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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
セレモニー
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夢の終わり

 わたし=霧の女皇(ミストレス)は、深い霧をかき分けてラリュング市内に入った。

 霧の内側に入るや、わたしはすぐに異変に気が付いた。街にかかるもやがいつもより濃い。まるで霧の壁が切り崩されて、市内へと流入しているように。

 わたしはその異変を、肌でピリピリと感じていた。明らかに何かがおかしい。空気感が違った。このラリュングに、何かが訪れていることは確かだった。

 遠くから爆音が聞こえた。ラリュング中央区、ここからでもセントラル・タワーの先端は見える。爆音はそのふもとからだった。もう時間はない。

 しかし、霧による転送は、いまのミストレスではすぐにはできないだろう。

 いまのわたしには、手足を動かすしかなかった。シティ・セントラルへ駆ける。早くしなければ。


 やっとの思いでピルグリム・サーカスにまで至った。それまでに何度クルマを踏みつぶしたか、わたしは覚えていない。しかしラリュング市内は中央で起きた爆音以降、パニックに陥っているようだった。街中には警察があふれ出し、メガホン片手に避難誘導を行っている。

 その道中、リリアン・リュウとも出くわした。彼女は決して売れないパブの店主ではなく、名誉ある警官として避難誘導にあたっていた。警官隊は一瞬、頭上を通過していく赤錆色の巨人を見やったが、しかし無視して避難誘導を続けた。それが賢明であると思ったし、何よりわたしとしても助かった。

 それからわたしは、セイヴィル・ストリートの事務所に戻った。そこには図書館ではなく、ウェザフィールド探偵事務所があった。むろん向かいの半地下にパブがあったりもしない。

 わたしはいったんミストレスから飛び降りると、玄関から叫んだ。

「ニナ! 大丈夫!?」

 応答はない。ニナのことだ、ちゃんと逃げたのだろう。彼女は自分のことはすべて自分でできる。そうやって生きてきた子だ。わたしが手助けをせずとも、逃げられたのだろう。いまごろ地下シェルターにいるはずだ。

 通信回線はパンクしており、誰かと連絡を取ることはできなそうだった。だが、それでもわたしは、わたしの愛する人々が生きていることを信じていた。それに何より、これ以上時間をとられるわけにはいかなかった。

 ミストレスに戻り、わたしはセントラル・タワーを目指す。

 三度爆音が轟いた。タワーの中枢から声が聞こえる。大佐の声。革新を願う彼女の身勝手な声が、街中に響いている。

 ――待ってなさい。いま、わたしが終わらせにいく。


 街に霧が流れ込んできた。それはドライアイスが発する煙のように、まずは地面に滞留。蛇が地を這うように街の中を進んで、中央めがけて進み続けていた。

 こんな事態だ。街中はパニックだった。しかし、もはや霧と共にある人間からすれば、なにも恐れることはない。

 わたしはようやくセントラル・タワーにたどり着いた。円錐型をしたタワー。螺旋状の登山列車を有する塔の麓に、蒼白の巨人は立ち尽くしていた。

「……ほう、これは意外だな、中尉。まだ生きていたのか」

 大佐の機体フォグ、サブスタンスは、タワーへ向けていた拳を止め、わたし=ミストレスのほうへ振り向いた。

「わたしの仲間になりにきたのか? ならば歓迎するよ。君は、死の口づけや私と同じ、選ばれし者の一人だ。共にこの街を悪しき人間たちの呪縛から解放しようじゃないか?」

「……お断りするわ」

「ほう。では、どうしてこんなところへ?」

「あなたを止めるためよ」

「そんなボロボロの機体で、か」

「そうよ」

 たしかに、いまのミストレスはボロボロだ。

 わたしは最終スキャン結果を見た。ミストレス、自己診断の結果、駆動系は最低限異常なし。機体はまだ動かせる。しかし、火器管制はすべてダウン。レーダー系もダウン。通信系は最低限生きているが、もう限界まで来ている。やはり最後に頼れるのは、自分自身の拳しかないようだ。

「理解できんな、中尉。君に私がしていることが分かるか? 私はいま、自分の仮説が正しいか証明しようとしている。世界放浪の結果、私はラリュングは霧から解放されるほうが正しいと悟った。それが、王様気分で宇宙から街を治めている人間へ、我々が行うべきことなんだ。絶対的な権力者の打倒。世界は、常にそれによって変わり続けてきた。よりよき方向へ向かうため、破壊と再生を繰り返して来たんだ。そして中尉、いまは破壊のときなんだ。神様気取りの人間から街を奪い返し、自らの尊厳を取り戻す……。それがなぜわからん、中尉」

「あなたの妄想にはつきあってられないわ」

「妄想ではない。君も分かっただろう? この世界に、真にヘイズル・ウェザフィールドという人物は存在しない。はじめから仕組まれたフィクションなんだよ。誰かがかくありたいと感じ、名付けただけに過ぎない。君なんて存在ははじめから存在しない。……この、ラリュングを破壊しない限りね」

「いいえ、違うわ。わたしはラリュングの探偵。だから、ラリュングがなくなれば、もうわたしもそこにはいない。……わたしはいま、ここにいる。それだけで十分よ」

「……そうか。君とは同志になれると感じていたのだが。残念だよ」

 刹那、大佐=サブスタンスは、マントを大きく広げた。はためく金属繊維に沿って、宵闇色の霧が舞う。薄暗いラリュングを、霧はさらに暗くしていく。

「やはり君には死んでもらおう。行政府をつぶす前に、君を潰すことにする」


 空が爆ぜた。霧の中で、空気が焦げる臭いがした。交わされる拳が火花を散らす。

 突貫したわたし=ミストレスは、思い切り拳を振るった。もはやこれしか、わたしには出来ることは残されていなかった。玉砕覚悟の突撃。それが唯一わたしに残された道だ。

 サブスタンスは、その拳を片手で受け止めた。真紅に輝く大佐=サブスタンスの二つ眼は、まるでわたしを嗤っているようだった。

「どうした中尉。この程度か? 何か奇策の一つでも残しているとでも思ったのだがな」

「あいにく、もうわたしには力勝負しか残されていないのよ!」

 拳に力を込める。全力で、大佐を叩き潰す。わたしにはそれしか残されていない。拳を受け止められたのなら、受け止めきれないほどの力を加えてやればいい。もうわたしには、それしかないのだ。

 左腕が痛い。ミストレスの全身から悲鳴が上がっている。もう限界だと彼女も告げていた。だけど、もう少しだけ。あともう少しだけ、つきあってもらう。

 拳を叩きおろす。サブスタンスの腕を練り、斬り、潰す。衝撃が走る。マントから漂う霧が爆ぜ、周囲の白い靄の中に混ざり合う。

 潰されたサブスタンスの右腕。腕関節があらぬ方向に曲がった。

 ――しめた。

 わたしは第二発の用意へ。このまま大佐を潰す。

「なかなかやるな、中尉」

 サブスタンス、バック転を繰り返して後退。回避。

 蒼白の巨人は、その折れ曲がった右腕を、左手で掴み、そして引き抜いた。肩から下が抜け落ちる。傷口からは、血の代わりにケーブルの群れと宵闇色の霧が漏れた。

「しかし、まだ甘いよ。君はどのみち私には勝てない」

 自ら引き抜いた右腕。その袖口に備えられたマントを引き裂く。そして、ハンカチーフでも持つように左手でつまみあげた。それから旗のように振るった。

 するとどうか。霧がマントの周囲に集まってきた。濃縮された白と宵闇色。混ざり合ったマーブル模様の霧が左腕にまとわりつく。やがてそれは巨大な拳となり、サブスタンスの左腕に現れた。

「君と同じ土俵で戦ってやろう。次で終わりだ。次で、君は死ぬ。さすれば、あとは行政府を潰すだけだ。それでラリュングは終わる。この街は霧に満たされ、宇宙そらの民はもはや我々を拘束することは出来ない。我々は真に自由になる。君はここで朽ち果てろ。新しい世界に君は不要だ。一生イヌで居続けろ。ラリュングのイヌでな!」

 サブスタンスが、拳を持ち上げた。宵闇色の鉄拳が、わたしに向かってくる。

 わたしは、赤錆色の拳を持ち上げた。

 ――あと少しだけ保って、ミストレス。この一撃だけでいいから。

「死ね、売女ミストレス! ここが貴様の墓場だ!」

 鉄拳を構える。

 両の左手。巨人の鉄拳が、天へと続く柱の麓で交錯した。

 衝撃。

 閃光がほとばしる。

 爆発。

 霧が爆ぜる。滞留していた白い霧が、一斉に街の中心地から広がっていく。

 ホワイトアウト。すべてが白く、無に帰していく……。


     *

 ホワイトアウト。

 その空間は、まるでわたしとサリー・ヘイズが再会したピルグリム・サーカス・ステイションのようだった。真っ白い空間に、女性が一人だけ立ち尽くしている。喪服のような黒のスーツにトレンチコート。そして、それにそぐわない少女の姿。大佐は、たしかにわたしのなかにいた。

「なるほど、それが君の――いや、この街が出した答えか」大佐は寂しそうに言った。「私はな、中尉。君に死の口づけ(キス・オブ・デス)の抹殺を命じた時から、すべてが狂ってしまったように思えるんだ。私はあれからひどい後悔をした。そして、この街から出て行くことを選んだ。最良の選択とはいえ、部下を殺し、あげく味方殺しの汚名まで着させた私は、自責の念に駆られた。そして霧の向こうで再びサリー・ヘイズと再会した。私は、彼女を認めてやろうと思った。そして、それこそがラリュングに訪れるべき正しい未来なのだと痛感した。

 ……だが、結局それは間違っていたのだろうな。私は結局、自分がかくあるべしと感じた未来に合わせて、都合よく現実を認識していただけに過ぎないのかも知れない。幸せな夢を見ていたのかもしれないな。……だから、私は君が羨ましいよ、中尉。君は、自分の価値観にのみ従って生きている。それがきっと、人にとって正しい道だったのかもしれない」

「もう、夢の時間は終わりです」わたしは静かに言った。「霧とは、真実を覆い隠す布のようなもの。その真実は、布が解かれるその瞬間まで、一体どのようであるか見当もつかない。そういうものです。あなたは、自分が欲しいものをそこに投影していた。それだけです」

「かもな。……だが、中尉。これだけは言っておく。我々の敵は確実に存在する。それは来るべきに備えて、虎視眈々と我々を見張っている。私はそれにかかった霧を晴らすことは出来なかったが、やがてそれも晴れる。晴れない霧はない……このラリュングもまた、そうだ。それだけは肝に銘じておけ」

「ええ、わかりました。大佐」

「頼んだぞ、中尉」

 言って、わたしは一歩踏み出し、大佐の首を掴んだ。白く細い、少し力を入れただけで折れてしまいそうな首。霧の女皇(わたし)はその首を掴むと、ぐっと拳に力を込めた。


     *


 霧が収縮していくのは、わたしにも分かった。都市を満たしていたそれが、一斉に外へ向けて捌けていく。それは霧の女皇(ミストレス)やサブスタンスが蓄えていたものも同じで、赤錆色の霧と宵闇色の霧とが、吸い込まれるように外へ抜け出ていった。そしてそのせいか、ミストレスからは力が抜けていき、もはやわたしの言うことは聞かなくなってしまった。

 モニターがダウンしたなか、わたしはコクピット・ハッチを強引に開かせて、外へと飛び出た。

 ミストレスの真正面には、サブスタンスが倒れていた。その肢体は、もはや崩れ落ちそうだった。右腕は完全に潰れ、左腕は皮一枚だけで何とか繋がっている。両足も衝撃の影響か、外装がはげ落ち、グレーの内部構造があふれ出ていた。人工筋肉の束が張り裂け、四方八方に雑草のように伸びている。

 大佐は、そんなサブスタンスの胸元からちょうど這い出たところだった。喪服姿の彼女だったが、ネクタイはゆるみ、ワイシャツは裂けていた。コートは煙突掃除でもしたように煤がこびりついている。そして何より、彼女の身体からは血が溢れ出ていた。腕から滴る真っ赤な血。それがサブスタンスの青い装甲板に滴り落ちた。

「……中尉、君はよくやったな。……まったく、私の想像以上だった。よくぞここまで辿り着いたよ」

「もう終わりです、大佐。もう、やめにしましょう。あなたも分かったでしょう?」

「そうだな。もう、終わった。負けたよ、中尉。君の勝ちだ。

 ……正直私は、君を嫉妬していたのやもしれんな。君に大義はない。しかし、君は自分の価値判断で動き、それを全うするだけの器量があった。一方で私は、憐れな考えをぬぐい去ることができなかった。だから私は、こんなことをしたのかもしれない。生きる理由を求めようとしていたのかもしれない。この閉鎖された街の中で、私は……。哀れなものだな」

 大佐は立ち上がる。

 しかし次の瞬間、彼女はサブスタンスの掌の中へと倒れ込んだ。血みどろの彼女には、もはや立ち上がる余力すらないようだった。

「いったい、なにが君の味方をしたのだろうな……中尉。あの瞬間、私は光を見たような気がしたよ。ラリュングじゅうの光が、私の中に流れ込んできたんだ。霧として、私の中に。まるであれは……そうだ、この街で死んでいった人間たちが、幽体として私の中に入り込んでくるような感覚だった。呪い殺されるかと思った。……私は、なにに負けたのだろう。行政府の……私が信じた、宇宙の民に負けたのか? それとも……ラリュング自身が私を拒んだのか」

「おそらく、後者です」

「……そうか」

 そのとき、大佐はゆっくりと目を閉じた。

 それが、わたしにとって一つの戦いの終止符であると分かっていた。MISTは解体された。メンバーは、今度こそわたし以外みな沈黙した。

 果たして、これで良かったのだろうか。

 わたしは沈黙したサブスタンスから、セントラル・タワーに目を移した。そして、そのさらに上にいるであろう、宇宙の人間に……。

 大佐が言っていたことが真実であるかどうか、もはやわたしには確認をとる術はない。行政府に問うか? いや、彼らが応えてくれるはずがない。この歪な街、ラリュング・シティは、不均衡さを保ちながら、いまもこうして動き続けている。

「……あなたの理想は、この街にはあまりに大きすぎたのよ。それに、現実が理想を受け入れるのにかかるほど、人生は長くはないわ」

 わたしは彼女に言葉を手向けると、腕時計端末にタイマーをセット。警察が来る前にミストレスが帰投するよう、霧の発生をしかけた。まだチャージには三〇分ほどかかるだろうが、警察が来るのはさらに一時間後のことだろう。

 ミストレスを飛び降り、街の混乱の中に戻った。

 わたしはヘイズル・ウェザフィールド。ほかの誰でもない。このラリュングの道楽探偵。自分が正しいと思ったことをするだけだ。それ以上でも、それ以下でもない。

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