男の嫉妬は醜い
嫉妬リターンズ。
天地神明にかけて嘘偽りなく正直に明言すると、賢治は成績という意味でそこまで頭が良いわけではない。悪いわけでもない。
必要な勉強をすれば平均点は採れるが、長く身についているかといわれればそうでもない。
つまり、難しい話はよく分からない。
耐熱容器で作られたスモア。蕩けたマシュマロとチョコをビスケットで掬って食べる賢治と少し離れたところで、会長が携帯電話を相手につまらなさそうな顔をしている。
先程までにこにこと上機嫌に賢治へ「はい、あーん」とビスケット片手にベッタベタなことをしていた会長は何処にもいない。代わりに賢治が指を蕩けたマシュマロとチョコでべったべたにしている。
会長の電話相手は生徒会の役員らしい。
内容は会長の声だけが僅かに聞こえるだけだが、情報不足以前に「むずかしくてよくわかんにゃい」と己の理解を超えた高次元の領域で交わされる高等な会話であることを察し、幼児のように指と口周りをスモアでべったべたにしながら「おかしおいしい!」と甘ったるさによる胸焼けから目を逸らした。
「はあ?」
突如、心底機嫌が悪そうな、語尾を上げた会長の声が聞こえて賢治は危うく耐熱容器をひっくり返しそうになった。床にはラグが敷かれている。べったべたになったらクリーニング必須だ。賢治の部屋ならばまだしも、会長のお部屋のおしゃれなラグがお幾ら万円するのか、賢治は考えたくもない。
「なんで急な申請を俺に通さず受理したんだ。手がいっぱいだと思った? ああ、たったいま予定が瓦解しそうだ。は? どうにかするに決まっているだろう。それ以外になにがある。無駄なお喋りはお終いだ。切るぞ」
通話を終えて無表情から一転、会長は眉をへにゃりと下げて小走りで賢治に駆け寄ってきた。
「賢治ぃ、生徒会の役立たずどもがいじめるんだ!! あいつらが無能だからその分俺に皺寄せきてこんちくしょう!! 俺がスペシャル有能だから楽勝に請け負ってやっているのを勘違いしやがっていつまでも甘えてくるんだぶっ殺してやるうー!」
ふえぇん、と泣き真似しながら抱きついてきた会長に、耐熱容器とビスケットで両手が塞がった賢治はどうにもできない。どうにかすれば会長までべったべたになる。
「お、おう」
「俺は賢治にスモアをたんと食べさせて、口が甘くなってきた賢治とキッスして塩気のあるクラッカーなんかを用意したり飲み物を用意したりキッスしたりして過ごしたかっただけなのに!!」
「お、おう!」
「一握りの天才が世を平和へ導こうとするのを妨害するのは、いつだって先の見えていない愚か者ばかりよ」
先の見えていない愚か者の一人であることを自覚する賢治は、もはやハムスターのような面持ちで「スモアおいしい!」とビスケットをかりかり齧るしかできない。いい加減、口の中が甘ったるくて辛い。
「賢治? どうした? 甘いのか? キスしてやろうか? ごめんな、明日から忙しくなりそうでセックスは三回までしかできないんだ……」
賢治は日常的に三回以上のセックスに及んでいるような言い回しをする会長に、会長が交際している冠城賢治とは自分ではない別の人物なのでは? という思いと、しかし会長が自分に抱きつき自分の目を見て自分の頬にキッスを繰り返しながらの発言をしていることから紛れもなく目の前にいる自分自身に向けて言っているのだと理解して、やはり会長と自分が認識している現実との齟齬に「むつかしいこと、よくわかんないです!」という気持ちでマシュマロとチョコを掬い取ったビスケットを会長の口に押し込んだ。
会長はほんとうに忙しくなったようで、昼食を共に摂れない日が続いた。
朝、熱烈なキッスとともに弁当箱を渡されるので、賢治の胃袋は会長の手料理で満たされているのだが、共に食べるひとがいないのは寂しいものだ。
そう思いながら今日も色とりどりのおかずが輝くお弁当を美味しく空にして、ゆっくり語らう相手もいないので空いた時間をぶらりと校内巡りで過ごしていれば、耳に届いた乱闘の気配。
「源氏パ◯の勇名馳せるこの時代、平家◯イになにができる!!」
「盛者必衰。源氏パ◯めが、平家◯イの威光にひれ伏すが良いわ!!」
廊下で勃発する源平合戦、賢治は壇ノ浦に迷い込んだ錯覚におろおろしたが、目敏く中立の傭兵に気づいた平家のものが加勢を要請した。
お腹いっぱいの賢治はすぐに動きたくなかった。
その一瞬の躊躇が命取りになるとは、いつの時代、どんな戦場でも同じこと。
「者共、静まれ、静まれい!」
「あなや! 風紀!」
騒ぎを聞きつけ続々と廊下を囲みだした風紀委員、先頭率いるは風紀委員長の鈴谷。血染めの拳が源平問わずひっ捕らえ、落ち武者となって逃げ出すものを風紀委員が追っていく。
かろうじて合戦に参戦していなかった賢治だが、居合わせたことに変わりなく、常から傭兵として方々に関わっている彼もまた風紀に連行されることと相成った。無情也。
「委員長、仕事熱心なのは結構ですが、こちらを置き去りにして自ら赴かれることはないのでは?」
委員会室には眼鏡の神経質そうな生徒がいた。
賢治は彼を知っている。集会などでよくマイクで進行を務めているひとである。確か、生徒会で副会長をやっていた気がした。
暫定副会長は続々と反省文コース送りにされていく源平のために戦った兵どもを冷たく見遣ると、鈴谷がマレーグマを見るような顔で対応に困っていた賢治に気づいて眉根を寄せる。
「あなたは……まったく、会長も趣味が悪い。彼のどこがいいんだか」
「うるせえ、会長よりも不細工なくせに。イケメンにはイケメンの趣味があるんだよ」
賢治は脳みそを通さずに言い返した。
自分に対して良くない感情を持たれていることと、悪意ある言葉を向けられたのは理解した。ならば、反射的に出る言葉も則したものになる。
暫定副会長は盛大に顔を引き攣らせ、鈴谷は「持って生まれた美醜は本人にどうしようもないんだから、そういう悪口はいけない」と正しく賢治を諭して「ほら、ごめんなさいしろ」と促した。暫定副会長が鈴谷に向かって物凄い表情になる。物凄いとしかいえない。
「……っ彼のおかげで生徒会の作業効率がどれだけ落ちていると思っているんですか! こっちは仕事をしているんです!! その役に立つどころか邪魔にしかならない彼は、はっきり言って会長のお荷物ですよ!!」
それから、暫定副会長はいま生徒会がどういう仕事を扱っていて、誰がなんの役割で、会長がどれだけ忙しいかをまくし立てたのだが、ダウナー系クールな不良顔をしていた賢治は段々と三歳児のように無垢な顔になり「ぼく、よくわかんにゃい」と顔に大きく書き浮かばせる。鈴谷が「おい、やめてやれ! 持って生まれた理解力は個人ではどうしようもないんだぞ!」と暫定副会長を宥める。賢治は副会長が物凄い表情をした理由がなんとなく分かった。
会長ならば、暫定副会長の言っている内容があっさり理解できるのだろう。
そして、暫定副会長も、会長の言っている内容をあっさり理解できるのだろう。
もやっとする。
あなたのすべてをりかいしたいのー! と叫ぶつもりは一切ないが、自身の至らなさが会長の仕事に妨げとなるならば、それを支えられるひとがいて、それが自分でないというならば、もやっとするのだ。
俯き、遠距離と生活の忙しさからすれ違いが起きて喧嘩してしまったカップルの片割れのような顔になった賢治は、そっと携帯電話を取り出す。
「会長ー! 風紀委員会でいじめにあってるよお!」
この冠城賢治、腐っても不良である。外道な手段をとるのも辞さない。
ものの三十秒で委員会室に鬼が現れた。
「おい、俺が賢治と素敵なランチタイムを断念してもてめえら無能の怠慢をカバーしてやってるところになにやってんだ、え? おい。おい、答えろよ、あ? おいっつってんだろうが、よッ!!!」
「ひえっ」
ヤクザかよと言いたくなる表情で凄み、ソファを蹴り上げるのは賢治のマイラバーである会長だ。このヤクザが弁当に桜でんぶでハートを散らしてくれたのである。
「会長、俺、会長が一所懸命に他のひとの分まで仕事してるって言ってたの知ってるから……っ、それなのに、こいつ、このひと……副会長? が……っ」
「冠城、そいつは会計だ」
「マジかよ。えっと、会計が、生徒会のさぎょーこーりつ落ちてるって……っそれ、おかしくないかなあっ! だって、会長ばっかり……効率ばっかり考えて……会長ばっかり頑張って……そんなの……そんなの……っ」
賢治は口元を押さえて俯いた。
「おかしいよ……!」
「悪魔か、お前」
鈴谷が溝から生まれた畜生を見る目で賢治を見る。
会長が現れた時点で暫定副会長改め会計の末路は決まったようなものなのに、刑を重く後押しするような言動。鬼畜と罵られても当然である。実際に罵られれば賢治は「だって、もやっとしたんだもん」と己の嫉妬を振り翳しながら会長の背中に隠れるだろう。くそ野郎である。
会長はとても優しい顔で賢治の肩を抱き「賢治がそんなに心配してくれているなんて、すごく嬉しいぞ。ごめんな、淋しくさせていたか?」とできる彼氏の見本のように賢治を抱きしめた後、犯罪者を塵としか思っていない冷酷な看守のような目で会計を振り返る。
「俺が請け負ってたお前の仕事、お前に返すから」
「え」
「そうすれば俺は賢治との時間がとれる。生徒会は一人に頼る歪な在り方から脱し、正しい運営で次代へ引き継ぐことができる。ほら、なにも悪いことはないだろう……?」
「いや……会長に任せていた仕事の量……」
「大丈夫だ、賢治でもできる」
「会長、無理」
どんな内容か知らないが、無理なことだけは分かる賢治がすかさず言う。
「なにを言うんだ。賢治は俺のもの、俺のものは賢治のもの。俺の能力は賢治のものなんだから、賢治が困っていれば俺が助けるに決まっているだろう?」
さっき、一人に頼る歪ななんとかって言っていなかっただろうか、と会長以外の全員が思うも、口に出したところで会長は聞く耳を持たないだろう。
青褪める会計が思わずといったように「いったいどうしたというのです……あなたはそんなひとではなかった……」と呟く。
「やだ……目の前で俺の知らない会長の姿を知ってる発言されてもやっと感倍増……これが嫉妬……」
賢治にとっては会長が都合の良いことしか聞き入れない耳の持ち主であることも、自らの法に従って生きて他者、主に賢治にも当てはめていることも平素の姿だ。いったいどうしたもなにもない。
会計に対してヤクザのように接していたのも一転、賢治を嫉妬させたことで気を良くさせまくり「生徒会室前の廊下に『やらかしました』って書いたボード持ちながら二時間正座で許してやるよ!」と笑顔で肩をばんばん叩く会長だって、賢治にとっては困惑してしまうけれど会長の姿としては見知ったものだ。困惑はしているけれど。
なので、会計に救いを求める目を向けられても、賢治にはひまわりの種に夢中なハムスターのような顔でひと言返すので精一杯なのだ。
「ざまあ」
男の嫉妬は醜いのだ。