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ガッツポーズがやめられない  作者: 最後の掃除機
7/8

コーヒーと私

コーヒーは誰だ

学校の七不思議。


昔はどこの学校にも似たようなものがあったそうだが、今ではその文化も廃れていっているように思う。


しかし、我が美膕高校には未だ「美膕の七不思議」と呼ばれる言い伝えが残っている。


私もその全てを把握しているわけではないが、いくつかは人づてに聞いたことがある。


その一つに「綿毛の群れ」というものがある。なんでもある日突然、教室に無数の綿毛が現れるらしい。


生徒の仲が悪い教室にこの綿毛は現れるとか、綿毛が現れた教室はクラスメイト同士の結束が強くなるとか、いろいろなパターンの言い伝えがある。


七不思議の中でも私がよく知っているのは「水泳部の幽霊」だ。


誰もいないはずのプールに幽霊が現れ、生者を水中に引きずりこむらしい。


七不思議に限らず、きっとこれらの言い伝えは元々は些細な出来事だったものが月日の経過に伴って少しずつ事実が変化して伝わり、その結果として伝説じみたものに昇華するのだろう。


だいたいそういうものなのだと思う。うちの七不思議だってそうだ。


「水泳部の幽霊」なんて本当はいないのだから。


「どうしたの棚子、難しい顔しちゃって」


さおりが話しかけてくる。片手には彼女の好きな缶コーヒーが握られている。


「何か考えごとでもしてんの?」


「ううん、別に。本当に好きだね、コーヒー」


「まあね」


そう言うとさおりは缶コーヒーをぐいっと飲み干した。







「ちょっと、さおりちゃん、本当にやるの?」


私の問いかけをうけて、未開封のインスタントコーヒーの容器を開けようとしていた彼女の手が止まる。


「なに、棚子ちゃん、怖じ気づいちゃったの?」


「そうじゃないけど」


「ならいいじゃん」


さおりちゃんはフタを開けるとそのまま容器をひっくり返した。


コーヒーの粉が全てプールに落ち、水に溶ける。


これが普通のカップなら暴力的に苦いコーヒーの出来上がりだが、しかしここはプールだ。


それも学校の大きなプール。


膨大な量の水は容器一個分の粉を全て飲み込んで、それでも透明を保っていた。


「やっぱ一杯じゃあ全然足りないね」


さおりちゃんは空になった容器を足元に置くと、また新しいインスタントコーヒーに手を伸ばした。


彼女の横には大量のインスタントコーヒーが積み上げられており、段ボールだとだいたい6箱分ぐらいはありそうだ。


「集めるのも大変だったけどこれ全部入れるのもまた大変だ」


おしゃべりをしながらもさおりちゃんは黙々とコーヒーの粉をプールに入れ続ける。その横で私も同じ作業をする。


私達がいま、こんなことをやっているのは元々はさおりちゃんが言い出したことがきっかけだ。


「今度の創立記念日、学校のプールで遊ばない?」


夏休みに入る手前の創立記念日、学校は休みで、さおりちゃん曰く偶然その日は学校内での部活動を行う部がほとんど無いらしい。


つまり人がいない学校のプールを独占できるという魂胆だ。


入学したての一年生の行動力ではないと思ったが、押しに弱い私は強引に誘われるがまま、ここまで来てしまった。


現場に居合わせてみると、奇行に行動力は関係ないのだとわかった。


二人で作業を始めておよそ20分、ようやく全てのコーヒーをプールに入れることができた。


名称のよくわからない棒をマドラー代わりにしてかき混ぜ、コーヒープールの完成だ。


「いやっほう!」


準備体操もせずにさおりちゃんはコーヒーの中に飛び込んだ。


私はコーヒーの空き瓶と段ボールを人目のつかないよう隅に隠して、準備体操もきちんと終えてから、遅れてプールに入った。


入ってみるとすぐコーヒーの匂いが鼻をついた。塩素も入れているのでプール本来の独特な匂いと混ざり合って、嗅ぎ続けていると脳が麻痺しそうだ。


匂いだけでこれなのだから、味わおうなんて気持ちは毛ほども起こらない。


その一方でさおりちゃんは「これが自由の味か」と言いながらごくごく飲んでいた。山姥かよ。



いくら休日といえども先生の何人かは仕事をするため学校にいる。使われてないはずのプールから生徒と思しき声が聞こえれば、確認しにいくのは職責だ。


「誰かいるのー?」


女子更衣室の方から声が聞こえる。あの声は真鍋先生だ。


まずい、プールを無断で使ったことがバレたら。いやそれよりもこの黒い水を、どうやって説明したらいいのだろう。


考えたが一人では思いつかなかったので言い出しっぺのさおりちゃんの方を向くと、果たしてそこに彼女の姿はなかった。


そうだ、この場合どう説明したところで怒られることは回避できないだろう。


それならばさおりちゃんのように早いとこ逃げ隠れした方が得策だ。


しかしそのことに気づくのに私は時間を要しすぎた。


ガチャ、と女子更衣室からプールに続くドアが開く。


それよりわずかに早く、水面から伸び出た二本の手が私の頭をつかんでプールの中に押し込んだ。


プールを見て驚き、叫ぶ真鍋先生の様子が一瞬だけ水中からうかがえた。


コーヒーの中から外の様子は見えるが、どうやら外からコーヒーの中の様子は見えないらしい。


どこかの哲学者が言っていたのと同じ状況だと思った。


頭を抑えていた手はすぐに離れ、その拍子に水泳キャップが脱げた。


振り向くとそこにはさおりちゃんがいて、浮上しようとする私のキャップをつかんだ。


すでにどこかに隠れたのだと思っていたが彼女はただ水中に潜っていただけらしい。


さおりちゃんはプールサイドの真鍋先生を指差し、反対の手の人差し指を口の前に立てて、「しー」というサインをした。


真鍋先生が離れるまで水中でやり過ごそうという算段らしい。


浅いところなら微妙に地上の様子がわかるが、ある程度の深さまで来ると光のブレに加えてコーヒーの暗さもあるため、地上の様子は見えなくなった。


さおりちゃんの表情もはっきりとは見えないが、どうやら彼女笑っているようだ。


そうかと思うとさおりちゃんはつかんだキャップを振り回して踊りだした。


おい、やり過ごすんじゃなかったのか。


距離があいて彼女のシルエットぐらいしか確認できないが、もしかするとこの状況を楽しんでいるのかもしれない。


私は見つかるリスクを下げるためにさらに距離をあける。


するとさおりちゃんは踊るのをやめて手を振ってきた。「来いよ」と言っているようだ。


首を横に振って「嫌だ」と返事をするが、こちらの意図が伝わっているのかいないのか、さおりちゃんは手を振りながら近づいてきた。


やめろ、来るな。


逃げるように後退する私に、さおりちゃんは波を立てないようにプールの底を泳ぎながら接近してきた。


そして目の前まで来ると私の腹部めがけて正拳突きを繰り出した。当然、水中なのでまるでダメージはない、が、それいまやることじゃないだろ。


表情で叱るがまるで伝わってない。さおりちゃんは爆笑している。予感が確信に変わる。


彼女にとってこの状況はスリル要素の加わった、遊びの続きなのだ。


先ほどと反対の手をふりかぶり二発目のモーションを見せたのでこちらもすかさず蹴りを入れて牽制するが、これがいけなかった。


やめろというメッセージのつもりで放った蹴りだったがどうやら向こうは応戦してきたと解釈したようで、さおりちゃんは片手で私の蹴り出した足を掴むとぐいと引き寄せ、反対の手でもう片方の足も掴んだ。


そして両脇でがっちりと私の両足をホールドした。


馬鹿かお前、馬鹿、やめろ。


必死で首と両手を横に振るが、さおりちゃんの満面の笑みを見て、私は抵抗するのをやめた。


さおりちゃんは下半身に体重をかけて、横に回転し始めた。ジャイアントスイングだ。


水中なのでまるで安定していないが、それでも重心を移動させながらのろのろと私を大きく振り回した。


そんなカスみたいなジャイアントスイングでも、今の私には有効すぎる。


キャップが脱げて解放された長い髪が、まるでテールランプのように私の頭部の軌跡を描く。


ただでさえ酸素を温存しておきたい私は、死ぬかもしれないという思いと「いつかこいつでししおどしを作ってナイアガラの滝に設置してやる」という明確な殺意が湧いていた。


今地上はどうなっているのだろう。振り回されながらでは確認できない。真鍋先生はもうどこかへ行っただろうか。


脳は落ち着いて思考を巡らせようとするが、しかし体は落ち着いてなんかいられないようだった。


苦しいわボケェ!


思考は脈絡なくぶった切られ、無意識のうちにすごい力でさおりのホールドから逃れた。


ホールドから逃れるのに力を使ったせいか、さらに体が酸素を求める。


渾身の一蹴りをプールの底に放ち、その反動のみで浮上した。


髪の毛が顔の前にかかり視界を阻むが、顔が外気に触れるのを感じて、小さく息を吐いた後に大きく息を吸い込んだ。


「わあああああああああ!!!」


目の前で誰かの悲鳴が聞こえた。そのあとフェンスに何かがぶつかる音がして、更衣室のドアが閉まる音が聞こえた。


あたりはしんとなる。


髪を分けて視界を確保するとプールサイドには誰もおらず、黒い水と私以外、何もなかった。


「ぷはぁっ、真鍋先生もうどっか行った?」


あとこいつもいた。


無言で水を顔にかけてやると、向こうもかけてきてそこでまたイラっとした。


「じゃあ、水中プロレス第2ラウンドいっとく?」


「馬鹿、先生また戻ってくるに決まってるでしょ。多分、今度は人数増えてるし、さっさと証拠隠滅して逃げるよ」


さおりは「はーい」と納得したのか不服なのかよくわからないトーンで返事をした。


その後私達はまずプールの水を抜き、コーヒーの空き瓶と段ボールを回収した。プールに入る前に隠しておいて本当に良かったと、自分のファインプレイを褒めてやった。


そして体中からコーヒーの香りをさせているとどうしようもなく不審なので、入念にシャワーを浴びた。


校門から出るまでにかかった時間は驚異の5分弱。オリンピックにそういう種目があればメダルが狙えると思った。


「棚子ちゃん、私コーヒー臭くない?」


さおりが尋ねてくる。


「仕方ないよ。シャワーだけじゃ匂いまで落とすにはちょっと物足りない」


言いながら自分の髪の匂いを嗅いでみると、私もコーヒーの香りがした。


「ちょっとしたバリスタだね」


「そんなわけねえだろ」


バリスタはコーヒーのプールに入ったりしない。


「そうだ、これから銭湯に行かない?こんなコーヒー臭いまま帰るのなんて嫌でしょ」


確かにこの匂いで帰るのは嫌だし、誰かに知られると確実に怪しまれてしまう。


それに加えてプールで体が冷えていたので、銭湯という言葉のもつ魅力的な響きには抗いようもなかった。


「オッケー、じゃあ行こう。さおり」


さおりは「やったね、そうこなくっちゃあ!」と言って大きく腕を振り指をパチンと鳴らした。ウォルトディズニーから生まれたのかお前は。


「じゃあ風呂上がりにはコーヒー牛乳だね、棚子」


「あんたまだ飲むの?」







休日明け、学校からプールの件について何か話がされるかと思ったがまるでそんなことはなく、いつも通りに始まっていつも通りに終わった。


私はかなり緊張していた分、拍子抜けしてしまった。


「誰にも見られてなかったんじゃない?」


さおりはそう言うが、確かに私は誰かの悲鳴を聞いた。


状況からして真鍋先生だと思うが、しかし学校側から何も話がされないということは先生ではなかったのだろうか。


そんなちょっとしたモヤモヤを抱えていたが、1週間、1カ月と月日が流れていくうちになんとなくモヤモヤは薄れていって、やがて頭の中から不安な気持ちは消え去っていた。


さらに月日は流れ、年度末。先生達の離退任式が行われた。


転勤する真鍋先生の挨拶を聞いて、ふと夏の出来事が頭をよぎった。


式の後、さおりを含めた仲のいい友達グループでご飯を食べに行った。


話題は自然と離退任する先生達の話になり、思い出話や今だから言える裏話なんかをして盛り上がった。


すると一人が「そういえば」


「天崎先生が話してたんだけど、うちらの学校に七不思議があるんだって」


「えー、なになに?」とみんなその話に興味を持ったが、私はなんとなく嫌な予感がした。


「『水泳部の幽霊』って話でね」と、その子は話を始めた。


誰もいないはずのプールから声が聞こえたので若い教員が、見に行くとプールは黒い水で満たされていた。


確かに声がしたはずなのにあたりは不気味なまでに静まりかえっている。


水面をよく見ると、一部から不自然な波が起こっている。


誰かが溺れていたら大変だと教員はその近くに駆け寄る。水の中を確認したいが、水が黒いせいで中がよく見えない。


目を凝らして顔を近づけると、その瞬間。


はっー、すうううううううううう!!


「長い髪で顔の隠れた女の幽霊が現れて、水中に引きずり込もうとしてくるんだって!!」


迫真の語りに、みんなしんとなっている。


私だけは別の理由だが。


静寂を破ったのはさおりで「えー、それめっちゃ怖いねー」と言った。


こら、当事者だろお前。


「なんで天崎先生そんな話知ってるの?」と別の友達が聞いた。


「さあ?でも天崎先生、そういう七不思議に詳しいよね」


「ひょっとして生徒達の個人情報とかも詳しかったりして」


「えーやだー」とみんなケラケラ笑う。話題はすでに次のものに移っていた。


私はふとこの瞬間から、夏の出来事を自分から切り離すことに決めた。


私もさおりもコーヒープールなんて作ってないし入ってない。全て「水泳部の幽霊」の仕業なのだと考えるようにした。


あの出来事があってから私は少し意思が強くなった。といってもほとんどはさおりに対してだけだが、そうでもしないとこの女は次々と厄介ごとに巻き込んでくるからだ。


彼女にはブレーキがない。F-ZEROマシンのような女だ。


自衛手段として、また彼女のいち友人として、私は彼女のブレーキになることを決めた。


それでも振り回される日々だが、そんな日々を悪く思ってない自分がいるのも、また事実だった。




あと、コーヒープールからしばらく経った後に知ったのだが、さおりはカフェイン中毒らしい。









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