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ガッツポーズがやめられない  作者: 最後の掃除機
4/8

海じゃなくても泳げない

これを読んで君も海に行こう

海の夢を見た。


青い空、白い雲、その下に無限に広がる海。そして砂浜には一人の少年がいた。


潮風は海の香りを連れてきて、波の音は童心を思い出させた。少年はそこに何かがあるというわけでもないのに、ただ真っすぐ、海に向かって歩いていく。


海は来訪者を拒むことなく、優しく受け入れる。受け入れられるがままに、少年は足元から徐々に浸かっていき、最後には足がつかない深さのところまで進んでいた。


少年は体中で海という概念にふれ、まるで幼い子どもが大人と遊んでもらうかのように、安心して自己の存在を海にゆだねた。


しかし海は静かにその力を増していき、少年が気がついたときにすでに恐ろしい力で少年を呑みこんでいた。


それから少年は一度も姿を見せなかったが、海は表情一つ変えることなく、ただいつも通りの海だった。



じわりとした暑さとやかましいセミの鳴き声に睡眠を邪魔され、石田翔太の夏休みは初日を迎えた。いつも自分を起こすのは目覚まし時計の仕事だが、夏休みに入ったことで今日はその役目を与えられず、ただカチコチと針を進めることのみに専念している。


ちらと時計を見ると時刻は九時をさしていた。両親は共働き、姉もビジネスウーマンなので今この家には自分しかいない。おかげでいつもより二時間も長く眠ることができた。


やはり夏休みはいいものだ。なにがいいって、普段の土日と違ってこの生活が一か月近く続けられるのだ。


大人はこんな休みの過ごし方を見て「若いのに時間がもったいない」なんて言うけれど、自分からしたらこれこそが夏休みの過ごし方、その最適解だ。


どうせ社会人になったら消えゆく定め。学生のうちに思う存分この時間を自由に、自堕落に満喫しようというのが自分のスタンスだ。


さて、それじゃあ今日はこれからどうしようか。


二度寝するのもいいが、今はまだそんな気分じゃない。友達から借りた小説を読み進めなければいけないが、それもなんとなく気分が乗らない。テレビを観ようにもこの時間帯は面白い番組をやっていない。


いろいろ案を考えていると、ぐう、と腹が鳴った。まずは朝食から済ませよう。


階段を下り、洗面所で顔を洗う。家族が最後に使って二時間は経っていないはずだが、蛇口をひねって流れてきた水は熱を帯びて若干ぬるくなっていた。


顔を拭いてリビングへ向かう。テーブルの上には母の手書きのメモが残されていた。


「アサゴハン レイゾウコ ハハ」


冷蔵庫を覗くと確かにそこにはラップがかけられた皿があった。朝食のメニューは目玉焼きとウインナーとレタス。コピペのような献立は母の得意料理だ。


皿をレンジで温め、テレビの電源をつける。


映し出された情報番組では「この夏行きたい!おすすめレジャースポット特集」という題目で各地の観光地や施設なんかを紹介していた。


レポーターの達者なコメントと共に様々なレジャースポットが画面に映し出される。なるほどどれもなかなか楽しそうで行ってみたいという気持ちにさせてくれる。


とくに行きたいと感じたの海水浴場だ。


それはきっと今朝、海の夢を見たせいだ。よく覚えていないが、海で楽しく遊ぶ夢を見た気がする。


夏休みの初日に海で遊ぶ夢を見たのだ、これはきっと「テンケイ」というやつに違いない。


今年は必ず海に行く。夏休みのやることが一つ決まった。



散歩の行き先に河川敷を選んだのはいいが思ったよりも道中の暑さが半端ではなかった。Tシャツが汗で濡れて背中にはりついてくるのが鬱陶しい。


というか、そもそもこんな暑い日にわざわざ散歩になんか出るんじゃなかった。


少しでも日光に当たるまいと、影に沿って歩きながら思う。


高校生として規則正しい生活をしようと思って散歩に出たが、休日の朝から散歩する高校生なんてそういない。


家でおとなしくゲームでもするんだった。


セミの鳴き声をBGMに、脳内では後悔が渦巻いていた。


するとなんだか公園が騒がしい。見ると公園のグランドではロボットコンテスト、つまりロボコンが開催されていた。


様々な形状をしたロボットとその操縦者達が中央の人物を囲んでいる。


中央にいるのは二年生の飯田先輩だ。手にはレンガが握られており、並んだロボットに順に叩きつけているところを見るとどうやら耐久力を競っているようだ。


ほとんどのロボットが一撃で煙を出したり火花をあげているなか、一台のロボットはボディが軽く凹んだだけで終わった。


となるとあのロボットが優勝だろうか、そう思っていると飯田先輩はズボンのポケットからドライバーを取り出してロボットを分解し始めた。


慣れない手つきでようやく基盤を見つけた先輩はそこに思い切りレンガをぶつける。


もはや何が目的なのかはわからないが、きっとこの状況も彼の特殊な生い立ちが関係しているのだろう。


ロボットと操縦者達から伝わってくる悲しみから逃げるようにその公園から去った。



河川敷に来れば多少は涼しいだろうと思っていたがそんなことはなく、影をつくってくれる街路樹も建物もないので道中よりもさらに全身で日光を浴びることとなった。


本当になんで自分はここにいるんだろう。海に行きたい気持ちが強すぎて無意識に体が水辺を求めているのだろうか。


暑さに耐えて河川敷まで来たのに何もしないで帰るのが嫌だったので、とりあえずぼんやりと目の前で流れる川を見つめていたが「暑い」以外の感想が出てきそうになかった。


暑さで頭がぼーっとしてきた。


来てからどれくらい時間が経っただろう。多分まだ五分も経過してないのではないだろうか。


携帯で時刻を確認しようと短パンのポケットに手を突っ込む。


しかしポケットに携帯はなかった。そういえば散歩に雑念がまぎれないように、携帯は自宅に置いてきたのだった。


家を出てからというもの、間違った選択ばかりしている気がする。


全ての行動が自分を苦しめている。思えば、何もしないで帰るのが嫌だからといって、川を見ていくというのも間違いだ。やることないんだから素直に帰ればよかった。


頭が冷静になっていくのとは反比例して体温は上昇している。そろそろ帰らないと熱中症にでもなりかねない。


河川敷を去ろうと後ろを振り向く。すると道行く通行人の中に、見覚えのある姿をとらえた。


先ほどまでよりも少し意識がはっきりして、その人物に声をかけようと歩み寄る。


すると相手もこちらに気づき、目が合った。発言するのはこちらが早かった。


「おはよう、半間」


声をかけられ半間は一人でいるとき用の無表情から人前用の朗らかな表情に切り替わる。


半間葵、同じクラスの女子だ。高校生にしては飾り気がないが、その落ち着いた雰囲気が逆に同級生のなかでも大人っぽい印象をもたせている。


「石田君、どうしたの。なんでこんなとこいるの」


なんでここにと聞かれ、先ほどまであれだけ後悔していたというのに


「ああ、オレは・・・日課の散歩にね」


なんて、臆面もなく堂々と言う。日課と呼べるものはせいぜい、もうプレイしてないゲームアプリのログインぐらいなのに。


「へえ」と半間。


「どうせ家にいても暇だから、散歩でもしようと思ったんじゃないの」


茶化すように言う半間だがそれは核心をついていた。


「そんなことないって。そう言う半間はなんでここに?」


図星を隠すために話題を変える。


「私も散歩だよ。夏休み初日から宿題をやる気になれないから、なんとなくね」


そう返す半間の笑顔を見て心が癒された。朝から散歩をするような高校生なんていないと思っていたが、それは撤回することにした。


見慣れた制服ではなく私服姿なのも特別感があって良い。


普段着ている制服は白いシャツだが今着ているのは白いワンピースだ。同じ白でもこっちは解放感がある。いつもは抑えられていた魅力が今日は溢れ出ており、それはまるでダムが放流するかのようだ。


そんなことを思っていると「私の服装、変かな」と言われ、どきりとする。気づかぬうちに凝視してしまっていたようだ。


「いやいや、そうじゃなくって。ダムみたいだなあって」


直前まで考えていたことをそのまま素直に口に出すが、よく考えなくてもこれは失言である。自分の服装を「ダムみたい」と評価されて気分を良くする人は果たしているのだろうか。


やはり半間も苦笑いになっている。


「いやいや、そうじゃなくって。なんていうかその、ダムみたいに涼しそうな服だなって意味で」


苦し紛れにそう言うが本当に苦しい。


半間はクスッと笑うと「いいよ」と言った。


「まあ夏だからね。今日もすごく暑いし。薄着じゃなきゃやってられないよ」


半間は両手で日よけをつくって太陽の方を見る。


「ほんと、今すぐそこの川に飛び込んじゃいたいくらい」


半間は目線を川に移してそう言うが、あいにくこの川はそこまで深くないので高校生が泳ぐには妥当ではない。


「この川じゃちょっと浅すぎるよ、足元が濡れておしまいだ」


自分が笑いながら言うと半間も「そうだね」と言って笑った。


「それじゃあ今度、一緒に海に泳ぎに行こう」


そのとき、なぜそんなことを言ってしまったのかは自分でもわからないが、その瞬間だけ頭の中が海という言葉で満たされていたことは覚えている。



半間からの返事があったのはあれから二日経った後だった。


半間からのメールには誘いを承諾する内容が記されており、それから二人でメールを交わしながら場所や日時を決めた。


河川敷で半間と出会ったあの日、海へのお誘いはその前のダム発言以上に気まずい空気を作った。半間は困った表情を浮かべて「予定を確認してからまた連絡するね」と言い、結局その日はそこで別れた。


それから自分は全力で家まで走って帰り、冷房の風量をマックスにした後、冷たいシャワーを浴び、シャワーを終えると全裸のまま冷房の効いた部屋でサイダーを飲み干した。


そして叫んだ。やってしまったと。


やはりあのとき自分は暑さでどうかしていたのだ、そう信じたい。


しかし後悔を叫びながらも心のどこかで半間からの返事を待っている自分がいた。半間と海に行きたいというのは事実だからだ。


だが、やはり海というのはハードルが高い。泳ぎに行くということは当然、水着である。女子からすればそう易々と他人に肌を見せたいものではないだろう。


それに付き合ってるわけでもないクラスの男子と二人で海に行くというのだ。これは自分が女子でも簡単にYESとは答えない。


海に誘ったのは完全に自分の思惑の外だったが、しかし、もしこれで一緒に海に行けたなら。間違いなく人生で最高の夏休みになるだろう。


いろんなことを考えているうちに時間は過ぎていくが、その日もその次の日も、メールが届くことはなかった。


あれから二日経ち、その時点で自分の中ではすでにあきらめがついていた、もう返事は来ないと。


そんな昼下がり、携帯が振動した音が聞こえたので、確認してみるとそれは半間からのメールだった。


「他の友達も追加する」


「海はやめて別の所に遊びに行く」


「予定が合わなくて遊べそうにない」


きっとそんな文面なのだろうと思っていたが、意外にもメールには半間の希望の日時とシュールな絵文字が書いてあるだけだった。


その後もメールのやりとりを続けたが進行は実にスムーズで、「二人で海に遊びに行く」という点に修正や変更が加えられることはなかった。


正直な気持ちを話すとこのメールのやりとりをしているときが一番楽しかった。


計画が練り上げられていくほどに楽しみな気持ちが膨れ上がっていき、あるいはもう海に行かなくてもいいとさえ思った。


それでは今この時点はどうか。メールが一番楽しかったなら今は楽しくないのか。


率直に言って今は緊張の方が強い。嬉しいし楽しいのは当然なのだがそれ以上にプレッシャーを感じている。


半間を海に誘ってから三週間後の今日。


自分と半間は電車に一時間揺られ、地元からそこそこ離れた海水浴場にやってきていた。


本当はもう少し近い場所に別の海水浴場があるのだが知り合いに見られたくないのであえて遠い方を選んだ。半間もこれには同意見だった。


海はかなりの人で賑わっており、高校生でも少し気を抜くと簡単に迷子になってしまいそうだ。


「じゃあ女子更衣室は向こうだから、またあとであの海の家の前で集合ね」


そう言われたのが少し前のこと。


現在自分は海の家の前で半間を待ちながらプレッシャーと戦っていた。二人きりで女の子と海で遊ぶのだ、これで緊張しない方がおかしい。


水着に着替える半間の姿を想像するとなんだか後ろめたい気持ちになってしまうので極力仏像のことを考えるようにした。


目線を落として自分の履いている海パンを見る。昨日買ったばかりの新品だが果たして似合っているだろうか、大人びたデザインを選んだつもりだがかえって背伸びした感が出たかもしれない。


ふと周りを見ると筋肉質な男の人が多く、サーファーやライフセーバー、みんなマッチョだ。


海に行くことが決まってから毎日筋トレをしていたが、たった数日では目に見える変化は起こらず、こんなことなら日常的にトレーニングをしておくんだったと悔やんだ。


「おまたせ」


声をかけられ思考を中断する。そして顔を上げて目にした光景に、中断していた思考は強制終了させられた。


そこには水着に着替え身軽になった半間がいた。空の色に似た青い水着は半間にとてもよく似合っている。


「私の水着、変かな」


半間に言われどきりとする。


「いや、空の色みたいですごく似合ってる」


考えていたことを素直に口に出す。


「本当?良かった」


半間はそう言って笑って見せた。笑顔になると一層魅力が増した。


「今度はダムみたいじゃない?」


いたずらっぽく笑う半間に思わず苦笑いしてしまう。


「いや、あのときのは言い間違えで。あのとき来ていた服も、今日の水着もすごく」


「かわいい」と言いたかったが、直前になって恥ずかしくなり、「いい感じだよ」なんて曖昧な言葉で代用してしまった。


半間はクスッと笑って「ありがとう」とだけ言ってくれた。


二人の間に沈黙が流れる。


あれ?泳ぎに行かないのだろうか。


半間はただ足元を見つめるのみでそこから何か行動しようという動きは感じられなかった。つまりここは自分から切り出すべきなのだろう。


「それじゃあ早速泳ごうか」


「あ、ちょっと待って」


「え?」


自分が聞き返すと半間は引き留めるように手に持っていた何かを手渡してきた。


手触りからしてビニールでできていることがわかった。折りたたまれていたので広げてみると、それは丸い形をしており、真ん中には穴が開いていた。


「これって」


自分が訊ねようとすると、半間は両手を合わせて申し訳なさそうな笑みを見せた。


「浮き輪、膨らませてくれない?」



「半間ってカナヅチだったんだ」


膨らませた浮き輪を渡すと半間は一瞬困ったような、悲しい表情になった。


「ごめん、気にしてた?その・・・無神経なこと言ってごめん」


慌てて謝罪の言葉をかけるが半間は俯いてしまった。


ひょっとしたら触れてはいけないことだったのかもしれない。嫌われてしまったらどうしよう。


何か別の謝罪の言葉はないか、あたふたしていると半間が顔を上げた。表情にはいつもの笑顔が戻っている。


「ううん、気にしないで。私がカナヅチ・・・、なのは本当のことだから」


顔は笑っていてもさっきの表情がひっかかる。気にしないでとは言うが本人からすればかなり気にしていることなのだろう。


本当はもっと謝りたいが、これ以上この話題を長引かせる方がむしろ半間を傷つけることになってしまうと思い、なので謝罪の代わりに、悲しませてしまったぶん今日を思い切り楽しませることを胸に誓った。


「それじゃあ、泳ごうか」


「うん、そうだね」


砂浜に足跡を残しながら歩いていると太陽が容赦なく肌を焼いてくる。一歩進むたびに日差しが強くなっていくように感じた。


海まで数センチのところまで来るとなんだかわくわくした。高校生になった自分のことをもう大人だと思っていたが、海を目の前にして気持ちが昂るあたり、まだまだ大人にはなりきれていないようだ。


入水するタイミングをはかっていると、勢い強めの波が足元を濡らした。


なんとなく半間の方を見ると目が合った。きっと半間も似たようなことを考えているのだろう、お互いに心が通じ合ったのを感じ、二人で笑った。


足を踏み入れると海水は程よく冷たく、足先がひんやりとして気持ちが良い。


照りつける太陽の熱線から逃げるようにさらに歩いて、途中からはバタ足で進んだ。そのうち足がつかないぐらいの深さになった。


後ろを振り返ってみると浮き輪に体を通した半間がバタ足でゆっくりとこちらへ泳いできている。


「私だって補助があれば泳げるんだよ」


得意げに言うがいささか不格好なその姿で言われてもなんの威厳もない。


自分が何も言わずに笑っていると顔に水をかけられた。


「なんで笑ってんの」


「いきなりなにすんだ」


お返しとばかりにこちらも水をかけるとそれにまた半間も応戦し、そこから二人で水のかけあいが始まった。


仲のいい男女が水辺で互いに水をかけあう。テレビなんかでよく見るシーンだが、あれのどこが面白いのか理解ができなかった。泳げよといつも思っていた。


だが実際に自分がその立場になってみるとわかることがあった。


水のかけあいは楽しい。


厳密にいえば特別な相手とやる水のかけあいは楽しい。今ならテレビの中の登場人物の気持ちがわかる気がした。


そしてわかったことがもう一つある。この遊びは足がつくところでやるべき、ということだ。


いま半間と水をかけあっているこの場所は足がつかない深さだ。下半身が安定しないので慌ただしく足を動かしながらでないと姿勢を維持できない。


最初こそ二人とも笑っていたが途中からは体力との戦いになり、両者の笑顔が消えたあたりでどちらが言うでもなく自然とかけあうのをやめた。


その次は泳ぎの競争をし、またその次は水中を観察し、昼時には海の家で昼食をとり、お腹がいっぱいになると海を眺め、そしてまた海に入った。


昨今では海やプールに来ても顔や髪が濡れるのをきらって泳がないでいる若い女性が多いと聞くが、半間はそんなことはお構いなしに全身で海と戯れている。


本気で海を楽しんでいるようで、そんな様子を見てあのとき半間を海に誘って良かったと思えた。


その後二人で違う場所を見ようと、人が多いところを離れた。


同じ海水浴場でも少し位置を変えれば見える景色も全く別のものになる、本当に海は退屈しない。


海の中で名前はわからないがとても大きな魚を見つけたので、半間にも見せてやろうと思い潜ったまま水中から半間の姿を探す。


すると自分と同じように水中に潜っている人を見つけた。自分よりも年下だろう中学生くらいの少年だ。


しかし少年は泳いでいるというにはどうにも様子がおかしい。


よく見るともがき苦しんでいるように見えた。


そのときいつか見た海の夢、その不吉な夢が鮮明に脳裏に浮かんだ。


頭の中が真っ白になり、硬直してしまった。ここから砂浜は遠い。大声を出してもライフセーバーの耳に届くだろうか、仮に届いたとしても救助が間に合うだろうか。


どうすればいいかわからないでいると、後ろから何かが飛んできた。見るとそれは半間の浮き輪だった。


「行って!」


後方から半間の声が聞こえた次の瞬間にはもう自分はその浮き輪を掴み真っすぐその少年の方に向かって泳いでいた。


泳いでいると夢で見た光景が頭の中で何度もリピート再生される。そのたびに焦る気持ちが増し、水を蹴る力が強くなった。


必死に泳ぎ、少年の目の前までくる。


自分に気づいた少年はこちらに手を伸ばすような素振りを見せるがその動きは滅茶苦茶で、どうやら足をつったらしい。


潜るのに邪魔なので一旦浮き輪から手を離し潜水する。


浮き輪が波に流されてしまわないように急いで少年の背後に回り、両脇を支えて浮上する。


少年の体を浮き輪の穴に通し、両腕が浮き輪の上に来るように手を持ち上げた。少年の意識はあるがぐったりしている。


するとバシャバシャと水しぶきをあげながら猛スピードで誰かがこちらに向かってきている。


水着を見てそれがライフセーバーの人だとわかった。すでに誰かが報せていたようだ。


助けに来た大人に全てを任せ、今度はいま泳いできた逆方向へと向かう。


疲れているはずなのに水を蹴る力は全く弱まらない。息継ぎをするのも忘れ無我夢中になって泳いだ。


先ほどまでいたあたりの場所にもどってくるが、周りには誰もいない。


潜ってみると水中はしんと静まりかえっており、まるでここには最初から誰もいなかったと海が主張するようだが、そんなはずはない。


あたりをぐるりと見まわすと海の底に半間の姿を見つけた。目を閉じたまま動いていない。


急いで半間の側まで泳ぎ、体を持ち上げる。異様に頭が重たく感じ、半間に意識がないことがわかった。


抱きかかえるかたちで陸に向かっているとさっきのライフセーバーが応援を呼んでくれたのだろう、別のライフセーバーが現れ、素早い手つきで救命用具を半間の体に装着した。


陸地まで引き上げられ大人たちによる処置をうける。


しかし半間の意識はもどらず、近くの病院に緊急搬送されることになった。


救急車のサイレンの音が近づくほど胸のざわつきも加速していく。


同乗を認められて乗った救急車の中でふれた半間の手はとても冷たく、それは最悪の事態を想起させた。


この日、半間に意識がもどることはなかった。



あれから十日が経った。


自分は半間の母親から連絡をうけ、自転車をとばして半間が入院している病院までやってきた。


ロビーで半間の母親に出会い、挨拶をする。あの日から毎日、自分はこの場所でこの人に会っている。


最初に病院で会ったとき、自分はこの人に頭を下げることしかできなかった。しかしこの人はそんな自分を責めることはせず「葵と仲良くしてくれてありがとう」と言った。


そして長椅子に二人並んで腰かけ、母親の口から半間についていろいろと教えてもらった。


「あの子はね、カナヅチなの」


母親はそれ以上語ろうとしなかったが、自分にはそれだけでその言葉の意味が全て理解できた。


それから本来、半間は自身の身に起こる危険を避けて水遊びを敬遠していることを知った。


「そんなあの子が、カレンダーに印までつけて海に行くのを楽しみにしてたのよ」


母親はこちらを向くと自分の目を真っすぐ見つめた。


「葵なら大丈夫、頑丈な子だもの。きっとすぐに元気になるわ。そうしたら」


また海やいろんな場所に連れて行ってあげてね、と母親はにこりと笑った。笑った顔が半間とどこか似ている気がした。


あのとき自分は思わず涙をこらえきれなかった。声をあげそうになるのを必死に押し殺しつつ、同級生の母親の前で大量の涙を流した。


泣き顔を見られてしまったことで多少顔を合わせるのが恥ずかしいが、今日はそんなことはいってられない。


「半間さんのお母さん、半間さんが目覚めたって本当ですか!」


同級生の母親をどう呼んだらいいかわからず、こんな長い呼び方が定着している。本人は「お母さんでいい」というが、そういうわけにもいかないだろう。


「ええ、今はまだ起きているはずだから、病室に行って様子を見てあげて」


母親に会釈を済ませ、早歩きで半間の病室へと向かう。


病室に入るとベッドに横たわって本を読んでいる半間の姿があった。人の気配を感じたのかドアの方を見た半間と目が合う。


「石田君」


半間はぽつりというと体を起こした。


「起き上がって大丈夫なの?」


「いいよ、休むのはもう飽きたから」


半間はいつも通りの笑顔を見せる。その笑顔を見るとあの日から胸に空いた隙間、その隙間が埋まっていくのを感じた。


それから二人でなんてことない雑談を交わした。


窓から見える景色や、読んだ本の内容、宿題の進捗。


二人ともあの日のことを口に出さず、あの日の記憶はもう封印されるのかと思った。


すると不意に半間が「ごめんね」と言った。


「え?」


「私、わかってたんだ。自分が海に入ったら溺れちゃうかもしれないってこと」


黙って半間の言葉に耳を傾ける。


「でも、わかっていたからこそ憧れみたいなものもあって。いつか行けたらなって考えてた。そしたら、石田君に誘われて、なんとなく今回はきっと大丈夫、って思ったんだ」


「本当にごめん」


深く頭を下げて言う。


「あの日、俺が誘わなかったらこんなことにはならなかったのに」


「なに言ってるの、あのとき石田君が誘ってくれたから海で楽しく遊ぶことができたんだよ」


そう言うと半間は窓の外を見た。


「憧れが二つも叶っちゃった」


半間が何かをつぶやいたが、ちょうど鳴きだしたセミの鳴き声が重なり聞き取ることができなかった。


半間がぱっとこちらを向く。


「だから、退院したらまたどこか遊びに行こうよ」


「でも、やっぱり申し訳なくって」


「申し訳ないならなおさら。夏休みの思い出がまだ海と病院だけって悲しすぎるでしょ。これから取り戻さなきゃ」


いつまでも引きずることを半間も望んではいない。このとき、自分の中で半間にこの夏休みを捧げる決心がついた。


「わかった。じゃあ退院したらまた何かしよう」


「うん、約束だね」


半間と約束を交わすのは夏休みに入って二度目だ。これから自分がすべきことは最大限半間を楽しませるようにプランニングすることである。


これから忙しくなるぞ、そう思っていると半間が「まあ」と言った。


「あの日のことは私の自己責任みたいなところもあるしね。身から出た錆、ってやつだよ」


カナヅチだけにね、と笑顔半分、したり顔半分でこちらの反応をうかがう半間。


果たして今、自分は上手に笑えているだろうか。







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