ケサランパサランと僕
ケサランパサランが現れた教室、犯人は誰だ
教室の中の空気は張り詰めていた。
坂本は木下をにらみつけ、木下はあからさまに狼狽している。
「お、おい、坂本、いきなりなに言い出すんだよ」
「だから、とっとと白状しろって言ってるんだよ。お前がやったってことはわかってるんだ」
普段は温厚な坂本が厳しめの口調で木下を問い詰める。
その温度差に、見てるこっちまで思わず身がすくむ。
直接面と向かっている木下はまるで水槽をかき回されたメダカのように落ち着きがない。
なかなか話が進まないことにしびれを切らした坂本は改めて木下に向かって言う。
「お前だろ、教室にケサランパサランを放ったのは」
坂本は大きく腕を振ってみせた。
教室には白くてふわふわとしたタンポポの綿毛のような物体が浮かんでいる。それも1個や2個じゃない、どの方角を向いても軽く30個は視界に入る。
全部でざっと200は超えるであろう数のケサランパサラン達が、ここ3年4組の教室を漂っていた。
一方木下は頑なに坂本にかけられた容疑を認めようとはしなかった。
「このケサランパサランが俺のせいって、なんで俺がそんなことをしなくちゃいけないんだよ」
「根拠がないだろ」と、木下は強く言った。
しかしそれにも坂本は動じなかった。
「根拠ならあるぞ。お前の過去の発言が根拠だ」
坂本の言葉に木下は目を丸くする。
「俺が過去に?いったい何を言ったって言うんだよ」
「それを聞いたのは高西だ。高西、俺に話してくれたことをもう一度言ってくれ」
教室中の注目が席に座っていた高西に集まる。高西は少し緊張しながら「ああ」と返事し、立ち上がった。
足が机にガンとぶつかる。大丈夫か。
「これは前に木下と一緒に帰ったときのことなんだけど。将来の夢の話になって、そのとき木下は『俺はケサランパサランの養殖をしたい』って目を輝かせて言ってたんだ」
高西は木下の似てないモノマネをしながら言う。
教室の空気が空気なだけに、モノマネは想像を絶するスベりようだったが、ともかく高西の証言は木下とケサランパサランを結びつけるものだった。
「目を輝かせて」という装飾をつけたことから恐らく高西も木下のことを疑っているのだろう。
「おい高西、やめろ!」
高西に吠える木下。その態度はむしろ疑いを強くさせてしまいそうなものだ。
「まだあるぞ。五反田、頼む」
坂本は今度は五反田を指名する。
五反田は座ったまま体の向きを変え、そのとき机に足がガンとぶつかった。
大丈夫か、おい。
「私が友達とディズニーの話をしてたときに、偶然通りかかった木下君が言ったの。『俺がクラスのみんなをシンデレラにしてやるぜ。そうなるとこの教室は、さしずめかぼちゃの馬車ってところだな』 って」
キザな台詞のようでいて実際には愉快犯のそれだ。
女子に自分のイタい発言を拡散されたことで、これには木下もたまらず赤面している。
しかしなおも坂本は追撃の手を緩めようとしない。
『枯れ木に花を咲かせてやんよ』
『アリスが次に迷い込むとしたらそれはきっとこの教室だろうよ』
『浄土でブッダに話すいい土産話ができるぜ』
坂本は数人の情報提供者とともに木下の過去の発言を振り返る。
情報提供者は全員、話す前に足を机にガンとぶつけていた。流行ってんの?
しかし、どれも確かに怪しい発言だがなんというかここまで恥ずかしい台詞を並べられると今度は逆に木下がかわいそうだ。
それと台詞の中に東洋と西洋の要素が交互に出てきてややこしい。どちらかに統一してほしいものだ。
「木下、お前覚えていないようだが俺にも『開けてびっくりパンドラボックス』とかほざいてたぜ」
ほら見ろジャパンとギリシャが肩を組んでいる。
いくつもの証言を並べられ状況は圧倒的に木下が劣勢だった。
だがまだ木下がやったということを決定づけるにはどうしても障害となる事実があった。
木下が未だに認めないのはその事実があるからだろう。
「確かに俺を疑うのはわかるけど、でもそれがこいつらのことを言っていると決まったわけじゃないだろ」
こいつら、というのはケサランパサランのことだ。
「聞くところによるとこいつらが教室に現れたのは火曜日の3時間目からなんだろ?俺は月曜から水曜まで熱で休んでたんだ。そもそも学校に来てないんだから犯人じゃない」
そう。
木下の言う通り、今日から三日前、すなわち火曜日の3時間目に突如としてこの教室は今のようなファンタジー空間へと様変わりしていた。
2時間目までは何もなかったことから、前提としてその日出席していた人間が疑わしい。
だが坂本はそうは思っていないようだ。
坂本は「そう」
「だが、思い返せば火曜日の2時間目は体育の授業だ。その時間は教室に誰もいないんだからお前がこっそり登校してもそれに気づくやつはいない」
つまり2時間目、無人の教室に登校した木下がケサランパサランを放ったというのが坂本の推理だった。
そのとき五反田が姿勢を変えずに「そういえば」とつぶやいた。
「うちのお母さんが火曜日の朝、木下君に似た人を見たって言ってた。熱で休んでるからそんなわけないって言ったんだけど」
ここにきて新たな証言が飛び出した。内心では「早く言えよ」と思ったが口には出さないでおこう。
ていうかお前足ぶつけろよ、ガン、ってやれよ。
木下は「しまった」というような顔になり、「それは」と言いかけて、少しの間があった。
「それは、暇だったからこっそりコンビニに漫画を買いに行ったんだよ。学校には来てない」
木下はまだ認めようとしない。しかし
「いや、お前は学校に来た」
はっきりと坂本はそう言った。
「なんでそんなことがわかるんだよ」
クラス全員の注目が坂本に集まった。
坂本は全員の視線を受け、教室の後方を指さした。
「花だよ」
坂本に集まった視線が今度は教室の後ろ、ロッカーの上に置かれた花瓶に移動した。
「お前はいつも花瓶の水の入れ換えをしているな。このクラスでそれをやってるのはお前しかいない。だから前の土日も含めて五日間も水を換えなければあの花も多少は萎むはずだ。だがあの花瓶の花は全く変わらない姿で咲き続けている」
花瓶に生けてある花は鮮やかに色づいていた。
「それはつまり、火曜日にお前がこの教室に来て、花瓶の水を入れ換えたからだろう」
坂本の言葉は確信に満ちていた。
木下の花への愛情を信頼してその推理に至ったのだ。
それを感じとったのか木下は数秒黙った後、ため息をついた。
「そこまで信頼されてるんじゃなあ。もう認めるしかないよ」
木下は静かに自白した。
受験シーズンになって最近クラスの空気が重たかったため、みんなを和ませようと思ったことが動機らしい。
謝罪する木下だが、彼を責める人間はこの教室にはいなかった。
いたずら心などではなく心からみんなのためを思っての行為だと、みんなわかっているからだ。
今この瞬間、クラスのみんなの心が一つになったような気がした。
「先生、もう結構です。授業を続けてください」
坂本が片手を差し出す。
私がこのファンタジーな教室の姿を見たのは火曜日の帰りのホームルームのときだった。朝とはまるで違う光景に驚きはしたが、生徒達はすんとしていたので、「そういうもんか」と逆に気にならなかった。
しかしそれから二日経った今日、未だに綿毛は居座り続けているので、授業を中断して質問してみた。
『プリントを配る前に。この綿毛みたいなのってなんなの?』
すると急に坂本による推理ショーが始まってしまったのでなんとなく眺めていた。
授業をする教師としてはその務めを果たせていないのだが、しかしこのクラスの担任としては教え子達が自らの力で考えて問題を解決する場面に立ち会えたのだ。
その一部始終を見届けるというのも教師の重要な使命の一つではないだろうか。
「先生、早く授業を。プリントを配ってください」
こら急かすな坂本。さっきまで中断していたのは半分はお前のせいだ。
「先生、プリントなら私もう終わっちゃいました」
おい五反田、まだ何も配ってないぞ。なんだそのプリントは。なんのやつだ。
「『ガンダーラに勝るとも劣らない』とも言ってたな」
高西、もうその話は終わったんだ。いつまでやってんだ。あとそのモノマネはクソ似てないしクソスベってるからやめろ。
「先生、すいません。こんなことしちゃって」
木下は机をガンと蹴った。
本当だよ木下。目的は崇高なのに手段がなんでケサランパサランなんだよ、頭おかしいだろ。あと、なんで机蹴った?怒ってんの?
生徒達はさっきまであんなに真剣に考えていたのに、解決したらもうこんな有様だ。
やはりまだ子ども、これくらい身勝手な方が、らしいといえばらしいだろうか。
希望通りさっさと授業を再開しよう。
と、その前に。
「そういえばな、実はー」
そのとき、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
推理ショーは思っていたよりも長い時間を要していたらしい。
チャイムが鳴り終わるまで黙っていたら、その間になんとなく言わない方がいい気がしてきた。
「ーじゃあ結局あんま進まなかったけど、今日の授業はここまで!」
担任が何か言おうとしていたことなど誰一人として気にも留めてないようで、日直は淡々と号令を済ませ、生徒達はそれぞれ席を離れた。
教室を出たところで上原が声をかけてきた。
「天崎先生、最後、何を言おうとしたんですか?」
どうやら上原だけは担任のつぶやきを拾い、その続きが気になったようだった。
「ああ、それはな」
一瞬だけ考えて、
「言わぬが花、ってやつだよ」
上原は「はあ」と言い、会釈して教室へ戻って行った。
これでいい。
きっと言わない方がいいのだろう。
花瓶に生けている花が造花だなんてことは。