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ガッツポーズがやめられない  作者: 最後の掃除機
3/8

シャンプー以外はわからない

これを読んで君もヘアケアしよう!

私のために開かれた自動ドアをくぐると、店内に満ちた独特の香りが鼻をつく。慣れない香りだが、しかし不快に感じるものではない。ドラッグストアというだけあってこれはやはり店内に並ぶ様々な薬品の香りがブレンドされたものなのだろうか。歩きながら思い切り息を吸いこみ、この匂いを楽しむ。


この店は自宅から最も近い位置にあり、同時にこの近辺で最も大きいドラッグストアである。オープンしたのは二年前だが、それ以来いつも多くの近隣住民がここを利用している。オープンするまでは我が家も別のチェーン店を利用していたが、この店が開いてからはもっぱらこちらで買い物をしている。


家族の中でもとくに母はこの店をありがたがっており、ポイントカードに関しては「買い物をするならポイントが倍になる日にしなさい」「カードを忘れたならポイントが後からつけてもらえるレシートをもらっておきなさい」など日頃から口うるさい。


私はそういう細かいことをあまり気にしないので、会計が千円に近いくらいの買い物でなければポイントをつけてもらわないことも多々ある。気にしないというよりはいちいちカードの存在を気にして買い物をするのが面倒くさいのだ。


店内に入ってすぐ右に曲がり、突き当たりまで進むとそこで足を止める。目の前の棚にずらりとお行儀よく並んで、各々自由に光沢を放っているのはシャンプーやリンスといった類の商品だ。かなり豊富な品揃えである。


しかし私はこれらを買いはしない、今はまだ。


シャンプー、リンス、トリートメント、コンディショナー、エトセトラ。棚のどの位置にどの商品が置かれているか、軽く確認を済ませるとそのコーナーから離れ、お菓子売り場へと移動する。お菓子を買いに来たのかといわれればそういうわけでもない。


私は今から観察をするのだ。



テレビでは二日前に梅雨明けを告げていたはずだが、今日も空の色はどんよりとしている。夏休みも近づいてきたというのになんだか楽しい気分にならない。


頬杖をついて窓の外を眺めていると休憩時間の終わりを報せるチャイムが鳴った。


「ニュースで見た人もいると思いますが、先週から隣町のS高校の女子生徒が行方不明になっています。警察によると誘拐された可能性もあるそうです。みんなもそれらしい人を~」


古文の石垣先生はチャイムが鳴るなり、自分の授業を始めることよりも生徒達への注意喚起を優先した。普段は何を考えているのかよくわからない先生だが、こういうところを見るといい先生なんだなと思う。


自分の保身のためもあるのかもしれないが、一応生徒達の身を案じてくれているのだ。


それなのに、そんな先生のありがたい話もうわの空で、私は全く別のことを考えていた。


先生のカツラ、色あせてるな。


実は石垣先生はハゲているのだが、普段はカツラをかぶることで頭を隠している。なのに先生はわりと頻繁にカツラを新調するので周囲にはカツラであることがバレバレだ。


目を凝らしてよく見ると、やはり今日のカツラはなんだか傷んでいるようだ。そろそろ替えどきではないだろうか。


石垣先生に出会うまではカツラなんてテレビや雑誌で目にするような、派手な色をしたウィッグぐらいしか見たことがなかった。


なので最初は石垣先生の頭も地毛だと思っていたのだが、頻繁に長さが変わるので(一日で5センチ以上伸びたこともあった)それがカツラだと気づいた。先生の頭部の変遷を見ていくうちに、いつしか町ゆく人々を見ても地毛かそうでないかの見分けがつくようになった。


「みんなも十分、気をつけてくださいね。それでは授業を始めます」


先生はそう区切ると、某教師ドラマの主人公のように髪をかき分ける仕草をした。


しかし指通りが悪かったのだろう。指が髪にひっかかってカツラが半回転し、先生の顔はさっきまで後ろ髪だったもので隠れた。



午前中に見た衝撃的な光景を思い出し、思わず吹き出しそうになる。あんな不意打ち、誰だって笑ってしまう。


しかもその後、数秒の間をおいて男子が「中途半端な悪魔祓いでも受けたんですか?」とつぶやいた。その絶妙な空気感もフラッシュバックして私に追い打ちをかける。


笑いの波が静まるのをじっと待ってから、再びシャンプーコーナーに目を向ける。


あれは確かに衝撃的な光景だったが、それがスイッチになってしまったのだろうか。


いま私は、先生がやろうとしていた髪をかき分けるあの仕草、あれがやりたくて仕方がない。といっても先生のように、では決してない。


女優やモデルみたいに、美しく髪をさらさらさせたい。墨汁をつけたらさぞかし書き味の良い筆になりそうな、そんな美髪になりたい。


あるいは、あの中途半端な悪魔祓いを見て、ああなってはいけないという危機感を感じたのかもしれない。


それに、私もそろそろリンスを新調したいと思っていた。いま使っているものに不満があるわけではないが、ちょっとした高みに挑戦してみるのもいいだろう。


というわけで単身ドラッグストアにやってきたはいいものの、あいにく私は美容関係の知識に疎い。リンスを新調するにしても一体どれを選べばよいのやらさっぱりわからない。


しかも世の中にはリンスと似た役割の、トリートメントやコンディショナーという代物まで普及している。どこまで私を複雑な迷宮に閉じ込めようというのだろうか。せめて出口は一本に絞ってほしい。


言うなれば私は生まれたばかりで右も左もわからない雛鳥だ。一羽のみでは生きていけない、か弱い存在である。ではこのまま死するしかないのだろうか。


否、雛鳥は親鳥の姿を真似て生きる術を学んでいく。


つまり、私も雛鳥のように、誰か髪が綺麗な人を見つけたらその人を真似て、同じ商品を買うことにしたのだ。


そういう作戦のもとにシャンプーコーナーを見守り始め、5分ほど経過した。


一人のおばさんがコーナーの前で立ち止まり、シャンプー、それとシャンプーから離れた位置にあるトリートメントを買い物かごに入れた。


今のおばさんが買ったのは私が使っているものとは違うが同じくらい有名な、いわゆる庶民的なシャンプーである。一緒に買っていったトリートメントはシャンプーとは違うメーカーの商品なので、異なる会社の商品を組み合わせて使っているらしい。


そしてここが本題、今のおばさんの髪。パッと見だがそこまで傷んでいるわけではなさそうだった。しかし潤いやツヤがあるようにも見えなかったので、それが果たして商品のせいなのか、年齢からくるものなのか。素人には判断が難しい。


「バツ」


10秒にも満たない思考を経て、私はそう判決を下した。あの人では私の親鳥にはなれない。あのおばさんが髪をかき分けようものなら、きっと強烈な香水の匂いがするのだろうな、と勝手に推測した。


おばさんが去ってから数分後、次にやって来たのは新社会人?それとも就活生だろうか。二十代前半ぐらいに見えるスーツ姿の女性だった。


スカートではなくパンツルックのその女性はきりっとした顔立ちにスーツがよく似合う、大人の女性という感じである。私はスーツすら着たことがないので、ああいう大人の女性の雰囲気に憧れてしまう。


スーツさんは高い位置にあるシャンプーとコンディショナーに背伸びして手を伸ばす。なかなかいい商品を使っているようで、あの銘柄はちょっとした高級品だ。


やはりいい商品を使っているからだろうか、スーツさんは肩ぐらいまである髪を後ろで一本にくくっているが、遠目から見てもツヤのある綺麗な髪だ。あれこそ見習うに相応しいといえる。しかし。


「・・・三角」


いち高校生と大人では経済力に大きな差がある。スーツさんはきっと就職にしたってバイトにしたって自分で稼いだお金がそれなりにあるのだろう。スーツもオシャレだったし、家はお金持ちなのかもしれない。


我が家は客観的にみても貧困層とまではいかないが、そこまで裕福な家庭ではない。たかがヘアケア商品にあまりお金をかけることはできないのだ。


だから私は安くなくてもいいから、せめて私の予算が許す範囲内で良質な商品が欲しい。


そんな欲望にまみれた考えをもちながらシャンプーコーナーを見つめ続ける。


どれぐらいの時間が経っただろうか、いろんな客がいろんな商品を手に取っていくが、どれもいま一つ決め手に欠けていた。


商品を選ぶ人を選ぶという実に効率の悪いことをしているために、いつの間にか閉店の時間まであと10分となった。店内放送がこの店のテーマソングから「蛍の光」へと切り替わる。


以前、誰かから聞いた話によると、多くの店が閉店時間の訪れを報せるのに用いているこの楽曲は、実は「蛍の光」ではないそうだ。


タイトルまでは思い出せないが、「蛍の光」とメロディーがよく似た別の楽曲なのだという。たしか、「さよならの歌」とか、そんなニュアンスだったはずだ。


そろそろ閉店ということで、客の数もかなり減ってきた。シャンプーコーナーの前にはもう10分ほど誰も来ていない。


仕方ない、こうなったらうんと背伸びして、スーツさんと同じあのコンディショナーを買おう。予算を少しオーバーするが、これも何かの巡り合わせだと思う。


今日ここで観察を続けた結果、最もリスペクトするに相応しかったのはやはりあのスーツさんだった。あのスーツさんを見習うことで、私も大人の階段を登るとしよう。


お菓子売り場からシャンプーコーナーへ行こうとしたその瞬間、ぴたと足を止める。


「まだ誰か来た」


駆け足で現れたその客はヘアケア商品が並ぶ棚の前で足を止める。


リンスの裏を見て成分表示を確認するその客に私は見覚えがあった。


「石垣先生だ」


石垣先生だと認識した瞬間、私の中では「挨拶に行こう」という考えと、「ハゲでもリンスとかするんだ」という考えが浮かんだ。


後者はあまりにもむごい考えだと思ったので、これは即座に頭から消した。


しかしカツラの人がシャンプーはともかく、リンスなどのヘアケア商品まで買うのは少し不思議に思えた。私が知らないだけでカツラにもリンスが必要なのだろうか。石垣先生は独身だし、家族のおつかいというわけでもないだろう。


偶然居合わせた生徒が自分の買い物を見てそんな疑問を抱いているとはつゆ知らず、石垣先生はリンスを手に取り、謎を残したままさっさと会計を済ませて店を出ていた。


そうだ、私も買い物を済ませよう。


長い時間お菓子売り場に突っ立っているのも不自然なので、「私これ買いますよ怪しくないですよ」というアピールのために選んでいた板チョコを持ったまま、眺めるだけだったシャンプーコーナーへと向かう。


スーツさんが選んだのと同じコンディショナーを手に取るが、しかしその値段を見て再び棚に戻す。財布の中身を確認してから、改めて表示された値段を見る。


思ったよりも高かった。私の全財産的には買えない値段ではないのだが、現在の所持金ではギリギリ届かない。


残念ながら今日のところは諦めるしかないようだ。


完全にコンディショナーを買うスイッチが入っていたので、今日買うことができないのはとても悔しいが、かといって妥協して別の商品を買うのも嫌だった。


仕方ないのでコンディショナーは明日また買いに来よう。そう決心した。


とりあえずこれだけは買わなくては、と、手の熱で少し柔らかくなった板チョコをレジに持っていき、お会計をする。


「当店のポイントカードはお持ちですか?」


そう店員さんに尋ねられ財布の中を見る。普段ならこの程度の買い物では出さないポイントカードだが、今日は少しでも今日この店に来た意味を残したかったので、「あります」と言ってカードを渡した。


店員さんはカードを機械に通すと、にっこり笑った。


「いつもありがとうございます。只今のお会計で500ポイント貯まりましたので、こちら500円分の商品券としてご利用できます」


店員さんがそう言って渡してくれたカードには確かに500ポイントと表記されていた。レシートを見ると通常の3倍のポイントがついている。いま知ったが今日はポイント3倍デーだったのだ。


初めてポイントをマックスまで貯めた私は、店員さんが頭を下げるモーションに入るのとほぼ同時に口を開いた。


「あのっ」


私の呼びかけに対して店員さんは下げかけた頭をさっと上げて「はい、なんでしょう」と笑顔で対応してくれた。


「この商品券って今日いまから早速使うことってできますか・・・?」



「~ということで、この飯田という少年はその特殊な生い立ちから得たヒントを基に、めんつゆから石油を生み出すシステムを開発し、いま世界中の技術者達から高い注目を集めています。それでは続いてのニュースです」


翌日、テレビのニュースをBGMにしながら朝食をとっていると、例の女子高生行方不明のニュースが流れた。


女子高生の顔写真が公開され、そこで私は初めてその子の顔を見たのだが、長く伸びた黒髪がよく似合う、どこにでもいそうな普通の女の子だった。


その子に関する情報が読み上げられるとともに、その子の学校にいるときや遊んでいるときなどの写真も画面に映し出された。


この子は今どうしているのだろうか。行方がわからないということ以外、一切の情報がないのでつい不吉な想像ばかりしてしまう。


アナウンサーは「一刻も早く無事に発見されることを祈っています」と、その話題を締めくくった。私も同意見だ。


「ごちそうさま」


朝から暗い気分になってしまった。なにか楽しいことを考えて気を紛らわせよう。朝食を済ませると洗面所に向かい、鏡を見ながら髪をセットする。


昨日買ったコンディショナー、やはりいい値段するだけあって、いつもよりも指通りがなめらかな気がする。


思い込みもあるのだと思うが、昨日より髪が輝いているように見えた。しかもこれから毎日使い続けるのだからさらに伸びしろがあるということだ。


膨らむ期待に、私は思わず鏡の前で笑顔の練習なんてしてしまっていた。


そこへやってきた父にその光景を目撃され、罵倒を浴びせると(理不尽なのはわかっているが、そこは思春期ということで配慮してほしい)私はさっさと家を出た。


今日は昨日と違って晴天で、澄み切った青空には雲一つなかった。我が町はようやく梅雨明けだ。


校門をくぐると、どこかの家が吊るしているのだろう、風鈴の音色が聞こえてきた。涼しげな響きが至る所から聞こえてくるセミの鳴き声と重なり、夏の訪れを感じさせた。


教室に入って友達のさゆりと挨拶を交わす。私は自分の席に座り、さゆりは私の机の上に腰を下ろした。


「どうしたの?今日なんだかご機嫌じゃん」


「んー?まあねー」


あえてコンディショナーを買った、とは言わないことにした。変化に気がついてもらった方が嬉しいし、たかがコンディショナーを買ったくらいのことで喜んでいるおめでたいやつだと思われないようにするためだ。


「そういえば、石垣先生もなんだかご機嫌だったんだよ」


石垣先生、と聞いて昨日の出来事を思い出す。石垣先生がご機嫌なのは昨日リンスを買ったこととなにか関係があるのだろうか。


「なんでかは知らないけど、多分またカツラを替えたからじゃないかな。なんだか今までのよりも自然な感じがする」


ほら、と言ってさゆりは廊下の方を指さした。そのときちょうど石垣先生が廊下を歩いており、見ると確かに頭部が昨日と違う見た目をしていた。


「なんか天然素材、って感じ?昨日のは海外ホラーで、今日のは和製ホラー!みたいな?」


さゆりの言うことはなかなか的を射ていた。海外ホラーというのは昨日の悪魔祓いが由来しているのだろう。そしてきっと和製ホラーというのは、日本ならではの白装束を着た幽霊をイメージしているのだと思う。


確かに、先生の新しいカツラは今までのような作り物感がなく、まるで地毛のような自然なツヤがあった。


そしてそのカツラはさゆりの言う幽霊のように、先生の襟足まで覆う、長い黒髪だった。


幽霊の話題がしっくりくる。


季節はもう夏だ。






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