏みするように頭からつま先までじろりと見回して、


「誰?」

「うちの新しい従業員で、ナイトとマギサ」


 エカテーの紹介に鼻を鳴らして、薄笑いを浮かべる。


「俺はトルファ、よろしくな」

「よろしくお願いします」


 挨拶もそこそこに、トルファは会釈(えしゃく)をするナイトの横を通り過ぎていった。

 歓迎されていない様子に顔を歪めるナイトの肩を、取り成すようにエカテーが叩く。


「ごめんね。ナイトがいい男なもんだから、嫉妬してんのさ」

「はぁ、いえ、そんなことないですよ……」


 エカテーの社交辞令にどう反応していいか分からず、ナイトは軽く首を振る。

 初対面にも関わらず、トルファという彼には嫌われたようだ。気落ちするナイトを励ますように、エカテーが声を張り上げた。


「さ、開店まで時間ないよ! しっかり頼んだからね!」

「あ、はい!」


 釣られて声を出すナイトに笑いかけ、エカテーは厨房へと戻っていく。

 エカテーの言う通りだ。初仕事な上、明らかに接客に向かないマギサのフォローもしなければならない。

 この程度で落ち込んでいる暇はないのだ。

 ナイトは気合を入れ直し、マギサと一緒に掃除を再開した。



  ※             ※             ※



 開店してからは、まさに怒涛のような忙しさだった。

 ホーント一家は、この街の人に本当に好かれていないらしい。あっという間に席が埋まり、人のざわめきで店内が満たされた。

 どちらかといえば、バール親子が好かれているのかもしれない。エカテーは当然のように大人気だし、カウンターの奥にいるバールに向けて大声で喋る人もいた。


 ナイトはといえば、作業しながらエカテーに色々聞こうなんて思っていたことも頭から飛んで、余裕なく厨房と店内を行ったり来たりしていた。

 注文を取ってバールかエカテーに伝え、出来上がった料理や酒を配膳(はいぜん)する。言葉にすればたったそれだけのことなのに、どうしてか上手くできない。

 注文は間違えるわ、料理を出す席を間違えるわ、挙句の果てに客とぶつかって酒を零す始末。マギサをフォローするどころか、自分がエカテーにフォローされている。

 それでも気になってマギサを目線で探せば、特に何の問題もなく仕事をこなしていた。

 いつも通り殆ど喋らず、ただひたすら注文をとって配膳する、を繰り返す。

 ナイトよりは記憶力もいいからか、注文や席を間違えるといったこともないようだ。

 浮いていないかと言われれば、そりゃあ浮いてはいるが、少なくともナイトよりは上手くやれていた。


 何か急に恥ずかしくなって、マギサから目を逸らして仕事に集中しようとする。せめて注文くらい間違えないようになりたい。

 胸の奥に湧いた得体の知れない気持ちに目を瞑って、ナイトは(せわ)しなく手と足を動かす。

 まるでその隙を突くように、今まで聞いた事のないマギサの声がした。


「きゃっ」


 喧騒の中に紛れてしまうその小さな悲鳴を、ナイトは聞き逃さなかった。

 反射的に目を向ければ、スカートに覆われた尻を庇う様に片手を後ろに回すマギサと、下卑た笑いを浮かべる荒っぽそうな男達。

 彼らがホーント一家だと、ナイトは直感的に理解した。


「ガキが(わめ)くなよ、減るもんじゃなし」

「エカテーが良かったんだが、我慢してやるよ。ほら、酒を()げ」


 薄ら笑いを浮かべて、マギサに向かってコップを突き出す。

 優越感に満ちた表情は、まるで自分達に従うのが当然と思っているようだ。いや、実際にそうなのだろう。ホーント一家は、実質的なこの街の支配者なのだから。

 周囲の人達は顔を顰めながらも、何も言わない。

 その態度で確信し、店内の雰囲気を察して表に出てきたエカテーに目配せする。

 小さく頷いたのを確認して、ナイトはマギサと男達の間に割って入った。

 マギサの尻を触ったらしい、一団のリーダーらしき男が不愉快そうにナイトを睨み付ける。


「あ? なんだお前?」

「お酒は自分で注いでください」


 ナイトの返事に、男達がいきり立つ。

 リーダーらしき男が立ち上がって、怒りを(あらわ)にした顔をナイトに近づける。


「はぁ? お前何調子こいてんだ?」

「仕事の邪魔です。出て行って下さい」

「おいおいおい、誰に物言ってんだ、おい!」


 言うが早いか、リーダーらしき男が殴りかかってきた。

 掌で受け止めて、そのまま相手の手首を掴む。軽く引いて上体を揺らした所で、足元を払う。相手がバランスを崩したのを利用して、掴んだ手首を捻って背中に回した。

 そのまま上体を机に押し倒し、掴んだ手首を捻り上げる。


「痛ぇ!」

「もう一度言います。仕事の邪魔なので、出て行って下さい」


 じろりとねめつけると、男達は戸惑うように身を引いた。

 返事を要求するように手首を握る手に力をこめると、リーダーらしき男が叫ぶ。


「分かった! 出て行く! だから離せ!!」


 他の男達を見回せば、全員同じように首を縦に振った。

 男の手首を離し、ゆっくり距離をとる。

 リーダーらしき男は痛そうに手首を擦り、ナイトに怨嗟(えんさ)の篭った目を向けた。


「てめぇ、名前は?」

「……ナイト、と言います」

「ナイトだな。てめぇ、覚えたからな」


 睨んだ目を勢い良く切って、男は仲間を連れて出て行く。

 男達の姿が見えなくなってから、店中に喝采(かっさい)が響き渡った。


「あんた、強ぇなぁ!」

「すげぇ! ホーント一家が形無しだ!」

「なんだなんだ、バールの奴えらい拾いもんしたぞ!」


 あちこちから人が立ち上がって、酒を手にしたままナイトをもみくちゃにする。

 仕舞いにはナイトに酒を飲ませようとする人まで現れて、てんやわんやの大騒ぎだ。

 エカテーの一喝でなんとか場は収まったが、注文や配膳の度にナイトは絡まれた。

 慣れない扱いに困惑しながらも、そう悪い気分はしない。

 仕事初日は、半分以上照れ笑いで過ぎ去った。



 こうして見事、ナイトとマギサは酒場『クナイペ』に受け入れられたのだった。



  ※            ※            ※



――領主と比べても遜色(そんしょく)のない金のかかった部屋で、蛇のような眼をした男が部下の報告を受けていた。


「バールのとこに用心棒、ねぇ」

「えぇ。ロブさんが追い返されたそうで」


 ホーント一家の首魁(しゅかい)である男が眉を上げて、やや不快そうに部下に聞き返す。


「なんだそりゃ? 聞いてねぇぞ」

「あの人がそんなこと言ったりしませんよ。俺も店の客から聞きました」


 へぇ、と男は椅子の背もたれに寄りかかる。

 ロブ、というのは彼の手駒の中でもそれなりに手練れだ。単純な戦闘なら一番強いかもしれない。それが追い返されたということは、相手もかなりの使い手だと言える。

 ふと、男は先日聞いた噂話を思い出した。

 近くの村で起きた魔物退治。やったのは騎士団ではなく、背の高い男と小柄な少女の二人組だったという。

 念の為、男は部下に確認する。


「その、ナイトとマギサだっけ? 背はどんくらい?」

「ナイトって男は俺より少し高いですね。マギサって女のガキはずっと低いです。下手したらマジでガキですよ」


 手で大体の位置を示す部下を見ながら、男の中でゆっくり予感が確信に変わっていく。

 魔物を倒せる程となれば、ロブが追い返されたのも頷ける。どうせいつものように舐め切っていて、不意を突かれたのだろう。

 そうなると、マギサという少女の方が気になってくる。魔物退治に何か役に立ったのだろうか。話を聞く限りでは、とても戦えるようには思えない。

 荒事には向かないが話を集めるのは得意な部下を見上げ、男は尋ねた。


「そのマギサっての、なんか他に話ないか?」

「他、ですか……そういえば、多分街に入って来た時だと思うんですけど、真っ黒なローブに杖を持ってたらしいです」


 部下の話に、男は小さく舌打ちする。

 表門の奴からは何も聞いていない。バールがどっかの裏口を使って入れたのだろう。後で探して潰しておかなければ。

 それはそうと、黒いローブに杖ときた。まるでお伽噺に出てくる『魔法使い』だ。

 そこまで考えて、男は思い当たる節があるのに気づく。

 暫く前にあった、騎士団の半数以上が動いた事件。世間的には魔物の討伐に向かったことになっているが、結局どこで何をしたのかは分かっていない。

 その少し前から魔物の数が増え、『魔法使い』の仕業だとまことしやかに(ささや)かれ、挙句その事件の後から騎士団は何かを探すように巡回を強化している。

 騎士団の動向はホーント一家のような犯罪組織にとって、何より把握すべき事柄だ。うっかり尻尾を捕まれた日には壊滅させられかねない。

 何があったかは知らないがいい迷惑だと思っていたが、もしかしたら本当に『魔法使い』が出たのだろうか。巡回の強化は、取り逃した『魔法使い』を探しているのではないか。


 そして、その『魔法使い』とは、マギサという少女ではないのか。


 男は鼻で笑って、その思考を投げ捨てた。

 確かにそれなら魔物退治だって楽勝だろう。騎士団の動きも納得できる。余りに突拍子もない、という点に目を瞑れば、だが。

 どうせ妹か何かで、ナイトとかいうのはそりゃ腕も立つんだろうが、運良く魔物を倒せたに違いない。

 騎士団だって魔物を安全確実に倒す為に数人がかりで戦うのだ。その辺の剣を使えるだけの奴が五体満足で倒せるはずもない。

 思考を打ち切って、所在無げに立ち尽くす部下を見やる。


「何にせよ、用心棒まで雇われて黙ってるわけにはいかねぇな。一度がっつり痛い目を見てもらおう」

「どうするんです?」


 眉根を寄せて尋ねる部下に、男は歪んだ笑みを浮かべて応えた。


「決まってんだろ。違法な商売は取り締まらないとな?」

「……分かりました」


 思うところがありそうな部下に、男は薄く笑いかける。


「お前には色々と働いてもらう。褒美の先払いといっちゃ何だが、女一人囲うくらい許してやるぜ。そいつがどんな女でも、だ」

「! うす! 頑張ります!」


 男の言葉の意図を理解し、部下が目を輝かせて直立不動の姿勢を取る。

 分かり易過ぎる反応に嘲笑にも似た笑い声を漏らして、男は部下を見上げた。


「期待しているぜぇ、トルファ」


 ホーント一家の構成員にしてバールの取引相手でもあるトルファは、親玉である男に向かって嬉しそうに頷く。

 この街に住んでいる以上、ホーント一家の手から逃れることは、何人にも不可能なことだった――



  ※             ※             ※



 閉店後の店内で、ナイトはすっかり慣れた手つきでテーブルを拭いていた。


 ナイトとマギサが雇われてから数日が経った。


 おっかなびっくりだったナイトもようやく(サマ)になってきて、客と話せるようにもなってきた。

 エカテーにフォローされる回数も日増しに減り、固かった表情も解けて笑う事が増えた。

 ホーント一家の嫌がらせは続いたが、少なくとも店内で何かをすることはなくなった。

 皆が口々にナイトのお蔭だと言うが、当の本人としてはそこまで言われると少し恥ずかしい。それでも、自分が何かの役に立てているのは嬉しかった。


 マギサは初日から殆ど変わらないが、仕込みの手伝いをするようになった。酒の種類も少し覚えたらしい。

 エカテーは妹ができたようだと喜んでいたし、客からもそういう扱いをされている。ナイトとしてはやや反応に困るところがないわけでもないが、悪い事じゃないと思う。

 マギサはもっと、人の暖かさに触れていいはずだ。

 人と触れ合う事は辛い事ばかりじゃないと知って欲しい。

 いつか必ず、別れる時が来るのだとしても。

 自分に言い聞かせるように胸中で呟き、最後のテーブルを拭き終える。

 そろそろ切り上げようかとしていると、バールがカウンターの奥から顔を覗かせた。


「お、ナイトだけか。マギサは?」

「先に帰しました。疲れてるみたいだったんで」

「そいつぁ都合がいいやな」


 悪戯(いたずら)そうに笑って、バールが少し待ってろと言い残して奥へ引っ込む。

 バールの言葉の意味が分からず立ち尽くしていると、酒のたっぷり入った瓶とコップを二つ持ってバールが出てきた。


「俺の奢りだ。ちょいと呑もうぜ」

「え、あー……はい」


 笑顔のバールを前に断り切れず、ナイトは苦笑して頷いた。

 実はナイトは殆ど呑まない。村の集会や付き合いで呑む事はあっても、一人で呑む事は全くと言っていいほどない。

 お蔭で、自分が強いか弱いかもさっぱり分からないのだ。明らかに強そうなバールにどれだけ付き合えるか、不安ではある。

 バールは嬉しそうにコップに酒を注ぎ、ナイトに渡してくる。

 二人してコップを掲げ、互いの労をねぎらって口をつけた。


「っかー、やっぱ俺の選んだ酒は旨ぇな!」

「あはは、そうですね」


 バールはふざけて言うが、実際本当に美味しいとナイトは思う。

 村で呑んだ酒よりも口当たりがまろやかで、余り呑まないナイトにもするすると入っていく。

 おそらくは、ナイトに気を使って選んだのだろう。数日の付き合いながら、ナイトにもバールの人となりはある程度察せるようになった。

 こういうところが、バールの店が繁盛(はんじょう)する理由なのかもしれない。

 一杯目を飲み干して、二杯目を注いだ所でバールが口を開いた。


「言いたくないならいいんだけどよ」

「はい」

「お前とマギサって、どんな関係なんだ?」


 返事に迷って、ナイトは押し黙った。

 長居すれば、いつか聞かれると思っていたことだ。

 むしろ今まで聞かれなかった事が驚くべきことで、バールもエカテーも気を使ってくれていたんだなと思う。

 それでも、軽々(けいけい)に話せる内容じゃない。

 それどころか、話してしまうとバール達まで騎士団に目をつけられかねない。

 ただでさえ地下酒場なんかやっているのに、そんな危険を背負わせたくはなかった。

 黙るナイトに別の意味を感じたのか、バールが乱雑に頭を掻く。


「いやいいんだ、別に無理に言えってわけじゃねぇ。まぁなんだ、ただの好奇心だ。気にすんな」

「……すみません」


 頭を下げるナイトに、バールは居心地悪そうに唸ると二杯目を一気に飲み干した。


「謝んじゃねぇよ! ったく、お前はそう腕は立つのにぐちぐちぐちぐち! 男ならもっとシャキっとしろぉ!」

「あ、はい、えと、すみません」


 反射的に頭を下げるナイトに、バールは盛大に鼻から息を吐き出す。

 三杯目をゆっくり注いで、まだ一杯目さえ空にしていないナイトのコップに無理矢理注ぎ足した。

 一度口をつけて、バールは力の抜けた声で言う。


「マギサが妹か何かだったらな、エカテーをくれてやってもいいかと思ったんだよ」

「えぇっ!?」

「バーカ、嘘に決まってんだろ!」


 驚くナイトに意地悪く笑って、バールはコップを傾けた。

 一体何がバールの本心か分からなくなって、ナイトは目を白黒させる。

 やはりまだ、ナイトがバールの気持ちを察するのは荷が重かったようだ。

 ナイトにも呑むように促して、バールもちびちびと口をつける。


「それにな、トルファがあいつを狙ってるから。流石に俺が後押しすんのはフェアじゃねぇだろ」

「トルファさん、ですか……」


 頷くバールに、ナイトは少し眉を顰めた。

 確かにそこまでの悪人には見えないが、彼からは妙な臭いがする。

 あの森で会った野盗達みたいな、すえた臭い。

 確証もない状態で言うのも(はばか)られて、ずっとそのままにしている。

 ナイトの様子に気づいたように、バールが小さく苦笑した。


「まぁ、そんなに良い奴じゃねぇけどな。未だにうちと取引してくれる数少ないとこの一つだし、仕入れ値に関しても助かってんだ。そう悪く思わねぇでくれ」

「はぁ、いえ、そうですね……」


 歯切れの悪い返事に苦みを深くして、バールは酒を呑む。

 ナイトも嫌な感覚を振り払うように、コップを呷った。


「あぁそうだ、それで明日はエカテーがいねぇから」

「休みですか?」

「おぅ、頼み込まれてトルファとデートだと。本人は微妙な顔してたが」


 思い出したように言って苦笑するバールに、ナイトはそうですか、とだけ返す。

 ふと気になって、ナイトはバールに聞いてみた。


「そういえば、今までずっとエカテーさんと二人で?」

「ん? あぁ、そうだな。アイツが死んでからはそうなるな」


 思いがけない返しに、ナイトの喉が詰まる。

 酒が回っているせいだろうか。バールは横目でナイトを見て、何気なく言ってのけた。


「そういや、まだ話してなかったか。いや、死んだっつーか殺されたんだけどな。この店は元々、俺とアイツで切り盛りしてたんだよ」


 ここまで言われて気づかないほど、ナイトも鈍くはない。

 アイツというのは、エカテーの母親で、バールの奥さんだ。

 夫婦で店をやっていたこと自体は、特に驚く話じゃない。よくあることだ。

 肝心なことを、ナイトは自分からは聞けなかった。


「いい女だったよ。エカテーは見た目は母親似でな。どんだけ美人だったか分かるだろ?」


 自慢げに話すバールに、ナイトは頷くことさえできない。

 何も出来ずにいるナイトに諦めたように優しく笑って、バールは遠い目をした。



「俺とホーント一家に、殺されたんだ」



 驚いて固まるナイトに、バールは疲れたように笑ってみせる。

 バールの妻は、名を『クナイペ』と言った。

 この酒場と、同じ名前をしていた。



  ※              ※              ※



 翌日、エカテーを欠いた店は、まさに目の回る忙しさというやつだった。

 マギサは調理補助にも回らなければならない為、表は半分以上ナイトが一人で回しているような状態となっていた。

 如何に慣れてきたとはいえ、流石にキツい。給仕の仕事で精一杯で、他の事に気を回す余裕なんて欠片もなかった。

 酒場の中の喧騒は相変わらずで、注意しなければ注文さえ聞き逃してしまいそうだ。

 階段を駆け下りてくる足音も、金属が擦れ合う音も、店内にいる誰の耳にも届かなかった。

 多分、届いていたとしても、結果はそう変わらなかったように思う。

 勢い良く扉が開け放たれた音には、流石に全員が注目した。


「全員、大人しくしろ!」


 鉄の鎧に身を包んだ兵士の一喝に、喧騒が鳴り止む。

 そこにいたのは、おおよそ十人程による兵士の一団だった。

 隊長らしき年嵩(としかさ)の男が進み出て、店中に響くような声で宣告する。


「酒類の取引は違法である! ここにいる全員を拘束する! 抵抗すれば命の保障はしない!」


 余りにも一方的な言い方に、客の一部が殺気立つ。

 呼応するように兵士達も剣を構え、一触即発の空気が店内に満ちた。

 思わず腰に手を当て、ナイトは剣を持ってきていないことを思い出す。

 不味い。流石に仕事中に持ち歩くのは体裁(ていさい)が悪いので、裏に置きっぱなしだった。今から取ってくる隙は、多分ない。

 それに、相手はホーント一家ではなくて兵士だ。流石に事を構えるのはどうか。

 ホーント一家と組んでいたとして、兵士は兵士だ。訳が違う。

 どうするべきか判断がつかなくて、ナイトは固まる。兎にも角にも、最悪死者だけは出さないようにしなければならない。

 客と兵士、ナイトが睨み合う。誰かが動けば、雪崩(なだれ)のように事態は流れていくだろう。

 息が詰まる程の緊張が満ちる店内に、場違いな大声が響いた。


「おぅ、見つかっちまったみてぇだな!」


 その場にいる全員の視線を集め、バールが厨房から出てくる。

 周囲の視線をものともせずに、バールはにやけた笑みを浮かべていた。


「兵士さんよ、あんたらは勘違いしてる。酒の取引なんざしてねぇぜ」

「バカを言うな。じゃあ、テーブルにあるのは何だ?」


 呆れたような年嵩の隊長に、バールは堂々と胸を張った。

 自分に恥じ入るところなど、何もないというように。


「そいつは酒さ。俺が勝手に振舞(ふるま)ってんだ。こいつらは騙されて酒と知らずに呑んでいたのさ」

「……なんだと?」

「そういや、臭いを嗅ぐのはいいのかい? 酔っ払っちまったら、呑んでるのと変わりねぇな? ここにゃ、酒の臭いが染み付いてるからよぉ」


 ふてぶてしく言ってのけるバールを、隊長が睨み付ける。

 (やなぎ)に風と受け流されるのを見て、隊長は忌々しそうに舌打ちした。


「こいつを連れて行け! お前達もすぐに出て行けよ。後で見つけたら事情を聞かせてもらうからな!」


 隊長の号令に、兵士達がバールを取り囲む。

 反射的に動きそうになったナイトを、バールが止めた。

 首を横に振って、口の端を歪めて笑ってみせる。


「後、宜しくな」


 片付けでも頼むようにそう言うと、バールは大人しく兵士に連行されていった。

 隊長は最後に店内にいる全員を睨み付けて、音をたてて扉を閉める。

 店内にいる誰もが、少しも動けなかった。

 こういう日がくるかもしれないとは、誰しもが思っていた。

 こんなにも突然に来るだなんて、誰もが思っていなかった。

 静まり返った店内に、誰かが椅子を鳴らした音と、コップからこぼれた酒が(したた)る音が響く。

 引き攣るような泣き声が、どこかから聞こえた。




 その日、酒場『クナイペ』の主人バールは、禁酒法を破った罪で投獄された。

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