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赤錆色の霧  作者: 機乃 遙
ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コール
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わたしがいるべき場所

 鐘の音を聞いて、わたしは目を覚ました。

 とても悪い夢を見ていた気がする。現実と夢の判別がつかない。わたしは何をしていたんだ?

 飛び起きて、周囲を見回す。

 そこは民家のようだった。わたしはソファーに横になっていて、隣にはダイニングテーブル。それからキッチンもある。暖炉には火が点っており、薪がパチパチと小気味よい音を鳴らしている。

 毛布を払って、わたしはソファーから起きあがった。全身に大粒の汗が流れている。気持ちが悪い。今すぐにでもシャワーを浴びたい気分だった。

 しかし、ここはどこだ?

 思い出す。そうだ、わたしは、大佐にやられたはずだった。では、どうしてこんなところにいる?

 ちょうど暖炉の近くに窓があったので、わたしはそこから外を覗いてみた。そこには、枯れた樹木と雑草生い茂る大地が見えた。空からはパラパラと雪が降っている。すぐ近くには教会もあった。どうにも鐘はその教会から響いているようだった。

 しかし、この情景には違和感があった。それは、曇り空でないことだ。空は暗くなり始めていたが、宵闇色の空はくっきりとしていた。

 ――ここはラリュングではない。霧の向こうだ。では、誰かがわたしを助けたのか……?

 そのとき、わたしの脳裏にサリー・へイズの言葉が蘇った。霧の向こうで死にかけた彼女を助けたのは、『霧の向こうの殺戮兵器たち』であった……という話だ。

 背中を冷たい手で逆撫でされるような感覚。一瞬で汗の気持ち悪さが失せた。恐ろしさに震え上がり、わたしは唇をわななかせた。目をしばたたき、震えるように首を横に振る。

 するとそのとき、後ろから物音がしたのだ。床を踏みつける、ギィッという音だ。

 わたしは即座に振り返って、左腕を構えた。

 しかし、そこにいたのは見覚えのある女だったのだ。わたしは臨戦態勢こそ解かなかったが、すこしだけ安心した。

「サリー・へイズ、あなたどうしてここに……?」

 モッズコートに一つだけのドックタグ。短いブロンド髪をした彼女が、なにやら器のようなものを手に立っていた。

「どうしてって。ここは私のセーフハウスです。私はあなたを助けて、ここまで連れてきたんですよ、ミス・ウェザフィールド」

「わたしを助けた……? くそ、悪い夢でも見ている気がするわ」

「夢じゃないですよ。スープが出来ましたが、食べますか?」

「あなたが作ったの?」

「いえ、缶詰ですが」

「ああ、そう。じゃあいただくわ」

 わたしはそういって、彼女からスープの入った器を受け取った。

 実に一般的なチキンクリームスープだった。レトルトらしい鶏肉とブロッコリーのかけらが少しずつ入っている。適当に火にかけたのか、熱いところと冷たいところがあって変な味だった。

「あなた、どうしてわたしを助けたの」

「気まぐれですよ。わたしの仕事は、もう終わったんです。大佐が出てきてしまったので。私の仕事は大佐に恩義を返すことであり、大佐の目的を完遂させることではありませんから」

「大佐の目的というと……?」

「あのひと本人から聞いたのでしょう? あの人は、ラリュングとこちらの世界の境界を消そうとしている。私はそのための先兵でした。ラリュング市民の不安を煽り、行政府への疑念を抱かせるのが私の仕事です。大佐の後押しもあり、私の仕事は終わりました。もう私は必要ない。あとはすべて大佐がケリをつけます」

「彼女が言ったことは本当なの? 人類は宇宙に行った連中以外死滅して。わたしたちは彼らが生み出した入れ物の肉体に過ぎないっていうのは?」

「大佐の中では真実であるようですよ。しかし、我々にはそれを確認する手段はない。我々は、宇宙そらとコンタクトを取る手段を初めから意図的に与えられていないんです。

 大佐曰く、宇宙そらの人間は、ヒトの肉体は重力下で育てていくことが正しいと判断した。しかしその成長の過程において、『入れ物』が自分たちよりも発達した知生体になることを恐れた。ゆえに霧を使って閉鎖空間に閉じこめ、また文明的に彼らよりも遅れた種として生まれさせることにした。だから我々には、まだ宇宙の人間とコンタクトを取る術を持ち合わせていない。真偽を問う方法がないんです。ただ一つ、ラリュング行政府という方法を除いて……。行政府の実体は、宇宙からのメッセンジャーであると大佐は言っています。彼らに問うことのみが、すべてを解き明かす方法。ひいては、彼らを殺すことが、ラリュングを独立に導く方法であるとしています。

 ですが、それも推論に過ぎません。旅の途中、大佐は断片的にですが証拠はつかんでいったそうです。もちろん確証にまでは至れていませんが、しかしそう捉えることは可能であると、大佐は考えています。そして大佐は、その真偽を問うため、そしてラリュングから霧を祓うため、最後の作戦に出るつもりです」

「最後の作戦?」

「ええ。サブスタンスで、ラリュング中央区、セントラル・タワーを襲撃します」

「それはいつ実行するの?」

「もう、始まってると思いますよ」

「……そう」

 わたしは、一瞬だけ何かに抗えると思った。だが、それも一瞬で潰えたようだった。

「大佐はラリュングを解放します。それで、私たちMISTの戦いは終わりです」

「でも、大佐が正しいとは限らないんでしょう」

「ええ。はっきり言って彼女の推論というものは、彼女の中にしかありません。

 大佐は霧兵器とラリュング市民は共存可能であると考えています。しかし、今現在に至るまでにも霧兵器による殺人事件はラリュングでも起きています。ゆえに大佐は、共存できる人間と、できない人間が存在すると考えています。なので、おそらくこれから選別が始まるのだと思います。そして、ラリュングは独立した新たな都市として新たに蘇る……大佐はそう考えています」

「大佐はそう考えている、ね。あなたは信じているの、そのこと」

「信じている、というと?」

「わたしには……わたしには、それが与太話としか思えないの」

 わたしはそういって、自分の左腕を見た。

 そういえば、この腕が移植された時の記憶をわたしは持っていない。もしかしたら、そのときから大佐の計画は始まっていたのかもしれない。ラリュングから霧を祓い、霧との境界をなくす……。わたしたちは、確かに彼らと共存できるのかもしれない。しかし……。

「信じていませんよ」

 サリー・へイズ=死の口づけ(キス・オブ・デス)が言った。

 その言葉に、わたしは思わず拍子抜けしてしまった。

「というよりも、どうでもいいんです。宇宙の人間が、我々の支配者であるとか。我々は人間ではないとか。そんなことはどうでもいいんです。ただ私は、大佐が私を認めてくれたことが嬉しかったんです。

 戦死した私は、機械たちによってこんな身体にされてしまった。わたしは、それが醜いことだと思っていた。しかし、大佐はそれに意味を見いだしてくれた。それが嬉しかった。だから私は、その恩返しのために戦ったんです。大佐が私に生きる意味をくれたから、私も大佐のために尽くした。それだけのことです。だからもう私の戦いは終わった。残されたのは、生か死か。その二つに一つ」

「そう……。じゃあ、なんでわたしのことを助けたの」

「そうですね。……強いて言うなら、私も誰かを助けたかったんでしょう。かつて私を救った機械たちのように。大佐のように……。そうすれば、私も少しは人間らしいものになれると、そう感じたのだと思いますよ」

 サリーはそう言って、わたしに微笑みかけた。

「スープ、おかわりいりますか?」

「いいわ。もう十分」わたしは器を近くのテーブルに置く。「それよりも、ここってシャワーとかあるの?」

「ありますが――」

 と、サリーがそう口にしたとき、机に置いたスープ皿が震えた。

 爆音が轟いた。窓が震え、空気までもが振動する。

「……始まったみたいですね」

「みたいね。シャワーを浴びている暇はなさそうね」

「止めに行くんですか、大佐を?」

「そのつもりよ。わたしはあくまでもラリュングの探偵。街をぶっ壊されるわけにはいかないから」

「それがあなたの信念ですか?」

「そうね……そういうことになるかしら」

「でも中尉、あなたの機体はまともに動きませんよ」

「でしょうね。あれだけボコボコにされたんだから。でも、どうにかしてみるわ」

 わたしは、イスにかけられた革ジャンを取ると、それを羽織った。

 わたしはラリュングの探偵だ。それ以上でも、それ以下でもない。これ以上彼女の妄想につきあうのは勘弁だ。


 サリーが隠居していた家を出ると、その庭に二体の巨人が支え合うようにして立っていた。ボロボロになった霧の女皇(ミストレス)それを死の口づけ(キス・オブ・デス)が支えている。

 わたしはそれを見上げていると、サリーが家から出てきた。

「これ、あなたが運んだの?」

「ええ、そうです」

「どんだけお節介なのよ。あなた、わたしの敵でしょう?」

「いまや敵ではないですよ。私にはもう、戦う意味がなくなりましたから。あとは大佐が全部やってくれます。大佐への忠義は尽くしました。それで、私が果たすべき使命は終わった。あとは好き勝手にやっても何も言われません」

「だから気まぐれでわたしを助けたってね……あなた、大佐の味方なのか、わたしの味方なのか」

「だからさっき言ったでしょう。どちらの味方でもありません。私は、生きる意味を見いだすために戦った。今度は、自分からその意味を見いだしていく番なんです。だから、あなたを救った」

「ほんと、身勝手でお節介ね。本当ならここであなたを殺しておくべきなんでしょうけど。いいわ、あなたは殺さないでおいてあげる。もう誰かに危害を加えないと約束するならね」

「約束しますよ。大佐が勝つにせよ、あなたが勝つにせよ、ラリュングに私の居場所はない。戦う理由はないですから」

「そうね……」

 わたしは彼女から、腕時計端末に目を落とした。ミストレスのシステムにアクセス。自己診断をかける。

 走査スキャン完了。システムに多数のエラーを検知。装甲アーマーコネクション・エラー、パージを推奨。火器管制システム(FCS)、オール・ダウン。すべての武器が使用不可能の状態にある。使える武装は、文字通り拳のみ。

 今のミストレスは最悪の状況だ。でも、それでも戦うしかない。

「……行くわ、サリー。わたしは大佐を止めてみる。それがラリュングの探偵としての……ヘイズル・ウェザフィールドとしての務めだって、わたしそう思うから」

「ええ、いってらっしゃい」

 サリーが小さく手を振る。

 わたしは彼女を背に、ミストレスに飛び乗った。背もたれに体重を預け、左腕をケーブルに接続。

 コネクト、エラー。

 強制接続。

 エラー、コード403。

 再度、強制接続。

 アクセプト。システム、再起動リブート

 推奨プログラムをすべて実行。エラー箇所をすべてパージ。肩部、胸部、腰部装甲。続いて、腰部ミサイル、左腕部弾倉、左腕部クローをパージ。

 パージ完了。

 ミストレス、再起動。

 ……お色直しは終わった。

 ずいぶんと身体が軽くなった気がする。軽くなりすぎて、涼しげにも思えた。

「ねえ、サリー、これ借りてくわ」

 言って、承諾も得ないまま、わたしは庭にあって黒いシートを取り払った。その下にはキス・オブ・デスのスペアパーツがあったが、わたしは見なかったことにした。

 シートを、マントのようにして羽織る。裸であると知覚したモノがイチジクの葉を得たのと同じだ。いまのミストレスにはこれが必要だった。

「行くわね、サリー」

「ええ、どうぞ。わたしはここですべてを見守ることにします」

 それがわたしとサリー・へイズが交わした最後の言葉だった。

 霧の女皇は、深く立ちこめる霧のほうを見やった。ラリュング・シティ。わたしが戻るべき場所は、そこにある。


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