会長の一撃
会長にノックアウトされる賢治。
会長の名誉のためにも、賢治の名誉のためにも言っておく。
誓って、誓って会長はそのような意図などなかった。
それが起きてしまったのは、ただの不幸な偶然であり、誰が悪いかといえば誰も悪くはなく、何が悪いかといえば間が悪かったとしか言いようがないのだ。
「すまない……許してくれ……!」
はらはらと涙を流す会長に、賢治は「てやんでい、気にすんな」と返す余裕がなかった。
Fクラスに席を置きつつも派手な喧嘩では常に中立あるいは傭兵の立場をとり、サボタージュにふけるときは屋上へ向かう健康優良児の賢治にとっては縁の薄い場所。保健室。
ふかふかとは言い難いベッドの上で、賢治はぐったりと横たわっていた。
しくしくと泣き出す会長。
さながら空気は通夜会場。
上手く回らない頭で、賢治は何がどうしてこうなったのであったか、とおぼろげな記憶を辿り始めた。
その日の始まりは、どうということもないいつもどおりの日常であったはずだ。
賢治は校舎方面から寮にまで声を届ける鶏がコッカドゥルッドゥッドゥーと鳴くのを目覚ましに起床し、だるだると身支度を整うという言葉の意味が不明になるような乱雑さで整え、食堂へと向かう。
会長の部屋に泊まることはそりゃもう多いけれど、完全に彼の部屋で寝起きを決めたわけではないので食堂を使うことだってあるのだ。
会長は「恋人の飯を避けて食う食堂の飯は美味いか?」と訊いてくるけれど。
自炊ばかりで疲れたから外食したいという層は多いのに、会長は当てはまらないらしい。たまには外食したいという妻に「でもきみが作るほうが美味しいから」と的外れなくせに地雷だけはしっかり踏み抜いた台詞を抜かしてぶん殴られる夫がいることを、賢治は知っている。自身の両親だ。青あざを作って反省した父は自身も料理を始め、結果的に母より腕も効率もよくなってしまい、母は忌々しそうにいちゃもんをつけている。賢治は思う。ああはなるまい。
賢治が食堂へつくと、そこにはきらきらしゃらんら今日も麗しいご尊顔を晒す会長が仁王立ちで待っていた。
「おはよう、ダーリン」
「おはよう、ハニー。今日もきれいだね」
「あらやだ照れる」
語彙豊かな賛辞など聞き慣れているだろうに、会長は頬へ片手を当てて目元をぽっと染め上げた。
恋をしているひとはきれいだという。
憧れの会長がそんな様を晒すものだから、爽やかであってほしい朝の食堂なのにあちこちで「オウオウ」「いぇいいぇい」「あなや」と泣き声が堪えない。若干一名は悲哀というよりも鬼にひと口で喰われかけているところのような恐怖の声であったが、それは賢治の気の所為だろう。
「なにを食べるんだ?」
「ヨーグルトにマンゴーのドライフルーツ入れて食べるのお」
「美味いよな。でも賢治の朝食には足りないから却下」
「俺には自由に朝食も選べないのか」
「食べたいものがあれば俺に言ってね!」
会長が真顔でウィンクする。
食堂が通夜会場のような雰囲気になる。朝日を浴びて穏やかな光を湛えていたクリーム色のカーテンが、いまや鯨幕のような錯覚すらあった。
「ハニーはモテモテだな」
「賢治はモテなくていいぞ」
「酷くね?」
「賢治を見るやつの目玉はたこ焼き器で焼いてキリを使ってひっくり返してやる!!」
「朝っぱらから公衆の面前で猟奇発言やめようよ。Fクラスの俺でもドン引きだよ」
「賢ちゃんがいうなら……」
物分りの良さをちらっと見せて、会長はサーロインステーキ定食という頭のおかしい代物を注文する。高校の学食に提供するほうもするほうなら、朝からそんなものを食べる会長も会長だ。賢治は会長にヨーグルトのみの朝食を却下されたので、おにぎりセットにする。ほっこり握られたおにぎりの具は三種類。梅干しは固定で、後の二つは日替わり。それにやはり日替わり味噌汁と玄米茶がついている。デザートは甘く煮た花豆だ。
当然のように会長と並んでいると、注文したものを運んできてくれるウェイターという高校に勤務していていいのか不思議な気持ちになる存在が賢治と会長を数度見比べて、恐る恐るそれぞれの前へサーロインステーキ定食とおにぎりセットを置いた。明らかに注文したの逆じゃね? と思われている。
「一切れいるか?」
「んーん」
「食べないの? 賢治、あんた朝からちょっぴりじゃお昼まで保たないよ!」
婆臭い口調で心配する会長であるが、賢治とてそういう日くらいあるのだ。これが会長手作りというのであれば、恐らくはおにぎりセットを三つ平らげた後にもサーロインステーキ定食を完食できるのだけれど。
会長をなんとか宥めて終えた朝食。
さて、食堂を出るかと並んで歩き出したとき、食堂へ駆け込んでくる生徒が一人。食堂へやってくるには遅い時間、寝坊したのかなんなのか、理由は不明であるが彼は一つの引き金となった。
生徒は急ぐあまり注意力散漫になっていたのか、本人は避けたつもりでも横を通っていこうとした会長に腕が当たりかけ、会長は驚き反射的に大げさなまでに身を引いた。
ガンッ、と響く音。
仰け反り気味に身を引いた会長の後頭部に衝撃。
痛みに頭を押さえながら会長が振り返るのと同時、まるで土嚢でも落としたかのような音が足元でした。
「……賢治?」
ぱたりと倒れて動かない賢治。
「嘘……だろ……?」
震え、会長は賢治の側へ膝をつく。
そっと伸ばした指先が賢治の頬へ触れるけれど、賢治は反応しない。そのことにさっと顔を青ざめさせて、会長は声を張り上げた。
「衛生兵! 衛生兵!!」
冠城賢治、顎への頭突きにより失神。
ざわつく食堂、誰かが「完全なK.Oだ……」と呟く。
衆目の前でのできごとに、会長は傭兵殺しの名を得た。
「すまない……俺の頭がこんにゃくみたいにぐにゃぐにゃだったらよかったんだ……!」
「いや……生徒会長の頭がぐにゃぐにゃだったらみんなが困る。俺は主にテストのとき」
会長は涙を流す顔を隠しもせず、賢治をじっと見つめる。
賢治はそんな会長に苦笑して、億劫そうに手を伸ばして涙を手のひらで軽く拭ってやった。
「イケメンが台無しですよ、奥さん」
「賢治が倒れれば俺はいつだってイケメンじゃなくなる」
「マジかよ」
「マジだ。一撃でノックダウンだからな……心配だから暫くは俺のところに泊まってくれ」
「いや、そんな大げさ――」
「ありがとうケンケン! お泊りの準備は任せてネ!!」
会長は要望を出したわけではなかったらしい。
こうなればなにを言おうが自分は会長の部屋に泊まることになるのだろうと早々に諦めて、賢治は夕食に豚丼を所望した。